明朝、まだ陽も昇りきらない朝靄の中、一斉に行動を起こした風雅忍軍は、太平洋上に出たところで、ガーナ・オーダによって技術提供された国連軍の最新衛星カメラによって捕捉された。
 森王を武装したクロスフウガを先頭に、若干の距離を置いて天王を武装したヴァルフウガと、闇王を武装したラグナフウガが続く。後方を守るのは、輝王とサイハを武装したガイアフウガだ。その四機によって、常に囲まれる位置にいるのは漆黒の獣王カオスフウガ。
 一団は真っ直ぐに太平洋を沖へと進み、赤道上付近で停止した。
 国連軍に行動が筒抜けなのは、世界がガーナ・オーダと手を結んだ時点で予測できている。忍巨兵を研究し続けた者たちだ。通常のレーダーに映らない忍巨兵を、捕捉する技術を持っていたところで、何ら不思議はない。
 海面に着地……いや、この場合は着水だろうか。とにかく永遠に止まることのない波の上に降りたカオスフウガは、海底に向けて、捜索系の術を展開した。
「急いでください。恐らく一〇分とかからずに、国連軍とガーナ・オーダに囲まれるはずです!」
 楓の予想では、国連軍もガーナ・オーダも既に動き出しているはず。両者の利害は、風雅を倒すことで一致している。今さら余計な小細工は不要。総力を上げて忍巨兵を破壊しにくるはず。
 きらきらと陽光を反射する海面が、金色の絨毯に見えるこの大海を、戦場にするのは非常に心苦しいのだが、陸地で戦ったときの被害は身に染みている。
「楓ちゃん、ガーナ・オーダが来るわ!」
 バスタークロスフウガを駆る光海が、あらかじめ展開していた直径一キロもの広域結界に、ガーナ・オーダの軍が触れたことを探知する。
 改めて確認するまでもない。文字通り、太平洋上に現れる忍邪兵と邪装兵の群に、まだ何もしていないはずの柊が、疲れた声で溜め息をついた。
「はぁ。あれ、どのくらいいんの?」と、やる気のない声を上げつつも、突然鋭くなる柊の目が、既に臨戦態勢に入っていることを告げる。
「だいたいだけど、二〇〇〇くらいかな。ちょっとハードだよね」
「ハードどころじゃない数なんですけどね」
 苦笑がついて出る。
 続けて警報を知らせたのは、単身ガイアフウガストライカーを駆る孔雀だ。
「日本側から国連軍ですぅ! 数は一〇。でも、今までにない速さで近づいてます!」
「まさか、国連軍に技術提供されたという機体!」
 一瞬クロスフウガと勘違いしそうなほど似せてあるその機体は、大きなX字の可動式スラスター兼スタビライザーで忍巨兵級の機動力を見せており、外見上は獅子のない量産型クロスフウガと言っても差し支えない。武装は手にしている突撃機銃のようなものと、左右両腰に装着されているコンテナのようなもの。あと、両腕に可動式のブレードが装備されており、これがクロスフウガの獣爪を模していることは、言うまでもない。
「獅子の代わりに国連軍のエンブレム? さすがにあれは、センスないんじゃない?」
 楓も柊の意見には同感だった。正直言って、自分があれに乗りたいとは思えない。しかし見た目と性能がイコールであるわけでもなく、忍巨兵級の速度と運動性を見せ付けるようにバレルロールを繰り返すJ−X斬風は、なんの警告もなしに突撃機銃の銃口をこちらに向ける。
「ジェクス部隊。各機、攻撃開始ぃ!」
 年季の入った低い声。隊長機からの命令が引き金となって、十発の火砲が一度に放たれる。
 簡易版のフウガパニッシャーと言った所だろうか。威力は本家のそれに及ばないながらも、いかに忍巨兵といえども、これをまともに受ければ想像以上の被害を受けることになる。
 楓が見たところ、ジェクスと呼ばれたあの機体は、合体前の忍巨兵と同程度の性能。まさか合体までするとは思えないが、それでも十分警戒するに価する能力を秘めている。
 操縦システムは忍巨兵と同じというわけでもなさそうだが、あの機動力と運動性では、パイロット負荷が気にかかる。
 実際、楓の想像通り、パイロットは対Gスーツを来て、尚且つ対G装置を用いても、その表情には苦悶の色が見て取れる。忍巨兵は兵器ではない。たとえ量産化に成功したところで、使用者全てが一〇〇パーセントの性能を引き出せねば、それは兵器として失敗作だ。
 ジェクスが攻撃を開始したことで、ガーナ・オーダ側の戦力も行動を開始する。連携らしい連携は取れていないものの、二〇〇〇という圧倒的な数は脅威の一言。
 翡翠のクローン同様、忍邪兵もまた、クローンによって増殖させたと見える。同じ個体ばかりが目につくのは、おそらくそのためだろう。
「獣王と竜王、真獣王はガーナ・オーダ側に! 双王は国連軍の新型に当たります!」
 まるで時代の移り変わりを表すような、波打つ海面を蹴り、四機の忍巨兵が、それぞれ飛び出していく。
 スパイラルホーンで敵戦力の真っ只中を突っ切る真獣王。続く竜王が、天翼扇を振り回して忍邪兵の群れを、一瞬で砂に変えて吹き飛ばしていく。
 一人距離を置く獣王は、バスターアーチェリーで真獣王と竜王を援護しつつ、シュートブラスターで近づく者から迎撃していく。
 敵陣に穴を開け、渦中に飛び込み広範囲兵器で数を減らす。それらに中距離火砲支援を行うことで高速離脱をかけ、再び同じ攻撃を繰り返す。単純だが、個々の能力が極めて高いため、これだけで戦力の大半を、短時間で削ることができる。
 忍邪兵と邪装兵が埋める空のキャンバスに、爆発の光点が彩りを加えていく様は、さながら一枚の芸術を生み出しているかのよう。
「全機、そのままカオスフウガに敵を近づけないよう。死守してください!」
「楓、こっちも来たよ!」
 変わらぬ調子で告げる柊に、ラグナフウガが左手と大爪を開く。
 ガーナ・オーダとはうってかわって、連携の取れたジェクスの集中砲火を掻い潜って爪を振り下ろす。
「我ら国連軍を、雑魚扱いをできると思うなよっ!」
 割り込んだ二機が、腕のブレードを交差させて影魔爪を受け止める。助けられたジェクスが下からブレードを突き上げて影魔爪を跳ね返すと、正面の三機が同時に離れた途端に後続の集中砲火がラグナフウガに襲い掛かる。
「実際、雑魚っぽくはないね」と皮肉めいた感想を抱きながらも、柊の表情は僅かに硬い。それは楓も同様で、人がそこにいると思うと、どうしても気持ちが鈍る。
