玻璃を助けようと早々に戦線を離脱した獣帝マスタークロスフウガと陽平は、獣岬前の海に腰まで浸かったまま掌の上で人形のように眠ったままの少女を見下ろしていた。
 本当に良く似ている。翡翠や、あの過去の世界で出会った琥珀と瓜二つ。翡翠から生まれたクローンだというから当たり前なのかもしれないが、それでも身にまとう雰囲気まで似通うものなのかと考えさせられる。
 だからこそ、きっと笑えば花が咲いたように愛らしいに違いない。
釧は言った。巫力が尽きたことで、玻璃の命は消えかかっていると。
 助けるには巫力を与えねばならない。それも相当な量を分け与えることになるため、陽平自身の消耗は計り知れない。
 それでも助けると決めた以上、迷っている暇はない。
「クロスフウガ、どうやったら巫力を分けてやれるンだ」
「癒しの術、斜陽と同じ要領でいい。しかし一度に巫力を与える量はそれの比ではない。加減を間違えばキミは……」
 言いよどむマスタークロスフウガに心配ないと笑うと、陽平は掌で包み込んだままの少女に意識を集中させていく。
 握りつぶしてしまわないようにできるだけそっと包み込むと、今すぐにでも掌の中で燃え尽きようとする命に獣帝の持つ絶大な巫力を注ぎ込んでいく。
 多すぎず、少なすぎず、早すぎず、遅すぎず。その調節に手間取りながらも陽平は玻璃へと断続的に巫力を集中させていく。
 なるほど、これは確かにキツい。全身から力を奪われるような感覚と、風邪をひいたときに感じる眩暈にも似た頭痛。そして強烈な眠気が同時に襲い掛かるようなこの感覚。
 癒しの術に慣れていないためかとも思ったが、これはおそらく獣帝に合体したことへの後遺症が現れ始めたのだ。
 だが、まだ眠ってしまうわけにはいかない。手の中の少女を、幸せという言葉すら知らない生まれたばかりの少女をこのまま逝かせてしまうわけにはいかない。
 彼女はきっと、まだ本当の意味で泣いたことがないはずなのだ。
 友達と一緒にいることが嬉しいとか、そんな友達と別れるのが寂しいとか、そういう大好きな友達が大切なのだとか、そんな他愛ない、でも誰でも知っているような当たり前のことすら知らないかもしれないのだ。
「目ぇ覚ませ。そしたら俺が、まずは名前をつけてやっからよ!」
 額に玉のような汗を浮かべながらも陽平は少女に向かって話しかけ続ける。
「玻璃なんてふざけた名前じゃねぇ。もっとお前らしい可愛い名前とかあるはずだって。そうだ、光海とかにも聞いてよ。きっといい名前が浮かぶはずだ」
 ふいに睫毛が小さく震え、獣帝の手の中で少女の瞳がゆっくりと開いていく。
「翡翠や孔雀はきっとすぐに友達だ。天城はツンケンしてそうだけど、根はいいやつだから心配するなって。だから、諦めンなッ!」
 意識はまだ戻らないのか、視線は虚空を彷徨いながらも少しずつだが頬に生気が戻り始めている。
 やはり獣帝のまま行ったのは正解だった。思ったとおり獣帝の強大な力は破壊にだけ用いられるものではなかった。今はまだ、こんな小さな少女の命ひとつを救えるかという瀬戸際だけど、それでも命を奪い、壊し尽くすだけの忍邪兵とは違う。
「決めたんだ! 守るって、助けるって。俺は英雄とかじゃねぇから世界がどうとか言えねぇけど、俺の目の前で奪われる命を黙って見過ごしたりしねぇ!」
 いつか誰かが言っていた気がする。少しでも諦めず、最後の最後まで粘ったときこそ見える一筋の光明もあるのだと。
 だから死なせない。琥珀も、釧も、翡翠も、仲間たちも、そして手の中の少女も。獣帝マスタークロスフウガと勇者忍者風雅陽平が在る限り、必ず。






