二〇メートル級の忍巨兵が、ほとんど真上からこちらを見下ろしている。
灰色の大きな体は、猿型というよりもゴリラに近い。意匠の見当たらない外見は忍巨兵としては珍しく、無骨ゆえにヴァルフウガ以上にマッシブに見える。
他の忍巨兵よりも印象に残りにくい地味な外観。なるほど。どうやら忍巨兵の中では一番忍者らしい性能を持つようだ。
「エイガ……なるほどな。さっきのは文字通り『影牙』だったってわけか」
「アンタはずっと疑ってたみたいだけどね。参考までに聞かせて欲しいんだけど、なんで偽物ってわかった?」
「馬鹿にすんじゃねぇよ。てぇめぇの視線はあるわ、浩介は瞬間移動するわ、疑うところだらけじゃねぇか」
「どれも、普通じゃ気づかないくらいだと自負してるんだけどね。目がいいっていうのは本当だったんだね」
子供っぽい口調と外見が、これほどミスマッチしている者も珍しい。
どうやら馬鹿にされているわけではなく、エイガにとって、これが自然な話し方なのだろう。
「あの速さで影の入れ替えをしてるのに、瞬間移動に見えるっていうのは人間の能力を越えちゃってるよ」
「言うに事欠いて『人外の化け物』ときやがったか。まぁそれでもいいさ。俺が望んだ力だ」
陽平の大切な人達を守るための力。しがらみから解き放つための力だ。
「でもな、エイガ。さっきのはどういうつもりだ。悪戯にしちゃ質が悪いぜ」
「そうだそうだっ。メノウを騙すなんて、オマエ許さないからなっ」
「サイガはちょっと黙っててくれ。話が続かない」
不満だらけといった表情のサイガは、子供のように頬を膨らませてそっぽ向く。
「それで。聞かせてくれるんだろうな。なんで浩介の影なんて出しやがった。そもそも、なんであれだけ再現できた。お前は浩介を知っているのか?」
背格好はどうとでもなる。いや、今現在、浩介の写真は手に入れることは適わない。あいつが消えたとき、写真の類からも浩介は抜け落ちてしまったのだ。まるで、そこにだけ白い絵の具をこぼしてしまったように。
そんな浩介を、エイガはいったいどうやって再現したというのだろうか。
「再現なんて、した覚えはないよ。僕はただ、意識下に刷り込みやすい影を使っただけ。人の目は曖昧だ。そうかもって思うと、本当にそう見えてくる」
怖いと思っていると、白いカーテンが幽霊に見えてくるという話か。
「もし、細部まで再現されていたんだとしたら、それは見た人の記憶によるものさ」
「記憶?」
「鮮明にその人のことを覚えているってこと。他の誰が忘れても、二人だけは、はっきりとね」
そういえば、あいつも同じようなことを言っていた。
「たとえ自分が覚えていなくても──」
「きっと誰かは、自分を覚えていてくれる」
独り言のつもりが、陽平の言葉に瑪瑙が続いていた。
同じことを考えていたのだろう。顔を見合わせた瑪瑙は、驚きと、恥ずかしさが同居したような顔をしていた。
「あの野郎。天城にも同じこと言ってやがったんだな」
「自分だけが特別と、思わないことです。私だって、浩介の友達です」
違いない。
「でも。ちゃんと、覚えていたんですね」
浩介の仕草などの話だろう。疑問形のような曖昧なニュアンスを含んだ瑪瑙の言葉に、陽平は「まぁな」と、素っ気なく答えた。
一時は幻にしてしまおうとも考えた、親友のこと。誰も信じてくれなくて、嘘つき呼ばわりされたのは一度や二度じゃない。それでも決して、陽平の中からは消えなかった浩介の記憶。
陽平は楽しかったのだ。浩介といた時間が、浩介を含む、陽平自身の時間が。
「意外、でした。必死に思い出さないと、思い出せないと……」
「天城と話すまでは、そうだったかもしれないな。今は、目ぇ閉じるだけで、天城よりもあいつのことを思い出せる」
真に受けたのか、あるいは冗談とわかっての行動か。瑪瑙の目に、対抗心の炎が灯ったような気がした。
とっつきにくいと思っていたが、なかなかどうして。小柄な見た目以上に子供っぽい仕草もできるようだ。
「なぁ、エイガ。お前、結局はなにがしたかったんだ?」
「わかりませんか。戯王なりに、私たちを気にかけてくれていただけだということを」
気にかけたから幻術を見せたというのだろうか。ますますわからない。陽平にはただ、エイガの掌の上で遊ばれただけのような気がしていたのだが。瑪瑙は違うというのだろうか。
「戯王は、私に気づかせたかっただけです。あなたがどれくらい浩介に対して真剣なのか。そして私以上に、浩介のことにトラウマを持っていることに」
「俺が、トラウマ?」
そんなこと、意識したこともなかった。
本当にそうなのか?
