翡翠が釧を追いかけた後、菫はすぐにその場を離れていた。
 間違っても翡翠から逃げ出したかったわけではない。翡翠の欲した陽平を釧が連れて行ってしまったから、ただそれを取り返そうと行動に移しただけのこと。
 行動不能になっているとはいえ、煉王ジェノサイドダークロウズを使うわけにはいかないが、その忍獣ジェノサイドレイヴンならばなんとかなるかもしれない。
 その微かな気配を頼りに海岸を進み、忍獣が海に沈んだことを知った菫は絶望の表情で膝をついた。
 さすがの菫も海底に沈んだ忍獣を手も触れずに回収することなどできようはずもない。ましてやジェノサイドレイヴンは獣帝たちとの戦いで激しく傷ついているのだ。それを癒すためにも直に触れる必要があったのだが、これではまさしく手も足も出ない状況だ。
 だが、これも天の助けというのだろう。菫の巫力に惹かれるように上空から近づく気配があった。
 その姿が肉眼で捉えられなくとも、それを扱う巫女ならばすぐにわかる。間違いない。これは忍巨兵の気配だ。
 景色ににじみ出るような白い翼が視界いっぱいに広がっていく。その大きな鳥の姿に菫は思い当たる忍巨兵があった。
 囚われの忍巨兵。自らの意思ではなかったとはいえ、ガーナ・オーダに忍巨兵の技術を伝えてしまった裏切りの忍巨兵、星王イクス。
「キミは……玻璃?」
「ちがう!」
 玻璃と呼ばれたことに、菫は感情的に声を荒げていた。
「ちがう。ちがうの! わたしはスミレ。友達が、ヒスイがつけてくれた名前がある!」
 星王を見ないようにうつむいて、しかし気持ちだけは真正面からぶつけた菫に星王も驚いたようだった。
「驚いた。キミはあまり本音を口にしない子だと思っていた」
 それは間違いじゃない。確かに菫は本音を口にしようとはしなかった。口を開けば出るのは怨みの言葉。そんな言葉を紡げば辛いのは他人だけじゃない。自分も黒い気持ちに心を犯されてしまう。
 だから菫は口を閉ざした。必要最低限の言葉しか紡がないように努めた。だから星王がそう思ったのも決して間違いじゃない。
「それと、ごめん。知らなかったとはいえボクはキミを傷つけた」
 素直に謝る星王に頭を振ると、菫は跪く星王の巨体をゆっくりと順に見上げていった。
 煉王との無理な戦いのため、星王の全身は正常な状態が見つからないほどに傷ついている。
 自分のせいだ。そう感じた瞬間、知らず知らずの内に菫は涙を流していた。
「スミレ、どこか痛いの?」
 優しい言葉で心配してくれる星王に、菫は力いっぱい頭を振った。
「じゃあ……」
「わたしこそ、ごめんなさい」
「スミレ……」
「わたしのせいでみんながキズついた。わたしのせいで星王も、ヨウヘイも、みんな……」
 星王の足に触れ、身体に溢れる巫力で星王の身体を癒していく。それくらいしかしてあげられることがなかったから。そのくらいしかできることが思いつかなかったから。
 せめて、ごめんなさいの気持ちを精一杯のカタチで伝えることでわかってほしかった。許して欲しいんじゃなくて、ただわかってほしかった。誰かを傷つけたかったわけじゃない。何かを奪いたかったわけじゃない。玻璃が……菫が偽者なんかじゃなくて、ひとつの命だということを。
「ありがとう、スミレ。やっぱりキミは優しいね」
「やっぱり?」
「うん。キミはいつだって辛そうな顔をしていたのに、誰も傷つけまいと自分を隠し続けていたからね」
 わかってくれていた。そう思った瞬間、菫は癒すのも忘れて星王の足に抱きついていた。
「ごめん。ボクはキミを連れ出してあげることができなかった。押し黙った想いがキミを追い詰めてしまったのなら、それはボクの責任でもある」
「ちがう……星王のせいじゃ、ない」
 涙で星王の姿が見えず、嗚咽が喉をカァッと痛くする。
 不思議な気持ちだった。自分をわかってくれる。受け止めてくれる存在がこれほど嬉しいなんて思わなかった。これが友達というものなのかもしれない。これが大切だって気持ちなのかもしれない。
「やっぱり優しいね、スミレ」
「星王……」
「ねぇ、スミレ。キミはなにがしたい?」
 次から次にあふれ出す涙を手の甲で拭いながら星王を見上げる。そこには優しい眼差しで見下ろす大きな顔があった。
「ヒスイのやくに立ちたい。わたし、名前をくれたヒスイにお礼がしたいの」
「それで煉王を?」
 頷く菫に星王は少し困ったような溜め息をついた。
「翡翠姫の恩義に報いるためだけにスミレは動きたいの?」
「ちがう。ヒスイはトモダチだから」
 今度は満足したらしく、優しい笑みで頷く星王に菫もつられて笑みを浮かべる。
「わかった。ならボクがスミレに力を貸してあげる」
「え?」
「ううん、違うね。ボクもひとりぼっちは寂しいと思っていたところだったんだ。スミレ、ボクと一緒に行かないかい?」
 差し出された大きな手にそっと触れ、菫はなんの躊躇いもなく頷いていた。
