あれから一時間。
 天城瑪瑙と、その忍巨兵──天王サイガの協力により、広範囲に渡って風雅陽平ならびに竜王ヴァルフウガと、鎧巨兵に囚われていたはずの翡翠の捜索が行われていた。
 日本海に面していることもあり、生身で放り出されているならば、正直のところ生存の可能性は絶望的。しかし、それでも彼らが一握りの希望に縋ったのは、海中にあるはずのものがそこになかったためだ。
「姫、希望を持ってください。砕けた竜王の腕が残り、その身体だけ流されるなどということは、そうそうありません」
 海草を用いて付近の海底をさらう森王は、既に竜王の腕を見つけている。
 当たり前のようだが、身体は腕などよりも遥かに大きいのだ。発見も時間の問題だろう。
「大丈夫よ。ありがとう、コウガ。ヨーヘーはきっと生きてる。それは他の誰よりも私が信じてるもん。それよりも私が気にしてるのは、翡翠ちゃんのこと」
 残念ながら、光海の予感は嫌な方にばかり良く当たる。
 竜王が無事ならば、それよりも強度で勝る鎧巨兵が無事なのも、また道理。
 既にガーナ・オーダの長、織田信長の下に、届けられている可能性も捨て切れないが、現状、どちらかといえば、その可能性はない方に傾いている。
 鎧の双武将は織田信長を裏切っている。それはもはや、誰の目にも明らかなのだ。裏切った相手の居城に戻るとは、やはり考え難い。
「お願い。翡翠ちゃん……無事でいて」
 祈るように天を仰ぐ。そんな、人間に都合のいい神様などいないとわかっているはずなのに、現状を考えると、とても祈らずにはいられなかった。
 その時だった。丁度仰ぎ見た空に、赤く発光する球が打ち上げられる。
 残念ながら忍巨兵同士には通信手段がないため、こうして信号弾で連絡を取り合うようにしたのだが、これは少々目立ちすぎるように思えた。
「赤い信号弾。姫、鳳王の物です」
 方角は南寄り。つまりは海ではなく、陸地だということになる。
「コウガ、楓ちゃんの下に急いで」
「しかし姫、まだ陽平殿は……」
 言い淀む心優しい忍巨兵に、光海はいつもと変わらぬ笑顔で応える。
「大丈夫。私は、ヨーヘーを信じてる。そしてなにより、ヨーヘーを信じていられる自分を信じてるの」
 澱みない真っ直ぐな感情は瞳に見えると言うが、今の光海がいい例だ。
「だから行って。ヨーヘーが戻るまで、私たちが翡翠ちゃんを守るわ!」
「御意!」
 水の足場を蹴って岸に着地した森王は、深緑の鹿に変化すると、遠く信号弾の落ちていく方角へと駆け出した。
 隠形機能をフル活用すれば、たとえ人通りの多い町並みを駆け抜けようとも見つかることはない。
 障害物にさえ気をつければ、忍巨兵たちは正しく風となるのだ。
 こうして忍巨兵で走る度に思うことがある。
 陽平があれほど忍者に固執する理由は、いったい何なのだろうか。
 ひょっとしたら陽平は、忍巨兵たちのように、風になりたいのかもしれない。
 気が付けば陽平のことばかり考えている。やはりそういう時こそ、自分は陽平の事が好きなんだ。そう、胸を張って言える瞬間に思えた。
 それにしても、いったい何処まで走るつもりなのだろうか。
 もう随分と走っている。忍巨兵の速度を考えると、そろそろ本州を跨いでしまうのではないだろうか。
「ねぇ、何処まで行くの?」
 正直、光海の目から見ても信号弾の位置はまだ離れているように思える。
 そんな信号弾もそろそろ限界か、高度も落ち、今にも消えてしまいそうな程に小さな灯になってしまった。
「ワタシの目測では、このまま進めばヤクモ≠ニいう海上都市にぶつかります」
 八雲。街一つがスッポリと入った巨大な学園都市だ。
 それこそ千葉県にあるにも関わらず、東京の名を冠する巨大テーマパーク程に名前は知れ渡り、過去、幾度となくスポーツのスーパープレイヤーや、博士号も夢ではないと言われたスーパー頭脳の持ち主を生み出していることから、今では超一流になるための登竜門的な場所として憧れられている場所である。
 その実、光海は中学に上る時に、一度八雲学園にスポーツ推薦されていたのだが、選手になりたくて弓を引いているわけではないと、あっさり断っている。
「姫、輝王と牙王です」
 左右両側から寄り、風となった森王と並走するのは、輝く一角を持つ一角馬と、青い風を纏う地獄の番犬だ。
 二人も信号弾を見たのだろう。こうして三方から合流したということは、目的地に近付いている証拠だ。
「太平洋?」
 誰に尋ねるでもなく柊が口にした疑問に、光海は応えるでもなく、ただ眼前に広がる青い煌めきに圧倒されていた。
 陽光を受けて輝く様は、まるで銀色の粒をちりばめた絨毯のよう。
 しかしながら、そんな光景に違和感を与えるのは、やはりと言うべきなのか、ガーナ・オーダ双武将の姿であった。
 沖へ、沖へと進む鎧巨兵ガイ・レヴィト。その周囲に、派手な水柱がいくつも立っているのは、国連軍の戦闘機が効果があるのかもわからないミサイル攻撃を続けているためだった。
 鳳王はその遥か上空を旋回飛行しながら、付かず離れずの距離を保ち、国連軍の戦闘機が羽虫のように落とされていく光景を、冷ややかな視線で見下ろしていた。
