北アメリカ沿岸部にまで迫っていた風雅城は、驚くべきことに、未だその進行を留めていた。
 性能上、いくらでも無視できるはずの相手がいつまでも根強く立ちはだかる姿に、風雅の根源たる姿を見るようであった。
 星王イクスと菫が無謀な戦いを挑んでから、およそ半日。
 白く美しい翼を煤だらけに、イクスは何百回目かの攻撃を繰り出した。
 陽光を受けて白銀に輝く大剣の一撃に、風雅城を覆う光鎖帷子が斥力と共に激しい光を放つ。
「剣よっ! 今の僕にお前を使う資格がないことはわかっている。でも、あと少しでいいんだ。僕に友達を、世界を守る力を貸してくれっ!」
 剣がイクスの咆哮に応えて、鈴によく似た音を奏で始める。
 よかった。どうやらまだ、完全に繋がりが絶たれたわけではないらしい。
「剣よっ!!」
 さらに力を込めて剣を振り抜くと、光鎖帷子がガラスのように音を立てて砕け散る。
「イクスっ」
「せめて一太刀──」
 すぐに復元する光鎖帷子の内側に素早く入り込み、未だ輝きを失わない剣を構える。
 風雅城とて忍巨兵。どれだけ大きかろうと、中枢の位置は変わらない。
 装甲はまさに要塞並だが、これを抜きさえすれば忍巨兵にだって風雅城を落とすことはできる。
「菫。しっかりと掴まっていて。一気に──」
 構えた剣から指へ。拳、腕、胸と光が全身に伝わっていく。
「──貫くからっ!」
 裂帛の気合いと共に流星となって飛び出したイクスが、ショットクナイの弾幕を跳ね返しながら装甲に突き刺さる。
 切っ先が触れたところから、熱したナイフをバターに突き刺すように装甲を溶かす。
 このまま一気に突き抜ければ……。そんな焦りがイクスの視野を一瞬だけ狭くした。
「イクスっ。逃げてっ!」
 そんな悲鳴に近い菫の声がなければ、イクスは翼を失っていたかもしれない。
 背中に目掛けて迫る膨大な熱量を回避すると、第二第三の熱閃に追い立てられるように風雅城から離されていく。
「今のは、火遁のフウガパニッシャー!」
 風雅城からの砲撃ではなかった。そうなると、考えられるのは別の機体の存在。
 よく目をこらしてみれば、高速で移動を続ける黒い機影が視界を通り過ぎていく。
 まさかとは思ったが、一度完成させている時点で、量産化の可能性を懸念すべきだった。
 イクス自身を元に、新たな技術を導入され、生み出されたガーナ・オーダの忍巨兵。
「ジェノサイドダークロウズっ」
 まさかこれほど早く、量産体制が整うとは思ってもみなかった。いったいどうやって……。
 それを悩む暇も与えないつもりか、三十機のジェノサイドダークロウズはそれぞれ独立した動きでイクスを取り囲むように行動を開始した。
「速いっ。量産機でこれだけの力を!」
「やっぱりわたしたちだけじゃだめ。イクス、逃げてっ」
「わかった。菫だけでも必ず逃がしてあげるからね」
「違うっ。あなたも一緒に──」
 大鎌を振り回して強襲するジェノサイドダークロウズに、菫は最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。
 さすがのイクスでも、これだけのジェノサイドダークロウズを相手に立ち回れるほど、性能に余裕があるわけではない。
 せめて、この剣をまともに使うだけの力があれば。
「シノビキョヘイは、スベてホロボす」
「ショノビキョヘイに、シを」
「シノビキョヘイをコロセ」
 風に舞い上がる落ち葉、とでも表現すればいいのだろうか。
 文字通り一面隙間もないくらいに押し寄せる大鎌の刃翼に、防戦一方のイクスは徐々にその身体を切り刻まれていく。
 すぐに落とされない辺りはさすがといったところ。しかし、この状態もあとどれだけ保てるのかは、わからない。
「お願いだ、剣よ。せめて菫を、女の子一人を救う力を、今一度僕にっ」
「お願いっ。届いて! 召忍獣之術っ!」
 二人の声が重なり合った瞬間、まるで剣の光に導かれるようにそれは現れた。
 光の中から生まれるのは、既に満身創痍といった状態の黒色の双頭烏。間違いない。これはオリジナルの煉王ジェノサイドダークロウズが使っていた忍獣ジェノサイドレイヴン。
