獣岬に移動した椿たちを待っていたのは意外な面々だった。
 葵日向と天城瑪瑙。二人がここにいたのはあくまで偶然で、そして追いかけてきた者と対峙することになったのも本当に偶然でしかなかった。
 いや、むしろここでなにかを待ち続けている瑪瑙にとっては、後から集まってきた者たちが騒ぎ立てるのは迷惑極まりないことでしかなかった。
 確かに、風と共に現れた女性には目を奪われた。その女性が女の自分から見ても遜色なく綺麗だったこともあるが、それよりも見知った人物を抱き抱えていたことの方が目を引きつけて放さなかった。
「琥珀さま? 違う、あれは……翡翠さま!?」
 状況を察するに、翡翠が狙われたためにこの女性──椿が翡翠を連れてひとけのない場所まで逃げてきたのだろう。と、いうことは次に来るのは……。
「「風雅流戦舞、茨【いばら】っ!」」
 問答無用で翡翠を狙ってくる鎖のような刃──連結刃に、咄嗟に立ちはだかった日向と瑪瑙が左右対称に同じ舞を披露する。
 大きく円を描き下から掬い上げるように振り上げた手が、大地から滲み出る巫力を掴み、水を汲み上げるように空へと巻き上げる。巫力は地面の奥に伸びる根を呼び覚まし、まさにいばらの如く二人を守る盾となる。
 巫力で強化された根が刃を跳ね返したことで、椿はようやく抱き抱えていた翡翠を安全に下ろすことができた。
 翡翠が怪我をしていないことに安堵しながらも、瑪瑙は自身が咄嗟に取った行動に、少なからず動揺の色を浮かべていた。
(また……)
 まただった。陽平のときと同じ。身体が勝手に動いていた。
「瑪瑙、ありがとう。私だけでは今の刃を止めることができなかった」
 わかっている。もし自分が協力しなければ、割って入った日向が翡翠に変わってバラバラにされていただろう。
「来ました」
 椿の言葉に顔を上げれば、猫のような姿をした女性が舌舐めずりしながら手にした連結刃をくるくると回している。
 この容姿と奇剣、なるほど。どうやら風魔の兄妹は確実に仕留められなかったというわけか。
 まったく関与していなかった瑪瑙はともかく、既に聞いていた椿と日向には、目の前の相手が一度倒された者であることを知っていた。
 鎧の双武将ガイ・レヴィト。楓を執拗なまでに追い回し、双王によって倒されたはずのガーナ・オーダ。
「んふふ。あのコはおらんけど全然負けてへんのがおるやんか」
 品定めをしているらしく、猫のような大きな瞳が何度も四人を行き来する。
 不快な視線だ。それを口にするのも憚られるほどに嫌悪感を感じる。
 どうやら瑪瑙にとって、レヴィトは生理的に受け付けないタイプらしい。
「念のために尋ねておきます。貴女の目的は……」
「そんなん決まってる。さっきからアンタが連れ回してるお姫さんが欲しいンや。……信長よか先にな」
 椿の問いに、さも当然といった様子で答えるレヴィトに、翡翠以外の三人が表情を変える。
 謀反を企てているというのか。しかし、この様子では嘘やでまかせの類いではあるまい。
「そうですか。しかし、ここで『はい、わかりました』と彼女を差し出しはしないということは、既におわかり頂けていますね」
 既に武器を手にしている椿や、翡翠を守るように立ちはだかる日向。そして迷いはあるものの、自らの立ち位置は把握している瑪瑙。既にこちらは臨戦態勢だ。
「ええよええよ。その方がおもろいやん! とくにアンタの目ぇ、ウチ気に入ったわぁ。絶対にウチのモンにしたる」
 指名された椿は「ご冗談を」とばかりに苦笑すると、一瞬で身に纏う空気を凍り付かせる。
「ぞくぞくするわぁ。めっちゃ感じさせたるし、ウチも楽しませてやッ!!」
 それを皮切りに、レヴィトの連結刃が生き物のように襲いかかる。
 日向が翡翠を庇いながら後ろへ飛び、椿が手裏剣を連結刃の繋ぎ目に打ち込む。
「風雅流戦舞、旋【つむじ】」
 打ち込まれた手裏剣によって、レヴィトの意思から隔離された連結刃の先端が、瑪瑙の舞いに巻き込まれるようにくるくると自らを巻き付けていく。