 ひとりが寂しいのは菫も一緒だったし、なにより自分をわかってくれる存在が力を貸してくれるという事実が、菫の中で新しい力になりつつあったから。
 だから飛び立つ。この白い翼を持つ忍巨兵と共に。ただ、自分に笑顔の花をくれたひとりの友達のために。






 全身を刺すような痛みにも似た寒さに、風雅陽平の思考は一瞬で覚醒した。
 視界を埋め尽くす一面氷の銀世界。さすがの陽平にも、少なくともここが日本でないことだけは理解することができた。
 身体を浸食しようとする冷気に抵抗しようと身体を動かせば、なぜか体表面でぱりぱりと薄皮が破れるような音がする。
 なるほど。このままじっとしていれば氷漬けになることも理解することができた。
 素早く取り出した獣王式フウガクナイで影衣を身に纏った陽平は衣に封じられた火遁を解放して暖を取ると、自分の置かれた状況を把握しようと周囲をぐるりと見回していく。
 自分はつい先ほどまで獣岬の洞窟にいたはずだ。その記憶ははっきりと残っているし、なにをしていたのかも思い出すことができる。
 玻璃と呼ばれていたガーナ・オーダの産み出したもうひとりの翡翠。煉王ジェノサイドダークロウズによって限界まで巫力を消耗した彼女を救おうと、獣帝の力を借りて巫力を与え続けていたはずだが、なにゆえ気がつけば一面氷の世界に放り出されているのだろうか。
 しかしそんな疑問も長くは続かない。なぜならば目の前に現れた人物こそが、事のすべてを物語っていたからに他ならない。
 銀の仮面で左顔を隠した陽平の好敵手。リードの皇にして翡翠の兄。
「釧……」
 いったい今までに何度その名を呼んできただろうか。
 あるときは姫のために求め、あるときは囚われた彼を呼び起こすために叫び、またあるときは悲劇の引き金に指をかけた彼を止めようと手を差し伸べた。ときには共に力を合わせ戦ったこともある。
 だが、彼との出会いはいつだって二人の決着の場だったはずなのだ。
「無様だな、風雅陽平」
「言うに事欠いて第一声がそれかよ」
 陽平の苦情も微風のように受け流し、釧はいつものように突き刺さりそうな視線を向けている。
 やはり今回も闘うことになるのだろう。しかも邪魔の入らない場所を選んだのだ。徹底的にやる気らしい。
「なにが無様だってンだよ」
「キサマの未熟さが、だ。キサマは強大無比の獣帝の力を自ら御することもなく、ただ使っているだけに過ぎん。そんなことだから獣帝で戦うだけで強制睡眠などと無様な姿を晒すことになる」
 捲し立てるように告げられた言葉が陽平の胸に深々と突き刺さっていく。
 言われたことが事実だけに、受けた衝撃はひとしお。残念ながら一言も言い返す言葉が見つからなかった。
「キサマは獣帝の力をむやみに解放しすぎている。そんな様では亡霊どもはおろか、この俺と超獣王を討つなど笑止」
 貶しているのかアドバイスをしているのか判断に難しい釧の言葉に、陽平はため息混じりに肩を落とした。
 しかし獣帝の効率良い運用方法もそうだが、釧の発言にはもうひとつ気になる部分がある。
「真獣王の次は超獣王かよ。今度はいったいなにを持ち出してきやがった」
「無論、キサマの獣帝に退けを取らん我が分身だ。さぁ、獣帝になれ風雅陽平。そして自分の目で確かめろ! この、超獣王ッ! グレートカオスフウガの力をッ!!」
 叫びと共に、釧の背後に巨大ななにかが立ち上がる。
 はっきりと目視せずとも感じられる驚異的な巫力と威圧感は、まさしく獣帝級と言っても過言ではない。
 半ば無意識に対抗するように、陽平は合わせて獣帝を呼び出していた。
「出ろォ! マスタークロスフウガァッ!!」
 陽平と釧、二人同時にそれぞれの忍巨兵を召喚し、自らの身体で二つの忍巨兵を繋ぎ合わせていく。
 北の大地の静寂を破るように現れた二体の巨人は、それぞれ身に纏う巫力の風を爆発させることで太陽を隠すように覆っていた分厚い雲を吹き飛ばし、自らの存在をより強大なものと見せつける。
「獣帝式忍者合体ッ! マスタァァックロスフウガァッ!!」
「超ッ獣王式忍者合体ッ、グレートカオスフウガァァッ!!」
 見つめ合う双眸が、唸る獅子が、両者の想いが激しくぶつかり合う。
 なるほど。ガイアフウガとカオスフウガを獣帝のように合体させたというわけか。
 どうりであの自信。カオスフウガが蘇っていたことは確かに驚きだったが、クロスフウガのことを考えるとさして不思議には思わない。むしろそれこそが自然な姿だと思えてくる。
 さらに、言われた通り獣帝の力を六割程度まで抑えてみると、思わずなるほどと思わされた。
 獣王クロスフウガや竜王ヴァルフウガに比べれば大きいものの、今までに比べて疲労は幾分かマシになっている。これならある程度長い戦闘もこなせそうだし、合体後の強制睡眠や巫力の使用制限も解消されていくかもしれない。
 それにしても、よもや獣帝と同じ力を有した忍巨兵まで手に入れていたとは驚きだった。
