枯木も山の賑わい。とは、よく言ったものだ。季節的にも仕方ないとはいえ、山中に隠されたここ、風雅の里も、そろそろ冬の景色が色濃く出始めているようだ。
 里の結界をくぐり、またここから一歩を踏み出す。
 十一年前、陽平がここに来た日から全ては動き出した。陽平が忍者に憧れたことも、今の両親と家族になったことも、クロスのパートナーになったことも、みんなここから始まった。
 だから、もう一度ここに踏み入ることで始めよう。誰もが幸せになれる結末というゴールまでのラストスパートを。







勇者忍伝クロスフウガ

巻之参拾:「影を追って」







 たった半日しか空けていなかったはずが、屋敷が見えただけで目頭が熱くなるような懐かしさを覚えた。
 なるほど。やはりここは陽平にとっての原点なのだろう。
 ぐるりと見回せば、目に入る光景のひとつひとつが懐かしく思えてくるから不思議だ。記憶があるのとないのとでは、やはり感じ方ひとつまで違ってくるのだろう。
 ふいに目の前を通り、足元にふわふわと落ちてきた枯れ葉を拾い上げ、とくに理由もなく指で弄んでいると、屋敷の方から騒々しい気配が近づいてきた。
「よ、陽平さぁーんっ。今までっ、今までどこに行っていたんですかぁ」
 慌てているのか、のんびりしているのか、実によくわからない声だ。おそらく本人は気にしているだろうから、一応、面と向かっては言わないようにしよう。
「よ。また、えらく慌ててるンだな。転ぶな……よ」
 言った矢先に、びたんっ。という音が似つかわしい見事な転倒。
 それにしたって、言い切るより早く転べるっていうのは、これはこれでひとつの才能だと思う。
「大丈夫か、孔雀」
「へぅ。だ、大丈夫ですぅ」
 いや。顔面からモロにこけた。今のはかなり痛いはずだ。
 手を貸して小柄な孔雀を助け起こし、服の土を払っておく。
「お前も変わらねぇな」
「ふぇ。すみません」
「ばーか。いいことなンだよ。そんなことで謝るなよ」
「あ、ありがとうございます。陽平さん」
 そう言ってすぐに笑顔になれる孔雀に、なぜだか陽平まで笑顔になれた気がした。
 年齢だけを見れば、とてもガーナ・オーダと戦っている戦士の一人には見えない。彼女もまた、翡翠のように学校に通い、同じ年頃の子供達と遊んでいたい盛りではないだろうか。
 いや、いけない。こんなことを考えていると知られれば孔雀は傷ついてしまうかもしれない。孔雀は風雅忍軍の中でも一番純粋な気持ちで戦っている。その気持ちに立ち入ることができるのは、決して陽平ではない。
「そういや、なんか慌ててたンじゃなかったのか」
「はぅっ。そうでした! とにかく一緒に来てくださいぃ」
 腕を引かれるままに、孔雀の後を追いかけていく。背中で、ちょこちょこ揺れる小さな尻尾が気になって仕方がないが、どうやらそんなことを言っていられる状況でもなさそうだ。
 屋敷に入り、靴を揃えてまた走る。
 どうやら行き先は二階らしい。そういえば、初めてここの階段を上った気がする。
 やけに屋敷が静かだ。それに人の気配が疎ら。夜逃げでもしようというのだろうか。
 怪訝に思いながらもこの里では珍しいノブ付きドアの前で膝をつき、「陽平さんをお連れしました」と頭を下げる孔雀を見下ろしながら、陽平はこの部屋の主が琥珀だったことを思い出していた。
「入れ」
「失礼いたします」
 今の声は……
「生き延びることはできたようだな。風雅陽平」
 やっぱり。
「生憎と、死ぬ前に果たさなきゃなんねぇ約束が山のようにあるンでね。たとえ相手が風雅最強の忍者だって、負けてやるわけにはいかねぇよ」
 中にいたのは予想通りというか、案の定というか、そもそも陽平を「風雅陽平」なんてフルネームで呼び付ける相手は、彼を置いてほかにいない。
