ひとしきり話し終えた釧は、なかなか回復しない疲労に内心溜め息をついていた。
 聞かせた内容がそれほどに衝撃的だったのか、陽平は先ほどから一言も言葉を話していない。
 ただ沈痛な面持ちで考え込み、翡翠を案じている様子が伺える。
 無理もない。それほどの話をしたのだ。リード王家でもトップクラスの秘匿情報だけに、釧自身、他人に話して聞かせたのはこれが初めてのこと。
 だが、この男には聞かせなければならないと思った。聞く権利も、聞かせる意味もあると考えた。
 そしてなにより、釧の願いを叶えてくれるのは陽平以外にいないと強く実感していた。
 だが、なにも陽平にばかり背負わすつもりはない。
 陽平が翡翠を救うなら、陽平の倒すべき敵はすべて自分が斬り捨てる。陽平のための刃になる。
「……なぁ、聞いてもいいか」
「なんだ」
「誰かにさ、死ねって……お前は将来死ぬんだって伝えるのって、どんな気持ちかな」
 それは翡翠に対する言葉か、それとも琥珀に対しての言葉か。
 星の、国の、民のために死を義務付けられた一族。それを王族と言うのなら、それはなんたる皮肉だろうか。
「お前はさ、俺にそんな力があると思うのか? 翡翠を救うなんて、風雅の運命を変えるなんて力が本当に……」
 陽平の悩みもわからなくはない。この少年は初めて、勇者忍者という名の持つ重責を"重い"と感じているに違いない。
 今の釧には、陽平の悩みを晴らしてやれる言葉がみつからなかった。しかし、自然と口をついて出たのは昔話にも似た釧の本心に違いなかった。
「俺は、なぜ自分が勇者忍者になれないのか、なぜ俺が獣王ではなかったのか、本当は今でもわからない」
「なに言ってンだよ……」
「少なくとも俺は選ばれなかった。たとえキサマよりも強くなろうとも、キサマ以上に友や仲間に恵まれようと、おそらくそれは変わらない」
 その苦悩は当然、今も釧を苛んでいる。
「だが風雅陽平、キサマは選ばれた。誰もが大切ななにかを守るためと望み、それでも手にすること叶わなかったものに。それはすなわち、キサマにはできるということではないのか」
 翡翠を守るように現れた男、フウガマスターのような強者がいるにもかかわらず、陽平が選ばれた理由。陽平にあって、釧たちにないもの。それはおそらく結び付きではないだろうかと釧は考える。
 陽平は常に何かと何かを結び付けている。人であったり、能力であったり、歴史であったり、忍巨兵であったり、それはいつも違う形であるにもかかわらず、すべて陽平が結び付けていく。
 かくいう釧も陽平によって結び付けられた者の一人。否定する材料はみつからない。
「なんかさ、お前とこうして話す機会ができるなんて思わなかった」
「嫌味のつもりか」
「違ぇよ。やっぱ、話せてよかった。胸を張って、"俺は風雅の運命を変える忍者だ"って言えそうだ」
 なにが陽平を後押ししたかはわからないが、どうやらもう心配する必要はないらしい。
 これでもう、釧が陽平にしてやれることはなくなった。あとは残る命を刃にして、彼の敵を薙ぎ払うだけ。
「なぁ、俺たちと来ないか」
 唐突すぎる誘いの言葉に、釧は目を丸くする。
 決して予想できなかったわけではない。しかし、陽平の差し伸べた手は、釧をなにと結び付けようと言うのだろうか。
「一時的でも構わねぇ。俺にしてくれたみたいに、翡翠や琥珀さんと話してくれないか。きっとあの二人を心から安心させてやれるのは、アンタだけだからさ」
 それは釧にだけできること。そう言われて断れば、先ほどの自分の言葉を否定することになりかねない。
 その者にしかできないことがあるならば、力ある者はそれを成す義務がある。
 幼い頃、両親に言い聞かされた王族の心構え。今になって、ようやくその義務を果たすときが来たらしい。
「アンタの誇りとか、気持ちとかを察することができるわけじゃねぇけどさ。なんだったらもう一度やり合うのだって構わない。ガーナ・オーダをぶっ潰した後ならいくらでも闘いに応じることを約束する。だからせめて、あの二人に会ってくれないか」
 さぁ、と手を伸ばされ、釧は迷った。
 手を取ることは簡単だが、果たしてそれがリードの皇として正しい選択なのか。
 少し考え込むように半身を退いた釧は、すぐに思い至ったように自らの腰に手をかけた。