 釧がリードの皇で、さらにその口から「獣帝になれ」と言われていなければ、獣王と竜王の二体であれと闘うことになっていたのだ。そう思うと正直生きた心地はしない。
 それだけ獣王と獣帝の力には差があるのだ。そのことは、他の誰よりもその力を扱う自分自身が一番良く知っているつもりだ。
「さぁ、始めようか。時間が惜しい」
「三つだけ、いいか?」
 突き出すように指を三本立てた陽平に、釧は好きにしろとばかりに顎をしゃくる。
 どうやら会話もできないような状況というわけでもないらしい。
 しかし、それは今まであってほしいと願いながらも迎えることができなかった状況だけに、陽平はこの決闘に対する釧の決意を改めて感じ取ることができた。
「一つ目。俺が巫力を分け与えていたあの子はちゃんと助かったのか」
 指を折って訪ねる陽平に、釧は表情も変えずに小さく頷いた。
「そっか。良かった」
 あれだけやって助け損なっていたとなれば、それはあまりに情けない。
 そしてそれは同時に、忍巨兵は兵器じゃない。人の命を救うことができる奇跡の結晶だと証明することができたということだ。
 今度あの子に会ったら、翡翠や孔雀に会わせてやろうと思う。
 あの子はただ笑い方を知らないだけで、友達ができればきっと本来の明るくて優しい子に戻れるに違いないのだから。
「二つ目。今回でケリつけるつもりってことで、いいンだよな」
 そう言って二本目の指を折った陽平に、釧は目を閉じて頷いた。
「ああ。これで最後だ」
 獣帝と超獣王という忍巨兵同士の頂上決戦。ゆえに全力でぶつかり合えば、確実にどちらかが命を落とすことになるだろう。
 まさに泣いても笑っても、これが最後の決闘になる。
「三つ目だ。俺が勝ってもお前が勝っても、生き残った方が翡翠や琥珀さんを守る。異存はねぇよな」
 言いながら拳を握り締め、臨戦態勢に入る獣帝マスタークロスフウガに、超獣王グレートカオスフウガもまた同様に臨戦態勢に入る。
「その言葉、決着がついたときにもう一度聞こう」
 不思議と釧の言葉に嬉しさのような感情が混じっていることに気づいた陽平は、つられるようにして唇の端をつり上げていく。
 なるほど。釧も、そして自分も、この日が来るのをずっと待っていたのかもしれない。
 何度ぶつかり合っても勝敗らしい勝敗が決まらず、気づけば互いをライバル視していた二人。
 あれやこれやと理由をつける以前にどちらが強いかはっきりとさせておきたいという気持ちは、紛れもなく戦士のそれだ。
 高揚する気持ちが抑えられない。早くこの男と、最強のライバルと刃を交えたい。
「じゃあ、いくぜ!」
 忍巨兵を通して互いの視線がぶつかり合った瞬間、二人は抜き放った刃を交えていた。
 どちらが先に踏み込んだのかはわからない。しかしマスタークロスフウガとグレートカオスフウガの力が拮抗しているということだけは、今の一撃で証明することができた。
 互いに一歩も退かず、その場で嵐のような剣戟を繰り返す。
 時折互いの切っ先が身体を掠めるが、巫力を込めない刃同士では光鎖帷子を越えることすらできずに弾き返されてしまう。
 ふいにグレートカオスフウガの手数が増えたような気がしたが、そうと気づいた瞬間、超高速の抜き手が首筋を掠めていく。
「にゃろッ!」
 相手が手ならこっちは足だと、陽平は鋭い突起を持つ膝を突き上げる。
 確実にグレートカオスフウガの頬を捉えたつもりが、掬い上げるように軌道を描く肘が突起の横っ腹を叩かれ狙いが反れる。
 だが、お互いそれだけで止まれるほど鈍ってはいない。
 横からかかる力を利用して後ろ回し蹴りを繰り出すマスタークロスフウガに対して、グレートカオスフウガは振り抜いた肘とは逆に腰溜めにしていた拳を突き出してくる。
 いける。同じ力同士、蹴りならば腕力に勝る。そう確信した陽平の期待を裏切り、突然グレートカオスフウガの拳を包み込んだ風がマスタークロスフウガの蹴りを大きく弾き飛ばす。
「風牙かッ!」
 巫力を伴った攻撃とそうでない攻撃。それがたとえ脚力対腕力であってもこれほど差が出るものかと再確認させられる。
 跳ね返された勢いで後方に宙返りをしつつ、負けじと拳に巫力を集めていく。
 着地と同時に飛び出すと、螺旋回転を伴う巫力の拳をグレートカオスフウガめがけて叩きつける。
「穿牙ァ!」
 マスタークロスフウガの拳を交差した腕で受け止めた瞬間、グレートカオスフウガ中心に氷の大地が陥没する。
 一見すると通常の忍巨兵同士の戦闘だが、実際は最強対最強の大激突。従来の忍巨兵では動きを追うことも、一撃を受け止めることもかなわない攻撃の応酬なのだ。
 たとえ巫力を受け流しつつ攻撃を受け止めようとも、そのダメージは防御を貫通して戦場を大きく穿つ。
 ならばこのまま押し切り、なんとしても先制の攻撃を取る。
 だが、そんな意に反して先に攻撃を受けたのは陽平とマスタークロスフウガの方であった。