思い返してみても、それらしい記憶を探し出すことはできない。
「気づいていなかったんですね。あなたは浩介を思い出す度に、今にも泣き出してしまいそうな顔をしています。まるで、自分を責めるような顔を」
「それは……」
それは、瑪瑙の方だ。浩介のことを語る度に、瑪瑙は今にも泣き出してしまうんじゃないかって顔をする。まるで、自分を責めつづける咎人であるかのように。
瑪瑙の言うとおり、もしも陽平がそんな顔をしているのだとすれば、それはおそらく瑪瑙に悪いと思う気持ちと、親友から目を反らしたことへの自責。
では、瑪瑙はなにに対して、自らを責めているのだろうか。
浩介が消えたのは、おそらく人の想像を超えた何かによるものだ。そうでなければ陽平達だけが覚えているなんて状況にはならないはずだ。
瑪瑙は今も、泣き出しそうな顔をしている。
そうさせる要因は、いったい何なのだろう。
陽平はまだ、瑪瑙の笑顔を知らない。だからこそ、瑪瑙の傷を知りたい。
「天城。聞いてもいいか。天城はなんで、浩介が消えたことで、自分を責め続けているんだ」
身をよじり、あからさまに陽平から顔を背ける。
耳の鬼眼を使えば、瑪瑙の本音を知ることはたやすい。でもそれじゃだめだ。それじゃ瑪瑙を救ってやることはできない。
揺れる瞳が、瑪瑙が迷っていることを教えてくれる。
逃げるように泳がせた視線が、黙ったままのサイガとエイガを見上げて数秒。瑪瑙の視線はようやく陽平に戻された。
「私は、浩介が消えた現場にいました」
ぽつりと漏らされた瑪瑙の言葉に、陽平はさして驚きはしなかった。どちらかといえば、「やっぱりな」という気持ちの方が強かった。
「あの日、私は浩介とあの海岸にいました。いつもと変わらない世界で、いつもと変わらない話をして、いつもと変わらない浩介を見ていました。そんな日常が、ずっと続くのが当たり前だと思っていました」
変わらない日常に訪れる"変化"は、いつも唐突だ。
クロスに出会い、翡翠を守ると誓ったあの日に、それは痛感した。瑪瑙にも、そんな唐突な変化が訪れたらしい。
「風が、私のお気に入りの帽子を飛ばしたんです」
白い、大きな鍔のついた、緑のリボンの帽子だと瑪瑙は教えてくれた。それを頭に乗せて笑う瑪瑙はさぞかし可愛いのだろう。想像の域を出ないながらも、陽平はおぼろげにその姿を見たような気がした。
「浩介は笑いながら、『僕が取ってくるよ。ちょっと待ってて』って言って、帽子を追いかけていき、ふわふわと綿帽子のように舞い続ける帽子を見上げたまま、海へ落ちていきました」
一瞬、冗談かと疑ってしまいそうな内容。それでも、それが真実なのだと納得できるのは、陽平が浩介の親友だからだと思う。
天然ボケというか、素で冗談みたいなことをやってのける男なのだ、浩介は。今更、足元不注意で転落したと聞かされたところで、疑う余地はない。
「私はすぐに探しました。"天城"瑪瑙である限り、二度と使わないと思っていた巫力を用いて、浩介が落ちたはずの海を探しました。けれど、浩介はみつからなかった」
その直後からだという。浩介について、周りが認識を失っていったのは。それはおそらく、陽平が浩介を探し回ったあの日に繋がる。
浩介の父親は話も聞いてくれなかった。光海や貴仁も浩介を忘れ、誰に聞いても「夢でも見ていたんじゃないか」と言われ続けた。
やっぱり瑪瑙も、あの真っ只中にいたのだ。
「ひょっとして天城があいつを待ってるのって……」
「はい。『ちょっと待ってて』って言われたから。また、戻ってくるはずだから。みんなが忘れても、私が覚えていれば、浩介がいなかったことにはならないから。だから……」
正直、瑪瑙の言葉には呆れ半分、感心半分。何気ない口約束。いや、約束であるかも怪しい一言を頑なに守り、独り消えた男を待ち続けるなんて、普通じゃ考えられない。
いや、案外そうでもないかもしれない。
陽平自身、ある程度自覚している。自分がどれだけ周りと口約束を交わしたか。今歩んでいる勇者忍者という道だって、口約束から始まったようなものなのだから。
