喫茶店を後にした陽平は、そのまま寄り道することなく帰宅した。
 ポケットから取り出した携帯電話にメール着信があるのを確認すると、添付された写真を改めて確認する。
「クロス、ちょっといいか?」
 机に置いた獣王式フウガクナイに呼びかけると、柄尻の勾玉から掌サイズの獣王が姿を現す。これ自体に実体はなく、触れることも適わないいわばホログラフなので、本来はあまり意味のない能力だと獣王は言うが、陽平にしてみれば人と話すのに相手が見えないのはつまらないらしい。おかげで獣王もこうして呼びかける度に姿を現してくれるほど日常的な光景になりつつあった。
「どうした、陽平?」
「これ見てくれよ」
 そう言って携帯の画面を獣王に向ける。もちろん表示された画像は先ほどの青い狼のロボットだ。
 だが、それを見ても獣王には変化らしい変化は見受けられない。やはり仲間ではないのか。陽平がそう思ったとき──
「牙王【がおう】という忍巨兵がいた」
「ガオウ?」
「ああ。その絵は確かにその牙王によく似ている。しかし……」
「違うのか」
 返答はない。しかし、この無言は肯定であると陽平は知っている。過去に織田信長は忍巨兵の模造品として邪装兵を造り出した。その元となったのは獣王のかつての親友である星王と呼ばれる忍巨兵。
 似ているけど違う。それは時として残酷な現実を突きつけてくる。
「それはそうと、忍巨兵ってレーダーとかカメラとかに映らないんじゃなかったか?」
 陽平の言葉通り、忍巨兵は特殊な装甲と装置を併せ持ち、レーダーやカメラといった電子機器を通して見ることは出来ないはず。しかし、事実彩香の携帯電話にはしっかりとその姿が映し出されている。
「その者が忍巨兵ではないか、あるいは……」
「自分から見せてるってことか」
 自分をみつけてほしいのか、はたまた別の理由からか。
「なぁ、翡翠はどう思う?」
 陽平に声をかけられ、翡翠は手にした忍者漫画を閉じると嬉しそうに駆け寄ってくる。
 実は陽平が帰宅するより前からこの部屋にいたらしく、翡翠は三十巻構成中すでに二十巻近く読破している。必死になって忍者漫画を読みふける少女の姿を思い浮かべ、思わず苦笑を浮かべつつも、陽平は漫画も少しは補充しておこうなどと、今はどうでもいいことを考えてみる。
「なに?」
「ああ、これなんだけど……知ってるか?」
 そう言うと、陽平は先ほどと同じように携帯電話を翡翠に向ける。
「知ってる」
「ほ、ホントか!?」
 自信満々、得意げに頷く翡翠に、陽平は思わず身を乗り出す。
「けーたいでんわ」
「……えっと」
 思いもよらない回答に一瞬だけ思考がフリーズした。いや、確かに今の聞き方だとそういう答えが返ってきてもおかしくはない。
「ちがう?」
「いや、間違ってねぇ。そうじゃなくて、この写真のことだよ」
 不安そうに首を傾げる翡翠にフォローしつつ、もう一度改めて携帯電話に映し出された写真を見せる。
 僅かな沈黙。緊張が走る中、陽平は食い入るように写真を見つめる翡翠に疑問符を浮かべる。
「どうだ?」
「知ってるのとちがう」
 おそらく獣王と同じ回答なのだろう。似ているけど違う。
「やっぱガーナ・オーダかねぇ……」
 仰向けにベッドへ倒れ込み、陽平は白い天井を眺めてみる。
(そもそも忍巨兵は十三体もあったんだ……)
 しかし、目覚めているのは獣王と森王のたった二体。ほんの一握りにすぎない。しかも残りの十一体は、未だにこの地球上に巫女と共に封じられているという。
(どんな相手が出てくるにせよ、やっぱ他の忍巨兵もいなきゃだめだ)
 翡翠を守るという最大の目的を果たすには、やはりガーナ・オーダを倒すということが前提条件になる。いや、それこそが翡翠を守り抜く最大の方法だ。
 ふと、僅かな重みが身体を這って行くことで、陽平の思考は中断した。
