「風雅流…、召忍獣之術っ!」
 陽平の手にした獣王式フウガクナイの柄尻を中心に、幾重もの蒼い閃光が走る。
 蒼い、それでいて澄んだ光は、雨雲の隙間から差す陽光のようであった。
 苦し紛れに忍巨兵…、いや忍獣を召喚しようというのだろうが、僅かに遅い。
 釧の怒りは狂気となり、黄金の角はバーニアによって加速する腐獣王と共に、一筋の光になる。
一閃…っ!!
 激しい回転を続ける角が光の渦を生み、渦は螺旋を描く槍となる。
 蒼い光を掻い潜り、槍は釧の咆哮と共に、眼下に立ち尽くす少年と少女を目掛け、なんのためらいもなく振り下ろされる。
螺旋金剛角っ…!!!
 刹那、切っ先に触れた固い感触に、釧は顔を強張らせる。
 それは、光よりも早かったのかもしれない。
 突如として現れた蒼い双頭竜は、よりにもよって一番速度の乗った状態の螺旋金剛角を、あろうことか、その巨大な顎によってしっかりと受け止めたのだ。
 予想を遥かに上回るパワーを持つ竜を相手に舌打ちすると、釧は振り払おうと右腕を引き戻すが…
「な…、なんだと!?」
 腐獣王が完全にパワー負けしているのか、引き戻そうにも竜に噛み付かれた角はピクリとも動かず、終いにはその激しい回転さえも止められてしまう。
 信じられない光景だった。
 竜は空いた頭で腐獣王を強打すると、ぐらりと体勢の崩れたところを鞭のようにしなる尻尾で容易く弾き飛ばしてしまう。
 忍獣でこのパワーだ。忍者が乗り込むことで忍巨兵となったときのパワーは、想像に難い。
「こいつは…」
 目を大きく開けて驚く陽平に、竜はどこか優しい眼差しで見下ろしてくる。
 陽平はこの目を知っている。これは、あの日出会った鋼の獅子と同じものだ。
「りゅうおう」
 不意に翡翠が口にした名は、獣王式フウガクナイを通じ、陽平にその真の名を教える。
竜王…、ヴァルガー
 蒼天の竜王ヴァルガー。それは紅の獣王と対をなす忍巨兵として生み出された新たな王。
 その瞳には獣王の意志を受け継ぎ、陽平という心を得ることで、その真の力を現すことができる。
 だが、このまま戦うには、あまりに翡翠が危険すぎる。
 共に竜王を見上げる翡翠を抱き上げ、陽平は残された力を振り絞って跳躍し、竜王の頭部に飛び乗ると、離脱の指示を与えてこの戦場を後にする。
 しかしどうしたことだろうか。先ほどまであれだけ動かなかったはずの身体が、嘘のようによく動く。
 竜王の登場に気力と共に体力まで蘇ったとでもいうのか、陽平は腕に抱いた翡翠に謝辞を告げ、見晴らしの良い場所に彼女を降ろす。
 ここならば恐らく雅夫が見つけてくれるはず。などと思っていれば案の定、向こうからやってくる琥珀の忍獣に、雅夫も同行しているようだ。
 翡翠を頼む。視線でそう投げかけた陽平に、雅夫は珍しく驚いた表情を浮かべるが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ると、了承と、激励の意を込めてひとつだけ頷いた。
 このとき、陽平は気付いていなかったが、実際の雅夫との距離は、とても目視で判別できるような距離ではなかった。
 望めば離れ、忘れた頃にはすぐ近くにある。やはり鬼眼とは、気紛れな猫のような存在だと思わざるを得ない。
「ようへい」
「待ってろ、俺がすぐに……翡翠を笑顔にしてやる!」
 翡翠と新たな約束を交わし、陽平は再び竜王の頭に飛び移る。
「行くぜヴァルガー!! 光海と、釧の馬鹿を助けにいく!!!」
 竜の咆哮が空を裂き、光の翼を広げて飛び去っていく竜王の背に、翡翠は知らず知らずの内に涙を流していた。
 陽平は光海と、そして釧を助けると言った。釧を、あの禍々しい力から解き放ち、復讐という争いの連鎖から解き放ってくれると。
 陽平は、翡翠が望むことを口に出さずともわかってくれている。それが翡翠の忍者たる陽平であり、そして勇者忍者たる彼なのだろう。
 瞬く間に戦場へ戻った陽平は、建物の瓦礫を押し退け、溢れ出す力を抑えようともせずに立ち上がる腐獣王を空から見下ろした。
 話してわかる相手ではない。そんなことは百も承知だ。
「風雅……陽平!!」
 視線だけで射抜かれてしまいそうな釧の殺気をビリビリと肌で感じながら、陽平は涼しい顔で釧を睨み返す。
 やはり他に方法は思い付かない。釧を止めるには、カオスフウガを破壊するしか方法はない。
「釧、見せてやるよ。俺の……風雅の新しい力をなっ!!」
 獣王式フウガクナイを手にした陽平は、高々と跳躍すると、竜王の勾玉を発動させる。
竜王変化っ!!