 すぐ近くで膨大な巫力が爆発したことで、海中を漂っていた釧は半ば強制的に意識を覚醒させられた。
 通常ではありえない量の巫力を一度に燃焼させるなど、いったいなにが起こっているのか。
 しかしその疑問の答えはすぐに検討がついた。
「風雅陽平、キサマ死ぬつもりか」
 徐々にはっきりとしてきた視界を確かめるよう目の前で拳を開閉すると、もうだいぶ数も減ってしまったサイハの刃翼をその手に握る。
 あの死装兵ダークマターと呼ばれていた者の気配は在る。かろうじて戦線を維持しているのはおそらく星王だ。
 ならばいつまでもこうして漂っているわけにもいかない。牙も爪もある。翼だってまだ残っているのに動かないのでは、友──カオスフウガに会わす顔がない。
 いざというときは命を賭してでもあの刀、獣王の証を用いてダークマターを屠る。
 今まで以上に強固な意志で塗り固めた瞳で空を仰ぎ、ガイアフウガを弾丸のように上空へと飛翔させていく。
 水の天井を突き破り、飛沫をあげながらダークマターの眼前に飛び出したガイアフウガは、手にした刃翼を走らせ網状に軌跡を描いていく。
「輝針ッ!!」
 連続した斬撃がダークマターの腕に衝撃を与え、鷲掴みにされていた星王が解放される。
「牙狩りッ!!」
 続けて風の巫力をまとった刃をダークマターの腕に叩きつける。
 だが切れない。今まであらゆる敵を斬り、屠ってきた釧の技でさえこの忍邪兵には通らない。
 全身から溢れ出す紫煙のような光が防御膜にもなっているのだろう。さしずめ忍邪兵版の光鎖帷子といったところか。
 大鎌の柄が腹を強打する痛みに顔をしかめながらも、釧はダークマターの全身を観察し続ける。
 必ずどこかに弱点が、小さな隙があるはずだ。完全無欠などありえない。ならば耐えて耐えて耐え抜いて、その一点を見つけ出すまで。
 紫の光弾を避け、両肩の爪をアンカーのように飛ばして応戦するがそれも裏目に出た。
 アンカーを掴んだダークマターはガイアフウガを文字通り振り回すと、ぼろぼろになりながらも果敢に攻める星王に激突させて迎撃し、挙句アンカーを伝って送り込まれる雷遁すら無視して海面に叩きつける。
 直接攻撃も間接攻撃も通じない。連続攻撃も一点集中の攻撃も通らない。ならば残された手段はただ一つ、体内への攻撃しかない。
 ガイアフウガには水面に立つ能力がないため、釧は水遁を利用して水面を滑るように飛ばされた勢いにブレーキをかけていく。
「星王、援護を!」
 同様に水面に立つ星王にそれだけを告げ、釧はガイアフウガを全力で走らせた。
 無造作に放たれる紫の光弾を避けながら走るガイアフウガの背後から、星王のミサイルが飛ぶ。
 しかしそれが視界を塞ぐ程度にしか効果はなく、ダークマターに対しては牽制にもならないのは承知の上。
 星王は鳥型に変化すると全速力でダークマターの頭上まで翔け上がり、続けて獣型に変化してダークマターの頭部に降りかかる。
 さすがにダークマターもこれには虚を突かれたのか、頭にしがみつく星王を振り払おうと何度も腕を振り回す。
「よくやった! この機、無駄にはせんッ!!」
 ダークマターの真正面まで跳躍したガイアフウガは、手にした刃翼を勢いよく喉元に突き立てる。しかし紫の光が邪魔をすることでその切っ先は一ミリたりともダークマターには届かず、釧は舌打ちと共に刃翼に巫力を送り込んでいく。
「風雅流、崩牙ッ!!」
 攻撃の衝撃が残った状態で術による多重振動を与える崩牙によって切っ先をめり込ませると、背面のバーニアを噴かせて無理やり刀身を押し込んでいく。
 僅かに沈んだ刀身に、釧は残る力を振り絞って突貫を続ける。
