時間は少し遡り、場所は時非高校弓道場。
 まだ登校には少し早めという時間帯であるにも関わらず、ここにはすでに桔梗光海の姿が在った。
 傍目から見れば、ソワソワとして落ち着かない。そんな様子を見せながら、光海は朝から自分を呼び出した張本人が来るのを、ここ弓道場で待っていた。
 なんでも、折り入ってどうしても話したい大切な用件があるとのことだが、電話越しに聞こえた相手──親友の椎名咲の声は、どこかいつもと違うように感じられた。
「……咲」
 ようやく主が現れたことに、光海は安堵の息を漏らす。もっとも、まだ姿の見えない相手を認識している辺り、光海の巫女としての能力も夏の修行で無事開花したようだ。
 そっと戸を開き、どこか躊躇するように中に入ってきた咲の目が腫れていることに、光海はすぐに気付くことができた。なにかがあったことを瞬時に悟った光海は、咲に歩み寄ると小声で「大丈夫?」とだけ尋ねる。
「うん。ごめん、光海…」
「気にしないで。それよりも……なにかあったの?」
 本気で自分を心配している光海の表情に、咲はもう一度だけ「ごめん」と呟いた。
「私ね、今朝光海と会う前に陽平くんと会ってたの」
 陽平の名が出たことに、光海の心臓が大きく動揺する。それに今、咲は風雅くん≠ナはなく陽平くん≠ニ呼んだ。それがなにを意味するものなのか、光海は考えることが恐ろしかった。
「咲…」
「私ね、彼に告白したよ。貴方が好きです≠チて」
「──っ!?」
 突然の告白に、光海の肩がビクンッ、と跳ね上がる。視線は定まらず、耳に残る咲の言葉が幾度となく頭で繰り返される。
 告白? 誰が? 咲が? 陽平に? そんな疑問の連鎖がぐるぐると渦巻いていく。
「でもね…」
 途端、親友の顔で笑い出す咲は、濡れた跡の残る頬を再び涙で濡らしていく。
「答えなんか聞かなくたって、初めからわかってた。私じゃ陽平くんの恋人にはなれないってことくらい」
 笑っていた。それでも咲は、親友の顔で笑っていた。親友だから。選ばれたのは自分ではなかったから。光海を利用して陽平に近付いたくせに、更に近付く勇気がなかったから。一世一代の告白? 違う。今の二人を見て、諦める決心がついただけだ。あくまで親友として、純粋に二人の力になろうと決めたから。
「光海、親友として……あと、それから元ライバルとしてお願いがあるの。聞いてくれる?」
 咲の問い掛けに、光海は小さく頷く。
「陽平くんに、好きです≠チて言って。二人の間になにがあったかなんてわからないけど、きっとそれが二人の当たり前……だ…から…」
 次から次に溢れ出して来る涙が、大切な言葉を紡ぐ邪魔をする。きっとこれが、初恋の最後の抵抗。しかし、それさえも噛み砕いて、咲は言葉を続ける。
「陽平くん、きっと光海のこと好きだよ。私が保証する」
 咲の涙が、決意が、後悔が、優しさが、一度に伝わってくる。それを受け止めなければならないはずなのに、親友なのに、光海はどうしても最後の一歩が踏み出せずにいた。
 こんな光海だと知っているからこそ、咲は最後のひと押しをすると決めていたのだ。
「光海」
 戸惑う光海に両腕を回し、咲は力一杯親友を抱き締める。
「私の恋心をあげる」
「でも…!」
「私たち二人分の好き≠ェあれば、誰にも負けたりしない。それに、光海なら大丈夫。だって…」
 咲の言葉が聞きたい。そんな想いで顔を上げた光海は、親友の顔が数多の意を持つ涙でぐしゃぐしゃになっていることにようやく気がついた。
「だって……ね、光海は私の…親友だから。だ……から…」
