十一月まであと一週間という今日この日、国際連合異常犯罪対策部隊本部の決定によって、風雅にはひとつの分岐点が出来上がった。

"謎の人型機動兵器とその一団は、日本時間で十一月一日零時までにその正体と目的を明らかにされたし。この要求が受け入れられない場合、世界は貴方らの敵となる"

 これが世界中へ向けて発信されたのは、風雅陽平たちが学校で授業を受けている真っ最中。正午丁度であった。
 このメッセージは瞬く間に広まり、当然、陽平たちの耳にもすぐに入ることとなった。
 だが、このメッセージに戸惑ったのは、なにも陽平たち風雅忍軍だけではない。国際連合異常犯罪対策部隊最高責任者、夜鷹奈緒【よだかなお】もその一人であった。
 国連軍の総意とは別に、彼女個人の本心として、この決定には異を唱えたかった。このメッセージは譲歩でも交渉でもない。ただの脅迫だ。しかし強行派の連中は、どうやら是が非でもあの人型機動兵器を手に入れたいらしい。そしてその人数はたった数日で国連軍内の過半数を超えてしまったのである。
 瞬く間にこの決定は施行され、世界へ向けてあらゆるメディアを通じて発信された。
 同時に謎の一団の情報提供者にはそれなりの謝礼が支払われるという噂までもが飛び交い、風雅忍軍は瞬く間にお尋ね者として祭り上げられた。
 これまでの戦闘行動から思うに、彼らがこのメッセージに気分を害して戦わなくなるなどということはないだろう。しかし、彼らが今まで以上に戦いにくくなるのは確かだ。
 やはり請負屋十字架【クルス】が失敗したとき、すぐにでももう一人の請負屋凪【ナギ】に再度依頼すべきだったかもしれない。少しでも彼らの情報を手にしていれば、強行派をここまで勢い付かせることはなかったはずだ。
 奈緒は執務室で机に肘をつき、祈るようにして溜め息をつく。
 これ以上、過ぎたことを後悔し続けても仕方がない。今は彼らの出方を待つ以外にないのだから。
 しかし、最高責任者などという役職につきながら、結局自分の意見など所詮は個人でしかないのだと痛感させられる。できることなら今すぐこの役職から退き、全てを投げ出して自宅のベッドで四十八時間くらい爆睡してしまいたい。
「結局、権力や地位を得ても個人にできることは変わらないということですね」
 自嘲気味に言葉を紡ぐ奈緒は、鉛のように重たい頭を持ち上げると、すぐに秘書官に声をかけた。
 とにかく、今は自分のできることを虱潰しにやっていくしかない。泣き言は、思い出話にだけ言うと決めたのだから。
「すぐに凪に連絡を取ってください。彼が来られないようでしたらこちらから出向きます」
 決して絶望を口にしてはいけない。これこそ奈緒が過去に学んだもっとも大切なことであった。







