後に残されたのは、どこか夢を見ているような目をした光洋だけだった。
波打つ海に膝をつき、レイガは光洋の言葉を待ち続ける。
「俺の家族は……」
ぽつりと呟いた光洋に、レイガは耳を傾ける。
「光海は……」
「やはり行くか。軍人」
「光海は……俺の家族は、俺が守る」
今までとはなにかが違う。深い闇を抱えたような眼差しは、遠い光を追いかけるような瞳に変わっている。
「忍巨兵。俺を、笑うか」
「いや。笑うものか。決して……」
守りたい。その想いを形に変えた姿こそが海王レイガだ。守るために進むことを、彼は決して愚かとは言わないだろう。
「……感謝する」
光洋の礼に頷くと、海王之騎士は背中のファンを再び始動させる。海の巫力を十二分に取り込み、両手に新たな水の刃を形成すると、レイガはバスタークロスフウガを追いかけて水上を走り出した。
買い物帰りの人で賑わう夕方の町並み。
誰もが世界中で起こっている謎のロボット兵器の戦いを、画面の向こうの出来事程度に捉えていた。
無理もない。自らに降りかからない火の粉は、美しい花火に見えるものだ。
だからだろう。タイムサービスで卵が安く買えただの、一日限定五十個のケーキが食べられなかっただの、この街の住人は、それぞれの平和を満喫していた。
「ねぇ、おかーさん。でっかいカラスだよ」
そう言って空を指差す息子を微笑ましく思い、母親は息子の指差す先を見上げる。
カラスもお家に帰ってご飯かな。そんな風に応えてあげようと笑顔を浮かべた瞬間、その笑顔は恐怖に歪められた。
カラス。そう呼ぶにはあまりに大きい影が、赤く変わりはじめた空を覆っていく。
この時点で縮尺がおかしいことに気付いた者が何人いただろうか。影は黒塗りの翼をはためかせると、散り散りに地上へと降下を始めた。
黒いカラスを模る巨大人型兵器──ジェノサイドダークロウズは、大きく弧を描く刃翼を大鎌に組み替えると、落下の勢いをそのままに六階建てのマンションを袈裟掛けに切り倒した。
続く無数のジェノサイドダークロウズがスーパーの屋根を踏み潰し、駐車場の車を蹴散らして着地していく。
平和な日常風景は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
誰が想像しただろうか。ただ一方的に蹂躙され、日常が失われていく明日を。
「助けて……」
逃げ遅れた子供が、祈るように空を仰ぐ。それも一人や二人じゃない。子供だけでもない。抗うことのできない圧倒的な力に、人は人ならざる者の救済を求め続ける。
「かみさま……」
空を指差していた子供が見上げた空は、ジェノサイドダークロウズの黒い影が覆っている。赤い夕焼けも、母親が作ってくれるはずだった夕ご飯も、黒い世界に塗り潰されていく。
子供を見下ろすジェノサイドダークロウズの双眸が毒々しい赤に輝き、手にした大鎌を振り上げる。
死んでしまう。その意味もわからぬまま、子供はきつく目を閉じる。
だが、妙なことにその凶刃が振り下ろされることはなく、子供はおそるおそる目を開けてみた。
すべてのジェノサイドダークロウズが一斉に同じ方を振り返り、その動きを止めている。子供がすべての視線の先に目をやろうとした瞬間、街を一迅の風が駆け抜けた。
暖かな、力強い風。それはジェノサイドダークロウズの間を通り抜けながら、次々に頭部や腕を破壊していく。
「よく思い付いたものだ。こんな戦い方は陽平でも思い付かなかっただろう」
「あんまり褒められても嬉しくないんだけどね。でも、少しでも効率のいい戦い方をしないと、私たちだけじゃこの数をどうにかなんてできないから」
街を駆け抜ける風──バスタークロスフウガは、左手に光海の弓を水平に構え、水上スキーのように地面を滑りながら高速移動を繰り返す。
