いつもと寸部違わぬ雰囲気に満たされたこの降魔宮殿の一角で、ギオルネは前回獣王に敗れた銀の邪装兵を再び組み上げていた。
 不気味な機械音が響く中、ギオルネは手元のパネルを操作して新しいパーツを呼び出していく。
(ソードブレイカー。能力的に劣らぬこの邪装兵で不覚を取った理由は……)
 目の前で組み上げられるソードブレイカーの背中に、巨大なバーニアと翼が取り付けられる。
「やはり空での機動性か」
 そして、もう一つは新たな忍巨兵の存在。
 先の大戦で現れた忍巨兵の数は十二。これ以上、風雅が忍巨兵を目覚めさせるようなことになれば、いや彼らは近い将来必ず十二体全てを目覚めさせるだろう。
 それはガーナ・オーダと風雅の総力戦を意味する。
 しかし、それは主、織田信長を危険に晒すと同意。そんなことはギオルネの望むところではない。
「そのために我らがいるのだから」
 ならば残り十の巨兵、風雅が目覚めさせる前にこちらが抑えればいい。
「いるのだろう、蘭丸」
 ギオルネの言葉に、微かな鈴の音を鳴らしながら蘭丸が姿を現す。
 織田信長の懐刀にして、ギオルネたちガーナ・オーダの将を束ねるもの。思ったとおり蘭丸は敗北した自分を監視していたらしい。
 なにを言うでもなくギオルネの言葉を待つ蘭丸は、ギオルネの前にそびえ立つ銀の邪装兵を見上げる。
「頼みがある。このソードブレイカーMk-2が完成するまで、もうしばし時が要る」
 そう言って見上げた銀の新型邪装兵ソードブレイカーMk-2は、確かに所々むき出しになっている部分が見て取れる。
 おそらく完成まであと二日といったところ。
「この蘭丸に時を稼げと?」
 凍りつきそうな瞳を向ける蘭丸に臆することなく、ギオルネは頷く。
「……わかったよ」
 わずかな沈黙の後、そう言うと蘭丸は背を向けた。
「目覚めていない忍巨兵の捜索も任されよう。鉄武将、例のものはもう?」
「使える。だが、肝心の忍巨兵がなければ意味がない」
「わかった……」
 僅かな微笑みを浮かべ闇の中へと消えていく蘭丸に目礼をすると、ギオルネは飛行ユニットを装備したソードブレイカーMk-2に触れてみた。
 命の脈動など感じない。温かみの欠片もない冷たい金属の感触に、ギオルネは苦笑を浮かべる。
 当然だろう。その冷たさは自分のものだ。
 主、織田信長に生み出された命はあまりに不完全と言えた。ギオルネに肉体は存在しない。この銀の甲冑の中身は空なのだ。鎧を魂の器にする。それは、今現在の織田信長と同じ姿であった。
 だが、それこそがギオルネが誇れる唯一だった。
 だからこそ思う。たとえ己の魂が朽ち果てようとも必ず主の役に立とうと。
「そう、すべては信長様のために」
 信長に与えられた背中の大太刀を握り、ギオルネは闇に向かって振りぬいた。





 その夜、湯船に浸かりながら光海は小さな溜め息をついた。
 これでもう何度目になるだろうか。なんだか自分が老け込んだようで凄く嫌だった。
 陽平を卵焼き付きの矢で射った後、光海はすぐにその場を離れていた。
 決して殺人現場から逃げたわけではなく、勇気を出してあんなことを訊いたのに、相手にもされなかったことが悔しかったのだ。
 浮かんでは消えていく幼馴染みの顔。そして、そんな陽平に寄り添うあの少女──翡翠。
 本人がどう思っているかは定かではないが、こと陽平関係では明らかに敵だと光海は認識している。
 相手が子供だろうが、異星人だろうが関係ない。
 迂闊だった。陽平を想っているのは自分くらいだとばかり思っていた。仮にも自分の想い人に対して少々失礼な物言いだろうが、その辺りは気にしないことにする。
 しかし、こと戦いに置いて相談するなら、やはり翡翠くらいしか思いつかない。
「明日、会いにいってみよ」
 結果的に恋敵に頼るしかないことが悔しくて、すっかりクセになってしまった溜め息の後、光海は湯船に沈んでいった。





 翌日の放課後、光海は急ぎ足で風雅家を目指していた。