 徐に抱き付いてきた咲に驚きながらも、親友のくれた勇気と優しさに光海もまた涙する。
「ごめん…ごめんなさい。これっきりだから……一度だけだから。自分のために泣かせて…」
「私こそ……ごめんね、咲。本当にごめんなさい。それと……ありがとう、心友【しんゆう】」
 二人の少女が泣きじゃくる声が無人の弓道場に響き渡る。
 これが初恋に破れ、親友であることを選んだ少女と、そんな少女に想いを託された少女の、共に流した最初の涙であった。






 新手の忍邪兵目掛けて疾走する陽平は、一瞬で影衣を纏うと更にその速度を上げていく。
 手にした獣王式フウガクナイを振り上げ、柄尻にはめ込まれた蒼い勾玉の力を解放する。
「風雅流、召忍獣之術ッ!!」
 陽平を追い抜くように空を引き裂いて現れた蒼天の竜王は、人型になると同時にシャドウフウガと同化。翼を広げて舞い上がった。
 眼下で蠢く謎の忍邪兵に、竜王ヴァルフウガは後腰部から忍者刀──蒼天之牙【そうてんのきば】を抜き放ち、油断なくその特異な身体を凝視する。
 どことなく邪装兵にも似た装甲がいくつも重なって見える。中には鉄武将ギオルネの愛機ソードブレイカーに酷似した頭部も混じっているらしく、これが邪装兵の複合体であることを容易に悟らせる。
「こいつは、邪装兵を無理矢理忍邪兵化させたのかよ…!」
 驚愕に陽平が両の目を見開いた瞬間、合体邪装兵の一部から伸びた触手のような無数の鎖鎌が、竜王目掛けて乱れ飛ぶ。
 巧みな動きで大半の攻撃をかわし、蒼天之牙が絡み付く鎖をまとめて引き裂いていく。
 避けても斬ってもキリのない鎖鎌に、竜王は両肩の突起──蒼裂を、正確に鎖の射出点に撃ち込んでいく。
 根元を絶たれたことで、鎖は重力に従って落下していく。
「こんなやつ、さっさとキメちまうに限るぜ…!」
 蒼天之牙を納め、両拳に埋め込まれた遁煌を発動すると、あらかじめ溜め込まれた巫力が周囲の風を支配していく。拳を組み、溢れ出す風の巫力を竜巻に変えて撃ち放つ。
風遁煌陣…ッ!!
 激しい風の渦は、束縛となって複合忍邪兵の自由を奪う。
「食らいやがれッ!! ヴァルファングインフィニットォッ!!!!
 勢い良く撃ち出された両拳が、竜の顎【あぎと】となって忍邪兵に突き刺さる。
 だが、牙がぶつかった瞬間鈍い衝撃を感じた陽平は、すぐ拳を引き戻し、腕に走るヒビに驚愕の表情を浮かべた。
 もしも心転身之術で完全に一体化していたならば、今頃腕は竜王の腕と同様にズタズタになっていただろう。
「こいつ…、メチャクチャ硬ぇッ!?」
 邪装兵をいくつも複合させたことが功を奏したといったところか。飛躍的に上昇した装甲は、既に忍巨兵単機で突破できるレベルを超えている。
 すぐに頭が次の武器を選ぶが、いかんせん風遁煌陣で突破できない装甲となると、他の武装が通じるとは到底考えられない。
 では、技ならどうか。速度と変化がウリの疾風斬りは、分厚い装甲を抜くには不向きだし、覚えたばかりの風牙バリエーション、穿牙も拳がこのざまでは効果は期待できそうもない。
「やっぱりコウガやセンガがいねぇと、アレを突破できねぇ…!!」
 忌々しいとばかりに陽平が舌打ちした瞬間、丁度良いタイミングとばかりに緑の光が地上から弧を描いて戦場に突き刺さる。
 大樹が生えるか如く枝別れしながら巨大化していく緑の光は、深緑の忍巨兵、森王コウガの姿を形作る。
「竜王、加勢します!!」
「ありがてぇ! じゃあさっそく頼むぜッ!!」
「御意。姫、竜王に合体します。準備をお願いします」