 陽平に中てられた。いや、それ以前に風魔の兄妹は、戦闘による被害を除けば、今まで人を殺めた経験はない。なまじ近くに声が聞こえるために、経験不足が顕著に出てしまう。
「だからって、そんなことでっ!」
 影魔爪から解き放つ巫力の糸が、空中に巨大な蜘蛛の巣を描いていく。
咄嗟に危険を察知して離脱した者は利口だ。半数を残して糸にかかったジェクスに、楓はなんとも言い難い複雑な表情で斬糸を走らせる。
 腕を、足を、頭を切断されたジェクスが、翼を失った鳥のように落ちていく。
波打つ青い床に叩きつけられた機体が、黒煙と閃光を残して四散する様を見下ろし、楓は薄紅色の唇が白くなるくらい、きつく唇を結ぶ。
「私は、優しくありませんから」
 今は、相手を心配してやれるような余裕はない。それならいっそ、苦しまずに済むくらい、瞬きの間に切り刻む。
「距離を取れ! 射程はこちらが勝っている!」
 ご丁寧に横一列に並んだ五機のジェクスが、抱えるように構えた突撃機銃型のフウガパニッシャーを一斉に発射する。
 真っ直ぐに伸びる五条の熱閃を、全て紙一重でかわす。人の姿であれば髪の一束くらいは、焼き切られていたかもしれない。
「参式」
 回避行動の合間に、空戦砲撃型のラグナフウガ参式に変わる。巫力を集め、目の前に五つの火種を生み出すと、その全てをそれぞれに圧縮。紅蓮の熱閃に変えて、一気に解き放った。
「五連、鳳之息吹!」
 愚直なまでに、一直線に進む線。橋のように弧を描く線。大きく反れて空へ伸びる線が乱れ飛び、ジェクスの腕や足を、容赦なくもぎ取っていく。
「弐式ぃ!」
 飛び込む勢いに乗って陸戦格闘型の弐式に変わる。ジェクスの頭を蹴り飛ばしては、次の目標へ跳び移り、瞬く間に五機のジェクスをスクラップに変えていく。
 再び壱式に戻り、影魔爪を装備する。これで当面は国連軍側からの攻撃はなくなったはず。
「後は、ガーナ・オーダのみ。あの数を完全に退けるのは困難です。カオスフウガは急いでください!」
「大技が続かないってのは、オイラたちの弱みだよねぇ」
 最初の何発かで大技を撃ち尽くしたクロスフウガたちは、既にそれぞれが各個の戦闘に突入している。忍邪兵と邪装兵の絶え間ない攻撃に曝されながら、防戦一方にならないように、常に最善以上の攻撃を繰り返す。
「光海、ワタシに合わせるんだ。水遁解放!」
「巫術雷神、必中奥義!」
 フウガパニッシャーが、直径が身の丈ほどもある、巨大な水の玉を作り出す。
同時に、バスターアーチェリーに雷光が宿り、光海が弓引くのに同調して、アーチェリーの先端で雷球が膨れ上がる。
「合体奥義!」
「ライトニングパニッシャーッ!」
 落雷のような音を上げて飛び出す水球に、バスターアーチェリーの雷を撃ち込む。水が飛び散り、雷を帯びた水滴が、散弾のように忍邪兵の群れを穴だらけにする。
「クロスフウガ、刀を!」
「オウッ!」
 斬影刀を逆手に、バスタークロスフウガが加速する。まとめて四機を同時に切り抜け、刀を納めてすぐに離脱する。
「霞斬り。そう易々と、止められると思うな」
 距離を置き、抑え込まれるように四方を囲まれたヴァルフウガが、摘むように手にした刀を走らせる。
 その場で、舞うように円を描き、四体の忍邪兵を横一文字に切断する。頭上に迫る忍邪兵には、手にした刀を投げつけ、足下から迫る忍邪兵は、掬い上げるように振り上げた天翼扇で、軽々と後方に放り投げる。
 いつものヴァルフウガにはない、流れるような優雅な戦闘スタイルは、案の定、陽平不在のヴァルフウガウィンザードを一人で支える天城瑪瑙のものだ。
 先輩巫女であり、実の姉でもある日向不在のためか、その表情はどこか堅い。ご丁寧に真正面から仕掛けてくる邪装兵を、身を守る風に乗せて背後へやり過ごし、竜王の四肢──遁煌から巫力を供給。竜巻状にした巫術風神を天翼扇に乗せる。
「風遁煌陣、天波乱極!【てんはらんきょく】」
 ヴァルフウガの足下から生まれた竜巻は、瞬く間に周囲数百メートルに存在する忍邪兵を呑み込み、そのまま雲を貫く極太の槍となる。
 ミキサーにでもかけられたように、文字通り粉々に砕かれた忍邪兵が、下方から徐々に消え行く竜巻に拐われ、雲の彼方に散っていく。
 それを一瞥する瑪瑙は、どこか虚しそうな表情で目を伏せ、ヴァルフウガウィンザードを敵勢力の中心から離脱させていく。
 しかし解せない。邪装兵にせよ、忍邪兵にせよ、この個体は、あまりに弱すぎる気がする。何か裏があると深読みするのは容易いが、真の狙いがわからないことには、こちらも手の打ちようがない。
 楓も瑪瑙同様に訝るような視線を向けつつも、戦場の空気を注意深く観察。数を大きく減らしつつも、まったく行動に変化のない忍邪兵に疑惑の眼差しを向ける。
「まさか、時間を稼いでいるつもりが、こちらが時間を稼がれている?」
「どーゆーこと?」
「なんらかの理由で、ガーナ・オーダが私たちの足止めをしているかも、ということ」
 そう説明している間にも、ガーナ・オーダの策謀が進んでいるかもしれない。
こちらも策を変えるべきか、悩む時間は、短ければ短いほど気持ちの余裕になる。
「かか、楓さん! 忍邪兵が……」
 スパイラルホーンで邪装兵を打ち抜いた孔雀が、集結するように動きを変えた、ガーナ・オーダ勢力を指差し、驚愕に声を震わせる。
 忍邪兵と邪装兵が、二機一組で並び出したかと思えば、邪装兵に覆い被さるように、忍邪兵の体が融け始める。まさかと疑うよりも早く、新たな姿を見せた邪装兵に、バスタークロスフウガが、ガイアフウガストライカーが、先ほどまでとは比べ物にならない速さと威力の攻撃に、荒れ始めた海へと撃ち落とされていく。
「光海先輩! 孔雀ちゃん!」
 二人に呼び掛けながらも、自らも同様の攻撃に曝され、ラグナフウガゴッドハンドを徐々に後退させていく。
「合体、した」
 風の守りで攻撃を反らし、海へ落ちた仲間たちの回収に回るヴァルフウガウィンザードで、瑪瑙が見たままを口にする。