 勾玉から放たれる光が蒼天を包み込み、双頭の竜は巨大な忍巨兵へと姿を変える。
 両肩に双頭の竜を携え、人型の頭部の額にある掛け軸がくるくると素早く巻き上がる。
心転身之術っ!
 陽平が隠し穴を通り抜け、掛け軸ごと額が反転することで現れる水晶に風雅の印が浮かび上がる。
 クロスフウガに良く似た顔は、牙のような装飾が施されたフェイスマスクで覆われ、ここに竜の忍巨兵が咆哮【うぶごえ】をあげる。
竜王式忍者合体っ!! ヴァルっ!! フウっ!! ガぁああああっ!!!
 天を貫く蒼い竜巻が竜王を包み込み、竜巻に合わせて回転したヴァルフウガが、組み合わせた拳を突き出した。
「ヴァルフウガだと…!? ……ならば見せてみろ、その竜王とやらの力をっ!!」
 獅子の咆哮が大地を砕き、背中のバーニアが開き、腐獣王が竜王へと一気に間合いを詰める。
「ああ、たっぷりとなっ!!」
 竜の咆哮が空を裂き、背中の翼が扇状に開くことで広がる青白い光がフレアとなってヴァルフウガを凄まじい加速で押し出していく。
 互いの中心で拳と拳がぶつかり合い、広がる衝撃が二人を中心に、地面に擂り鉢状の陥没を生み出していく。
 だが、力の桁が違うのか、腐獣王の足下寄りに陥没が広がり、竜王の拳に押し返されるようにして腐獣王が吹っ飛ばされていく。
 だが、さすがはカオスフウガといったところか。すぐに体勢を立て直すと、切り離した翼を巧みに操り、その全ての切っ先を竜王へと向ける。
「パワーではそちらが上かっ! だが…」
 全ての絶岩が襲いかかり、竜王はその嵐のような刃の中を容易く潜り抜けていく。
「スピードならばこちらが──」
「そうでもねぇよ!!」
 不用意に懐へと飛び込んできた竜王に、カウンターで合わせようと右腕を突き出すが、陽平は身体を捌くことで巧みにかわし、おかえしとばかりに回し蹴りで腐獣王を吹っ飛ばす。
 信じられない性能だ。あの腐獣王を相手にしながら、竜王は互角以上…いや、圧倒的な性能差を見せつけている。
「これならばっ!!」
 絶岩を十字に組み替え、無数の巨大手裏剣を、全方位から所狭しと襲いかからせる。
 確かにこれでは逃げ場はない。
 だが陽平は、さして慌てるような様子もなく、足下に向けて拳を打ち付けると、土遁の印を組む。
土遁、四岩壁ぃ!!
