正直、あれだけの崩壊に巻き込まれて生きていられるとは思わなかった。
 これはひとえに、一緒に居合わせた少女のおかげと言えよう。
 天井が近付いた瞬間、大掛かりな用意もなしに物理的な力を跳ね返す結界を張るなど、他の人間にできようはずがない。
 陽平は自身が五体満足なのを確認すると、肩や頭に乗ったままの木片を払い除けた。
「痛ゥ」
 直接被害は免れたとはいえ、あの震動だ。身体中が打ち身になっているらしい。
 震動が止んだとはいえ、辺りには言い知れぬ邪気が満ちている。
 姿が見えないとはいえ、敵はまだ近くにいるはずだ。このままここにとどまるのは危険過ぎる。
「そういや……。おい、無事かっ!」
 思い出したように辺りの瓦礫を持ち上げ、下敷きになっているだろう人物を探す。
 陽平同様、直接的な被害を受けてはいないだろうが、瓦礫にのし掛かられ動けない可能性もある。
 できるだけ重たい破片を押し退けながら、ようやく発掘した人の手を力一杯引き摺り出す。
「おい、生きてるよな!」
 陽平の問い掛けに、砂や埃に塗れた十兵衛が咳き込みながら頷いた。
「陽平、琥珀は無事か」
 とりあえず無事そうな中年は座らせておき、続けて小柄な少女の探索に入る。
 あのサイズだ。簡単に潰されたか、運良く瓦礫の隙間にハマったかのどちらかに違いない。
 しかし、本来の時間通りに事が起こっているなら、間違いなく後者のはずだ。
 いくつかの瓦礫を押し退け、丁度目に付く範囲で一番大きな破片を動かした瞬間、足下で何かが動く気配があった。
「ぅ……」
 今度は声まで聞こえてきた。
 どうやら足下というか、陽平の足の下にいるらしい。
 慌てて飛び退き、自分の立っていた辺りを掘り返すと、案の定、少女の頭が顔を出した。
「ぷは。助かりました」
「そりゃ、こっちのセリフだ……ぜっ!」
 脇の下に腕を通し、勢い良く琥珀の身体を引き抜いていく。
 とりあえずもう一人いた忍者は、十兵衛の横で伸びているが、命に別状はないらしいのでこのまま放置する。
 とにかく皆の無事が確認できたことに安堵の息を漏らし、陽平は遠く煙の上がる方角を眺めていた。
 どうしても、十兵衛に確認しなければならないことがある。
「本能寺で信長を討ってから何日だ」
 尋ねながら十兵衛を振り返る。
 当然、困惑の表情を浮かべる十兵衛に、陽平は「大事な事なんだ」と真剣な面持ちで詰め寄った。
 最初は面食らっていた十兵衛も、陽平の雰囲気から何かを悟ったのだろう。少し考え込むような素振りを見せてから、人差し指をピンと立てた。
「一月だ」
「一月って、それじゃ、なんで明智光秀が生きてンだよ」
 確かに、一説では明智光秀の生存説がとなえられているが、どちらかと言えば死亡説の方が有力なのだ。
 信長討伐より十一日。羽柴秀吉の軍の、圧倒的な兵力の前に敗退した光秀は、京都の地で一人の男に首を取られることになる。
「いや、それは陽平の言う通りだ。ワシは公では、既に死亡している事になっている」
 十兵衛の説明は、およそ陽平の知るものと一致していた。
 しかしながら、そもそも忍巨兵や風雅を歴史に残す事を危惧した十兵衛は、仲間たちを各地に散らせ、わざと残存兵力を少なく見せ、可能な限り犠牲を出さないよう負けてみせたのだ。
 そして、風雅の術によって作り出した十兵衛の影武者を、わざと討たせる事によって、風雅の存在を外に漏らす事なく歴史の裏に封じようと試みた。
 結果、秀吉も一度はそれを信じて更なる追撃には出てこなかったが、どうやらあれが偽者だったとバレてしまったらしい。
 どこで突き止めたのか、ついには風雅の隠れ里まで発見し、こうして忍邪兵による攻撃を仕掛けてきたようだ。
「待てよ。ってことは、ここは京都じゃねぇのか」
「いかにも。ここは我らが初めて風雅と手を取り合った地、時非だ」
 時非。よもやこんな場所に来てまで耳にする名とは、思ってもみなかった。
 その名を聞くだけで、陽平の中に、未来にいる仲間たちとの絆が生まれた気がしてくる。
「事情はわかった。とにかく、だ。今はあいつを倒して時間を作らねぇと、帰る方法を探すこともできやしねぇ」
 手にした獣王式フウガクナイで影衣を身に纏うと、蒼い勾玉を太陽に透かすよう、空に向けて掲げる。
「風雅流、召忍獣之術ッ!」
 沈黙が流れた。
 いつもなら陽平の呼び掛けに応じて勾玉が輝き、蒼天の竜王が姿を現すはずが、どうしたことかまったく反応を見せようとしない。
 忍獣を召喚できない上に、勾玉もまるで反応を示さず、陽平は何事かと勾玉を覗き込んだ。
「陽平さま。その竜王というのは、未来で生まれた忍巨兵でしたよね」