勇者忍伝クロスフウガ

巻之弐伍:「硝子の少女」







 まさか日本だけでなく、世界のいたるところで国連軍の姿を見るような日がこようとは思わなかった。
 戦車やヘリコプター、電波の中継車らしき車両も見受けられる。軍が街のあちこちに駐留し、人々は出来る限り家に篭って軍人の目をやり過ごしている。そのため街はいつもの活気をなくし、まるで戦時中の町並みを見ているようであった。
 それらが背中を押すことで、早く軍人を追い出すには謎のロボット集団の情報を集めるしかないと人々は囁き合い、インターネット上ではすでにいくつもの情報サイトが出来上がっている。
 忍巨兵や忍邪兵の目撃例や、謎の黒装束、それに鎧武者の情報。さすがにここまでされると、陽平たちの正体はいつ世間にばれてもおかしくない。というかもはや時間の問題だ。  風雅の当主琥珀はすぐに全ての風雅忍軍に召集をかけると、忍巨兵に関わる主要人物から順に風雅の里に匿った。
 もっともそれに応じない者も若干名いたようだが、それでも陽平や翡翠、光海といった時非市周辺のメンバーは避難させることに成功している。
 さらに琥珀は、それらと同時にフウガマスターこと風雅雅夫を時非市へと偵察に向かわせた。
 巫術深影を用いることで影の中を自在に動き回る雅夫は、琥珀に渡された風雅之額当で状況を事細かに報告しつつ、軍の駐留所に潜入して情報のかく乱を行う。
 これがどの程度の時間稼ぎになるかはわからない。おそらく"やらないよりはマシ"くらいの効果だろうと雅夫は踏んでいるが、ひょっとしたらこの行為そのものが無意味かもしれない。
 世界規模の情報操作など、一人の人間ができようはずもない。時間をかけ、根回しを完璧にしておけば数十年、数百年単位で可能かもしれないが、そんな悠長なことをやっているときではない。
 とにかく情報もそうだが、この軍人が絶えず監視しているという状況は人々を精神的に追い詰めかねない。
 軍人はともかく一般人にあぶり出されるような事態になれば、陽平たちは今まで以上に戦い難くなるに違いない。
 まさに猫の子一匹通さないとでもいうような街の様子に、雅夫はやれやれと溜め息をついた。
 こうやって見ていると、国民を守るべき軍人が国民を不安がらせてどうするのかと胸倉を掴んで問い詰めてやりたくなる。
「さて、どうしたものか」
 残念だが、ここまで公に事を運ばれると裏で始末していくようなわけにもいかない。時間をかければできないこともないのだが、雅夫の主人はそんな解決を望んではいない。
 困ったものだと腕を組み、小さく溜め息を漏らしたところで懐の携帯電話が一瞬だけ震えた。それが断続的に四回。これは請負屋凪に依頼があったことを教える妻からの合図だ。
 電波擬装用の機械を携帯電話に取り付け、妻からのメールを受け取ること数秒。
 そこの表示された内容に、雅夫はどうしたものかと思案する。
 国際連合異常犯罪対策部隊最高責任者殿が雅夫こと請負屋凪にどうしても頼みたいことがあるのだと言うが、この状況で受けるメリットがあるのか吟味する必要がある。
 依頼内容はおそらく先日の十字架【クルス】と同様、風雅の正体を探って欲しいなどといった類のものだろうが、フウガマスターである雅夫がそれを話すはずもなく、結局受けたとしても仕事が達成されることなどないわけだ。
 顎の無精髭を親指と人差し指で撫でながら思案すること数秒。雅夫は依頼人の連絡先を高速でプッシュしていた。
 何かと縁のある夜鷹氏には悪いが、いざとなれば国連軍への交渉材料にもなるかもしれない。今のうちに彼女に近づく手段を増やしておくことは悪いことではない。
 四度のコールの後、相手が受話器を上げた。
 こちらからは決して口を開かず、相手が話しかけてくるのを雅夫はじっと待った。
『……凪ですね』
「かざぐるまを回せ」
 聞き覚えのある声に対し、雅夫は仕事を請ける際に使っている合言葉を口にする。
 この合言葉に応えられる者は限られている。念のため、相手が夜鷹氏本人か確かめる必要があった。
『ここは風が吹かない。指で回せ』
 もはや挨拶代わりといったやりとりに、相手が苦笑したのが受話器越しでもわかった。
『凪、どうしても貴方にお願いしたいことがあります』
「伺いましょう」
 間髪入れずに応えた雅夫に夜鷹氏が息を呑む。どうやら安堵に胸を撫で下ろしたのだろう。
 小さく咳払いをすると、彼女は受話器越しにはっきりと依頼内容を告げた。
『国連軍の探している謎の機動兵器集団の情報が必要です』
「なぜ」
 国連軍が血眼になって情報をかき集めている。今更請負屋凪に頼る必要があるとも思えない。
『少しでも正確な情報を上層部で握ることができれば、強行派の行動を制限する材料になるかもしれません』
 夜鷹氏の言葉に雅夫はなるほどと頷いた。
 まったく情報が得られないからこそ強行派は現状のような手段に出たわけで、最初から上層部だけでも情報を渡していればこのような事態にならずに済んだかもしれない。
 しかし、それはあくまで現状になる以前の問題であり、今のような状況になってからでは手遅れだ。それなのにどうして夜鷹氏は風雅忍軍の情報を欲するのか。
「集団の情報を得て、彼らに会い、それからどうされるつもりですかな」
 請け負う際、必要以上に相手から情報を聞きだすことのない凪が何度も尋ね返してきたことが驚きだったのだろう。受話器の向こうで息を呑む夜鷹氏が見えた気がした。
『……笑われるかもしれませんが、私は彼らに助けを請うつもりなのです。今、貴方にそうしているように』
 笑うものか。自分もそうなのだ。自分たちの世代ができなかったことを息子たちにやらせ、それを使命だと押し付けている。
 信頼していると、使命は受け継がれているのだと言えば聞こえがいいのかもしれない。だが結果的には自分たちもまた、助けを請うているだけなのだ。
「一つだけ、ハッキリと答えていただきたい」
『はい』
「貴女は件の集団の味方ですかな? それとも敵ですかな?」
 雅夫の問いかけに夜鷹氏は声を詰まらせる。無理もない。正体もわからない者たちを相手に敵も味方もない。
 少し考えたのだろう。少し乾いた唇で夜鷹氏は口を開き、
『彼らが日本の、この地球の民の味方であるなら、私は彼らにとって味方になり得ると思っています』
 夜鷹氏の凛とした言葉を耳にしたことで、雅夫はようやく決断を下すことができた。
 これほど真剣に日本を、地球を守ることに魂を込められる者などそうはいない。ましてや正体を明かさぬままの風雅を信用できると口にする者を野晒しにするのは忍びない。
「実際にお会いしましょう。そこで貴女は隠された歴史の証人となる」
 それだけを告げて電話を切ると、雅夫は素早く身を躍らせて東京湾にある国連軍基地を目指して駆け出していく。
少々遠いかもしれないが、途中で新幹線にでも飛び乗れば問題ない。
「まずは彼女を誘拐してからだな」
 そんな途方もない言葉を口にする雅夫は当たり前のように風之貢鎖人を発動すると、透牙を発動することで徒人ではとても知覚出来ないレベルの速度で時非の街を駆け抜けていく。
 とにかく政府側に協力者が出来るのは悪いことではない。だが、もしも彼女が情報を他へ漏らすようなことがあれば、残念ながら雅夫が自らの手で始末することになる。
 まったく困ったもので、そのときのことを考えるだけで鬱になりそうだ。請負屋が裏の仕事ゆえに雅夫自身人を殺めたことがないわけではない。むしろその数は天文学的であり、一人で行った件数では最多記録を保持するほどだ。だが、イコールそれが好きだということには決してならない。なってはいけないと雅夫自身考えている。
 どうか願わくは、夜鷹氏が愚かな人間でないことを……。
 ふと我に返り、人殺しが殺さずに済むための祈りを捧げていることに自然と笑みがこぼれる。
 果たしてそれは、自らへの嘲笑か、それとも行為への苦笑か。
 そんな考えをとりあえず保留にした雅夫は、当初の予定通り発車寸前の新幹線に飛び乗ると風之貢鎖人を封じて屋根の上に座り込む。これで数時間後には東京に着いているはずだ。
「ともかく、まずは信じよう。この地球の防衛という責務を担った彼女自身の言葉をな」
 そんなことを一人呟くと、あろうことか雅夫は新幹線の屋根の上でごろんと横になり、数秒後には寝息を立て始めたのだった。





