風雅城。二十メートル級を平均とする忍巨兵に対して、およそ四十倍という途方もないサイズの城型忍巨兵。
 釧によってもたらされた情報から琥珀が再起動させた後、ガーナ・オーダの秀吉によって奪われたそれは、現在日本を離れ遠く海の向こう。アメリカ大陸にその強大な姿を晒していた。
 度重なる国連軍の呼びかけにも応じず、停止勧告を続けるアイオワ級戦艦を虫でも払うかのようにたやすく薙ぎ払った風雅城。
 無数の迎撃ミサイルが容赦なしに飛び続けるが、そのどれもが風雅城に煤汚れをつけることもできずに光の網に阻まれる。
 正面がだめならと、超音速爆撃機B1Bとステルス爆撃機B2が高高度から爆撃をしかけ、電子戦機E767を護衛するF15Eがミサイル攻撃を開始するが、これも例に漏れず全て光の網に阻まれる。
 一斉攻撃の命令が下り、パイロットが機体を上空で旋回させた瞬間、風雅城から放たれた無数の光が、砲撃と気づかせる間もなく国連軍の機体を撃ち抜いていく。
 さながら光の噴水といった美しい光景は、すぐに爆発と黒煙に姿を変え、見る者を恐怖で魅了する。
 あんなものに敵うはずがない。
 数時間前、風雅の面々が感じた絶望を、老若男女分け隔てなく与えていく。
 人々は逃げ惑い、互いにパニックを煽るように騒ぎ立てる。
 古来より、人は巨大な姿に憧れるのと同じくらいに恐怖した。それが悪魔のごとき力を奮うならばなおのこと。
 まるで山が迫って来るかのような光景に誰もが明日を思い描けなくなったとき、それは雲を裂いて現れた。
「菫、しっかり掴まっていて」
「わたしはいい。だから、あれをやっつけて。星王イクス」
「やってみるっ」
 遥か上空から飛来した白い鳥型の忍巨兵は、さらに速度を上げながら風雅城の眼前を目指していく。
「変化っ」
 バレルロール中に人型に変わり、腰のバルカン砲を風雅城の後頭部に命中させるが、やはりこれも光の網に防がれてしまう。
「きかないっ」
「あれは光鎖帷子っ。やはりこれにも"玉"の力を。今の僕に、あれを突破できるかわからないけど……やってみるしかないっ!」
 長大な剣を手に、イクスは風雅城の懐へ飛び込んでいく。
 全身からハリネズミのように放たれた砲撃をくぐり抜け、イクスは渾身の力で輝く刀身を持った剣を振り下ろした。





 時非市沿岸部。獣岬近辺まで輝王センガに運んでもらった陽平は、孔雀にお礼を告げて別れると、ある確信を持ってそこを目指していた。
 他の連中はいざしらず、天城瑪瑙はあそこにいる。
 瑪瑙があいつを見失った場所。そして陽平と出会い、易々と投げ飛ばしてくれた場所。
 そこは獣岬から数分、沿岸を歩いて行ったところにある。ごつごつとした岩が足場の獣岬とは違い、そかには幾らかの植物が生えていた。もっとも季節も冬に変わったために、以前よりも多く地肌が見られた。
 あいつは、瑪瑙はいつもここにいる。季節が変わろうと、天気が変わろうと、自分を取り巻く世界が変わろうとも。
 そしてやはり、天城瑪瑙はここにいた。
 たぶん、瑪瑙はもう陽平の存在に気づいている。それなら別に、息を殺す必要もない。
 堂々と砂利を踏む音を鳴らし、陽平は瑪瑙の背中に手を上げた。
「よっ。また、ここにいるんだな」
「…………」
 返ってきたのは、僅かな息遣いと沈黙。
 無視かよ。
 光海たちの協力もあって、少しは打ち解けてもらえるかと期待していたが、そんな陽平の期待はものの見事に粉砕された。かと思えば、無表情のまま振り返った瑪瑙は、ポケットから取り出した何かを差し出してきた。
「な、なんだよ」
「これは返します」
 掌に乗せられた竜王の勾玉に陽平が視線を移している間に、瑪瑙は再び背を向けていた。
 返すものは返したんだからさっさといなくなれ。そういうことなんだろうな。
 だけど釧たちにみんなを連れ帰ると約束した以上、このくらいで引き下がってなるものか。
「なぁ。なんで里に戻ってこなかったんだ。やっぱり俺がいるからか」
「自意識過剰です。私はあなたが嫌いですが、桔梗さんたちはわりと好きですから」
 その言葉が真実だとしても背中越しに言わないでほしい。さすがにちょっと傷つく。