 それにしても、いったい何処に行こうというのだろうか。
 どうやら真っ直ぐ沖を目指しているようだが、よもやオーストラリアに行くというわけでもあるまい。
 他の忍巨兵のように、森王と合流を果たした鳳王に頷き、光海は戦闘の指揮を楓に一任する。
「ガイ・ヴァルトの姿が見えませんが、まずはガイ・レヴィトの動きを止めます! 森王と鳳王の射撃で足止め。牙王と輝王の速攻で確実に足を止めます!」
 楓の指示に4機の忍巨兵が同時に人型に変わり、続けて牙王と輝王が更にスピードを上げる。
「まずは、牽制」
 鳳王の投げるショットクナイが、ガイ・レヴィトの前方に幾重もの水柱をあげる。
「続けていくわよ。コウガ、しっかり足場を支えてね」
「御意」
 軽く深呼吸。息を吐くと同時に矢を放ち、こちらを完全に無視して走り続けるガイ・レヴィトの後頭部に直撃させる。
「いくよッ!」
「は、はいっ!」
 続けて牙王と輝王が一気に間合いを詰め、それでも走る続けるガイ・レヴィトの背中を大振りの蹴りと薙刀で強打する。
 だが、実際に触れた者だけが気づいた。攻撃が当たった瞬間何かがおかしいと肌で感じた2人は、すぐに間合いを取ると、徐々に速度を緩めていくガイ・レヴィトを無言で睨み付ける。
 完全に進行を停止したガイ・レヴィトは、波打つ海に半身を浸からせたまま、ゆっくりと忍軍を振り返る。
 何か妙だ。油断なく、連結刃の攻撃をすぐに回避できる距離を保ち、対峙する4体の忍巨兵。
 いつもの彼女ならば、既に文句の一つも呟いていそうなものなのに、言葉を発するどころか、その動きには溢れんばかりの生気が感じられない。
「まさか、既に事切れて……」
 そんな一番ありえなさそうな可能性を光海が口にした瞬間、ガイ・レヴィトの頭部がひび割れ、内側から猫のような顔つきをした獣姿のガイ・レヴィトの頭が現れる。
 額に残る水晶が徐々に肥大化し、それが角のように突き出すまでに、それほど時間はかからなかった。
 そしてやはり、そこに囚われたままの翡翠の姿に、一同は安堵と不安を同時に感じるのだった。
 不意にガイ・レヴィトの口元が怪しく歪み、開かれた瞼から真っ赤な眼球が現れる。
「「ジャマ……スンナヨ」」
 一瞬、その言葉が本当にガイ・レヴィトの口から発せられたのか、誰も判別することができなかった。
 嫌な予感。それは現実に、形となって目の前に現れるものなのかもしれない。
 次の瞬間、水面を突き破って襲い掛かる連結刃の群れに、忍巨兵たちは一斉に散り散りになると、各々が持ち前の武器でそれを打ち落としていく。
 だが、明らかに妙なのは、連結刃の数が増えている上に、ガイ・レヴィトは一度として腕を振るっていないということだ。
 連結刃が装備されていたのは、両腕の甲。だが、今の攻撃は同時に4体の忍巨兵を襲い、尚且つガイ・レヴィトの腕は攻撃どころかぶらぶらと遊ばせてあるだけ。
 何かが違う。誰もがそう感じた瞬間、ガイ・レヴィトは不適な笑いと共に、ようやくその下半身を海のヴェールから引きずり出していく。
 ただ半身を引きずり出すだけだというのに、海は荒れ狂い、ガイ・レヴィトを中心に大量の海水が持ち上げられていく。
「ちょっとちょっと。待ってよね。これ、何かヘンだよ!」
 彼らの足元までが隆起を始めたために、牙王は鳳王の腕に掴まって上空へと難を逃れる。
「柊。兎に角、私たちは合体を。何か、何かがおかしい……」
 頷き合う青と赤の忍巨兵は、そのまま上空で合体を果たすと、翼を広げたままゆっくりと海面に足を着ける。
「「強敵ニハ合体カ。確カニソレハ合理的ダナ……」」
 爆ぜるように飛沫を上げる海から現れたそれに、一同が大きく目を開く中、ガイ・レヴィトの口が、彼らを嘲笑しているかのように歪んでいく。
「「早速、参考ニサセテモラッタワ」」
 ようやくその全貌を明らかにした下半身。しかし、そこにはあるはずの物がなく、ありえないはずの物が在った。
 見た目は、四つん這いになった恐竜に見えなくもない。犬のようなガイ・ヴァルトの獣頭に、こちらもやはり、血塊のような真っ赤な瞳が睨んでいる。
 全身が鎧のような外皮に覆われ、恐竜というよりも怪獣という言葉がしっくりきそうな姿であった。
 ただ、背中にあるのが翼でもなければ鰭でもない。ガイ・レヴィトの上半身だということを除けば、の話だが。
 ガイ・レヴィトとガイ・ヴァルトの背中に見える、連結刃を模した触手。どうやらあれが、先ほどの攻撃の正体なのだろう。
「「ドウシタ。何ヲ驚イテイル。コレハ、オ前タチト同ジダゾ」」
 二つの鎧巨兵を一つに合体させる。一見、忍巨兵と同じ行為に見えるが、双武将のそれは明らかに失敗だ。
 忍巨兵の合体は、性能向上も当然ながら、もう一つ大事なことがある。
 それは、交じり合う者同士の意識が混濁しないようにする事だ。
 一度合体を果たせばそれで終わりというわけではない。あくまで個々の意思が在ってこそのパワーアップ。それこそが忍巨兵の合体なのだ。
「あれは、合体なんかじゃない」
「その通りです。あれは合体ではない。共に戦う仲間を取り込んでの強化など、最早融合……いえ、同化の類いです」
