楓を探して屋敷をぐるぐると歩き回り、ようやく見つけたと思えば、そこは玄関先だった。
　最初から庭ではなく、玄関に降りていれば探すこともなかったのだと思うと、なんだか自分の非常識さ加減に涙がこみあげてくる。
　ともあれ、ようやく見つけた楓に背後から声をかけ、陽平は極めて平静を装って挨拶を交わした。
「よぉ。あんまり帰ってくるのが遅ぇから、わざわざ迎えに来たぜ」
　返事はない。振り返りもしない。どうやら完全なスルーされたらしい。
　なんのこれしき。この程度で諦めてなるものか。
「楓。……おい、楓。……楓さーん。……かえちゃーん。……楓さまー」
　ぷるぷると肩が震えている辺り、どうやら陽平の言葉は意図的に無視されているようだ。
　だが、意地でも無視で通るというのなら、こちらにもそれなりの考えはある。
　すぐにでも抱きしめられそうな距離まで近付き、硝子細工を扱うように、そっと楓の肩に触れる。
　触れていればわかる。今、確かに筋肉が反応した。しかし楓は、頑として振り向こうとはせず、口と一緒に瞼にまで鍵をかけてしまった。
　なるほど。徹底抗戦の構えというわけか。だが、それは浅慮というもの。
　陽平は肩越しに顔を覗き込み、ポーカーフェイスに集中しきった楓の耳に、そっと甘い言葉を置いていく。
　なぜだか楓はこの手のことにひどく動揺を見せるため、効果は期待できるはず。
「その凛とした横顔も素敵だね。かわいいよ、楓」と、トドメに耳にふっと息を吹きかける。
「──っ！　ひゃんっ！」
　予想外にも随分とかわいらしい悲鳴が聞けた。
　それにしても。自分で勝手に口にしておいてなんだが、なんとも歯が浮く台詞だ。
　ボキャブラリーは親友から拝借したものだが、正直、真顔でこんなことを囁けるやつは、天性の女たらしだと俺は思う。
「なっ、何をするんですかっ！」
「よーしよし。やっとこっち向いてくれたな」
　耳まで真っ赤にしての抗議をスルーして、陽平は何事もなかったかのように話し始めた。
「そんで。お前さんはいったい、どんな理由を話してくれるんだ？」
　椿から預かった≪鳳王之黒羽≫をチラつかせながら尋ねると、楓の表情はみるみるうちに陰っていく。
　後ろめたい。表情が顕著にそう語っている楓は、双子の柊よりも、昔を語ってくれたときの椿に似ていた。
「楓が何を思って、どうしたいって考えたのか。いつもみたいに教えてくれないのか」
「私は、逃げただけです。何も話すようなことは──」
「"俺"にも教えてくれないのか？　楓、俺はお前の何だ」
「その質問は、卑怯です」
　知っている。だからわざと、そんな言い回しをしたんだ。
　楓が自分の口から話してくれるなら、陽平は卑怯者の汚名くらい、いくらでも引き受けるから。
　できるだけ、琥珀のように優しい表情で、楓の言葉を待つ。こういうとき、優しい目でジッと見つめられると、黙っている方が大変だというのは、身をもって経験済みだ。
　椿と同じ癖なのだろうか。身をよじるように腕を組み、見ている相手に対して無意識のうちに"女"を印象づける。クノイチならではの癖ということか。
「私は、先輩不在の風雅忍軍を預かり、当主さまが決戦のためにと、ひた隠しにしていた切り札を晒してまで挑んだ作戦で……その、しっ、失敗をしました」
「そうだってな。ちゃんと聞いてる。俺が抜けた穴、必死になって埋めようとしてくれたんだってな。ありがとう、な。楓」
「違いますっ！　私は先輩に謝りこそすれ、お礼を言われるようなことは、何もできていない。琥珀さまに深手を負わせ、日向さんを敵のただ中に置き去りにし、切り札を晒したにも関わらず、みすみす風雅城を奪われました。いかなる処罰も、覚悟できています」