 突然マスタークロスフウガの腹部を襲った風の塊は、まるで手榴弾のように間を置いて破裂する。
 ダメージは光鎖帷子を貫通しなかったものの、これが獣帝でなければ手痛い一撃をもらっていたことになる。
「狼牙で防御と術を同時に行い、空牙で発動を悟られねぇようにしたのか!」
「フン! その程度でマスターを名乗るなどッ!」
 追い討ちをかけるグレートカオスフウガの拳を左腕で防御するが、術と拳の多重衝撃──崩牙がマスタークロスフウガの防御を突き崩す。
「調子に、乗ンじゃねぇッ!」
 突き出されたままの拳を捕まえ、拳そのものに術を叩き込む。
 術を体内で爆発させる零牙ならば光鎖帷子をも突破できるかもと思ったが、どうやらそれほど容易い結界ではないらしい。
 自分が使う分には心強いが、相手が使うと厄介極まりないそれに舌打ちすると、陽平は二つの巫力を同時に拳へ集中させていく。
 一点から複数へと拡散する巫力と螺旋回転を描く巫力を同時に練り上げ、拳を繰り出すと同時に解き放つ。
 拳が最初に触れるもの。すなわち空気を最初の打撃面と仮定することで放たれた巫力が拡散。それと同時に螺旋回転が加わることで、拳から無数に放たれた風の巫力が紙縒りのように捻れていく。
「なにッ!?」
「角牙プラス、……穿牙ァ!」
 放たれた巫力は竜巻のように姿を変え、グレートカオスフウガの防御に深く食い込んでいく。
 とっさに鎧牙を用いることで巫力による防御を強化したにも関わらず、陽平の合体風牙はそんなものは関係ないとばかりに易々と貫くと、グレートカオスフウガの光鎖帷子に突き刺さり激しい拮抗を見せる。
 さすがに光鎖帷子を貫くには至らないものの、陽平の繰り出した攻撃に釧もいたく感心したらしく、攻撃を受けた箇所に触れながら浮かべる笑みにはどこか楽しげな表情が見え隠れしていた。
「風雅陽平、キサマそれはいつ使えるようになった」
「いつって、俺が風牙を使えるなんて、お前だって前から知ってンだろ」
 だが、釧はそれで納得はできなかったのだろう。訝るような視線が陽平に突き刺さる。
 別に驚かれるようなことをした覚えはない。ただ、二つの風牙を重ね撃ちしたにすぎない。
 そもそも二つの風牙を使うなんて、釧も今しがたやって見せたではないか。
「複数の風牙を融合させることで、新たな風牙を生み出せるなど聞いたことがない。事実、俺は複数の風牙を併用することはできてもキサマのように融合させることなどできん」
「聞いたことねぇとか言われても、実際に使えるンだから仕方ねぇだろ。だいいち、そのくらいで怖じ気づくお前じゃねぇだろぉが」
 仕切り直しと巫力を集め直すマスタークロスフウガに、グレートカオスフウガも巫力を両手に分けて集中させていく。
 釧にも使えない技術を自分が持っていたというのは嬉しい誤算だったが、それで二人の実力差が埋まるほど容易い相手じゃないことくらい十分に承知している。
 ならば作戦は一つ。釧の知らない合体風牙を多用して虚をつく以外にない。
 またも二人が同時に飛び出し、単純な風牙の応酬が繰り返される。
 しかけたのは釧が先であった。
「網牙ッ! 角牙ッ!」
 グレートカオスフウガの五本の指が素早く走り、陽平の目の前に格子状の壁が現れる。続けて角牙が格子状の壁の隙間を埋めるように撃ち込まれることで、逃げ場なしの壁が完成する。
 だが、もとより逃げるつもりはない。
 陽平も同様に網牙と角牙の巫力を自らの片腕に集中させると、それらを同時に撃ち出した。
「網牙プラス、……角牙ァ!」
 角牙によって生み出された拡散衝撃が、網牙によってその軌跡を虚空に描いていく。
 釧の放った壁の周囲を飛び越えるように描く軌跡は、さながら得物を捕らえる網のように術そのものを包み込むと、握り潰すように相殺した。
「どうだッ!」
「甘いぞッ! 風雅陽平!」
 相殺したことを喜ぶ暇もなく、グレートカオスフウガの全身が黄金色に輝いていく。否、それは全身を包み込む雷遁の輝きであり、それが示す風牙は唯一つしかない。
「受けろ、雷牙ッ!」
 防御の暇もなく稲妻と化したグレートカオスフウガがマスタークロスフウガの身体を打ち抜いていく。
 まさに雷光と呼ぶに相応しい一撃は、互いに侵すことの出来なかった光鎖帷子を抜け、ようやく致命傷になる攻撃をマスタークロスフウガに与えることに成功した。
 だが、打ち抜かれたにも関わらずニヤリと不敵な笑みを浮かべる陽平に、釧は止まらず走り抜けていく。
「これは……、影牙か!?」
 察しの通り、雷牙によって撃ち抜かれたマスタークロスフウガが霧散すると、本物は氷の大地を突き破ってグレートカオスフウガの真下から姿を見せる。
「ようやくわかったぜ! 光鎖帷子を越えて一撃入れるにゃ、これっきゃないってな!」
 陽平の腕に零牙と崩牙の巫力が集中していく。その驚異的な発想に気がついたのか、釧は舌打ちしつつも光鎖帷子を前方に集中させていく。