 まだだ。まだ強力な反発力が働き刃を押し戻そうとしている。ここで押し切れねばこの場に伏すのはこちらの方だ。
 すでに限界を迎えているサイハにさらに出力をあげるよう指示を出し、ガイアフウガの突進力をも兼ね合わせて手にした刃を押し込んでいく。
「はぁああああああッ!! 貫けェッ!!」
 釧の咆哮に刃が応えるように、僅かながらその切っ先がダークマターの喉元に触れる。
 もう少しだ。あと少し刺されば内側からダークマターを攻撃することだって可能なのだ。完全無欠と思われた忍邪兵を相手に一矢報いることができる。
 だが、切っ先が食い込んだように見えた瞬間ダークマターはイクスの引き剥がしに成功し、立て続けにガイアフウガの頭を鷲掴み。怒りに任せてガイアフウガを海岸へと叩きつけた。
 後頭部を強打したらしく伸びたビデオテープを再生したときの映像のように意識が途切れ、視界は何度も激しく上下する。
 まずい。そう認識するより早く視界の隅でなにかが動いている。それがダークマターが大鎌を振り上げたのだと気づくことはできたのだが、残念ながらもう身体の方は機敏に動いてはくれないらしい。
「終わりだ。リードの生き残りと炎獣。今こそこの二つとの因縁を断ち切るとき!」
 大鎌に紫の光が集まっていくのが見える。どうやらこの一撃で確実にガイアフウガを両断するつもりらしい。
 さすがの釧も動けずしてこれを防ぐ手立ては浮かばない。よしんば浮かんでいたとしても、今の釧にはそれよりも強烈に脳裏に浮かぶ言葉があった。
 風雅の母星リードが滅びたあの日、釧が生き残ることができたのは奇跡だった。
 燃え上がる丘、焼け落ちる家屋、降り注ぐ火の雨。そんな赤一色の光景に彩られたリードで釧を救ったのは誰でもない、彼の忍巨兵、獣王カオスフウガだった。
 獣王はいない。だが自分は釧と共に在り、今も、そしてこれからも、釧と共に"釧の大切なモノすべてを守る"と誓ってくれたのだ。
 今の釧にとって大切なモノはなにかと問われれば、無言を返すに違いない。しかし守るべきモノはなにかと尋ねれば、釧はこう答えるだろう。
「この……ときを。今、この一瞬を俺は守りたい……」
 呟くように唇から漏れた言葉に、ダークマターが喉の奥でクククと笑い声をあげる。
「この一瞬を逃れることができようと、キサマが死ぬ運命は変えられぬッ!!」
 大鎌に集まる紫の光がさらに巨大な大鎌を形作っていく中、釧は朦朧とする意識の中で獅子の咆哮を耳にしたような気がした。
 だからだろうか。死の間際だというのに、ついこんな言葉を口にしてしまったのは。
「風雅……流……」
「今さらなにをしようともう遅いッ!!」
 振り下ろされた大鎌がゆっくりとスローモーションで近づいてくる。なにもかもがゆっくりと、死という現実さえもゆっくりと近づいてくるかのようだった。
 そう思った途端に死というものを今まで以上に身近に感じ、失われた自身の欠片をなぜかすぐ隣に感じることができた。
 そうだ。あれは待ち続けている。あの日、殺意に囚われた釧を解放するため竜王によって打ち砕かれた黒衣の獣王は、釧の呼びかけをただひたすらに混沌という孤独の海の中で待ち続けている。
『そうだ。ワタシはいつも共に在る』
 カオスフウガ。その名を思い浮かべるたびに力が湧き、胸の内から解き放てとなにかが咆哮を上げている。
『ワタシを呼べ』
「──忍巨兵之術ッ!!」
 いつの間にか握り締めていた獣王式フウガクナイが光を放ち、それはダークマターを撃ち抜くように天を貫いていく。
 夜が明けた。そう改めて認識するほどにその光は強く、朝焼けの陽光と相俟って傷だらけのガイアフウガを照らし続ける。