　覚悟ができている。そう言った楓は、確かに覚悟を語る目をしている。死を以って償えと言えば、おそらく躊躇なく自らの喉を切っただろう。
　だけど、今の楓達に必要な絆は、そんな忠義じゃなくてもいい。忠義が必要なときもある。でも、楓や柊に必要な繋がりは、忠義ではなく愛だ。誰かを強く想い、大切に想い、大切にする。そうすることで、二人は初めて忍者としてではなく、人としての強さを身につけられる。そんな気がする。
　だからこそ、
「楓。俺が聞きたいのは、そんな用意してた言葉じゃねぇぞ」
「用意していたなんて……。私は本当に──」
「玄関で、俺のこと待っててくれたんだろ。楓はへんなとこまで真面目だからな。わざわざ謝るためにさ」
　さすがに庭から現れたのは想定外だったようだが、楓はすでに答えを用意していたんだ。陽平に尋ねられる内容を予測して、不自然でない理性的な回答を。
　でも、陽平が聞きたいのは理性に抑圧され、心の奥底で泣いている楓の本心だ。
「楓のことだ。ひょっとすると、本当に気づいてねぇだけなのかもな」
「私には……先輩のおっしゃっていることの意味がわかりません」
「意外とさ、土壇場にならないと見えないことが多くて、そういうことに限って大事なことなんだってことだよ」
　納得していない。そんな表情で視線を逸らす楓は、やはり椿に良く似ていると感じた。そしてそれこそが……。
「まぁいいや。楓、まずは柊を迎えにいくぞ」
「柊を？　そういえば、柊はどこに……」
　半身がいないことにも気づいていなかったのか。逆を言えば、それだけ自分の中に意識が向いていたということか。
「柊の師匠って人のとこにいるよ。何でも椿さんのためになる戦いをしたくないんだとさ」
「そう、ですか」
　それ以上を楓から問い掛けられることはなく、どうやら完全にループ思考に入ってしまったらしい。
　本心を口にしながら、自らの願いを絶対に言葉にしない弟と、理性で壁を作ることで本心をひた隠しにする妹か。どうやら忍者を生業にする者は、基本的に自分に対して嘘つきで、そして心が幼いようだ。
　心を騙しきって大人になれば、先代のような偉大な忍者になれるだろう。また、弱さを認めれば、精神的に不安定にはなるが、人として最高の力を手に入れることができる。
　きっと、陽平たち風雅忍軍は今、丁度その分岐点に立っている。
「任せろ。お前たち兄妹にも、必ず幸せな家族の時間ってやつを思い知らせてやるからさ」
　未だに難しい顔で考え込んでいるため、翡翠にしてやるみたいに楓の頭をぽんぽんと叩くと、陽平は再び竜王を召喚した。






　陽平と楓を乗せた竜王が山小屋付近に到着した頃、柊は文字通り師匠に引きずられて、ようやく引きこもりを卒業していた。
　出迎えてくれた柊の師匠に会釈すると、陽平達はそれぞれ楓と柊を進ませる。
　端から見れば、まるで弟子同士の決闘に見えなくもない状況を複雑に思いながらも、陽平は楓に≪鳳王之黒羽≫を、柊の師匠は柊に≪牙王之戦足袋≫を手渡す。
「また随分と、死んだ目ぇしてるね」
　先に口を開いたのは柊だった。
「柊こそ。尻尾を巻いたと聞いていましたけど？」
「巻けるくらい長い尻尾だかんね」
「それで遠吠え、ですか。なんというか、芸のない……」
　それっきり黙り込んでしまう双子に、陽平は渋々ながら苦笑で割って入ることにした。
「おいおい。俺は別に、お前たち二人をケンカさせるために会わせたんじゃねーぞ」
「じゃあ、何のためにこんな山奥くんだりまで来たのさ。アニキが憂さ晴らしでもさせてくれんの？」
「そうなんですか？　私は、あまり強くはオススメしませんが。そもそも先輩がいくら強いとはいえ……」
「オイラたち二人の憂さ晴らしの相手なんかしたら、アニキ死んじゃうよ」