「止められるモンなら止めてみろッ! 零牙ッ、プラス崩牙ァ!」
 マスタークロスフウガの拳がグレートカオスフウガの光鎖帷子と衝突することで、目も眩まんばかりの激しい閃光を周囲に撒き散らしていく。
 もしもこれが決まれば対象は内部からの衝撃によって粉砕され、文字通り粉々に身体を砕かれることになる。
 だが、それを易々受けてくれるほど甘い相手じゃないことは承知している。
 おそらく釧の取る次の行動は……
 ふいに聞こえた風を切る音に、陽平は左右と後方の三方から迫るそれに大きく目を見開いた。
 刀を構えたグレートカオスフウガが三体同時に切り込むそれは、間違いなくカオスフウガの得意としたあの技、皆伝霞斬りだ。
 このままここで術を使い続ければ、あれをまともに食らうことになる。かといって術をやめて逃げに入ったとしても、目の前のグレートカオスフウガがそれを許すはずもない。
 ならば陽平のすべきことは唯一つ。すべてを迎撃する以外にない。
「ウオオオオオッ! 皆伝、霞斬りィ!!」
 術を使い続けるマスタークロスフウガをその場に残し、影牙によって現れた三体のマスタークロスフウガがグレートカオスフウガに向かって霞斬りを放つ。
 同時に響く三つの剣戟の音。未だに決しない光鎖帷子と術の攻防。それらがすべて重なり合った瞬間、二人の中心から凄まじい衝撃が生まれ、互いの光鎖帷子を越えるほどの衝撃で氷の大地を吹き飛ばしていく。
 爆煙代わりの水蒸気が辺りを満たし、両者は互いの姿を完全に見失っていた。
衝撃によって吹き飛ばされたマスタークロスフウガの身体を起こし、陽平はグレートカオスフガの気配と巫力を探るように忙しなく視線を動かしていく。
 風遁の風牙によってあれだけの衝撃が生まれたのだ。これがもっと攻撃的な術だったら今頃は北極が形を変えていただろう。いや、もう既に変わってしまっている可能性が高い。
 釧は周囲を気にしないで戦える場所を選んだのだろうが、これではいい自然破壊だ。
「ったく、冗談じゃねぇぞ」
 水蒸気の霧を越え、ゆっくりと歩み寄るその姿に陽平は思わず悪態づいていた。
 無傷。あれだけの衝撃にも関わらずグレートカオスフウガは健在。釧もおそらくはぴんぴんしていることだろう。
 もっとも、陽平とマスタークロスフウガが無事だった時点で想像はできたのだが、あれだけ渾身の力を込めた攻撃が効かないとなると、光鎖帷子を越えてダメージを与えるにはもっと強大な力を振るう必要があるということだ。
「互いに力を抑えて戦ったンじゃ、キリがねぇってことかよ」
 どうやら合体後の後遺症など気にして戦っていられる相手でもないらしい。さすがは好敵手と賛辞を送りたいところだが、残念ながらそんな冗談を言っていられるほど今の陽平に余裕はなかった。
 合体風牙に霞斬り。この二つが通用しないということは、残る武器で通用しそうなのは巨腕の忍邪兵を消滅させたメギドパニッシャー以外にない。
 だが、それをまともに受けてくれそうな相手ではないし、このままでは撃つタイミングそのものが取れない可能性が高い。
攻撃力、速さ、運動性、防御力、それらすべてが同等のマスタークロスフウガとグレートカオスフウガの激突では、やはり陽平の力不足が顕著に出てしまう。
 互いに刃を握る手に力を込める。どうやら次は刃を用いた決闘をご所望のようだ。
 最初は互いに探り合うように巫力を用いない攻防を繰り広げ、次は巫力を用いた無手の風牙の攻防。そして今度は巫力と武器を用いた対決と、まるで順序立てておさらいをしているような決闘に、陽平はどこか疑問を感じずにはいられなかった。
 いつもの釧らしくない。いつものような剥き出しの感情がぶつかってこない。まるでこの決闘を楽しんでいるような素振りさえ見える好敵手に、陽平は訝るような視線を向けた。
「おい。いったいどういうつもりだよ。いつもみてぇに殺気ギラギラでってのも確かに嫌だけどよ、いったい何考えてやがる」
 陽平の問いに答える気はないのか、グレートカオスフウガの持つ絶刀に風の巫力が伝わっていく。
 仕方なしに斬影刀に巫力を込めた陽平は、その切っ先をグレートカオスフウガに向けたまま、相手を制するように一歩を踏み出した。
「答えろよ、釧。これが最後なんだろ? なんで自分を抑えて闘う必要があるンだよ」
「知れたこと。キサマに眠る真の力を引きずり出す。その上でキサマを屠る。今のキサマを倒したところでなんの自慢にもなりはしないからな」
 それは暗に、未熟すぎて相手としてつまらないとでも言っているのだろうか。
 なにやら聞き捨てならないセリフを吐かれた気がして、陽平は刀を握る手に更なる巫力を込めていく。
「じゃあ、俺が弱いかどうか、しっかりと見極めてもらおうじゃねぇか。ライバルさんよォ!」
 マスタークロスフウガを中心に気流が生まれ、次の瞬間にはグレートカオスフウガを背後から切り伏せた。