 そんな陽平の訴えが届いたわけではなさそうだが、瑪瑙は肩越しに振り返ると力無い視線で俺を睨みつけてきた。
 瞳に浮かぶ不安。そして全身の脱力感。そうか、瑪瑙は絶望してたのか。
「あなたは見ていないから。だから平気な顔をしていられるんです」
「風雅城ってやつか」
 確かに、聞いているだけでもかなり無茶な代物だけど、実際に見れば陽平も畏縮してしまうかもしれない。
 クロスフウガの四十倍の化け物。最終兵器とはよく言った。その存在だけで風雅を追い詰めるとは。
「それで、勝ち目はないから逃げ出すのか」
「普通の反応です」
「かもな。でも、天城は本当にそいつから逃げたのか」
 陽平の言葉が喉にひっかかった小骨のように瑪瑙の表情を険しくした。
「そんなすげぇものから逃げるにしちゃ近すぎねぇか。まぁ、相手を考えると宇宙にでも逃げねぇと、逃げ切るのは難しそうだよな」
「なにが言いたいんです」
「浩介に会えなくなるかもしれない」
 ここまで言って、ようやく瑪瑙は正面から陽平を見据えてきた。
 少しは聞いてくれる気になったか。
「もう何もかもが終わるから、それならいっそのことこの場所で。そんな気持ちでここにいるンじゃねぇのかって言ったんだよ」
「悪い? あなたには関係な──」
「関係ねぇことあるかよっ。天城がどう思ってるかなんて知らねぇよ。でもな、俺にとってお前はもう仲間なんだ。勝手に死なせないし、行かせない。反論は認めねぇ」
「随分と勝手な言い分です」
 そのわりに、非難の視線は僅かながら和らいだ。
「私に勝手なことをさせないと言うのなら、どうするというんです。私を力づくで連れていきますか」
 できもしないくせに。とでも思っているのだろうが、今の陽平は多少強引でもやるだろう。
 素早く手を伸ばして指を絡めるように手を繋ぐと、文字通り力づくで引き寄せる。
 予想外の行動だったのか、これには瑪瑙も面食らって目を白黒させている。
「なっ……なにをっ」
「力づくで、連れていくだけさ。それじゃ、行きますか」
 瑪瑙の意思を無視して先々歩き出す陽平に、瑪瑙は力いっぱいの抵抗のつもりなのか、足を突っ張って陽平の背中を睨んでいる。
 なにやらぐおぐおと渦巻くどす黒い感情が見えた気がしたが、この際だ。なにも見なかったことにしよう。
「ほら。キリキリ歩け。じゃないと日が暮れちまうからな」
「どこに連れて行くつもりです。風雅陽平」
 まさかのフルネーム呼びに、思わずがくっ、と崩れ落ちる。
 もっとも釧にしか呼ばれないと思っていただけに、新鮮といえば新鮮だ。
「どこって、決まってるだろ。浩介のバカを探しに行くんだよ」
「バカはあなた。探してすぐに見つかるくらいなら、私はこんな場所で待ってない」
「でも、二人で探すのはお互い初めてじゃねぇかよ」
 瑪瑙が驚き、目を大きくする。
 ひょっとすると、こんな瑪瑙を見るのは初めてじゃないだろうか。
 手を振り払われる前に、陽平は言葉を繋げる。
「俺は、天城に感謝してるんだ。なにせ、お前のおかげで俺は、浩介を幻扱いしなくて済むんだからな。お前が覚えてなけりゃ、俺は一人でいもしない友達が消えたって主張するおかしい奴って思われてたかもしれない」
 事実、周りにそう思われたくない一心から、陽平は浩介を探すのを止めた。
 あのときの陽平の逃げが瑪瑙の辛い思いを生むというのなら、陽平にはその責任を取る必要がある。
「俺達二人の記憶を合わせて、あいつを見つけるんだよ。写真でも思い出でも足跡でも食べ残しでも構わない。なんでもいいからあいつがここにいたって証を見つけるんだっ」
 瑪瑙が静かに息を飲む。
 迷っているんだろうか。なら、何度だって背中を押してやる。陽平はそのために瑪瑙に会いにきたのだから。
「ぐずぐずしてられねぇ。風雅城はいつ日本に来るかもわかってねぇんだ。なんとしてでも、その前に浩介を見つけだす。反論は認めねぇぞ」
 そこまで言って、瑪瑙もようやく観念したらしい。瑪瑙の抵抗がなくなったことで、陽平は素直に彼女の腕を離した。
「……わかりました。ただし、私が力を貸すかはあなたの行動を見て決めます」
「上等。進んで力を貸したくなる働きをしてみせるぜ」