 思わず口元を手で押さえる光海に、森王も嫌悪感を露わに、珍しく声を荒げる。
「「ワカッテヘンネンナ。肝心ナノハ、ドレダケ強クナッタカッテ事ダロッ!」」
 うねうねと不気味な動きを見せる触手が、合体鎧巨兵の激昂に反応して、一斉に攻撃を開始する。
 手数が増しているため、攻撃を捌くだけで精一杯。とても反撃に転じられる隙がない。
 いや、たとえ反撃の隙があろうとも、ガイ・ヴァルトの防御力をも備えた相手に、中途半端な攻撃が通るはずがない。
「楓ェ、どぉすんの!」
「兎に角。みんな、なんとか反撃を! 天王が戻れば勝機はあります!」
 事の次第を伝えるため、天王は椿と日向を連れて風雅の里に戻っている。
 だが、天王が戻れば確かに勝機はある。
 まだ試験運用も行われていないが、風雅の当主、琥珀に聞かされた、森王、輝王、天王から成る勇者忍軍第3の合体忍巨兵。
 それが、この戦況を覆すことができるものなのかはわからない。しかし、今までだって忍巨兵は奇跡を見せてくれた。勝利を手にしてきたのだ。
「秘射、乱れ桜ァ!」
 無数の軌跡を描き、襲い来る触手を森王の矢が打ち落としていく。
 それでも追い続ける触手の束に、光海は人差し指と中指を立てて印を切ると、眼前に迫る切っ先を、解放した巫力で吹き飛ばす。
 更に、次の矢を番えた森王は、周囲の水気を集めると、十分に引き絞った弦を解き放つ。
「秘射、五月雨ェ!」
 大量の水気を纏った矢は、合体鎧巨兵の遥か上空で炸裂すると、針のように研ぎ澄まされた水の矢を、集中豪雨のように叩き付ける。
「「コノ程度ノ攻撃、防グマデモナイ!」」
 事実、双武将の言う通り、水の矢は一つとして鎧巨兵の装甲を通る事ができないでいる。
 だからといって、こちらが攻撃の手を緩める理由にはならない。
「それなら、攻め続けるっ!」
 夏の修行で、琥珀が教えてくれた事がある。
 陽平が使う風牙≠ニいう技は、何も接近技にだけ作用するモノではないと。
 そしてそれは、風雅の流れを汲む技全ての基礎であると。
 つまり、風牙を覚えることができれば、自ずと風雅流の技が身に着くということだ。
 琥珀に教わった風牙は、全部で十一種。その中から必要な技を選択すると、素早く次の矢を番える。
「……穿牙!」
 自分の身体に駆け巡る巫力に流れを与え、腕を通して力が螺旋状に駆け上がっていく。
 巫力が指先に到達した瞬間、矢は螺旋を描く閃光となって、双武将の胸に突き刺さる。
「うっひゃあ。今日の光海さん、こえェ……」
 今まで見た事のない光海の攻撃姿勢に、柊は背筋を震わせる。
 冗談混じりに、「くわばらくわばら」と拝むと、「バカ」という楓の冷ややかなツッコミが炸裂した。
「続くわよ」
「合点ッ!」
 矢の一撃に集中が乱れたのか、触手の動きが散漫になったところを双王に突っ込ませていく。
「あの装甲を抜くには、双王単体じゃ無理……」
「わかってるなら、さっさと闇王も呼んじゃってよね!」
 水面擦れ擦れの、超低空飛行で接近する双王の右腕に、黒い光が集まっていく。
 次第にそれは形を成し、千の刃を持つと謳われた黒色の爪を実体化する。
「影魔爪ッ!」
「鉄斬糸ィっ!」
 手刀のようにピンと指を揃えた手を、袈裟斬りに振り下ろすと、爪先から伸びた糸の束が、鋼鉄をも断ち切る刃となって、鎧巨兵に叩き付けられる。
「攻めるぞ!」
「い、いきますぅ!」
 仲間たちに触発されるように、輝王もまた薙刀を構えて突撃する。
 絡み合うような触手のバリケードを、片っ端から薙刀で捌いて進み、強烈な打突でガイ・レヴィトの頭部を強襲する。
「秘射、枝垂れ桜っ!」
 飛び上がった森王の弓から、外側に弧を描く無数の矢が放たれる。
「暴食ッ!」
「黒之顎ォ!」
 爪先から伸びる見えない糸が触発を裂き、巨大な爪が正面から双武将に襲いかかる。
「風雅流、天之型……円華ぁ!」
 薙刀を振り回す勢いで自身が高速回転すると、陽光を反射する刃が輝く花弁のような美しさを見せる。
 本来、戦場で囲まれた場合や、相手の足下を掬うように薙払う技だが、孔雀は遠心力を利用して非力を補うと、ありったけの力で双武将を斬り上げる。
「「オドレラ、ホンマニ、エエ加減ニシィヤァ!」」
 空気を切り裂くような甲高い声。おそらくガイ・レヴィトの意識が、表層に出たのだろう。
 ほぼ同時に放たれた三つの技を、両腕から伸ばした連結刃で弾き返し、荒れ狂う波のように軌道予測のつかない刃の壁が、正面の双王と、斬り上げた直後で硬直した輝王を、何度も何度も切り付けながら撥ね飛ばしていく。
 もしも人間が、暴走するトラックに撥ねられたら、おそらく今吹っ飛ばされた二体の忍巨兵のようになるのではないだろうか。
 回転しながら海面に叩き付けられ、何度も水面をバウンドしながら吹っ飛ばされていく仲間たちに、光海は半ば無意識に手を差し伸べていた。
「「隙ダラケヤッ!」」
 飛べない森王が落下すると同時に、触手がその首を器用に絡めとり、宙吊りにされた森王の首に、ギリギリと連結刃の刃が食い込んでいく。
