冬に入り、ますます肌寒さを増してきた潮風に吹かれながら、国連軍の軍服姿の男──蓬莱光洋は水面下に見える青い塊に視線を落としていた。
 忍巨兵【しのびきょへい】。そう呼ばれた意志持つ人型機動兵器たちを操る集団は、昨今マスメディアのカモにされている。
 別に誰がどう世間に叩かれようが、正直なところ光洋にはどうでもよかった。ただ、そこには光海がいる。ただそれだけが光洋の関心をひきつけていた。
 風雅陽平。おそらく最強だろう忍巨兵を駆る光海の幼馴染みの少年。その強さは、巨大な腕の忍邪兵を容易に倒した辺り折り紙付きだ。あの少年忍者に強く心を寄せる光海は、おそらく今後、地球人類総てから迫害されるようなことになろうとも、彼から離れることはないだろう。
 光海の気持ちは、もう幼い頃のものとは違う。今後陽平との関係がどうなるかはわからないが、それでも幼い頃のような瞳が光洋を見ることは、おそらくないだろう。
 なぜこうなった。そんな自問を繰り返し、その度に自答に詰まる。
 苛立ちが頂点に達し、手近な小石を拾い、海に投げつける。
 そんなことでこの澱んだ気持ちが解消されるわけでもなく、忌ま忌ましいとばかりに憤慨すると、光洋はその場に腰を下ろした。
「荒れているな、軍人」
 海中から話しかけられ、光洋は苛立ちを隠そうともせずに視線を向けた。
 波打つ海面に浮かび上がる双眸は、とくに悪びれるわけでもなく光洋の視線を受け止めている。
 光洋の持つ忍巨兵──海王レイガ。先の巨腕の忍邪兵に受けたダメージもようやく癒えたようで、ガーナ・オーダの風雅城による攻撃に対して、そろそろ悪態つく程度には焦れているようだ。
「何の用だ、忍巨兵。俺が話しかけるまで、黙っていろといったはずだ」
「森王からの連絡だが、それでも黙れというのなら、オレは黙っていよう」
 森王。コウガと呼ばれる鹿を模した深緑の忍巨兵。いわずとしれた光海の忍巨兵だ。
 その森王が、光洋にいったい何の用があるというのだ。
 いや。罠と訝ることはいつでもできる。天を突くほど巨大な忍巨兵が世界で動き回っている以上、光洋に残された時間も決して長くはない。
 あわよくば光海と共にガーナ・オーダに投降するというのも……いやだめだ。やはり二人でどこかに脱出するしかない。あれを相手に戦おうなど具の骨頂。たとえ陽平の忍巨兵。獣帝マスタークロスフウガであろうと、あれを相手に無事で済むはずがない。
 とにかく急いで光海と合流する必要がある。
「忍巨兵。その森王という忍巨兵は何を言ってきた」
 立ち上がり、水面下に見える青い塊を見下ろす。不思議なものだ。こんな金属の塊が人語を解し、しかも人より優れた力を有しているなどと。
 返答のないレイガに、光洋がスッと目を細める。
「おい、忍巨兵……」
「どうやらこちらの反応を待っていたようだな。強かだな。こちらの居場所を特定されたぞ」
 光洋が訝るよりも早く、それは海上を駆けてきた。深緑の鹿を模った忍巨兵。光海の森王コウガの姿が見えたことで、光洋もようやくレイガの言葉の意味を察した。
 ようするに、光海は何かしらの理由でレイガと光洋を探していた。呼びかけ続けることで反応を待ち、返答を逆探知して光洋たちの居場所を特定した。
 どうやったかは定かでないが、レイガのいうとおり光海は強か者になっていたようだ。
「軍人、どう出る」
「知れたこと。光海を回収して再び身を隠す。上手くいけばあのガキが例の巨大兵器を倒すかもしれんが、そのときは疲弊した両者を俺が倒すまでだ」







勇者忍伝クロスフウガ

巻之参弐:「海に抱かれて」