 鞭のような武器は、そのしなり′フに想像もつかないほどに幅広い攻撃範囲を持つ。だが、それはあくまで持ち主が振った勢いが先端まで届いた場合での話だ。力が先端に届く前に跳ね返せばこの通り。武器はその支配を失い、使い手は一瞬にせよ無防備となる。
「ばらばらにされても生きているんですから、多少の痛みは問題ないはずですよね」
 いつの間に踏み込んだのか、レヴィトの懐に入り込んだ椿は手にした刀で腕の腱を一閃。続けて喉を裂き、掌底で心臓の位置を強打する。
 のけ反り転がるように吹っ飛ぶレヴィトを冷ややかな目で追いながら、椿は刀についた体液を振り払う。
「四人中三人が対処方法を知っているんですから、当然の結果ですよね」
 忍者の戦いにおいて初手を読まれるというのは即、死を意味する。
 相手が強ければなおのこと、忍者は初手で仕留めることを考える。喉を裂いたのはそのためであり、腕の腱を断ったのは相手がこちらの想像を超えて化け物だった場合の保険だった。
 だが、想像以上に化け物だったらしい。何事もなかったかのように起き上がるレヴィトに、椿は訝しげな視線を向ける。
 再生する際になにかしらの力が働いた様子はなかった。核があり、それを中心に再生していたのかと思ったが、どうやら見当違いだったらしい。
「ウチを殺したいんやったら、切ったり打ったりじゃぁムリやで」
「ならこれでいかがですか?」
 椿の言葉に尋ね返す暇もなく、レヴィトの足下が爆発を繰り返す。どうやら今の一瞬で火薬まで仕込んでいたらしい。確かに、これで死ななければ文字通り不死身なのかもしれない。
 しかし煙が晴れ、そこに悠然と立つ猫の容姿をした化け物が見えた瞬間、日向と瑪瑙は思わず我が目を疑うかのように瞬きを繰り返す。翡翠に至っては既にレヴィトを見ておらず、どこか祈るように遠く西の空を仰いでいる。
 そのあまりのタフさ加減に溜め息をつきながらも、椿はやれやれとばかりに刀を手放した。
「なんや、もぉ抵抗せぇへんのか? それともなんぞ打開策でもあるんか?」
「さぁ? もっとも、猫とは頭の出来が違うのは確かです。なにが出て来るかはお楽しみということですね」
 どこか楽しそうに含み笑いを浮かべる椿に、レヴィトもまた同様に含み笑いを浮かべる。
「安っぽい挑発やなぁ。ウチがそんなんに乗ると思ったんか?」
 浅知恵だと笑うレヴィトに、椿はバカバカしいと頭を振る。
「さぁ? 言ったはずですよ。貴女とは頭の出来が違うと」
 例えるなら血気盛んな雌猫と、性悪女狐の睨み合い。どう考えても殺し合いにそぐわないおかしな光景に、日向は苦笑を浮かべるしかなかった。
「ハンっ! そないに泣きたいならすぐに泣かせたるわっ!!」
 しならせた連結刃がダースに化ける。続けて振るえば刃の壁が一斉に椿たちに向かって襲いかかっていく。
 これにはさすがの椿も目を見張る……かと思いきや、やはりいつもの余裕を崩すことなく襲いくる刃を待ち構えている。
 椿のような、こういう自信に溢れた生き方をできる者はそうはいない。どこか振り返りながら生きている瑪瑙にとって、それは眩しくあり、疎ましくもあった。
 だからと言って、彼女を見殺しになどできようはずがない。しかし、前に出ようとする瑪瑙を制したのは当の椿であった。
「大丈夫です」
 それを今から証明します、と椿は握り締めていた手をゆっくりと開いていく。
刹那、掌から溢れ出すかのように無数の糸が連結刃へと放たれる。
 それは、文字通り神業的な光景であった。
 椿の放った鋼糸が連結刃の繋ぎ目を絡めとり、暴れる大蛇を押さえ付けるように地面に繋ぎ止める。
「氷遁、縛斬糸之術【ひょうとんばくざんしのじゅつ】……。これで貴女の玩具は役に立ちません」
 連結刃を縛る糸を介して、術の冷気が繋ぎ目を凍結させている。確かにこれでは連結刃最大の特徴である変化を使用することはできない。
「驚いたわ。ホンマに強いわアンタ。でもな、ちょっと双武将ナメすぎや」
 連結刃を手放した瞬間、レヴィトの姿が霞みのようにかき消える。