 一気に首を切り落としてしまわないのは、明らかにサディスティックなガイ・レヴィトの性格によるものだろう。
 ならば、気持ちだけでも負けてやるわけにはいかない。
 唇の端から漏れる声を押し殺し、両手で首に巻き付いた連結刃を握り締める。
 とても引き剥がせる物ではないが、それでも抵抗の意思を示し続ける。
「「綺麗ナ目ェヤナ」」
 血塊のように真っ赤な瞳の彼らに比べれば、性格の歪んだ根っからの犯罪者でもない限り澄んだ目をしているに違いない。
 宙吊り状態の光海は、次第に酸欠状態に陥り、空気を求めて大きく開口する。
 心では抗いたいのに、どうしても下りて来てしまう自分の瞼が、今は何よりも恨めしかった。
「「オレラノ、一番キライナ目ダ。抉リ抜イテ食ッテヤルヨ!」」
 今まで、手ぶらで遊んでいた触手までもが、その切っ先を森王に向ける。
 串刺しにするつもりか。
 薄れそうな意識の中で、そんな結末の光景を想像した光海は、冗談じゃないと、僅かな抵抗を試み、もがくように足をバタつかせる。
 刃の食い込んだ首が、まるで熱でもあるかのように熱い。
「「足掻イテモ無駄ヤ。コレデ、オ前モオシマイヤ!」」
 触手にまで双武将の意思が宿っているかのように、一糸乱れぬ動きで全ての触手が森王に襲いかかる。
 逃げられない。そう悟った瞬間、光海の脳裏に浮かぶのは、やはりあの忍者バカの顔だった。
(ヨーヘーっ!)
 刹那、光海の中で、きっと将来目覚める事なく終わるはずだった何かが爆ぜた。
 森王を中心に広がる巫力とは違う何か。それは光放つ圧力となって、周囲に向けて解放されていく。
 力に触れただけで砕ける触手に、さしもの双武将も、赤々とした目を大きく見開いて、驚愕の表情を浮かべる。
「「ナ、ナンダアノ光ハッ!」」
 ようやく解放された森王は、波打つ海の天板を足場に着地すると、突然の出来事に当惑する双武将を目掛けて弓を構える。
「なんだかよくわからないけど、今がチャンス!」
 大して意識せず、いつものように、矢に巫力を込めるつもりが、どういうわけか、いつもとは違う金色の矢が弓に番えられる。
 森王もどうしていいのかわからないのか、当惑の表情で首を傾げている。
 この正体不明の矢を射るべきか、否か。
 いつまでも迷っている時間はない。
「いくわよ、コウガ!」
「しかし、姫……」
 やはり森王も迷っている。だが、この絶好の機会を逃すわけにはいかない。
「お願いっ!」
「……御意!」
 僅かな沈黙の後、頷いた心優しい忍巨兵に、心の中で礼を告げる。
 森王はいつもそうだ。いつも光海のために心を割き、誰よりも光海のことを一番に考えてくれる。
 この戦いが終わったら、改めてお礼をしよう。そんな決意と共に、光海は引き絞った金色の矢を解き放った。
 矢は鈴のような、しかしそれとは確かに違う、リィィン! という音を奏でて空気を裂くと、吸い込まれるようにガイ・レヴィトの胸に突き刺さる。
「「ア、アアアアアアアアアアッ!」」
 悲鳴とも雄叫びともつかない叫びをあげて、合体鎧巨兵の全身が、矢から広がる金色の光に包み込まれていく。
「これは……邪滅の矢」
 ようやく合点がいったとばかりに呟く森王に、光海はその名を繰り返す。
「邪滅の……矢?」
「はい。孔雀の姉が、ワタシの巫女であったことは既に御存じでしょう。そしてその巫女が、地球で恋中になった者がいたことも」
 確かに、その話は聞いた覚えはある。
 いわゆる風魔と同じ、風雅の現地協力者に当たる者だったとか。
 孔雀の姉であり、森王と輝王の巫女をしていた海透【かいと】は、その男と添い遂げるために封印の眠りを拒み、桔梗と名を変えて地球人として残りの人生をまっとうしたという。
「その男が持っていた武器こそが、ワタシの忍器センテンスアローでした。そしてその男は、無類の弓使いであり、異国の術を用いた破邪の矢、即ち、邪滅の矢を使えた唯一の人物なのです」
 いったいどうして、自分がそんな凄い矢を使えたのだろうか。
 森王之祝弓を抱き締めるように抱えると、光海はどこか感慨深く瞳を閉じる。
 温かい。抱きしめた弓が、胸の内から温まるような温もりを光海に与えてくれている。
「そっか。力を、貸してくれたのね」
 そんな、ずっと昔の人たちまでが、現在を生きる自分たちのために力を貸してくれる。そのことが純粋に、嬉しかった。
「姫、今のうちです。邪滅の矢の威力で、双武将は動きを封じられています」
 森王に言われて、光海は忘れていたと頭を振る。
 そうだった。いつまでも、感傷に浸っているわけにはいかない。
 浮かんでこない輝王と、双王を波打つ海の天板に急いで引き上げ、すぐに状況の説明をする。
「兎に角、あの状態から解放された双武将は、まず間違いなく全力で私たちを殺しに来ると思います」
 あくまで予想ですが、と付け加える楓に、誰もが俯くように肯定する。
 ここまでコケにされて、大人しくしているような相手ではない。
「ですが、相手は動きを封じられている状態。この機会を逃す手はありません。私たちはこれを機に、初手で倒せる手段を用いる必要があります」