 風雅忍軍の総戦力を投入した、城塞型忍巨兵アークフウガこと、風雅城争奪戦から三日。光海は一人、戦闘空域から散り散りに脱出した仲間たちを探し続けていた。
 敗走したその日のうちに森王コウガに他の忍巨兵たちと連絡を取ってもらったものの、どの返答も芳しくない。戦意喪失。そんな風雅忍者たちにはおおよそ似つかわしくない言葉が頭を過ぎる。
 一日が過ぎ、孔雀と釧から、風雅の里に陽平が戻ったと報告を受けた。これでまた、みんなが立ち上がれる。あの瑪瑙からも連絡が入り、それは光海の中で確信に変わった。
 二日目。風魔の兄妹からも連絡が入った。二人は言っていた。「陽平がいれば、風雅に負けはない」と。あれだけふさぎ込んでいた二人を立ち直らせる幼馴染みが誇らしくて、光海もついつい頬が緩みっぱなしになる。
 そして三日目。四時間ほどの睡眠を経て、光海は再び動き出した。
 先日、現状を報せてくれた戯王エイガから、海王レイガのおおよその居場所を聞いた光海は、誰に頼むでもなく自らそこを目指した。
 おそらく陽平が迎えに行ったところで、光洋はその手を握り返したりはしないだろう。下手をすると、出会い頭に忍巨兵同士の戦いに発展しかねない。だからといって、光洋と接点のない風魔の兄妹が説得を試みたところで効果は期待できない。やはり光海が行くしかないのだ。
「姫。海王がようやくこちらの呼びかけを拾ってくれたようです」
「近い?」
「急げば数秒の後に出会えますよ」
 急ぎたい気持ちも確かにある。しかし先の戦いで、国連軍が忍巨兵を捉えることができるとわかった以上、あまり目立つわけにもいかない。
「急ぎすぎないで。あと、できるだけ人目につかないように。コウガ、できる?」
「姫の望むままに」
 器用なものだ。海面を足場に駆けているというのに、その足元には飛沫どころか波紋すら起きていない。これならそう見つかることもないだろう。
 そうこうしているうちに、目視できる距離に小さな島が見えてきた。
「あそこにお兄ちゃんが……」
 確か人も住んでおらず、外周も半日あれば歩いて回れる程度の小さな島のはず。身を隠すにはうってつけだが、光洋は軍にも戻らず何をしているのだろうか。
「おそらく海王の傷が癒えるのを待っていたのではないでしょうか」
 光海の疑問を察してか、そう説明してくれるコウガに、光海はなるほどと頷いた。
 海王レイガは、この現代において光洋と契約しているが、それはあくまで光洋を忍者としての契約であって巫女は不在のままだ。つまり、しばらくの間、身を潜めねばならないほどに、巨腕の忍邪兵に受けたダメージが深かったということになる。
「お兄ちゃん、無事だといいけど」
「心配には及びません。海王は我々の中でも防御面には秀でています。死に至るような怪我はないでしょう」
 守りが固いのはレイガが心を閉ざしているからだと、そう感じるのは光海だけなのだろうか。
 思い返せる範囲内で、光海は海王レイガと言葉を交わした覚えはないが、それは光海に限らず陽平たちも同じはず。戦いの場だっただけに余裕がなかったといえばそれまでだが、どこかレイガは自分から仲間に背を向けているように感じる。
「お兄ちゃんと同じだ」
 人の輪から目を逸らし、自分以外は見えていない。かつて自分が理不尽に奪われた側だからこそ、人からも理不尽に奪おうとする。そうすることが自然なのだと、そうすることが正義なのだと理解してしまっている。
 わかってもらうには、そうじゃないんだと強く頬を叩く以外にない。
(そんなお母さんみたいなこと、本当に私にできるの?)