 もっとも、獣帝マスタークロスフウガの手によって破壊された為に、既に頭も一つ欠けており、翼に備えられているはずの刃翼もないに等しい。
 せめて頭数だけでも増やせればと召喚を試みた菫も、その現状を目の当たりに、自分の判断が過ちだったと悟らざるをえなかった。
「菫、ありがとう。これで僕はまた、ちゃんと戦える」
「え……」
「見てごらん。菫が自分で羽ばたきたいと願ったから、黒い烏も──」
 そう。剣の光はまだ衰えてはいない。むしろ、今までよりも強く、激しく輝きを増していく。
 光に侵食されていくジェノサイドレイヴンが再び姿を見せた瞬間、菫はあっ、と息を飲んだ。
「白い鳥になって、前よりもずっと高く、ずっと遠くまで飛ぶことができるんだ」
「忍獣……アストラルガルーダ」
 菫の呟きに応え、甲高い鳴き声をあげるアストラルガルーダに、イクスが頷き返す。
「お願いだよ、菫。僕に、このアストラルガルーダを使わせてほしいんだ」
「……うん。これはあなたのもの。だからもう一度、天高く舞い上がってっ。星王イクス!」
 菫の願いに応え、アストラルガルーダはその身体をパーツ単位に分けていく。
 イクスの足を覆い、腰を覆い、背中を覆う。クロスフウガと同一の合体形態を用いることで、イクスはようやく風雅の名を口にした。
 アストラルガルーダの頭をヘルメットのように被り、嘴が大きく開いたそこにはフェイスマスクを閉じた新たな忍巨兵が開眼していた。
「星王式忍者合体っ!」
 すべての刃翼がイクスの持つ大剣に変わり、八色の輝きを伴ってこの地球に天空の勇者が降臨する。
「──イクスっフウガぁぁぁっ!!」
 解き放つ八色の光が、八方を取り囲むジェノサイドダークロウズを撃ち抜いていく。
 まるで意思を持っているかのように動く八色の大剣を回収しながら、ようやくイクスフウガはジェノサイドダークロウズ包囲網からの脱出に成功した。
「剣は僕に、まだ戦えと言ってくれた。それはあの子の願いでもあり、僕自身の願いでもあるっ!」
 背中の砲身を、脇を潜らせるて腰に構える。
 イクスフウガの白い身体とはどこかアンバランスな鉛色の砲身は、無骨ながらもその姿に弥が上にも高い威力を期待させられる。
 これだけの数に照準を合わせるだけ時間の無駄。そもそも自分は剣士なのだからと納得しつつ、トリガーを引き絞る。
 まさしく大砲のような威力を誇るビームが次々にジェノサイドダークロウズの真芯を捉え、爆散させていく。
「ずっと未来に続いていく、この世界の空。決して汚させはしないっ!」
 手にした大剣を振り上げ、イクスフウガが天を翔る。
 並ぶジェノサイドダークロウズの間を通り抜ける瞬間、その二体を同時に斬り捨て、追撃する一体を再び背中のビームキャノン──ギルティアーブラスターで打ち抜く。
 すべての命を刈り取る死神のような無数のジェノサイドダークロウズと、悪魔のような風雅城。それらから大地を守るように立ちふさがるイクスフウガに、恐怖に竦みきっていた人々がようやくその姿を見上げ始める。
 ある者は指差して天使と叫び、ある者はただ祈り続ける。
 その神々しいまでの姿を目にした人々は、後の世に彼を称え、こう呼ぶことになる。


 Different heaven Brave(違うソラから来た勇者)──と。





 泣き疲れたのか、いつの間にか俺──風雅陽平の腕の中で眠っていた瑪瑙をベンチに寝かせ、俺は脚にかかる僅かな重みに頬を綻ばせていた。
 よもやあの印象最悪の出会いから、泣き顔まで見せてもらえるような関係になれるとは、思ってもみなかった。
 正直、浩介のことがなければ、瑪瑙をここまで近くに感じることはなかったと思う。
 浩介のことがきっかけで険悪になって、浩介のことで近づいて。いなくなってしまったあいつには悪いと思ったが、なぜかお礼を言ってやりたい気持ちになる。
「勇者忍者。瑪瑙の顔を見てにやにやしてるの、あんまりいい趣味じゃないと思うけど?」