瑪瑙にとって、浩介の言葉にはそれだけの重さがあるということなんだ。
「ばか、みたいでしょ」
「そんなことねぇよ。どっちかってぇと、見直した。俺、約束とかちゃんと守れたためしがねぇからさ。天城がばかなら、俺は大バカってことだな」
本当に、大バカ野郎だ。照れ隠しに、こんな言い方しかできないなんて、本当に大バカで十分だ。
自嘲気味に笑う陽平に何を思ったのか、瑪瑙はさっきまでの警戒が嘘のように、まっすぐ陽平を見つめている。
いつの間にか、肩の震えも止まったようだ。瑪瑙の緑がかった黒い双眸に、陽平の姿が映し出されている。
目を逸らせない雰囲気とは、こういうことをいうのだろうか。
「あなたは、ばかです。でも、約束は守る人。だから……」
「だから?」
「私とも、約束してください。してくれたら、私はきっと、あなたを許せると思う」
突然の申し出に、正直戸惑った。
瑪瑙のことだ。おそらく無茶な約束はしないだろうが、それと引き換えに今までの憤りを帳消しにするとは、どういうことだ。
何にしても、話だけでも聞かないことには、約束できるかもわからない。
「……聞かせてもらっていいか。どんな約束をすりゃいいのか」
「浩介を、見つけてください。探し出して、私が浩介を覚えていることを伝えてください。それだけです」
まるでお遣いでも頼むような口調とは裏腹に、瑪瑙の表情は不安に彩られている。
断るなら早く断ってくれ。そんな責めるような視線に耐えられなくて、カラカラに乾いた喉に唾を流し込む。
浩介を見つけ出す。世界から消えた人一人を、何の手がかりもなく探し出す。
そんなことが本当にできるのか?
瑪瑙が口先だけの約束を求めているわけじゃないことはわかっている。なら陽平は、自分にできる約束をするだけだ。
「天城。悪ィけど、その約束はできない。守れるかもわからない言葉で不安を取り除いたところで、それは天城を騙していることにしかならねぇから」
「でも、私は約束するだけで許すと言ったんです。守らなくても、約束してくれるだけでいいって。あなたにはメリットしかないはずです。それなのにどうして……」
ここで怪訝な顔をされるとは心外だ。どうやら陽平は、自分で考えていた以上にいい加減に見えるらしい。
ため息をひとつ。頭を掻いて、叱りつけるように瑪瑙を睨みつけた。
「そんなことして、それこそお前になんのメリットがあるんだよ。俺は天城に、いい加減な気持ちで付き合ってるわけじゃねぇ。だから、そんな約束はしない」
「そう、ですか……」
「だからっ。俺からする約束はこうだ。俺は、風雅陽平は、天城瑪瑙と一緒に星浩介を探し続けると誓う」
「いっしょ……に?」
「そうだよ。一緒にだ。お前を一人になんかさせねぇし、見つかるまであいつを探してやる」
たぶんそれが、陽平が瑪瑙にしてやれることだと思ったから。
驚きのまま表情の固まった瑪瑙に近寄り、徐に頭を下げる。
「その……悪かったな。浩介がいなくなっちまったとき、天城のこと一人にしちまって」
きちんと謝っていなかったから。
すると何を思ったのか、瑪瑙は唇を震わせて瞼を閉じ、少し俯き加減で何かを呟いた。
よく聞き取れなかったため、聞き直そうと顔を覗き込み、陽平はそこに見た瑪瑙の泣き顔に絶句した。
「……わ……ない」
大粒の涙が、次から次へこぼれ落ちていく。
まるで宝石のようにキラキラと、それでも涙は見るものにいつも、違う衝撃を与える。
「一人が寂しくないわけがない。待つのが辛くないわけがない。私はいつも追いかけてほしかった。捕まえて、『一人にしない』って言ってほしかった。いつだって……誰かに気にかけてほしかった」
かつて瑪瑙は、生まれ育った星を離れて、この地球に降り立った。
聞けば、当時一番幼い巫女が彼女だったという。
それでも瑪瑙が巫女としての責務を果たしてこれたのは、実姉の存在や、仲の良い友達がいたからだという。
しかしいざ封印から目覚めれば、瑪瑙は一人きりだった。
何も知らない。わからない。誰も自分を知らない場所に、一人で放り出されたんだ。
瑪瑙はたぶん、独りになることをずっと恐れていたんだ。
