最近、幼馴染みの様子が変だ。
登校中、朝の日を浴びながら、時非高校の制服である紺のブレザーに身を包む長い黒髪の少女──桔梗光海がそう感じたのは、つい先日のこと。
一週間程前、隣を歩く幼馴染みの少年──風雅陽平と共に、非日常に足を踏み入れることを決意したわけだが、どうもここ数日、煙たがられているように感じる。
一緒に戦うことは陽平も認めてくれたはずなのだが、この一週間にあった二度の戦闘に、光海の忍巨兵、森王忍者コウガは呼び出すことさえしていない。
いつだって陽平が、
『俺たちが出る。ヤバそうだったら呼ぶから待ってろ』
と、光海を制して一人で戦っている。
(結局、危なくても私のことなんか呼ばないくせに……)
実際、二度あった戦闘で陽平とその忍巨兵、獣王クロスフウガはなんとか勝利を納めているものの、危険に見えた場面は何度かあったように思える。
あれは光海が素人だったからそう見えた、などというわけでは断じてないはずだ。
となると答えはひとつ。
(ヨーヘーは、私が戦うのを認めてくれてない)
これはあくまで光海の推論にすぎない。
だが、それもこれも皆、この幼馴染みが悪い。なかなか本心を話したがらないこの少年が。
光海の小さな溜め息にも気づかず、当の陽平は暢気に大きな欠伸をしていた。
勇者忍伝クロスフウガ
巻之四:『光海の憂鬱』
昼休み、時非高校購買部は戦場と化す。
特にパン食組にとっては聖戦と称されるこの時間。
四限目の授業も後数秒で終わりを告げようとする中、教室内を緊張した空気が満たしていく。
卓上で五百円玉を弄ぶ者。椅子を引き、僅かに腰を浮かせる者。やることは千差万別だが、間違いなく誰もが同じ気持ちを共有している。
数秒の出遅れは命取り。だが、授業は未だに終わる気配を見せようとはしない。
(間に合わねぇ。こりゃ窓だな……)
そんな意味不明なことを考えながら、風雅陽平は早々に教科書とノートを閉じる。
写し終えていない部分もあるが、それは真面目が服を着たような幼馴染みに頼ればいいだろう。
そんな不届きなことを考えた瞬間、授業終了のチャイムが鳴り響き、教師がのんびりと終わりを告げた。
それがスタートの合図だ。
クラスメイトの半数が音を立てて教室を飛び出す中、陽平は一息ついて出口とは反対の窓へと走り出した。
「よっ!」
そんな掛け声で開けられた窓を潜り、陽平は外へと身を躍らせる。
ここが二階だとか、このままじゃ落ちるとか、誰もそんなことを叫んだりはしない。当たり前のようにそれを視線で追い、またかと苦笑するだけだ。
陽平は落下が始まる直前に取り出した鍵爪を窓枠にひっかけると、まるで消防隊のようにロープを伝って降りていく。
購買部と陽平の教室は、外という空間を挟んで斜め向かいの位置関係にあるため、このような短縮コースが存在するのだが、あまりの危険故に通ることができるのはたった二名に限定される。
「逃がさんで!」
陽平の後をぴったりとついてくる辺りはさすがというべきか。
陽平の親友にして悪友──安藤貴仁その人だ。
二人は風のように駆け出すと、すでに戦場と化した購買部に突撃する。
「待ってろよ、峰打ちぃぃっ!」
人だかりを潜り、時には乗り越えてカウンターとの距離を詰めていく。
そして、二人の目指す一日限定六個販売のコロッケサンドセット。略してコロサンセット……殺さん……すなわち、"峰打ち"は残り一個。
「やった!」
そう叫んだ誰かより早く、陽平の鍵爪が飛ぶ。
巧みに峰打ちを絡め取ると、一気に手元にまで引き寄せた。
「ゲットぉ!」
「そうは問屋がおろさんわぁっ!」
脚にしがみつく貴仁に陽平は舌打ちする。
このまま押さえ込まれでもしたら、間違いなく峰打ちを奪われてしまう。
厳しいパンライフに潤いを与えるべくして生まれた商品"峰打ち"。
それは、商店街で人気のコロッケ屋が届けてくれる、ミート、カニクリーム、カレーの三種各六つずつをコロッケサンドにした、スペシャルな商品だ。
見ての通り、その人気はかなりのもので、競争率は極めて高い。
食べたことがないのが当たり前という中、陽平や貴仁はすでに何度か口にしているメンバーであった。
だからといって、誰かに譲るなど考えられないのが"峰打ち"の魔力と言えよう。
「貴仁……許せ」
そう言うと、陽平は脚にしがみつく貴仁の頭めがけて問答無用にクナイを投げる。
「ぬはっ!」
そんな奇声をあげながら崩れ落ちる親友に、わざとらしく「悪ぃな」と邪悪な笑みを浮かべると、陽平はそのお代を払うべく再び人波へと飛び込んでいった。