　冗談じゃないと顔を見合わせる双子を全否定するわけではないが、この二人は少しばかりフウガマスターという存在を甘く見ているようだ。
　二人にわかるよう不敵な笑みを浮かべると、陽平は人差し指で「来い」と合図することで二人を挑発してみせた。
「アニキ。今のオイラたちの話、ちゃんと聞いてたよね？」
「いくら先輩でも、獣帝に乗っていないのであれば、私たち二人を相手にしてただで済むとは思わないことです」
「……いいから来いよ」
　わざと威圧感が出るように低い声で呟き、巫力の一部を解放する。
　陽平を取り巻く空気が一変したことで、二人の顔に動揺が走る。
「マスターって高みがどれほどのものか。お前ら自身が、その身で感じてみるといいぜ。ただし、命がけで来い。俺を殺さなければ、お前たちが死ぬことになる」
　風の継承を行った夜の雅夫を≪目の鬼眼≫で忠実に模倣することで、二人を竦みあがらせるような殺気を放つ。
　感情のない、殺意の篭った瞳で見つめるだけで、二人の中で歯車が独りでに回りだした。
「あんましちょーしに乗ってると、痛い目みるよっ。　アニキぃっ！」
　高速の踏み込みから、風を切るような鋭い蹴りが放たれる。
　しかしその蹴りは、陽平の髪の毛一本に触れることすらできずに空を切り、柊の目が驚愕に見開かれる。
　なんてことはない。ただ、柊自身の速度を利用して背後に移動しただけのこと。あとは巫力を通わせた鋼糸を張り巡らせ、腕の一振りで柊をズタズタに引き裂いていく。
　この間、わずか一秒。おそらく楓の目なら、今程度の速度なら見切ることができたはずだ。案の定、柊が血飛沫をあげて吹っ飛ばされる脇を潜った楓は、正確無比な手刀を陽平の喉元めがけて突き入れてきた。
「殺【と】りますっ！」
「ヌルい」
　柊を切り刻んだ鋼糸を、≪獣帝之牙≫の振りに合わせてもう一度引き寄せる。ただそれだけのことで、楓は利き腕の腱を断たれ、背後から迫る鋼糸の嵐に背の翼をもがれていく。
「殺す気で、来いよ……。マスターがヒヨッコの相手をしてやるって言ってんだ。死ぬ気でかかって来い」
　巫力量をコントロールして、威力を通常の三倍ほどに強化した風牙で楓を腹から突き上げる。
　ものの数秒で無力化された二人は、やはり陽平に対して畏怖の対象を見るような目を見せ始めていた。
「なんだ。存外楽しめないな。これじゃ、お前たちじゃなくて俺の憂さ晴らしになっちまう」
　何が起きたのかわからない。そんな表情のまま、二人は起き上がり巫力を解放していく。同時に傷を癒して向き合う二人の目に、ようやく戦いの火が点り始めた。
　なるほど。柊の巫力は≪鎧牙≫による威力の強化。楓のは比較的俺の≪透牙≫に近い速度向上か。
　夏の修行の際に、琥珀が施した封印。あれの正体は、用途別の使用巫力の増加だったわけか。
　例えるなら早く走るのに十の巫力が必要として、それに封印を施すことで、走るのに二十の巫力が必要な状態にしておく。あとは慣れた頃に封印を解き、本来の状態に戻せば、必要巫力を軽減させ、かつ効率良く巫力運用ができるというわけだ。
「だけど、足りないな」
「バっカに、すんなぁっ！」
　持ち前の敏捷性を活かした柊の蹴りが頭上から打ち下ろされる。
「≪鎧牙≫」
　陽平は右腕を盾にそれを防御すると、増大された蹴りの威力が足元を陥没させるのに目を見張った。
　なるほど。確かにこれはすごい。以前の蹴りと比べるべくもなく、一撃の破壊力は間違いなくトップクラスだ。
　だけど、言ってしまえばそれだけだ。気持ちも、魂も、何も篭らない蹴りは、陽平が片腕で防御するだけで事足りる。
　柊が動いたということは、必ず楓が合わせてくる。その前提条件がある以上、たとえ防御の最中であっても背後を取られることもなく。いつの間にか回り込んでいた楓の手刀を指先で摘んで受け止めた。
「見切られたっ！？」