 琥珀の問い掛けに、陽平は難しい表情のまま頷いた。
「だからだと思います。未来の忍巨兵故に、過去に持ち込むことができないんです」
「じゃあ、いったいどうしろってンだよ。……そうだ、この時代の忍巨兵は!」
 過去の忍巨兵とはいえ、その性能は大きく違わないはず。
 我ながらグッドアイディアとばかりに十兵衛を振り返るが、返ってきた答えは無言の否定だった。
「なんでなンだよ!」
「獣王をはじめ、十二の忍巨兵は既に封印されておる。残念ながら、我々には生身で戦う以外に道はない」
 それはつまり、元より秀吉と心中するつもりだったということではないか。
 風雅の忍者たちは、命を武器に残された最後の武将、秀吉を倒し、自らをも殺すことで口を封じる気でいるのだ。
 ただひとつ、リードという大きな秘密を、可能な限り少数の人間の間でとどめるために。
「時代の捨て石になろうってのかよ」
 俯いた陽平は、ギリギリと強く奥歯を噛み締める。
 握り締めた手が痛くなるほど獣王式フウガクナイを握り締め、自らの無力に激しい怒りを覚えた。
「……ぇ」
 ぽつりと呟いた陽平に、琥珀は何事かと首を傾げる。
「やらせねぇ。俺が、絶対に、そんなことはやらせねぇッ!」
 叫びは裂帛の気合いとなって、陽平の周囲に巫力の風を呼ぶ。
「陽平、オヌシという男は……」
「陽平さま」
 十兵衛と琥珀の見守る中、陽平は手にした獣王式フウガクナイを一振りすると、柄尻から竜王の蒼い勾玉を外す。
 いつか必ず必要になるからと、未来の琥珀に預けられた、傷の癒えた黄色い勾玉を取り出すと、それを徐に、柄尻の穴にはめ込む。
「アンタたちの命は、俺が死んだ後に使ってくれ」
「陽平!」
「陽平さま!」
 何を言っているんだと止める二人を振り返り、陽平は自らを中心に竜巻を生み出していく。
「まず命を懸けるのは、現在【いま】を戦う俺と、その相棒の役目だ!」
 そう高らかに宣言した瞬間、陽平の中で何か鼓動のようなものが跳ねた。
 それは決して、陽平の勘違いでも、ましてや気のせいでもない。
 陽平の風に呼応するかのように、獣王式フウガクナイの黄色い勾玉が、微かな明滅を繰り返している。
「こいつは……」
 陽平自身、何か意図があって付けたわけではなかったのだ。ただ、どうせ最期の戦いになるのなら、せめて相棒と一緒に戦いたかっただけ。
 そのはずなのに、今また、少年の目の前で、新たな奇跡が起ころうとしている。
「封印されているとはいえ、獣王はこの時代にもいます。偶然とはいえ、この時代の獣王と、未来の勾玉が何かしら共鳴を起こしているのだとしたら……」
 それはつまり、過去であろうと未来であろうと、陽平と獣王を結ぶ絆があるということだ。
「陽平、オヌシが呼ぶのだ! 最強の……!」
「伝説の……!」
「「白き王の名をっ!」」
 二人の叫びに、陽平は胸の奥から込み上げるあの言葉≠唱え上げる。
 やや大振りの、黒光りするクナイを振り上げ、自ら生み出した竜巻を縦一文字に引き裂きながら、大地に突き立てる。
風雅流、忍巨兵之術ッ!
 勾玉の輝きが瞬く間に周囲を包み込むほどの閃光に変わり、辺りを白い輝きが満たしていく。
吠えろッ
 光を引き裂く黄金の爪が、大地を穿つ勢いで踏み締める。
獣王ォ!
 猛々しい獅子の咆哮が、突き抜けるように大気を震わせる。
クロォォスッ!
 光も、風も、驚きも、悲しみも、不安も、後悔も、全てが咆哮一つにかき消されていく。
 そういえば、初めての出会いも、こんな風に白い獅子を見上げていた気がする。
「クロス」
 歩み寄る陽平に、獣王は何も応えない。
 怪訝な顔で見上げる陽平に、琥珀が良く見てと獣王を指差した。
 そんな事、言われなくても良く見ている。しかし、どこも違ったところなんてない。
 いや、言われるままに見上げてみれば、獣王の身体が透けているように見える。
「なんだよ、これ」
「影が、薄いんです」
 獣王の存在を、陽平の知る獣王クロスという存在を、支える記憶が不足している。
 そんな説明を聞きながら、陽平はゆっくりと歩み寄り、今にも消えてしまいそうな獣王の身体に触れてやる。
 涙が溢れてしまいそうだった。
 奇跡まで起こして、獣王は陽平の呼び掛けに応えてくれたというのに、自分の記憶では獣王の存在を支えてやる事すらできないなんて。
「これでは戦えぬか」
「いや、方法はあるさ」
 十兵衛の言葉に頭を振った陽平は、手にした獣王式フウガクナイを掲げて勾玉を発動させる。
「行くぜ。相棒」
 陽平の、落ち着いた静かな声に、獣王がゆっくりと頭を下げていった。






