腕を組み、下品な笑いを浮かべるガイ・ヴァルトを前に、柊は高々と跳躍した。 狙うは人体急所のひとつであるこめかみ。顎で倒れぬならば別の場所を攻めるまでだ。 「いぃやああああっ!!」 鞭のようによくしなる蹴りが、頭を刈り取るほどの勢いでヒットする。爪先でヴァルトのこめかみを打ち抜くように決まった蹴りに、自然と柊の頬が歓喜に緩む。だが── 「なんだ糞ガキ、こんなものかよ?」 まるで効いていないのか、下品な笑みはそのままに、ヴァルトは柊の足を鬱陶しそうに撥ね除ける。 この間合い、逃げなければ致命傷を受けかねない。しかし、そんな意思とは裏腹に、柊の足は底なしの沼にハマったかのように重く、どれほど足掻こうともその拘束が解けることはない。 (やられる!?) 目の前で爆発する拳が徐に振り上げられ、柊の頭を目掛けて振り下ろされる。 「うわああああああっ!?」 迫る拳から逃れる術はない。柊にできるのは、ただ自分の死という現実を待つことだけ。 襲いかかる死の恐怖に身体が悲鳴を上げた瞬間、柊は勢い良く布団を撥ね飛ばした。 「──…ぇ?」 どうやら先ほどの出来ごとは夢だったらしい。まるでそれを肯定するかのように、ご丁寧にも自分は何処かのベッドで上半身を包帯のみで覆った格好のまま寝かされていたようだ。 ぐるりと見回せば、ここが小さな山小屋だということは理解したが、あまりに生活臭のしない室内に、柊は奇妙な既視感を拭い切れなかった。 「ここって…」 似ている。二年ほどの間ではあったが、共に暮らし、辛く苦しい修行を通じて柊に接してくれたあの人のいた山小屋に。 「まさか…」 「どうやら目が覚めたみたいね」 わざわざときを見計らったのだろうか。柊の考えを肯定するかのよいに戸を開け、小屋に入ってきた姿に、柊はやっぱりと金魚のように口をパクパクさせる。 着物でもないのに長い髪を結い上げ、とても女性とは思えない眼光を放つそのひとは、柊がかつて師事したひとりの武闘家に他ならない。 「師匠…! でも、なんで!?」 「こらこら。なんで……は私のセリフだろうに。久しぶりに会ったと思えば、よもや空から降ってくるなどと誰が思うものか」 ごもっともな言に、柊はぐうの音も出なかった。 恐らく彼女はもう気付いている。柊が何者かと闘い、敗れたことに。 そのためか、思わず言い淀んでしまう柊に、師は仕方ないやつだと笑うと、なにを考えたのか、手にしたリンゴを放り投げた。 「とにかく食べろ。空腹では再戦もあるまい?」 キャッチしたリンゴに視線を落とす柊は、その赤い塊を力いっぱい握り締めると、徐にかぶりついた。 リンゴ丸々ひとつをぺろりと完食すると、柊は予てより思っていた疑問を口にした。 「そんで、師匠はこんなとこでなにやってんの? オイラ、てっきり外国にでも武者修行に行ったとばかり…」 だが、彼女は柊の問いに答えるどころか、なぜか笑い出すと、すまんすまんと本気か嘘か判断に難しい謝辞を告げる。 「なんなんだよ…」 「いや、それにしてもあの柊がオイラ≠ニはね。随分と丸くなったじゃないか?」 そう言われてみれば彼女の元にいた頃はオレ≠ニ言っていた気がする。ついでに言うと、陽平と出会う前だっただけに、かなりツンケンしていたのではないだろうか。 「なにかいい兆候があったということだろう? 恥じることはないじゃないか」 それならば、なにもそんなにまで笑うことはないじゃないかと、柊は頬を膨らませる。 「そもそも、師匠はあのあとどこに行ってたのさ。オイラ心配したんだよ?」 この人に心配など不要とは思うのだが、それでもしてしまうのはやはり、その存在が柊にとって大きいためだろう。 「こらこら。以前も言ったが、私にだって夫もいれば子もいる。帰る場所くらいあるんだぞ?」 二年も空けておいてなにを今更ということは、わかっていても口に出さないことにする。まだ命は惜しいのだ。 「なんだその目は…。