「判断は悪くない。楓も速さならトップクラスだ。でも、俺に速さで挑むには、お前も足りないな」
「ま。そういうことだ」
　二人の同時攻撃に挟まれた陽平を助けたのは、もう一人の陽平。
　二人が目を見張った瞬間に、二人の陽平が柊と楓を同時に叩き伏せる。
「堪えてみせろ」
　足から巫力を打ち込み、地面を剣山のように変える。何てことはない。ただの≪土遁≫だ。
　腕や足を引き裂かれながらも、辛うじて範囲外に脱出した二人は、荒い呼吸を鎮めるように巫力で回復を計っているようだ。
　やはりそうだ。この二人からは、強い生への執着が感じられない。どちらかと言えば、いかにして素早く相手を仕留めるか。それだけに特化した戦闘スタイルだ。
「防御を怠れば、死ぬぞ」
「……なんでだよっ」
　拳を握り、肩を震わせ、柊の声が正面からぶつかってくる。
「なんでアニキまで、椿姉みたいなことするんだよっ！　アニキがオイラたちを殺すとか、わけわかんないよっ！」
「先輩。これも何か考えあってのことなんですよね。そうですよねっ」
「お前たちの言ってること、よくわからねぇよ。でもな、これがお前たちの望んだ関係なんだろ。深く係わり合うことを避け、誰かじゃなくて自分が生き残るために戦う」
　≪風牙≫を通わせた手裏剣を投げ、避ける場所を予測して鋼糸を振る。更に≪風遁≫のカマイタチを混ぜ合わせることで、二人の視界を奪いつつ、再び全身を切り刻んでいく。
　気持ちを押し殺して戦うのは初めてだけど、正直これはかなりキツい。何と表現すべきなのか迷ったが、例えるなら『道端の石ころを蹴っ飛ばして歩いていたら、だんだん虚しくなってきた』といったところか。
　雅夫がこんな風に戦っていたのだと思うと、自然と気持ちが揺れてしまう。
「忍者失格、かな」などと実際に呟いてみると、なかなかどうして。不思議とその言葉をすんなり否定できる自分がいた。
　≪土遁≫と≪風遁≫で防御して、刃の嵐を抜けてきた双子は、そのまま勢いを殺さずに襲い掛かってきた。
　楓の正確無比な手刀が何度も顔の近くを通り、柊の蹴りと拳を混ぜた連続技をひとつひとつ丁寧に捌いていく。
　徐々にだが、二人の動きが変わり初めているのがわかる。柊は楓に考える時間を作り、楓は柊に必殺のタイミングを見せるように動く。
　この二人、やはり面白い。そう思ったときには、ついつい本気でやり返していた。
　全ての攻撃を避けきると、打点から威力が散る≪風牙≫──≪角牙≫で二人を同時に殴り飛ばし、≪透牙≫で二人の背後に回り込むと、分身して、これまた二人同時に≪風遁≫による風の塊を背中からお見舞いする。
　錐揉みしながら吹っ飛んでいく二人を見送り、一人悠々と着地する。
　さすがに少しやり過ぎたか。と思う。元々、打たれ強いタイプではない陽平たち忍者に対して、的確にダメージが入るように攻撃を繰り返したわけだが。案の定、二人も足に来たのかなかなか立ち上がることができないようだった。
　いや。これは肉体のダメージというよりも、むしろ。
「これが、先輩からの罰だというのでしたら甘んじて受けます。ですが……」
「アニキ。ホントにどうしちゃったんだよ。アニキの目、見てらんないよ」
　やはり精神的に不安定。なるほど。椿が二人のトラウマというのも頷ける。
　椿は言っていた。二人と戦う際には、できるだけ無機質な目で戦えと。それが何を示すのかわからなかったが、思うに、おそらく椿は二人の本心に気づいている。
「何とか言ってくださいっ。先輩っ！」
　悲鳴のような、楓の声。でも、今その声に応えてやるわけにはいかない。風雅陽平は、ただ二人の命を狙う者でなければならない。
「……死にたくなければ戦えよ。そして、お前たちが生き残ればいい」