 不安で握り締めた手の中に、春の陽光のような温かな鼓動を感じる。
「……姫?」
「大丈夫。できるよ、私」
 自分に言い聞かせるように、決意を口にする。
 今、陽平は仲間を集めている。それはきっと、一人きりで勝てるなんて、これっぽっちも思っていないからだ。
「待っていて、ヨーヘー。必ずお兄ちゃんを連れ帰るからね」
 そんな光海の呟きを受け、コウガはレイガの気配がする場所──島の丁度裏側へと大きく旋回した。



 島の裏側はごつごつとした岩が折り重なるように並び、身を隠すにはまさにうってつけの場所だった。
 ゆっくりと水面を踏み締めて、コウガは強く気配のする方に首を向ける。
 青い水面を隠れ蓑に、四つの瞳がこちらを直視していた。
「海王レイガ。貴方の忍びに取り次いでもらいたい。ワタシの姫が話をしたいそうだ」
 敵意もなければ疑われている様子もない。それにも関わらず、レイガは黙したまま、ただコウガを観察し続けている。強いて言うなら品定めをされているような感じがする。
「コウガ、私を外に出して。たぶん、本当に私が来たのか確認したいだけなんだよ」
「油断はできません」
「油断はないよ。それに、お兄ちゃんは敵じゃないから」
 そう言うが早いか、光海はコウガの制止も聞かずに頭──二本の角の丁度真ん中辺りに姿を晒した。
 海の風は強く、光海は飛ばされないように角にしがみつくと、風に煽られる髪やスカートを押さえ付ける。
「姫、やはり中に」
「いいの。コウガはもうちょっと私を信用してね」
「……御意」
 不承不承といった返事にこっそりと溜め息をつき、光海は改めてレイガのいる辺りに目を向ける。
 一瞬、心臓が大きく跳ね上がった。
 いつからそこにいたのだろう。レイガを挟むように並ぶ、やや小高い二つの岩場。その一つに長身で軍服姿の男が立っている。
 見間違うはずもない。光海の従兄にして、忍巨兵海王レイガのパートナーを務める国連軍の軍人、蓬莱光洋その人だ。
「お兄ちゃ──」
「光海っ!」
 光海の呼びかけを遮る強い言葉に、光海は肩をビクッと跳ね上げる。
 怖いと感じる強すぎる意志を秘めた双眸が、自然と光海の足をすくませた。
 流れるのは重たい空気。そんな中で光洋と目を合わせるのは、それだけで心臓を鷲掴みにされるような思いだ。
 震える肩を自分で抱きしめ、もう一度心の中で幼馴染みの顔を思い出す。
 大丈夫。できる。
 光海の表情から不安の色が落ちたのを不審に思ったか、光洋が睨みつけるように目を細めた。
「光海、俺と来い。お前のような優しい人間が、こんな薄汚れた世界なんかのために戦う必要がどこにある。お前は俺が守る。だから、さぁ……」
 そう言って差し延べられた手に、光海はただ悲しそうな表情で応えた。
「お兄ちゃん。確かにお兄ちゃんの言うとおり、この世界はそれほど綺麗なものじゃないのかもしれない。でもね、私の世界はきらきら輝いて、どんな宝石にだって負けないくらい綺麗なんだよ」
「光海の……世界?」
 怪訝な表情で光海の言葉を反芻する光洋に、光海は笑顔で頷いた。
「お兄ちゃんの見ている世界と、私が見ている世界は違うの。優しい人がたくさんいて、みんな未来のために頑張ってる」
 光海の……いや、陽平の周りに集まる人たちは、みんな未来を諦めていない。強い意志と強い想いに支えられ、みんなが一つになろうとしている。
 それはとても美しく、人として気高い姿にほかならない。
「確かに人は、理不尽に振り回されたりもするよ。ときにその力が、私たちを一歩も動けなくすることもある。でも一人じゃなければ、私たちは何度だって立ち上がれるの」