 忍邪兵の学習能力と、驚異的な環境適応能力を利用することで邪装兵に合体。邪装兵と忍邪兵の能力を併せ持つ、まったく新しい戦力を作り出す。元よりリードの技術を模倣し続けていたガーナ・オーダが、ついに忍巨兵最大の長所というべき合体機能に目をつけたことに、楓は戦慄した。
 一斉に猛攻を開始する合体忍邪兵に、防衛線が少しずつだが、確実に後退を始めている。
 このままではまずい。
「どーすんの、楓。まさか、このままやられろなんて、言わないよね」
「撤退するならそれでもいいけれど、今はまだ、退くわけにはいかない」
 手はある。しかしまだ、もう少しだけ時間を稼ぐ必要がある。
 そもそも今回の戦いに勝利条件があるならば、それは風雅城を手に入れ、起動させることにある。釧の話を信じるなら、それが現れた時点でこの戦闘に決着はつく。だからこそ、今はなんとしても時間を稼ぐ。その為には出し惜しみをしている場合ではない。
 それに、忍び頭が不在だった為に負けました。では、陽平に会わせる顔がない。
「各々、解封を命じます!」という楓の指示が、仲間たちに僅かな動揺を走らせる。
「いいの? 予定だと、決戦まで見せないはずだったよね」
クロスフウガの刃翼──裂岩で忍邪兵を撃ち落としていく光海に、楓は静かに頷く。
 出し惜しみをして失敗しては、元も子もない。それなら楓は、全力を以てこの場を死守することを選ぶ。
「やっとか。なんかワクワクしちゃうね」そう言って忍器、牙王之戦足袋に施された封印を実体化させる柊は、言葉通りに楽しそうにしている。
 すぐに光海や孔雀、瑪瑙に楓もそれに続き、各々の忍器から封印を実体化させていく。仄かに赤い白で浮かび上がる文字が、幾重にも絡み付く鎖のように全ての忍器に現れると、楓の指示で瑪瑙が笛を奏で始めた。
 夏。初めて訪れた風雅の里での修行の際、当主琥珀が勇者忍軍の面々に、ある術を施していた。
 光海の忍器センテンスアローを用いる術によって、各々特定のキーワードを封印。封印されたキーワードは今まで通りの修行をしたところで成長することもなく、また自らの意思でその力を使用することも適わなくなる。しかしこれは抑えつけているわけではなく、そのための経験値を溜め込んでいるものと仮定するとわかりやすいだろう。いざ解封したとき、フウガパニッシャーと同じ要領で反発。解き放たれた力は、封印された者たちの戦闘力を飛躍的に上げる、いわゆる風雅忍軍成長養成ギプスだ。
 今までは琥珀の指示によって、皆が解封できないでいたが、今回の作戦の際、指揮を執るならばと、楓はその権限を譲渡されていた。
 瑪瑙の笛が、浮かび上がる封印を解きほぐし、光海が忍器、森王之祝弓に矢をつがえる。
 放たれた矢がそれぞれの忍器に吸い込まれ、硝子が砕けるような音を立てて、五人の封印が砕け散る。それを合図に全ての忍巨兵が駆け出し、圧倒的な速度で忍邪兵を撃墜していく。
 先程までとはうって変わった忍巨兵の動きは、無茶な単機での突撃にも関わらず、反撃すら受けることなく合体忍邪兵を撃ち落としていく。
「すっげぇや。体の軽さが全然違う!」
「これが、私たちの手にした新たな力。"双王刃【そうおうじん】ラグナフウガ"」
 その性能もさることながら、よもや形までもが変わるとは、さすがの楓も想像していなかった。
 解封した力を最大限に発揮できるよう、そして少しでも獣帝と共に在れるよう、琥珀と日向が施した最後の改良。竜王の暴竜を研究することで得た、忍巨兵の進化システム。これを他の忍巨兵にも応用することで生まれた、使用者に合わせて忍巨兵が進化する"心刃変化【しんじんへんげ】"は、今までの忍巨兵から一線を画した、超絶戦闘力を手に入れることに成功した。
 刃翼に変化した自分の翼に戸惑いながらも、楓は変化した双王──双王刃ラグナフウガの能力を、忍器を通じて短時間で確認していく。
 大きく変化したのは、翼と両手足。翼はそれぞれ形の違う刃翼になっており、上から順に、細く長い剣、裂岩と同じ巨大なクナイが二つ、鈎爪のように反った刃となっている。これらが全て裂岩と同じように使用できるため、状況に合わせて多種多様な武器を選択することができる。手足は、爪や突起がより大きく、鋭くなり、身につけた双羽と双牙は混じり合い、深い紫に変色している。
「双王だったときより全然速い。それに強い。これが双王刃……」
「でも、気を付けないと、すぐに力尽きてしまう。ペース配分がかなり難しい」
 ただでさえ巫力の総量が低い楓にとって、この姿を維持するのは決して容易いことではない。
「先輩方、そちらは問題ありませんか?」
 いつの間にか武装ではなく、角王戦馬トライホーンフウガに組み変わっている三人の巫女たちは、角砂糖に群がる蟻のような忍邪兵を、ハルバートの一振りで薙ぎ払っていく。
「天刃」「起風!」「召雷!」瑪瑙、孔雀、光海の順に巫力を込めたハルバートが、みるみるうちに形を変えていく。
 双王刃とは異なり、トライホーンフウガは自らが変わるわけではなく、武器がその形状を変えるらしい。ハルバートの刃先が鋭角的なV字のように変わり、より突きやすい形となる。ハルバートというよりもランスと呼ぶに相応しい形状を持った武器は、三人の巫力を受けて、真夏の陽光のように白銀に輝いていく。
「絶技、天雷旋風突ッ!」
 駆け出したトライホーンフウガが光の矢に変わり、道なりにいた忍邪兵を根こそぎ突き崩していく。これが孔雀の封じられていたキーワード"溜め"だ。
 元々、巫力の総量の少ない孔雀にとって、大きな技や術を使用するのは命取りだが、少ない巫力を小出しに、さらに周囲の者が放った残留巫力をも集約させることで、より大きな力を使用する能力。
「破邪! 森王弓!」
 弓に持ち変え、光の矢をつがえる。引き絞る弦に巫力を込め、弾く弦が音を立てるように射る。破邪の音を奏でる弓が、千もの矢を生み出し、忍邪兵を残らず撃ち落としていく。
 光海の封じられたキーワードは"拡散"。しかし拡散と言っても、単純に対象を複数にすることで、単発の威力を落としたのでは話にならない。それこそただ拡散させたいのであれば角牙を使う方が効率がいい。光海のキーワード"拡散"は、どちらかと言えば"広域化"に近い効果を持ち、術や技の持つ効果範囲を、個々に対する効果を削らずに広げるというものだ。