 高速で移動したのだ。そう気付いたときには、レヴィトの手刀が椿の胸を貫いていた。
 一瞬、勝ち誇ったように口の端をつり上げるレヴィトであったが、手応えがないことにその表情が大きく崩れた。
 変わり身の術。本来は自らを別のものと入れ替えることで相手の攻撃を避ける、または注意を逸らすことに用いる有名な術だが、こと椿においては少々別であった。
 手応えがない。しかしレヴィトの腕が何者かに絡め取られる。それもそのはず。椿に代わりそこに在ったのは、既に身構えた日向の姿であった。
 流れるような動作でレヴィトの腕を絡めとると、次の瞬間にはあらぬ方向へと折り曲げる。
「甘いでッ!!」
 腕を折られながらも蹴りに出るのはさすがだが、そんな無茶な行動では日向に折ってくれと言っているようなもの。
 腕を折るのに両手が塞がった日向は、蹴りに対して自らの足を絡め、体重を乗せて一気に折り曲げる。
「瑪瑙っ!」
 日向が飛び退いた瞬間、瑪瑙が手繰り寄せるように風を身に纏い、一気に懐まで滑り込んでいく。
「風雅流戦舞、逆滝【さかたき】」
 瑪瑙が舞い上げた砂利や小石が、名の通り逆さまの滝のようにレヴィトを突き上げていく。
「風魔流、飛閃・凪【ひせんなぎ】」
 いつの間に駆け抜けたのか、音もなく着地する椿。次の瞬間、無数の刃に射抜かれたレヴィトが大きく後ろにのけ反った。
「さぁ、あと何回再生できますか?」
 見たところ、外部からの巫力供給で再生しているらしい。しかし、破壊されるたびに供給されているところを見ると、無限に力を供給できるわけでもないようだ。無限に力を得られるならばいちいち区切って供給する必要もない。ならば、再生には必ず限界がある。
「クッ……!!」
 全身に突き刺さった刃を引き抜き、一瞬で正常な状態まで再生する。見ればレヴィトの表情からは先ほどまでの余裕は消え失せていた。
「残念ですが、私たちは三人で守り、三人で攻めることができます。どう頑張ろうとも埋められる差ではありませんよね」
 冷たい視線で振り返り、椿は新たな武器を手にする。
 楓と同等、もしくは若干強い程度に考えていたレヴィトにとって、この埋めがたい実力差はあまりに予想外であった。
 瑪瑙もまた、椿の無言の采配と力量に心底驚いていた。
 先日見た陽平も、かなり強い部類に入るのだろうが、椿の強さは味方であるはずの瑪瑙までが冷汗を感じるほどに鋭く、そして冷たいものだった。
「そうそう。忘れていました」
 そんなことを呟きながら椿がなにかのスイッチを押し込むと、突然レヴィトの身体が内側から弾け飛んだ。
「傷口に火薬を仕込んでおいたのを忘れていました。それで、あと何回ですか?」
「ふざけンなやッ!! ちょっと美人やからって、あんまし調子乗ンなやッ!!! おどれらまとめてブチ殺すでッ!!!」
 再び再生を果たすレヴィトが、全身の毛を逆立てるように吠えた。
 無理もない。残念ながらレヴィトと椿にも差がありすぎる。これでは子供扱いも致し方あるまい。
「下品な言い回しが好きなようですが……、貴女の品格を下げているだけですよ」
 刹那、椿の左腕をなにかが掠めていく。鋭利な刃物で切り付けられたのか、服が裂け、露出した白い肌が血の赤で濡れている。
 なるほど。どうやら持ち前の速度では化け物であるレヴィトに分があるようだ。
 だが、まったく見えないというわけでもない。瑪瑙と日向に至っては風の結界で感知しているので、見える必要はない。
「ですが、こう動かれると対処に困りますね」
 かわすことはできる。できるのだが、この速度に対して下手に手を出せば、腕ごと持っていかれる可能性が高い。
 こうして徐々に追い詰めていくつもりか。消極的ながら効果的な行動だと感心した瞬間、椿は自らな失態を呪わずにはいられなかった。
 レヴィトによって行動範囲を著しく減らされた椿たちは、僅かにせよ翡翠との距離が開いてしまったことに気がつかなかった。
 そして、音も気配もなく翡翠の背後に現れたその者は、一閃した刃で首から下げられた翡翠石の紐を切り落とし、術によって翡翠の自由を奪う。
