風雅陽平が北極での決闘から里に帰還した際、最初に駆けつけたのは琥珀であった。
極限状態まで疲弊していたらしく、里に到着したときにはもう獣帝の姿はなかった。
クロスフウガがカオスフウガを、ヴァルフウガがクロスガイアを抱えての帰還も相当無理をしていたのだろう。アメリカンフットボールなどで見られる頭からの滑り込みを、よもやこんなサイズで見る日が来るとは思ってもみなかった。
転げ落ちるように琥珀の元に現れた陽平は、一方的に謝り、一方的な説明を聞かせた後、糸の切れた人形のように崩れ落ち、今も屋敷の一室で死んだように眠っている。
皆に黙って出かけたのも、あれだけ疲弊しておきながらも無事に釧を連れ帰ったのも、おそらくは琥珀のためにしたことなのだろう。
鬼眼で心を視なくともわかる。陽平はそういう人間だ。
自分のことには鈍感なのに、他人の痛みにはとことん敏感で、叶うならその痛みを代わってやりたい。そんなことを平然と考えているような人間なのだ。
本人にそれを言えば、きっと「そんな大層なもんじゃない」と否定するだろうが、おそらくそう思っているのは本人だけのはず。
この数百年、行方不明のままだった星王イクスのこと。ガーナ・オーダが生んだ翡翠の複製のこと。釧と超獣王のこと。一度に話されてよくわからないままだったけれど、帰還した陽平の様子から大体を察することはできた。
翡翠にとって、琥珀にとって、いや風雅にとって良い結果になるよう、今回もやはり相当な無理をしたに違いない。
やはり次の作戦、陽平と獣帝は外すべきだ。
間違っても彼らを失うようなことがあってはならない。それは兄、釧も同じ意見のようだった。
そしてどうやらこの人物も、陽平に未来を託すつもりでいるらしい。
「雅夫殿」
どんなときでも声をかければすぐに現れる、琥珀を守るただ一人の忍者がそこにいた。
「失礼を。なにやら思い悩んでおられたようなので」
風雅最強の忍者、フウガマスター殿の相変わらずの神出鬼没ぶりに、琥珀は苦笑いを浮かべる。
だが、どこかいつもの飄々とした彼らしくない。
彼の正装とも言うべき影衣を身にまとい、その腰には勾玉のない大振りのクナイ、彼専用の忍器だったものが下げられている。
どうやらガーナ・オーダとの戦いに終止符を打つべく、この男も成すべきことを選んだようだ。
皮肉なことに、こんな重要なことでさえ直接口に出さずとも、すべて鬼眼が教えてくれる。
釧が陽平に風雅の技のすべてを託したように、フウガマスターもまた陽平にそのすべてを託すつもりでいる。それも、陽平の失った真実と共に、だ。
「そのときが来たのですね」
「勝手をお許しください。しかし愚息は知らねばならない。風雅の想いをすべて背負い、戦わねばならない身。志半ばに散ったものたちの意志を伝えねばなりません」
「不思議なものですね。あの日、陽平さんが獣王式フウガクナイの封印を解いたときは、こんな日が来るのを夢見ていたというのに。今では今日という日が来たことを悔やんでいます」
当時六歳だった陽平に、自分はいったいなにを望んでいたのだろうか。
本来、雅夫の先代にあたるフウガマスターが手にするはずだった獣王式フウガクナイを少年に託し、いつか来る戦いの日々に備えて少しずつ鍛えさせた。
思えばあれが運命の日だったのだと、今更ながらに思う。
「貴方には、あの日からずっと苦労をかけ通しでした。本当にごめんなさい、そして……ありがとう」
音もなく姿を消す雅夫を追いかけるように手を伸ばすが、すぐに意味のないことだと手を下ろし、頬を撫でながら背中へと吹き抜けていく風に振り返る。
勇者忍者は最後の試練に赴いた。やはり次の作戦、獣帝抜きで行わねばならない。
釧によってもたらされた"城"の情報。決して捨て置くわけにはいかない。
「風雅城。よもやそんなものにまで頼ることになるなんて……」
胸に込み上げる感情を無理やり抑え込むことで再び当主の顔に戻った琥珀は、緑がかった美しい黒髪をなびかせて踵を返す。
