時非高校昼休み。
 今日も今日とて、パン食組たちの聖戦は行われていたが、珍しくそこに常連であるはずの風雅陽平と安藤貴仁の姿はない。
 前の授業が体育だったため、スタートダッシュに出遅れたのは痛手だった。陽平は持ち前の行動力と、いったいどこにそんな数を隠し持っているのかわからない忍者道具を駆使しながら購買を目指していく。
「残っててくれよ、峰打ちぃ!」
 だが、そんな願いとは裏腹に購買の前は既に、越えられぬほどの人垣が出来上がっていた。
 いつものように人垣の上を越えていっても、おそらくもう間に合わない。
「こうなったら、ちょっと強引だけど……」
 最近、練習を始めた新しい道具は今もポケットの中にある。
(七割しか上手くいってねぇけど……こいつなら人目につきにくい)
 ポケットから取り出したそれを手の中に隠し、僅かな隙間へ通すように投げ込んだ。
 陽平の指の隙間から飛び出した金具付きのワイヤーは、一瞬で人垣の僅かな穴を通ってパンの陳列棚へと伸びていく。
 これで巧く得物を巻き取って引き寄せる。ワイヤー自体が細く鋭いため、やりようによっては切断にも使用できる。
 糸がかかったのを感覚で掴み、陽平がそのまま引き寄せようと力を込めた瞬間、急にワイヤーだけが巻き取られる。
 だが、巻き取られた先端に金具はなく、手の中のワイヤーボックスではひっかかりをなくした糸だけが、カラカラと小さな音を鳴らす。
「な、なンだよ……」
 切れた? なんで? なにが切った?
 たとえ刃物を使ったとしても、巧く伸びきった状態を狙わなければ切ることはできない。
 だいいち、刃物で切られたような感覚はなかった。あったのは得物を絡め取った感触と、一瞬の妙なひっかかり。
「だめですよ、風雅先輩」
 急に名を呼ばれ、思わず目を向けた先では、少しキツそうな目つきをした眼鏡の少女がこちらを挑戦的な瞳で見据えている。
 幼馴染の光海とは違う広がるような長い黒髪を揺らし、少女はゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる
 そして何食わぬ顔で少女が脇を通り過ぎる瞬間、陽平は思わず身を硬くした。
 歩き去る少女の背を振り返り、陽平は汗ばんだ自分の掌に苦笑を浮かべる。
「言ってくれるじゃねぇか……あいつ」
 通り過ぎる瞬間、少女は確かに口にした。
『鋼糸【こうし】はあまりお上手じゃないんですね』
 胸に揺れていたリボンの色から察するに、あれは一年だ。
 困ったことに、年下にバカにされて黙っていられるほど、この風雅陽平は大人ではない。
「にゃろぉ……。どういうつもりだ」
 このまま追いかけて問い詰めてやろうかと思ったが、計ったような見事なタイミングで腹の虫がタイムオーバーを知らせてきた。
 手に購入したパンを抱えて他の生徒たちがぞろぞろと引き上げていく中、陽平は陳列棚に残されたコッペパンに深い溜息をついた。





勇者忍伝クロスフウガ

巻之伍:『風魔の巨兵』







「ちくしょう! 全部あの一年の所為だ……」
 コッペパンを噛み千切り、コーヒー牛乳で胃袋に流し込みながら、陽平は先ほど出会った少女のことを友人たちに話して聞かせた。
「で、戦利品がそれ?」
 クラスメイトの椎名咲が指差すものに、陽平は凄まじく機嫌が悪そうに……ではなく、機嫌悪く頷く。
 本日の陽平の昼食。コッペパンとコーヒー牛乳、そしてスーパーメロンパン。
 前者の二つは、まぁ、仕方がないとはいえ、最後のひとつをわざわざ購入してきたあたりは陽平の冒険心なのだろう。
 名前だけならそれほど気に留めることもないのだろうが、その実態は口にした者たちがそろって口を噤んだと言われるほどの一品である。