 傷ついたガイアフウガから伸びた影がゆらゆらと揺らめく光景に見入っていたダークマターは、ありえないものを見たとでもいうかのように驚愕の視線を向ける。
 影が立ち上がり、ガイアフウガを守るようにダークマターの前に立ちはだかる。それだけでも十分に驚きの光景なのだが、その影は徐々にはっきりとした形へと姿を変え、いつしか見覚えのある巨人としてこの時非の海岸に現れた。
「ばかなッ! なぜキサマが生きている!? どうしてキサマが召喚に応じる!? なにがキサマを地獄から呼び戻したと言うのだッ!!」
「無論。友の呼ぶ声だ」
 自分自身も地獄から蘇った類の身だというのにこの驚きよう。どうやら完全に想定外の出来事だったのだろう。
 これに対してカオスフウガは何事もなかったかのように現れ、ガイアフウガに肩を貸して立ち上がらせる。
 さすがに釧もこの事態には困惑の色を隠しきれないようで、本物かと何度もカオスフウガの顔を覗き込む。
「釧、お前に伏した姿は似つかわしくないな」
「カオスフウガ……。本物、なのか?」
「釧が呼び、応えたのがワタシならば、本物ではないのかな」
 これは夢か。釧でなくともそう疑いたくもなる。
 獣王クロスフウガ同様にカオスフウガもまた、黄泉の国から舞い戻ったとでもいうのだろうか。
 釧には知らされていなかったことなのだが、風雅の里ではクロスフウガ同様にカオスフウガもまた改修が施され、いつ動いても不思議ではない状態にまで整備されていたのだ。
 もっとも、そんなカオスフウガが生き返ったとでもいうかのように再び動き出した理由を問われても、誰も答えることができない。まさしく奇跡の類の出来事であった。
「ククク。まぁいい。今更獣王が一体増えたところで状況が変わるわけでもあるまい」
 あれほど狼狽していたダークマターも冷静さを取り戻したらしく、釧とカオスフウガに向かって大鎌を構えなおす。
 悔しいが確かにカオスフウガとガイアフウガの力を持ってしてもダークマターに太刀打ちするのは困難だ。強いとはいえ、カオスフウガは竜王に敗北している身。あれを凌駕するにはやはり、陽平の獣帝クラスの力が必要になってくる。
 しかし、それを思った釧の脳裏でなにかがひらめいた。
 獣王クロスフウガと竜王ヴァルフウガで獣帝という強大無比な力を手にすることが可能ならば、ひょっとすると獣王カオスフウガと真獣王ガイアフウガにも同じことが言えるのではないだろうか。それこそ"獣王を超えたなにか"が生まれる可能性もある。
「カオスフウガ、今一度俺に力を貸してくれ」
「そのために来た。ワタシのすべては釧のためにある!」
「ならば賭けてもらうぞ、そのすべてッ! 今こそ過去と決別し、獣王という存在を超えるときッ!!」
 風雅之巻と獣王式フウガクナイを手にした釧の中で何かが弾けた。
 足下でカラン、という乾いた音が聞こえた気がした。しかしそれも一瞬のこと。釧の意思を受けた獣王式フウガクナイが巻物を再び解き放ち、釧にとっての新たな伝説を書き記していく。
「「風雅流奥義之壱ッ、三位一体ッ!!」」
 ガイアフウガがサイハと分離して獣型、クロスガイアへ変形すると、地を穿つような激しい咆哮を上げる。
 咆哮は直線に伸びる光の奔流となり、その光に穿たれた大地をカオスフウガと黒に変色したサイハが七色に輝く金色の翼で翔け抜けて行く。
 それらを追い上げるクロスガイアが跳躍し、その身体はカオスフウガを覆うためのパーツへと形を変えていく。
 ガイアフウガの脚に当たるパーツが変形したのは脚底と脚の側面を覆うパーツ。残す上半身をコンパクトのように展開すると、パーツの中央に滑り込んだカオスフウガに合わせて一つ一つが接続を開始する。