 突然ではなかったはずなのだが、心ここに在らずといった状態の光海が、話を振られて慌てないはずがない。
 森王之祝弓を構え、ガラスのように透き通った巫力の弦を引き絞ると、そこに術を込められた巫力の矢を番える。
「風雅流、武装──」
「姫、それはセンキを召喚する矢です」
 術を遮るように口を挟んだ森王の言葉に、光海は慌てた様子で手元を確認する。
「あ…、ごめん。もう一度! 風雅流、武装巨兵之術っ!!」
 慌てて新たな矢を番える光海は、今度こそはと光の矢を放つ。
 巫力の矢を受け、森王は人型から武装へと姿を変えると、竜王の背中に…
「待て光海っ! タイミングが早すぎるっ!!」
 陽平の制止も虚しく、バスターアーチェリーは合体というよりも体当たりに近い勢いで背中にぶつかり、竜王を前のめりに吹っ飛ばした。
「きゃあっ!!」
「クソッ! これならどぉだよッ!!!」
 半ば自棄に近い状態でバスターアーチェリーの左右にある角を掴むと、竜王は背面に装備するのではなく、抱えたままの森王を振りかぶり、忍邪兵相手に銃口を突き付ける。
「光海っ! コウガッ! 撃てぇッ!!」
「御意ッ! 姫、今です!!」
必中奥義、光矢一点っ!!
 光海の弓矢に連動して放たれる森王の矢が、激しい砲撃となって忍邪兵に突き刺さる。
 一瞬の間を置いて爆ぜる力に顔をしかめながらも、竜王は余波を避けるように爆発との距離を置く。
「やったか…!」
 それにしても、力加減が上手くいっていないのか、今日の光矢一点はいつもより規模が大きく感じられる。
 爆発の余波が忍邪兵のみならず、周囲の建物まで破壊しているところを見ると、どちらが破壊者かわかったものではない。
(強くは言えねぇけど、やっぱり言った方がいいよな)
 そんなことを考えながら抱えたままのバスターアーチェリーに視線を落とした瞬間、爆発の中から飛び出した無数の槍が、我先にとばかりに次々と竜王に切っ先を伸ばしてくる。
「くそッ! 効いてねぇのかよ!?」
 冗談ではないと吐き捨てる陽平は、忍邪兵の足下にあるクレーターの中心が逸れているのに気付いた瞬間、光海の精神状態があからさまに不安定であることに気がついた。
「離れろ、光海っ!」
 森王を放り投げ、引き抜いた蒼天之牙で槍の群れを一閃する。
 動物型ではないために攻撃は単調だが、その防御を突破しないことには負けもしないが勝てもしない。
 襲い来る槍の群れを紙一重でかわしながら急接近すると、風遁煌をゼロ距離で打ち込んでみる。
 風を跳ね返し、拳を弾き返す忍邪兵の装甲に舌を巻きながらも、陽平は痛む拳を庇うように距離を置く。
(どうすりゃ……どうすりゃいい)
 この調子では、鎧の一枚や二枚を破ったところでダメージらしいダメージは与えられない。
 完全に手詰まりだ。そんなことを考えたとき、ふと脳裏を過ぎるのは椿の言葉であった。
 強力な兵器を持つが故に、一刻も早く捕まえねばならない逃げ出した忍巨兵。
「天馬の忍巨兵。あいつならもしかして…」
 だが、そこで足を止めたのはあまりに無謀であった。複合忍邪兵が構えた弓矢が竜王に狙いを定め、すでに大きく引き絞られている。
「しまったッ!?」
 咄嗟に回避行動を取るが到底間に合わない。
 忍邪兵の矢は、放たれた瞬間小さな無数の矢に分かれると、竜王を蜂の巣にするほどの勢いで襲いかかってくる。
 避けるタイミングが悪いことに加え、広範囲に撃たれては防御のしようがない。
 幾らか食らう覚悟で急所だけを庇い、襲い来る衝撃に身構えた瞬間、全ての矢が上方からの突風によって、一つ残らず薙払われていく。