 陽平は恐怖の伊達先生に呼び出されていた以上、すぐに帰宅するということはないが、それでも翡翠に会うことを知られたくなかった。
 慣れ親しんだ風雅家の前でゆっくりと深呼吸して息を整え、やや緊張した面もちでインターフォンに指を伸ばす。
 中学の頃までは遅刻の常習犯だった陽平を毎朝迎えに来ていたのに、ここ最近はすっかりご無沙汰だった。
 ふと、緊張している自分に気付き、思わず苦笑いしてしまう。
「なにやってるんだろ、私」
「みつみ?」
 不意に声をかけられ、光海の肩がびくりと跳ねる。
 声を探して庭を覗き込めば、真っ白な洋服に身を包んだ翡翠が木の根本にしゃがみ込んでいた。
「なにしてるの?」
 歩み寄り、光海は翡翠の手にしたクッキーに目を向ける。
 そして、その足下には蟻が延々と行列をつくっている。
 合点がいったとばかりに光海は小さく頷く。
 幼少の頃、自分や陽平も同じように蟻の行列を観察していたことがあった。
 ただ、翡翠の年齢から考えれば、仕草などは少々幼すぎるように感じてしまう。
「そういえば翡翠ちゃんていくつ?」
「じゅうに」
 そう言われてみればそう見えなくもないが、やはり行動や言動の幼さから、思わず聞き返してしまう。
「そうなの?」
「ん」
 コクリと頷く翡翠は、それがどうしたと問うような表情を見せる。
「あ、ちょっと気になっただけなの」
 光海の言葉に満足したのか、はたまた興味が失せたのか、翡翠はそれ以上問うような真似はせずに再び蟻の行列に視線を戻す。
 だが、これで話が終わってしまうと、光海がわざわざ走ってまで来たことが無駄になる。かと言ってこの少女との話に回りくどい会話は意味を成さない。
(やっぱり、いきなり本題よね)
 意を決し、光海は翡翠の隣に腰を下ろす。
 直に座るわけにもいかないため中腰になるが、あまり褒められた姿ではないなと内心苦笑する。
「ねぇ翡翠ちゃん。ちょっと相談があるんだけど……いいかな?」
 その言葉に、翡翠の視線が光海へ移動する。
「えっと……ヨーヘーのことなんだけどね」
「うん」
 陽平の名を出しただけで翡翠の興味がこちらを向いた気がした。
 この子にとって、陽平の存在とはどういうものなのだろう。そんな疑問が湧かないわけではないが、今尋ねるべきことは他にある。
「あのね、ヨーヘーって私のこと、なにか言ってなかった? その……忍巨兵のこととかで」
 光海の言葉に少しだけ思案したものの、翡翠は小さく頭を振る。
「けんか?」
 ズバリ言い当てられ光海はビクッ、と肩を震わせる。
「ケンカというか……なんだろ。正直言うとね、私自信ないの。ヨーヘーみたいに上手く戦えるわけじゃないし、それ以上に必要とされてないんじゃないかって」
「ようへいに?」
「……うん」
 自分はただの幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない。陽平のことはなんでも知ってるつもりだったはずなのに、最近は知らない顔ばかり見せられる。
「私、怖いんだ。ヨーヘーの背中さえ見えない場所に立ってるみたいで……」
「だいじょうぶ」
「え?」
 ふと見上げれば、翡翠は満面の笑みを浮かべていた。それこそ、全ての心配が杞憂であるかのように感じる太陽のような笑み。
「ようへい、ちゃんとみつみのこと見てる。みつみも、いつもようへい見てる」
 只者ではないとは思っていたけど、やはりこの子は普通とは違う。
 こんな澄んだ瞳をされては、お姫様だと言われてもなんの疑いもなく頷けてしまう。
「翡翠ちゃん……」
「ん?」
 驚きを見せる光海の呟きに、翡翠は首を傾げる。
「意外と……喋るのね」
「ん」
 言うべきことはそんなことではないはずが、思わず口にしてしまった。
 もっと無口な子、というイメージが強かったが、そこに光海ははっきりとした意思を感じた。
(ねぇ、ヨーヘーもそんなところに惹かれたの?)