まったく、あの二年の間にまったく帰っていなかったわけではないぞ?」 それでもきっと、月に一回とかの割合だろう。 武闘家としての彼女は超がつく一流かもしれないが、親としての彼女はなんともいい加減なものだ。 そういえば聞いた覚えがある。師が山籠もりをしているのは、旦那さんに一撃入れられるようになるためだとか。 以前は簡単に聞き流していたが、今の柊ならば上には上がいるということを納得せざるを得なかった。 それにしても、このひとが一撃も入れられない男がいるということは、ある種、世界の七不思議よりも不可思議だ。 「さて、世間話もほどほどにしようか」 丁度会話が途切れたことで、どうやらすべてを暴露する場を設けられたらしい。 腕を組み、足を組んで椅子に座る師に、柊はどこから話したものかと首を傾げた。 「なに、深く介入するつもりもない。包み隠さず話しなさい」 その言葉に観念したか、柊はぽつりと事情を語り始めた。 あのあと、すぐに崖下まで降りてきたというにも関わらず、フェリシスは柊の姿を見つけることができなかった。 無理もない。柊はこのとき既に師によって命を救われ、少し離れた山小屋に身を隠していたのだから。 柊が死んでいないことはわかっている。あの瞬間、フェリシスは柊に僅かながら飛ぶ力を与えていたのだ。少なくとも落下の衝撃は軽減されているはず。 「柊……どこにいったのよ。返事くらい……しなさいよ」 今は一刻も早く柊を見つけ、ここから遠ざけるしかない。残念だが、柊ではガイ・ヴァルトに勝つことができないのは明白だ。 疲れ切った羽根を必死に震わせ、フェリシスは考えうるすべての可能性を虱潰しに探していく。 残る可能性は、柊の仲間が助けに入った可能性だ。 風雅忍軍。ガイ・ヴァルトの属するガーナ・オーダの仇敵であり、忍邪兵であるフェリシスの敵でもある。 聞いた話では、主戦力の獣王は蘭丸に倒され、残る忍巨兵も散り散りになっているということだが、果たしてその場合柊を助けることができるだろうか。 答えはノーだ。 ならば、なんとしても探さねばならない。ヴァルトが見つけるよりも早く。 「柊、生きてるんでしょ…。生きてるのよね…?」 だが、そんな祈りにも似た悲痛な呟きが災いした。 「そいつは、どういう意味だ…」 探すことばかりに夢中で、この男の接近に気がつかなかったのは失敗だった。 弾かれたように振り返るフェリシスが怒りの形相を見るよりも早く、ヴァルトの炎はフェリシスの意識を刈り取っていった。 「なるほど。ようやく合点がいった」 柊が友達に殺されかけたことを話したにも関わらず、師はどこか満足そうな、そして納得がいったとばかりに笑みを浮かべた。 「あの……師匠。そこは沈痛な面持ちでオイラを気遣うとこじゃ…」 「馬鹿を言うな。お前が人より頑丈だってことはよく知ってるからね。そんなことより柊、お前…その友達に助けられたね」 師の的外れな言葉に、柊は思いきり眉をひそめると、わざとらしく盛大に溜め息をついてみせた。 「オイラ、フェリシスにおっことされたんだよ?」 「そうだね。でも、そこでその子が鎖を切らなきゃ、お前は確実にその豪傑に殺されていただろうね」 言われてみれば確かにそうだ。だが、それはあくまで結果論にすぎない。あの高さから落ちた時点で普通は死んだと思われても不思議はないのだ。 だが、そこでようやく柊の思考は、ひとつの不可解な点に行き着いた。あの高さから落ちれば誰だって死んだと思う。では、いったいどうして自分は生きているのだろうか。 誰が見ても明らかなほどの高さだ。たとえ奇跡的に助かったとしても、瀕死の重傷は免れない。 見たところ、外傷は擦り傷や打ち身。あとはヴァルトに受けた一撃くらいなものだ。つまりは、あの高さから落下したにも関わらず、柊はほとんど無傷だったということになる。 「師匠が……キャッチ?」 「できるか! お前は私をなんだと思っている。