「でも、どーすんのさ。影魔爪でも致命傷は与えられなかったし、双王最大の攻撃力、弐式でも突破は無理だよね。やっぱここは、森王武装か輝王武装?」
 確かに、現状で打てる手は全て試すしかない。しかし、その案を否定したのは、意外にも森王たち本人だった。
「先ほど、邪滅の矢で仕留められなかったことを考えると、おそらく光矢一点では突破できないでしょう」
「螺旋金剛角は、現状でもっとも有効な手段だと言えるだろう。しかし……」
「双武将がそれを予測しないはずがない、か」
 輝王の言葉に続く楓に、誰もがありえる話だと頷いた。
 では、他にどんな手段が残されているというのだろうか。この場にいるのは、森王、輝王、双王、闇王、の四体だけ。
 やはり、天王の天翼扇を待つべきか。いや、あの武器は竜王が使ってこそ、最大の攻撃力を発揮する。この場にいる忍巨兵では、最大の効果が得られない可能性が高い。
 残された可能性。双武将が知らず、尚且つ最大の効果が得られる手段。そんなものが本当にあるのだろうか。
 誰もが悩み、言葉を失ってしまう中、光海の脳裏で何かが光り輝いていた。
(何、何なの? 私たちが見落としてる可能性。それっていったい……)
「あの、もしかしたら、なんですけど……」
 おずおずと挙手をする孔雀に、誰もが疑問符を浮かべたような表情で視線を向ける。
「琥珀さまに見せていただいたもの、角王式戦馬合体なら……」
 その瞬間、一同の脳裏に浮かぶ図面の絵柄。人馬の姿をした、風雅第三の合体忍巨兵。今後、ガーナ・オーダとの戦いが、最終局面を迎えるだろう時のために用意された物であるトライホーンフウガなら、もしかしたら。
「それなら、なんとか間に合った、といったところですか。お待たせしました、皆さん」
 そんな声と共に雲を突き破り、大海の戦場に舞い降りる純白の翼に、ナイスタイミングと柊が指を弾く。
 それにしても、今の声は瑪瑙のものではなかったようだ。疑問に思った光海が口を開こうとしたとき、それに答えたのは声の主だった。
「諸事情があり、里には帰らずそのまま戻りました」
「姉さまは舞を、私は笛を担当します。新しい角王の話は聞きました。来るまでに詳細も調べておきましたので、いつでも大丈夫です。それに……」
 珍しく良く話すと思えば、突然言葉を濁す瑪瑙に、日向も困ったように空を仰ぐ。
 つられるようにして空を仰ぐ光海たちの前に、突然見たこともない、赤い忍巨兵が舞い降りる。
 真獣王ガイアフウガ。これを知るのは、リードを故郷に持つ者くらいだ。そして、その乗り手を知らぬ者は、この場には存在しない。
「助っ人を連れてきました」
 瑪瑙の説明に苦笑を浮かべたのは、決して光海だけではない。
 この忍巨兵が放つ気配には、勇者忍軍の誰もが嫌というほど覚えがある。
 リードを故郷に持ち、そんな故郷を滅ぼしたガーナ・オーダに復習を誓った仮面の戦士。風雅陽平の好敵手にして、勇者忍軍最大の難敵と言っても過言ではない。
「釧さん、ですよね」
 光海の問いかけに、真獣王は腕を組んだまま無言で顔を向ける。
 残念ながら、光海にはその瞳が何を言いたいのかはわからないけど、今この場で自分たちと敵対するつもりはない、ということくらいはわかる。
「あの、釧さま、ご無事でなによりです」
 恐る恐る、しかし心底安心したような孔雀の言葉にも、釧は何も答えない。
 本当は、行って抱きついてしまいたいほど嬉しいはずなのに。そんな孔雀のために、何かをしてあげたいが、自分が口出しできることではないはずだ。それに、残念ながら、再会の感動に浸らせてあげられる余裕もない。
「確認だけ、させてもらいます。貴方は混沌の獣王、釧ですね?」
 楓の問いに、やはり真獣王は無言で首肯する。
「助っ人と言いましたが、私たちに協力する、と?」
「心配するな。風雅陽平のいないキサマたちに用はない。それに……」
 忌々しいとばかりに突き刺すような視線を向けた先は、未だ邪滅の矢の威力から逃れられないでいる双武将。
「ヤツらには借りがある。ここでまとめて返してやる」
 どこか落ち着いた印象を受ける。しかし、全身から放たれる殺気は、以前とは比べ物にならないほど強い。
 そういえば、真獣王の背中にある翼には見覚えがある。あれは、椿の持っていた孔雀型の忍獣サイハだ。あれをいったい、何処で入手したというのだろうか。
 そんな視線に感づいたのか、釧は「借り物だ」とだけ呟くと、さも、つまらなそうに視線から背を向けた。
「状況はいまいち理解できないけど、釧さんが助っ人になってくれるほど心強いことはないわ」
 そんな光海の言葉を、あくまでフォローなのだと受け取ったのか。楓は小さな溜め息で区切ると、「仕方がない」と誰にでもなく呟いた。
「わかりました。では、私たちでサポートしますので、光海さんたちは合体に集中してください」
 そのサポートが、双武将を相手と想定しているのか、はたまた真獣王の釧を相手と想定しているのかはわからない。しかし、それ以外に策はないと思ったのか、楓は渋々といった感じで了承するのだった。
「拘束力がなくなり始めてる。おそらく、すぐにでも飛び出してくるわ」
 空気の振動が、中で怒り狂っているだろう双武将の姿を、否応なしに想像させる。