 差し伸べられた陽平の、マスタークロスフウガの手に獣王の証──炎鬣之獣牙を握らせると、意を決して背を向ける。
「お、おい!」
「それを持っていけ。どうやら俺には過ぎた力だったらしい。おそらくもう一度使えば俺の命はない」
「そんなアブネーモン、俺に渡すなよ」
「キサマが真に選ばれたなら、それも使いこなしてみせろ」
 むちゃくちゃ言うなと文句を言いながらも、どうやら使う気はあるらしい。しきりに刀の柄を眺める陽平に微かな笑みを浮かべたまま、釧は空を仰いだ。
 それが目に入ったのは偶然だった。
 海鳥の群れかと思った小さな無数の黒点。しかしそう思った次の瞬間、明らかにおかしい縮尺に釧の目が驚愕に開かれた。
「どうした。なにが……」
 つられて空を見上げた陽平もまた、声にならない驚きに苦笑を浮かべる。
「あれ、全部忍邪兵かよ」
「そうらしい」
 揃って見上げる空を埋め尽くすような鳥型忍邪兵の大群に、マスタークロスフウガやグレートカオスフウガも適切な言葉が浮かばないらしく、溜め息にも似た声を洩らす。
 いったいどれくらいの数がいるのだろうか。正直、数える前に逃げ出してしまった方が早い。
「風雅陽平、キサマは離脱しろ。今の獣帝に戦うだけの余力はない」
「どっちがだよ。やせ我慢しやがって。グレートカオスフウガこそいい加減合体を維持してンのだってキビシイんじゃねぇのかよ」
「キサマほどではない」
 現状、二人の状態にさしたる違いはない。巫力は底をつき、合体の反動からか瞼が重い。
 万全ならばあの数でも脅威ではないが、このまま戦えば初撃で力尽きて合体は解かれ、強制的な睡眠によって無防備のままあの数に襲われることになる。
 どうやら監視されていたらしく、決闘が終わるのを見図られたようだ。
 最強無敵の忍巨兵、獣帝と超獣王を同時に相手するよりも、両者が潰しあった後を狙う方が効率がいいことは子供でもわかる。
 効率的だが姑息な手段。おそらく信長の懐刀、森蘭丸の手によるものだろう。
「クロスフウガ、一発くらいならメギドパニッシャー撃てるよな」
「撃てるがそれまでだ」
「ギリギリまで引き付けたメギドパニッシャーで、どれだけ削れるかが勝負か」
 分の悪い賭けだ。かといって一体ずつ斬るのは更に非効率的だ。
「二人で撃つか、それともどっちかが撃って、撃ち洩らしを残った方が斬るか」
「いや。……陽平、ワタシに考えがある」
 グレートカオスフウガの肩に触れるマスタークロスフウガは、空を見上げたまま半歩進み出ると、グレートカオスフウガの胸、すなわちクロスガイアの頭部に視線を動かした。
「クロスガイアを使い、あれを一掃する」
「クロスガイアを……だと」
 頷くマスタークロスフウガに、釧は自らの胸に目を落とす。
「クロスガイアの秘めたる力、炎獣と呼ばれし兵器、霊焔【たまほむら】を使用する」
 そういえば、ジェノサイドダークロウズもガイアフウガのことを炎獣と呼んでいた。
 クロスフウガとダークロウズが知っており、陽平も釧も知らない兵器ということは、それはおそらく過去の戦で使用されたもののはず。
「クロスフウガ、そいつでなんとかなるのか!」
「ああ。一度は敵将、織田信長を滅した力、信じてくれて構わない」
 クロスフウガの口から語られた驚愕の言葉に、陽平も釧も揃って驚きの声を上げる。
「なッ──!」
「──にぃッ!」
 聞き間違いということはあるまい。今確かに、クロスフウガは過去に信長を倒した力と言った。
 それはつまり、琥珀がこの地で得た風雅忍軍最終兵器。
「すげぇじゃねぇか! 今まで黙ってるなんて、みずくせぇじゃねぇかよ、相棒」
 確かに、聞いただけならすごいと思う。だが、それと同時に釧は直感的に気づいていた。
 クロスフウガの言う霊焔とは、獣帝となった陽平にさえ、琥珀が伝えることを躊躇ったもの。
 その力、決して想像に難くはない。
「獣帝、先に聞いておく。その霊焔とはどんな武器だ」
 案の定、クロスフウガはその問いに対して言葉を濁そうとする。
 しかし、それを知らずして使うわけにはいかない。ましてや、この星に対して致命的なものならば、なおのこと陽平に使わせるわけにはいかないのだ。
「答えよ、獣帝」
「……周囲のありとあらゆる熱を奪い、それを加速的に高熱へと増幅して発射するフウガパニッシャーの応用武器だ」