　再び巫力の一部を解放する。足元を中心に風が集まり、周囲の巫力が集結を始める。
「……奪い尽くせ。≪風之貢鎖人≫」
　自分が台風の中心になるような感覚。次の瞬間には、周囲から無尽蔵に巫力を奪い取り、自分の血肉に変えていく。
　さしもの二人も、これには心底恐怖を抱いたのだろう。ただ立っているだけで、命を奪い取られる感覚に、二人の表情が一層険しいものになる。
　一方的な略奪。この言葉がこれほど相応しい術も他にあるまい。
　全身に満ちていた巫力が、根こそぎ奪われる感覚に戸惑っているのだろう。四つの瞳が驚愕の色を浮かべながらこちらを捉えている。
　戦意喪失。とまではいかないものの、どう戦えばいいのか迷っているといったところか。
　ならば迷っている暇などないということを、身をもってわからせるだけだ。
　一歩を踏み出すだけで、二人の知覚できる速度を遥かに上回る。柊と楓の目には、おそらく消えたと同時に背後を取られたように映ったはず。
　なんとか反応してみせようと、振り返りながら刀を走らせる二人。だが、わけもわからないまま、まるでガラス細工のように砕ける刀を目にして、二人は慌ててその場を跳び退いた。
　あの一瞬でよく気づく。刀を砕いたのが、全身に纏う強力に圧縮された風であることに気づけなければ、二人は今頃全身で刀の末路を再現することになっていたはずだ。
「こんにゃろっ！　土遁──」と術を使おうにも、巫力が形になる前に≪風之貢鎖人≫が分解。吸収する。
　楓は、おそらく今の現象で≪風之貢鎖人≫がどんな能力なのか、把握できたようだ。柊に目で合図を送り、とにかく距離を稼ごうと後退を始める。
　しかし、ここでみすみす逃がすはずがない。巫力を通わせた手裏剣が、腕力を無視した速さで飛ぶ。肩を撃ち抜かれた二人が、勢い余って転がるまで三秒もかからなかった。
「逃げてるだけじゃ、いつか本当に死ぬぞ。何もできず、何も伝わらず、何も残さない。そんな死に方はしたくねぇだろ」
「アニキは、何でこんなことすんのさっ！」
「私たちが、不要だからですかっ！」
　引き抜いた勢いで投げ返された手裏剣を、指で挟み込んでキャッチする。
　戦う理由に悩んでいる。そう見えなくもない二人の姿に、彼らの姉は何を感じているだろうか。
　やはりもう少し、荒療治が必要なのかもしれない。
「決まってるだろ。頼まれたからさ」
「頼まれたって、いったい誰に……」
「先輩が誰かに頼まれたからといって、私たちを切り捨てるなんてありえませんっ！」
「……さぁてな。少なくとも、お前たちの姉さんは、そう思わなかったみたいだぜ」
　その言葉だけで、二人は雷にでも打たれたような驚きを見せた。
　呆然と崩れ落ちる楓。渇いた笑いを浮かべて座り込む柊。そのどちらにも、落胆と、絶望の色がありありと浮かんでいる。
「椿姉が、オイラたちを殺せって、そういったのかよ……」
「そこまで、それほどまでにして私たちが目障りなんですか。姉さんっ！」
「少なくとも、戦う理由を持たない者に、戦士たる資格はねぇよ」
　一瞬で背後に回り込み、首を掴んで無造作に二人を放り投げる。
　だが、双子の忍者がその本心たる姿を曝したのは、間違いなくこの瞬間だった。
　二人はまったく同じタイミングで忍器を装着すると、それぞれ自らの足元にある影を掬い上げるように身に纏う。
　翼のような飾り布が特徴的な炎の影衣。そして獣の体毛ような飾り布を持つ影衣。じっくりと見るのはこれが初めてだが、見る者が見ればなるほどと感じるはずだ。
　いかに椿が二人を見ているかが、この影衣を見るだけで良くわかる。
　二人は示し合わせた様子もないまま、それぞれ空と大地を駆ける。
　柊の敏捷性に獣っぽさが加わることで、より動きが複雑になり、読み難くなった。