重たい鉄の扉を開けると、最初に見えたのは雲だった。
基本的に屋上は立ち入り禁止なのだが、今回は話が別だ。
光海は手にした弁当の包みを大事そうに抱えて、ここにいるだろう人物の姿を探した。
「……ヨーヘー」
意外と簡単にみつかった幼馴染みは、大きな口を開けてパンにかぶりついている真っ最中だった。
「ふぉお」
よぉ、と言ったのだろう。空いた手を上げる陽平に光海も手を上げ返す。
なにも言わず、フェンスによりかかるように陽平の隣に座る光海は、ちらりと隣の幼馴染みの様子をうかがった。
「あんだよ?」
口の中のものがなくなったのか、自分への視線を咎めるような声に、光海は頭を振る。
膝に置いた包みを解き、少し小さめの弁当箱を開ける。
きれいに彩られた弁当なのだが、とくに感慨が湧くわけでもない。
手を併せて箸を手にする。しかし、ふと奇妙な視線を感じて隣を見ると、陽平の目が何かを切実に訴えていた。
「なによ?」
動揺を気取られぬように訊ねてみれば、陽平の視線が光海の弁当に注がれる。
言葉にされるまでもない。食わせろというオーラがぐおぐおと渦巻いている。
小さな溜め息をつくと、光海は弁当の代わりに空いた手を差し出す。
「な、なんだよ?」
「代わりにそれ、くれるならいいよ」
光海の視線を追った陽平の表情が凍り付く。
そこにあるのは、最後の楽しみにととっておいたカニクリームサンド。
「いや、こいつは……」
「自分のが残ってるのに、他人のも欲しがるなんて甘いわよ」
ごもっとも。
「……ぅ」
どうやらかなり悩んでいるらしく、何度も視線が行き来する。
「はぁ……」
この男は本当になにを考えているのだろうか。
こうしているときは、別に拒絶するでもなく当たり前のように寄り添えるのに、いざ戦うとなるとすぐに逃げられる。
「ねぇ、ヨーヘーは私が戦うことに反対なの?」
ついそんな言葉が口をついて出る。
答えを聞くのが怖いくせに。肯定されたとき、どうしたらいいのかもわからないくせに。
しかし陽平は答えない。
俯いたまま、光海は左手首のリングに触れる。
この緑のリングは、森王との契約を印した勾玉をはめ込んだ忍器センテンスアローを封じたものだ。
光海にとっては森王のみならず、陽平との約束すら意味しているのだが……。
「私のこと助けてくれるって……、約束したこと迷惑だった?」
とても顔を見ることなどできない。
こんな質問、まるで陽平を信じられないと言っているようで嫌だった。
それでもせずにはいられなかったのはやはり、少しでも長く傍にいたかったからにほかならない。
答えはない。沈黙の中、光海は不安に潰されてしまいそうだった。
「ヨーヘー……?」
しかし、恐る恐る顔を上げた瞬間、光海はワナワナと肩を震わせる。
「なにしてるのよ」
凄まじい殺気のこもった光海の声に、つい先ほどまで光海の膝にあったはずの弁当を啄む陽平が恐怖に凍り付く。
「えっと……、う、美味いぞ?」
刹那、陽平は弁当を置いて横飛びに跳躍する。
見れば、先ほどまで座っていた場所に刺さった矢が、その威力を物語るように震えている。
「ま、まて光海! 話せばわかるぞ!」
「解封……」
自分の弓をしまい、左手首のリングからセンテンスアローを解放する。
狙いは空気の読めないバカな幼馴染み。
「ちょ……、バカ! やめろって!」
しどろもどろに言い訳する陽平は無視して、引き絞ったガラスの弦を問答無用に弾く。
センテンスアローの矢は実矢ではない。精神力と自然界の気である風、土、火、水、雷、木、氷といった属性が混じり合い生まれる巫力【ふりょく】と呼ばれる力の結晶体。よって、その威力や能力の高さは術者の精神力や状態に左右される。
「少しは……空気を読みなさいよっ!!」
光海の放った光矢は、矢ではなく衝撃波となって陽平を壁まで吹っ飛ばし、更には陽平の胸に浮かび上がる封の字が身体の自由を奪う。
「な、なんだこりゃぁっ!?」
「なんだかわからないけど、とにかく……」
突然の拘束に対して必死に抵抗を試みる陽平に、光海はセンテンスアローをリングに納め、どこからともなく自分の弓を取り出す。
「動けないんだよね、ヨーヘー……」
目が笑っているのに声が全然笑っていない。
ふと、なにを考えたか、光海は弁当の卵焼きを矢の先端に突き刺すと、その矢をつがえて弦を引き絞る。
「食べたいんでしょ?」
光海の言葉に、陽平は全力をもって首を左右に振る。
「はい、あ〜んして」
無情にもその言葉を銃爪に、卵焼き付きの矢は放たれた。