「紅裂【こうれつ】……弐番刀!」
 双王刃ラグナフウガの刃翼が十字に組み変わり、自らが回転する勢いで投げつける。
「壱番刀!」
 細く長い刃翼が形を変える。トンファー状の武器に変形した紅裂を二つ手にすると、回転鋸のように飛び、忍邪兵を胴切りにしていく紅裂弐番刀を追いかけて舞い上がる。
「この姿の私は、一味違いますよ!」
 そう言っている間に無数の光が走る。
「何より、今までとは速さが違いますから」
 一息ついて振り返る楓が、流し目で背後の忍邪兵を一瞥する。狙いに一ミリの狂いもなく、狙った場所を正確に、かつ神速で斬る。楓の封じられていたキーワード"速さ"は、動きだけではなく、投擲や術の発動にも適用される。
「怖いですね。自分でも、いつ術を使ったのか忘れてしまいそう」
 ラグナフウガがその場を離れるのを待っていたかのように、海上に開いた炎の花が、切り刻まれた忍邪兵の残骸を包み、焼き尽くしていく。
「何か、オイラの出る幕もないまま片付いちゃったな」
「まぁ、予定外とはいえ、切り札を使ってしまったわけですからね」
 不満そうに口を尖らせる柊に苦笑するが、内心では自分に対する驚きが勝っていた。ひょっとしたら、今やれば姉に、椿に勝てるかもしれない。今まで一度として勝つことのできなかった姉に、届くかもしれない。揺れた気持ちをどうにか抑えつけ、ようやく静かになった戦場に、楓は一人溜め息をついた。
 なんとかジョーカーを切らずに済んだものの、こちらの予測を上回る形で、ガーナ・オーダは手を打ってくる。やはり何としても風雅城、アークフウガを起動させないことには、万に一つも勝ち目がないのかもしれない。
「とにかく、後は風雅城が現れるのを待つだけですね」
「だといいけどね」
 空を見上げたまま、わざわざ含みを持たせる柊に眉をひそめ、楓はまさかと空を仰ぐ。
 楓に倣い、その場の誰もが空を見上げた瞬間、分厚い雲の壁を突き破り、極太で、真っ白な柱が、大海のど真ん中に突き刺さる。
 わかる。形状こそ違うが、あれは巨腕の忍邪兵と同じ物だ。
 まるで海が爆発したかのような飛沫が、忍邪兵を中心に弾け飛び、一帯の海が、今から起こる事態に怯えているかのように、忙しなく波を立てる。
「おのれ、よもや以前と同等の忍邪兵を、送り込んでくるとは。やはり陽平がいないことに気づかれていたか」
 あれがもし、以前の巨腕と同じならば、倒せるのは獣帝以外にない。しかし、獣帝になろうにも肝心の陽平は不在。同等の存在の超獣王も、術による広域探査中のカオスフウガが動けない以上は、あてにするわけにはいかない。
「大丈夫だよ、クロスフウガ。私たちはもう、以前の私たちじゃないから」
 並ぶトライホーンフウガで光海が笑う。光海だけではない。この場の誰もが、不敵な笑みで柱の忍邪兵に身構えている。
「人はね、立ち止まらないことを、進化や成長って呼ぶんだよ」
「その通りです、光海先輩。柊、時間を稼ぎます! あちらが切り札を出してきた以上、今こそ私たちもジョーカーを切るとき!」
 走り出した双王刃ラグナフウガが、ほぼ瞬間的に弐式に変わる。
 紅裂が邪魔にならないように、背中に折り畳まれる。思い切り助走をつけて海面を蹴り、ラグナフウガ弐式の蹴りが、ロケットのように柱の中心に突き刺さる。
「せーの……、よいしょおッ!」
 ラグナフウガ弐式が柱を蹴りつけた瞬間、誰もがその光景に唖然とした。
 まさかただの一発の蹴りで、オリジナルではないとはいえ、あの柱が倒れるなどと、いったい誰が想像できただろうか。
 柊の封じられていたキーワードは"力"。楓の速さと柊の力が揃ったとき、双王刃ラグナフウガは獣帝に限りなく近い存在となった。
「後は、任せてもらうぞ」
 最後の最後まで、これに気づかれることはなかったようだ。スパイラルホーンが外れた真獣王が、クロスガイアに戻らずガイアフウガの姿を維持し続けた理由。
「来い、カオスフウガ!」
「待っていたぞ、この時を!」
「釧さま、カオスフウガには」
「十分な巫力を蓄えてあります」
 カオスフウガから飛び降り、タイミング良くトライホーンフウガにキャッチされた小さな双子の巫女に頷き、釧は術を紐解いた。
「風雅流、三位一体ッ!」
「超ッ獣王式忍者合体! グレートカオスフウガァッ!!」
 圧倒的な量の巫力を爆発させて現れた超獣王に、柱の動きがピタリと止まる。
 触手を束ね、結界を何重にも張り巡らせて、口を閉じた貝のように身を守る忍邪兵に、釧は笑止、と吐き捨てた。
 以前のように巫力の消耗もなく、動きに影響が出るような傷を負っているわけでもない。しかも今回は、楓の策によって体力をも温存し、瑠璃と璃瑠が広域探索に偽装しながら、カオスフウガに莫大な巫力を溜め込んでいたのだ。
 正真正銘、これが最強の超獣王。絶刀を構え、光鎖帷子を展開した超獣王が、一瞬でラグナフウガを追い抜いて、忍邪兵の分厚い防御をものともせずに、ダメージを与えていく。
 強くなった。一瞬でもそう思えた自分を、真っ向から否定されたような気分になる。
 いつだってそうだ。見上げれば、必ず誰かの背中があって、その背中に突き放されるような感覚に囚われる。
「なんでこう、強い人ばっかなんだろ」
 柊も同じことを考えていたのか、その表情には翳りが見える。風魔の次期当主として渇望され、楓どころか椿すらも羨む才能を持っていても、感じることは変わらない。
「いったい私たちは、どこまで行けばいいんでしょうね」
 そうしている間にも、グレートカオスフウガは忍邪兵を易々とほふっている。とても目では追いきれない速度。まるで停止した時の中を動いているかのように、その気配と姿が現れたときには、まったく別の場所に移動している。
「これが選ばれた者と、そうでない者との差なんですか。選ばれなかった者は、いつまであの背中を見ていればいいんです」
 その言葉を誰に伝えたかったのだろう。戦場に虚しく響く楓の言葉に、答える者はいない。否。その答えを持たない者ばかり故に、誰の胸にも強く打ち付けられたのだ。
「ワタシには、キミたちの悩みを知ることはできないが、キミたちはその答えを、ずっと見てきたのではないか」