弓には刃翼が盾のように配置され、《透牙》によって地面との摩擦を減らした状態で、バスタークロスフウガの背面ブースターで推進力を得る。この防御と高機動を実現した戦闘スタイルは、光海が考案したものだ。
駆け抜けながらクロスフウガの《シュートブラスター》や《クロスショット》といった飛び道具で攻撃を加えてすぐに離脱する。これにより集団に囲まれることなく射撃ができるばかりか、移動し続けることで敵の目を自分に集めることができる。市街地戦闘にも関わらず飛行しないなは、上からの射撃を外した際の配慮でもある。
妙にクリアになる思考に、光海は精一杯"守る戦い"を意識する。
「とにかく、一体でも多く、一秒でも早く無力化しないと!」
敵機の間を滑り抜けて、背後から《シュートブラスター》で頭を撃ち抜いていく。
「動き続けてっ!」
「応ッ!」
先ほどまでバスタークロスフウガのいた場所を、ジェノサイドダークロウズの《ガトリングブラスター》が蜂の巣に変えていく。
やはり集団に対して単発式の銃では分が悪い。対して相手には手数があり、連射式の銃器を備えている。こちらが勝るには、敵の間を通り抜けることで相打ちを狙い、尚且つこちらは一発も外すことなく確実に数を減らす以外にない。
無数の銃撃に追われ、地面からビルの壁面へ、ビルの壁面から再び地面へと高速移動を繰り返す。バスタークロスフウガの背後に銃弾の道が刻まれ、光海は逸る鼓動に息を呑む。
距離を置いて膝を立て、弓と《裂岩》の"盾"を構えたまま後ろ向きにブレーキをかける。
足を止めたバスタークロスフウガにジェノサイドダークロウズの集中砲火が浴びせられ、幾度となく盾が揺さぶられる。
いかに《裂岩》を巫力で強化した盾でも耐久力には限界がある。このまま受けつづければ、遠からず盾は砕かれ、豪雨のような銃弾はバスタークロスフウガを襲うだろう。
「もう少し……」
光海の言葉を信じて、バスタークロスフウガは攻撃を耐えつづける。
徐々に戦力を集中させていくジェノサイドダークロウズに比例して、銃撃の嵐は酷さを増していく。
「もう少し……」
盾を逸れた銃弾が肩を掠めた。滲むような痛みを堪えて、光海は一息で硝子のような弦を引いた。
弦の動きに連動して、盾を形成していたすべての《裂岩》が、その切っ先を敵集団に向ける。
「そうやって集まるのを待ってたわ。秘射っ《裂刃針葉樹【れっぱしんようじゅ】》!」
弓から一斉に放たれた刃翼が、次々にジェノサイドダークロウズを撃ち抜いていく。
さながら炎の垣根のように一斉に爆ぜた敵機から目を反らし、光海は小さく溜め息をついた。
だが、光海の予想よりも早く降り注いだ段幕に、バスタークロスフウガの身体が何度も揺さぶられる。
奇襲で倒せるだけ倒したつもりだったが、やはりそれでは足りなかった。空にジェノサイドダークロウズが再集結するまで数秒とかからなかった。
「簡易生産型とはいえ、奴らの性能は我々忍巨兵と遜色ない。それがこれだけの数を集めれば、勝ち目は薄い」
「だからって、ここで逃げるなんて言ったら、私怒るからね」
「……覚えておこう」
その場を飛び退いて銃弾の嵐をかい潜る。背中のバスターアーチェリーから極太のビームを発射して僅かな段幕を張ると、一際背の高いビルの背に身を隠した。
しかしこんなものが一時凌ぎにもならないことはわかっている。僅かな時間で息を整えようと深呼吸するが、やはり連戦が効いているのか巫力が回復するのが遅い。
「次は、どこから来るの」
背にしたビルの左右はもちろん、頭上にも足元にも気を配る。
こんなときの沈黙があまり良い前触れであった試しがない。必ずこちらの意表をついてくるはず。
張り詰めた緊張を保ちつづけるのは、体力も精神力も大きく消耗させられる。