 風だけに風魔の忍巨兵、双王ラグナフウガかと思われた次の瞬間、風に乗って急降下した純白の天馬は、その大きな翼で忍邪兵を払い除けると、徐に竜王の隣りに舞い降りた。
「お前……なんで?」
「ボクはオマエがどーなったって関係ないって言ったんだ。だけどメノーが行けっていうから仕方なく来てやったんだ」
 子供染みた言い分はともかく、瑪瑙が行けと言ったというところには大層驚いた。
 顔も見たくないほどに嫌われていたと思ったが、どうやら仲良くできる可能性がないわけでもないらしい。
「とにかく助かったぜ。ありがとな、天城」
 だが、そこまで言ってからようやく気がついた自分があまりに情けなくて、そのまま両目を覆うように額に左手を叩き付ける。
 陽平は今、瑪瑙に自分が竜王であることを明かしてしまったのだ。カマをかけられた。そう思ったとき、すでに真実は明るみになっていた。
「え〜…とだな」
 思わず次の行動に悩んだ陽平に、瑪瑙は大して気にした様子もなくちらりと視線だけを動かしてくる。
「今更です。それに、知っていましたから」
 淡々と語る瑪瑙に圧倒されたように頷く陽平は、調子が狂うと頭を掻き毟る。
「きますよ」
 呟くような瑪瑙の言葉に、竜王と天馬の忍巨兵が同時に飛び退く。
「…変化」
 どこか嫌々に聞こえる指示を出す。
 瑪瑙の言葉に天馬が駆け上がり、森王や輝王、戦王と同様の変形機構を以て人型へと変わる。
 背中に大翼のバックパックを装着すると、自らの手でフェイスマスクをはめ込み、額の水晶に風雅の印を灯す。
天王忍者ッサイガッ!!
 天王サイガ。あまりにも戦王に似たその姿に、陽平は何事かと我が目を疑う。
 いや、これは似ているというレベルの問題ではなく、むしろ同一と考える方が自然だ。違いといえば、黒っぽいカラーリングだった戦王に対し、天王は純白であり、天馬ゆえに翼を持っているということ。
(こいつはいったい…)
 陽平がそんな疑問に黙り込んでいる間に、天王は持ち前の機動力から瞬く間に忍邪兵に接近すると、組み合わせた拳をゴルフスイングのように振り上げ、忍邪兵の巨体を吹っ飛ばしていく。
「召忍獣……白音【しらね】=v
 莫大な巫力の解放と共に、瑪瑙が水晶之笛を奏でる。
 風に乗って響き渡る音色は、ここら一帯の感情を平静に戻し、一瞬だけ静かな朝を思わせる空気を作り出す。
 そして舞い降りる白い小さな鳥の忍獣。もっとも小さいとはいえ、それは忍巨兵と比較したサイズであり、実際は忍巨兵の頭ほどのサイズがあるわけなのだが、それが翼を広げて天王の差し出した腕に止まる姿はさながら猛禽類のようでもある。いや、実際隼型なのだから猛禽類には違いない。
「武装…」
 腕に止まった白音を飛び上がらせると、背中の翼で身体を覆い、頭にはパーツに分解した白音が羽飾りの冠となって装着され、フェイスマスクが外される。両手に白音の翼が変形した扇を掴み、舞子のようにふわりと舞ってみせる。
天王之舞手サイガ…
「一曲……どうですか」
 水晶之笛を二つの扇──恋舞【れんぶ】に持ち替えれば、瑪瑙が巫女舞の衣装へと姿を変える。
 今の一撃で天王を敵と認識したのか、竜王に向けて放たれたものと同様の矢が天王之舞手に向けられる。
 微動だにしない天王に、思わず陽平は駆け出しそうになるものの、これは瑪瑙と天王の力を見極めるチャンスとばかりにその様子を達観する。
風雅流戦舞…
 恋舞を構え、瑪瑙の手が流れる風を掬い取るように動いていく。
 だが、動きよりもまず気にすべきところは、瑪瑙が口にした風雅流≠フ三文字。
(天城は風雅の関係者だったのか…!)