もう時間がない。たとえ我が身の欠けようとも城を手に入れる。
そんな強い決意を自らの胸の内に秘め、琥珀は動き出す。
おそらく、これが当主琥珀の最期なのだと感づきながら……。
勇者忍伝クロスフウガ
巻之弐八:「立ち上がる城」
世界がガーナ・オーダと手を結んだ。
光海が琥珀に伝えたその言葉は、あながち的外れでもなかった。
以前から正体不明で不信感を持たれていた風雅忍軍は、度重なる戦闘によってその被害を拡大させてしまっていた。
忍巨兵の戦闘中、街や人的被害を抑える努力はしたものの、そんなこと被害者たちには関係ない。あるのはただ、破壊したか、していないかのどちらかでしかない。
そしてダークロウズによる国連軍基地の攻撃と、北極での獣帝と超獣王の決闘が人々の不信感に拍車をかけた。
ダークロウズを風雅忍軍と思い込むことで、怒りと反感を煽られたところを、霊焔【たまほむら】による国連軍調査隊の一掃事件。
そう。決闘直後に陽平たちが消滅させた忍邪兵の群れは、大規模の幻術によってそう見えていただけの国連軍だったのだ。
万全の状態ならばともかく、今にも倒れそうな二人はまんまと騙され、完全にガーナ・オーダの……いや、秀吉の手の上で踊らされることとなった。
結果、国連の風雅忍軍に対する不信感は最高潮となり、そこをすかさず和睦の使者として森蘭丸を派遣。ガーナ・オーダは風雅忍軍にのみ対して戦闘行動を取ること。さらに技術提供の名目で一般人でも操縦可能な擬似忍巨兵、J−X斬風【きりかぜ】一〇機を国連軍に差し出し、風雅忍軍に関する情報提供を行うことで瞬く間に信用を勝ち取った。
そして今日、世界はありとあらゆるメディアを通じてガーナ・オーダと手を取り合ったことを報道。それと同時に風雅忍軍に関係する人物リストを公開したのだ。
誰もがこの事実に驚き、慌て、混乱した。
とくに時非市に関しては、一夜明ければ隣人が犯罪者になっていたことに、激しい動揺を隠せずにいた。
それはここ、時非高校も同じこと。
二年A組。風雅陽平、桔梗光海、天城瑪瑙の所属するクラスの教室内では、携帯電話のテレビやインターネットを用いて事実を確認しつつ、「まさかあいつらが」と口々に言い合うクラスメイトたちの姿が見受けられた。
この男、安藤貴仁もまた同様に情報を集めており、教室のドアを蹴破らん勢いで駆け込んできた椎名咲に、落ち着くよう手をひらひらと振ってみせる。
「落ち着けるわけないでしょ! どうしよう。光海たち、本当にまずいよ」
わかっている。相手は国連だ。下手な手段でどうこうなるような相手ではない。
それにしても、と咲を振り返り、貴仁はわざとらしく疲れた溜め息をつく。
「光海も陽平くんも犯罪者? あのロボットが光海たち? もうわけわかんない!」
「悩んだり怒ったり、忙しいやっちゃな」
実をいうと貴仁も、さっきまでは内心は焦っていた。ある程度の秘密なら「ふーん」で流せる自信はあったが、さすがに内容が夢物語過ぎる。
いや。ひょっとしたら、と疑っていなかったわけでもない。
露骨に怪しい行動を見せていた陽平と、あの忍巨兵という巨大ロボットが無関係であるはずがないと、常に疑ってかかっている貴仁も確かに存在したのだ。
ならどうして情報開示と共にあれだけ動揺したのか。答えはいたってシンプルなものだ。
陽平たちのピンチだというのに手をこまねいて見ているしか、方法が浮かばなかったからだ。
だが、咲が目の前で慌てふためいてくれたおかげで、いち早く冷静になることができた。
「なぁ、どうする?」
突然背後から声をかけてきたのは、陽平とも親しかったクラスメイトの一人だった。
「どうするって、なにをや」
「決まってんだろ。俺たち、陽平の家とか知ってるんだぞ」
答えたのは別のクラスメイトだった。
どうやら他の連中も同じように不安に駆られているらしく、自然と大声で話していた貴仁たちに視線が集まっていた。