 姑息な、それでいて無駄のない行動。さすがは織田信長の懐刀といったところか。
「蘭ちゃんッ!?」
 森蘭丸が現れたことに気付いたレヴィトは、どこか殺気立った様子で同じ武将を睨み付ける。
「ありがとう。おかげで労することなくリードの姫を手にすることができました」
 翡翠を抱き上げたままフワリと飛び上がる蘭丸に、瑪瑙は咄嗟に忍器水晶之笛を奏でる。
 せめて、翡翠にかけられた術を解く。しかし蘭丸の髪飾りについた鈴が常に術をかけ続けているためか、瑪瑙の笛を持ってしてもそれは適わず、蘭丸は小さく口許を綻ばせた。
「サイガ……」
 術が通じないのならば、多少危険だが忍巨兵を用いるしかない。
 瑪瑙に名を告げられ、大翼の天馬──天王が姿を現す。
「翡翠姫をつれていかせたらだめ」
 言われるままに人型に変わる天王は、表情を険しくする蘭丸に手を伸ばしていく。
「アホぬかせやッ!! 生命の奥義書は風雅にも蘭ちゃんにもくれたらんッ!! それはウチら双武将のモンやッ!!!」
 咆哮のようなレヴィトの叫びに、雲という名の天井を突き破って空から現れた巨大な連結刃が、蘭丸と天王を同時に弾き飛ばす。
(仲間の腕を躊躇なく切り落とした!?)
 瑪瑙が内心で驚きの声をあげた瞬間、レヴィトがいち早く翡翠を確保する。
「ちょぉ予定とちゃうけど、もぉええわ。必要なモンは揃ぉてる。あとはおどれら踏み潰すだけや」
 空から降りて来た鎧巨兵が翡翠を取り込み、人型に変わると同時にレヴィトが灰になって崩れ落ちていく。
「ほんなら第二幕や。今度はウチがおどれらバラバラにしたるからな!!」
「鎧の双武将とはよく言いましたね。まさか鎧の方が本体だったとは……」
 見上げる椿を嘲笑うように、鎧巨兵ガイ・レヴィトの両腕から伸びる連結刃が、椿たちの足場を突き崩していく。
「サイガ! シラネ!」
 悲鳴に近い瑪瑙の呼び掛けに、天王は体当たりでガイ・レヴィトを吹っ飛ばし、隼の忍獣シラネが三人を背に空へと運んでいく。
「姫を……、彼女を助けなければ!」
 翡翠を捕られたことに動揺しながらも、頭は確実に救い出す方法を組み立てていく。
「天王だけでは戦力が足りません。瑪瑙、みんなをここへ……」
 日向の言葉に迷いながらも、瑪瑙は水晶之笛に口付ける。
 関わるつもりはない。ないのだが、このまま放っておけるほど無関心でも、無責任でもない。
(集まって。風雅に集いし忍巨兵たち……)
 瑪瑙の奏でる音色がシラネの生み出す風に入り交じり、遠く、遠くへと広がっていく。
 それはこちらに向かう二人の巫女に、風雅を守る風魔の兄妹に、そして好敵手との再会を果たした彼の耳にも届く、不思議な音色であった。






 陽平は思っていた。目の前で起きている光景が夢なら良かったのに。
 今、一人の人間がこの世から消えた。そして代わりに現れたのは、人の温もりを持った鋼の巨人であった。
 堅牢な甲羅の鎧を身に纏い、短い四つ足で地を這う姿はまさにアルマジロ。これこそが風雅の誇る十三の忍巨兵が一人、盾王【じゅんおう】ガイガであった。
「忍巨兵を召喚したンじゃなくて……、自分が忍巨兵になっちまったってのかよ!?」
 驚きは釧も同様に、二人の視線は盾王へと姿を変えた鏡老人へと注がれている。
「ばかな……」
 それ以上言葉が続かないというかのように、釧も見開いた目を逸らすことができずにいた。
「さて。この老いぼれの姿に免じて、刃を退いてはくださいませぬかな?」
「退けったって……」
 動揺が見えたとはいえ、釧の殺気は陽平に向けられたまま。こんな状態で隙を見せようものなら、瞬きの間に頭と身体が離れることになる。
「釧さま。退いてはいただけませぬか」
 次第に落ち着きを見せる釧の瞳に、盾王となった鏡は小さく溜め息をついた。
「一途なところは変わりませんな」
 昔から、ずっとずっとそうだった。こうと決めれば頑なで、一つを想えば一途に追い続ける。
 それもすべて、釧の優しさの証なのだ。