「周りの熱を? えっと、つまりどうなるンだよ」
「わからんか。生命の宿るものすべては熱を宿していると言っても過言ではない。天から降り注ぐ陽光もしかり。それらすべてから熱を奪うということは……」
 さすがにその先を口にされる前に、陽平もことの重大さに気づいたらしい。
 青ざめる陽平に代わり、続きを口にしたのはマスタークロスフウガだった。
「使用の際、山一つ分の空間を完全に凍結させる。動植物、機械、人間、空気を問わずすべてだ」
「それ、前に使ったときはどうやったンだよ」
「可能な限り動物や人は遠ざけ、ワタシだけが残り織田信長を追い詰めた建物ごと討った」
 その結果、信長も一度は命を落としてこの地に平和が戻った。
 なるほど。確かにそれならば、ガーナ・オーダが執拗なまでに獣王を危険視するのがわかる気がする。
 奴等もきっと、忍巨兵がクロスガイアを持ち出すことを何よりも警戒していたに違いない。
「確かにとんでもねぇけどさ、おかげで威力についてはお墨付きだってわかったじゃねぇか」
「しかもあつらえ向きに、ここは周りを気にする必要がない」
 確認のため周囲を見回してみたものの、あるのは氷の大地と海、そして自分たちくらいのものだ。
 だが、獣帝にはもう一つ確認しておくことがある。
「もう一つ答えてもらうぞ。その武器、琥珀が使用を禁じているのではないのか。禁を破ってまで使わせようとするキサマの魂胆はなんだ」
「当然、キミたち二人を死なせるわけにはいかないからだ」
「……いいだろう」
 どことなく陽平を思わせる獣帝の回答に不敵な笑みを返し、釧はすぐさま超獣王を分離させる。
 カオスフウガとクロスガイアに分かれた釧は、油断なく空を睨みながら獣帝に次の指示を仰ぐ。
「さぁ、次はどうする!」
「キミの名において命ずればいい。そうすればクロスガイア自らが霊焔となる」
「ならば風雅陽平! この一撃、キサマに預けるぞ!」
「おうッ!」
 カオスフウガの中で獣王式フウガクナイを掲げ、今にも飛び出していきそうな紅の巨獣にその名を叫ぶ。
「我、リードの皇にして風雅の名を告げし者、釧の名において命ずる! 姿を見せよ、獣王霊焔之陣ッ!!【じゅうおうたまほむらのじん】」
 釧の言霊がクロスガイアの封印を解き、紅の獅子は天に向かって猛々しい咆哮を上げる。
 グレートカオスフウガのパーツに変形したクロスガイアは、さらにそこから獅子頭を中心とした、巨大すぎるX字型の弓へと変形を果たす。
 獣帝の左手を霊焔中央の背面に接続して、忍邪兵の群れに狙いをつける。
 頂点同士を結ぶX字の弦を握り、ゆっくりと引き絞っていくと、赤々と燃え上がる獅子の鬣が高速回転を始める。
 その瞬間、霊焔之陣を中心に周囲のすべてが一瞬で凍りついていく。海が凍り、周辺の空気が霜となって降り注ぎ、一帯の巫力が霊焔へと集まり始める。
「釧! お前も来いッ!」
 言われるまでもない。このままこの一帯にいれば、釧もカオスフウガも一片の巫力も残さず氷の彫像と化してしまう。
 獣帝に並ぶようにカオスフウガが陣取り、霊焔に接続された腕に手を重ねる。
 回転を続ける炎の鬣が紅の輪になって獅子頭前方に浮かび上がり、周囲からは氷の柱が次々に天を突いていく。
 バスターアーチェリーやスパイラルホーン、天翼扇といった武装忍巨兵を容易く上回る圧力が獣帝とカオスフウガに襲いかかり、光鎖帷子のない釧は身が焼けるような熱風に顔をしかめる。
「この力、一歩間違えば星を撃ち貫くぞ!」
「だったらしっかり握ってろよ! 俺とお前、二人で支えりゃ問題ねぇッ!」
 獣帝の引き絞る弦が限界まで到達すると、前方に展開した紅の輪の中心に赤い球体が生まれる。
 球体は一瞬で輪を埋めるほどに肥大化すると、爆発的な熱量が周囲の氷を蒸発させていく。
「いっくぞォ! 腰抜かすンじゃねぇぞ!」
「くっ、キサマがなッ!」
 獣帝の指から弦が離れると、獅子の咆哮が紅の球体を超高熱の奔流に変えて、溜め込んだ力を一気に解き放つ。
 見渡せる範囲の氷をすべて一瞬で蒸発させ、星すら撃ち貫くような特大の熱閃が発射された瞬間、発射の勢いだけでカオスフウガが後方へと吹っ飛ばされる。
 ただでさえ霊焔と接続されておらず、獣帝によって支えられていたような状態だったのだから無理もないが、このまま無防備に飛ばされればただでは済まない。