 天井を向いていた視線をゆっくりと下に動かせば、やはりというか当然というか、翡翠の姿がそこにあった。
「翡翠」
 陽平の呼びかけに翡翠が首を傾げる。
「……何やってんだ?」
「ねてる」
 いや、それは知っている。
「そーじゃなくて! なんで俺の上で寝てるのかってことだよ」
「だめ?」
「だめとかそういう問題じゃなくてだな……」
 適当な言い訳が思いつかない。仕方なく理性的な問題だと切り出そうとしたとき、陽平はがっくりと崩れ落ちた。
 それはそれは、実に幸せそうな寝息が自分の腹の上から聞こえてくるではないか。
「いや、いくらなんでも早いって」
 しかしこの姿を見て、叩き起こそうなどという考えが浮かぶはずもなく、自動的に夕飯まではこの体勢いることになりそうだ。
 あどけない寝顔と幸せそうな寝息。そんな命の重さを感じながら、陽平は自分の成すべきことを考えていた。





 翌日、陽平は帰宅途中の電気屋で映し出される光景に驚愕の表情を浮かべていた。
(そんな……なんで!)
 早々に帰宅して忍巨兵探しに出かけるつもりだったのだが、脚が凍りついたように動くことが出来ない。いや、その絵から目が離せなかった。
「クロスフウガが……映ってる!」
 その衝撃的な絵に思わず呟く陽平は、よろめくように半歩後ずさった。
 獣王の話では忍巨兵は隠密性に長け、機械を通して見ることはできないという。故に、今まではその姿が大衆の目に晒されたことはなかったのだが……。
(考えられることは二つ。それだけの技術があるか、見せているか……)
 だが、もう一つの可能性が残っていることを昨日は完全に失念していた。
誰かが何らかの目的で見えるようにしている。
(例の忍巨兵モドキの仕業かよ……)
「風雅先輩」
 陽平の思考に割り込むように耳元で聞こえた声に、陽平は跳ねるようにその場から離れる。
「敵意がなければ随分と無防備なんですね」
 嫌に棘のある言葉に、陽平は湧き上がる怒りを隠そうともせず、その相手を睨みつける。
「風間……楓」
「情報通なご友人がいると便利ですね、先輩」
 つまり先日の屋上での会話も聞いていたということらしい。陽平はその事実に小さく舌打ちすると、いつでも攻撃に移れるように身構えたまま楓との距離を縮める。
 自分に悟られずに背後を取った相手だ。そう容易くカタのつく相手だとは思っていない。
「ここだと人目につきます。場所を変えませんか?」
 眼鏡越しに妖美な笑みを浮かべると、陽平の返事も聞かずに楓は歩き出した。
 誘っているのか、それともただ無防備なのかわからない背中を見つめながら、陽平は再び舌打ちすると共に、やや小走りで楓の後を追った。
「連日における先輩のご活躍、拝見させていただきました」
 だんだんとひと気のない場所に移動しながら、楓は振り返りもせずに語り出す。
「どういった経緯で獣王式フウガクナイを手に入れたかは存じ上げませんが、とても素人とは思えない動きの数々。やはり影衣の能力ですか?」
「いちいちムカつく言い回しをするんじゃねぇ。怒らせたいのか?」
 陽平の言葉に、楓はばかばかしいと笑みをもらす。
「私は……、私の知っていることを、風雅陽平先輩……貴方に教えておこうと思っただけですよ」
 そうじゃないとフェアじゃないと続ける楓に、陽平は舌打ちを隠しもしなかった。
 相手は自分を知っている。しかし、こちらの知っていることはごく僅か。知識自慢とも思えるこの状況では、フェアもなにもあったものではない。
「本当に対等になる気があンなら自分の正体でも明かせばいいだろ」
「それもそうですね」
 そう言って脚を止めた楓は、伊達眼鏡を外し、広がるようになびく黒髪を揺らしながらこちらを振り返る。