 しかしそれだけでは止まらない。目の前で消える残像など見向きもせず、頭上から切りかかってくるグレートカオスフウガと再び剣戟を繰り広げる。
 両者がすれ違う度に交差する刃と刃。やはり巫力を帯びているとはいえ、通常攻撃では光鎖帷子を突き破るには至らない。
 同時に正面から切り結び、続く弐の太刀が互いの脇腹に突き刺さる。いや、実際には切っ先が光鎖帷子に阻まれて刃は一度も互いの身体には到達していない。
「これなら、どうだァ!」
 グレートカオスフウガを無理やり弾き飛ばすと同時に裂岩を一斉に射出すると、それらすべてに巫力を込めて発射していく。
「付き合ってやる」
 同様に才羽を射出したグレートカオスフウガが全ての裂岩を迎撃していく。やはり小技程度でどうにかなる相手ではない。
「クロスブラストッ!」
「カオスブラストッ!」
 互いに脇下から覗く銃口が火を吹き、移動しながら撃ち続ける両者の背後を粉々に打ち砕いていく。
「「火遁解放ッ!」」
 胸の獅子が同時に火遁を圧縮解放すると、次の瞬間には凄まじい熱閃が二人を繋ぐ赤い糸のようにぶつかり合う。
 早々に爆発の中から飛び出したマスタークロスフウガは、足に絡みつく獣爪を一瞥すると刃を走らせて弾き飛ばす。
 グレートカオスフウガの両肩に装備された獣爪が爪の数だけ分裂して襲い掛かるのを、マスタークロスフウガは両腕の蒼裂で迎撃。さらに両腕の刃──竜尖【りゅうせん】をアンカーのように飛ばして、飛び退くグレートカオスフウガの足下を打ち砕く。
「風雅流天之型」
 一瞬、グレートカオスフウガの姿が何重にもブレて見え、陽平は思わず頭を振る。
「山荒ッ!」
 文字通りヤマアラシの棘のように視界を埋め尽くす刃がマスタークロスフウガに襲い掛かり、陽平は防御すら行う暇もなく全身でそれを受け止める。
「天之型……」
「くっ! またかよ!」
 とっさに腕を交差して防御の体制に入る陽平に、釧は蔑むような視線を向ける。
「奥義、竜哮天牙ッ!!【りゅうこうてんが】」
 無数に増え続けるグレートカオスフウガが降り頻る雨のように次々と降り注ぎ、マスタークロスフウガは普通では目に映るかどうか危うい超速度の斬撃を再びその身で浴び続ける。
 ついに光鎖帷子を越えたダメージがマスタークロスフウガを襲い、陽平は氷の大地を穿つように吹っ飛ばされていく。
「今のが天之型の奥義かッ!?」
「陽平、来るぞ!」
 クロスフウガの声に急いで体勢を立て直すが、とことん削るつもりか、すでにグレートカオスフウガは次の攻撃を構えていた。
絶刀に集まる巫力が一瞬で極大化すると、それは拳から放出される光のような巨大な刃を生み出していく。
「地之型……」
「舐めるなッ! そんなモン、一発食らえば覚えるぜッ!!」
 飛び上がるマスタークロスフウガが無数に増え、その全てがグレートカオスフウガ目掛けて超速度で降り注ぐ。
「食らいやがれェ! 竜哮天牙ァ!!」
 雨のように降り注ぐマスタークロスフウガの斬撃を受けながらも光の刃を構え続けるグレートカオスフウガに、陽平はこれでもかとばかりに攻撃の数を増していく。
 まるで隕石の雨のように氷の大地を吹き飛ばし、グレートカオスフウガが視認できる限り何度でも攻撃を繰り返していく。
 天之型奥義竜哮天牙とは、速度と手数による永続的な攻撃を極めたもの。ならば地之型の奥義とはその逆に違いない。
 一撃にすべてを集約させ、ただの一太刀で相手を沈める極大の攻撃。それを食らわないためにはとことん先手を取り続けることで相手に打たせないことだ。
 だが、そんな陽平の浅知恵などお見通しとでも言うのか、立ち尽くすグレートカオスフウガは自らを包み込むまで集束させた巫力を爆発させると、雷牙の要領で上空のマスタークロスフウガを目掛けて飛び上がった。
「奥義、獣咆烈破ッ!!【じゅうほうれっぱ】」
 竜哮天牙で迎撃を続けるがその突進は止まることを知らず、肩に担ぐように振りかぶられた光の刃を頭上で回転させると、その勢いだけでマスタークロスフウガを胴切りにする。
 とっさに全力で展開した光鎖帷子が致命打を避けてくれはしたが、ただの一撃でマスタークロスフウガを氷山に叩きつけたグレートカオスフウガの一撃に、陽平は歯を食いしばったまま苦悶の声を漏らした。
「ぐううッ!!」
「なんという威力だ。陽平、無事か!」
 瓦礫のようにのしかかる氷を押し退け、胴が繋がっていることを確認すると、陽平はこちらを見下ろすグレートカオスフウガを睨みつける。
 今の一撃、おそらく本気だったらマスタークロスフウガですら致命傷だったに違いない。 それほどの一撃だったにも関わらず陽平本人のダメージはたいしたこともなく、それでいて無事とわかっているはずの釧からは追撃がない。
 とことん舐められているのだろうか。そう思うと無性に腹が立つ。
「どういうつもりだ。てぇめぇ、俺に天と地の奥義を見せるために今の攻撃を繰り出したとでも言いやがるつもりかよ!」
「ああ。だが、風雅陽平。キサマは次の一太刀で屠る」