 陽平の見ている前で舞い踊る瑪瑙と天王は、両手の恋舞を翼のようにしならせながら襲いかかる矢を往なしていく。いや、矢は往なされているわけではなく、天王の生み出した空気の流れに捕まり、その動きを支配されたのだ。
…向風【むかいかぜ】」
 やや強く振り抜いた手に合わせて、全ての矢が一斉に回れ右をすると、矢は放った本人である忍邪兵に吸い込まれるように襲いかかっていく。
 なんということだ。あれだけの数の矢を全て触れることなく跳ね返すなど、ただの女子高生が使える技ではない。
 陽平の視線に気がついたのか、無表情のままその場で振り返った瑪瑙は、恋舞を手放すと再び水晶之笛を手に、竜王の左手を指差した。
「な、なんだよ!?」
 まさか左手を落とそうなどと言うわけでもあるまい。
 だが、そんな予想に反して笛に口付けた瑪瑙は、自然と心に沁みてくるような音を奏でていく。
 音は天王に施された封印を砕き、その戒めと共に天王に与えられた最強の武器を解き放つ。
「風雅流……武装巨兵之術」
 術を受け、天馬に姿を変えた天王は、翼を切り離し、尾を引き抜いてできた長い柄と合体させる。柄の先端についた二枚の翼を閉じるように組み合わせ、巨大な団扇を作り出す。
 馬の足を折り曲げて収納し、縦に割れた身体に馬頭が頭を垂れるように収納され、代わりに出てきた巨大な拳が徐に開かれる。
 天拳【てんけん】。強大かつ危険な武器を使用する際、使用者を守るために特殊なフィールドを生み出す左腕。
 竜王の左腕に覆い被さる天拳は、白翼の団扇──天翼扇【てんよくせん】を手にすると、竜王の遁煌と同調して自動的に暴竜の姿に変身させる。
「なんてパワーだ…! 抑えきれねぇ!?」
 暴竜。話には聞いていたが、よもやこれほどとは思わなかった。このまま力の暴走が続けば、竜王も陽平自身も五分と持たないかもしれない。
 そんな心配が杞憂であると言わんばかりに、冠となった白音を竜王の頭部に装着すると、忍獣を通じて瑪瑙が竜王へと移り込む。
「…お邪魔します」
 ふわりと舞い降りる瑪瑙に、呆気に取られながら、陽平は白音によって竜王の暴走が抑制されていることに気がついた。
 力が制御されると同時にフェイスマスクを閉じ、吹き荒れる炎は逆巻く風へと変わっていく。
「…準備ができました」
 相変わらず意図は読めないものの、力を貸してくれたということだけは理解できる。忍器を通じて流れ込む天王の情報に驚かされながらも、その力を奮うことに僅かな戸惑いを感じる。
(こんな危ねぇもの、俺に使いこなせるのかよ…)
 しかし、迷いは一瞬。恐れや疑いは振り払い、次の瞬間にはありったけの力と勇気で天翼扇を振りかざす。
天王式大扇合体ッヴァルフウガ・ウィンザァードッ!!!
 風が、嵐が、竜王を中心に爆発する。
 瑪瑙の奏でる笛が風と力をコントロールする。陽平の力が天翼扇を振りかぶる。そんな二人の意思がひとつになったとき、天翼扇は絶対的な破壊力を発揮する。
天翼扇ッ!! 天間風波【てんげんふうば】ぁぁッ!!!