「楽しみにしています」
 そう言っていつもの無表情のまま歩き出す瑪瑙が、どこか挑戦的に見えたのは、たぶん陽平にも観察力がついてきた証拠だろう。
「じゃあまずは、俺と浩介が出会った場所からだ。俺達が出会ったのは、家の近所にあった児童公園なんだ。当時、俺の幼馴染みはまだ二人しかいなかった」
 桔梗光海と安藤貴仁。この二人が陽平にとっての友達で、そして世界の中心だった気がする。
 浩介と出会ったのは七歳の頃だった。親友が出会うにはあまりに地味で、大して面白みのないものだった。





 公園の砂場に、その男の子はいた。
 なぜか円形の砂場の隅っこで、一人ぼっちで山を作っていた。
 上手いとは言い難い、いびつな形の砂の山。
 見かねた陽平は、お節介にもその山を作るのを手伝い始めた。
 まずそこで、ヘンなやつという認識が芽生えた。
 話ながら瑪瑙をつれて公園まで歩いてきた陽平は、その砂場の縁にしゃがみ込んで砂を一掴み掬い上げた。
「ここ。ちょうどこの辺にあいつは座ってた。無表情で、なに考えてるのか全然わからなくてな。でも、一人が寂しくないやつなんかいねぇよ」
「そう、ですね」
 同意を得られると思っていなかっただけに、瑪瑙の呟きは陽平の心を奮わせた。
 そうだ。今のはお前に言ったんだよ、天城。
 浩介は手伝う陽平をすんなりと受け入れた。というか、陽平を見ていないように思えた。でも、無視しているわけではなく、拒絶するわけでもない。
 だから陽平は、何度も強引に浩介の視界に入っていった。
「しまいにゃ、あんまり無関心なもんで腹が立ってな。俺、作ってた砂の山を思いっきりへこませてやったんだ。殴りつけて。でもあいつ、そのままトンネルにしやがるし……」
 その姿を想像したのか、瑪瑙は陽平にわからないようにと、こっそり笑っていた。
 バレバレなんだけどな。
「結局俺は、その日の内に浩介を喋らせることができなかった。一言もな」
「浩介らしい」
「だろ。あんまり悔しかったからさ、俺、翌日はあいつより早く公園に行って山を作ったんだよ」
 説明がてら、土遁を使って一瞬の内に山を作り、瑪瑙を振り返る。
「復讐でもされたんですか」
「いや。後から来たあいつは、その山に川を作って、川下には穴を掘って湖にしやがったんだ」
 さすがに意表を突かれたのか、瑪瑙の無表情仮面に少し呆れた表情が入り混じった。
「悔しかったから、俺はその向こうにもう一個山を作ったんだ。あいつはそれに橋をかけた。気づけばとんでもない世界が足元に広がってたよ」
 やはりその光景を想像していたのか、陽平は思わず吹き出した瑪瑙に気づいていないとばかりにそっぽ向いた。
 あのときもそうだった。陽平と浩介。気づけば互いに意識しまくりで、それに気づいたときは、もう爆笑ものだった。
 以来、俺達は、なんとなく気が合った。
 それから少しして、浩介が引っ越してきたことや、母親がいないこと。父親も仕事でほとんど帰らないことを知った。
「浩介は……」
「ん? どうした」
 天城から話し掛けて来るのは実に珍しいことだ。
 陽平は振り返り、瑪瑙の言葉を待った。
「……浩介は、引っ越して来る前はどこにいたんでしょうか」
「さてね。俺も聞いたことねぇや」
「親友なのに……」
 そんな非難がましい目を向けられても、知らないものは知らない。
 少なくとも浩介はそのことと、母親についてだけは話したがらなかった。
 気にならなかったわけじゃないけど、そのことに触れる度に人形みたいな顔をされてまで、聞き出そうとするのは親友のすることじゃないと思う。
「さ。次に行こうぜ」
「……次?」
「あいつの足跡を辿っていく。そうしたらなんか手がかりがみつかるかもしれねぇ」
 そう言って陽平は、瑪瑙の返事も待たずに歩き出す。
 なんだ。さっきからなにか奇妙な違和感が付き纏っている。なんだか言葉にしづらい違和感。これはいったい……。
 冬の冷たい風に煽られ、乱れる髪を押さえる瑪瑙ができるだけ影になるよう歩く速度を緩めながら、陽平はいつまでも違和感の正体に気づけずにいた。