 時非の地にあった風雅の隠れ里は、既に原形をとどめぬほどに壊滅していた。
 至る所から煙が上がり、幾つもの家屋だったものの破片が、十体もの邪装兵に踏み荒らされる。
 さすが忍者の隠れ里というべきか、既に辺りに人影はなく、里の者たちはとうに戦場を離れているのがわかる。
 しかし、いつの時代も逃げ遅れた者というのは存在する。
 腰が抜けたのか、一人涙しながらその場にへたりこむ小さな少年の泣き声に引かれて、一体の邪装兵が少年を見下ろした。
 赤々と点る邪装兵の一つ目は、少年を見下ろしても感情を見せるようなことはない。
 刃になった右手を振り上げ、再び瞳に光を灯した瞬間、一筋の閃光が邪装兵の身体を両断した。
 いつの時代も逃げ遅れる者があるように、いつだって、何処にだって颯爽と現れる勇者もまた存在する。
 邪装兵の爆発から少年を庇い、ゆっくりと身体を起こしながら白い獅子が少年に逃げるよう頭を振る。
「ぁ……獣王さま」
 まだ恐ろしさが消えないのか、震えたままの少年は慌てて立ち上がると、律義に一礼して駆け出していく。
 今、少年は恐怖に立ち向かう勇気を手にした。
(それを教えてくれるのは、いつだってお前だったンだ)
 陽平という存在に支えられ、獣王は九体もの邪装兵と対峙する。
「よォし、行くぜ。クロス、変化だ!」
 陽平の指示に従い、駆け出した獣王がその身を跳ね上げる。
 尾と後ろ足を収納した獅子は、腰から下を引き伸ばすと、二つに割って人型の脚に変える。
 続けて前足の爪を倒して拳を出すと、獅子の頭が上顎と下顎に別れて、それぞれ背中と胸にスライドする。
 現れた人型の頭部では、両の眼に輝きを宿し、獣王は獅子から忍者へと姿を変える。
 心転身の術で混じりあった少年の意思が、影の薄い忍巨兵を徐々に明確なものへと変えていく。
獣王忍者、クロスッ!
 取り出したマスクで口元を覆い、鋭い眼光で邪装兵を捉える。
 対峙する一体の忍巨兵と九体の邪装兵。動いたのはほぼ同時であった。
 飛び上がる二体の邪装兵を目掛けて、獣王もまた宙へと跳び上がる。
 刃の腕を持つ邪装兵が、獣王の身体を縦と横に同時に引き裂いていく。
 だが、陽平がそう容易く斬らせるはずもない。十時に斬られた残像と時間差で、本物の獣王が忍者刀を横に走らせる。
 爆発寸前の邪装兵を蹴って瞬時に地上へ。着地と同時に両手のショットクナイで左右の邪装兵の頭を吹っ飛ばす。
「これで、四つ!」
 陽平の声を待っていたかのように同時に爆散する四体の邪装兵が、獣王を彩る爆炎を巻き上げる。
 気のせいか。その瞬間に、獣王の影が濃くなった気がした。
 襲いかかる鎖鎌をバックステップでかわし、次々に足下に突き刺さる鎖付きの刃を、バク転で避け続ける。
「そんなものに当たるかよっ!」
 邪装兵の頭上に跳躍しながら、背中のたてがみに装備した二本の大型クナイ──クロススラッシャーを引き抜く。
 空中では回避できないはず。そんなありきたりな戦術を元に、宙にいる獣王を刃を外した右腕の手裏剣機銃で狙い撃つが、それが通じるのは、相手が飛べないことを前提とした場合だ。
 確かに、獣王は単体で飛ぶことはできない。それは決して間違ってはいない。
 だが、共に在るのが陽平ならば、話は別だ。
 陽平の持つ天性のバランス感覚は、神業的な体重移動を可能とする。それは即ち、空中にあっても決してバランスを崩さず、更には空中疾走という普通では考えられないような技術を使わせる。
 右手のクロススラッシャーを振る勢いで射撃をかわし、着地点を邪装兵の背後に変える。
 刹那、振り向きざまに走る刃が邪装兵を胴斬りにし、爆発から遠ざかるように跳躍する。