早く終わって。緊張から解放されて、何の気兼ねもなく優しさにたゆたっていたい。このときばかりは、さしもの光海も、そう願わずにはいられなかった。
耳鳴りが聞こえる。静かになると、耳の奥で聞こえるあの音だ。
「光海、この音は……」
「え? クロスフウガにも聞こえてるってことは、耳鳴りじゃ、ない」
慌てて背中のブースターを噴射させて前のめりに転がると、数瞬遅れて背にしていたビルがズルズルと斜めにズレ落ちていく。
「ビルごと、切ったの?」
「そうらしい!」
間一髪凶刃から逃れたバスタークロスフウガに、今度は三日月型の刃翼が襲い掛かる。それも一つや二つじゃない。カラスは集団で獲物に襲い掛かる際、その黒い羽根を辺りに散らすというが、この光景は嫌でも自分が餌であることを意識づけられる。
少しでも気を抜けば、全身をばらばらにされてしまいそうな刃の圧力に、光海は震えを止めることができなかった。
「なんとか、距離を置いて戦わないと!」
いくら接射にも長けているとはいっても、所詮は射撃武器。こと近接戦闘においてはどうしても動作分で刃物に劣る。
徐々になくなる逃げ場に、光海の動きも緩慢になっていく。
「巫力が、もたない!」
防戦一方になると、もう覆すことはできなかった。
足が絡まり、息が上がる。肺が新鮮な空気を求めているのに、息継ぎがまるで間に合っていない。
やはり自分だけでは、この戦力差を埋めるのは無理だったのだろうか。
「それでも! 私はっ──」
「くッ! かわしきれないッ!」
刃翼を射出して撃ち落としにかかるが、それにも限界はある。
逃げ場を探してさ迷う視界を、黒塗りの鎌が遮っていく。
「サーペントケージっ!」
三日月型の刃翼と、バスタークロスフウガの間を引き裂くように走る青い帯が、幾重にも折り重なる檻を編み上げていく。
光海たちを守るように広がる、変幻自在な水の刃による多角防御。確認するまでもなく、それが誰の手によるものかはわかる。
光海は目頭が熱くなるのを堪えることができなかった。
「複製とはいえ、贋物相手にこれでは、最強の名が泣くぞ獣王」
「守り通せないのなら光海を乗せるな。お前の代わりに俺が光海を守る」
水の双剣を手に舞い降りた海王之騎士レイガは、ジェノサイドダークロウズを足場に着地すると、そのまま地上にたたき付ける形で頭を踏み潰した。
「海王かッ!」
「お兄ちゃんっ! やっぱり来てくれた!」
目尻に浮かぶ涙を拭い、光海は笑顔で義兄を迎える。
「後退しろ、光海!」
「しないよ! 私も一緒に──」
「前衛は任せろと言っている」
そう言って飛び出すレイガは、左右に構えた双剣を巧みに操り、ジェノサイドダークロウズの群れを貫き、切り伏せる。その背後に迫る敵機を弓で狙撃するのは、光海の駆るバスタークロスフウガだ。
なるほど。中距離多角攻撃が可能なレイガを前衛に、バスタークロスフウガが撃ち漏らしを狙撃する。確かにこれならば死角を減らし、尚且つ安定した戦闘を行える。
一見ただの基本戦術に見える布陣も、レイガと光洋が前衛に徹してくれるからこそ可能になる。それはすなわち、光洋が風雅忍軍の巫女という光海の立ち位置を認めてくれたからにほかならない。
戦闘にも光洋の変化が伺える。味方に背中を預け、極力周囲に被害が広がらない戦闘方法。瓦礫も敵機の残骸も、すべて地上に落ちる前に水の双剣が切り崩していく。
「ここに来る前に、海から水と巫力をかき集めたのは正解だったな。いつものままなら巫力切れで打つ手がなくなっていたところだ」
「まったくだ。それにしても鬱陶しいカラスめ。いったいどこから沸いてくる!」
「軍人、オレに頼るなよ。広域探査の術は苦手でな」
「光海とその忍巨兵はどうだ」
「オレたちよりは可能性も信頼性もある。任せるべきだろうな」