 だが、そんな夜鷹氏の信頼すら嘲笑うかのように、事件はその日の晩の内に起こることとなった。
 月明かりさえ黒く塗り潰すような雲が空を覆う夜、国連軍の異常ともいえる防衛網を容易く突破していく一つの機影があった。
 鳥にしては大きすぎ、飛行機にしては運動性に優れすぎている。加えてレーダーには捉えられず、カメラなどを通すとその姿は見えなくなってしまう。それはまさに忍巨兵の隠行機能そのもののようであった。
 太平洋上から現れた未確認機は哨戒飛行中のヘリコプターや戦闘機を十機ばかり叩き落とすと、威嚇する猛禽類のような鳴き声を響かせながら羽休めとばかりに管制塔に鋭い爪を突き立てる。
 基地中の誰もがそれを見上げ、さながら怪獣映画のワンシーンのようなその光景に目眩を感じた者も少なくはない。
 その怪鳥もしばらくはそうしていたが、自らを取り囲むように集まり出した軍に気を悪くしたのか、翼を広げ猛々しく鳴き声を上げると何度も羽ばたいて管制塔から飛び上がっていく。
「てぇッ!」
 そんな声が響き、針鼠のように襲いかかる弾幕さえも羽ばたき一つで巻き起こる突風の前に、近づくことすら出来ず次々に爆散する。
 動き出した怪鳥は戦闘機のミサイルも戦車の砲弾もくぐり抜け、空陸の両戦力を神がかり的な早さで削ぎ落としていく。
 たった一機の未確認機に軍は容易くあしらわれ、火の手の上がった施設から誰もがその姿を仰ぎ見る。
 未確認機目掛けて基地から発射された百にも届きそうな数の迎撃ミサイルが見えない力に阻まれて目標に到達する前に爆発を起こし、空を覆う黒煙の切れ間に誰もが大きな人影を見た。
 無慈悲に見下ろす瞳が輝く中、誰かがそれを指差して声を荒げる。
"あれは手配中の人型機動兵器だ!"
 その一言を皮切りに、不安は一気に基地中へと広がっていく。
 まさか軍の決定に対してこのような形で報復されるとは思っていなかったのだろう。口々に人型機動兵器の集団を罵る軍人たちを見下ろしていた未確認機は、満足そうにくぐもった笑い声を上げると手首の内側からエネルギー状のクナイを数発発射してさらに混乱を煽り、現れたときと同じ怪鳥の姿に変わってこの空域を離脱していく。
 追撃が無駄だとわかっていながらも三機の戦闘機が基地から飛び立ち、残された者たちは誰もが夢でも見ているような表情で負傷者の救助活動を開始した。
 たったの数分で日本屈指の防衛網が破られた。それも相手は単機だというのに、手傷一つ負わせることができなかったときた。
 その事実は今まで以上に国連軍の無力さを際立たせ、それ以上に謎の機動兵器を有する集団への恐れを抱かせた。
 東の空を振り返った軍人の一人が未だ昇らぬ太陽に苛立ちを覚え、手にしていた拳銃を怒りに任せて足下に叩きつける。
 安全装置が効いているとはいえ、普段は絶対にこんなことをするはずのない彼は、やるせない表情でその場に崩れ落ちると何度も何度も東の空に向かって祈りを捧げる。
 神よ。どうか陽が昇ればこの悪夢が終わりますように。神よ。目が覚めれば口煩いが最高の妻と、最近はあまり口も利いてはくれないが自慢の娘に会えますように。
 だが、彼は近い将来思い知ることになる。世の中、永遠に覚めない悪夢があるのだということを……。













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