その寂しさを埋めるはずだった浩介も、何らかの事情に巻き込まれて消えてしまい、瑪瑙の寂しさはピークに達した。
心に頑なな壁を貼り、寂しさから自分を遠ざけようとした。
でも、今ようやく、その壁を越えて、瑪瑙の寂しさに触れることができた。
「もう、独りになんかさせねぇよ。……させてやるもんか」
気づけば、陽平の胸に額を押し付けて、しがみつくように泣きじゃくる瑪瑙の姿に、陽平は無意識に触れていた。
頭を撫で、瑪瑙の慟哭に耳を傾け、ただひたすらに泣き止むのを待つ。
やはりそうなんだ。
ガーナ・オーダはみんなから『こうあるはずだった当たり前の日常』を奪い、『こんなはずじゃない今日』を与えている。
こんなこと、もう絶対に許すわけにはいかない。
「……ありがとう、ございました」
胸から心地好い重みと一緒に暖かさが離れていく。
涙を拭く瑪瑙と向き合い、気にするなと笑ってみるものの、胸から離れた暖かさに、なぜか寂しさを感じた。
なるほど。独りってのは寒いものだったんだな。そんなことを考えていると、不意に左手の袖を引かれる。
「……」
「……」
どうしてか、二人の間に沈黙が流れた。
しかし瑪瑙が袖を離す様子もなく、仕方なしに腕を持ち上げて指差してみる。
「なぁ。これって……」
「言わないで、ください」
いつの間にか、顔を真っ赤に染め上げた瑪瑙がそこにあった。
というか、恥ずかしいのなら離せばいいのに。
陽平の思惑とは別に、深呼吸を始めた瑪瑙は、意を決するように、小声で「よし」と呟いた。
「なぁ、天城──」
「瑪瑙です」
「えっと……」
「瑪瑙」
これは、「天城」ではなく「瑪瑙」と呼べということなんだろうか。
そういえば。いったいどうして瑪瑙のことを姓で呼んでいたんだろう。今までは、だいたいの相手だって出会ってすぐにでも名前で呼んでいたはずが、こと瑪瑙に限ってはその名を口にすることはほとんどなかった。
遠慮してたのだろうか。いや、陽平に限ってそれはない。じゃあ、なんで……。
「……瑪瑙って、まだ呼べない?」
「そんなことねぇよ。ただ、いつも気にせず呼び捨ててるのに、なんで天城──」
「瑪瑙」
「……瑪瑙、だけは、ずっと『天城』って呼んでたんだろう。そんなこと考えてた」
陽平は無意識だった。誰に対しても呼び名を意識したことはなかったし、一度そう呼んだ相手は、たぶん死ぬまで変わらない。
でも、なんで彼女だけ……。
「わかりませんか」
「あ、ああ」
「壁、作っていたんじゃないんですか。後ろめたい。悪い。そんな気持ちで、いつも私を見ていましたよね。あなたは」
とてつもない勢いで、胸を貫かれるような言葉だった。
自分の後ろめたさから、陽平自身が瑪瑙との壁を作り、距離を取っていたなんて。
「俺は、あ……瑪瑙に、嫌われてると思ってたからな」
瑪瑙に嫌われていることで、いつ自分から歩み寄っているつもりだった。
二人の間にある溝は深く、どれだけ近づいても埋まらないことに、真剣に悩みもした。
でもまさか、埋まらない溝の原因が、自分自身の作った壁にあったなんて。
なるほど。時折感じていた違和感の正体は、これだったんだ。
歩み寄るつもりでいながらも、無意識に壁を作って距離を取る。真逆のことを同時に行えば、それは違和感にもなるはずだ。
「俺から、壁をぶっ壊さなけりゃいけなかったのにな。また、瑪瑙に先を越されちまった」
「でも、あなたがいなければ、私は決して先を越すことはなかった」
「どっちが欠けててもだめだったわけか。なら、あいこってことで、瑪瑙も俺のこと『陽平』って呼べよ。あなたとか、風雅陽平とか、なんか他人行儀でいけねぇからな」
そもそも、陽平をフルネームで呼ぶやつなんか一人いれば十分なのだ。
何度か頭の中で呼んでみたのか、少し思案するような間を置いて、瑪瑙が小鳥のような口を開いた。
「ようへー」
力無くうなだれる陽平に、何か間違ったかと尋ねるような瑪瑙の瞳が覗き込んでくる。
「まさか、瑪瑙まで間延び族だったとは、本気で意外だったぜ。だが、俺はもう泣き寝入りなんかしねぇ。すぐに正せば間延び族の繁殖は防げるはずなんだっ」