 打ち付けた拳に合わせて、岩の壁が竜王の四方を覆うように立ち上がる。
 陽平の目論見通り、壁は刃を遮るピラミッドのように竜王を覆い尽くすが、絶岩はその名の如く、岩の壁を容易く断ち切っていく。
 それほどの切れ味だ。中に潜んだ竜王がどうなったかなど、もはや想像するまでもない。
 だが、これで終わるには、あまりに呆気なさすぎる。
 もしやと釧が警戒した瞬間、腐獣王の背後で地面が砂埃を巻き上げて爆発した。
 なるほど。壁に隠れたと見せかけて、本命は地中を移動しての奇襲。しかし、その程度で釧の裏をかくことはできない。
 竜王が飛び出すタイミングを見計らい、砂埃もろともスパイラルホーンで打ち貫いていく。
 僅かな抵抗を感じたが、黄金の角はその抵抗さえも容易く貫き、砂埃に隠れた相手を串刺しにする。
 手応えはあった。だが、霧が晴れるように開ける視界に、釧は驚愕の表情を浮かべる。
 スパイラルホーンで刺し貫いたはずのものは竜王ではなく、先ほど土遁で作り上げられたものと同じ岩の壁であった。
 では、竜王はいったいどこに。
 僅かに動いた気配に振り返れば、切り崩した四岩壁の隙間を縫って、二つのなにかが飛び出してくる。
 咄嗟に絶刀を引き抜き、襲いくるなにかを弾き飛ばし、釧は目の前の瓦礫を怪訝な瞳で睨み付ける。
 今のは、高速で回転する小型の卍手裏剣だった。
 獣王の裂岩に該当するそれは、破壊力よりも速射性に優れているらしい。
 名は、蒼裂【そうれつ】という、竜王の両肩に装備された武器のひとつだ。
 おかしい。妙なことに、蒼裂に続く攻撃がない。
 あそこまでが囮だということは読めていたが、本命の攻撃が一向にこないというのはどうしたことか。
 よもや、絶岩に当たって動けないなどという間抜けな話ではあるまい。
 陽平の攻撃を警戒し、周囲の気配を慎重に探っていくが、釧の攻撃範囲内にそれらしい気配はない。
(キサマのことだ。逃げ出したわけではあるまい…)
 刹那、頭上に現れた気配に、釧は素早くスパイラルホーンを向ける。
 やはりいた。空中で握り締めた拳を腰溜めに、自由落下で落ちてくる陽平は、竜王に組み込まれた、他の忍巨兵にはない能力を発動させる。
火遁煌っ!【かとんこう】」
 遁煌。それは、竜王の両手足に組み込まれた新しい能力デバイスである。
 これは、術の発動に必要な印を組む≠ネどの予備動作を必要とせずに、あらかじめ蓄えられた巫力で任意の術を発動させることができるのだ。
 そのため、術を攻撃に併用して戦うというスタイルを確立した陽平にとって、遁煌は、これ以上ない超兵器となった。
ファングっ、ナパァァムっ!!!
 火遁煌によって燃え上がる腕を腰溜めに、竜王は明らかに四肢の届かぬ位置から拳を突き出す。
 釧とて、よもや夢にも思うまい。
 忍巨兵でありながら、明らかに格闘用に調整された竜王は、腕を振るうことで肘から下をロケットのように発射したのだ。
 錐揉みしながら腐獣王に直撃した拳は、インパクトの瞬間に火遁煌によって溜め込んだ炎のエネルギーを爆発させ、文字通り腐獣王を爆炎で包み込む。
「ぐぁああっ!!」
 腐獣王を易々とぶっ飛ばし、更には腐王のパーツの一部を完全に破壊してしまうほどの威力に、陽平は冗談じゃないとばかりに、戻ってきた腕に触れる。
 一歩加減を間違えれば、これは忍巨兵を破壊するだけでは飽き足らず、中の人間までも死に追いやるやもしれない。
「なんてモンつけてンだよ…」
 腕を擦り、火遁煌で痺れた腕に目を落とした瞬間、陽平は背中に悪寒が走るのを感じた。
「これって…」
 腕に走るヒビは、竜王の装甲が火遁煌に耐えられなかったことを示している。
 未完成。そんな言葉が脳裏をよぎり、陽平の顔は一瞬にして蒼ざめた。
 もし、全力で火遁煌を使用していれば、放った右腕がこうして戻ることはなかっただろう。
 心転身之術で心を移してた状態で身体の一部を失えば、そのダメージは今までの比ではない。
(だめだ。火遁は使えねぇ…)
 術の中でも、火遁と雷遁の破壊力は群を抜いている。そして、その反動はまた凄まじいものとなるだろう。
(どうする…!?)