 ゆっくりと舞い降りるグレートカオスフウガに向き直り、陽平はふざけるなとばかりに斬影刀を構える。
「やれるモンならやってみろ! てぇめぇが次で仕留めるって言うなら、その勝負に乗ってやる!!」
「ならばキサマも見るがいい。我が秘剣が描く無限の刃!」
 絶刀の長さのためか、右片腕のみの脇構え。待ちの構えのはずがやや前傾姿勢なのは、おそらく一撃に速度と重さを乗せるためだろう。
 周囲の風がグレートカオスフウガの闘志に呼応するように流れ始め、次第に二人だけを包み込む竜巻へと変わっていく。
 おそらくこの竜巻の壁は、対象が逃げられないようにすると同時に触れる得物を中心へ弾き飛ばす役割を担っている。そして切り伏せられた相手を粉々に粉砕するミキサーでもある。
 左右と後方の動きを完全に封じられ、真正面には秘剣とやらを構えるグレートカオスフウガが待ち構えている。
 まさしく四面楚歌という言葉が似つかわしい状況に苦笑しながらも、陽平はこの技の特性について考えていた。
 これが先ほど見せられた天と地之型の奥義を兼ね添えた技であることは確かだが、二つを交えただけの技ならば陽平にも何通りか思いついてしまうのだ。それはつまりこの技を予測しづらいということでもあり、事実上一度見ないことには回避も迎撃も行えないということになる。
 まさに一撃必殺のための秘剣。この釧という男が必殺技と呼ぶに相応しい奥義なのだろう。
 いつしか周囲の竜巻はその半径を狭め、マスタークロスフウガの背後に触れるか触れないかの距離で風の刃が猛り狂っている。あまり迷っている時間はなさそうだ。
 無防備にこれを受けるわけにはいかない。しかしこれに対抗できる切り札が陽平の手元にはないのだ。
霞斬りも疾風斬りも、この技の前には無力と言っても過言ではない。
 残された手段といえば、陽平もこの場で同じことをしてみせる以外にない。それは即ち、天之型と地之型、二つの奥義を合わせた究極の秘剣をこの土壇場で編み出すということに他ならない。
 釧の脇構えに対して、陽平は自然と右肩に峰を近づける八相の構えを取る。
 八相の構えは待ちの剣と言われており、元々鞘と刀の形が八の字を描くことから名づけられたといわれているが、流派によっては八方向からの攻撃に対して瞬時に対処可能な構え、発早とも呼ばれる迎撃に適した構えだ。
 だがここで待つほど陽平も愚かではない。肝心なのはタイミング。相手の出方を待ちつつこちらも常に攻勢のつもりで思い切り前に重心を預けていく。
 釧を真似て巫力の刀身を形成すると、陽平は頭の中で強くイメージを描いていく。
 天と地、二つの奥義が重なり合う究極の姿とはなにか。それは即ち無限のバリエーションを持つ究極の秘剣。
 こうでなければならないという型は一切存在せず、ただ己のみの一刀を生み出すことのできる風雅独特の奥義。
「風雅陽平、キサマとの闘いもこの一太刀で終わる」
 釧の言葉に陽平は不敵に笑って見せた。
 どのような形であれ終わるというのなら、すべてが丸く収まる終わり方だってあるはずだ。
 その無限とも思われる可能性から一つを掴み、手にすることができるのは、おそらく今この瞬間を置いて他にはない。
「ゆくぞ。風雅流天地之型、奥義……」
 釧の動きに合わせて切っ先を向ける。
刺突に構えた刃に巫力を集めた陽平は、斬影刀を媒介に先ほどの角牙と穿牙の合体風牙を解き放つ。
「その風牙が通じないことは実証済み! 受けよ、我が無限斬ッ!!」
 マスタークロスフウガの放つ竜巻に対して真正面から踏み込むグレートカオスフウガに、陽平は脳裏に浮かぶイメージをより確実な形へと変えていく。
 この竜巻は攻撃のためのものではない。あくまでグレートカオスフウガの速度を超えるための要素でしかない。
 竜巻を放つのは影牙によって分身したもう一体のマスタークロスフウガ。そして竜巻の中を透牙と雷牙で閃光と化した無数のマスタークロスフウガが竜巻の中を無作為に跳ねながら突き進んでいく。
 竜巻の反発力が閃光と化したマスタークロスフウガを何倍にも加速させ、竜巻の中は文字通り光速となった刃が口を開けた黄金の牙のように荒れ狂う。
 グレートカオスフウガが正面から竜巻に身を投じた瞬間、襲い掛かる竜の如き風圧は陽平の意図とは別のところでも働いていた。
 竜巻の威力は微々たるものながら無限斬の突進力を削ぎ、斬り込むよりも早く獣帝の牙がグレートカオスフウガの全身を切り刻んでいく。
 一撃の威力は釧の無限斬に遠く及ばないものの、その速度と手数はとてもかわしきれるものではない。
 だが釧は決して陽平を侮ってなどいなかった。
 光鎖帷子によって軽減できたダメージなどたかが知れているというのに、釧とグレートカオスフウガはあの攻撃に耐えきった。