振り下ろされた大鎌の柄を左の剣で払い上げ、空いた胴を右の剣で両断する。
迷いのない剣閃が、群がる黒鳥を切り払っていく。
光洋は剣術と呼べるほどの技術を習得しているわけではない。しかし、それでも美しいとさえ感じるレイガの剣舞は、きっと光洋の一途な想いの象徴なのだろう。
「無限に湧くとは思いたくはないが。……光海!」
未だ数を減らすことのない敵影を近場から順に狙撃して、バスタークロスフウガは一跳びでレイガに合流する。
「お兄ちゃん!」
「光海、奴らの発生地点を探せ。このままでは、いずれ数に押し切られる。そうなれば俺たちはもちろん、逃げ遅れた者たちは残らず殺される」
「探すって言われても……」
ぐるりと周囲を見回すが、それらしいものは見当たらない。
以前、孔雀と二人で戦った際、彼女がなんらかの方法で敵の発生地点を探し出したことがあったが、あのときも光海は、孔雀の見つけた場所を狙撃しただけにすぎない。光海一人ではできない。力不足なのだ。
「わからないよ。私、どうしたらいいのか」
「光海、キミの知覚能力は巫女の中でも飛び抜けている。自分の感覚を信じるんだ」
「クロスフウガ……」
「姫、海王を探し出したときの応用です。広域に知覚結界を張り巡らせて、そこにある物ではなく、違和感を感じ取るのです」
「コウガ……。自信はないけど。うん、やってみる」
「ならば援護は任せてもらおう。何人たりとも光海に近づけはしない」
マリンブルーに輝く双剣を構えて、レイガはバスタークロスフウガを庇うように半歩前に出る。
信じてる──呟く光海は、できるだけ感覚を広げるために口を閉ざして目を瞑り、耳を澄ませる。
光海を中心に、水面に広がる波紋のように巫力を放出することで、周囲のありとあらゆる植物に繋がりを作っていく。
巫力で繋がることで、植物たちは光海の目となり耳となる。こうして拡大化された感覚は、どんな些細なことでも光海に届けられることになる。
必ず見つけてみせる。
莫大な巫力を運用することで、範囲と精度を上げる。当たり前なようだが、これだけのことで光海の疲労はピークに達していた。
額を玉のような汗が濡らし、絶え間無く入り込む情報が頭痛のような痛みを訴える。
すでに半径数キロ圏内をくまなく探しているにも関わらず、一向にそれらしい違和感を見つけることができない。
次第に焦りと疲労が、光海の精神を蝕んでいく。
もっと遠く。海だって、空だって例外じゃない。
すでに肉体も精神も悲鳴をあげている。だけどこれは光海にしかできないことで、光海がやらねば無関係な人達までもが死んでしまう。
ヨーヘーは絶対に、そんなこと許さない──胸に広がる少年の眼差しに、光海は自分でも気づかない内に頷いていた。
レイガが、光洋が守ってくれている。そんな彼らの気持ちに報いるためにも、ここで諦めるなんてあってはならないことだから。
意を決して、光海の巫力が再び周囲に放たれる。
そんな彼女の髪は、巫力を帯びた輝きか、微かにオフシルバーに煌めいていた。
光海が瞑想状態に入ると同時に、レイガは市街地という戦場を疾駆していた。
マリンブルーに輝く左右の刀身が閃き、黒翼の御使いを一太刀で切り捨てる。
「三時上方。七時っ!」
光洋の指示に、レイガは剣を鞭状に変化させて自らの周囲を取り囲み、襲い来る敵機を両断する。
背中のスクリューから青いフレアーを放って上空に飛び上がり、左右の剣をまったく違うモーションで振り抜いていく。
レイガの通り抜けた後を追いかけるように爆発の連鎖が起き、赤い閃光を背にビルの屋上に着地する。
「六時っ!」
振り向き様に双剣を一閃。くの字に折れて腰を分断されたジェノサイドダークロウズを蹴り上げて、可能な限り上空で爆発させる。
