「こんな……弱いひと」
「え?」
楓の呟きをかき消すように吹き抜ける風に、陽平はなにを言われたのかわからないと目を丸くする。
しかし楓がそれ以上を語ることはなく、無言のまま炎王に隠形機能を施していく。
「陽平、我々も撤退しよう」
獣王の言葉に陽平もそうだったとばかりに隠形機能を施していく。
いかに忍巨兵がカメラなどを通して映らないとはいえ、このままここにいては余計な注目を浴びかねない。
「お前もいい加減離れろよ!」
柊を引き剥がして風王へと戻らせると、陽平はひとりごちるように楓を振り返った。
(……今の、俺のことだよな)
なにも言ってはくれない楓がもどかしい。どうして彼女はそうまでして自分を否定するのだろうか。
「アニキぃ〜。先行っちゃうよー?」
「悪い。いくぞ……一、二、散ッ!」
柊の言葉に頷く陽平の号令と共に、すべての忍巨兵は隠形。三人はそれぞれ別方向へと散っていく。
地上に落下するまでの間、陽平は考えていた。
楓の言葉の意味。そしてパートナーの葛藤。
(俺は、俺はもっと強くならなきゃならねぇ)
着地すると同時に先ほど柊たちの見せた動きを真似してみる。瞬く間の踏み込みと加速。柊たちと寸部変わらぬ動きで建物の陰に滑り込む。
「……よし」
そんな自分に確かな手応えを感じながら、陽平は自分の中にあるなにかに気づき始めていた。
勇者忍伝クロスフウガ
巻之六:『陽平の秘術』
隠れ里とは別に、風魔の家がここ奈良にはあった。
風間【かざま】と表札を変えてはいるものの、竹林に周囲を覆われるこの大きな屋敷を、子供たちが忍者屋敷だなどと噂しているのを聞いたことがある。
本日、そんな風魔家には、実に数ヶ月ぶりに次女が帰っていた。
長男である柊は、次期当主などと言われ続けた生活が嫌で、半ば逃げ出すように時非市へ。次女である楓は、ある人物を避けるようにして柊と同じく時非市へと逃れている。
普段は多少の用事があってもここに帰ることはない楓であったが、今日ばかりはどうしても振り切れない思いを、思い切りぶつけても壊れない相手に八つ当たりに帰ったというところ。
そして、そんな風魔家内にあるやや大きすぎる道場には、袴姿の楓と、そしてもう一人、同じ出で立ちをした風魔家長女であり、柊と楓の姉であり師にあたる風魔椿の姿があった。
構えたまま動くことはなく、互いに僅かな牽制を続けたままかれこれ三十分が過ぎようとしている。
互いに相手の動きを呼吸や視線から読み取り、一進一退を繰り返す。
しかし、そんな沈黙を破ったのは姉、椿であった。
「どうしました。心の乱れが動きにまで出ています」
椿の言葉に、楓が一気に間合いを詰めていく。
襟を取り、足を払う。楓の鮮やかとも言える投げ技に、椿の身体がぐらりと傾く。
だが、椿は身体を縮めて自ら投げられることで容易く体勢を立て直し、そのままの勢いで楓を背負い投げる。
ばんっ、という音と共に楓の意識が一瞬だけ途切れる。
床に叩きつけられた瞬間、襟を持つ拳を鳩尾に打ち込まれたことに、楓は悔しそうに歯噛みする。
「くっ、まだです!」
「やめなさい。あんな技しか出せない状態なら、なにをしても同じです」
椿の突き刺さるような指摘に、楓は膝をついたまま拳を握りしめた。
道場中を満たす張りつめられた空気が次第に和らいでいく中、椿は優しい姉の顔で楓の肩に触れて寄り添う。
妹の心が乱れている理由はわかるつもりであったが、想像以上に混乱しているらしく、姉としても師としても心配は募っていた。
「楓、どうしても彼を認められないなら、貴女が見極めなさい」
姉の言葉に楓がハッとして顔を上げる。
「お父様もそのくらいは大目に見てくれます。大切な娘ですもの」
「姉さん」
すっ、と立ち上がる椿を見上げ、楓は小さく頷いた。
「でもね、お父様だっていくらあの子の頼みだからといって、娘を信頼の置けないひとに仕えさせると私は思わない」