 あれから互いの思い出を語り合うように、陽平達は交互に思い出の場所を案内しあった。
 初めて喧嘩した場所や、連れて歩いた場所。いつも待ち合わせをしていた場所や、好きだった場所。
 そのどれにも浩介の思い出はあるのに、肝心な手がかりは何一つない。まるで砂漠で砂金を掬い上げているような、そんな途方もないことをしているような。
 でも間違いなく収穫もあった。
 少なくとも星浩介という人間が存在したということは事実だと証明できるほど、陽平と瑪瑙の記憶に一致するものがあった。
 そしてなにより、途中から誰かの視線がつきまとうようになった。
 休憩がてら、先の公園でベンチに座り、陽平が買ってきた缶ジュースで二人喉を潤す。
 歩き続けだったためか、それとも浩介が見つからないことへの憤りか、瑪瑙はさっきからずっと黙り込んでしまっている。
 同じ歳だが、元々背が低い方だった瑪瑙が、気落ちして縮こまった姿は、なんだか迷子になった子供を見ているような気持ちになる。
「なんですか」
「そんな睨むことねぇだろ。ただ、疲れてんのかなって思っただけだって」
 そう思ったのも嘘じゃない。
 でも瑪瑙は、ただ頭を振るだけで、辛さも苦しさも口に出してはくれない。
 陽平なんかよりもずっと小さい身体で独り、砂の城が波にさらわれたように消えてしまった友達を信じて探しつづけた瑪瑙。
 いつしか探すことに疲れ果て、それでもあの岬付近で雨の日も、雪の日も、孤独に待ち続けた瑪瑙。
 いったい彼女と、どう向き合うべきなんだろう。
 再び視線が交わり、互いに気まずさから顔を背ける。なにか話さなくちゃ。そう急かす自分を抑えて瑪瑙を振り返る。
「あ、天城──」
「浩介……」
 うわ言のように、その名を呟いた瑪瑙は、もう陽平を見てはいなかった。
 まるで幽霊にでも出会ったような驚きの表情。
 瑪瑙の視線の先になにがあるというのだろうか。まさかと思いつつも、どこか期待を拭えずに振り返る。その瞬間、陽平達の時間は停止した。
 なぜお前はそこにいる。追い求め、探しつづけた瑪瑙の前には現れなかったくせに。なんで今頃になって、当たり前みたいにそこにいるんだ。
 気付けば陽平はベンチから立ち上がっていた。
「浩介っ!」
 栗色の短いくせっ毛を風に揺らし、黒い水晶玉のような大きな目を細めて笑うあの仕草。間違いない。陽平の知ってる星浩介だ。
 だがなにを思ったのか、わざとらしく半歩下がり踵を返す浩介は、陽平達の呼びかけなど聞こえていないかのように歩きだした。
「待てよ、おいっ! くそっ。追いかけるぜ、天城」
 しかし隣から返ってくるはずの反応はない。訝り、陽平は半ば強引に瑪瑙の顔を覗き込んだ。
 瑪瑙は放心したような目を、遠ざかる浩介の背中から離せずにいた。
「なにやってんだよっ。今まで必死になって追いかけきたのに、こんなときに固まってどうすんだよっ!」
「で、でも……」
 瑪瑙の唇が震えている。過去、浩介が自分の前から遠退いていった恐怖が、今の瑪瑙を立てなくしている。
 でもな、天城。こんなときのために俺はここにいるんだぜ。
「天城。お前は絶対にあいつを見失うな。立てないのなら、俺がお前の足になってやる」
 小柄な瑪瑙を素早く背負い、驚くよりも早く走り出す。
「乗り心地の悪さについての文句は受け付けねぇからな。振り落とされねぇように、しっかり掴まってろよっ」
 陽平の言葉に従ってくれたのか、頭の後ろで瑪瑙が言葉を飲み込んだのがわかった。
 首に回された腕が胸の辺りで交差され、柔道の絞め技の要領で一瞬だけ首を絞められた。
 これで許してくれるってことでいいんだろうか。残念ながら背負った人間の顔が見えるくらいに首が回るような、器用な体ではないが、おそらく不承不承といった顔をしているに違いない。
「よっし。見てろよ。すぐに追いついてやんぜっ!」
 透牙を使い、速度を上げる。肩や頬が風を切り、頭の後ろで瑪瑙の短い悲鳴が聞こえた。
 しかし解せない。あの浩介は本当に陽平の知る、瑪瑙の探しつづける浩介なんだろうか。
 透牙で追いかけているにも関わらず、一向に追いつく気配がなく、それどころか度々振り返る動作は、陽平達を誘っているようにも思える。