　楓の影衣には短時間ながら飛行能力が備わっているらしい。頭上から降り注ぐ大量の刃物を、格子状に走らせた刀ですべて叩き落とした頃には、楓の姿は更に上空へと昇っていた。
「ただでさえ巫力が少ないってのに、無茶な使い方するじゃねぇか」
　高高度から飛来する無数の刃物が、狙撃手の弾丸であるかのように、正確無比にこちらを狙ってくる。
　一見、無謀窮まりない巫力運用。だが、そうすることでもう一人から意識を遠ざけるというのは常套手段だ。
　案の定、地を這うように駆ける柊が、予想より近く、低い場所から鞭のような脚を振り上げる。
　蹴りそのものに巫力を用いた様子はない。だが、今確かにこちらの予測した射程よりも、僅かながら伸びてきた。
　事実、紙一重でかわしたはずの蹴りに、髪の毛を何本か持って行かれた。
「今更、驚いてんじゃねぇっ！」
　連続して繰り出される多彩なコンビネーション。そのどれもがこちらの予想を僅かにずらしていく。
　これは、爪だ。それに繰り出す拳に刃物を仕込み、殆ど意識することなく、それを出し入れすることで、こちらの目測を狂わせている。
　だが、タネがわかってしまえば怖いものでもない。落ち着いてかわせば刃がこちらに触れることはなく、すぐに立場は元通り。
「風魔忍者の技か。あれだけ毛嫌いしながらも、しっかり息づいてるんだな」
「黙れよっ！　アンタはオレたちの信頼を裏切ったんだっ。オレは、アンタだけは絶対に裏切らないと信じてたのにっ！」
　気づけば柊の一人称が、『オイラ』から『オレ』に変わって……いや、戻っていた。表情にも余裕はなく、鬼気迫るという表現が似つかわしい。
　これが本当の柊か。
「でも、まだ足りないな」
　柊のコンビネーションを逆手に取り、それを上回る模倣コンビネーションで瞬時に叩き伏せる。
　楓はどこだ。そう意識した途端に、死角から刃物が飛んできた。
　動いた気配はなかった。投げる以上、投擲には必ず予備動作の気配というものがある。それを感じさせないこの技も、風魔の技ということか。
　だが、巫力を通わせていない攻撃は、風雅忍者にとってそれほど脅威でもない。それがたとえ、一突きで心臓を貫くことのできる矛であっても。
　テンポアップした双子の連携攻撃に、こちらも回避のテンポを上げていく。数分もしないうちに、最初と同じ、陽平の圧倒的優勢が出来上がった。
　表情に怒りと苛立ちを見せながら、二人は何度も複雑な連携を組み込んでいく。しかし、そのどれも今の陽平に対して大きな効果はない。どちらかというと、陽平に引っぱられているかのように、二人の動きが鋭くなっていく。
　そんな二人の姿に、陽平はつい笑みをもらしてしまう。
「そんなに可笑しいですかっ！　常に姉と比較され、それをコンプレックスに思っているという私の姿がっ！」
「どっちかというと、そう思い込むための仮面を着けた楓の姿は、見ていて好ましいものじゃねぇよ。それは初めて会ったときに言ったはずだぜ。『素顔で仮面着けてるみてぇだ』ってな。まったく直らねぇから、いつか言ってやろうと思ってたけど」
「誰もがあなたのように、運命に抗う力を持っているわけではありませんっ！」
「そういうことは、抗おうとしてから言うんだな。柊、お前もだよ」
　二人の攻撃を、距離を取って回避する。追撃してくる二人が触れる瞬間、≪雷牙≫で攻撃をやり過ごして、突撃でカウンター気味に跳ね飛ばす。
「柊。お前、何もわかってねぇじゃねぇかよ。お前が信じるのは『アニキ』だけか。姉さんは、椿さんは信じられないか」
「どっちも、オレを見捨てただろっ！」
「見捨てられるのが嫌なら、お前は信じなきゃならなかったんだ。たとえ兄妹で殺し合いをさせられても、蔑むような目で見下ろされたってな」
「それの何を信じたらいいってんだよっ！」