 まただ。また、獣王の影が濃くなった気がした。
 まるで陽平の戦いぶりから自分を思い出していくかのように、少しずつ獣王がその存在を確立させていく。
「それならァ!」
 駆け出した獣王は、ときに手裏剣機銃を回避しながら、ときに左右のクロススラッシャーで手裏剣機銃を叩き落としながら間合いを詰めると、右手のスラッシャーを目の前の邪装兵に投げ付けのけ反らせると、その隙に脇をすり抜けるように左のスラッシャーで隣りの邪装兵を斬り抜けていく。
 駆け抜ける瞬間に回収したスラッシャーを、手持ちのスラッシャーと柄尻同士で繋げ合わせる。
 二枚の刃が四枚にスライド展開すると、巨大な十字手裏剣になったクロススラッシャーが手の内で回転するだけで、邪装兵が幾重もの輪切りにされていく。
「残り二つ!」
 距離を取ろうと後退を始める邪装兵に、巨大な十字手裏剣を投げ付けると、残る一体を獅子に変化して追いかけていく。
「うゥああああッ!」
 爪が地面を蹴る度に、大地の巫力が獣王の爪を黄金の刀身に染め上げていく。
 多少の距離など関係ない。獅子の王に狙われた以上、相手を待つ未来は一つのみ。
ビィィストマスタァ! クロォォッ!
 黄金の爪に引き裂かれた邪装兵の上半身が滑り落ち、四本の足で地面を穿ちながらブレーキをかける獣王の背後で盛大な火柱が立ち上る。
「こいつで、どォだよ」
 刹那、肩で息を切らせながら、背後を振り返る獣王を真横からの衝撃が襲いかかった。
 もんどりうって転がる獣王に、追い討ちをかける紫の光弾。
 舌打ちしながらそれを避け、転がるように忍者へ姿を変えると、すぐさま忍者刀を引き抜いた。
「なッ、なんなんだよ、こいつはッ!」
 全ての邪装兵は倒した。しかし、それだけで終わるほど秀吉の手勢は甘くはなかった。
 獣王を見下ろすように宙で佇む鎧武者は、不気味な紫の光をありとあらゆる間接から煙のように噴き出し、手にした巨大な大鎌でこちらを狙っている。
 それに、獣王よりも遥かに大きい。目測でも約五十メートル。ひょっとしたらもっとあるかもしれない。
「てぇめぇッ! 忍邪兵だな!」
 地上から切っ先を向ける獣王を嘲笑うかのように、紫の忍邪兵が空いた左手に光弾を作り出す。
 先ほどの一撃はあれかと舌打ちすると、陽平は急いで獣王を走らせた。
 獣王が跳躍する度に踏み切った足場が炸裂し、その破壊力に陽平が眉を顰める。
 いかに空中疾走ができるとはいえ、それは飛べないことが前提での有利さにすぎない。
 飛行能力を持つ相手に対して戦いを挑むには、あまりに博打要素が大きすぎる。
 着地点を狙われ、光弾の着弾と同時に獣王の身体が壊れた玩具のように転がっていく。
 想像以上に強い。このままでは、後数回の着弾に耐えられるかも怪しいところだ。
「ち、くしょォ……」
 腕をつき、重たい身体を気力で立ち上がらせる。
 空を見上げれば、大鎌を両手に構えた忍邪兵が、身体を捻るほどの勢いで刃を振り上げている。
 あれでやられたら、文字通り二つになるしか未来はない。
(負けられねェ。俺は、帰るンだ)
 膝に手をつき、ふらつく身体を支えながら、目の前に広がる光景に奥歯を噛み締める。
「帰って、あいつらに会うンだ」
 仲間たちの顔が浮かんでは消え、陽平は痛いくらいに唇を噛む。
「俺は……お前と一緒に帰るンだァッ!」
 その叫びが咆哮となって、獣王の全身から莫大な量の巫力を放出すると、巫力と混じり合った自然界の気が、火を、水を、地を、風を、雷を呼び起こす。
 風雅の術は、用いる際に、自らの意思で巫力と自然界に満ちた気と混ぜ合わせる必要がある。しかし、無意識に放出された陽平の巫力は、辺りの気に構わず混じり合い、複数の自然現象を同時に生み出していく。