さすがに何を言っているのかわからないらしく、どこか困った顔をする瑪瑙は、やはり年齢よりも幼く見えた。
「いいか。俺の名前は陽平だ。陽平。ほれ、言ってみ」
「……ようへー」
「……」
負けるもんか。このくらいのことで諦めるなんて、勇者忍者の名が廃るってものだ。
「もう一度、ゆっくりだ。よ、う、へ、い。ほれ」
「よ、う、へ、い」
「おし、続けて」
「ようへー」
なんというか、もう腰がコナゴナに砕けるような思いだ。まさか間延び族の根がこれほどのものとは。正直侮っていたらしい。
「というか、わざと言ってんじゃねぇよな?」
「なにを?」
「……いや、いい。俺が悪かった」
そうさ。名前で呼んでくれるまでになったんだ。まずはそのことを素直に喜ぶべきなんだ。
がっくりと肩を落としてうなだれる陽平を不思議そうに眺めている瑪瑙と目が合う。陽平は知らず知らずの内に笑い出していた。
楽しいというよりも、これは嬉しいんだ。
なんだかよくわからないまま、瑪瑙とわかりあえたことも、浩介を知る者同士、独りでなくなったことも、みんなひっくるめて。
「楽しそうなところ、申し訳ないんだけどさ。そろそろ来るよ」
今の今まで黙り込んでいたエイガが、和やかな空気を一瞬で冷却した。
もちろん、言われるまでもなく気づいていたさ。
高速で接近する大きな気配が三つ。
この、心臓に突き刺さる刺のような気配には覚えがある。
「空気の読めないやつらだぜ。瑪瑙、戦えるか?」
「もちろんです。私はもう、独りじゃありませんから」
「上等っ。じゃあ早速行くぜ。おいエイガ。お前も戦えよ」
親父──フウガマスターから託された獣帝之牙に竜王の蒼い勾玉をはめ込むと、どこか遠くに聞こえる鈴の音が、胸いっぱいに響いていく。
獣帝用の忍器だけに、その潜在能力は獣王式フウガクナイを上回るのか、まるでクナイから力を分けてもらっているかのような錯覚をする。
「まったく次から次に。僕は戦闘用じゃないんだけどね」
「そんなデカい図体しておいて、説得力ねぇんだよ」
「ようへー。戯王は──」
「メノウ、話は後だよっ。強いのがくる!」
アイコンタクトで頷き合い、陽平達は同時に忍器であるクナイと笛を振りかざした。
「風雅流召忍獣之術っ」
「風雅流……忍巨兵之術」
二人を中心に生まれた竜巻に蒼と白の光が入り混じり、揃って忍巨兵の巫力に包まれていく。
「天王之舞手、サイガ……」
隼の忍獣シラネを纏い、天馬の巨兵が翼を振って舞い降りる。
「おおおおっ! 竜王式忍者合体っ、ヴァルッフウッガァァァッ!!」
爆発する巫力が竜巻を吹き飛ばし、蒼天の竜王が俺の感覚を一気に拡大させていく。
「一曲、いかがですか?」
凛とした声が、スッと細めた目にあいまって、瑪瑙を取り巻く雰囲気を一変させる。
それにしたって、流し目でキメ台詞とは恐れ入った。
「来た。あれは……以前勇者忍者が戦った、ガーナ・オーダの忍巨兵だね」
「ジェノサイドダークロウズ。まさか量産体制が整っていたとは驚きだな」
翡翠のクローンを取り込むことで、強力な巫力バリアと≪口の鬼眼≫を備えた忍巨兵で、基本性能で竜王を上回るという反則くさい機体。
だが、翡翠のクローンをすでに救出しているため、脅威だった能力は失われたと考えていいだろう。
問題は、接近している三体のジェノサイドダークロウズが、それぞれシルエットが違うということだ。
「メノウ、見てっ。あいつ森王背負ってるよ!」
「森王剛弓……」
「バスターアーチェリーだけじゃねぇ。スパイラルホーンにバニッシュキャノンだとっ! 能力を補うために武装巨兵したのかよっ!」
黒い疾風が折り重なるように飛来する。
取り回し易さを考えたのか、小型化されたバニッシュキャノンを脇に構えるジェノサイドダークロウズ──ヘビーウェポンダークロウズが先制の一発を発射した。
強力な重力弾を発射するだけに、バニッシュキャノンは防御力を無視できると考えていいだろう。
三方に回避して、俺達はそれぞれ目の前に迫るジェノサイドダークロウズに狙いを絞る。
「ダークロウズストライカーってとこか。つくづくドリル相手に縁があるぜ」