私がお前を見つけることができたのは、お前がゆっくりと落ちてきたからだ」 ゆっくりと、とジェスチャーを見せる師に、柊はもしやと思い、身体の至る所を急いで確認する。 やはりあった。柊が鎖を握っていた右手に、なにかキラキラと光る粉のようなものが付着している。 それがフェリシスの羽根についた鱗粉であると気がつくのに、さしたる時間はかからなかった。 「師匠、オイラ行かなきゃ。フェリシスが危ない!」 「そうらしい。あれが件の豪傑か…。なかなかに人間離れをしているようだが?」 窓の外に見えるガイ・ヴァルトの姿に、やはりどこか的外れな感想を述べる。 今更気配を殺したところで意味はない。だからこそ柊は、自分がここにいることを伝えるために、殺気にも似た怒気を叩き付ける。 「…正気か?」 尋ねる師を余所に、柊は包帯を外してそそくさと上着を着込む。どうやら着けていた鎖帷子は先の一撃で役に立たないらしい。 防御力は落ちてしまうだろうが、当たらなければどうということはない、と好きなアニメでも言っていた。 「じゃあオイラ、行って来るよ」 「負けそうになっても助けぬからな」 酷なようだが、それでは為にならない。むしろ柊がやってこそ意味のあることだ。 「わかってる。あ、そーだ。時間があったらまた修行つけてよね」 返事も聞かずに飛び出して行く柊の背中に溜め息をつくと、彼女はなにを思ったか、腕組みをしながら窓に寄り添うように教え子の姿を眺めてみる。 どれくらい前だっただろうか。確か、もう二十年以上も前のことだったはずだ。 あんな風に未来を見つめながら戦った少年がいた。 彼女は、その少年の背をずっと見つめていた。ずっと追いかけていた。強く、優しく、勇ましい少年を。勇者≠ニ呼ばれた少年を。 「柊、強く望めば必ずその思いは力になるよ。必ずね…」 「やぁっと出てきやがったか」 そう言うわりには、待ちくたびれた、という様子でもない。この表情はどう見ても今から始まるなにかを楽しみにしているようにしか見えない。 「待たせて悪かったね。それよか、フェリシスはどーしたの」 フェリシスの名を口にした瞬間、柊の纏った雰囲気が急変する。 ざわざわと逆立つ髪が揺れ、ヴァルトが「さぁな」と口にした瞬間、ヴァルトの視界から柊の姿がかき消えた。 次の瞬間、青い狼のプロテクターに身を包んだ柊の蹴りがヴァルトの腹に突き刺さり、くの字に折れ曲がる身体を更に膝蹴りで突き上げる。 「なッ、なんだとぉ!?」 攻撃の速さも重さも、先ほどとはまったく比べ物にならない。しかも一瞬のことだが、完全に柊の姿を見失っていた。 よろけながら後ずさるヴァルトに、柊は咆哮にも似た叫びを上げた。 「うおおおおおおおっ!!!!」 「糞ガキがぁッ!!!」 刹那、両者の姿が風となり、拳と蹴りが幾度となくぶつかり合う。 手を伸ばせば触れ合えそうな至近距離にも関わらず、ヴァルトの繰り出す拳を完全に避け切ると、柊はいつもの嵐のような蹴りとは正反対に、一撃必殺の蹴りを確実に打ち込んでいく。 軽い蹴りではいくら当てても効果はない。それならば手数など関係ない。確実に一撃一撃を当てていくことで、ヴァルトのダメージを稼いでいくしかない。 「調子に乗るンじゃねぇぞッ!! 糞ガキぃ!!!!」 「そっちこそぉぉっ!!」 蹴り主体の攻撃に拳を混ぜ、柊は宙に浮いているかのような独特のコンビネーションを叩き込む。 「もらった!!」 僅かに体勢が崩れた瞬間、柊はクナイを手に火遁の印を組む。 (刺突と同時に身体の中に炎を打ち込んで──) 「……ッ!?」 突如、視界を覆うように現れた蝶の羽根に、柊の足が反射的にブレーキをかける。 花のような香りが鼻孔をくすぐる中、柊の怒りを打ち砕くようなヴァルトの一撃が完全に真心を捉えた。 全身の神経が腹に集まったような痛みに柊の表情が苦悶に歪む。拳の勢いで身体が浮かび、爆発で弾き飛ばされる。 