 リードの皇にして、陽平の最強の好敵手。仮面の男、釧。
「……琥珀さんは?」
「傷が深い。生半可な治癒では痛みを和らげる程度にしか効かないほどにな」
 ここに戻る前に琥珀が重傷だと母に聞かされていたが、まさかこれほど深刻だとは思っていなかった。
 釧の肩越しに見える琥珀の顔色は蒼白で、いつもの白さとまるで違う。あまりこういう表現をしたくはないが、まるで死人のようだ。
 致命傷を負ったことで、肉体から巫力が消えかかっている。これではいくら巫力を補給したところで、穴の空いた桶に水を張るくらい無茶な話だ。
 これを癒すには、巫力を分け与えるのではなく、琥珀自身の巫力を満たさねばならない。
「任せてくれ。このくらいなら俺が治せる」
 そう。今の陽平にならそれができる。父との命懸けの試練を越え、風之貢鎖人【かぜのくさり】の完成型ともいえる風之世炉衣【かぜのよろい】を会得した陽平ならば。
「釧、孔雀、少し巫力を分けてもらうぜ」
 二人の返事も待たずに風之世炉衣を展開すると、陽平はそれを琥珀に纏わせた。こうすることで周囲から集める巫力を陽平ではなく琥珀に繋ぎ、膨大な量の巫力で琥珀の体を満たすことができる。
 釧や孔雀も、風之貢鎖人を見るのは初めてなのか、その表情は驚きのまま固まっている。
「風雅陽平。これが先代の命と引き換えに会得できるというマスターの秘術か」
「勝手に殺すなよ。親父は健在だし、これは風之貢鎖人じゃなくて風之世炉衣ってンだ」
「……風雅のしがらみを越えたというのか」
「お前だって言ってただろ。俺は勇者忍者だぞ。そのくらい、いつだって越えてやるさ」
 いつの間にか琥珀の傷も塞がり、顔にも赤みがさしたことで、陽平は風之世炉衣を解いていく。
 おそらく、もう大丈夫だ。
「ふぅ。さすがに疲れたぜ」
 風之世炉衣は精密な巫力コントロールによって行われる。雅夫とやり合っているときは気にしなかったけど、その使用にはえらく集中力を使う。
「はぅ。琥珀さまの巫力より凄かったです」
「まぁ、風雅忍者も巫女も、元をただせば同じ存在だからな。今のはその起源の術だ。無理ねぇよ」
 ただ、≪理解の鬼眼≫を通じて知り得た情報は、なにも吉報ばかりではない。身を滅ぼしかねないリスクを明確にした情報だって、決して少なくはなかった。
 だからこそ風雅の使命そのものを、戦いという牢獄を解き放つ必要がある。
 しかし、ふと見上げた天井の隅。そこに見えた得体の知れないもの。いや、決して陽平が知らないわけではなく、琥珀の自室にしては不釣り合いに感じただけだ。
 土産屋でよく見かけるご当地タペストリーや、提灯。
 部屋を見回してみれば、卓上にはキーホルダーがクリスマスツリーのような台座にいくつもかけられており、写真立てには風景写真の葉書が入っている。
 こ、これはいったい……。
 ツッコみたいのにツッコめないやるせなさ。例えるなら、伸ばした手の行き場を失った感じ。
 まさかとは思うが、これは仕事で各地に飛び回っている椿のお土産ではなかろうか。または雅夫の悪戯。
 琥珀の趣味。という結論から遠ざかるために、ひたすら失礼なことを考えている陽平は、たぶん不敬者だ。
「今、失礼なことを考えました?」
「いえっ。滅相もありませんっ」
 思わずピンと姿勢を正して敬礼。
「ん? 今のって……」
 孔雀は違うと頭を振る。釧はもっと低い声だ。ということは残った一人が正解だ。
 陽平の視線に集まるように、釧と孔雀の視線も動いていく。
 その先にあるのは、我らがご当主が眠るベッド。いつから目を覚ましていたのだろう。まだ力無い笑顔でこちらを見上げる琥珀に、陽平達は声を揃えてその名を呼んだ。