「孔雀ちゃん、日向さん、それに天城さん」
 光海に名を呼ばれ、輝王と天王が森王に向き直る。
「私は、みんなみたいに強くない。恥ずかしいけど、戦う理由だって、すごく自分勝手。とても褒められたものじゃない」
 こんな状況だというのに、静かに語る光海の言葉に誰もが頭を振る。
 みんなは知っている。光海は、本当ならこんな戦いに巻き込まれるべき人ではなかったことを。それでも大切な想いと共に、今まで苦しくて、辛い戦いを潜り抜けてきたことを。
「ありがとう。でもね、一緒に戦って、こうしてみんなと一緒にいて、わかったことがあるの」
 言葉に溜めを作り、光海は実に晴れやかな笑顔で一同に告げる。
「私は、みんなのことが好き。そして、陽平のことが好き」
 はにかむような照れ笑いを浮かべながら、それでも、はっきりと自分の気持ちを語る光海に、仲間たちも照れたように笑みを浮かべていく。
「私は、そんな大好きなみんなと、ずっと、いつまでも一緒にいられる場所を守りたい。一緒なら、どんな事だって怖くない。だから最後まで、大好きなみんなと一緒に、私は戦いたい!」
「ねーさま」
 思わず涙ぐむ孔雀に笑顔を向け、光海は日向と瑪瑙にも、強い意志の篭った視線を向ける。
「私はお願いする立場です。どうか私も、貴女たちと一緒に戦わせてください、と」
 事情によって巫女の権利を剥奪された少女は、ずっと思い悩んでいた。誰よりも風雅を愛し、誰よりも忍巨兵たちを慈しむ日向が、自分が戦えないことに納得していたはずもない。
 力を持ちながら、戦場に立つ資格がない苦しみ。それは、つい先ほど、すべて椿に預けてきたところだ。
「私のことは気にしないで。必ず、みんなを守るから」
 そんな瑪瑙の言葉が嬉しく、誰もが優しい笑顔で少女の決意を見守った。
 そして、ようやくその時がやってきた。
 邪滅の矢の戒めを内側から揺るがし、その衝撃が海を大きく波打たせる。
「じゃあ、みんな。……いくよ!」
 光海の号令に、その場にいる全ての者が武器を掲げて応える。
「風雅流、奥義之壱」「「「三位一体っ!」」」
 日向の持ってきた巻物から、解き放たれた文字が、光の帯となって森王、輝王、天王の三体を包み込んでいく。
 だが、試験もなしの土壇場一発合体。普段のようにはいかないことは、既に予測済みだ。
「合体までの時間稼ぎは、私たちに任せてもらいます!」
「ほんの数秒間だけ、だけどね!」
 内側から、邪滅の矢の戒めを打ち破る双武将の破壊的な圧力に、僅かに顔をしかめながら、それでも怯むことなく双王が果敢に飛び込んでいく。
 既に理性を失ったのか、咆哮とも、喘ぎ声ともつかない奇声をあげる双武将は、体のいたるところを突き破って飛び出す連結刃を操り、全ての忍巨兵に向けて同時に狙いを付ける。
「「キャアアアアアアアアアアッ!」」
 頭に響く奇声が引き金となって、全ての触手が同時に打ち出される。
「そんなもの、通すかよッ!」
 弐式に変化した双王が、触手の先端を破壊しながら次の触手へ、そしてまた次の触手へと、飛び移りながら攻撃を繰り返す。
 その間に、獣型に変化した森王、輝王、天王が空へと駆け上がり、各々が合体する形態へと変形する。
「双王の多段変化から成る攻撃バリエーションの数々、見てみなさい!」
 壱式の装備した影魔爪が、片っ端から触手に糸を絡め、千切る傍から束縛を繰り返す。
「弐式ィ!」
 地上近接攻撃特化型に変化した双王が、風よりも早く水上を駆け抜けていく。
「狼牙ァッ、大、噛、弾ッ!」
 海面に叩き付けた狼頭の両腕が、竜巻と水圧の衝撃波が入り混じった巨大な牙を作り上げると、双王はそれを蹴り込みながら双武将の下半身である、ガイ・ヴァルトの頭部に風と水の生み出した全ての牙を突き立てる。
 悲鳴にも似た叫びが上がり、それと同時に崩れ落ちる鎧巨兵の装甲が、砂となって海に消えていく。
 だが、想像以上に再生が早い。既に忍邪兵として完全に生命の虜になってしまっているのか、頭部が再生してもガイ・ヴァルトの咆哮は、ただの獣のような唸り声になってしまっている。
「参式っ!」
 飛行遠距離攻撃特化型に変化した双王は、炎の弾丸を撃ち散らしながら双武将の背後を取る。
「空牙っ、凰燐斬っ!」
 振りぬいた手刀が、炎の刃となって双武将の背中を斬り付ける。正確には、目に見えない刃が切りつけた傷跡が燃え上がるのだが、刃が飛ぶのを視認することはできない。
 風牙の一つ、狼牙と空牙。その特性は、術と体術による同時攻撃と、遠当てによる対象内での術発動。
「「壱式、影魔爪ッ!」」
 触手の網を掻い潜り、風牙で強化した巨大な爪が、連結刃の触手をまとめて引き裂いていく。
 ちらりと見上げた空では、三体の忍巨兵が見たこともない姿へと合体を果たしているところだった。
 森王が胸と肩、そして腕から拳を形成し、輝王が頭部に身体、腰から膝までを形成する。天王が形成するのは、前足の膝から下と、人馬特有の後ろ足。そして、天王最大の特徴ともいうべき白い翼を背中に付け、新たな合体を果たす。
 興味なさそうに見上げていた釧さえも、自身が気づかぬ内に「あれが」と驚きを口にしていた。