「いくらか巫力を溜め込んできたとはいえ、こうも動き続けではな」
レイガの苦言ももっともだが、光洋の口をついて出るのは優しい言葉とは掛け離れた手厳しい意見だった。
「泣き言を聞く気はない。兵器なら兵器らしく、戦う理由を守り抜いてみせろ、忍巨兵」
「……了解だ、軍人」
「戦い切れば、最高の労いをかけてやるぞ」
「期待するとしよう」
レイガには目もくれずにバスタークロスフウガを目指す敵機の背中に三叉戟を投げつけ、ビルの屋上から敵機目掛けて空を疾駆する。
「俺を差し置いて光海に手を出すなど、許すと思っているのか!」
バスタークロスフウガを狙う複数の銃口の前に立ち塞がり、一斉に火を噴く《ガトリングブラスター》を鞭状に変化させた双剣の乱舞で一発残らず遮る。
切り裂き、弾いた銃弾が足元に弾痕の水玉を描いていく。
「《スプレッドニードル》っ!」
両腰のサイドバインダーから発射される水の針が、銃撃の間を縫って上空の敵機を順に撃墜する。
双剣を胸の前で一つにすると、大きく刀身を伸ばした大剣を右肩に担ぐ。
「ハアアアアアアアッ!」
勢いに任せて大剣を薙ぎ払い、ジェノサイドダークロウズの群れを一息で両断した。
爆炎のカーテンが空にかかり、黒煙が暗幕のように夕焼けの明かりを遮っていく。
これで再び敵が集結するまでは、住民を避難させる時間が稼げたはずだ。
「忍巨兵。救助活動を開始する。周囲にいる人間の数を割り出せ」
「了解だ」
できるだけ気を遣って戦ったつもりが、やはりこれだけ大規模の戦闘で、一切被害を出さないというのは不可能だ。
今にも崩れ落ちそうな建物も、決して少なくはない。
「……二十人だ」
「それは生きている者を限定して、か?」
「肯定だ。もっとも戦闘の被害が大きい範囲での数字だからな。街全体となると話は変わってくる」
「待避を促しつつ、逃げ遅れた市民の救助。あまりぐずぐずしていられないな」
そう言うと、レイガを手近な生体反応に近づけて、今にも崩れ落ちそうな瓦礫を先に取り除く。反応通り、そのすぐ下には数名の人間が這うようにうずくまっていた。
「立って走れるか」
何を聞かれたのかわからなかったのか、誰も光洋の問い掛けには答えない。
「怪我をした者はいるのか。ここはまだ危険だ。動けるのなら、今のうちに逃げるんだ」
「あ、足をくじいてしまって……」
「こっちの人は、頭を打ったみたいです」
確かに、見たところすぐに走り出せそうな者は少ない。
「仕方あるまい。多少揺れるのは我慢してもらうぞ」
「あの駅の辺りに連れていけば大丈夫だろう。急ぐぞ、忍巨兵」
「了解だ、軍人」
返事も待たずに足元の人達を掌に乗せる。何度かに跳躍を分けて目的の駅前に到着すると、掌の人達をそっと道端に下ろしていく。
「やれやれ。他のやつらがいないのは、こういうときに不便だな」
「十も二十もいるくせに、お前達忍巨兵はつくづく集団行動が苦手と見えるな」
「クセの強い者が多くてな」
自分を含めてということだろう。苦笑するレイガにつられるように光洋も苦笑した。
「光海は、まだ見つけられんらしいな。ならば俺達が動くしかあるまい」
そう言っている間にも、レイガは次の救助先へと降り立ち瓦礫を押し退ける。やはりというか、そこには逃げ遅れた人達がいた。
「急げよ忍巨兵。奴らはすぐに集まってくるぞ」
「わかっている。……一度に運べれば楽なものを」
「泣き言など聞かん。来たぞ!」
「わかっていると言っているッ!」
東の空にかかる暗雲が、敵機の圧倒的な数を如実に語っている。暗雲を形作る一点一点が、量産されたジェノサイドダークロウズの機影なのだ。
「もはやカラスというよりも羽虫かゴキブリの類だな」
「ならば害虫駆除にかかる以外にあるまいッ!」