「そうですか」
 孔雀の報告を受けた琥珀は、ベッドの上で上体だけを起こして、手にした湯呑みに唇をつける。
 表情から察するに、まだ完全に諦めてはいないようだが、策が浮かばないことで思考が堂々巡りになっているようだ。
「光海たちはバラバラに逃走。風雅城ってのも奪われて、日向さんが行方不明。母さんに聞いてた通りだな」
 腕を組み、うーんと唸り声を上げる。
 逃走したまではいいが、光海たちが風雅の里に戻っていないのはどういうことだろうか。
 それもこれも、直接本人たちに聞けばわかること。なら、陽平のすることは一つしかない。
「釧。出撃するの、ちょっと待っててくれねぇか」
「なに?」
 やはり陽平の言葉に訝る釧に、わかりやすく獣王式フウガクナイの柄を差し出した。
 そこに本来はまっているべき勾玉はない。当然だ。獣王の、クロスフウガの勾玉は光海が、竜王ヴァルフウガの勾玉は瑪瑙が持っているのだから。
「クロスとヴァルガー返してもらうついでに、あいつらも引っ張ってくるからさ。そうしたらみんなで信長の横面殴りに行こうぜ」
「……長くは待たん。あれを放っておけば、この星が焼け野原になる。今、あれを食い止められるのは俺の超獣王と、キサマの獣帝だけだということを忘れるな」
「肝に命じるぜ。んじゃ、悪ぃンだけど孔雀。俺を天城のとこまで送ってくれねぇか。クロスもヴァルガーもねぇから、さすがに飛んでいくこともできねぇからさ」
「はぅっ。お、おまかせくだしゃひっ──」
 噛んだのか。今、噛んだんだよな。
 口を押さえてプルプルと震える姿は実に小動物チックだ。一家に一匹、和みのために欲しいところだ。
「大丈夫か?」
「はい。だいじょぶれす」
 そんな涙いっぱい浮かべて大丈夫と言われても説得力はない。
「気張らず行こうぜ。大丈夫だ。この先、一生かかってもお目にかからねぇような世界のことなんか知ったこっちゃねぇけどさ。翡翠のためにも、風雅って一族に関わる世界くらい、俺が背負ってやっからさ」
「陽平さん。あなたという人は……」
「俺が後ろ向きだったり、煮え切らない態度のままだったりで、勝てるなんて思ってない。だから俺は、少なくともこの戦いが終わるまでは風雅を背負う勇者忍者でなきゃいけないんだ。それが親父や、もう一人の父さんから俺が受け継いだものだから」
 今の言葉で俺の記憶が戻ったことに気づいたんだろう。複雑そうな顔を見せる琥珀は、許しを求めるように目を閉じた。
 ガーナ・オーダは琥珀さんからも幸せの時間を奪った。雅夫に聞かされたあの事件がなければ、きっともっと、笑っているはずだったんだ。
 取り返すものが、また一つ増えたな。
「陽平さんも、兄上も、諦めてはいないのですね」
 それは言葉にするつもりのなかった呟きか、口にしてから琥珀がしまったとばかりに目を反らした。
 無理もない。琥珀は背負い過ぎたのだ。その重さが、今の琥珀には支えきれなかった。
「諦めるものか。すぐそこに、失ったあの日がある。渇望して止まなかった、穏やかな日々が」
「諦めない。誰にだってあったはずの、当たり前の今日。それを、こんなはずじゃなかった明日にした奴らを、絶対に許さねぇ。それに……」
 言葉を切り、視線を向けた相手はどうやら同じことを考えていたらしい。
 思わずこぼれだす笑いを不敵の笑みに変え、陽平と釧は同時に口にした。
『俺達二人が肩を並べて戦うんだ。負けは、ありえない』
 これにはさすがの琥珀も呆気に取られたらしく、驚きのまま表情が固まってしまった。
 だけど、心の底からそう思う。最高の好敵手である釧と肩を並べて戦えば、風雅陽平は無敵だと。
「必ずみんなを連れ帰る。悪ぃけど、時間をくれ」
「ならばさっさと行け。心配するな。キサマが遅れるようなことがあれば、俺が一人で終わらせるまでのこと」
「なら、抜け駆けさせねぇためにも、急がねぇとな。孔雀、頼む」
「はいっ」
 よしよし。今度は噛まなかったな。
 そんな感想を抱きながらノブに手をかけ、まるで今思い出したとばかりに白々しい言葉で琥珀に話しかける。
「あー、そうそう。陽一父さんも、朝陽母さんも、きっと琥珀さんのこと、喜んでくれてる。生きてくれてることに。そして、俺を勇者忍者に選んでくれたことに。だからもう、後ろめたいとか思わなくてもいいんだ。琥珀さんは悪くない。許しの言葉が必要なら、俺が言う」
 ドアをくぐり、孔雀を先に行かせると、陽平は後ろ手にドアを閉めながら最後の言葉を口にする。
「琥珀さん。あなたを、許します」
 閉めきったドアの向こうで嗚咽が聞こえたような気がしたけれど、とてもそれ以上を聞く気にはなれず、陽平はすぐにその場を後にした。
 たぶん後は、釧が上手くやってくれるはず。
「俺は、俺のすべきことをするんだ」













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