嘔吐にも似た吐血と共に、巨木に叩き付けられた身体が悲鳴をあげる。 迂闊だった。よもやこれだけ小さなフェリシスを盾にされるとは思っていなかった。 崩れ落ちる柊に歩み寄り、ヴァルトは狂気の笑みを浮かべると、拳が赤々と燃え上がるほどに力を込めていく。 「その生意気な口が利けねぇよう、ぐちゃぐちゃにしてやる…」 だが、拳を振り下ろそうとした瞬間、ヴァルトの背後で裂帛の気合いが爆発した。 それは瞬く間に距離をゼロに持ち込むと、足の踏み込みで地面を陥没させながら紫電を帯びた右ストレートを打ち込んだ。 雷撃で一撃、拳で一撃、さらにはそれらを一撃にまとめる技量を持つ者などそうはいない。 踏み込みで陥没した部分から、ヴァルトを通した拳の威力が背後に突き抜け、木々を薙ぎ倒しながらヴァルトを吹っ飛ばしていく。 よもや、夢にも思うまい。その一撃を放ったのが人間の、しかも、もう四十も近い女性などとは。 「雷角【らいこう】。しばらくそこで寝ているがいい」 駆け寄る師に助け起こされながら、柊は腹の痛みに頬を引きつらせる。 「師匠…」 助けてくれないんじゃなかったのかと続けたかったが、あまりの激痛に言葉が声にならない。 「卑怯者に少々灸を据えてやっただけだ。決着はお前がつけねば意味はないぞ」 なんとか頷くことで応えながら、柊の視線は吹っ飛んでいったヴァルトよりも、先ほど投げ付けられたフェリシスの姿を探していた。 フェリシスは……いた。怪我をしているのか、あの笑顔を見せることも、フワリと得意げに舞い上がることもしない。いや、それ以上になにか様子がおかしい。 「フェリシス…」 師を押し退けるように立ち上がり、ふらふらとおぼつかない足取りでフェリシスの側へと歩み寄る。 「フェリシスっ!」 再び柊がその名を口にした瞬間、フェリシスの身体に異変が起こった。 真っ赤な、血のように毒々しい力がフェリシスを包み込む。それは急激に大きさを変えると、瞬く間に10メートルはある巨大な繭を作り出す。 「ま…さか…!」 信じられない。信じたくないと頭を振る柊の前で、繭がガラスのように砕け散ると、赤い瞳のような模様が浮かぶ羽根を羽ばたかせ、巨大忍邪兵となったフェリシスが姿を現した。 「嘘だあああああっ!!!」 「離れろ、柊!」 後ろから聞こえる言葉を無視して、柊は風王式風魔手裏剣を発動させる。 「忍巨兵之術!! 出ろっ、ロウガぁぁぁぁっ!!!」 深緑の森を駆ける狼が柊を飲み込むと、風王はすぐさま人型へと姿を変える。 「フェリシスっ!」 喉がはち切れそうなほどに声を荒げるが、柊の声など届かぬとでも言うかのように、フェリシスは風王へと攻撃を開始した。 赤い鱗粉が戦場を包み込み、瞳のような模様の放つ雷が鱗粉を通じて風王を打ち抜いていく。 完全な全包囲攻撃に、避ける暇もなく攻撃を受け続け、さしもの忍巨兵も容易くその装甲を剥がされていく。 「やめてよ、やめてくれよフェリシス! オイラとフェリシスは友達だろ!?」 やはり届かない。それでも名を呼び続ける教え子の姿に、師は一人、右腕を押さえるように唇を噛む。 「オイラは…」 羽ばたきで生じる紅蓮の炎が風王を焼き、その凄まじい熱量に柊は呼吸を荒くする。 「柊、反撃するんだ! このままではお前がっ!?」 膝をつき、身体を焼かれながらも、柊は退くことをしない。まるで、それが柊の思いの形だとでもいうかのように。 「オイラは……」 力の入らない膝に拳を打ち付け、気力だけで炎の勢いに抵抗する。 「オイラは…、フェリシスを信じてるっ!!!」 柊の言葉を形にするかのように、風王の顎が風とも咆哮とも見えるなにかを解き放つ。 それは柊の言葉を乗せて炎を吹き飛ばし、同時にフェリシスの身体を覆っていた赤黒い力を消し去っていく。 「フェリシス…、フェリシスぅっ!!!」 「…ひいらぎ?」 応えた。今、確かに柊の声が届いた。 