 誰の間にも沈黙が流れた。それほど長い間ではなかったにせよ、三人の間に流れた沈黙は、耳に届いた微かな音を際立たせるには十分だった。
 風に混じった巫力が音を運んでくる。これは笛の音だ。優しい、それでいて強く呼び掛けるような笛の音。
「こいつは……、天城の笛!?」
 いち早くそれに気がついたのは陽平だった。
 思わず聞こえてきた方に意識を向ける陽平に、釧と盾王も巫力の流れを読み取っていく。
 これは時非だ。時非の海岸で何者かが奏でた笛が、忍巨兵を持つ者たちに危機を報せている。
「なんだか胸騒ぎがしやがる。釧、てぇめぇとの決着はまたの機会だ!!」
 竜王之牙を納め、翼を広げて飛び上がる竜王に、真獣王はそうはさせるかと三度腕を打ち出した。
「逃がすと……思ったかッ!?」
 襲い来る拳をかわし、竜王は両肩から引き抜いた蒼裂を交互に投げ付ける。
 だが、真獣王の両肩に装備された爪状のパーツを打ち出すと、それはアンカーのように伸びながら四方に別れていく。
 蒼裂を打ち落としたアンカー以外のアンカーに捕まらぬよう、巧みに身体を入れ替えて避け続けながら、陽平は脚の遁煌で炎を生み出していく。
「火遁……!」
「五月蠅いぞ。雷遁、輝雷光之術ッ!!【きらいこうのじゅつ】」
 竜王の火遁が放たれるより早く、真獣王の放つ網状の雷撃が竜王の身体を引き裂いていく。いや、引き裂かれたはずの竜王は、陽炎のように消え失せると周囲に熱風を残して釧の視界から抜け出した。
「ちぃッ!!」
 火遁を撃つと見せておきながら、それを囮に陽炎で分身と目眩ましを使うとは恐れ入った。
 突然の熱風を受け、顔をしかめながらも釧の目はすぐに陽平を見つけ出していた。
 いかに隠形機能を駆使していようとも、釧が陽平を見失うなどあるはずがない。
 姿を隠した竜王は、鏡の小屋の前に膝をつき、なにやら探し物をしているらしい。
 隙だらけだ。そう思った釧にためらいはない。
 先に弾き飛ばされた刃を掴み、背を向ける竜王に斬りかかっていく。
 しかし、刃が切り裂く感触を伝えるより早く、硬い衝撃が刃を容易く跳ね返す。
「釧さま。我が身体でお止めすると言ったはずですぞ」
 見ればいつの間にか人型に変わった盾王が、両腕の盾で刃を阻んでいる。忍巨兵最強の盾と豪語するだけあって、その堅牢さは他の忍巨兵とは段違いらしい。
「退かぬなら、師であっても斬り捨てる」
 力任せに刃を押さえ付け、盾王を上から押さえ込んでいく。どうやらパワーでは真獣王に分があるようだ。
 だが、盾王の盾を斬るには些か力が足りない。後ろ腰から忍者刀を引き抜いた盾王は、目の前の弟子目掛けて切っ先を煌めかせる。
「風雅流天之型、閃花【せんか】」
 突き出した切っ先が煌めき、無数の光となって真獣王を突き飛ばしていく。
「くッ……!?」
「迷っていては、ワシに一太刀も入れられますまい」
 早い。開いたと思われた間合いをすぐにゼロに変えられる。技の冴えも変わらず、盾王が鏡であるという決定的な証拠を突き付けられたようであった。
「じぃさん! こいつは貰っていくぜ!!」
 陽平が手にした刀──炎鬣之獣牙に釧の表情が変わる。
「どけッ!! 天之型、輝針ッ!!」
 真獣王の刃が格子状の煌めきを放つ。
 獣王の証、炎鬣之獣牙がよもやこんな場所にあるとは思わなかったが、相手がなんであれこれを手に入れることに変わりはない。
「地之型、乱葉【らんば】」
 だが、釧の切っ先に合わせて打ち返す盾王の刃がぶつかる度に、木の葉のような光が生じる。切っ先に雷遁を封じ、ぶつかる際に反発力として放電現象が起きているのだ。
 さすがだ。釧の繰り出す技にも確実に返し技を仕掛けてくる。
「竜王、すぐにこの場を離れよ。姫に危機が迫っておる」
 釧を牽制しながらも退却を促す盾王に、陽平はすまないと目を伏せる。
 翡翠の危機。それはつまり、彼女を守っているはずの光海たちにも危機が迫っているということになる。それに先ほどの笛の音は、瑪瑙がそこにいることを教えてくれた。
(急がねぇと……、なんかやべぇ!)