 疲労を無視しての全力全開による防御力と攻撃力。そして光鎖帷子の副産物である十倍近い感覚強化は陽平の嵐のような攻撃をときには避け、ときには耐え抜いて突き進み、時間差でトドメの一撃に飛び出していたマスタークロスフウガの本体をしっかりと捉えていた。
 だが、見切られたからといって、こちらもここで止まるわけにはいかない。
 先の竜巻と分身による連続攻撃で威力も速度も落ちているなら、全身全霊をかけたこちらの一撃が勝る可能性は高い。
 刀を逆手に構えたマスタークロスフウガが同時に飛び出した分身と交差するように刃を閃かせ、その交差点をグレートカオスフウガが切り抜けていく。
 陽平の竜巻が竜巻の壁を撃ち抜き、両者が互いの背後へ切り抜けるこの瞬間まで、瞬きほどの時間もかからなかった。
 互いに膝をついて減速しつつ、マスタークロスフウガは斬られた脇腹を抱えるようにうずくまる。
 光鎖帷子を越え、互いにここまで深く切り込んだ両者の無限斬に背筋が凍りつきそうな恐怖を感じながらも、それ以上に、とっさの思いつきにも関わらず完璧にイメージ通りの技を繰り出せたことに陽平は驚愕した。
 あの瞬間、互いに技を放ったあの一瞬、まるでできることが当たり前のように感じていた。
 事実、それは現実のものとなり、陽平は死という招き手から逃れることに成功している。
 驚きは釧も同様に感じていたのだろう。
 陽平の切り裂いた脇腹や、全身を痛々しく彩る無数の傷が痛むとはいえ致命傷にはなっていないはず。にもかかわらずその背中は隙だらけのまま、まるで我が目を疑っているかのように自らが手にした刃を見つめている。
 ズキズキと痛む脇腹を庇うように立ち上がり、陽平は手にした斬影刀に視線を移す。
 刀身が叩き折られているだけではなく、刃そのものが技の威力に耐えきれず無数の刃こぼれを起こしている。
 そして自分たちの足下に深々と刻まれた刃の跡が、自らが放った技と釧の技の破壊力を改めて実感させてくれた。
 今回は両者共に生き残ることになったものの、次に同じ破壊力同士がぶつかれば互いに命を落とすだけに留まらず、周りをも巻き込んでしまうかもしれない。
 正直、想像するだけで足が震えるような思いだった。
「どうする。まだ、続けンのかよ」
 沈黙を保つ釧が口を開くよりも早く陽平に回答を寄越したのは、他ならぬグレートカオスフウガであった。
 折れて刃先のなくなった絶刀と斬影刀を交互に見比べたグレートカオスフウガは、これでは勝負にならないと静かに頭を振った。
 口を挟まないところをみると、釧も同じ意見なのだろう。ダメージと疲労から肩で呼吸を繰り返す釧は、呼吸を整えつつ立ち上がると背後に立つマスタークロスフウガを振り返った。
「結局、決着にはならなかったな」
 おそらく、このままとことん闘い続ければ、釧とグレートカオスフウガの前に陽平は敗れるだろう。
 そもそもの技量が違いすぎるし、経験の差は埋め難いものがある。だからこそ勝負に乗り、あの場を凌ぎきることを第一に刀を振るったのだ。
 それにおそらく釧は決闘前、陽平に巫力を分け与えている。
 おかしいと思ったのだ。釧がいつも以上に決着を急ぐような闘い方を見せたことも、あれだけ巫力を消耗していたはずの自分がこれほど早く目覚めることができたことも。
 結局、お互いに万全の状態で闘いに挑めなかったことが、奇しくも二人を生かす結果に繋がったということになる。
「また、引き分け……でいいのか?」
 納得はしていない。していないのだが、これが最後だと釧が言った以上、おそらく本当に次はないのだろう。
 陽平と釧。ライバル関係でありながら、共に倒すべき相手が同じ者同士。
 ダークロウズという切り札を失った以上、ガーナ・オーダが総力戦をしかけてくるのは、そう遠くない日のことだろう。
 文字通り、これが最後の決闘だったというわけだ。
「風雅陽平」
 今の今まで沈黙を守っていた釧に声をかけられ、陽平は僅かに身構えて話しに耳を傾ける。
「お前に、頼みがある」
「……ああ」
 正直、釧の口から「頼む」などという言葉を聞く日が来ようとは思わなかった。
 しかも、他の誰でもない、風雅陽平に対して告げられた言葉に、陽平は内容を聞く前に頷いていた。
「翡翠を救ってくれ」
 なんとなく、そう言われるような気がしていた。
 しかし"守れ"ではなく"救え"というのはどういうことなのか。
 現在、翡翠はこの地球上で最も強固な守りの中にいる。
 実際は風雅雅夫の監視下で獣岬にいたのだが、陽平は彼女が風雅の里からでてきていることを知りはしない。
 とにかく今現在、翡翠は無事と言って差し支えないはすだ。なのにそれを救えとは、いったいどういうことなのか。
「これから俺が語ることは、お前が信じようが信じまいが、すべて真実だ」
 そんな前振りを置き、釧は過去の話を、リードに一の姫が産まれたときのことを静かに語り出した。













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