まるで今し方のことが嘘のように辺りは静まり返り、静寂と沈黙の中、フェリシスはゆっくりと風王へと近付いていく。 「柊、アタシ…」 「こんなの、なんてことないってば。それよかフェリシスは?」 見るからにやせ我慢な言葉に頭を振り、フェリシスは風王の身体を優しく包み込む。 「ごめん…なさい」 「なんにも謝ンなくていーよ。フェリシスの気持ち、しっかり伝わったから」 「ひ…──危ない、離れて柊っ!!」 突然突き飛ばされ、仰向けになりながら目にした光景に、柊は我が目を疑った。 凶弾のような炎の塊が迫ってくる。ダメだ、とても今からかわせるような大きさと速度じゃない。だが、そんな風王と火球の間には隔りがあった。フェリシスという名の命の壁が。 「フェリシぃぃぃスっ!!!!」 火球が直撃した瞬間、フェリシスの身体が一瞬にしてボロ雑巾のように崩れ落ちていく。フェリシスが精一杯羽根を広げたことで、炎は風王を焦がすことなく、その勢いを弱めていく。 「キ、サ、マ、らぁぁッ!! 許さねぇ!! ゼッテェに許さねぇ!! 皆殺しだッ!! 誰一人生かしちゃおかねぇッ!!!」 立ち上がり怒り狂うヴァルトの身体が徐々に変化していく。体毛が荒々しく、顎が犬のように突き出していく。人というよりも獰猛な肉食獣に近い姿となったヴァルトは、周囲の炎を吸い込むように食らうことで、自らの身体を強化すると、更には巨大化まで果たす。 「片っ端から食い破ってやる。覚悟はいいかぁッ!!!」 ビリビリと空気が震え、木々が引き裂かれていく。 (闘わなきゃ…!!) 奮い立たせようと足に力を込めるが、いかんせん先の攻撃を受けすぎたためか、風王が既に限界を告げている。 既に装甲はないに等しく、柊自身のダメージも決して軽いものではない。だが、ここで立たねば自分だけではない。育ててくれた師が、命をかけて守ってくれた友達までもが殺される。 「なんでだよ!! 立てよロウガっ!! まだ闘える…。闘う爪も、牙も残ってるだろっ!!! ここで立たなきゃ、この爪も牙も、なんのためについてンだよっ!!!!」 そんな慟哭にも似た叫びに、風王が僅かながら反応を見せる。 「糞ガキぃ!! テメェは後回しだ。せいぜいテメェの無力を嘆くンだなッ!!!」 獣化したヴァルトの咆哮に、柊の叫びが重なる。 嘲笑うように爪と牙を剥き出しにしたヴァルトは、フェリシスを獲物と定めると、飛び掛かるために低く低く腰を落とす。 「まずはテメェだ、裏切り者…」 「や、ら、せ、る、もんかぁっ!!!」 忍巨兵の動きを超える凄まじい跳躍に、柊は無茶を承知でフェリシスの頭上めがけて飛び掛かっていく。 「オセェよッ!!!」 「うっせぇやい! ヒーローはな、こんなときこそビシッとキメるんだぁぁっ!!!」 しかし、ヴァルトの爪と風王の蹴りが激突しようとする、まさにその瞬間、柊を飛び越えたなにかがヴァルトの身体を弾き飛ばし、跳ね返る勢いで風王の中に消えていく。 『その通りだ! よく言った、風魔の忍者っ!!』 「え……なに? なにこれ?」 突如として目の前に現れた光玉は、助けてくれただけではなく、あろうことか口まで利いている。 さしもの柊もこれには驚いたのか、恐る恐る手を伸ばしそれに人差し指で触れてみる。 『オメェ、なにしてやがんでい…』 「あんた誰?」 声だけを聞けば男のようだが、忍巨兵にまで侵入したこれはいったいなんなのか。敵意は感じられないし、悪意もないように見受けられる。 それどころか、この光には命の暖かさがある。 『長かったぜ…。ざっと四百年ってとこか』 「四百年って……お前まさか?」 『オウよ。俺がオメェの忍巨兵だ。称号は牙王【がおう】、名はロウガ。信頼と友情に爪と牙を振るう忍巨兵だ!』 牙王ロウガ。柊の探していた、狼王の祠に封じられていたという忍巨兵。先の戦いで命を落としかけ、身体と心を分けて眠りについた風王の真の姿だ。 「お前、なんで…?」 