 頭上から降り注ぐ手痛いツッコミは、今回の件の功労者でもある戯王エイガだ。
 隠行機能で姿を消してはいるものの、その大きな気配はずっと感じている。どうやら陽平たちの話がひと段落つくのを待っていてくれたらしい。
「あまり時間はないと思うよ。今、星王が時間稼ぎをしてるけど、それもいつまでもつか……」
「イクスのやつ、無茶しやがって。でも、そんなことまで知ってるってのは、さすがだな。ひょっとしてお前が俺たちの前に現れたのって、何かを報せに来てくれたのか」
「まぁね。まず、風雅城だけど、今は北アメリカ沿岸部にいる。星王が気になるみたいで、ずっとそこで足止めされてるよ」
 忍巨兵一体で足止めできるような相手でないことは、誰の話を聞いてもわかることだ。それができているというのはつまり、イクスにそれだけの力があったのか。または、イクスを見逃せない理由が風雅城を乗っ取ったガーナ・オーダの武将、秀吉にあったのか、だ。
「その様子だと、気づいてるみたいだね。秀吉はね、どうやら僕たち忍巨兵を完全抹殺することを考えているみたいなんだ。だから、付かず離れず戦う星王を相手にし続ける。さっき戦ったダークロウズの量産機も、おそらく僕を追ってきたんだろうね」
「秀吉……か。確か、忍邪兵作ったってのが、あいつだったな」
 ガーナ・オーダにおいて、邪装兵を生み出したのが鉄武将ギオルネならば、忍邪兵を生み出したのは秀吉だと聞いている。
 その秀吉が忍巨兵抹殺を考えたということは、それは即ち忍巨兵の能力を軽くは見ていないということだ。
 世界を敵に回し、最大の兵器すらも奪われた風雅に残された最後の希望。忍巨兵を抹殺なんてさせるわけにはいかない。
「まぁ。僕は忍獣が破壊されてるから、今後の戦力になれないってことを考えると、既にやつらの目的の一つは達成してるわけだけど」
 戯王最大の特徴ともいえる複数の武器に変わる忍獣モウラは既になく、エイガも猿型と呼ぶに相応しい外見になってしまっている。
 エイガの言うとおり、これでは今後の戦いを乗り切るのは難しいかもしれない。
「もう一つの情報だよ。迅王ライガはもうとっくに目覚めている」
「迅王、ライガ……」
 たしか、そのオーバースペックゆえに、乗り手を殺すなどと言われた最強の忍巨兵。
 その彼が既に目覚めており、それでも陽平たちの前に現れないというのはなぜだろう。エイガのように特殊な任を与えられているわけでもないはずだし、そういった能力を持っているという話は聞いていない。
 ただ、雷牙の名を与えられている以上、その強さは折り紙つきのはず。今の状況を鑑みるに、できれば早急に合流してほしいものだ。
「あと。アンタが助けた翡翠姫の複製だけど、今は星王と一緒にいるよ」
「あの子が?」
 不意に、すごくさびしそうな、涙に揺れる瞳を思い出す。
「翡翠姫に名前を貰って、今は『菫』って名乗ってるみたいだね。星王の巫女としてついていったんだよ。元が翡翠姫だからかな、星王の戦闘力はかなり向上していたよ」
 菫。翡翠がつけた名前を聞いて、陽平は自然と笑顔になっていた。
 どんな意図があったにせよ、綺麗な、澄んだ響きの名前だ。もう一度会ったら、陽平からもその名前を呼んであげよう。自然と、そんな気持ちにさせられた。
「……サンキュ。それだけ調べるの、大変だったんじゃねぇのか?」
「そうでもないよ。ただ、当主様があれだからね。装備をなくした僕が、今後もガーナ・オーダの追撃をかわしながら情報収集なんてことはできそうもない。ってことを伝えることもできないのが、少し困るかな」
 なるほど。確かにそれは困るだろう。
「そっか。それじゃ俺がその命令を上書きとかできねぇかな?」
「内容にもよるけど。それに一応、勇者忍者はマスターを継承しているはずだしね。権限も問題ないはすだよ」
 各忍巨兵に指示を出すこともできるとは、フウガマスターという立場は想像以上に大きいもののようだ。もっとも、今の陽平はフウガマスターではなく、そのフウガマスターを補佐するためのシャドウマスターなのだが。