足元の人達を走るよう急かし、レイガは地上からビルへ。ビルからまたビルへと跳躍を繰り返して東の空を目指す。
光海も敵が集まって来た方向に意識を集中させている様子。だが肝心の発生地点が割り出せないでいるのか、表情は芳しくないままだ。
「とにかく少しでも時間を稼ぐ。一体でも多く、一秒でも早く破壊しろ!」
「了解だ、軍人!」
双剣を翻し、レイガは再び空を目掛けて疾駆する。
陽光を反射した水の刀身が、振り回される度に赤い軌跡を描く。
俺は、ずっと誰かのために戦っていた──
愛されることを望み、愛してくれる人を求め、ただその人を守るために戦っていたつもりだった。そのためには何だってやったし、何だって利用した。自分以外の何者も信用せず、ただ自らを高めることだけに時間を費やした。
だけど、長い時間を経て彼女の元に戻ったときには、俺を愛してくれる人は、別の誰かを見ていた──
愛されていたのか、それとも愛していたのか、そのときからわからなくなった。ただ、自分の愛を否定されたような気がして、愛を憎しみにすり替えていた。愛されないのなら愛させればいい。だけど、その行為は愛を遠ざける。そんな歪んだジレンマを抱えていた。
だが、目が覚めた──
絶え間なく双剣を振り続け、群がるカラスを切り払っていく。
黒い刃翼から羽を散らして落下していく様は、本物のカラスのよう。前後左右上下全てを埋め尽くす敵機を、鞭のように変化した双剣がホーミング弾のように追いかけ連続して貫いていく。
「はぁ、はぁ、はぁ──」
「さすがに巫力がもたないか。せめて海に出られれば違うものを」
「この脱力感が『巫力を消耗する』ということか。なるほどな。これは本格的に、俺も忍者とやらを師事せねばならんな」
「……フッ」
「なんだ。何を笑っている、忍巨兵」
「いや。お前に冗談が言えるとは思っていなかっただけだ」
レイガの言葉で、ようやく自分が笑っていることに気がついた。
自分で思った以上に、気持ちに余裕があるらしい。体力は今にも底を尽きそうだというのに不思議なものだ。
「そうか。俺は……無理をしていた、のか」
「かもしれないな」
「忍巨兵。今なら光海は、俺を選ぶと思うか?」
「さぁな。……待て。近くに生命反応がある。小さい……子供か」
「逃げ損ねたか。この戦場、子供では畏縮して動けないだろうことは、少し考えればわかったはずがっ……」
予測の甘さに舌打ちしつつ、光洋は要救助者のもとへレイガを移動させる。
どうやらビルに取り残されたらしい。反応があるのはビルの三階。普通なら救助隊の助けを待つしかないが、忍巨兵という大きな体を持っている今なら手を差し伸べるだけで届く。
「どこだ。どこにいる忍巨兵」
「窓際の隅だ。小さな子供が二人、寄り添うように蹲っている」
「俺を降ろせ。直接迎えにいく」
レイガの答えも待たずに飛び出して、窓際に触れるレイガの腕を伝って窓を枠から外してしまう。この方が破片による怪我もなく、要救助者を現状のまま救出することができる。
部屋に飛び込み、レイガに言われた辺りを振り返る。
そこにいたのはまだ小学生くらいの子供たちだった。
鋏を手に光洋を睨み付ける少年と、その少年に守られるように隠れる少女は、遮光カーテンに隠れるように座り込んでいた。
「大丈夫か。助けに来るのが遅れてすまなかった」
そう言って保護しようと近づく光洋に、少年はあろうことか鋏を勢いよく振り回した。
「来るな! ボクが守るんだ。妹は、ぜったいにボクが守るんだ!」
壁に寄りかかるように立ち上がり、少年は震える手で鋏を突き出してくる。目は、決しておびえてはいなかった。
「警戒することはない。俺は軍の──」
「軍は悪いやつらと仲良くしてるんだ。そんな軍なんか信用できないってお母さんも言ってた。ぼくだってだまされるもんか!」