「クロスフウガ……。そうですね。私たちは、それを見ていたからこそ、今もこうして戦っているんだと思うよ」
 クロスフウガや光海のいう答え。届かないとか、追い付けないとか、そんなことは関係なくて、ただ単に、理由があるから進み続ける者。
 ひょっとすると、選ばれるのは、そういう単純な者なのかもしれない。だからといって突然は変われないし、この燻る気持ちを止めることなどできはしない。
 不器用だ。そう自嘲しながらも、楓はグレートカオスフウガを目で追い続ける。
 彼は、彼らは、この問いに答えを出せるのだろうか。
 いよいよとどめに入る。絶刀を構えたグレートカオスフウガの回りに風が集まり始める。信じられない量の巫力運用は、これが釧の秘剣であることを容易に悟らせる。
「海が、荒れてる」
 不意の呟きに振り返ってみると、戸惑い、眼下の海を覗き込むように見下ろす瑪瑙が、トライホーンフウガを空へと離脱させていた。
 倣い、同様にラグナフウガを離脱させると、五人の巫女の視線を追って、海面下に目を凝らす。
 何も変わらない。ただ、釧の技に合わせて、海が荒れているだけに思える。あの技の詳細は不明だが、それくらい起きても不思議はない。
「楓。あれ、なんなんだよ?」
いち早くそれに気付き、海を指差す柊の視線を追う。黒い……影。それを影と認識した途端に、海面下の物体がどれほど巨大なのかを実感することができた。
 忍巨兵の数十倍はあろう影が、海底から上がってくる。そうか、これがそうなのか。風雅最大の忍巨兵にして、脅威の砦、八〇〇メートルもの巨体に、針鼠のような過剰武装。城塞型忍巨兵アークフウガ。風雅の者たちは、畏怖の念を込めて、こう呼ぶ。
「……風雅城っ!」
 驚愕に震えた楓の声に、ようやくその、山のごとき巨躯が、姿を現した。





 時は遡り、忍巨兵たちがわざと国連軍やガーナ・オーダに補足されるよう行動を起こしていた頃。琥珀と日向は二人、彼らとは別行動を取っていた。
 忍巨兵や忍獣で動けば、自らの居場所を知らせているようなものだと言う楓の案で、より水の巫力に長けた日向を抜擢。巫術海帝と風神を用いることで水圧に強い空気の幕を作る。人が二人入れる大きめの、かつ割れないシャボン玉だと思えばいいだろう。これに乗って海の中を行く二人は、最初こそ幻想的な光景に魅入っていたものの、いつしか深度も下がり、光も届かない世界に入ったところで、外を見るのを止めてしまっていた。
 暗黒は視覚だけでなく、広さや時間の感覚さえも曖昧にする。事実、琥珀は潜ってからどれくらいの時間が経ったのかわからなくなっていたし、日向もしきりに時計を気にしている様子。唯一の救いは、風雅城そのものを水鏡で発見するに至ったことで、その場所に満ちた巫力を目指して空気の玉を移動させることができたことくらいのもの。つまり、待ってさえいれば、いつかは目的地に到着することができるということだ。
 日向の心が「まだ一時間」と呟いた辺りで、琥珀は足元に小さな光源を見た。その光が徐々に大きくなるにつれて、それが巫力の光だとわかった。巫力とは生命の力。太陽の光さえも届かない深海においても、その輝きが絶えることがないのは、そこに多くの生が溢れているからなのかもしれない。
 点々と光を放つのは、魚や微生物。そんな足元に広がる星空に、一際輝く大きな光を見つけた。いや、それは大きいなどというものではない。特大。極大。言い方は様々あるが、とにかく大きい。魚たちの輝きが星空なら、それは夜空に煌々と輝く満月のよう。
 どうやらこの一帯の魚たちは、あの大きな巫力に影響を受けて、輝くほどの生命を有しているのだろう。
 日向と頷きあい、二人を包む空気の玉を光に向けて進ませる。
 あれほど目立つ光だったので、近づけば目も開けていられないくらい眩しいかと思えば、逆に視界が広がり、その全貌が見渡せるようになっていく。
 海底に佇む和風の城。事情を知らぬ者が見れば、お伽噺に出てくる竜宮城と勘違いしたかもしれない。まだ一年と経っていないためか、外壁に破損や疲労は見受けられない。また、広域に張り巡らされた有識結界のため、人が立ち入った様子も一切見当たらなかった。
 入り口はどこだろうか。
 ぐるりと見回したところで、それらしいものは見つからない。外敵を迂闊に侵入させないための措置にしても、入り口を作らないのはさすがにどうかと思う。
 しかしすぐに風雅特有の技術だと気付き、琥珀は胸元に入れてあった勾玉を取り出すと、それを風雅城に向けて掲げてみせた。
 勾玉がチカリ、と反応を見せ、次の瞬間、二人は見知らぬ通路に立っていた。
 どうやらここが入り口らしく、背後を振り返れば、琥珀の勾玉に反応しただろう柱状の装置と行き止まりがある。
 いつの間にか空気の玉も消えているが、とくに呼吸などの問題もなさそうだ。密閉されているが、蒸し暑さも感じられない。日向も気になるのか、壁面に触れ、撫でたり叩いたりを繰り返している。無理もない。ここはリードの技術の集大成とも言える場所なのだ。時間があれば日向の研究に付き合ってあげたいところだが、今は少しでも時間が惜しい。  手にしていた勾玉を首から下げ、制御室へと指示を出す。案の定、床が淡い緑の光を放ち、案内と照明を兼ねた道へと変わっていく。
「急ぎましょう、勇者たちが待っています」
「はい」
 共に底が固い靴を履いているわけでもないのに、やけに足音の響く廊下だ。もっとも、カツーン、カツーンという音が鳴っているわけではなく、床を踏むギシギシという音が、やけに耳に残る。
「なんだか体重を指摘されているようで、あまり気分のいいものじゃないですね」
 苦笑混じりに話しかける日向は、しきりに壁面や天井、床を気にしている様子だ。
 おそらくこの音も風雅城の仕掛けなのだろう。侵入者がわかるよう、誰かが通れば音が鳴るといったところか。つまりこれなら誰が来ようと、すぐに気づくことができるということだ。
 外の風景でも見えれば少しは気分も違うのだろうが、薄暗い中、足元の明かりだけで歩き続けるというのは、些か気が滅入る。