 噴き出したはずの巫力を獣王が吸収し始めると、どういうわけか、みるみるうちにその存在を確かなものへと書き替えていく。
 それもそのはず。巫力とは、精神力を含めた生命力と同義。それを取り込むということは、即ち命を共有するということ。
 かつて、腐獣王の一撃で命を落とした風雅陽平を救うため、獣王は己の生命力でその魂を繋ぎ止めた。
 あれから一月あまり。完全に回復した陽平に、もう二つの命は必要ない。
 だからこそ、本来の場所に返すときが来たのだ。
「クロス……」
 あまりの出来事に注意が逸れた瞬間、目の前に現れた忍邪兵の大鎌を体勢を低くして無理矢理掻い潜る。
 忍邪兵の巨体故に避け切ること適わず、柄に吹っ飛ばされる形で獣王が転がされる。
 その衝撃に忍巨兵から投げ出された陽平は、一体何が起こったのかわからないというように目を白黒させる。
「クロ……ス!」
 ピクリとも動かない相棒の姿に、陽平は這うようにして手を差し延べる。
 そんな陽平を覆うように立ち塞がる黒い影に、陽平は無意識に唇を噛んでいた。
 この距離で光弾を撃たれれば、避ける事は愚か、塵も残らずに消滅してしまうだろう。
(諦めるかよ! 俺は、絶対に、最期まで諦めねェからなッ!)
 腕をつき、膝をつき、傷ついた身体を奮い起こす。
 見上げる忍邪兵は掌に集まる紫の光を陽平に向け、まるで恐怖する姿を楽しむかのようにゆっくりと光弾を大きくしていく。
「やってみろよ」
 陽平の気迫に気圧されるように、忍邪兵の動きが僅かにためらいを見せる。
「やってみろよ。お前なんかに俺は殺せねェ。俺は……」
 瞳を閉じる陽平の脳裏に、獣王と共に戦った日々が、一コマの穴さえ許さないとでもいうかのように流れていく。
「俺は、獣王忍者が忍び。勇者忍者を受け継ぎしフウガマスターの子、風雅陽平だァッ!」
 刹那、放たれた光弾が届くよりも早く、一陣の風が陽平をさらっていく。
 着弾点から離れて膝をつく白い忍巨兵の姿に、見た者全てが口々にその名を呼んだ。
「おお! ついに目覚めたか!」
「あれが、未来の獣王」
 十兵衛と琥珀の呟きに、陽平は自分を助けた巨大な相棒をまじまじと見上げていた。
 そこにある優しい瞳は以前と変わることなく、マスクを外せば優しげな笑みを浮かべていたその顔に、陽平は流れ出す涙を堪えることができなかった。
 次から次に零れ落ちる涙をそのままに、陽平は差し伸べられた獣王の指先をしっかりと握り締める。
「クロス……」
「ああ。待たせてすまなかったな、陽平」
 呼べば相棒が応えてくれる。
 確かな存在感と共に、心に触れた温もりを感じることができる。
「クロ……スぅ」
「どうした。キミらしくないな」
 とめどなく溢れ出す涙を指摘され、陽平はうるさいと悪態つきながら両手の甲で涙を拭っていく。
「そもそも、お前が悪ィんだからな! 俺がいったい、どれだけ待ってたと思ってやがる!」
 指差し抗議する陽平に、獣王は「寝坊が過ぎたようだ」と変わらぬ笑みを見せる。
「ったく! それなら遅れた分、しっかりみんなに見せつけてやろうぜッ!」
 涙を振り払い、獣王式フウガクナイを手にした陽平は、獣王の背に向けて放たれた光弾に不敵な笑みを浮かべる。
 もはや、何が来ようと敵ではない。
「いくぜ、クロス。合体だッ!」
「応ッ!」
 陽平を掴み、光弾をギリギリの距離でかわした獣王が空に届かんばかりに高々と跳躍する。
「さぁ、いくぜッ!」
 獣王式フウガクナイの柄尻で勾玉が輝き、光が空に翼を描いていく。
「風雅流、召忍獣之術ッ!」