 気合一閃。天翼扇によって扇がれた風は、対象に与えられた時間を流す=B
ゆえにそれが物質である限り、天翼扇による風を受けたものは、その生涯を終え、砂塵となって消えていく。
 瑪瑙が風を操ることで、忍邪兵を取り巻く竜巻を作り出し、被害を最小限に抑えるものの、その脅威的な力の前に陽平自身が背筋を貫くような恐怖を感じずにはいられなかった。
 砂のように粉々になって消えていく忍邪兵を目で追いながら、陽平は感じていた。
(こいつは……おいそれと使っちゃいけねぇ力なんだ)
 手にした天翼扇の柄を握り締める。羽のように軽い武器なのに、なんと背負うものの重いことか。
 既に撤退したらしく、森王の姿がないことを確認した陽平は、竜王の肩から大量の蒸気を吹き出すと、霧に隠れるように竜王を撤退させていく。
(それにしても、今回の忍邪兵はなんだったンだよ…)
 大々的な破壊活動を行うわけでもなく、なにかを探しているというわけでもない。ましてや、翡翠を狙って動いていた様子でもなかった。
 そんな忍邪兵の様子を不気味に思いながらも、今は瑪瑙に対する疑問ばかりが陽平の口を開こうとしていた。






 結局、陽平は瑪瑙と共に時非海岸の一端に戻ってきた。
 あれだけの口論があったにも関わらず、手を貸してくれた瑪瑙の真意が知りたい。そんな風に思える自分に驚かされながらも、尋ねる言葉を遮る沈黙に居心地の悪さを感じる。
 尋ねたいこと、尋ねられるべきこと、本当はたくさんあるはずなのに、どちらも互いが口を開くことを望んでいる。
 そんな沈黙に先に耐えられなくなったのは陽平であった。
「あのさ……さっきは手ぇ貸してくれてありがとな」
 そんな言葉で誤魔化し、すぐに本題に入れないのは陽平の逃げだった。瑪瑙の持つ答えは、それだけ陽平にとって大きな意味を持つ。
 しかし、不意に脳裏を過ぎっていく好敵手の言葉が陽平をその場にとどまらせた。
 あのとき、陽平は逃げないと、逃げてやるものかと吠えたのだ。だからこそ、そんな自分を叱咤することで自らに釘を刺し、今一度口を開かせた。
「聞きてぇことがある。天城…、お前は浩介を……俺の親友を覚えてるのか?=v
 僅かな沈黙。しかし、瑪瑙は口を開く代わりに海岸の向こうに広がる海を振り返る。
「浩介はここから落ちました。わたしが……殺しました」
 今にも泣き出しそうなほどに悲痛な表情に、陽平の肩がビクリと跳ね上がる。
 彼女は今なんと言った。浩介を、陽平の親友を殺したのは瑪瑙だと、そう言ったのか?
 ありえないと思う反面、もしそうならという仮説を立て始める自分を恨めしく思う。
 脇を通り抜け、歩き去ってしまおうとする瑪瑙を、陽平はただ黙って見ているしかなかった。
 嘘をついているとは思えない。彼女についてなにを知っていると問われたところで、どれだけのことを答えられるだろうか。しかしそれでも、陽平には瑪瑙が浩介を殺したなどとはとても信じることができない。
 だから、丁度擦れ違う瞬間に陽平は口にしていた。
「俺は信じてる」
 瑪瑙の肩がビクリと跳ね上がる。彼女があからさまな動揺を見せるのはこれで二度目だ。
「天城が覚えててくれたおかげで、俺はあいつを幻にしなくていいンだ。だから天城も…!」
 陽平が瑪瑙を振り返り、瑪瑙はそんな陽平から逃げ出すように歩みを早めていく。
 逃げられると思ったか、それとも行ってほしくないと思ったのかなど、そんなことは自分にもわからない。だが、陽平は咄嗟に手を伸ばし、瑪瑙の左手を掴まえていた。
 刹那、再び世界が回転した。
 瑪瑙に投げられたと理解した瞬間、陽平は咄嗟に身体を捻って投げの流れから抜け出すと、なんとか着地しようと宙で体勢を立て直す。
「さすがにそう何度もなげられてたまるかよ…」
 どこか得意気に言いながらも、陽平は彼女の技量ではなく、風雅流戦舞を甘く見過ぎていた。
 風雅流の根底は技術と巫力の融合。故に技への対応に加えて術が持つ効果にも備えなければならないのだが、陽平は完全に術への対処を失念していたために、投げという流れを作り出す風によって文字通り足下を掬われた。
「な──ッ!?」
 体勢を立て直したところで再び崩されれば、後に残るのは転倒という回答のみ。それでもなんとか踏ん張ろうと足を地につけた瞬間、陽平は無様にも前のめりに転倒した。
「おわっ──!」
「ゃ──!」
 小さな悲鳴が上がると同時に、なにやら柔らかいものに全身で倒れ込む。どこか優しく感じられる南風のような匂いと、ぬいぐるみやクッションでは味わうことが適わないような程よい柔らかさに包まれた瞬間、陽平はいわゆるお約束%I展開に巻き込まれていた。
 違和感を覚えたのは二ヶ所。頬に触れる柔らかな感触と、掌が感じている柔らかな感触の二つ。
(こいつは……唇と……胸?)