　がむしゃらに振り回した柊の拳をがっちりと受け止め、陽平は力任せに引き寄せ、足元に叩き付ける。
　胸倉を掴み、引き寄せる。
「決まってるだろ。"絆"ってやつさ。仲間の、家族の、姉弟の……な」
「……それでも、信じられなければ」
「決まってるだろ。ぶつかるんだよ。こうして真正面から、徹底的にな。本音を隠しながらケンカしたところで、わかり合うなんて無理だからな。裸の自分をさらけ出して、掴みかかるくらいがいいんだよ」
　今、言葉が柊の何かに触れた。そう感じたときから柊の表情が変化して見えた。
　そこには取り繕うような笑顔も、演じているような空気もない。
　今初めて、風魔柊という少年の素顔に出会えた気がした。
「それから楓っ！　お前も人事じゃねぇぞ」
　振り返りざまにビシッと指を差され、楓が肩を跳ね上げ、動きを止めた。
「俺、お前とは本気で向き合ってたつもりだぜ。初めてタイマンでやり合ったあの日から、ずっとな。なのにお前は俺と対立することから逃げて、俺側についた」
　普段は細く、射抜くような目をしている楓も、このときばかりは目を丸くした。
　まさか内に秘めたものすら見抜かれていたなどと、誰が考えようか。それが楓のように聡い者であってもだ。
「出会って間もなく、俺はお前の行動を指摘した。お前はバレるなんて思っていなかったんだ。親兄弟、親しい者たち。いや、お前自身でさえ、『楓は椿に対してコンプレックスを抱いている』と信じきっていたからな。だから、それがバレたとき、お前は咄嗟に俺側につくことを思い付いたんだ。そうすることで俺が周りに話さないよう監視することができた」
　楓の顔色が変わり、唇が震えている。視線は定まらず、僅かに開かれた唇からは、声にならない声が漏れる。
「もっと、早くに言ってやらなきゃいけなかったのにな。先輩失格だ」
「……本当に、最初から気づいていたんですか」
「まぁな。少なくとも、お前が忠義にあついクノイチを演じてるんだってことくらいは、ずっと知ってたよ。楓が何を隠しているのかは、想像の域を出ないけどな」
　柊を放して立ち上がり、陽平は双子からゆっくりと距離を取る。
「だから、三人はそろそろ本音をぶつけ合ってもいい頃だと、俺は思いますよ。椿さん」
　いつの間に現れていたのか。柊の師匠に連れられて、木々の陰から出てきた椿に、双子の空気が冷めていく。
　普段、陽平たちには見せたことのない忍び装束に身を包む椿は、内情を隠しているのか、マネキンよりも表情は伺えない。
　双子と対峙するように進み出ると、椿は腰に指した刀に手をかける。
　三人兄弟でありながら、こうして出会うだけで空気が凍りつくなんて、あまりに悲しすぎる。だからこそ、今ここでその蟠りを断ち切る必要がある。
　助けを請うような双子の視線に苦笑を浮かべ、陽平は≪獣帝之牙≫を納める。
「後は、お前たちがやるんだ。椿さんから本音を引っ張り出してみろよ」
「……先輩」
「わかったよ、アニキ。どうなるかなんてわかんないけど、ぶつかってやるっ！」
　気持ちの切り替えが早いのはいいことだ。柊はもう、いつでも戦えるといった様子。逆に楓は頭の回転が速いため、考えすぎてしまうのだろう。やや躊躇いがちに椿と向き合い、数秒間の思考の末、意を決したように身構えた。
「そういうわけですから、後は兄弟間でなんとかしてくださいね。椿さん」
「あなたという人は、意地の悪い……」
「誰かさんの影響です」
　そう言って笑うと、椿だけならず、柊や楓までもが苦笑を浮かべる。
　誰も、何も言わないだけで、その対象が誰なのか、百も承知といった様子。
　後は任せます。そんな言葉を残して山小屋付近まで後退した陽平は、ようやく始まるだろう、命をかけた兄弟喧嘩を見守るべく≪鼻の鬼眼≫に力を割いた。