 ちなみに、陽平も口にするのはこれが初めてだ。
「なかなかチャレンジャーなことすんなぁ」
 どういうわけか、首尾よく峰打ちを手にした安藤貴仁は、陽平のメニューを眺めながらケラケラと声をあげて笑った。
「うっせぇ」
 そう言いながらコッペパンを平らげた陽平は、何食わぬ顔でスーパーメロンパンの封を切る。
「でも、その子なにしたのかな」
 切れたワイヤーの話だろう。
 いつも通りの小さな弁当箱を箸でつつきながら思案する光海に、陽平はさっぱりだとばかりに頭を振った。
「お前さんの言う容姿から察するに、そりゃ一年の風間楓【かざまかえで】やな」
 貴仁の手にしたメモ帳になにが書かれているかはあまり追求したくはないが、今はありがたく情報だけ受け取っておく。
「なにモンだよ?」
「風間楓。一年B組。出席番号四番。身長一六二センチ、体重……とスリーサイズはヒミツにしとこか。成績は一年トップ。運動の方も文句なしや」
 貴仁の読み上げる情報に、咲は「いるところにはいるもんだね」などと溜息をつく。
「部活は入ってへん。でも、裏生徒会に所属しとるってもっぱらの噂や」
「裏って……あの?」
 光海の反応に満足したのか頷く貴仁に、陽平はばかばかしいと鼻を鳴らす。
 実際、あるのかどうかさえわからない組織、裏生徒会。裏生徒会のメンバーたちが個人的に後継者を決めるために、誰がメンバーか知る者は当事者たちだけと言われ、通常生徒会を裏から動かし、その権限と発言力は教師を凌ぎ、直接、理事長へ進言できるほど。
 ぶっちゃけた話、生徒側に潜む理事長の犬ということになる。
 いつ誰が言い出したのか、こんな噂がここ時非高校には存在する。
「ってか、普通あったらだめだろ」
 そんなことを言いながらスーパーメロンパンを口にした瞬間、陽平の表情が一気に青に染まる。
「ヨーヘー?」
 異変に気づいた光海が陽平の肩を揺するが反応はなく、ただカクカクと頭が揺れている。
「うわっ、なんかすごいことになってる」
「あほやなぁ」
 完全に他人事な咲と貴仁は、陽平の顔の色が変わるのを楽しみながら食後のお茶を楽しみ、早々に自分たちの後片付けを始めている。
「ちょっと、こら! こんなとこで気絶しないでよ! ヨーヘー!!」
 そんな幼馴染の悲鳴を聞きながら、陽平の顔は緑に変色していた。





「くそっ、昼はヒドイ目にあったぜ」
 放課後になってもまだ残る気持ち悪さに、あんなものは二度と手にすまいと心に誓う陽平であった。
「それもこれも、全部あの一年が悪い」
 そしてやっぱり行き着く結論は昼と同じ。
 次に会ったときはおそらく親の敵でも見るような目で相手を睨みつけることになるだろう。と思った矢先に腹の虫はピークを知らせてくる。やはりあんなゲテモノパンでは満たせなかったということだろう。そもそも先に食べたコッペパンの味さえも見事に打ち消してくれるほどの一品。たとえ餓死寸前になろうとも、あれだけはもう二度と口に入れることはないだろう。
「やっぱGartenでなんか食って帰るか」
 嘆く腹を抑えつけながら行き着けの喫茶店を思い出した陽平は、おとなしく帰路につくことにする。
 下駄箱から校門までは、グラウンドの横を抜けることになる。陽平は背の高いフェンス越しにサッカー部の練習を眺めながらさっさと通り過ぎるつもりだった。その名前が聞こえるまでは……。
「風間、シュートだっ!」
 一瞬で陽平の表情が固まり、見てわかるほどに不機嫌が浮かぶ。歩みを止め、こちら側に向かって走る少年に陽平の視線が定まる。
 サッカーボールを蹴り進め、やや小柄な少年があっという間にディフェンスを潜り抜ける。
(なんだ男か……)
 サッカー部なのだから当然と言えば当然なのだが、今日の出来事で"風間"という名前に敏感になっているらしい。そんな自分に苦笑を浮かべる。