『決まってンじゃねぇか。オメェと一緒に闘うためだろ。さぁ、オレを喚べ! 野郎に爪と牙の本当の使い方を見せてやる!!』 光は柊の手に吸い込まれると、まるで結晶化したかのように、ひとつの青い勾玉へと姿を変える。 手にした風王式風魔手裏剣から勾玉を外し、代わりに牙王の勾玉をはめ込むと、弾くように投げて目の前でくるくると勢い良く回転させる。 「流派統合っ、風雅流忍巨兵之術っ!」 手裏剣を掴み取り、展開させることで勾玉の力を開放する。 力が解き放たれた瞬間、手裏剣がバキぃ、と嫌な音を立てたが、今は気にしている場合ではない。 溢れる力は風王の傷を癒し、更には青いワイヤーフレームで新たな身体を形成していく。 「走れっ!! 牙王忍者ロウガぁぁっ!!!」 「ぃヨッシャぁッ!!!」 ワイヤーフレームを光が満たしていく。そしてそれは、ロウガに新たな爪と牙を、命の輝きを与える。 「待たせたな。牙王忍者ロウガ……参上だ!!」 新たな狼の牙を胸に携え、ロウガは牙王として新生した。 その姿はより強く、より雄々しく、より熱く。信頼と友情のために爪と牙を振るう狼の忍巨兵。 「柊ぃ! オレの鎧を、双牙【そうが】を喚べ!!」 「流派統合っ、風雅流召双衣之術【しょうそういのじゅつ】。青の鎧、双牙っ!!」 再び発動させた勾玉に呼び寄せられ、大地を穿つ双頭の鎧が姿を現す。 「武装巨兵……、牙王之闘士ロウガっ!!!」 鎧はパーツに分離すると、牙王の両肩を双頭の狼で飾り、両腕の甲には牙のような爪が装着される。爪のような突起が膝から脚を覆い、ロウガの口を覆うマスクが左右に展開する。 「おおおおおおおおおッ!!!」 「ガぁイぃ・ヴァルトおおおおっ!!!!」 地を掴むように蹴りながら、牙王之闘士は風王であった頃を遙かに超えた速度で駆け抜けていく。 それはヴァルトの反応を超え、懐からサマーソルトで顎を打ち上げると、流れるような動作で跳躍を繰り返しながら左右の両回し蹴りを両脇に、更には双打掌で再び顎を打ち上げていく。 「りぃやああああああっ!!!」 双打掌の勢いで頭上を飛び越えると、後頭部を地面に叩きつけるほどの勢いでドロップキックを打ち落とす。 「な、なんだコイツの超スピードは!? さっきまでとは別人じゃねぇか!?」 転がりながら体勢を立て直し、牙王之闘士と同様に飛び掛るヴァルトに対し、柊は左の甲で攻撃をいなし、再び頭上を飛び越えながら交差した腕で首を締め上げる。 「ハッ、この俺様と力比べかよッ!!!」 「まさかっ!!」 飛び越えた勢いで膝を振り、首を締め上げながら腰に膝を叩き込む。 たとえ牙王になったとはいえ、力任せで鎧の双武将に勝てるなどとは思っていない。こちらには相手の有利な戦闘をするような余裕など決してないのだ。 もっとも、本心は試してみたい気持ちもないことはない。 だが、そんなことよりも優先しなければならないものもある。 「たとえばそれは……友情とか、信頼ってやつだっ!!!」 「反吐が出るッ!!!」 炎で赤く熱された爪が五本の軌跡を描いて走る。しかし、残念ながら牙王之闘士となったロウガを引き裂くには炎ではダメだ。大地の気を四百年分も貯めたのだ。迂闊に手を出せばこの通り… 「こんにゃろっ!!」 交差する牙王之闘士の爪が炎の爪を纏めて叩き切る。更にその場で身体を捻り、回し蹴りでヴァルトを吹っ飛ばす。 だがいかんせん、単純な力が足りない。確実に仕留めるには、まだ幾重にも要素を重ねる必要がある。倒せると、勝てるという要素を。 せめて楓がいればと思うが、生憎無い物ねだりができるような状況でもない。 やるしかない。柊が、誰の手も借りずに。 「オイオイ、オレのこと忘れちゃいねぇだろぉな?」 「そーだったね。オイラたち二人でやるんだ!」 「ところで相棒、オメェなんか必殺技とかねぇのかよ…」 このままではじり貧だぜ、と告げる牙王の言葉に、柊はどうしたものかと唇を噛む。 