 かれこれ二〇分は歩いただろうか。ようやく開けた場所に出た二人は、示し合わせたように同じ動作でぐるりと空間内を見渡していく。
「ここが、風雅城の制御を司る場所」
 制御もなにも、ただ広いドーム状の空間というだけで、他には何もない。それらしい装置も、窓も、二人が入ってきた入り口も、いつの間にか消えてしまっている。もっとも、出口については望めば現れるだろうから心配はしていないが、肝心の制御室がこれでは風雅城を起動させることができない。
「少し、調べてみましょう」
「そうですね。では、日向はあちらへ」
「はい。大丈夫とは思いますが、お気をつけて」
 直径三〇メートルはあろうドーム状の部屋を、二人は左右に分かれてぐるりと一周していく。
 壁面に触れながら歩いて行き、結局二人ともが室内を一周していた。つまり、ここには文字通り何もないのだ。
「何も、ありませんでしたね」
 確認するように琥珀を振り返る日向に、琥珀も曖昧な首肯を示す。
「後、見ていないのは、中心くらいのものだけど……」
 見たところ何もないようだ。とりあえず確認を……と、室内の丁度中心に位置する場所まで進んでいく。やはり何もないと立ち止まり、日向を振り返った瞬間、胸元に下げていた勾玉が、突然強い光を放ち、室内に隠れた装置の数々を実体化させていく。
 見えなくするだけならまだしも、まさか触れることもできない仕掛けになっているとは、さすがに驚きを通り越して呆れてしまう。
 中心に立つ琥珀の周りに、それぞれ色の違う五つのパネルが浮かび上がる。おそらくこれが操作盤なのだろう。試しに青いパネルに触れて見ると、ドーム状の壁面がそのままスクリーンのように海底の光景を映し出す。
「驚きました。忍巨兵の技術を、余すことなく使っているんですね」
 感嘆の声を洩らす日向は、言葉以上に驚いているらしく、しきりに装置を観察している。
 本体システムが停止していても、何か別のシステムによって管理されているのだろう。慎重にパネルを操作して、起動に必要な手順を検索していく。
 するとどうしたことか、全てのシステムを一時的に停止させ、一つのパネルが目の前に浮かび上がる。パネルには「言霊」と記されており、いわゆるパスワード方式なのだと、容易に想像がついた。
 なんのヒントもなく、かつ「言霊」と問われた場合、正答の可能性は一割にも満たない。
 だがヒントは存在する。このアークフウガこと風雅城が、リードの王族にしか起動できないということは、王族以外に知らない言葉を入力せよということになる。
 何だ。王族しか知らない言葉。秘宝、秘法、過去の王族の名前ということも十分にあり得る。しかしそこまで考えて、不意に琥珀の頭を過る物があった。王族以外知らない、過去の王族、始祖の名前。"悲しみと喜び"という意味を持ったその名を、できるだけ小声で口にする。
 僅かな間を置いて起動を始めるシステムに安堵の息を洩らしながら、琥珀はようやく釧が起動方法を告げなかった理由を理解することができた。
 リードにまつわる者にとっては禁忌とされ、その名を口にできるのは、王族でも神託の際に限られる。王族しか知らず、語ることさえ許されない名前。そして、王族のみ起動できるというのはもう一つ、王族の持つ勾玉のみ起動キーになり得るという意味もあったようだ。
 緑のパネルに浮上をイメージが表示され、静かな揺れと共に周囲の風景も上へ上へと上がっていく。
 これだけの巨大建造物が動いてなお、この程度の振動。やはり風雅城に光鎖帷子の技術が用いられているというのは間違いないらしい。
 何はともあれ、目的だった風雅城起動には成功した。後は、各地に散ったままの風雅関係者を収容の後、ガーナ・オーダに対して打って出る必要がある。
 国連軍もまた、ガーナ・オーダと共に立ち塞がるだろう。その時自分達は、迷うことなく銃爪を引けるだろうか。
 考えれば考えるだけ深みにはまり、いつか最悪の事態から抜け出せなくなりそうだ。そんな不安を振り払うように頭を振ると、琥珀はパネルを操作して風雅城に立ち上がるよう指示を出す。
 内部からではほとんどわからないが、城が人型に変わっていく光景というのも、なかなかシュールなものだ。手元のパネルが示す通りなのだとしたら、このアークフウガの城形態はちょうど膝を抱えたように座っている形になる。これが変形、人型になるというのは、文字通り立ち上がるということになる。
 忍巨兵と違い、変化にはそれなりの時間を要するらしい。変形過程を示す数字は、今ようやく三〇パーセントを越えたところだ。
「これで、彼らの下に辿り着く頃には、世にも恐ろしい大巨人が姿を見せるでしょう」
 苦笑混じりに琥珀の言葉を聞き、日向が短い髪を振るように振り返る。
「こんなもの、本当は使いたくはなかったのですけどね」
 つい本心を洩らしてしまう琥珀に、日向の表情がみるみるうちに驚き一色に染まっていく。
 そんなにおかしなことを言っただろうか。誰しも過ぎた力を進んで自ら使いたがらないものと思っていたけれど、それは琥珀の理想論でしかなかったのだろうか。琥珀が疑問を口にしようと口を開いた瞬間、突然背後に現れた気配が、卑しい笑いを浮かべたような気がした。
 敵? いや、ありえない。風雅城に侵入して、全てのシステムを素通りできようはずがない。
 振り返るよりも、一歩でも遠くへと琥珀が動いた瞬間、背中から胸にかけて、冷たく、硬く、鋭い何かが貫いた。
「……ぅ」
 胸が焼けるように熱い。喉に何かが込み上げて、吐き出した息が上手く声にならない。
 背中を突き飛ばされ、ふらふらと危うい足取りで進む。結局、膝に力が入らず、琥珀は胸を貫いていた支えを失って、その場に崩れ落ちた。
「琥珀さまぁぁっ!!」
 いつもは歳のわりに落ち着いた印象の強い日向が、感情に任せて悲鳴を上げる。
 駆け寄ってきたのが日向だと気付き、何とか笑って見せようと目を細めるが、いかんせん、頬にまるで力が入らない。それどころか全身から熱と力が奪われるような脱力感に、琥珀はひどい眠気を感じていた。
「琥珀さま! 気を、気をしっかり持ってください! こんなのすぐに治りますから! だから、目を閉じてはだめです!」