そうでしょ、と続ける姉に楓は陽平の姿を思い返す。
「一度連れてきたらどう? 私も会ってみたいと思っていたしね」
悪戯っぽい笑みを浮かべる椿に、楓は不思議そうに首を傾げていた。
楓が姉、椿と対峙していた頃、双子の兄である風魔柊は風雅宅、陽平の自室にいた。
部屋中に所狭しと広がる陽平自慢の忍者グッズの数々に、感嘆の声を漏らしながらぐるりと柊が見回していく。
「どーだ、すげぇだろ?」
本物の忍者を相手に自慢する内容ではない気がしないでもないが、それでもひたすらに感心する柊に陽平は得意気に笑ってみる。
「ウンウン。んじゃ、ついでだしオイラのこれもあげちゃうよ」
と、懐から取り出した風魔手裏剣に、陽平が霞斬りも真っ青な速度で飛びついた。
「返さねーぞ?」
先輩の威厳は何処へやら。まるで縄張りを守る猫のような陽平に、柊は額の汗を拭う。
「ところでアニキ、オイラに話ってなんなの?」
風魔手裏剣を手裏剣ホルダーに入れながら、陽平はそうだったとばかりに懐から取り出した獣王式フウガクナイを机に置いた。
柄尻の黄色い勾玉がキラリと光り、半透明な獣王のミニチュア映像が浮かび上がる光景に、今度は柊の目が爛々と輝いていく。
「ねぇ、アニキ」
「……やらねーぞ」
そんな期待の眼差しを向けられても困る。
本気で悔しがる柊に冷や汗を流しながら、陽平は椅子に腰掛けた。
「柊、お前に来てもらったのは他でもねぇ。お前と楓の忍巨兵のことで聞きたいことがあったからなんだ」
陽平の言葉に、立体映像の獣王も頷いた。
「オイラたちのって、風王と炎王のこと?」
「それだ」
柊の言う忍巨兵の称号。風王と炎王は、獣王クロスの記憶にある十三体中には存在しないものだった。
それを聞いた際、陽平は柊たち本人の口から聞くのが一番早いと判断し、こうして休日に早速呼び出して来てもらったわけだ。
「アニキと獣王の言い分はわかるけど、ないって言われても実際あるからねぇ」
柊のもっともな言葉に陽平も頷く。
しかし、ここでふと一つの疑問が浮かび上がった。
「柊たちはどうやって忍巨兵を手に入れたんだよ?」
陽平は幼少の頃に手に入れた獣王式フウガクナイがきっかけだった。光海は家に伝わる家宝から。
よもや何処かで売っているような代物ではないだけに、陽平の疑問はもっともだ。
「う〜ん、オイラは父さんにもらっただけだけど、父さんは風雅の当主だって女の人にもらったとか言ってた気がする」
「風雅の当主?」
柊の言葉に陽平が、そんなのがいたのかと首を傾げる。
それにしても肝心の風雅家長男が何も知らないというのにも困ったものだ。さしもの柊もこればかりは予想外だったらしく、苦笑を浮かべている。
「オイラも会ったことないんだけどね。女の人らしいよ」
「親父ならなンか知ってっかな」
生憎、今日は朝からいない父親を思い返し、まさかなと頭を振る。
父、雅夫が風雅忍軍について知っているなどという話は、今の今まで聞いた試しがない。普段ならともかく、そんな重要なことまで黙っているなどとはあまり思いたくない。ないのだが……。
(……なんか、とてつもなく嫌な予感がする)
こと雅夫に関しては、自分の常識などまったく通用しないということは既に承知している。そう考えると、忘れてた。とか、聞かれなかったから。とか言われそうな気がしてくるから恐ろしい。
「柊。キミの忍巨兵、風王はロウガと名乗っていたようだが」
突然な獣王の言葉に、柊が慌てて向き直る。
「名乗るってか、あれはロウガって名前だって言われてたからね。そもそも名乗ってたのはオイラだよ」
「キミが?」
聞き返す獣王に、柊はウンウンと頷くと、懐から風をイメージした模様が刻み込まれた風魔手裏剣を取り出して、ことりと床に置いた。
見たところ、陽平の獣王式フウガクナイと同じ材質らしいことが伺えるが、とてもじゃないがそれ以上はこれが風魔手裏剣だということくらいしかわからない。