「仲間たちを探して欲しいんだ。瑪瑙みたいに、ばらばらに散ってしまった仲間たちと、もう一度強く結びつきたい。そうしなければ、おそらく俺たちはガーナ・オーダに勝てない」
 僅かな沈黙。エイガは陽平の言葉を吟味しているのか、なかなか答えを返してはくれない。
 少し焦れて、膝の上の瑪瑙から視線を上げたそのとき、陽平はあまりのショックに言葉を失っていた。
 陽平たちの座るベンチから歩み足で十歩といった距離に立つ、黒いライダースーツのような皮製の服の上に、襟の高い、白いロングコートといった一風変わった服装の人物は、どういうわけか陽平の良く知る顔で、でもどこか遠い存在のように笑っていた。
「……こ、う、すけ」
 見知らぬ衣装の浩介は、なぜだか嬉しそうに笑っていた。まるで、陽平と瑪瑙の距離を喜んでいるかのような、そんな笑顔。
 すぐに立ち上がりたくても、瑪瑙の頭が足に乗っているため立ち上がれず、陽平は浩介がコートを外套のように翻す様を黙って見続けていた。
『よかった。陽平が、瑪瑙の傍にいてくれて』
「お前、本当に浩介なのか?」
『陽平。瑪瑙に伝えてもらえるかな。僕はもう帰ることはできないけれど、君たちが覚えていてくれた僕という存在が、僕をずっと支えてくれたんだ』
「何言ってるのかわからねぇよっ。だいたい、言いたいことがあるなら、自分の口で伝えりゃいいじゃねぇか!」
 わけも語らず無言で頭を振る浩介に、陽平は苛立ちを覚えた。
 だが、それも一瞬のこと。陽平は気づいてしまったんだ。"この浩介"が見えているのはおそらく陽平だけで、この世界の誰にも浩介を見ることはできないのだと。
 それは、いつの間にか陽平たちの周囲を満たしていた赤い世界が物語っていた。
『貴重な一回を僕のために使わせて、ごめん』
 赤い鬼眼が教えてくれる。浩介のこと。世界のこと。そして、陽平が成すべきこと。
「お前はいつもそうなんだよ。自分勝手で周りの人間を振り回して、そのくせ誰からも好かれて……」
『その言葉。陽平にそっくり返してあげるよ』
「ぬかせ。この優男め」
 そんな口喧嘩のようなやりとりさえも懐かしくて、陽平たちはどちらからともなく笑い出していた。
 ひとしきり笑い合って、どちらからともなく別れの空気を察してしまう。便利すぎる能力というものは、同時に厄介な能力でもあることを痛感した瞬間だった。
「……行っちまうのか」
『うん。僕も、陽平に負けていられないからね』
 そう言って笑う浩介は、どこか誇らしい顔をしていた。
「瑪瑙にはちゃんと伝えておくぜ。泣かさないように、少しアレンジさせてもらうけどな」
『陽平は、本当に女の子には優しいね』
「へっ。そっくりそのまま返してやるぜ」
 そんなやりとりも、たぶんこれでおしまいだ。そのことにお互い気づいているからこそ、それ以上の言葉を紡ぐ必要ななかった。
 半歩下がり、そのまま背を向ける浩介の背中を見送って、陽平は握り締めた拳を振り上げる。
「俺、負けないからな。だからお前も絶対に負けんなよっ!」
『ありがとう。親友──』
 僅かに振り返った浩介の、そんなクサいセリフに頷いた瞬間、陽平を包む赤い世界は消えていた。
「もう、二度と会えないのかもしれないけれど、間違いなく俺たちは親友だ」
 そうだ。どんなに離れていたって、二人はお互いにお互いのことを忘れはしないのだから。
 ついさっきまで浩介が立っていた場所から強い風が吹き、陽平は瑪瑙の前髪が目にかかるのを掻き分けてやる。
「ねぇ。僕の話、聞いてる?」
「いーや。ぜんぜん聞こえてなかった。でも、イヤだって言ったって探してもらうぜ。反論は認めねぇ」
 どうやら、陽平の気づかない間に、また一つ約束が増えてしまったらしい。
 だけど、陽平はこの約束を違えることはないだろう。なぜなら彼らは、近くにいなくたって、こんなに強く誰かと結びついていられるのだから。
 だから、いつか絶対に迎えにいってやるからな。覚悟しやがれ。
 そんな密かな決意を胸に、陽平は瑪瑙を起こすかどうかを考え始めていた。













<次回予告>