 脚底、側面を接続し、カオスフウガの頭と背中を覆うように被さったパーツもまた重たい音を立てて接続されていく。
 クロスガイアの獅子頭がカオスフウガの獅子に被さるように下りると、獣帝にも似た頭部が起き上がる。
 続けて背中にサイハを装着すると、カオスフウガの脇下にサイハの両足が変形した二門の銃口が顔を覗かせる。
 あらかじめ切り離していたカオスフウガの刃翼──絶岩と、サイハの刃翼が組み合わさることで出来上がる巨大な翼を携えたカオスフウガは、全身に満ちていく力に咆哮を上げずにはいられなかった。
「ウオオオオオオオオッ!!」
「超ッ獣王式忍者合体ッ!!」
 釧は今こそその名を口にする。獣王を超えし者の名を。弱き自分と決別し、今この一瞬を守りぬく究極のカオスフウガの誕生を見た。
 釧とカオスフウガの意思が重なり合い、釧という個人を媒介に闇より奪い返す者──カオスフウガと、包み守る者──ガイアフウガを繋ぎ合わせていく。
「「グレェェェトッ!! カオスフウガァァァァッ!!」」
 超獣王を中心に炎風が巻き上がり、激しく波打つ海を押さえつけるように全身から紫電が迸る。
 木々が騒ぎ大地が揺れ、大気が震える中心に立つそれは、獣帝と同じく圧倒的な存在感を以て戦場に現れた。
 水面に降り立つと両の足下に小さな波紋が広がり、忍者が水上を歩く際に使用したと言われる水蜘蛛のような形に水が固定される。
 獣帝以上に野性味溢れる外見からは想像もつかないほど穏やかな巫力を解放し、それでいて瞳は視線だけで射抜いてしまえそうな鋭い眼光を放つ。
 まさしくこの超獣王こそが、釧のための獣帝といえるだろう。
「獣帝と同種の合体だと……!」
 狼狽するダークマターに、グレートカオスフウガが棒立ちのまま顎をしゃくる。
 かかってこい。そう挑発する超獣王に対して、ダークマターも馬鹿にするなと全身から紫の光を噴き出していく。
 いかに超獣王が獣帝級の忍巨兵であっても、ダークマターが最大出力で一閃すれば命はない。
 避けなければ死ぬ。かといってあのダークマターが本気と言う以上、ちょっとやそっとの攻撃で迎撃できるような生易しい突貫でもあるまい。
 全身から噴き出した紫の光が倍近い大きさまで膨れ上がると、ダークマターは超獣王目掛けて黒い疾風と化した。
「その首ッ! 頂いたァッ!!」
 そんな圧倒的な黒い風が襲いかかってくる光景を、釧は超獣王の中からじっと見つめていた。
 つい数分前までなら必死になってこれを封じる方法を考えていたのだろう。しかし今の釧には眼前に迫る凶刃を恐ろしいとは到底感じることができなかった。
 流れる風に合わせて身をかわし、その中に見えるダークマターの背中を一瞥してやり過ごす。
 なるほど。獣帝になったときの陽平はこんな気持ちで世界を見ていたわけか。
 吹き抜ける風さえも目視して、ただ緩やかにその身をかわすだけで風を追い抜いていく。
 自分が神にでもなったかのような錯覚さえ感じる超獣王の力に、釧は戦慄を覚えた。
「恐ろしいな。一度にこれだけの力を手に入れると、溺れてしまいそうになる」
「釧に限ってそんなこともあるまい。そう気を張るな。ただそこにある力を使うだけだ」
 走り抜けていくダークマターを振り返り、釧は意を決して腰に下げたままのあの刀を握りしめる。
 その柄を握った瞬間、今までとは違う感覚が腕を伝って全身に走り抜けていく。
 身体どころか思考さえも消え去りそうになっていた今までとは違い、釧の意思に刀が応えてくれているのを触れた部分から感じることができた。
 左手で鞘を掴み、右手で握った柄をゆっくりと引き抜いていく。