 事実、風雅に集う忍者たちは、そうして今まで戦い抜いてきた。そして今、最大の壁にぶつかり膝を折った仲間たちを、陽平が引っ張りあげている。また、みんなで戦える。
「だからお兄ちゃんも一緒に戦って! 私たちは未来のためにも、一つにならなくちゃいけないんだよっ!」
 俯いた光洋の表情を読むことはできない。考え直してくれていると信じたい気持ちが、胸元でギュッと手を握らせる。
「……だな」
 光洋が呟いたのか。微かに耳に届いた言葉に、光海は思わず反射的に聞き返していた。
「え。なに、お兄ちゃん。聞こえないよ」
「言ってもわからないようだな。光海っ! ならば力づくでわからせるだけのこと。そんなに世界とやらが大事なら、あのガキ一人に戦わせればいいっ! これ以上光海を巻き込むことは、この俺がさせんっ!」
 光洋の激昂に、静かだった海が瞬く間にその姿を変えていく。嵐の海となった海面を突き破り、青い二匹の忍獣──海魔と麗魔が姿を現した。
「お兄ちゃん、待って。私の話を聞いてっ!」
 大荒れの海に跳ね飛ばされそうになり、光海はついにその場にへたり込んでしまう。
 青ざめた顔で見上げる光海の前で、青い忍巨兵──海王レイガを身に纏った光洋は、宙に浮いているかのようにフワリと水面に降り立った。
「姫、危険です! 早くワタシの中へ」
 半ば強引にコウガの中へと落とされた光海は、続けて襲い掛かる衝撃に顔をしかめる。
 恐る恐る目を開き、衝撃の正体がレイガによる攻撃と知ると、光海の中で少しずつなにかが噛み合わなくなり始めた。
「反撃します!」
 人型に変わり、突貫してくるレイガの迎撃体勢を整えるコウガを、光海は慌てて制止に入った。
「待って! コウガ、私たちは戦いに来たわけじゃないんだよっ。お兄ちゃんを説得したいだけなの」
「しかしこのままでは、説得する前に姫の御身がっ」
 ミサイルのように突貫するレイガに跳ね飛ばされ、コウガは錐揉みしながら海面を転がり続ける。
 まさに水を得た魚。レイガの水辺での戦闘力は桁違いに高く、もしも海中に落とされるようなことがあれば、浮き上がることも許されずにそのまま即死に繋がる。
「わかりました。ワタシの役目は姫を守ること。防戦が続く限り、姫は説得を続けてください」
「ありがとう、コウガ!」
「さぁ。あまり時間は稼げません。お早く」
 レイガのショットクナイを自らのショットクナイで撃ち落とし、眼前に迫る三叉戟をかわす。
 戦場が戦場だけに、コウガ得意の木遁も雷撃も封じられたようなもの。光海に戦う意志があればやりようはいくらでもあるが、今の状態でできることと言えばかわすことと守ること。そして海中に落ちてしまわないようにすることだ。
「まずは光海から戦う力を奪う。忍巨兵、あの大角の忍巨兵を破壊しろっ!」
「それがお前の選んだ道だというのなら、いいだろう。忍獣トウキを使う。お前の力をもらうぞ」
 光洋の返事も待たずに忍獣を召喚したレイガは、白鳥の忍獣トウキとでコウガを挟み撃つ。
 トウキの大きな翼に打たれ、怯んだコウガにレイガの容赦ない蹴りが叩き込まれる。
 くの字に折れて水面を跳ね飛ばされるコウガに、光海は唇が白くなるくらいに強く噛む。
 今の光洋には、周りどころか自分自身も見えていない。分厚い殻に閉じこもり、聞く耳もたぬと心を閉ざしている。そんな相手に、いったいどうして説得ができようか。
「ヨーヘー。どうしたらいいの。どうしたらヨーヘーみたいに人の心を開けるの……」
 光海が迷う間も、コウガはただひたすら打たれ続ける。ダメージが光海にリンクしていない辺りにコウガの過保護が見え隠れしているが、今の光海には泣きたいくらいにありがたかった。