 そんな陽平のためらいは、釧が立ち上がるには十分すぎる間であった。
「くっ……!」
 決して小さなダメージではなかったはずだ。それでも彼を立ち上がらせたのは、本当にただの復讐心なのだろうか。
 背負うなにかのために、倒れることは許されない。自身の目的を成し遂げるために、あえて修羅となったとすれば、それはいつか陽平に訪れるかもしれない未来の姿でもある。
「風雅陽平…いや、竜王ヴァルフウガ。キサマは確かに強い…」
 それは、自分自身にわからせるために口にした言葉だ。
「だが…、だがな!」
 釧の力がそのまま回転力に影響されるかのよつに、握り締めた拳に合わせてスパイラルホーンがより激しさを増していく。
「キサマがどれほど強かろうと、ガーナ・オーダがどれほど強大だろうとも!! 俺には成すと決めたことがある…」
 左反面を覆う銀の仮面。これは、釧に刻まれた決意の証。
 たとえ自分の手が、拭い切れないほどの業に潰されることになっても、成し遂げると決めたのだ。あの、故郷が滅びたその日に。
 釧の言葉に、陽平はぎりっ、と唇を噛み締める。
 認めない。今の釧だけは認めるわけにはいかない。
 突き出した両手を組み、照準をつけるように拳の矛先を腐獣王へと向ける。
「ならよ、俺には守らなきゃならねぇ…いや、守りたいものがあるんだっ!! 大切な人を自身で殺めてまで成さなきゃならねぇ大義なんざ俺には必要ねぇっ!!!」
 両手で風遁煌を発動させ、さらには自身の風遁を上掛けするかのように全身に風、竜巻を纏う。
 対して腐獣王は、今までのどのときよりも激しく、そして神々しい光の渦に包まれていく。
 周囲の瓦礫は瓦解し、二人を中心に台風にも似た力場が発生する。
 互いに譲れないものがある。
 それは、互いに間違っているのかもしれなくて、そうだとわかっていながらも成し遂げると決意した心がある。
 だからこそ…
「「だからこそ!! 俺がお前(キサマ)を倒すっ!!!!」」
 膨れ上がる力が、互いの咆哮によって爆発する。
 激突するのは、両者の掲げる力と心。
「我が穿角によって、今一度滅びよ!! 一閃!!螺旋金剛角っ!!!
 腐獣王カオスケラードストライカーの渦が、釧の決意が全てを貫く一筋の槍となる。
 それは、何者にも阻むことはできない鋼鉄の意志。
「吠えろ! 風遁煌陣…!!
 扇状に展開した翼が生み出す光の翼はクロスフウガを思わせるシルエットを作り出し、全身を覆う竜巻が、組み合わされた拳から放たれていく。
 竜巻とは、名の示す通り正しく竜王の牙。
 唸りをあげてぶつかる黄金の槍と蒼い竜巻に、竜王の足場が擂鉢状に陥没する。
 一瞬、竜王が競り負けたかと思われたその瞬間、陽平は全身を覆う竜巻を利用することで、組み合わせた両腕をドリルのように回転させ、ロケットのように発射する。
 凄まじい爆音と共に撃ち出された拳に、意表を突かれた釧は、驚愕に両の眼を大きく見開いた。

*≪カーソルを合わせると絵が変わります≫*

ヴァルファング・インフィニットぉっ!!!!
 竜王を取り巻く風が竜の頭を象り、撃ち出された拳は竜の顎から放たれる業火のごとく腐獣王に襲いかかる。
 咄嗟に、迫る拳をスパイラルホーンで迎撃をしようと腕を動かすが、先の竜巻が釧の自由を奪う鎖のように四肢に纏わりつく。
(ばかな…!?)