 今この場にいない少年に向かって疑問を浮かべる光海は、そっと翡翠の頭に手を伸ばす。
「みつみ、どうしたの?」
 急に頭を撫でられ、嬉しそうに、しかし不思議そうに翡翠は光海を見上げる。
(私が見てるなら……ヨーヘーもきっと私を見てくれてる)
「ねぇ、もう一つだけ聞いてもいい?」
「うん」
「ヨーヘーは私のこと、どう思ってると思う?」
 我ながらずるい質問だと思う。しかし翡翠は……
「好き」
 そんな、なんでもないように、さも当然のようにその言葉を口にした。
 普段の自分ならそんな言葉だけで信じたりはしないのに。ないはずの、なくてもいいはずの明確な意思を求めて彷徨っているはずなのに。
「うん、信じるよ」
 信じられる。
 しかしふと思う。どうして陽平は自分に頼ってくれないのか。どうして自分だけでなんとかしようとしているのだろうか。
 そこまで考え、光海は呆れたように溜息をついた。
 冷静になって考えてみたら、おそろしく単純な答えが出てきたのだ。
(あの見栄っ張り……)
 見栄っ張りで、強情で、忍者のこととなるとすぐムキになって。それがあの風雅陽平という少年だったはず。
 自分を追い込むことで、そんな当たり前だったことさえも忘れていたなんて。
 あまりのばかばかしさに涙が出てきそうだった。
 陽平への疑念。それは自分の弱さが見せた幻だった。
「そうだよね。あいつが、そんな自分の約束したこと否定するようなことないってわかってたはずなのにね」
 それをこんな少女に。まだ、出会って一週間も経たない翡翠に教えられてしまうとは。
 そもそも、不安になったきっかけは翡翠なのだが、今回の件でそのあたりはチャラ。そう思うことにした。
 そう思うと、なんだか無償に陽平の顔を見たく、陽平の声を聞きたくなった。
 だが、立ち上がり、踵を返して走り出そうとした光海のスカートに、翡翠は無造作に掴みかかる。
「ちょ、ちょっと翡翠ちゃん!」
 慌ててスカートを押さえて翡翠を振り返る。だが、次の瞬間……
「みつみ、くる!」
「え?」
 なにがと聞き返す間もなく、空から落ちてきた風の塊に顔をしかめ、光海は翡翠を庇うように抱き寄せた。
 なにかが高速で回転しているような球状の風の塊。
 そう表現する以外にない物体は、現れた地点で動きを止めると、まるでブラックホールのように周囲のものを吸い上げ始めた。
 かなり離れた場所に降りたはずだというのに、光海もなにかにしがみついていなければ一緒に飛ばされてしまいそうな吸引力。
「これじゃ、コウガを呼べない!」
 おそらく弓を放とうと立ち上がった瞬間に、一緒に飛ばされてしまうことだろう。
「ようへいは?」
「わからない。でも、伊達先生に捕まってたから」
 あの先生が相手では、陽平も相当運がよくなければ脱出できないと言っていた記憶がある。
「ということは、やっぱり私がやるしかない」
 左手首の腕輪を弓に変え、光海はゆっくりと立ち上がる。
(なんて風なの。少しでも気を抜いたら飛ばされちゃいそう)
 屋根の瓦が飛び、犬や猫といった動物が宙を舞う。そして人間の姿も……
「みつみ、うつ!」
「でもこの風じゃ!」
「みつみ!」
 その瞬間、翡翠を中心に淡い翡翠色の膜がドーム状に広がっていく。
 半径二メートルほどのドーム状結界だが、それに包まれているだけで吸引力の影響は完全に遮断されている。
「翡翠ちゃん……すごい」
「みつみ、森王を呼ぶ!」
 翡翠の言葉に強く頷き、光海は遠い空に向かってセンテンスアローの弦を引き絞った。
「風雅流、忍巨兵之術っ!」
 矢尻に集まった緑の光は空へと放たれ、巨大な大角鹿が姿を現した。












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