 陽光を反射する刀身に目が眩むのか、掌を太陽に透かすようにこちらを振り返るダークマターに、釧は両の眼をしっかりと見開いたまま刀を抜ききった。
 合わせてグレートカオスフウガの手に握られた獣王の証こと"炎鬣之獣牙"は、その名の通り刀身を鬣のような猛々しい炎で包んでいく。
「炎鬣、一刃【えんりょういちじん】……ッ!」
 両手で握った刀が揺れ、切っ先はダークマターの大鎌に合わせてピタリと止まる。
「キサマの瞳、どうやら"切る"という言霊を与える"口"の鬼眼か。だがいい加減その芸も飽きてきたところだ。この超獣王の一太刀とどちらが勝るか、試してやる!」
「ほざけッ! ならばそのナマクラ刀ごと"切れる"がいいッ!!」
 "口"の鬼眼を発動し、ダークマターが動いたのを確認すると、遅れてグレートカオスフウガも地を蹴った。
 ダークマターが振り抜くより早く大鎌を捉えると、釧は僅かなひっかかりを感じつつも大して力を込めた素振りもなく炎鬣之獣牙を振りぬいた。
 パァン、という金属板が割れたような音が響き、ダークマターが我が目を疑うように自らの手にした大鎌に視線を移せば、紫の光に包まれた強靭が丁度半分のところで綺麗に切り落とされていた。
「ぬるいな」
 目だけで振り返る釧に、ダークマターがわなわなと肩を震わせる。
「そして、お前が相手にしていたのは二人だったことを、もう忘れたか下郎」
 グレートカオスフウガの言葉に振り返ろうとしたダークマターは、左目に奔る鋭い痛みにその巨体を大きく仰け反らせる。
 満身創痍ながらも会心の一撃。ずっと機を伺っていた星王の剣がダークマターの左目を背後から貫き、瞳に触れた剣が鬼眼を取り込んだありとあらゆる術を分解、消滅させていく。
 星王の手にはいつの間にか忍者刀ではなく見慣れない両刃の剣が握られており、その剣の放つ光は鬼眼を移植するための術だけならず、ダークマターを包み込んでいた紫の光さえも一瞬で浄化する。
 幼少の頃から星王と面識のあった釧は、ただ一度だけその存在を耳にしたことがあった。
確か星王イクスがまだ人間だった頃に使用していた異国の聖剣で、彼がリードに捧げた炎鬣之獣牙同様に強い破邪の力を秘めていると聞いたことがある。確か名前は……
「超獣王ッ! 今こそこの忍邪兵にとどめをッ!!」
 星王の声で我に返った釧は、手にした刀から炎を拭うと再び切っ先をダークマターの眉間へと向ける。
「出し惜しみの必要はない。炎鬣之獣牙の力はワタシが引き受ける!」
 パートナーの頼もしい言葉に自然と笑みがこぼれる。陽平の言う"一人じゃない力"というものを少しだけ理解できた瞬間だった。
 持ち主の願いを敏感に感じ取り、代償と引き換えにそれを叶える秘宝、炎鬣之獣牙。
 一人きりで戦っていた釧にはあまりに重すぎる代物だったが、今は共に支えてくれる者がいる。
「ならば放とう! 風雅の歴史を塗り替える、無限のごとき刃の冴えッ!!」
 切っ先を後ろに刀を右腰辺りへ構える。剣道で言うところの"脇構え"だが、やや前傾姿勢で今にも飛び出して行きそうな圧力を相手に与え続ける。
 グレートカオスフウガを包み込む光の網状結界、光鎖帷子を最大出力にしつつ可能な限り身体に密着させるように展開すると、あっという間に体感重量が軽くなる。
 出力を最大にしつつ動作に違和感が出ない程度に調整するのは慣れが必要になりそうだが、獣帝と陽平のように常に全開の状態を保つよりもこの方がよほど効率的だ。
 超獣王によって鋭敏化された体感速度は普段の約六倍に相当する。十倍近い感覚強化が行われているはずの獣帝とまではいかないものの、よほどのことがない限り相手の動きは止まって見えるし、身体がついてさえこられれば相手がかわすどころか反応すらできない速度で斬りつけることだってできる。