 これら一連の技を、全て計算に入れて使用したというのなら、陽平は釧の想像を遥かに上回るスピードで成長していることになる。
 それだけの覚悟が、そして約束という名の絆が陽平を確実に強くした。
「これが…」
 これが敗北か。そして、それを肯定するかのように腐獣王の額を撃ち抜いていく拳に、釧は世界が白く染まっていくのを感じた。
「さらばだ、風雅陽平…」
 それが最期の言葉であるというかのように、釧はそのまま意識を手放した。






 嵐と共に巻き上げられた砂埃は去り、全ての風が通り過ぎ去った後に残ったのは、腐王をはぎ取られ、額を抉り取られた黒衣の獣王と、組み合わせた拳を突き出したまま立ち尽くす竜王の姿であった。
 ぐらりと傾くカオスフウガに黙祷を捧げ、膝をついた音に唇を噛み締める。
 前のめりに倒れ伏した黒衣の獣王に歩み寄ると、陽平は謝罪の意を兼ねてカオスフウガの亡骸に跪いた。
 仕方なかったとはいえ、クロスフウガと同じ獣王を殺めた痛みは、陽平の胸をぎりぎりと締め付けていく。
 だが、構わない。こんな痛みなら甘んじて受けよう。それが、翡翠の笑顔に通じるなら、それは笑顔の代償なのだから。
 それに、この手の中の二人をようやく救い出すことができた。
 ゆっくりと手を開き、掌に乗せられた少女の姿を見ることで、陽平はやっと安堵の息を漏らすことができた。
 黒い巫女服に身を包み、頬にかかる髪が風に揺られてさらさらと流れていく。
 胸が上下しているのも、心臓の音も確認することができた。
「光海…、迎えにきたぜ」
 そんな呟きを口にすると、陽平は竜王との融合を解除する。
 竜王ではなく、風雅陽平として迎えにいかなくてはならない。それは、ずっと昔からの光海との約束なのだから。
 助けを求める声が聞こえていた。陽平を呼ぶ声が聞こえていた。それは、まるで想いを乗せて飛ぶ矢文のように、一言ずつ、確実に。
 竜王の額から飛び出した陽平は、影衣を脱ぎ捨てると掌で眠る光海へとゆっくりと歩み寄る。
 随分と待たせてしまった。あの日、光海とは約束があったはずだ。確か…、光海に一日付き合うという約束が。
 そして、最高の誕生日にすると口にした。
「最低の誕生日にしちまって…、ゴメンな」
 近付き、光海の側で膝をつくと、陽平は眠ったままの少女の上体をそっと抱き上げる。
「光海…、誕生日おめでとう」
 途端、光海の瞳から流れ落ちる涙に、陽平は今までにない、柔らかな、そして優しげな表情を浮かべた。
 その言葉が目覚めの合図であったかのように、光海はゆっくりと瞼を開いていく。
「ヨー…ヘ」
「お前な、俺はよ・う・へ・いだっていつも言って──」
 そんないつも通りのやりとりを口にしようとした瞬間、突然首に手を回して抱き付いてきた光海に、陽平は驚き顔のまま硬直した。
「ヨーヘー…」
「あ、ああ…」
 涙声で名を呼ぶ幼馴染みに、未だ困惑気味の陽平は、どこか上の空で返事を返す。

「ヨーヘーっ!」
「……光海、悪かったな」
 肩を濡らす光海の涙に、陽平は優しい手つきで長く艶やかな髪を撫でてやる。
 さらさらとした髪の柔らかさを楽しみながらも、無邪気に泣きじゃくる光海がどこか珍しくて、陽平は不思議と胸の内から込み上げてくる笑みを止めることができなかった。
 と言っても、ばかにしているとかそういうわけではなく、ただ、微笑ましかった。やっと取り返した、この腕の中の日常が。
 だからこそ、もう一度、改めて言ってやろう。
「光海……誕生日、おめでとう」
 そんな陽平の言葉に少し驚いた様子ではあったが、光海は満面の笑みで涙を拭うと、ただ一言、ありがとうといつもの笑みを返すのだった。