 だが、腕を強く引かれる感覚と共に身体が支えられ、釧は思わず腕を凝視した。
 カオスフウガをしっかりと繋ぎ止めた腕に引き寄せられ、それに合わせて釧の意識がゆっくりと引き寄せられていく。
「しっかりしやがれバカ野郎! おい、聞いてるか釧ッ!」
 陽平の声が、やけに遠く感じるのは、きっと巫力切れからくる眠気のせいだ。
 なのにどうして自分を繋ぎ止める腕の感触だけは、こんなにはっきりと感じられるのだろう。
「これが……お前の力なのか」
 繋ぎ合わせる力。陽平が勇者忍者に選ばれた由縁。
「まさか……これほどとはな」
「あァッ! 聞こえねぇよッ! いいから掴まれ! 反論は認めねぇ。俺はな、ぜってぇお前を連れて帰ンだよォ!!」
 気も遣わず優しくもない。それなのに不思議と胸に入ってくる荒っぽい言葉に、釧は自然に笑みを浮かべていた。
 どれくらいぶりだろう。こんな、自然に笑うことができたのは実に久しぶりのことだ。
 思えばこんな風に笑えた日々を奪われたことが悔しくて、守れなかった自分が許せなくて。ただ、あの日を取り戻したかっただけなのに、なんでこんなに遠回りをしていたのか、もう忘れてしまった。
 薄れゆく意識の中、釧は誰かの名前を呟いた。
 胸の中で優しく響くその名前が微笑み返してくれた気がして、釧はようやく安堵の息をついた。
 そうだったな。いつだって、俺が笑えばお前は笑っていてくれたんだったな。そんな簡単なことさえ忘れて、いったいなにをしていたのだろう。
 なんだか無性にいい夢が見られそうな気がした。
 それはきっと、この勇者忍者の少年が、昔の誰かに似ていたからだと勝手に思わせてもらうことにしよう。






 どれくらい眠ったのだろう。不意に少女の泣き声を聞いた気がして、釧はまだ重たい目蓋をなんとか持ち上げた。
 まだ意識ははっきりしないものの、すぐ近くに泣き続ける少女を見つけ、釧は無意識に手を伸ばしていた。
 頭を撫で、優しく微笑んでやると、少女はうってかわって笑顔になった。
『兄上の手、大好きです』
 そう言って少女が笑った瞬間、ようやく夢が終わりを告げた。
 一瞬、目を開けていながら夢を見ていた自分に苦笑いを浮かべると、釧は傍らに座る人物に視線を動かした。
 ずっとそうしていたのだろう。布団に寝かされた釧を案じて見守っていた琥珀に、釧は優しげな、しかし少し寂しげに笑ってみせた。
「目が、覚めましたか?」
 どこか他人行儀な台詞に疑問を感じる。しかし、よくよく思い出してみれば、旅立つ琥珀が記憶を刷り込む秘宝を使っていたことに辿り着き、釧はやれやれと苦笑いを浮かべた。
「思い込みが強く、意志が固いのはお前の美徳だが、欠点でもあるな。琥珀」
「え……」
「たとえ我がリードの秘宝が神の奇跡であったとしても、兄が、妹を忘れるはずがないだろう」
「あ……ああ……」
 堰を切ったように溢れ出す涙を止められないのか、戸惑いながら自分の涙を拭う琥珀に、釧は身体を起こして手を伸ばし、あの日のように頭を撫でてやった。
「琥珀。大きく、そして綺麗になった」
「兄上!」
 飛び込んできた妹を胸に抱き、泣き続ける琥珀をあやすように背中に腕を回す。
 以前抱いたときは、腕を回せばすっぽり収まってしまうほどだったのに。つくづく時の流れというものは、命に対して厳しくあるもののようだ。
 幼子のように泣きじゃくる琥珀をあやしつつ、釧はもう一人の妹の姿を探す。
 あの子も、もう一度この手で抱き締めてやりたい。たとえその身を呪いに脅かされていようとも、あの子も大切な妹に違いない。
「琥珀、翡翠は一緒ではないのか」
「はい、兄上。翡翠でしたらすぐに……」
 しかし言葉を遮るように襖が開け放たれ、弾かれるように琥珀が離れていく。
 無礼にも突然飛び込んできた者に、釧は見覚えがあった。
 以前忍邪兵に取り込まれた際、共に囚われていた森王の巫女で、名前は確か……
「光海さん」
 そう。そんな名前を陽平が叫んでいた。
 酷く慌てた様子の光海に、表情を引き締めた琥珀が立ち上がる。
「なにか動きが?」
 相当気が動転しているのか、壊れた人形のように何度も頷く光海は青ざめた表情のまま息を整えると、静かに風雅忍軍の絶望を口にした。
「世界が……国連が、ガーナ・オーダと手を結びました」













<次回予告>