 黄金の一角を携えた角王の瞳に光が宿り、中では右に孔雀、左に瑪瑙、少し段差が加わり、やや高くなった後ろに立つのは日向、そして正面には光海と菱形に並ぶ四人の少女が一斉に巫女服へと衣装を変え、森王之祝弓、輝王之刃破、水晶之笛、そして失われたはずの賢王の忍器、華扇【かせん】がそれぞれの巫女の手に握られる。
「戦馬、入場……」
 光海の声で、三色の光で出来た大きな輪を、四人が同時に潜り、周囲の景色が一斉に映し出されていく。
「「「角王式戦馬合体ッ! トライホーンフウガァッ!」」」
 荒馬のように前足を上げ、背中の翼をいっぱいに広げて突風を生む忍巨兵に、双武将の動きがピタリと止んだ。
 空に現れた忍巨兵を一番の難敵と認識したのだろう。二つの口を限界まで開き、思わず耳を塞ぎたくなる様な奇声をあげる双武将に、角王は羽虫でも払うかのように左腕を振りぬいた。
「森を焼き、命の輝きを蝕む者たちに、この角王戦馬トライホーンフウガが天の裁きを与えます!」
 しゃらくさい、とでも思っているのだろうか。一気に駆け下りる角王に、半数の触手が襲い掛かっていく。
 文字通り空を駆ける角王は、掲げた手に白銀に輝くハルバートを握り締めると、それを自身の前方で回転させながら触手の進行を阻み、勢いを緩めることなく駆け下りていく。
「接近しての攻撃は、任せてください!」
 自信を持って告げる孔雀の言葉に頷き、光海は手にした手綱を操作して一気に双武将の脇を潜り抜けていく。
 通り過ぎていく双武将の巨体を横目で睨み付けると、孔雀は手にした薙刀を振り、角王は本来、ホーンフウガ用の武器として用意されていたクロスホーンハルバートの一撃で双武将の前足を切り落とす。
 駆け抜けながら双武将の背後を取った角王は、左手に弓を構えると、ハルバートを矢に変えて弓に番える。
 当然、その弓を中で操るのは勇者忍軍の名射手、光海だ。
 弦をいっぱいに引き絞り、狙いをつけて矢を解き放つ。
 矢を受けた左の後ろ足が、まるで何かに削り取られたように綺麗に穿たれて完全に消失すると、双武将はいびつな形に再生しながらその咆哮を衝撃波に変えて角王に打ち出した。
「無駄です」
 興味がないとばかりに瑪瑙の奏でる笛が空気を震わせ、衝撃波を眼前で相殺する。
 角王が両手の武器を大小の扇に持ち替えると、次にそれを操るのは日向に変わる。
「足場が違うので少し勝手が違いますが、多少の応用は利きます」
 再び駆け下りる角王が、交差した手で二つの扇子を振りぬくと、まるでロケット噴射で加速したかのように触手の網を通り越えて双武将の真正面に降り立った。
 まるですり抜けたかのような体裁きと足裁きは、風牙の一つ、透牙によるものだ。
「風雅流戦舞、曼珠沙華!」
 両手に構えた扇子を振りかぶり、小さな火種を点けて交差するように振り下ろす。火種は舞によって流れを変えた空気の筋道に従い、周囲に赤い筋を描いて双武将を中心に交わっていく。
 名の通り曼珠沙華のように赤い筋は、周囲から襲い来る触手を根元から完全に断ち切ると、彼岸花の名に相応しく送り火のような華やかさを残す。
「ガーナ・オーダ、鎧の双武将。これで最期です」
 そう言って、突き付けるように、再びクロスホーンハルバートを構える角王に、光海は慌てて双武将の額に視線を移す。
 驚いた。あれほど強固な水晶体に包まれていたはずの翡翠が、どういうことか剥き出しの状態で額に張り付いているではないか。正確には、下半身と両手だけが額に沈む形で磔にされている。
 こちらがガイ・レヴィトの頭部を一度たりとも狙っていない以上、攻撃で露出したわけではないようだ。
「双武将の変態で、内側に閉じ込めておけなくなったようです」
 そう補足説明をする日向に、光海の顔が青ざめる。
 下手をすれば、これ以上変態を繰り返すことで、取り返しのつかないことになってしまう可能性も十分にありえるということになる。
「先に翡翠ちゃんを救出しないと!」
 だが、角王が動くより早く、ガイ・レヴィトの頭部を目掛けて飛来したのは、沈黙を守っていた真獣王だった。
 釧は手にした刀──炎鬣之獣牙を抜き放ち、その切っ先をガイ・レヴィトの眉間に向ける。
 彼の師、鏡の小屋には、数多くの手記が保管されていた。
 当然、獣王の証こと炎鬣之獣牙について書かれたものもあり、釧は立ち去る前に、それに一通り目を通しておいた。
 陽平に見せるつもりだったのか、卓上に無造作に置かれた本を手に取り、何ページか読み進めている内にわかったことがある。やはりというべきか、この刀は普通のものではなく、ましてやリードの誰かが鍛えたものでもない。初代獣王の忍びとも言われる戦士が異界から持ち帰ったものだということ。そしてこの刀は人の意思にあまりに敏感だということだ。
 自ら持ち主を選び、その主の意思を受け願いを叶える刀。つまり切れろ≠ニ強く願えばたとえ伝説に名を轟かせる鎧をも斬り捨て、穿て≠ニ願えばどんな盾をも貫く無敵の刃。
 つまり盾王を切るつもりがなかったにも関わらずその身体を両断したのは、皮肉にも釧が立ちふさがる全てを退ける≠ニいう強い思いを持っていたためだった。