 日向の癒し術、斜陽が琥珀を癒し続けるが、傷が深すぎるためか、どうしてもすぐには塞がらない。そもそもこの風雅城の中では、回復に必要な十分な巫力を得られない。
 今にも閉じてしまいそうな意識を辛うじて繋ぎ止め、琥珀は自分たちを卑しく見下ろす老人の顔に、絶望を感じずにはいられなかった。
 ガーナ・オーダ六翼の一人にして、織田信長の忠臣。過去の戦において、最後の最後まで風雅を苦しめ続けた挙げ句、影武者を仕立てて歴史の中に消えていった老武将、秀吉。いや、正確にはこの武将、老いてなどいない。戯れにと、仮初めの老いを演じる演者にすぎない。
「そうか、すぐに癒えるか。ならばとどめを刺す必要があるな」
 秀吉の手にした刀に怪しい光が灯り、日向が琥珀を抱えるように僅かに身動ぎする。
 癒しをやめるわけにはいかず、かといって癒しながら秀吉と戦えるような余裕は日向にはない。風雅城を明け渡すことになるが、今ここで二人が倒れ、なおかつ風雅城まで奪われることになれば、それこそ本末転倒だ。
 日向に逃げるように告げたかったが、むせかえる喉が、琥珀にそれを許さない。
 せめて、せめて日向だけでも逃がさなければ。日向を見上げ、視線が交差した瞬間、日向の思考が見えた琥珀は幼子のように涙を流した。
「琥珀さま。どうかこの戦を終わらせてください。そうすれば、きっと瑪瑙にも笑顔が戻るはずなんです」
 日向の指先が琥珀の勾玉に触れた瞬間、極めて強い光が一気に溢れ出していく。
 王族の勾玉にのみ備わった、緊急時の転移能力を解放することで、日向は琥珀を逃がすつもりだ。
 なぜ自分は他人の心を視るだけでなく、自分の気持ちを伝える力を持てなかったのだろうか。このままでは、今何もできなければ、優しくて、家庭的で、名前の通りぽかぽか暖かい日向のような友達まで失ってしまう。
 琥珀の体は既に転移を始め、指先や髪の先が薄く、存在が希薄になっていく。もうこうなれば何人たりとも琥珀に手を出すことはできなくなる。
「逃げるとわかっていて、みすみす行かせると思っておるのか」
 のんびりとした老人の声とは裏腹に、手にした刀は閃光のように速い。しかしそれを受け流し、琥珀から遠ざけるように扇を奮うのは、決意を宿した瞳で敵を迎え撃つ日向であった。
「邪魔立てしおって。それほどまでに言うなら、ヌシがワシの実験材料になるといい。歓迎するぞ、処女【おとめ】」
 舌舐めずりをする秀吉に、真っ直ぐ笑い返す日向は、手にした二枚の扇を、表情を隠すように開く。日向の中に満ちる莫大な巫力が、白色無地の扇に、鮮やかにして荒々しい、波の絵を浮かび上がらせる。
「琥珀ちゃんも、瑪瑙も、もう静かな暮らしの中で、穏やかに笑ってもいいんです」
 日向の中で、かちり、と音を立てて外れた枷は、日向にリード人の証ともいうべき緑がかった黒髪を取り戻させるそれは巫女を辞めたあの日、リードの名を捨てた日向が、名前と共に失ったもの。
「それを脅かす悪鬼よ。賢王トウガの巫女にして、風雅流戦舞宗家、蛍の技を以てほふります!」
 永きにわたり、戦いから身を退いていた日向──蛍の巫力が、制御室を吹き飛ばさん勢いで解放されていく。
 蛍を中心に渦巻く巫力が、渦潮のように周囲を呑み込む奔流となり、制御室のいたるところに浮かぶパネルをまとめてかき消していく。
 どうせ制御室の装置に実態はない。正確には、何度でもこの部屋が作り出すことができるはず。多少無茶をしようが、風雅城に影響はないのだろう。
 転移のためか、視界までもが薄れていく中、琥珀は一度だけ振り返り、あの頃と、共に地球という地に降り立った頃と変わらぬ笑みを浮かべる蛍に、溢れ出す涙を堪えることなどできはしなかった。
「ほ……たる」
 その名を口にするのは、全てを終えてからだと思っていた。風雅もリードも気にすることなく、ただ一人の人間として、この星に根付いたとき、彼女から奪ってしまった名前を返そうと思っていた。
 喉から絞り出せなかった分は、何度も心で呼び続け、力の入らない四肢に悔し涙を流す。
 必死に伸ばした手は、友達すら掴むことができずに消えていく。
 徐々に小さくなる勾玉の光も虚空に融けるように消え、最後まで抵抗を続けた琥珀の意識も、電源が落ちたテレビのようにぶつりと途切れる。
 完全に琥珀の転移が完了したことを理解した蛍は、それまで守るように生み出していた巫力流を、攻撃的な流れに切り替え、制御室中央を陣取る老武将に意識を集中させていく。
「童女は逃したが、ヌシが活きの良い実験体になりそうで助かったわ」
「奇遇ですね。私もあなたみたいな人が相手なら、どんな手段だって選べそうです」
 お互いに笑いの表情が固まり、すぐに真剣な表情に切り替える。
 次の瞬間には、二人が同時に繰り出した攻撃が制御室を揺らし、風雅城は僅かにその進行速度を緩めていく。
 名を封じ、偽りの役を演じていた巫女と、歴史の表舞台に、嘘を置き去りにした武将。今、二つの嘘が、偽りない激突を開始した。





 とどめの寸前に海の天井を突き破ったそれは、グレートカオスフウガと忍邪兵の間を割るように海から生えていた。
 その冗談のようなふざけたサイズの体躯を、何重にも編み込んだ光鎖帷子で包み込み、全身に降りかかる水を、残らず吹き飛ばしていく。
 人型をとった風雅城を見たのは初めてだが、その圧倒的な巨体は、釧ほどの実力者であっても一目で畏縮させる。大きいとは思っていたが、実際に見ると、その圧迫感は桁違い。しかもこのサイズが大気の下で難なく動くというのは、さすがの釧も苦笑を堪えることができなかった。
「風雅城。……琥珀か」
 なんとか絞り出した言葉を確かめようと、釧はグレートカオスフウガを風雅城に接近させる。しかし頬を撫でるざらついた巫力の感触が違和感に変わった瞬間、釧はグレートカオスフウガを急いで離脱させた。
 グレートカオスフウガが速すぎたため、そこにいないことに気づかぬまま得物を振り回す風雅城。その手に握られた極大の武器とは、今しがた釧がとどめを刺そうとしていた柱の忍邪兵だ。呆れた馬鹿力だと舌打ちすると、釧はグレートカオスフウガをクロスフウガの側へと退かせる。
「琥珀は?」
