出雲の地。人目につき難い山奥に、風雅忍者の隠れ里がある。
 人口百人程度という、里と言うよりも集落に近いそこは、人の無意識に作用することで人払いを行う強力な≪有識結界≫に包まれ、風雅忍軍とその母星リードの存在が、外の世に知られることのないよう厳重に管理が行われている。
 そして何より、いにしえの予言にある≪再び起こる大きな戦≫に備えて、新たな風雅忍者たちの育成も、この里の重要な役割であった。
 戦に呼応するように、各地の封印から目覚めるであろう十三の忍巨兵たちと共に戦うことになる、忍者と巫女。その忍び頭になる風雅の忍者マスターもまた、この地で過酷な修行に励んでいた。
 風雅において、王族すら罰することのできる権限の最高位フウガマスター。
 強さや知識は当然のこと、人格やカリスマ、あらゆる分野において王族三人以上に認められることで、初めて試験に挑戦することのできるこの称号。その最有力候補とされる忍者は、まだこの時点では里に二人存在した。
 一人は純血の風雅忍者、風雅陽一【ふうがよういち】。彼は過去の戦においては、獣王のパートナー十兵衛の、影の側近を務め、時には獣王と共に戦ったとされる当時のフウガマスターの子孫に当たる、まさにフウガマスターとなるべくして生まれた男。
 もう一人は混血の風雅忍者、風雅雅夫。彼の両親は、いわゆる抜け忍だった。風雅忍者だった彼の父は、風雅に関わりのない者と子を宿した挙げ句、その一人息子を残して里を去った。未だにその行方はわからないものの、残された雅夫は陽一の兄弟として育てられ、今も彼を守るように共にあり続ける。
 この二人、年齢が近かったこともあってか、実の妹よりもよほど兄弟らしかった。
 普段は家族、修練のときは兄弟弟子と、彼らが行動を共にすることは多く、今日のように雅夫一人で修練を終え、縁側で茶を啜っているのは実に珍しいことだった。
 こうして一人になる度に、雅夫は幼い頃から聞き続けている、義父の言葉を思い出す。
『雅夫。お前は影となり、獣王の忍びとなる陽一を助けてやってくれ』
 湯呑みの中で小さく波打つ水面に、この話をするときの義父を見た気がした。
 正直なところ、雅夫自身は獣王にもフウガマスターにも興味はない。裏切りの烙印を捺され、忍びとして生きることすら許されなかったはずの雅夫に居場所を作ってくれた義父に、弟として、親友として、好敵手として、いつも対等であり続けてくれた陽一に、ただ恩を返せればと思って生きてきた。
 当主代行に薦められたフウガマスターの試練も、受けるつもりは毛ほどもない。むしろ陽一を影から支え、彼を歴代最高のフウガマスターにすることこそ、雅夫の本懐なのだ。自分がフウガマスターになるなど、それこそ本末転倒というものだ。
 不意に感じた気配に視線を動かしてみれば、任務から戻ってそのままなのか、動きやすそうなスーツ姿にいくつかの手荷物を抱えた兄弟子が、空いた方の手を振りながら近づいてくるところだった。
「おかえり、兄者」
「ただいまだ、雅夫。修練はもうおしまいか?」
 湯呑みを盆に戻して兄を迎える雅夫に、陽一は人の良さそうな笑顔で応える。
 忍者と呼ぶには些か人当たりが良すぎる気がするが、そんなところも含めて陽一らしさだ。それにフウガマスターになるとなれば、周りと違うくらいでなければ務まらないと、雅夫は考える。
 隣に腰を下ろす陽一の一挙一動を見守りながら、どこかいつもの兄弟子とは違う雰囲気を感じ、雅夫は意を決して尋ねてみることにした。
「どうした兄者、嬉しそうだな」
「ああ。お前も喜んでくれ、雅夫。俺は祝言を挙げるぞ」
「……は?」
 一瞬、陽一の言葉を理解できず、雅夫にしては珍しい声が口から漏れた。
「相手は、今回護衛をした某家の娘でな。可憐な娘だ。それでいて芯は強い。ああいうのをなよ竹の姫というのかもしれないな」
 さも何でもないと言わんばかりの陽一に、制止の言葉をかける暇すら見つけることができない。
「ま、待ってくれ兄者。昨日今日会ったばかりの娘と祝言などと、正気か?」