 しかし、一見無敵の刀に聞こえるが実はこの刀にも致命的な弱点があった。
 願いを叶える際、その願いの大きさに応じて体力と精神力を根こそぎ奪われるということだ。
 敏感故に刀を振るえば必ず願いを叶えるため、能力を必要とするとき以外は抜くこともままならない刀。
 そうと知りながら釧はその刃を再び抜き放つ。
「解き放て<b!」
 強い想いと共に走る切っ先が突き刺さった瞬間、ガイ・レヴィトの額から翡翠の小さな身体だけが摘出され、その身体を真獣王の掌が優しく包み込むように受け止める。
「キサマらが俺から奪ったもの。たった一つだが、確かに返してもらったぞ!」
 湧き上がる怒りをそのままに、釧の太刀がガイ・レヴィトの首を絶ち斬る。その後、すぐに離脱した真獣王に、角王はチャンスとばかりにクロスホーンハルバートを構え直す。
「姫ッ!」
 角王の声に光海が頷き、それに応じて瑪瑙が水晶之笛を奏でる。
 音色に作用した角王の動力が一気に限界値まで出力を跳ね上げると、構えたハルバートの切っ先がうっすらと白い輝きを放っていく。
 天翼扇のように対象の時間を扇ぐようなことはできないが、白い輝きを纏ったクロスホーンハルバートはその鋭さを増し、通常時の数倍の切れ味となる。
「天刃ッ、起風・招雷ィッ!」
 ハルバートを竜巻が包み、金色の雷が刀身から迸る。
「重奏奥義ッ!」「「「天雷ッ、旋風ゥ突ッ!」」」
 竜巻と雷を纏い、そして白刃と化したハルバートが厚い装甲に覆われた双武将の胸を、砂の城を突き崩すかのように易々と貫いていく。
 その攻撃で完全に核を失ったのだろう。引き抜かずにそのまま縦一文字に双武将の身体を二つに割ると、合体鎧巨兵はようやくその活動を停止。砂浜の砂のように白く変色すると、そのままザラザラと崩れ始めていく。
「双武将の最期ね」
 感慨深くその光景を見下ろしていた楓の言葉に、柊はやっと終わったとばかりに、どかりとその場に胡坐をかく。
「楓、あそこ」
 双王の声に視線を巡らせれば、先に飛ばされていたガイ・レヴィトの頭が波打つ海に浮かんでいた。
 どうやらまだ完全に死滅しているわけではないらしく、金魚のように口をパクパクと動かしている。
 哀れなものだ。その生命力故に、ここまでされても死ぬことができないなんて。
「なら、せめて!」
 双王の放つ炎の羽が、そんなガイ・レヴィトの頭を焼き尽くしていく。
「さようなら。鎧の双武将……」
 そんな呟きをかき消すように、大きな波が双武将の燃えカスを押し流していく。
 ようやく終わった。目の前で繰り広げられた光景にそんな感覚を迎えることで、光海は心底安堵の息を漏らすのだった。
 終業式から始まった双武将との長い戦いも、ようやく終わりを告げた。
 9月の半ば。やや冷たくなり始めた、日本海のど真ん中での出来事だった。






 鎧の双武将が敗れたことは、ここ降魔宮殿にまで伝わっていた。
 頭は悪かったが、決して弱くはなかったはずだ。それだけに彼らが敗れたことは、蘭丸にとっても少々意外なことであった。
 リードの姫も取り返されてしまい、結局のところ、手柄は竜王を始末したことのみ。
(まぁいい。竜王は風雅の要。潰しておくにこしたことはない)
 表情一つ変えずにそんなことを一人ごちると、蘭丸はくっついたばかりの腕の感触を確かめるように何度も動かしてみる。
「ワシの技術は確かじゃ。それほど気に入らぬならば、オヌシも生命の奥義書モドキでも使ってみるか?」
 すぐ後ろの扉が開き、中から現れた小柄な老人を一瞥すると、蘭丸は許可も取らずにずかずかと部屋の中へと入っていく。
 不気味な印象を受ける部屋だ。数々の動物の死骸に混じり、どうやら人間だったものらしい残骸まで見受けられる。それ自体には何の感慨も受けないが、やはり一番気味の悪い印象を受けるのは、部屋の中央に設置された巨大な円柱形のカプセルだった。
「仕上がりは順調じゃよ。あと半日もあればこの子は目覚めるだろうて」
 カプセルの中には得体の知れない緑の液体が満ちており、その中にふわふわと漂う少女の姿に、蘭丸は「そうか」と夢心地で呟いた。
 これが成功すれば、わざわざ苦労して生命の奥義書の在り処を探さずとも、信長を蘇らせることができるはず。
 是が非でも成功させてもらわなければならない。全ては、彼らの主のためなのだから。
 カプセルに触れた蘭丸は、中の少女がこちらに笑いかけたように感じ、あからさまに視線を逸らす。
 半日。その時間のどれほど長いことか。
「とにかく。サル、これは貴方に任せます」
 早々に退室する蘭丸の背中にニタリと不気味な笑みを浮かべた老人は、わかっているとばかりにカプセルの少女を振り返った。
 その少女に、彼は見覚えがある。彼だけではない。ガーナ・オーダが血眼になって探し、欲していた少女がそこにいる。
「ヒスイとは綺麗過ぎる名じゃ。お前には、もっと相応しい名があるはずじゃ……」
 少女の名は翡翠。それはつい先ほど、双武将の手から救出され、ようやく風雅の下に戻ることができた、リードの姫であった。












<次回予告>