 そしてそれを実現するための身体こそがこの超獣王なのだ。光鎖帷子と炎鬣之獣牙という二つの秘宝が使用者に絶対の勝利をもたらすものであるように、超獣王という身体もまた、使用者に絶対を招くパートナーと言えよう。
 グレートカオスフウガを中心に周囲に空気の流れが生まれ、それは次第に勢力を拡大してダークマターをも流れの中に取り込んでいく。
風雅流の技には天と地、二つの型が存在する。天は速さや鋭さ、そして術の手数。地は力や巫力の一点集中を意味し、当然これらには奥義と呼ばれる技がそれぞれに存在する。天之型には速さを追求した、地之型には力を追求した奥義があり、それらを極めて初めて風雅流の免許皆伝となる。
 フウガマスターと呼ばれる風雅雅夫や、代々王家の指南役となる鏡【かがみ】、そして鏡から皆伝を与えられた釧などがそれに該当するが、風雅流を極めんとする忍者たちは皆伝の域に留まらない。
 皆伝を与えられた者がより高みを目指し、真の強敵に出会うときのためにと天之型と地之型、双方を追求した技を編み出していく。使用者の数だけ増えることから無限の名を与えられたこの奥義は、風雅最強の忍者フウガマスターの称号を得るための絶対条件でもある。
「風雅流、天地之型……」
 二人を取り巻く気流は次第に激しさを増し、いつしかそれは二人を中心とした竜巻とも呼べる風の結界へと変わっていく。
 決して逃がさない。釧の意思がそうさせているのか、包み込む竜巻が次第にその半径を小さくしていく。
「──奥義ッ!!」
 釧の咆哮と獅子の咆哮が重なり合い、弾丸のように飛び出したグレートカオスフウガが一瞬で掻き消える。
 天之型で極めた速度と鋭さが、地之型で極めた力と巫力の一点集中が一つに交じり合い、その一太刀は避けることのできない、受け止めることの適わない、そして斬られたことすら気づくことのできない一撃へと昇華される。
 ダークマターの右脇を通り過ぎるように走り抜けていたグレートカオスフウガだったが、いつの間にかダークマターの背後から左脇をすり抜けるように走り抜けると膝を立てて勢いを殺していく。
「──無限、斬ッ!!」
 釧が言い終わるのを待っていたかのように、ダークマターの身体に∞【むげん】の模様が刻まれていく。
 斬られたことにすら気づけないでいたのか、その無限模様を目にしたダークマターは狂ったように咆哮を上げた。
 山の向こうで熊が吠えていればこんな感じだったのかもしれない。しかしその咆哮すら掻き消すように、ダークマターの無限模様を目掛けて周囲の竜巻が収束を始める。
 肩越しに一瞥した釧は、収束する竜巻によって声も姿も包み隠されていく哀れな敵を「フン」と鼻で笑うと、返り血すら浴びていないというのに半ば癖のように血払いをしてから刃を納めていく。
「礼を言うぞ。キサマのおかげで俺は新たな力を手にすることができた」
 いったいいつ外れたのだろうか。いつの間にか手に握っていた銀の仮面で左顔を覆うと、釧はいつもの冷笑で徐々に細く消え行く竜巻を見送り、改めてダークマターに背を向ける。
「沈め、夜よりも暗い混沌へ。キサマには陽光の餞別すら勿体無い」
 朝焼けに向けられた超獣王の咆哮が、朝の冷たい空気から世界を覚ましていく。
 もしも自分が倒れるなら、そのときはどうか、この陽光の下でありたい。
 そんなつまらない願いを振り払った釧は、つい先刻まで感じられていた巫力の爆発すらも消えてしまった好敵手の姿を探すことにした。
 ただ一人、どうしても消すことのできない"わだかまり"を消し去るために……。













<次回予告>