 釧の問いに、握っていた手を開いたクロスフウガは、掌の上で赤に染まった琥珀の姿に絶句していた。
 辛うじて息はあるらしく、クロスフウガが巫力を与え続けてはいるが、早急にちゃんとした治療を行う必要がある。
「もう一人、日向という巫女がいたはずだ」
 彼女の役目は琥珀を風雅城へ導くだけにあらず。琥珀を守り、降りかかる全ての危険を排除することも、彼女に与えられた任務だったはず。
 依然、詳細はわからないままだが、琥珀は傷つき倒れ、そして日向は風雅城から戻らない。どうやら何者かによって、風雅城を奪われたということだけは確かなようだ。
「このままアレを放置はできん。だが……撤退する以外にあるまい!」
 グレートカオスフウガが万全とはいえ、他の忍巨兵たちは消耗している。そんな状態で、あの怪物城を相手にするなど自殺行為もいいところだ。
 あれほどの危険物を奪われたままにはできない。できないが、今はそうする以外に生き延びる方法が思いつかない。そうだ。風雅忍軍はこの戦に敗れたのだ。敗れた以上、長居は無用。こちらの敗因は、ガーナ・オーダに風雅城の存在を知られていることを想定しなかったことにある。決して琥珀を守る日向に力がなかったわけでも、楓の作戦が失敗したわけでもない。ましてやここに、風雅陽平がいないことでもない。そして、忍巨兵が忍邪兵に敗れたわけでもない。
「奴が言っていたな。忍巨兵を倒せるのは、忍巨兵だけだと。だが、こんなものは忍巨兵ではない」
 苛立ちを込めて吐き捨てた釧は、すぐに周りの忍巨兵たちに撤退を指示する。
 もう、この場に一秒でも長く留まるわけにはいかない。一人、また一人と、半ば放心状態の忍びたちを連れて後退を始める中、殿を務める釧は、風雅城に巫力が集中するのを敏感に察知する。それも、ちょっとやそっとじゃない。莫大な量の巫力が風雅城のいたるところで集束を始め、無機質な瞳が後退する忍巨兵の一団を見下ろすのと同時に、全身から紅蓮の熱閃を発射する。
 風雅城の全身に見える灯篭のようなもの。どうやらそれを火種に、火遁のフウガパニッシャーを発動させているらしい。リードジュエルを動力にしているため、このサイズにしてエネルギーは無尽蔵。遁煌を用いているのか、巫力の吸収も桁違いに早い。
大出力かつ多量の火遁フウガパニッシャーが、忍巨兵たちの逃げ場を埋めるように降り注ぎ、八〇もの砲が休む間もなく繰り返し撃ち込まれていく。さしもの忍巨兵も、これを回避し続けることは難しく、ましてや直撃を受けようものなら瞬く間に海の藻屑と化すだろう。
「いくらなんでも、こんなのムチャクチャだ!」
 頭のすぐ上を通過していく熱閃に、柊が目を丸くする。砲撃が撃ち抜いた海面が派手に水柱を上げ、上下から挟まれる形になりつつも辛うじて砲撃を避け続ける。
「とにかく遠くへ! こんなものをまともに相手にしては、時間の無駄です!」
「でも……この攻撃じゃ、逃げるのだって難しい」
 楓の提案には賛成だが、光海もまた、逃げ場のない現状に悲鳴に近い声を上げる。
 確かにこの嵐のような砲撃を、全て回避しながら後退するのは不可能に近い。一瞬でも攻撃が止めばともかく、空だろうが海中だろうが、隙を見せれば確実に撃ち落とされる。隙を作ろうにも生半可な攻撃が通じる相手でもなく、それ以前に近づくことすらできそうもない。
「くっ! いったいどうすれば……」
「いくら逃げ続けても突破口はできん! 俺がやつを引き付ける。その一瞬で散れ! いいなッ!!」
 誰の返事も待たず、釧は一人、グレートカオスフウガで風雅城に突貫をしかける。
 熱閃の雨を掻い潜り、足元から突き上げる水柱を踏み台に跳躍を続けると、僅かな間にガイアフウガを分離させて砲撃形態に組み換える。X字を描く弓を構え、銃爪代わりの弦を引き絞る。
「獣帝ほどの威力はなくとも、やつらの首魁を滅ぼしたこの一撃ならば……」
途端に周囲に降り注ぐフウガパニッシャーを、まとめて巫力に変えて吸収。炎の鬣が回転を始めれば、獅子の顎が生み出す炎の塊が吸収の間に合わなかった熱閃を正面から弾き返していく。
「釧、ワタシたちだけではそう長くは持たない! 急げ!」
「穿て、瞬滅の炎よッ!!」
 指が弦から離れた瞬間、獅子の咆哮が火球を超高熱の奔流に変え、この場の誰も想像しえなかった特大の一撃を、風雅城にお見舞いする。
 確実に頭を吹き飛ばせる威力が風雅城を捉え、あの巨体が僅かでも仰け反るほどの威力を発揮することができたのは僥倖だった。事前に光鎖帷子を集中されていなければ、この一撃で落とせていたかもしれない。そう。風雅城はあの砲撃に耐え切り、何事もなかったかのように、その無機質な双眸でこちらを見下ろしている。
「ばかな! あれの直撃で光鎖帷子すら貫けんとは……」
「釧、限界だ。我々も退避する!」
「……くそッ!!」
 振り上げた拳のやり場がなくて、釧は苛立ちをそのまま言葉で吐き出した。
 他の忍巨兵たちが散り散りに離脱したのを確認すると、釧もまた、グレートカオスフウガに再合体して戦線を離脱していく。
 想像以上の力を持つ風雅城を敵に回してしまったこともそうだが、今もっとも懸念すべきは、若い忍びたちが無意識に見せた諦めの表情。最後にして最大の作戦が失敗。さらには風雅城の狂気的な力を目の当たりにしたことが、今後、風雅忍軍にどういう影響を及ぼすか。
 ようやく小さくなり始めた風雅城の姿を振り返り、釧は無意識にグレートカオスフウガの速度を上げる。
 勝てないかもしれない。たとえ、獣帝と超獣王が力を合わせたところで、あの超巨兵が相手では焼け石に水なのかもしれない。だが、まだ自分たちは生きている。ならばいくらでも手はあるはずだ。それを見つけ、修行を終えた風雅陽平と獣帝を迎えたとき、風雅忍軍はガーナ・オーダに対して、最後の攻撃を仕掛けることになるはず。
「後悔や、恨みの言葉を吐くことにはもう飽きた。カオス、俺は全てを投げ打ってでもあれを葬り、あの日々を取り戻して見せるぞ」
 風雅忍軍とガーナ・オーダ。互いに総力を結集した最終決戦は近い。そんな確かな予感を感じながら、釧は、今はまだ青いままの空を飛び続けた。













<次回予告>