「至って気は確かだよ。いっそお前もどうだ。何なら俺の妹を貰ってやってくれ。アレはお前くらいでなければ旦那も務まらないだろう」
「香苗さん……ですか?」
 やや年の離れた陽一の妹を脳裏に描き、雅夫は心底困り果てた。
 唯一と言ってもよい雅夫の女友達で、陽一に劣らず優秀な風雅の巫女。フウガマスターのパートナー、斎乃巫女【いつきのみこ】に最も近いと里中で噂されており、血は争えないと痛切に思い知らされる。
「って、そうじゃないだろ兄者! 祝言などと、それはつまり獣王の忍びを子に託すことになるかもしれないのだぞ」
「わかっているさ。だが風雅忍者の、忍巨兵のパートナーとしての寿命は短い。ならばいっそ新たな候補を作り、勇者忍者として育てるのも悪くない。勇者なんて呼ばれるには、俺たちは少し血に濡れすぎている気がするからな」
「取って付けたような理由だ。それが本音ではないだろう」
「ああ、勿論だとも。一番の理由は、かの姫を気に入ったからだ」
 忍者としては異端とされる風雅忍者。その中でも群を抜いて異端と言われ続けてはいたが、まさか陽一本人の口からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった。
 開いた口が塞がらず、しばらくは魚のようにパクパクとさせるが、すぐに気を取り直して陽一に向き直る。
「マスターはどうする? もう幾日もしないうちに試練がある。祝言など挙げている暇などないだろう」
「心配しなくとも、雅夫に押し付けるつもりはないよ。お前の気持ちは知っているし、祝言を挙げるからマスターになれないと決まったわけじゃないさ」
 言うほど簡単ではない。フウガマスターの試練といえば、長い歴史の中、幾人もの有力候補が苦渋を舐めさせられ、存在しないことの方が当たり前と言われるような称号。それを片手間に合格するなど、歴代のフウガマスターたちが聞けば首を跳ばされかねない発言だ。
「兄者は何もわかっていない」
「わかっているさ。俺には雅夫がいる。それだけで何も畏れることはないよ。それに試練には勝利の女神もいてくれる。落ちる方がどうかしているよ」
 そう言って、いつもと変わらぬ笑みを浮かべる陽一に、そのときの雅夫は苦笑を返すことしかできなかった。
「わかったよ、兄者」
「そうか。香苗をめとってくれるか」
「そっちの話じゃないだろっ!」
 冗談なのか本気なのかわからない発言が一番対処に困る。陽一の場合、ほとんどの発言がそうだから真意を探るのも一苦労させられる。
「俺が兄者を守る。兄者の子も……」
 そう約束を交わしたときの陽一は、とても嬉しそうだった。
 この後、風雅陽一はこのときの言葉通り、数日の内に祝言を挙げると、さらにその数日後には妻の朝陽【あさひ】と雅夫たちが見守る中、フウガマスターの称号を授かった。
 このとき、誰もがあんな事態を予測することなんてできなかった。
 歴代随一と謳われたフウガマスターが、後に語ることすら禁忌とされるような事件の中心になるなど……。







勇者忍伝クロスフウガ

巻之弐九:「父の背中」







 赤い。赤い世界が広がっていく。
 嘘のような現実が目の前にあって、自分はただ、そんな現実の力に屈してしまいそうな位置に立っている。
 絨毯のように敷き詰められた落ち葉に足を取られながらも、風雅陽平はまだここに立っていた。
 どこかもわからない山の中、まるで牢屋の格子のように立ち並ぶ木々が、目にかかる前髪のようにちらちらと陽平の視界を隠す。
 信じたくはない。信じたくはないが、どうやら目の前に迫るものは圧倒的な力を持った現実で、それを打ち破らないことには、陽平に未来はないということのようだ。
 額から滴り落ちる大量の血が、陽平の思考と体力を無慈悲なまでに奪い去っていく。
 肩を上下させて荒い呼吸を繰り返す陽平は、五〇メートルはあるだろう先に立つ父、雅夫の姿に強く唇を噛む。
 探査などを司る≪鼻の鬼眼≫が、遠く離れた場所に立つ雅夫の表情をはっきりと映す。