 お世辞にも大きいとは言えない控え目な膨らみは、それでも健気に掌を押し返して自己主張しているようにも思えてくる。
「……っと」
「──ッ!!」
 刹那、パァ…ンッ! という乾いた音が鳴り、首がゴキンッ! と鳴ってしまうほどの衝撃が陽平の頬を叩いていく。
 思わず飛び退いた陽平は、ヒリヒリと痛む頬と首を擦り、瑪瑙は頬を紅潮させながら立ち上がると、胸元を隠すような仕草を見せる。
「わ、悪ぃ…。触ったりするつもりじゃなかったンだ」
 不覚にも彼女を押し倒した挙句、頬とはいえ唇に触れ、胸を触ってしまったことは事実だ。それでも、できれば首が折れ兼ねない威力で風牙まがいのビンタは勘弁してほしかった。
(今の、普通の人にやったら死んでたぞ…)
 ジト目で文句だけでも言ってやろうかと思ったが、瑪瑙が噛み付きかねない視線で睨んでいるためあえなく断念。
 とにかく弁解だけでもしておこうと手を伸した瞬間、瑪瑙は風に流される木の葉のように陽平の腕をすり抜けていく。
 手を伸しても届かない距離まで離れた瑪瑙は、どうしたことか歩みを止めると、最初のように目だけで振り返り、ありったけの怒りを込めて口を開く。
「今後…、貴方たちに力を貸すつもりはありません。だから…」
 背を向け、もはや目を向けるようなこともせずに、静かに、しかしハッキリとこう言った。
「わたしに……もう二度と関わらないで」
 釧とはタイプが違うものの、陽平に敵意を向ける者ということでは同じ冷たさを感じる。他者を遠ざけたことで生まれる孤独という冷たさ。だけど…
(だけどそれは、ちょっと寂しすぎやしねぇか……天城)
 人は独りじゃ生きていけないなどと大袈裟なことを言うつもりはないが、それでも独りになるのはやはり寂しいと思う。
 何者も寄せ付けない背中を見送りながら、陽平は今も近くに感じる親友を思い描く。
 彼は瑪瑙に、温かさを教えてやれたのだろうか。彼が瑪瑙を、独りにしてしまったのだろうか。
 彼の消えたこの世界で、陽平は思う。もしも星浩介という存在が、天城瑪瑙に強い影響を及ぼしているというのなら、やはり彼は間違いなくそこにいたのだ。
「お前も……そして天城も信じるぜ」
 小さくなっていく瑪瑙の背中に、一人故郷を追われてやってきた少女の姿が重なって見えた。
 守ってあげたい。
 いつの間にか、周囲の人間にそんな感情を抱くようになっていたと気付いたのは、完全に瑪瑙の姿が見えなくなってからだった。












<次回予告>