技自体はないことはないのだが、生憎あの堅牢な防御力を突破できそうな技は持ち合わせていない。 (火遁じゃ逆効果っぽいしね…) 以前一度、釧とカオスフウガを相手に未完成の技を仕掛けたことがあったのだが、未完成ゆえにまったく融通が利かず玉砕覚悟の特攻技になってしまったことがある。 あれでは、玉砕覚悟ではダメなのだ。今は一刻も早く帰らねばならないとき。しかし、いざ帰ったところで力になれねば意味がない。 「オイ、なんだかわからねぇが秘策があるなら出し惜しみするんじゃねぇ!」 「惜しんでるつもりはないんだけどね…」 しかし躊躇しているのは事実だ。双頭獣ダブルフウマ・ビーストで耐え切れなかった一撃を、果たして牙王之闘士で放てるものなのか。 「迷うなっ!!!」 突然の言葉に、柊はビクリと肩を震わせる。 振り返るそこには、仁王立ちする師の姿がある。 「どうするか、どうしたらいいか、そんなことは渾身の一撃をお見舞いしてから考えろ!!」 それこそが、なにも考えない無心の一撃こそが、人が必殺技と呼ぶに相応しい。 「ロウガ…」 「なんでい?」 「オイラに預けてくれよ…」 どうやら吹っ切れたらしく、その表情にはどこか余裕さえ感じられる。それこそが、いつもの柊だ。 「ヨッシャ。相棒、心転身之術だ。そうすりゃ相棒はオレの身体を自分のものにすることができる!」 その言葉に強く頷き、柊は手にした忍器に最後の発動をかける。 やはりというべきか、発動と共に砕ける風王式風魔手裏剣に謝辞を告げつつ、柊は新たな術を行使する。 「流派統合っ、風雅流心転身之術っ!!」 途端、柊は自分の意識が膨張していくのを感じた。手が、足が、指の先までもが牙王と一体化していく。 どうやら心転身之術とは、乗り手である忍者の心を忍巨兵に移す術らしい。これは、あまりに危険だ。下手をすれば忍巨兵の破壊イコール乗り手の死に繋がりかねない。 完全に同化を果たした柊は、靴の爪先をトントン、と行うように跳ね上がると、溢れる力を抑え込むかのように腰を深く落とす。 大きく息を吸い、裂帛の気合いと共に咆哮をあげる。 「受けてみやがれ!! これが、風魔柊としてのオイラじゃない…、牙王忍者としてのオイラの力…」 ヴァルトが起き上がるのを見計らい、牙王は野生の狼の如く森の中を駆け抜ける。 風遁の印を組み、集めた風を全身に纏うことで、牙王は自身を疾風の狼と化す。 その姿は獲物を狙う獣の如く。防御に入るヴァルトの真正面で再度踏み切ると、頭上を目掛けて弧を描くように跳ね上がった。 「秘脚っ!! 狼ぉ牙ああああああっ!!!!」 「ぅお……おおお…ッ!?」 頭上への防御が間に合わない。驚愕に目を開くヴァルトを頭から食らうかのように狼牙が直撃すると、同時に地面が刷り鉢状に陥没し、まるで牙のように鋭い無数の岩がヴァルトの身体を前後左右問わず串刺しにしていく。 己を風の牙と化し、大地をトラバサミに見立てた見事な一撃だった。これで倒せねば、恐らく柊の持つ技術でこいつを倒すことはできない。 だが、それも杞憂だと言うかのように完全に沈黙した鎧の双武将が一人ガイ・ヴァルトは、激しい吐血に断末魔の叫びを上げることも叶わぬまま、土人形のように崩れ落ちていく。 吹き抜ける風がヴァルトの灰を完全に吹き飛ばしていくのを確認すると、柊は一息つきながら心転身之術を解除する。 まるで頭からなにかが入り込んでいくかのように、肉体に感覚が戻っていく。 戻ったことを確認するようにゆっくりと瞼を開き、柊は目の前に広がる光景に安堵の息を漏らした。 「やったじゃねぇか、相棒」 「ロウガのおかげさ。あんがとね」 互いに同じサイズならばハイタッチでもしていたかもしれない。ともあれ、柊と牙王が二人で勝ち取った初めての勝利であった。 牙王を飛び降りた柊は、恩人ともいうべき友達の下へとゆっくりと歩み寄っていく。 