 先ほどまでのような無表情の殺人機械はそこになく、手にした刃と陽平を交互に見比べると、僅かに驚きのような感情が表面化した。
 無理もない。風牙による特殊歩法、≪透牙≫によって踏み込んだ雅夫の一撃を、威力に額を裂かれたとはいえ完璧に避けきり、雅夫に気取られることなく間合いの外に逃げ切ったのだ。
 一か八かの賭けではあったが、どうやら≪透牙≫の二段掛けは成功したようだ。
 釧との決闘の際に気付いた、二つの風牙を合わせる能力。その結果、併用するのとはまったく異なる能力が生み出せることがわかった。
 皆伝級の実力者である釧にも不可能な、陽平だけの特殊能力。どうやらその優位性は、雅夫に対しても同じだったようだ。
 左右の足に違うタイミングで≪透牙≫をかけ、加速を始めた瞬間にもう一度加速する。結果、一瞬のことにせよ、雅夫の目が捉えられないほどの超スピードを実現した。
 一駆けで離れた距離から鑑みるに、その加速は通常の≪透牙≫のおよそ三倍。
 これならいける。額の血を拭い、陽平は手にした獣王式フウガクナイを雅夫に向ける。
 飛来する六つの手裏剣を同時に叩き落とし、痺れる腕に舌打ちする。
「まただ。親父の手裏剣は俺が投げるのより断然重い!」
 掌を撃ち抜かれたとき、その威力の重さに身体ごと持っていかれるほどだった。
「ただ投げてるだけ、てわけじゃなさそうだな!」
「その身と目で確かめろ」
「身の方は、もう十分だってぇの!」
 再び飛来する手裏剣をかわしながら、≪目の鬼眼≫で見極める。
 薄い膜状の巫力が手裏剣を覆っているのが見える。これは……
「≪空牙≫……いや、≪風牙≫かっ!」
 耳の側を通った手裏剣が、聞きこえるはずの風切り音を立てていない。その時点で気付くべきだった。
 夏の修行で雅夫に教わったこと。風雅忍者同士の戦いは、周囲の風を支配することから始まる。
 既に周囲の風は陽平に牙を剥き、体勢は圧倒的に不利。
「親父から距離を取って、≪風牙≫を使いやすく……」
 だが、間髪入れずに視界を埋める無数の閃光が、陽平に≪透牙≫を発動させる暇も与えない。
 いつの間に間合いを詰められたのだろう。陽平のように≪透牙≫の重ね掛けを使えるわけでもないのにこの超スピード。
 いや、これは単純な速さではなく、経験による技術だ。手裏剣を投げることで遠くにいることを印象づけ、分身を置いたまま本体は接近を果たす。
 果たして同じことを陽平がやったところで、同様の結果を得られるだろうか。
「くそっ!」
 仰け反りながら放つ斬撃を牽制に、すぐに体勢を立て直す。
「切り札の瞬動術も、咄嗟に使えなければないも同じ」
 やぶれかぶれに放つ陽平の攻撃などモノの数ではない、とでも言うかのように、体勢を立て直したところを雅夫の裏拳が強打する。
 人の放つそれを遥かに超えた裏拳に再び仰け反り、転倒を繰り返しながらもがむしゃらに距離を取る。
「強ぇ! この親父は俺が今までに戦った誰よりも、確実に強い!」
 風遁の起こすカマイタチに混じって、何か光るものが陽平の全身を切り刻む。
「≪風牙≫で強化した鋼糸と、風遁の併せ技を腕の一振りで! どこまで化け物じみてやがる!」
 絡み付く鋼糸を獣王式フウガクナイで断ち切り、断続的に襲いかかってくる風遁を自分の風遁で打ち消すと、陽平はこの戦いで初めて打って出た。
 ≪透牙≫の二段掛けで雅夫の懐に入り込み、崩牙による多重衝撃で拳を打ち込む。
 自分のしたことながら、落雷のような音を立てて吹っ飛ぶ雅夫に、陽平は和が目を疑った。
「あ、当たった。初めて親父に……」
「影だがな」
 そんな声がしたかと思うと、腹部に打ち込まれた多重衝撃の拳に、陽平の身体がくの字に折れ曲がる。続く、蹴りに合わせて跳ね上がる礫が陽平を強かに打ち据える。
「うがぁぁ……ぐっ!」
「立つか。だが、俺はその方が狙いやすくていい」
「ふざけンなっ! どぉいうつもりかは知らねぇけどな、はいそうですかって殺されるもんかよッ!」
 右へ回り込むように駆け出す陽平に合わせて、雅夫も動く。
 二人が同時に投げた手裏剣が、方や陽平を捉え、方や雅夫を避けて通りすぎていく。