「ロウガは意志を持ってないからね。これを通じてオイラが話すってわけ」
風王式風魔手裏剣だと説明する柊に、陽平は楓が七首を使っていたことを思い出す。
「ワタシの知るロウガ、ならびにクウガは、意志を持ち、形もキミのものとは違っていた」
「ついでに称号も違ったってわけだ」
陽平の補足に頷く獣王は、どこか寂しげな表情をしているように思えた。
「そんなこと言われてもねぇ」
困ったように呟き頭をかく柊は、小さくため息をつく。
そのとき突然流れ出した歌に、陽平の身体がビクリと跳ねる。
確か最近テレビでやっているロボットアニメの主題歌だったはずだと思い出していると、柊が携帯電話を開いてメールを確認する。
「お前なぁ」
「ゴメンゴメン。でもアニキにも関係ある内容みたいだよ」
そう言って柊の見せるメールには、陽平の知らない名前があった。
表示された名前は"椿姉ぇ"。姉と入っている以上、おそらく柊の姉なのだろう。
そんな人物がいたことも驚きだったが、それ以前に柊たちの姉が自分にいったいなんの用があるというのだろうか。
内容の方は、ようするに陽平に会ってみたいから柊に連れてこいということらしい。
そんな柊が、携帯を閉じたときの表情を陽平は見逃さなかった。
「自分の姉ちゃん嫌いなのか?」
「そだね」
少しも隠そうとせず、当たり前のように答える柊に、陽平も複雑そうな顔になる。
こと好き嫌いに関しては他人がどうこうできる問題ではない。故にこの件には出来るだけ触れないでおこうと思う陽平であった。
「で、俺は構わねぇけど……」
もちろん椿に会いに行くという件についてだ。
「オイラは家に帰りたくない」
仏頂面になる柊に、陽平はしきりに首を傾げる。
結局、楓が陽平を迎えにくるということで話は落ち着き、柊はいつの間にか機嫌を直していた。
黒く禍々しい雰囲気を醸し出す城を、遠雷のような轟音と揺れが包み込む。
下忍は怯え逃げ惑い、逃げ遅れた者は瓦礫の下敷きになる。
揺れの中心にあたるここ謁見の間では、鉄武将ギオルネが主君である織田信長の怒りにただひたすら頭を垂れる。
「も、申し訳ありません! 次こそは必ず、必ずや!」
ギオルネの懇願に、信長の瞳が煌々と輝いた。
「ギオルネ、信長さまは大層お怒りだ」
淡々とした口調で告げる信長の腹心、蘭丸に、ギオルネの表情が苦悶に歪む。
失態の数々、今ここで首を刎ねられてもなんら不思議はない。
「ギオルネ、先日の忍邪兵はいったいなんだ?」
蘭丸の問いにギオルネは沈黙を続ける。
先日の……とは、先日陽平たちに倒された変身する忍邪兵のことだ。
ギオルネは誰に言うでもなくあれを生み出し、秘密裏に行動を起こしていたのだが、風王と炎王の活躍によってその忍邪兵を失い、ギオルネの単独行動はガーナ・オーダでも明るみになっていた。
「答えられないか?」
蘭丸の詰問にギオルネは固く拳を握りしめる。
「すべては……信長さまのために」
「説明もなしに?」
更に追及する蘭丸に、ギオルネは勢い良く立ち上がった。
僅かに眉をひそめ、訝しげな視線を向ける蘭丸にギオルネは向き直る。
「すべては信長さまのため! そのためならば我が命惜しくはない」
ハッキリとそう言い切ったギオルネは再び信長に跪いた。
「信長さま! どうかこのギオルネに今しばらくの猶予を!」
永遠かと思われる沈黙。しかし蘭丸の見守る中、信長がゆっくりと瞳を閉じるように、青白い光が細く消えていく。
その瞳を思わせる青い光が完全に消える瞬間、微かに聞こえた信長の言葉に、ギオルネは頭を深々と垂れた。
「ギオルネ、信長さまの期待を裏切らないことだ」
静けさを取り戻した謁見の間に響く蘭丸の言葉に、ギオルネは沈黙で答えると、踵を返し部屋を出ていく蘭丸に小さく鼻を鳴らす。
「見ていろ。いつかキサマを超え、必ず信長さまの片腕になってみせる!」
その誓いを胸に、鉄武将はその手にした勾玉を握り締めた。