 陽平は、あれだけいがみ合っていた釧や瑪瑙でさえわかり合えたのに。それなのにどうして、自分は好きだった従兄一人とさえわかり合うことができないのだろう。
「どうしたらお兄ちゃんに伝わるの。わからない。わからないよ、ヨーヘーっ」
「姫っ。いつまで自らの行動を彼の責にするおつもりですかっ!」
 跳躍でレイガの三叉戟をかわし、挟撃するトウキの背を蹴って跳ぶと、宙返りしながらショットクナイを投げつけ二体から距離を取る。
 いつも控えめなコウガにしては随分とアクロバットな動きだっただけに、レイガも完全に意表を突かれたらしい。振り返ったときにはすでに、コウガは四足の獣に姿を変えて、この海域を脱していた。
「姫……いえ、光海。貴女は出会った頃から、とても強い女性【ひと】だった。だが、その強さは偏に陽平殿を想うが故のもの。彼以外を救うときも貴女は、彼だけを想い続けている。一途を理由に、誰かの内に踏み込む決意を他人任せにしているにすぎない」
 コウガの叱咤が光海の中で何かに触れた。それは今の今まで、光海が自らの勇気と思い込んでいた心の壁を打ち砕き、裸の光海に深々と突き刺さる。
 やはりコウガはずっとずっと、光海を見ていた。見守ってくれていた。今までずっと、光海が偽り続けてきた《強い巫女》という仮面に気づいていたのだ。
 偽りの仮面が剥がれれば、そこに残るのはどこにでもいるような普通の少女だった。
「コウガ。私、どうしたら……」
「ご自分で考え、ご決断を」
「自分で……決断」
 そう言われて初めて、光海は陽平のことを除いて光洋のことを考えた。
 幼かった頃、大好きだった従兄。優しくて、少し厳しい義兄。こんな自分を、好きだと言ってくれた男性。
 光洋のこと、光洋の境遇、光洋の気持ち。それらを自分に置き換えるだけで、何か答えが見えたような気がした。
「コウガ。お兄ちゃんは、たぶん……」



 人気のない洞窟で翡翠と双子巫女が寝起きしてもう四日。いい加減目覚めたとき、最初に目に入るごつごつとした天井にも慣れてきた。
 フウガマスターの指示で翡翠の身を隠しているわけだが、どうしたことか、その雅夫からの連絡もないままだ。
 ただ待つだけという行為がこれほどの苦行と、いったい誰が考えようか。最初の頃はあれこれと考えることもあったが、さすがの翡翠もそろそろ手持ち無沙汰に飽きてきていた。
「るり、りる、わたしも何かしたい」
 二人は今、翡翠のために昼食を用意してくれている。現代日本のようなガスコンロもなければ、電子レンジもないこんな場所でも、二人は器用に料理をこなしていた。
 翡翠に声をかけられ、二人は示し合わせたわけでもないのに同じタイミングで顔を上げ、同じタイミングで顔を見合わせる。
「あの、翡翠さま」
 恐る恐る発言したのは、右の頭にお団子を乗っけた巫女──瑠璃だ。
「どうかわたしたちにお任せください。姫さまのお世話をするのも、わたしたち巫女の務め」
 左頭にお団子を乗せた巫女──璃瑠の予想通りの言葉に、翡翠は目に見えて落ち込んだ。
「わたしはただ、るりと、りると、いっしょがいいだけ……」
 何をするときも、陽平は翡翠と一緒にやってくれた。それは翡翠が姫だから? 違う。普段の陽平は翡翠を、ちゃんと家族として見てくれていた。陽平の口にする「翡翠。一緒にやってみっか?」なんて声が、今は懐かしくて仕方ない。
「おねがい。わたしにも何かさせてほしい」
 主にここまでお願いされると、さすがの二人も困惑せざるを得なかった。
 視線のみで会話が成立しているのだろうか。何度か頷いたり、首を振ったりしていた二人が、揃って翡翠に向き直る。