「≪風牙≫の防御! クソ親父め、どれだけ巫力を溜め込んでやがる」
 方向転換しながら膝をバネに勢いを溜める。獣王式フウガクナイを逆手に、≪透牙≫の重ね掛けを用いた霞斬りで一瞬の内に雅夫の背後まで走り抜ける。
 斬った感触はない。むしろ固いものにぶつかって失速させられた気配すらあった。
「今の、≪雷牙≫……か」
 自身に触れる周囲の巫力を一度に吸収。雷遁に変換した巫力を無理矢理帯電させることで、巫力の塊から身体が弾き出されるように飛び出すのが≪雷牙≫だ。このとき一時的にせよ、全身を包む雷の巫力によって雷と同化するが、よもやその特性を利用して防御するなど無茶が過ぎる。
「そろそろ品切れか」
「まだに決まってンだろっ!」
 巫力を込めた陽平の指先が地面を長方形に捲り上げる。
「これでも、くらいやがれっ!」
 掌打がそれを砕き、土を礫に、落ち葉を刃に変えて飛び散らせる。
 どういう理屈かはわからないが、雅夫に術や、巫力を用いた攻撃の類いは効果がない。
 しかしこれならば巫力を無効化されようが、目眩ましは生きる。
 僅かな隙をつくべく、すぐに駆け出し、雅夫が顔を背けるのに合わせて獣王式フウガクナイで突く。
 間合いは詰めすぎなほど。速度も申し分ない。タイミングは雅夫を相手に完璧などありえないが、一度でも顔を背け、そこを突く以上、顔の横に目がなければ合わせるのは不可能。
「かわしてみせろよ。余裕見せてるくれぇならなァ!」
 捉えた。誰しもがそう確信できるような刺突が、雅夫の胸に吸い込まれていく。
 ここまで迫れば、たとえ相手が鬼神であろうと回避は不可能。
 しかし雅夫はそれを一瞥すると、陽平の目の前で、容易くその常識を覆した。
「いいだろう」
 それだけ呟くと、雅夫の身体が一瞬の内に沈む。いや、沈んだように見えたのは目の錯覚だ。
 実際には、まるで見ていたような完璧なタイミングで手を付くほど前屈みに伏せることで、刺突を頭上にやり過ごした。
 ありえない。いや、実際には狙う場所がわかってさえいれば、不可能なわけではない。
「まさか……≪鼻の鬼眼≫っ!」
「今さら、語る必要もない」
 ≪鼻の鬼眼≫を持つ者を相手に、目眩ましなどまったくの無意味。どうしても視界を奪いたければ、確実に目を潰す以外にない。
 掌に≪透牙≫を発動した雅夫が、地面を滑るように走り抜ける。
「どんな能力も、ただ数を使えればいいというわけではない。熟練してこそ能力と言う!」
 刺突の直後、ほんの僅かな硬直に、首を刈り取るような蹴りが陽平に襲いかかる。
 これを仰け反ってかわそうものなら、間違いなく喉を持っていかれる。ならば陽平の行動は一つしかない。
 接地した足から巫力を集めると、地電流を用いて雷遁を発動する。
「≪雷牙≫っ!」
 先ほど雅夫の見せた、最大の攻撃による最大の防御。
 だが何かおかしい。陽平がコピー術を得意とすることは、雅夫だって承知している。それはつまり、≪雷牙≫の防御を見た陽平は、それを使う可能性があることを示す。つまり、雅夫のこの行動は……
「罠っ!」
 一瞬、脳裏に浮かび上がったビジョンに、陽平は息が詰まりそうになった。
 赤に染まった世界で、雷牙によって一時的に巫力と同化した陽平を、雅夫が奪い去る光景。
 鬼眼が同調したことで、記憶を垣間見たときに似ている。
 どうしてこんなことがわかるのかは、陽平自身にもわからない。しかしこの光景を信じるならば、雅夫には他人の巫力を奪う方法があるということだ。
「こなくそっ!」
 危険を感じ、身にまとった雷遁を瞬時に拡散させたときには、もういくらかの巫力を奪われていたが、これは反撃のチャンスでもある。
 雅夫はおそらく、陽平が巫力吸収に気づいたことを知らない。ならばここから反撃に出ることは、雅夫にとっても予想外のはず。
 だが、どう攻める。巫力攻撃が通じない以上、雅夫に対して決定打となる攻撃手段は、果たしてどれほどあるのだろうか。