 空という壁を、刃の翼で突き破り、紅の翼クリムゾンフウガが姿を現す。
 風雅之巻を紐解き、光の文字が帯となって獣王と忍獣、そしてシャドウフウガ──風雅陽平を包み込む。
「風雅流奥義之壱、三位一体ッ!」

 分解していくクリムゾンフウガに合わせ、跳び上がった獣王が光の帯で結び付いたパーツを呼び寄せる。

 紅の鎧が脚を覆い、獣王が獅子の頭を胸に倒す。両腕を肩から背中に折り込み、獣王もまた、合体するための形態へと変化する。

 背中から覆い被さるように組み合わさった忍獣が、両腕と左右腰垂れ、更には後ろ腰を形作り、ガイドレーザー代わりの帯が、各所が合体していくと同時にガラスのように砕け散る。

 紅の頭部が起き上がり、爪を倒して拳を出すと、勾玉の光に包まれた陽平が額のプレートに吸い込まれると、左右から閉じるマスクが口元を覆い、反転して青い水晶が輝いた。

「獣王式、忍者合体ィ!」
 陽平と重なり合った巨兵の双眸に光が宿る。
 額に浮かぶ風雅の印が、心技体が結集した事を証明し、ついに復活した獣王を見る者全てに知らしめる。

「クロスッフウガァァッ!」
 振り下ろした刀印が空を裂き、最強と謳われた紅の忍巨兵が舞い降りる。
 全身どころか胸の内より広がる一体感に、陽平はその存在を一層強く感じ取る。
 共に戦うと誓い合った相棒がすぐそこにいる。この瞬間が来るのをいったいどれだけ待ち望んだだろうか。
「嬉しいぜ! また、お前と一緒に戦えるなんてなッ!」
 光弾の嵐を滑るように掻い潜り、右手の獣爪が胸板に二本の傷を刻み込む。
 オマケとばかりに至近距離からシュートブラスターを打ち込み、のけ反った忍邪兵目掛けて火遁を解放する。
「火遁、解放ッ!」
「受けるがいいッ。フウガッパニッシャァァッ!」
 赤い熱閃が忍邪兵の装甲を融解させ、ぼろぼろに焼けただれた胸にクロスショットを撃ち散らす。
 たとえ威力の低い武器だろうと、先に装甲を削っておけば十分に効果は期待できる。
 クロスフウガの速攻に宙から引きずり下ろされた忍邪兵は、里のど真ん中に巨大なすり鉢状のクレーターを穿ち、自らの重量に押し潰されるかのように叩き付けられた。
 合わせて地上に舞い降りるクロスフウガは、大鎌を杖代わりに立ち上がる忍邪兵を油断なく見据える。
 高揚感が押えられない。胸が張り裂けそうなほどに鼓動を打ち、それがそのままクロスフウガと同調する。
「やっぱ最高だぜ。お前もそう思うだろ、なぁ、クロスフウガ!」
 刃翼を切り離しつ両手に一つずつ。逆手に持った裂岩を構えると、大鎌を振りかぶった忍邪兵よりも早く十字に切り付ける。
「ああ。ワタシもそう思っていたところだ!」
 クロスフウガの意思で切り離された刃翼が夕立のように降り注ぎ、次々に忍邪兵の身体を貫いていく。
「風雅流……」