 あれから、風雅の里が竜王を回収にくることで、陽平と光海はようやく一息つくことができた。
 肩の荷がひとつ降りたような感覚に囚われたか、すぐに眠りに入ってしまったものの、陽平は肝心なことを忘れていたとばかりに飛び起きて、里中を徘徊しながら琥珀の姿を探していた。
 あのとき、陽平はヴァルファングインフィニットで間違いなく釧を確保したはずだったのだが、よくよく考えてみれば、手を開いたときには既にその姿は消えていた。
 光海とのこともあり、ついつい失念していたが、釧はいったいどこに行ってしまったのか。
 決して軽い怪我で済むはずがない。そんな身体で消えるというのは、些か考え難かったのだ。
 最奥部に位置する工場施設に足を踏み入れたとき、全ての照明が消えているのか、その暗さに陽平は怪訝そうに目を細めて施設内を見回した。
 目の前にそびえる巨大な影は、間違いなく竜王ヴァルガーだ。向こうには、鹿の姿で寝そべっている森王の姿もあるらしい。
 近付いて見てみれば、細かな傷までも修復が終わったのか、傷ひとつない忍巨兵たちの姿に、陽平はどこかホッとしていた。
 少し、忍巨兵たちのダメージに過敏になっている気もしたが、無理もない。忍巨兵とは道具ではなく、共に戦う仲間なのだ。心配するのは当然のこと。
 ふと、視界に入った一角に我が目を疑うようなものを見つけ、陽平は思わず駆け出していた。
 忍巨兵用のハンガーに寄り掛かるように座らされたそれは、つい先ほどまで陽平の竜王と刃を交えていた黒衣の忍巨兵。
「カオスフウガ…」
 その名を呟き、陽平はそっとその亡骸に手を触れる。
 刹那、脳裏に流れ込んでくるかのように浮かんでは消えていく映像に、陽平は驚きの声をあげた。
 それは、竜王の一撃によって破壊される瞬間のカオスフウガの記憶だった。
 もはや勝てぬ。それを悟ったかのように瞳を閉じる釧に、カオスフウガは自身の弱さを呪わずにはいられなかった。
 リードが滅びた日も、カオスフウガは戦った。だが、カオスフウガだけでは、ガーナ・オーダの武将たちを止めることはできなかった。
 そして今も、自らに力が足りないために、釧を、心をくれた友に土をつけようとしている。
 そんなことは許されない。釧はもう、負けることは許されないのだから。
 だからどうか、未だこの地のどこかに眠る忍巨兵よ。どうか頼む。かの皇に最強無敵の力を、何者をも屠る、偉大な力を与えたまえ。
 ワタシは残された全ての力を使い、友を遠く奴等の手の届かぬ場所へと逃がしてみせる。
 釧、ワタシは常にキミと在る。約束だ…。
 そこで途切れるイメージに、陽平は息をのんだままカオスフウガに触れていた手を握り締めた。
 やはり同じだった。カオスフウガもまた、クロスフウガと同じく風雅の忍巨兵であった。友と生死を分かち、主の願いを叶えるために死力を尽くす。
 釧も、カオスフウガも、陽平たちとなにも変わらないはずなのに。
「なんで俺たち、一緒に戦えねぇンだよ」
 陽平は思う。クロスフウガとカオスフウガが、肩を並べて共に戦うその日の光景を。
 これほど正確な光景を想像できるのだ。それは決してありえないことではないはずだ。
 そう遠くない未来、きっとそれは実現するはずだ。陽平たちがそう願う限り、必ず。
「釧は生きてる。だから必ず…」
 命を落とした黒白の獣王に、陽平は改めて誓う。
「見ていてくれ。竜王と、そして仲間たちと必ず、俺は翡翠を守り抜いてみせる」






 いつからそこにいたのか、そんな陽平の背中を見守る琥珀は、安堵の笑みを浮かべると、手にした二つの曇った勾玉を大切に握り締め、再び音もなく去っていくのだった。












<次回予告>