 だが、ふと視線を戻した瞬間、少年が陽平に向かって笑った気がした。どこか挑戦的な笑みは昼に出会った風間 楓を思わせる。そういえば顔つきは少年というよりも少女のようで、やはり風間楓に非常によく似ている。
 だが、それ以上に少年は、わざわざ陽平に向けて挑戦的な笑みを浮かべた。陽平はあえてその場を動かずに、少年の蹴ったサッカーボールを視線で追う。ボールはゴールを僅かに反れ、陽平の前のフェンスに当たってガシャン! と音を立てる。
飛び散った土に顔をしかめながら、陽平は走り寄ってくる少年を無言で睨みつけた。
「あははは、ゴメンゴメン! ダイジョーブ?」
 少年の言葉に、陽平はゆっくりと頭を振る。
「ちょーっとリキんじゃって。でも土がかかったのは避けようともしないそっちの所為だかンね」
 愛嬌のある明るい性格なのか、それともわざとそう振舞っているのか。判断に難しいその容姿とは裏腹に、ボールを蹴ったときに動きは自分を凌ぐほどに鋭かった。
(試された……ってとこか)
 視覚に頼る生物は、目の前に迫るものに対して反射的に"避ける"や"目を瞑る"などの回避運動をとろうとする。それがたとえ、目の前にフェンスのような壁になるものがあってもだ。
 陽平は忍者修行……とは言い難い連日の親父襲撃などで、周囲のものを瞬間的に把握する能力と、自分に対する攻撃的意思には敏感になっている。故に、フェンスを突き破るほどの威力がない限り自分に被害はないと認識したために、あえて挑発に乗ってみたわけだが……。
「次は気をつけろよ」
 あえて平静を装いその場を離れる陽平に、少年が背後で感心したような声を上げている。それがどうにも過小評価されていたようで、陽平は苛立ち混じりの舌打ちをする。
「くそっ、胸クソ悪い……」
 少し離れた場所でグラウンド振り返り、陽平はいつの間にか汗でべっとりになった掌を拭う。
 自分はどうも監視されているらしい。そんな事実に苛立ちは募るばかりだった。





 緑の縁のドアを開ければ客が来たと鐘が鳴る。昔からずっと変わらない姿に陽平は僅かに頬をほころばせ、カウンターで琥珀色の液体を見つめる女性と挨拶を交わす。
「こんちわッス。彩香姉ぇ」
 現れた陽平の姿に、さっきまでの気だるそうな表情は何処へやら、彩香と呼ばれた女性はニッコリと営業スマイルで迎えてくれる。
「あら。陽平クン、久しぶりね」
「まぁね。この前まで中間試験だったし」
 定位置であるカウンター端の席を陣取り、置いてあるビンから小さな飴玉を口に放り込む。
「いつものでいいの?」
「ついでになんかパスタも。昼は食ってないも同然だし」
 陽平の言葉に、彩香は珈琲を作りながらコロコロと笑みを浮かべる。
「ダイエット? 陽平クンはもう少し太ってもいいと思うケド?」
「違う違う。食い損ねた……ようなモンかな」
 付け足しとばかりに呟いた「メロンパンの所為で」という言葉に、彩香の表情が一瞬だけ固まったように見えた。
「アレ。まだあったんだねぇ」
 珈琲を出しながらしみじみと言うその言葉に、陽平は頬を引きつらせた。
 彩香さんの年齢は確か二十四歳だったはず。幼少の頃から世話になっているため、彼女の女子中学生姿から女子高生姿まで一通り記憶しているが、それが確かならば彼女もまた時非高校の生徒だったはずだ。
「彩香姉ぇ、食ったことあンの?」
 すぐに出されたパスタをすすりながら尋ねる陽平に、彩香は苦笑しながら頭を振る。
「さすがに私はないわね。いつも友達が食べてたのを見て、いろんな味を想像してたケド」
 いつも、という言葉に陽平の顔から血の気が引いていく。