 考えている暇はない。とにかく攻撃をと、獣王式フウガクナイを振る。しかしこれは当たらない。ならば鋼糸と手持ちの糸を縦横無尽に振り回す。これも潜られた。では同時に……。
 そこで、赤かった視界が本来の色を取り戻した。
「うぁああああああッ!!」
 気がついたとき、雅夫はまだ陽平の攻撃を避けてはいなかった。正確には、陽平がまだ行動を起こしてはいなかった。
 白昼夢でも見ていたような気がする。
 見た光景のように雷遁を拡散させると、陽平は獣王式フウガクナイを振り抜きながら、無数の鋼糸を同時に繰り出していく。
 地面を裂き、木々を切り倒し、同時に襲いかかる鋭い斬撃に、雅夫が初めて全力で防御に転じた。
 網のように走る、切っ先の軌跡が鋼糸を切断し、穿牙を纏った刺突が陽平の刃を跳ね返す。
 互いに弾かれるように距離を置き、陽平は自分の置かれた状況を急ぎ確認する。
 今、二度同じことを繰り返した気がする。しかし陽平も雅夫もダメージは一度分で、雅夫も陽平の反撃には怪訝な表情を見せている。
「今、俺の動きを見切ったのか」
 見切ったというよりも、予見したと言う方が正しいが、わざわざそれを明かす必要もないので不敵な笑みで場を濁す。
「親父こそ、なんだよその術は。有無いわず周りから巫力を強奪するなんてらしくねぇ」
「見せるのは、今日が初めてだったな。これがフウガマスターの秘術、≪風之貢鎖人【かぜのくさり】≫だ」
 雅夫に風が集まるように、周囲の巫力が流れていく。
「これは……文字通り巫力を"強奪"している!」
 ただ棒立ちでいるだけでも巫力を奪われるとは思わなかった。
 これでは巫力技を使うどころか、時間が経つにつれて不利になっていく。いや、不利になるなどと悠長なことを言っていられる問題ではない。強く顕現した生命力と言っても差し支えない巫力を奪われるということは、下手をすると立っているだけで命を奪われるということになる。
「まじぃ。これじゃ≪風牙≫どころか術まで使えねぇじゃねぇか」
「せっかくだ。見ろ、これがフウガマスターの≪風牙≫だ」
 先ほどとは比べ物にならないスピード。そして≪風牙≫による手刀が陽平の足下を突いた瞬間、いきなり暴風雨の中に放り込まれたように錯覚した。
 突いた点から吹き出す風が、半径十メートルほどにおいて周囲の木々を薙ぎ倒し、地面をすり鉢状に陥没させる。
「なっ! なんて馬鹿力してやがるっ!!」
 風に打ち上げられた陽平が体勢を立て直すより早く、眼下の雅夫が右腕の巫力を螺旋に描いていく。
「まさか、撃ち出せるのか!」
 その答えを知る前に、背後で起きた爆発が陽平を地上へと叩き落とす。
「空牙! いつの間にっ!」
「……死ぬぞ」
「しまっ──」
 背後の爆発に気を取られたことで、雅夫の間合いに入ったことに気付くのが遅れた。
 防御をしようにも≪穿牙≫が相手では焼け石に水。苦肉の策にと体を捻り、避ける体勢に持ち込んだ瞬間、陽平は自らの浅はかさに後悔した。
「≪穿牙≫!」
 雅夫の拳が陽平の脇腹を掠めた瞬間、螺旋を描く風の巫力が、触れた衣を粉々に粉砕し、皮を破り肉を裂いて文字通り脇腹を穿つ。
「があッ──!!」
 悲鳴というよりも、引き裂かれた痛みに喉から声が絞り出されたような感覚だった。
 軽々と十メートル近くをぶっ飛ばされ、さらに何メートルかを転がり、先ほど叩き折られた木にぶつかって身体が跳ねる。
 想像以上のダメージに、腕をつくどころか指先を動かすことができない。
 目を動かし、自分の腹が辛うじて原型を保っていることに安堵すると、なけなしの巫力を回復に回して止血する。
「思ったよりあっけなかったな」
 そんな雅夫の声が聞こえた瞬間、陽平は腕をバネのようにして飛び退いた。
 予想を上回る回復力に、陽平自身も自分の巫力が膨れ上がったように感じたが、実際にはそうじゃない。≪風之貢鎖人≫には有効範囲があって、吹っ飛ばされたことで偶然範囲外に出たために、自分が使おうと思った以上の巫力を回復に回してしまったらしい。
 おかげでこうしてトドメを刺される前に立ち上がることができたが、あの≪風之貢鎖人≫がある限り陽平に一握りの勝機もない。