「知っとるから、陽平ら国連に突き出せっちゅーんか? あほらし。やってられんわ」
心底ばかばかしいと言わんばかりにそう言ってのけると、貴仁はさらに注目を集めるために手を叩きながら机上で胡座をかいた。
「ええか、お前ら。軍隊ばっかになって危ないからって、半自由登校状態になった学校に、なんで俺ら来てんねん」
「そんなこと今は関係ないだろ」
「まぁ聞けや。お前かて昨日も一昨日も来てへんかったのに、なんで今日に限って来てんねん」
お前も、お前もとクラスメイトを振り返り、貴仁の語りは徐々に熱を帯びていく。
「それを知ってる安藤って、毎日来てたってこと?」
「暇なのね」
「うっさいわ! ……やのぉて、あのあほのこと、気になったんちゃうんか?」
「でも国連だぞ! 警察とかならまだみんなで庇いようがあるかもしれないけど、相手考えろよ!」
そう言葉にするのが辛いのか、俯き表情を見せないクラスメイトに、貴仁はまたまたわざとらしい溜め息をつく。
周りを見れば同様に視線を反らす者ばかりで、貴仁はがっくりと肩を落とした。
「国連がなんやねん。俺のんがもっと凄いっちゅーねん」
「安藤くん、こんなときにそういう冗談は笑えない」
「咲。わいは嘘ゆーてへん」
「じゃあなんだって言うんだよ! 陽平がロボット集団なら、お前は国際テロリストか?」
「あいつの親友や」
あっさりとそう言ってのけた貴仁に、クラス中がしん、と静まり返った。
それを待っていたとばかりに貴仁は、諭すような口調で語り始める。
「国連がなんやねん。陽平らのこと、なんぼ知ってるっちゅーねん。俺らの方が陽平知ってんぞ? あいつはあほやから騙されたりするけどな、進んで人殺ししたり軍施設攻撃したりできるやつちゃうやろ」
「じゃあどうするんだよ」
「決まってる。陽平のとこに行くんだよ!」
「せや。宮澤の言う通りや。国連がなんぼのもんや、俺らは──」
"風雅陽平のクラスメイトだっ!!"
クラス中の声が重なり合い、ようやく全員が顔を上げた。
誰もがそうだと頷き合い、隣の仲間とクラスメイトの救出作戦を話し合う。
どうやら上手くいったようだ。
正直、身内に敵がいるのが一番恐ろしい。ならば混乱している内に丸め込み、味方につけてしまうのが一番いい。
その瞬間教室の戸が開き、入り口に向かって一斉に視線が集中する。
白いスーツに眼鏡。そして絶対零度の眼光を持つその人物の登場に、貴仁は思わず机から飛び降りていた。
「ダテちゃん……」
「伊達では……ない!」
伊達誠一【いだちせいいち】がその一言を発した瞬間、一瞬で教室中が絶対零度に覆われた。
あまりに間の悪い登場に転けそうになりながらも、貴仁は苦笑いで伊達に手を振った。
「いや、みんな盛り上がってんねんし、そこで瞬間冷却すんのは勘弁してや」
「らしくないな、安藤」
伊達の言葉に貴仁の頬がヒクリと反応する。
「冷静になればわかるはすだ」
「今はまだ、動くべきやない。そーゆーことかいな」
伊達は答えず、ただ眼鏡の位置を直すだけ。
この男、口数が少ないために意図がまるで読めないものの、敵に助言をするようなタイプとも思えない。
貴仁と伊達の間で目による探り合いが行われることで、教室中がしんと静まり返っていた。
誰かが息を飲む音が聞こえるほどの無音状態が続き、ただ伊達の目を見据えるだけで緊張の糸が張りつめていく。
しかし、ようやくそこで気がついた。
こうして自分たちが睨み合うことに、なんの意味もない。それこそ時間の無駄で、体力と精神力を浪費しているだけだ。
「半分くらい乗せられてしもぉたな。さすがや、ダテちゃん」
「よく気がついた。さすがは俺の教え子だ。だが安藤……」
ぽん、と置かれただけの伊達の手が、万力のように貴仁の肩を締め付けていく。
万力というか、ほとんど圧砕機のような破壊力に、なんとか逃れようと必死になってジタバタ暴れたり、空いた手で殴り付けたり、蹴ったり頭突きしたりと手段を講じていた貴仁は、涙目で見上げた伊達の瞳に青白いオーラを見た。