「改めて自己紹介を。風魔忍軍現当主、柊眞【とうま】の子。風魔楓【ふうまかえで】です」
「ふうま……ね」
 なるほど。風間というのはあくまで隠し名なのだろう。なんの捻りもないワリに、今の今まで気づけなかった自分が少し悲しかった。
「……ぷ」
「どうした?」
 見れば、楓は今にも笑い出しそうな表情を必死に堪えているではないか。
 クノイチだというからどれほどのものかと思えばなんてことはない。普通の女の子に毛が生えた程度らしい。
「ぷっ、く……。真面目に聞く気がないんですか?」
「いたって真面目なつもりだ」
 陽平は、どこから出したのか装着していた鼻眼鏡を外すと、とりあえずポケットにしまっておく。
「随分と余裕ですね。もう一人が心配じゃないんですか?」
「翡翠に手ぇ出したらただじゃおかねぇ。光海なら……」
「桔梗先輩なら?」
 ふと考え込むような仕草を見せ、陽平はふっと笑みを漏らす。
「手ぇ出したやつが死なねぇことを切に願ってるよ」
 遠くを見るような陽平の姿に、楓は呆れてものが言えないとばかりに、深々と溜息をついた。





 同時刻 時非高校。
 この時間、時非高校弓道場に光海の姿はあった。
 もっとも、帰宅部な陽平とは違い真面目に部活を、しかも来期からは部長を任された彼女にとっては当然の姿かもしれない。
 三年の指示の下、後輩部員たちが練習メニューをこなす中、光海は突然弓道場を訪れた相手に疑問符を浮かべていた。
「風間……柊くんだっけ? ごめんなさい、私どこかで会ってたかな?」
 自分の記憶に自信がないと続ける光海に、少女のような顔立ちをした一年生、風間柊は愛嬌のある笑顔のまま頭を振った。
「んにゃ。オイラたちがこうして会うのは初めてだよ。光海センパイ」
「そう。それで……、私に何か用?」
 わざわざ練習中に突然大事な用があると呼び出されたのだ。なにか重要な用事があるのだろう。
「まぁネ。風雅陽平センパイのことでちょこっとね」
「ヨーヘーの? どうして私に……」
 とは言いつつも、陽平の名を聞いた途端に警戒心が和らいでいる光海に、柊と名乗る少年の表情も和らいでいく。だが、
「そっか。一年の風間楓さんの双子って、貴方なのね」
 一瞬、警戒心が解けたように見えたのはフェイクか。光海の口から出た言葉に、柊の表情が固まる。
 しかしそれも一瞬だった。すぐにまた、愛嬌のある無邪気な笑みに戻っている。
「オイラたちのこと、知ってたンだ」
「ちょっと心配性だけど、頼りになる友達がいるからね」
 この場合の心配は当たってたみたいと続ける光海に、柊は困ったように笑ってみせる。
 そして、すぐにそれが誰のことか思い当たったらしく、柊は形の良い顎に指を添える。
「安藤貴仁センパイか。一般人とは思えない情報網だよネぇ」
「それについては同感」
 おそらくこの場に陽平がいても、同じように頷いたことだろう。
「それで……」
「ん?」
「ヨーヘーのこと。なにかあるんでしょ?」
 光海の言葉に、柊はきょとんとした表情を浮かべる。
「オイラたちのこと、信じるンだ」
「そもそも私は無害だし。それに、風間くんたちは陽平を危険な目には合わせないと思ったから」
 彼らは決して陽平の敵ではない。理由はわからないが、なぜかそのことだけは確信できた。
 そういえば森王に聞いた気がする。忍巨兵の巫女となった女性は、ある種の危機感知能力が強くなると。ひょっとしたらこれもその影響なのかもしれない。
「んじゃさ、ちょこっとお願いがあるんだけど……いい?」
 その瞬間、まるで悪巧みをしている子供のような表情を浮かべる柊に、少なからず嫌な予感を感じた光海であった。












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