 影衣も激しい損傷と巫力の枯渇でその機能を失い、今の陽平にあるものと言えばなけなしの巫力と獣王式フウガクナイ、そして傷だらけの我が身だけ。
 これだけでも十分に勝ち目はないが、あの≪風之貢鎖人≫という術はそれに輪をかけて厄介な代物だ。
「立てたか。だが、すぐに眠ることになる」
「そう思い通りにいくと思うなよ、クソ親父! 今度はこっちの番だ!」
 刺突に構えた切っ先に巫力を集めると、≪角牙≫と≪穿牙≫を融合させた巫力の竜巻を発射する。
 竜巻に飲み込まれた雅夫が険しい表情を見せるが、そんなものに構っている暇はない。≪風之貢鎖人≫がある以上、おそらく効果があるのは一瞬だけ。ならば技に用いた巫力を奪われる前に斬ればいいだけのこと。
 竜巻の中を無数に分身した陽平が跳ね回り、棒立ちの雅夫に刃の嵐をお見舞いする。
「無限斬っ!!」
 竜巻の中を跳ね回ることで、加速を繰り返した二人の陽平が交差に斬り抜けていく。
 瞬きをする間もなく雅夫の背後まで斬り抜けた陽平は、膝をついて無理矢理ブレーキをかけると、斬ったはずの雅夫を振り返る。
 釧との決闘で編み出したあの技なら、≪風之貢鎖人≫の効果が及ぶ前に斬れると踏んだわけだが、どうやらその威力は半分近くまで削られたらしく、技を放った陽平自身がそのことを一番理解していた。
「それがお前の無限斬か」
 何事もなかったかのように振り返る雅夫と視線がぶつかった瞬間、寒気を通り越して痛いと感じるほどの殺気が陽平を突き抜けていく。
 下手に手傷を負わせたことで怒りをかったのか、雅夫の構えるクナイの切っ先が陽平の眉間にピタリと狙いを定める。
 全身に無数の切り傷を受けたとはいえ、≪風之貢鎖人≫によって集められた巫力がある以上、雅夫の傷は瞬時に回復するとみていい。
 対して陽平は、なけなしの巫力で無限斬なんて大技を放ったために、正直体力的にも限界に近い。
 もしここで雅夫の無限斬でも打たれれば、次の瞬間、陽平はおそらくこの世と別れを告げているに違いない。
 ≪風之貢鎖人≫が周囲の巫力を集め、雅夫に能力以上の力を与えていく。
「今の技で急所を狙わなかったこと、後悔しろ」
 雅夫の持つ大振りのクナイが、刀身部分を白く染め上げていく。
 これだけ距離を置いていても、おそらくは雅夫のことだ。確実に一息で踏み込んでくる。
 思考をフル回転させても打開策は見つからず、雅夫が落ち葉を踏み砕く度に、確実に死期が近づいてくる。
 もう一度無限斬をとも考えたが、あれではむやみに巫力を消耗しすぎる。釧の無限斬を模倣したところで、大量に巫力を消耗するという点では大差ない。
 では雅夫の言うように、先の一撃で雅夫の首を跳ねてしまえば良かったのか。
 いや、違う。そんなはずはない。琥珀の決意を知り、翡翠の運命を知ったことで、犠牲の上にだけしか求められない結末を否定したばかりじゃないか。
 それなら今ここで陽平が出すべき結論は、雅夫を殺して自分が生き残る道ではなく、雅夫の一撃に正面から応えること。
 だが、どうする。雅夫ほどの、フウガマスターと呼ばれる忍者の放つ無限斬を、初見で反せるのだろうか。
 答えは、確かめるまでもない。
「……抵抗しないつもりか」
「するさ。俺なりのやり方でな」
 ハッタリに笑ってみせるが、雅夫を相手にハッタリになっているかは怪しいところだ。
「確か、俺を殺すとか言ってたよな。だったら……」
 獣王式フウガクナイを正眼に構え、肉体強化にと全身に満たしていた巫力を完全に放棄する。
 これで、先の≪風牙≫のような技を受ければ間違いなく死ぬ。
「やってみろ! 俺は、全力で生き延びてやる!」
 僅かに雅夫が反応したように感じたが、すぐに無表情に戻った顔からは何も読み取ることはできない。
 ただ釧の無限斬のように切っ先を後ろに下げ、殺意を込めた瞳のままで八相に構える雅夫には、自分がどう映っているのか、それだけが気になった。
 雅夫に集まっていく風が頬を撫で、皮膚を裂いて血を滲ませる。
 来る。そう感じた瞬間、迷わず、真っ直ぐに首を狙う刃が、すでに目と鼻の先にあった。