「……伊達では……ないっ!!」
至近距離で放たれた絶対零度の眼光に、貴仁の身体が何度か痙攣を繰り返す。
「全員自習だ。それとこの愚者に伝えておけ。"そのときが来るまで待て"」
伝えてもらわなくとも聞こえているのだが、魂が身体から抜け出しているような状態では返事などできようはずもない。
教室から去っていく伊達の背中に呪いの言葉を送りながらも、伊達の言う"そのとき"とやらを思案する。
確かに国連は風雅忍軍とやらを指名手配をしたが、陽平たちはそれに対してなんの反応も見せていないのだ。
動くには確かに早すぎる。
そもそも自分たちにできることなど限られているのだから、ここぞというときにだけ動ければいい。
「問題は、あいつがちゃんとわいらに報せるかっちゅーことやけどな」
下手をすると、現時点で忘れられている可能性だってある。
こうなると頼みの綱は、陽平と一緒にいるであろう二人のクラスメイトのみ。
陽平のこととなると見境なしに飛び出す恋する乙女、桔梗光海と、いったいなにを考えているのか理解し難い無口系少女、天城瑪瑙。
そんな二人の姿を想像した貴仁が、ぽつりと「あかんかもしれん」と呟いたのは、当の本人以外知るよしもなかった。
陽平や光海の姉的存在、佐藤彩香の周りでも、やはり風雅に関する混乱は起こっていた。
喫茶ガルテン。陽平たちだけでなく風魔の長女にも馴染みのあるこの店では、常連客が揃ってテレビに集まり、陽平や風雅一家に関する噂話で盛り上がっていた。
「まさか、風雅さんとこの息子さんがねぇ」
「息子だけじゃなくて、家族全員の破天荒ぶりは時非でも有名だったけど、まさか犯罪者にまで堕ちるなんてな」
随分と時代遅れな捻り鉢巻が特徴的な魚屋の主人と、いつもエプロンのままコーヒーを飲みに来る八百屋の主人の会話に彩香は内心苦笑していた。
この二人だって決して陽平や光海を知らないわけじゃない。むしろ幼い頃から二人を見ていたはずなのに、どうしてこんな言葉を口にすることができるのだろう。
「ああ。だが悪人じゃないぞ。犯罪者と悪人は別だろ」
これは靴屋でアルバイトをしている学生の言葉だ。
「彩香ちゃん。彩香ちゃんはどうなんだい?」
話を振られ、エプロン姿の彩香は営業スマイルのままカップを拭く手を止めた。
「どうって、なにがです?」
まるで話を聞いていなかったような彩香の返答に、客たちは揃って頭を抱える。
「陽平くんのことだよ」
「光海ちゃんもね」
「彩香ちゃん、二人とは歳は離れてるけど、仲の良い幼馴染みじゃないか」
何を今さらと思わなくもない言葉を告げられ、彩香はこっそりと溜め息をついた。
陽平や光海になにがあったのかはわからない。おそらく椿も関係しているだろうことは予想がついたが、そこまでだ。
ただ、顔を見る度に、会いに来る度に彩香は「変わらない」と感じている。
それは少なくとも、陽平や光海が彩香の知らない二人になってはいないという確信なのだ。
だから彩香はいつもと変わらず喫茶店のおねーさんとして、また二人のお姉ちゃんとして、ここでコーヒーを煎れるだけ。
なにも変わらない。変わりたくはない。
「彩香ちゃん、陽平くんたちにちょっと話を聞いてくれよ」
「このままじゃオジサンたち、気になって夜も眠れないって」
そんなことを口走る客の一人から、彩香は無言で飲みかけのカップを奪い取ると、いつもと変わらない笑顔のままレシートを置いてやる。
「あ、彩香ちゃん?」
「夜眠れないのは、きっとコーヒーの飲み過ぎですよ。オジサン」
「そりゃないよ、彩香ちゃん……」
どっ、と笑いの起こる客に混じって笑みをこぼす彩香は、誰にも気付かれぬようにこっそりと表情を陰らせる。
信じている。姉は二人を信じているけど、たまには顔を見せてくれないと不安になるのも確かなのだ。
店の入り口に目を向け、いつもと変わらない声で挨拶を交わして飛び込んでくる二人の幻を見ながら、彩香はもう一度だけ、こっそりと溜め息をついた。