 振りかぶった手刀に巫力が集まり、一瞬で氷の刃を生み出す。
零牙ァ!
 集中して攻撃を続けてきた胸を、ようやく突き破ることに成功すると、氷の手刀が忍邪兵の体内でヤマアラシのように変化する。
 凍気を用いてゼロ距離から相手を突き崩す特性を持つ零牙。
 獣王の助けがあったとはいえ、まさかここまで使いこなせるとは思ってもみなかった。
 腕を引き抜くついでに忍邪兵を蹴って飛ぶと、距離を取って着地したクロスフウガの後ろ腰に刀の柄が飛び出した。
「斬影刀っ!」
「応ッ!」
 勢いよく引き抜いた鍔なしの刀が煌めく。
 腰を落として逆手に構え、背中のバーニアが点火すると同時にクロスフウガの姿がかき消えた。
 透牙の特性を持つ神速移動を見切る術はなく、風牙によって切れ味を増した刀身は、忍邪兵の装甲を易々と斬り捨てる。
 瞬きの間に忍邪兵の背後に切り抜けると、右足でブレーキをかけながら丁度身長の倍ほどの距離を滑り抜けていく。
 斬影刀を納めて直立し、左手で刀印を切るのに合わせて忍邪兵の首が滑り落ちていく。
霞斬り!
成敗ッ!
 のけ反るように落ちる首が、瞬く間に炎に包まれる。
 渦巻くように激しく燃え上がる火柱を背に、獣王の咆哮が高らかに勝利の宣言を告げる。
 遠く、高く響き渡った咆哮が辺りを静寂に引き戻し、天正十年、過去の世に未来の獣王が蘇った。






 周囲の消火活動を終え、邪魔な忍邪兵の残骸を海に投げ捨てたクロスフウガは、十兵衛と琥珀を前にしてゆっくりと跪く。
 額の水晶が隠し扉のように反転して姿を見せた陽平は、影衣をクナイに収めてフワリと地面に飛び降りる。
 一瞬、振り返ることをためらった。
 振り返れば後ろのあいつが消えてしまうんじゃないか。だが、それが杞憂であったと教えてくれたのは、その相棒の声だった。
「陽平」
 呼ばれて振り返ったそこには、変わらぬ姿で陽平を見下ろす紅の獣王がいた。
 見上げているだけで首が痛くなりそうに大きいくせに、その身体を捨ててまで陽平を救ってくれた相棒。
 深呼吸すると、改めて陽平はクロスフウガに手を触れた。
「よう──」
「クロスフウガ」
 友の言葉を遮り、陽平は深く頭を下げる。
「ありがとう」

 救ってくれて。

 一緒に戦ってくれて。

 命をくれて……。

 帰ってきてくれて……。

「ありがとう、クロスフウガ。俺と、出会ってくれて」
 昔、親友が言っていた。
 人と出会えば必ず別れが来る。しかし、悲観することはない。別れが悲しくて、一歩も歩けなくなってしまったなら、もう一度出会えばいいのだから。
「これからも、よろしくな」
 差し出された陽平の手に、人差し指を重ねたクロスフウガが頷く。
 時は天正。若き勇者忍者と獣王の約束は、これから果たされる。
 きっと、そう遠くない未来、必ず。













<次回予告>