発射された弧を描く形状の刃翼をかわしつつ、スパイラルホーンの刺突を潜る。
唸りを上げて頭上を通り過ぎるドリルにはヒヤヒヤさせられるが、明らかに以前の恐怖は感じない。
やはり鬼眼はないと見える。
堂々と接近してスパイラルホーン本体に掴みかかり、顎を打ち上げるようにアッパーカットをおみまいする。
「スパイラルホーンを相手にどれだけ戦ったと思っていやがるっ。あんまし舐めてると痛い目見るぜっ!」
サイガと瑪瑙の相手は、バスターアーチェリーを備えたバスターダークロウズだ。
雷の矢を強力な風の防御で逸らして、黒い大鎌が振り下ろされるより早く懐に潜り込む。
円を描く舞が風の鞭を生み、バスターダークロウズの腹を強打する。
くの字に折れた腹と、突き出される形になったバスターアーチェリーに触れると、自らを取り巻く風を爆発させて華麗な背負い投げを披露した。
なんとも、相変わらずの才能だ。
ジェノサイドダークロウズを相手に立ち回れる以上、俺が投げられたのもあながち油断していたからというわけでもなさそうだ。
だが、油断できないのはこの三体も同じ。
サイガに投げ飛ばされたバスターダークロウズは、逆さまに着地すると同時に雷の矢を放ち、サイガが回避する位置を先読みして背中のガトリングブラスターを発射する。
逃げ場を抑えられたことで硬直したサイガを、大鎌の怪しい光が容赦なく刈り取りにいく。
「うっ……!」
「あっ、ばか! メノウになんてことするんだよっ!」
閉じた扇で大鎌の柄を受け止めるが、力で勝るバスターダークロウズにサイガが地上まで押さえ込まれていく。
「瑪瑙っ! サイガっ!」
助けに入ろうにも、いつの間に復帰したのか、ダークロウズストライカーが間に割って入る。
怪しく輝く紫の瞳が、先へは行かせないと言うかのように、陽平を正面から見据える。
そのとき、竜王のすぐ隣を影が駆け抜けていった。
その後ろ姿は、あの黒い獣王を見ているようで、陽平は思わず我が目を疑った。
「竜王。天王は任せるよっ」
「エイガっ! 無茶するんじゃねぇっ! こいつは普通じゃねぇんだぞっ!」
制止も聞かず飛び出したエイガに、陽平は舌打ちしながらその背中を追う。
だがどうして、似ても似つかないエイガの背中にカオスフウガを重ねたんだ。
「ジェノサイドダークロウズ。星王を元にして作られた忍巨兵。性能も戦闘能力も、そんなことはとっくに知ってるさ。僕は、情報を集める忍巨兵だっ!」
次の瞬間、エイガの両腕に亀裂が走り、文字通りその場で分解した。
腕は折り重なって形を変え、分解した下から現れた小さな右腕を覆うように装着される。
「演戯っ。螺旋金剛角っ!」
背中に装着されたバックパックが、右腕に輝王穿角を携えたエイガを一筋の流星に変える。
ダークロウズストライカーのドリルと、エイガのドリルがぶつかり合う一点で、悲鳴を上げてせめぎ合う。
「竜王っ!」
「任せたっ! 透牙っ!」
風を追い抜き、一気にサイガの隣まで移動する。
右腕の遁煌が風を生み、竜巻を纏った拳がバスターダークロウズを横合いから殴り飛ばす。
「瑪瑙っ、サイガっ、無事か!」
「私のことよりも戯王を。彼の武装演戯は本物とは違います。似て非なるもの。見た目や効果は真似できても、破壊力は──」
瑪瑙の言葉を裏付けるように、陽平の背後で金属が砕ける音が響いた。
同じスパイラルホーン同士でぶつかれば、再現しているだけのエイガが敗れるのは道理。
本来はこの再現能力を駆使して、戦場の情報を集めて回るのが、戯王エイガの役割ということか。
「またかっ!」
バニッシュキャノンとバスターアーチェリーの挟撃から逃れ、サイガとエイガを交互に見比べる。
ダークロウズストライカーが相手では、いかにエイガといえども、そういつまでも逃げおおせるものではない。だが、エイガの援護に走ればサイガが単身バスターダークロウズとヘビーウェポンダークロウズの的にされる。
刃翼の嵐を一つ残らず叩き落し、ファングナパームでヘビーウェポンダークロウズを突き放す。
「とにかく、一体だけでも先に潰すっ! 瑪瑙、サイガ、エイガ。少しだけ我慢してくれっ!」