この指先がもう一度彼女に触れるとき、柊は突き付けられる現実を受け入れなければならない。 初めて会ったとき、柊は彼女を小さいと思っていた。とても小さい、強く触れると壊れてしまいそうな、そんな花のような少女だと。 しかし、今の彼女はとても大きい。柊など踏み潰してしまえるほどに巨大な姿をしている。 なのにどうして… (どうしてこんなに小さく見えるんだろう) それは、初めて出会ったときとまったく変わることのない気持ち。 そうだ。彼女は小さかった。だからこそ一生懸命に羽根を震わせ、精一杯生きようとしていたのだ。 だからこそ、守ってあげなければならなかったのに…。 「フェリシス…」 それなのに、実際に守られていたのは柊の方だった。 「フェリシスっ!!」 今、僅かに羽根が動いたような気がした。 風か。そう思ったのだけれど、そうじゃない。羽根以外には木の葉一枚だって動いてはいないのだから。 それはつまり… 「ひ…ぃ…らぎ」 生きていた。生きていてくれた。 しかし、思わず駆け寄った柊は、そのありのままの事実を強く認識させられることになった。 ガイ・ヴァルトのように崩れ始める身体。それは尋ねるまでもなく、フェリシスの灯火が尽きたことを指し示している。 まるで砂の城のように崩れ落ちていくフェリシスに、柊は咄嗟に手を差し延べた。 まるでそのことがわかっていたかのように掌に落ちる一匹のもの言わぬ蝶の姿に、柊は力なく膝をつくと、手の内に納まってしまうほどに小さくなってしまった友達を抱き締め、堰を切ったように涙を流す。 「オイラは……オイラはまたなにもできなかった! 信じるって、友達だって言ったのに……オイラは!!」 彼女はただ、一人が寂しかっただけなのに。名を呼ばれ、あんなに嬉しそうにしていたのに。まだ、してあげたかったこともたくさんあった。それなのに…。 「己の爪と牙が万民を守れるものではないとわかったとき、人は限界という言葉を識ることができる」 少し離れた場所で歩みを止める師に、柊は小さく頷いた。 「だが、限界があるからこそ、お前はその限界の中で、大切ななにかを守っていかなければならない」 ときにはそれが家族であったり、財産であったり、絆であったり。 「よく見ろ。彼女の羽根は傷一つついていないだろ」 掌に乗せられた蝶は、動きさえしないものの、その羽根の美しさは損なわれていない。 守れたのだ。自由に飛ぶことが好きだった彼女の想いは。 意味がないとは思わない。そう思ってしまえば、きっとまた歩みを止めてしまう。 涙を拭いて立ち上がる柊は、「ごめん」と呟くと、フェリシスの羽根を一枚千切り、それをポケットにしまい込む。 「フェリシス…、約束するよ。フェリシスみたいに純粋な想いで生きているみんなを、ガーナ・オーダから守るって…」 そのための力、そのための忍巨兵だと信じているから。 「だから、そのときはきっと…」 そこに、もう涙する者は存在しなかった。 涙を乗り越える者を勇者と呼ぶのなら、柊もまた、まぎれもない勇者の一員なのだ。 「行くのか?」 友の下へ。仲間の下へ。守らねばならないなにかの下へ。 強く頷く柊はフェリシスの──蝶の亡骸を師に託すと、深々と一礼してから背を向ける。 「風雅流、忍巨兵之術…っ!!」 一人、別れも告げずに山を去る少年と共に、今再び青い狼が戦場へと舞い戻る。 果たして彼が行くのは英雄の道か、それとも修羅の道か。 しかし、柊ならば大丈夫だろう。彼には仲間が、あの頃のナイフのような鋭い少年を変えることのできる人物がいるのだから。 共に戦えずとも、志を同じくすることはできる。またひとつ大きくなった弟子の背にそんな感情を抱きながら、かつて勇者と呼ばれていた女性は拳を託す。 せめて見守ろう。子から親へ、師から弟子へ、勇者から次の勇者へと受け継がれる重さに潰されることのないよう。 どうか、すべての生命が明日への希望と共に生きられますように…。 |