 全身の感覚と巫力を回避に向けて一気に加速させ、多少無理な体勢になりながらも首への一撃を避ける。
 だが無限斬と言う以上これで終わるはずがない。案の定、かわしたはずの位置であるにも関わらず、再び首を捉える間合いに雅夫の刃があった。
「≪影牙≫を使った二段構えの時間差攻撃かっ!」
 ここまでは予想の範囲内。透牙の二段掛けをした陽平になら、これを避けることは可能だ。
 身を屈めて刃を頭上にやり過ごし、一気に雅夫の背後まで駆け抜けようとしたその瞬間、首の皮に触れるかどうかという距離に次の刃があった。
「いったい何本腕があるってンだ!!」
 無理矢理首と刃の間に獣王式フウガクナイを割り込ませ、≪風雅流地之型奥義≫の要領で刃を叩き落とす。
 さすがの≪二段透牙≫でも、もうこれ以上はかわしきれない。
 優位性を考えれば雅夫の背後に回りたかったが、背に腹は変えられない。
 半ば転がるようにして身をかわした陽平は、横跳びに距離を取って難を逃れる。
 さしもの無限斬も、間合いまで無限に届くというものではない。一目散に逃げを打つ者に対して、刀での攻撃が届く範囲には限界があるのだから。
 だが、そんな陽平の考えを見通していたかのように、現実は白い煌めきとなって訪れた。
 まさかの一撃。避けることを予見でもしていなければ追い付くはずのない距離に、フウガマスター渾身の一撃が待ち構えていた。
 一度放たれれば、敵を斬るまで追撃を繰り返す多段構えの無限斬。その白き煌めきを目にした者は、必ずや地にひれ伏す無限の刃。
「終わりだ」
 そんな素っ気ない別れの言葉を最後に、陽平の首が胴から切り離される。
 長い、永遠かと思われた一瞬の攻防すらなかったことのように、切り抜けた雅夫の背後に音速の衝撃波が生まれ、陽平の死体を吹き飛ばしていく。
「勇者忍者の結末としては、些か呆気なかったな」
 それは哀しみからか、無表情を崩して目を細め、背後を振り返る。
 だが、すぐに驚き一色に染まった雅夫の顔に、今度は陽平が目を細める番だった。
「なに驚いてやがるよ」
 首からおびただしい量の鮮血を流し、荒く呼吸を繰り返す陽平に雅夫が頭を振る。
「本気で息子を殺しに来るたぁ、それでも親かよ」
「斬った手応えは、あったはずだが」
「斬られたよ。だから血ぃいっぱい流してンだろ」
 雅夫が言っているのはそういうことじゃないとわかっていても、悪態つくのをやめられなかった。
 影衣の布地を破いて首に巻き、巫力をもって止血する。
 今現在は≪風之貢鎖人≫も行われていないらしく、すんなりと血止めの処置は済ますことができた。
「≪風之貢鎖人≫っていったか。そいつの欠点を見つけられなけりゃ、確かに死んでたさ」
「欠点?」
 頷き、鋭い痛みに顔をしかめながらも巫力を回復させてみせる。
「ヴァルフウガの≪遁煌≫ってのは、なにも装置そのものが巫力を集めてるものじゃないらしい。誰にだって備わってる、巫力を集める力を増幅するための装置。言い換えれば俺にだって巫力を集める力はあるってことだ。≪風之貢鎖人≫ほどじゃないにせよ、な」
 そんなことは今更雅夫に説明する必要はないのだが、あえて順を追って説明していくことで回復の時間を稼ぐ。
「ヴァルフウガを作った琥珀さんや日向さんは、あれでフウガマスターの育成も兼ねてたみてぇだな。お陰様でこのとおり、巫力を集めるコツは掴ませてもらったよ」
「≪風之貢鎖人≫を前に、大量の巫力を集めるのは不可能だ。ましてや、自分に重ねて分身を作るなど……」
「二つ。その術には欠点がある」
 ぴっと指を一本立ててみせる。
「一つ目は、≪風之貢鎖人≫の制御。たぶん、この術は未完成なんだな。一人で展開と制御を行えないンだ。だから有効範囲を変えることも、吸収する巫力量を調節することができない」
 陽平が吹っ飛ばされたとき、自分の予定とは違う巫力量で回復してしまったのはそのためだ。