巫力を解放して、ヘビーウェポンダークロウズを追撃する。
自分で殴り飛ばした相手に一瞬で追いつくと、迎撃に構えたバニッシュキャノンを竜王之牙で輪切りにする。
「このまま畳み掛けるっ!」
バニッシュキャノンの爆発をものともしないジェノサイドダークロウズと拳打の応酬を交わし、隙のできた腹に蹴りを突き入れる。
「竜王っ四遁唱っ! 解放っ!」
手足四つの遁煌を同時に発動。火遁、風遁、水遁、雷遁の四つの術を一度に叩き込む。
「エイガっ!」
「見せ場なんか、いらないんだけどっ!」
唐突にエイガが脚を分解したことで、意表を突かれたダークロウズストライカーが脚のパーツに跳ね飛ばされる。
脚はエイガの背中に装着され、背負うように二本の銃口が伸びる。
「演戯っ、光矢一点っ!」
銃口をダークロウズストライカーの胸に押さえ付けながら雷の矢を放ち、反動に耐え切れずに爆発を起こす擬似バスターアーチェリーを踏み台にして、エイガはヘビーウェポンダークロウズの前に踊り出る。
残る体のパーツが分解。折り重ねて大砲にすると、猿型と呼ぶに相応しい小柄のエイガがその引き金を引く。
「演戯っ。重崩之穿っ!」
擬似バニッシュキャノンから発射される重力弾は、本物のそれと比べればずっと小さいもの。
だが、防御を無視できるという点において性能差を持たない以上、これが当たれば最強クラスの忍巨兵であろうと、破壊できない道理はない。
黒い水晶玉のような重力弾が触れた瞬間、中心に向かって搾られるようにヘビーウェポンダークロウズの体がひしゃげていく。
三度に分けて十分の一くらいまで潰れると、ようやく火花が散り、それを皮切りに赤い炎の花となって爆散する。
「あと二つ。──って。こら、てぇめぇっ! なに調子に乗ってやがるっ!」
サイガに強襲するバスターダークロウズを肩の万字手裏剣──蒼裂で迎撃すると、再度投擲した蒼裂でバスターアーチェリーを破壊する。
(巫力量を調整。風之世炉衣、展開)
爆ぜたバスターアーチェリーからこぼれ出す巫力を残らず吸収。想定量の巫力を得ると、両手に竜王之牙と獣帝之牙を携える。
(奥義、『極』を解封。巫力コントロール、スタート)
「獅竜咆哮っ」
感覚を極限まで鋭敏化することで、全てが停止した空間を駆け抜ける。
陽平以外に動くもののない世界を風になって通り抜け、両手に秘めた獣王と竜王の力を解き放つ。
「獣っ帝ぃぃ……ざあぁぁぁんっ!!」
音もなく、前触れもない。その場に存在する何者も、斬られた本人さえも気付かぬ間に、バスターダークロウズを細切れにする。
爆発も起きず、火の粉を飛ばすこともない。残骸はただ大地に還り、戦場に不自然な静寂を呼ぶ。
「……成敗」
わざわざそれを口にしたのは周囲の時間を動かすためだ。
案の定、瑪瑙は竜王の姿を見失っていたし、ダークロウズストライカーにいたっては、ようやく自分が独りになったことに気づいたようだ。
慌てて離脱を始めるダークロウズストライカーに、サイガが怒りをあらわにする。
「ああっ! メノウ、あいつ逃げるよっ」
「ようへー!」
「逃がしゃしねぇよ。いや、もうあいつは逃げられねぇ」
竜王の手から伸びる銀の糸は、ダークロウズストライカーの行く手を阻むように、空に大きな蜘蛛の巣を描いている。
あとは陽平が糸を引くだけで、蜘蛛の巣はダークロウズストライカーに絡み付き、四肢から自由を奪っていく。
「じゃあ頼むぜ。瑪瑙、サイガ」
「風雅流、武装巨兵之術」
瑪瑙の笛が、サイガに秘められた最凶兵器の封印を解き放つ。
天拳と呼ばれる巨大な腕に姿を変えたサイガをヴァルフウガの左腕に纏い、忍巨兵中最強の兵器、天翼扇を握り締める。
隣に舞い降りた瑪瑙を支え迎えると、ヴァルフウガの遁煌全てを解放する。
「ようへー。竜王の抑圧された力を解放します」
「それって、日向さんがヴァルフウガが自滅しないようにってかけてくれたリミッターだろ。大丈夫なのか」
「大丈夫です。私が御しますから」
言うが早い。陽平の答えも聞かず、瑪瑙は違う曲を奏で始める。