 アレを何度も食する人間がいたとは実に驚きだ。そもそも人の食べる物……否、食べ物ですらなさそうなアレを幾度も手にする勇気があったとは。
(下手な勇者よかよっぽど勇気がありそうなヤツだな)
 あっという間にパスタを平らげると、陽平はカウンターに置いてあった雑誌を手に取る。
 決してなにか目的があって開いたわけではなく、なんとなく暇つぶしが欲しかった。それだけだったはずが、珈琲を飲みながら雑誌を眺めていると目を疑いそうな絵が飛び込んでくる。思わず吹き出しそうになった珈琲を置き、陽平は記事の内容を舐め回すように読み進めていく。
(今、最も世間を騒がせている謎の巨大ロボット事件。その実態を知る者はなく、どの情報誌も血眼で追いかけている。果たしてあのロボットは何者なのか。そして、いったいどこの誰が所持しているのか──)
 一度紙面から視線を上げると、陽平はひとりごちるように苦笑を浮かべる。
 やはりいつかはこうなると思っていたが、このままではクロスフウガが世間の晒し者になるのも時間の問題だ。
 もっとも、立ち去るときは隠形機能で姿を隠しているし、いざとなれば煙幕で完全に視界をなくしてしまえばいい。
 人は、隠されたものに対してひどく興味を示す。それが好奇心程度であってくれればいいのだが、国連軍などは十中八九、忍巨兵の戦闘力を欲するはずだ。
(力だけを求めるヤツに、忍巨兵は渡せない)
 以前、獣王に聞かされた過去の出来事を思い出し、陽平はやり場のない怒りを募らせる。
「ん?」
 そんなことを考えながら、なにくわぬ顔でページをめくった瞬間、陽平はアゴが外れるという言葉が比喩ではなく、実際に起こりうるのだと痛感した。
 開いた口が閉まらないとでも言うのだろうか。雑誌を手にした両の手がわなわなと振るえ、思わず雑誌を叩きつける。
「クロスフウガにドリルなんかあるかぁ……!」
 静かな怒りと、どうしようもない気持ちがせめぎ合い、陽平は再び紙面に視線を戻す。
 寄せられた意見などを統合して描いたものらしいが、これではどこぞの派手な置物のようだ。唯一、クロスフウガとわかるのは悲しいかな、胸の獅子だけだ。
「さすがに訴えるわけにはいかねぇしなぁ。はぁ……」
「陽平クン、あのロボット見たことあるの?」
 食べ終えた皿を回収する彩香に、陽平は当然のように頭を振る。いかに親しい人でも知られるわけにはいかない。
「ただ、こんな絵のロボットじゃ戦ったりできねぇだろうなって思ってさ」
 とりあえずもっともらしい言い訳だけしておくと、陽平は読んでいた雑誌を閉じた。
「私はね、実は写真まで撮っちゃった。ちょっとミーハーかなって思ったけど、とりあえずね」
 そう言うと、彩香は手にした携帯を開いてこちらを向ける。
 夜に撮ったのか、やや薄暗い。しかし、そこにははっきりと狼を胸に携えたロボットの姿が映し出されていた。
(なんだこいつは!?)
 影になっていてややわかり辛いが、どうやら青い狼らしいことは判別できる。だが、問題なのは陽平の知る中に青い狼の忍巨兵は存在しないということだ。
(他の忍巨兵か、それとも──)
「彩香姉ぇ、俺帰るよ。それと悪いんだけど今の写真、俺の携帯に送ってもらえる?」
「ええ、いいわよ」
「助かる! んじゃ、また!」
 いつものようにお勘定はカウンターに置き、陽平はドアを突き壊さん勢いで飛び出していく。
 しばらく鳴り続ける鐘を聞きながら、彩香はクスッ、と笑みを浮かべた。
「なにに対しても一生懸命で、変わらないなぁ……陽平クン」
 ふと思い出す過去の出来事に、彩香の頬が微かに赤くなる。
 それは……、少年がもっとずっと少年だった頃の淡い恋心だった。












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