 それになにより、浩介が陽平達に一番接近したあのとき、陽平も瑪瑙も目視するまでその気配に気づけなかった。
 まるで、今その場に現れたとでもいうかのように。
「もっと早く」
 一部長い髪があだとなった。まるで天井から吊した室内灯のスイッチみたいに引っ張られた。
 つーか、そんなことしなくても、ちゃんと急ぐって。
 言われるままに速度を上げるが、やはり先を歩く浩介に追いつく気配がない。
 まるで瞬間移動でもしているかのような浩介の動きは、やはりこちらを誘っているかのよう。
「天城。何かおかしくねぇか」
「何が、ですか」
 たぶん瑪瑙も陽平と同じような違和感を覚えていたのだろう。歯切れの悪い返事に、陽平は走るのを止めた。
「透牙で追いつけねぇ。相手がマスターだってならわからなくもないが、普通の人間相手に、こんなこと、ありえると思うか」
 消えていた一年。浩介に何があったかなんて、陽平は知らない。でも、こと"速さ"において、今の陽平は最速である自信がある。たとえ相手が人外の魔物だろうと、速さだけなら負けないと思える。
 でも、今、視線の先にいる浩介は、その速さが通用しない。
「試してやる。天城、ちょっと無茶すっからな。しっかり掴まってろよ」
 やはり返事はないが、瑪瑙の掴む手が強張った。
(巫力総量を十と仮定。五を待機。残りを透牙へ変換──)
 足に巫力を集中させると、同時に二つの透牙を発動させる。
 その瞬間、陽平と背に乗せられた瑪瑙は速さという概念を越えて、瞬間的に浩介までの距離を飛び越えた。
 文字通り、瞬間移動をしてみせたことに、さすがの瑪瑙も驚きの声が掠れている。
 しかしここで解説をしてやれるような時間的余裕はなく、陽平は手を伸ばせば触れられる距離で背を向けたままの浩介を油断なく睨みつける。
「さぁ。もう逃がさないぜ。本物か偽物かわからねぇが、ちょっと付き合ってもらおうか」
 瑪瑙が背中から降りて、陽平を押し退けるように前に出る。
 すぐに声をかけないのは、おそらく本物か偽物かを確かめられないでいるからだ。
 恐る恐る伸ばした手が、まるで生まれて初めて動物に触れる子供のように震えている。
「こ、こう……すけ」
 瑪瑙の指先が浩介の肩に触れるまで、あと数センチ。その息の詰まりそうな数秒間。陽平は別の存在が近づくのを感じ取っていた。
 瑪瑙が触れるよりも早く訪れたそれは、強風を吹き荒らして陽平達の頭上に顕現する。
「メノウっ。そんなやつに騙されちゃダメだよっ」
 背から生えた純白の翼が、空を覆う雲のように、陽平達の頭上で広がっていく。
 まだ年端もいかない子供の声に反して、その身体は人間を遥かに上回る巨体を誇る。白き破壊の忍巨兵。天馬を象る、天王忍者サイガ。
「サイガっ! ってことは、やっぱり偽物かよっ! 天城っ!」
「……消え、た」
 どうやらサイガに気を取られた瞬間に逃げられたらしく、つい先程までそこにいたはずの浩介は、完全に姿を消していた。
「浩介が……消えた。また、私の前で」
「天城?」
「やっぱり、私が浩介を……」
 明らかに様子がおかしい。瑪瑙の肩を掴み、強めに揺すってやると、夢から覚めたようにビクリと肩を震わせた。
 肩越しに振り返る緑がかった黒い双眸が、じわりと滲み出した涙に歪んでいく。
「落ち着け、天城っ。今のは、浩介なんかじゃねぇ。お前は何も悪くなんかねぇんだよっ」
 キュッと結んだ唇が震えている。涙を堪える瑪瑙の姿に、陽平は怒りを剥き出しにして虚空に手裏剣を投げつけた。
 本当なら投げた勢いでずっと遠くまで飛んでいくはずだった手裏剣。だが案の定、空を覆う見えない壁に阻まれ、手裏剣は金属質な音を立てて跳ね返された。
「そこにいるのはわかってんだよっ。悪趣味なことしやがって。一発殴ってやるから出てきやがれっ!」
「やめといたら。拳が潰れるよ、獣王の忍者」
 景色が歪む。まさかこれほど近くにいたとは予想外だったが、その正体は笑ってしまえるほどに予想通りだった。
「やっぱりお前か。まだ、俺の前に現れたことのない二体の忍巨兵。その片割れ……」
「戯王エイガ。参上」













<NEXT>