 治療に五の巫力が必要だったとする。しかし≪風之貢鎖人≫によって巫力を奪われるため、必要以上の巫力、倍の十を用いて治療する。だが、使用の瞬間に≪風之貢鎖人≫の効果範囲から出れば、使用した十の巫力は全て治療に宛がわれることになる。
 これに気づいた陽平は、範囲外に出る度に巫力を集め、回復を繰り返したわけだ。
 これが陽平の不死身っぷりの秘密というわけだ。
「二つ目、≪風之貢鎖人≫は一方通行の能力だってこと」
 二つ目の指を立て、雅夫の表情を伺う。
 表情にさした変化はないが、どうやらここまで間違いはないらしい。
「つまり、吸収中は自分の出した巫力まで再吸収しちまうってことだ。だから攻撃の瞬間は術を停止せざるをえない。つまり狙うならここってわけさ」
 しかし、ここで問題になってくるのは、≪風之貢鎖人≫を使った後の攻撃である以上、その威力は半端じゃない。たとえ停止の瞬間を見極めて攻撃したとしても、圧倒的な破壊力と速度の前には迎撃されてしまう。
 だからこそ回避という行動を取るしかなかったのだが、ここにも問題が生じる。
「無限斬。俺の技は初見で回避することは不可能だ。たとえ、≪風牙≫の重ね掛けという裏技があったとしても」
「だから焦ったぜ。二段構え三段構えくらいは予想してたけど、あれだけ重なるとはさすがに思わなかった」
 ≪透牙≫を駆使して回避を続けた後、完全に捉えられたあの瞬間、陽平は自分に重なるように分身を作り、これを自分と若干ズラすことで目測を誤らせた。
 ゆえに致命傷を負いながらも、なんとか生還することができたというわけだ。
「予想した……だと」
「ああ。親子ならではの発想だろ」
 そうだ。陽平がこの男の息子で、かつ彼の性格を把握していなければ予想できなかった。
 毎朝のように行われていた早朝襲撃も、自宅に張り巡らされた数々の罠も、今思えばこの一撃を予想するための布石だったように感じる。
「親子、親と子……か」
 自嘲めいた笑みを浮かべる雅夫に、陽平は怪訝な視線を向ける。
「俺はお前の父親ではないぞ」
「は? なに言ってンだよ。殺し合いまがいはしちゃいるが、俺たちはれっきとした……」
「俺が、お前の本当の父親を殺した」
 陽平の言葉を遮るように、その言葉が陽平の胸に、どんっ、と重くのし掛かる。
 雅夫の言葉が、表情が、そして陽平の中に眠る閉ざされた過去が、それが真実だと言っている。
「お前の本当の父親の名は、風雅陽一。かつて、稀代のフウガマスターと呼ばれた男だ」
 跳ね上がりそうな心臓を押さえつけるように胸元を掴み、風雅陽一という名前から必死で記憶を手繰り寄せる。
「う、うそだ。俺はそんなこと知らねぇぞ」
 震える声で自分を言い聞かせ、陽平はゆらゆらと頭を振った。
「親父だって、いつも俺のこと『バカ息子』って言ってたじゃねぇか」
「思い出せないか。無理もない。六歳という幼い時期にあの秘宝の効果でお前の記憶は上書きされているのだからな。覚えていないのは寧ろ当然」
 六歳。まだ小学生になったばかりの話だ。
 陽平はその当時ことをおぼろげにしか覚えておらず、誰に聞いてもはっきりとした話はしてもらえなかった。
 その事に対して、陽平は気にしたことはなかった。いや、正確には気にしたくなかったのかもしれない。記憶の片隅に残る恐怖心のような塊が、陽平に真実を知る勇気を与えようとはしなかったからだ。
「あれは、まだ六歳のお前を連れて、陽一さんが初めて風雅の里に帰省したときの話だ」
 尋ねてもいないことを懐かしむように話し始める雅夫に、陽平は記憶を刺激されるかのように頭を抱える。
 頭痛が激しくなり、世界が再び赤く染まっていく。
 ずっと、額から流れていた血のために、視界が赤く染まって見えていたのかと思ったが、これは血などではない。これは鬼眼だ。
 陽平がようやくそのことに気づいた瞬間、雅夫の語りに合わせて閉じられた記憶が少しずつ解き放たれていく。
 そうだ。あの日、誰かに連れられて、初めて自分は風雅の里に行ったんだ。













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