 確信があるわけではないが、陽平の勘が嫌な予感を肌で感じている。
「良いか。炎鬣之獣牙を抜くには獣王が必要不可欠じゃ。どんな手を使っても構わぬ。獣王を……クロスフウガを今一度っ!」
「風雅陽平ッ!! それを渡して貰うぞッ!!!」
「させぬと言いましたぞ!!」
 飛び出す真獣王に、盾王の盾が飛ぶ。
 盾を腕で弾き返しながら舌打ちする釧は、陽平の手に握られた一振りの刀に自身の気合いを叩き付ける。
「獣王の証よッ! 炎鬣之獣牙よッ! 我が名は釧。真の獣王ガイアフウガを駆り、ガーナ・オーダを滅ぼす者ッ!! お前が真に獣王を選ぶというのなら、我をこそ選べ!!!」
 獅子の咆哮のような釧の宣言に、陽平の手の中にあった刀が微かに戦慄いた。
 まさか本当に刀に意思があるとでもいうのか。そんな疑問が湧き上がった瞬間、陽平の手にあったはずの刀は跡形もなく姿を消し、次の瞬間には主を決めたと言わんばかりに釧の手に握られていた。
「なッ──!?」
「刀が釧さまを選んだ……!?」
 驚愕に目を開く二人を余所に、釧は感触を確かめるように刀の柄を握り締める。
「証は俺を選んだぞ……風雅陽平」
 陽平がどれほど力任せに引き抜こうとしても抜くことができなかった刀が、釧の手の中でゆっくりと解放されていく。
 曇ってなどいない。ましてや錆びてなどいない。鏡のように釧の仮面を映す刀身は、四百年の時を越えてようやく太陽の下に晒されることとなった。
 釧の手を通じ、真獣王の手に握られた炎鬣之獣牙に、盾王はやれやれと頭を振る。
「あくまで純粋な一念を望むか。炎鬣之獣牙よ……」
 呟くように嘆き悲しむ盾王に、真獣王が手にした刃が煌めく。
 これと斬り結ぶほど愚かではない。この刀の力は使っていた自身が一番良くわかっているつもりだ。故に跳躍で切っ先から逃れると、竜王を掴み更に真獣王か ら距離を置く。
「じぃさん、いったいどういうことなンだよ!?」
「炎鬣之獣牙はオヌシではなく、釧さまを選んだということじゃ。故にあれと正面からぶつかるわけにはいかぬ」
「選ぶって……本当に意思でもあるのかよ」
 この目で見ても信じられないというかのように、陽平は釧の手にした刀を凝視する。
 結果的に、獣王の証は獣王を継ぐものとして、竜王ではなく真獣王を選んだことになる。
「風雅陽平……。キサマを葬ることで、俺は次の戦場へと上がる」
 行き掛けの駄賃とでもいうつもりか。だが、たとえ獣王の証に認められなかったとはいえ、はいそうですかとやられるわけにもいかない。
(風遁煌陣で一撃入れて、その間に離脱するッ!)