「では姫さま。一緒に昼食の支度をしましょうか。調理はお任せください」
「まずはお皿です。姫さま。よろしいですか?」
「ん。ありがとう。るり、りる」
 双子の巫女に頭を下げると、翡翠は嬉々として食器の用意を始めた。
 見ているしかできなかった分、見ることにかけては十分過ぎるくらいに見ていた翡翠は、食器だろうが食材だろうが、そのすべての配置を記憶している。そういう手伝いは、むしろ得意分野ですらある。
 申し訳程度に置かれただけの食卓も、一○分もしないうちに色とりどりの野菜や、ほかほかのご飯によって華やかに彩られた。
 綺麗な食卓を見ていると、不思議と心が弾む。これから食べる自分の気持ちはもちろんだが、食べてくれる人がどんな顔になるだろうという期待と不安。いつか香苗に、料理は愛情だと教えてもらった。それはたぶん、こういうことなのだろう。
 陽平は、忍巨兵の忍者たちは今どうしているだろう。ちゃんと食べているだろうか。いや、それ以前に怪我をしたりしていないだろうか。
「ようへい、みつみ、ひいらぎ、かえで、くじゃく、めのう、あにうえ……」
 名を呟く度に、優しい人達の苦悩している姿が、浮かんでは消えていく。
 翡翠の呟きが聞こえてしまったのか、顔を上げれば笑顔で迎えてくれる双子の巫女に、心配ないと頭を振った。
「そういえば。璃瑠ちゃん。なんだか結界が弱まってる気がしない?」
「わたしも、そんな気がしてた。人払いの結界に干渉するなんて、そうできることじゃないんだけれど……」
 人払いの結界は、人の無意識に作用することで結界内に興味が向かないようにしたり、そこへ向かう用事があったとしても"いけない"と思い込ませる性質を持つ、いわば催眠作用のある結界のことだ。
 外界と繋がりを絶つには有効で、《風雅の里》も同様の有識結界を用いている。
 それになんらかの力が干渉して、結界としての効力が弱まり始めたことに双子が気づいたのは、今朝になってからのことだった。
 やはり少しでも翡翠が姿を晒したのは、良くなかったのかもしれない。
「後で補強しないとね」
「うん。補強しないと」
 しかし二人が頷き合った、正にその瞬間、ガラスが砕けるような音を立てて獣岬周辺を覆っていた結界が消失した。
 驚きの表情で固まった翡翠を後ろ手に庇い、瑠璃と璃瑠は堂々と入口から侵入してきた相手に術の矛先を向ける。
「無礼を承知で食事時に失礼する。……翠玉の姫」
 足音は聞こえないというのに、りぃん、という鈴の音だけは洞窟内に響いていく。影から滲み出るように浮かび上がる、少女と見間違うほどの美貌。雪のように白い肌が洞窟の闇で一層際立ち、目の前の青年をより幻想的に映し出す。
「こうして近くでお目にかかるのは二度目ですね。翡翠姫」
 森蘭丸【もりらんまる】。織田信長の懐刀にして、ガーナ・オーダ六翼の一人。過去、幾度となく風雅を罠にかけて窮地に追い込んだ張本人。
 思いもよらぬ難敵の登場で、双子の間に言い知れぬ緊張が走る。
 巫女としては優秀な瑠璃と璃瑠も、戦闘に関してはからきし。攻撃用の術も数える程度にしか使えない二人にとって、この相手は一筋縄でいかないどころの話ではない。
「迂闊ですね。最低限の護衛しかつけないなんて。それとも、それほどに風雅は疲弊しているのでしょうか」
 横に突き出した手が、虚空から矛を引き抜く。蘭丸が矛を振る度に風切り音が鳴り、その矛先がピタリと翡翠に向けられた。
「さぁ。ご同行願いましょう。我が主が、《生命の奥義書》を望んでおられる」













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