それは全ての遁煌に作用して、抑圧された力を引き出す。内側から爆発しそうな圧力は、瑪瑙の奏でる曲に誘導されるように全身に蓄えられると、ヴァルフウガを金色に塗り変えていく。
「こいつはすげぇ。これがヴァルフウガの本当の力かよ」
「違いますよ」
「じゃあ──」
「私たちの力です」
はっきりと、でも目を逸らして恥ずかしそうに告げる瑪瑙に、陽平は自分でも気付かないうちに笑っていた。
「違いねぇ。じゃあ、派手にいくぜ。ヴァルフウガ・ウィンザードっ!」
天翼扇を振りかぶると、黄金色の風がヴァルフウガ・ウィンザードから溢れて天翼扇に集まっていく。
巫力の流れを掴み、自らの意思で自在にコントロールすることができるのなら、天翼扇とてそう危険な武器でもない。
風は天翼扇の上で丸められ、まるでブラックホールの中心であるかのように、周囲の空間を引きずり込んでいく。
「瑪瑙、一緒にいくぜっ!」
「はい」
二人で天翼扇を握り、まるで羽を風に乗せるように、風の塊をそっと送り出す。
「「風塵っ! 竜応砕牙っ!!」」
風の塊を後押しするように、大きく、強く風を扇ぐ。
黄金色の風を纏い、渦巻く風の塊を打ち出すヴァルフウガ・ウィンザードの姿は、さながら黄金の竜が燃え盛る炎弾を撃ち出すようにも見える。
天翼扇の特性を知っているのか、ダークロウズストライカーがスパイラルホーンの生み出す渦を盾に受け止めに入るが、やはり中身が空ではちょっとばかり学習能力が足りないようだ。
以前、あれだけ苦戦したヴァルフウガが、ジェノサイドダークロウズを難無く倒した時点で気づくべきなんだ。
彼らはもう、昨日までの陽平達じゃないことを。誰かと手を繋ぐだけで一分前、一秒前、一瞬前より強く、速くなれる。
「時の顎【あぎと】は何者にも等しく訪れる」
「去りなさい。悪しき亡霊。風が、あなたを導いてくれます」
スパイラルホールの渦を吸収しつつ、削岩機のように穴を開けて進む風の顎は、ダークロウズストライカーに触れた瞬間、まさしくブラックホールのように内側に引きずり込んで砂塵に変えていく。
凄惨な光景だけに、風が潰えるまで口を閉ざしていた陽平達も、静けさを取り戻した戦場でようやく溜め息をついた。
「これが、本当の天翼扇の使い方なんだな」
「はい。姉さんは、私なら必ず気づくと思っていたんだと思います」
リミッターの存在も、解除方法も瑪瑙に伝えられていなかったにも関わらず、瑪瑙はそれらに気づくことができた。
それは偏に姉、日向と瑪瑙に強い絆があったからこその結果なのだろう。
そして、そのリミッターをヴァルフウガに取り付けていたということは、日向は今日という日が来ることが、ちゃんとわかっていたに違いない。
陽平と瑪瑙の溝が埋まり、手を取り合う瞬間が来ることを。
「ちゃんと、お礼言わないとな」
「はい。……姉さ……。お、姉ちゃん。お姉ちゃん、お姉ちゃん──」
俯き、自分で肩を抱きしめて涙を流す瑪瑙の頭を撫でながら、そっと抱き寄せ、考える。
風雅城を恐ろしいと、戦うことが怖いと瑪瑙は言った。
でも違うんだ。瑪瑙は人一倍淋しがり屋だから、姉が奪われ、新しい仲間たちさえも失い、独りになることが怖かったんだ。
「返して……返して、ください。私のお姉ちゃんなんです。私の……返して──」
「日向さんが、瑪瑙を独りになんかするもんか。俺は信じてるぞ。日向さんは、生きてるってな。それに俺も一緒だ。独りになんかさせないって、約束したろ?」
陽平の胸に顔を押し付けるように縋り付く瑪瑙は、本当に見た目通りの小さな女の子で。陽平は少なからず、そんな瑪瑙を支えてやりたいと感じていた。
浩介の件だって、決して片付いたわけではない。
瑪瑙が戦うには、やはりもう少し時間が必要なのかもしれない。
世界がガーナ・オーダによって焼き払われるまで、あと何日の猶予があるかはわからない。
最悪、陽平は釧と二人だけで決戦に赴かねばならない。
陽平は、震える瑪瑙を抱きしめながら、そんな覚悟をし始めていた。
<NEXT>
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