 釧に勝つ必要はない。とにかく今は、一刻も早く時非に帰らなければならない。
 ヴァルファングインフィニットならば攻撃と目眩ましを同時に行える。両腕の遁煌で風を起こす竜王が身構える。だが、そんな竜王の前に立ち塞がったのは盾王その人であった。
「な、なんのつもりだよ!?」
 よもや、この期に及んで釧側につくというわけでもあるまい。
「ここはワシが引き受ける。よいか、ただの一度も振り返ることは許さぬ。オヌシは姫のところへ行くのじゃ」
「馬鹿いうなよ!! そんなことしたらじぃさんが!?」
 獣王の証を手にした釧は、先ほどとは比べ物にならないプレッシャーを放っている。ここは盾王と竜王で協力すべきだ。
 しかし、陽平の主張に盾王は頑なに頭を振る。あくまで残るのは自分だけだと言い張る姿は、確かに釧の師であるように思えた。
「じぃさん……」
「よいか。あの刀は普通の武器ではない。今のオヌシでは一太刀の下に斬り捨てられると言っておるのじゃ」
 そう告げる盾王の目は、真獣王の一挙一動を逃さぬよう釘付けにされている。
リード王家の指南役であり、元獣王の忍者であった鏡ですら油断できないのだろう。
 ならば陽平が手を出す方が、かえって邪魔になる可能性は高い。
「死ぬつもりとかじゃ……ねぇよな?」
「既に死んでおる身。そのような心配は不要」
「そういう問題じゃ──」
 尚も食ってかかろうとした瞬間、釧の放つ裂帛の気合いが爆発した。
 どうやら本当に一太刀で斬り捨てるつもりらしい。肩に担ぐように構える真獣王は、地の巫力を刀身に集め始めた。
「退け。さもなくば、風雅陽平と共に二つになることになる」
 警告……いや、これは警告ではない。釧の最後の良心が、鏡を斬りたくない一心で抵抗を試みているのだ。
 それならば話は早い。自らが盾になることで、僅かでも釧の剣を曇らせることができればいい。時間を稼ぐにはまたとない状況だ。
「さぁ、行け! 身を盾に勇者の道を開くのが盾王の役目ぞ!!」
 盾王の喝と共に、竜王が後退。同時に真獣王が一足で間合いをゼロにする。
 構えから、釧が放つ技には見当がついている。これに対して下手な返し技や正面からの激突は不要……いや、無謀。だからこそ盾王は両手の盾を交差することで強度を上げておき、自身が誇る結界を前方にのみ拡げていく。
 刹那、光の尾を引く太刀が盾王の盾と接触した。
 結界を易々と突き抜けて襲いかかる衝撃は、盾王を通して後退していた竜王に叩き付けられたのではと思うほどに鋭い。
「地之型、牙狩り。よもやこれほどまでに昇華されておるとは……」
「退けと……言ったぞ!」
 易々と盾にまで切り込んだ炎鬣之獣牙に更なる力を込める。盾王を斬る必要はない。技で弾き飛ばし、今度は直接竜王を狙えばいいだけのこと。
 だが次の瞬間、刀を奮った釧自身が思いも寄らない事態が起こっていた。
 僅かな力を込めた刀身が、まるで豆腐でも切っているかのようにほとんど抵抗もなく盾王の身体を二つに裂いた。
「え──」
 そんな驚きの声を漏らしたのは釧だった。
 交差した腕が盾と共に切り落とされ、どこか笑っているような盾王が袈裟斬りに引き裂かれていく。
(バカな……!! 俺は、俺は殺すつもりなんて……!!)
 反射的に手を差し伸べる釧に、鏡が笑ったような気がした。激しい動揺と後悔、その全てを見透かしたような笑みだった。
 そういえば、彼は……師はいつもそんな顔をしていたような気がする。強くあろうと必死になって食らいついていく釧に、「しょうがないやつ」といった表情で笑っていた。
「強さだけで得たものに……いったいどれほどの価値がありましょうか」
 自身の手が師を斬った感触が、今頃になって伝わってきた。吐きそうになるのを堪えながら、釧は仮面のない瞳で盾王を凝視する。
「貴方さまはもう、十分にお強い。だからこそ……貴方は力以外の強さを以て進まねばなりませぬ」

 ずっと、強いと思っていた。

「あ……」

 師匠は誰よりも強いと思っていた。

「釧さま……」

 強いのは、きっと想像を絶する努力の結果なのだと、そう思っていた。

「し……しょ……」

 違う。そうじゃない。彼を強いと思ったのは、彼が優しかったから。強くて、優しくて、そして大きかったから。
 いつも笑っている鏡を見て、釧はいつまで経っても勝てない悔しさの反面、父のような、それでいて兄のような優しさを感じていた。
「最後の最後に……ようやく……教えることができましたな……」
 そんな消え入りそうな声に盾王を見上げた瞬間、釧の中でなにかが崩れ落ちた。
「あぁ……あ……!」
 笑っていた。そこには、あのときと変わらず笑って釧を見守る鏡がそこにいた。
「師匠っ!」
「わかって……いただけたようですな……」
 安堵の笑みを浮かべる盾王に、釧は両の膝をついて頭を振る。
「わかっていたッ! わかっていたはずなのに……!!」
 それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。殺すつもりなど、師の命を絶つつもりなどなかった。地球に来て、翡翠と再会したときだってそうだ。殺すつもりなどなかった。ただ、泣かれることが煩わしくて……、頼られることが怖くて……、そんなものは復讐の剣を取った自分には邪魔だったから。だからこそ翡翠が二度と自分に近付くことのないよう脅しておくつもりだった。
 それだけだったはずなのに……。
「師匠っ! 俺は貴方に……まだ教わっていないことが残っている!!」
「それは……困りましたな」
「ああ、困っている。だから……!」
 諦めるな。そうだ、孔雀がいれば治せるはず。
「待っていろ。すぐに──」
「教えられなかったことは……自らで学びなされ。今までも……そし……て、これからも」
 間に合わない。たとえ輝王によって治癒を施そうとも崩れ落ちる盾王を救うことはできない。
「俺は……!」
「返事が……聞こえませぬ」
 待っている。師が……、鏡が自分の言葉を待っている。心残しと言葉を欲している。
「俺は不出来な弟子だ……」
 失う怖さを知っているはずなのに、今再び大切なものを消し去ろうとしている。
 こんなときくらい、不出来な弟子のままでいられたらどれほど楽か……。
「いつか……必ず」
 貴方を超えてみせる。いつか必ず、貴方の誇れる弟子になってみせる。
 だから今は……。
 そんな釧の気持ちを知ってか知らずか、鏡は満足そうに頷く。
「それで……こそ、ワシの……自慢の……で……し……」
 刹那、視界を白に染め上げるほどの閃光を放ち、盾王が音もなく崩れ落ちていく。
 あの優しい瞳が砕けていく。いつも微笑みかけてくれた顔に亀裂が走る。
「師匠ッ!! 師匠ぉッ!!」
 肩を掴み、引き寄せた勢いで盾王の身体が砂に変わる。
(なんなんだ……!? いったいなんなんだよあの刀はっ!?)
 融けるように光の中に消えていく二人から目を逸らし、陽平は竜王を離脱させていく。
「うわああああああああああああッ!!! 師匠ぉぉッ!!!」
 背中越しに聞こえる悲鳴が陽平の心臓を鷲掴みにする。
 まるで釧の痛みを感じているような激しい動悸に、陽平は血が滲むほどにキツく唇を噛む。
 今がチャンスだというのに、盾王が命をかけて作ってくれた時間だというのに、どうしても足が立ち去ることを許してくれない。
 舌に感じる血の味に眉を顰め、竜王の翼を広げて飛び上がる。
(振り返るな。振り返ればきっと身体が固まっちまう!)
 できるだけ彼らのことを考えず、仲間たちの方へと思考を切り替えていく。
「俺は……翡翠を守る忍者だ! 盾王、あんたの気持ちは俺の刃と共に翡翠を守る!!」
 閉じた瞼が痛くなるほど力を込め、竜王は深緑の大地を後にする。
 獣王の証こと炎鬣之獣牙、実際凄まじい切れ味の刀だったわけだが、どうにもそれだけではないような気がする。
 もっとなにか秘密があるのでは。そんな予感めいたものを感じながら、陽平は仲間たちの待つ時非へと進路を取るのだった。












<次回予告>