確かに今の軍に信用はない。地に落ちたと言ってもいいだろう。提供される目先の技術に目が眩み、あのガーナ・オーダと手を組んだ今の軍に、この少年のような子供を信じさせるだけの正義はない。
それどころか、今目の前に立ちはだかるこの少年の姿にこそ、正義を見ることができる。妹を守り、自分よりも強い相手であろうと臆することなく向かい合う勇気。それは光洋にできた胸の隙間に、すっぽりと収まっていく。
この姿こそが、自分が長年追いつづけた姿なのだ。こんな幼い少年にすらできる姿を、この歳になるまで見落としていたと思うと、なんだか無性に悲しくなる。
「軍は信じないか。なら、勇者はどうだ」
「ゆうしゃ?」
問い返す少年の表情に変化が現れた。
「そうだ。君の言う悪いやつらを追いかけて、宇宙の果てから現れた正義のロボットたちだ」
正義なんて言葉が彼らに似つかわしいかはわからないが、少なくとも少年の気を引くことはできたようだ。
「俺は軍人だが、実はその勇者とは友達でな。だからわかるんだ。彼らは君たちを傷つけない。彼らは君たちを守ってくれると」
言葉を信じることに躊躇いがあるのか、なかなか少年は首を縦に振ってくれそうもない。
「忍巨兵、顔を見せて安心させてやれ」
「わかった。だが安心という点では、軍人、お前の表情の方が子供たちは不安になるぞ」
そんなに険しい表情をしていたかと、自らの左頬に触れる。あまり笑顔を意識したことがなかったのが災いしたか。
「俺のことはいい。とにかくこの子たちを安心させてやってくれ」
言われたままに腰を落として部屋を覗き込むレイガに、子供たちは感嘆の声を漏らした。無理もない。この子たちにしてみれば、忍巨兵の顔もイースター島のモアイ像も大して変わらないのだろう。「でっけー顔」と評されたレイガも、やはり同じようなことを考えたのか、苦笑を浮かべていた。
「どうだろう。俺を信じなくてもいい。代わりにこの勇者を信じてやってくれないか」
「勇者を、信じる……」
光洋とレイガの間を行き来する少年の視線に、少女もつられて視線を行き来させている。
頬を綻ばせたのは少女が先だった。
「おにいちゃん。わたし、こわくないよ」
「ぼ、ぼくだって怖くなんかないよ。ぼくは兄ちゃんだからな」
多少は無理をしているのだろう。妹に強がってみせる少年は、光洋の目には見た目以上に幼く映っていた。
そんな子供たちに、安堵からか笑みがこぼれる。
「信じて、くれるか」
「信じるよ。だから妹を助けてよ」
「わたしも。おにいちゃんをたすけて」
鋏を手放した少年と、クマのぬいぐるみを抱える少女の頭をがしがしと撫でると、光洋は「わかった」と強く頷いた。
「忍巨兵。二人を回収して先に逃がした者たちに合流する。間違っても握り潰すなよ」
「心配するな。これでもお前よりは器用なつもりだ」
子供たちが乗り込みやすいように窓の縁を壊し、掌の高さを床に合わせてやる。光洋は危なっかしい足どりで巨大な掌に乗り移る子供たちを後ろから見守ると、他に要救助者がいないかを目視で確認した。
「よし。離脱する」
ゆっくりと離れていく掌に飛び移り、額の水晶からレイガの中に入り込む。
神経の一部が広がるような感覚を確認すると、両の掌で子供たちを包み込み、先に逃げた者たちが集まる駅に向かって大きく跳躍した。
できるだけ衝撃を与えないように跳躍を繰り返し、駅の手前にそっと着地する。膝をついて掌を解放すると、子供たちは僅かに遅れていそいそと降りていった。
「あ、そうだ」
駅に入る寸前で足を止めた少年が、忘れていたとばかりに慌てて振り返る。
「どうした。この先にいけば先に逃げた連中に合流できる。なにも迷うことはない」
「そうじゃないよ。軍人の兄ちゃんに、言っておきたいことがあって」
「俺に? いったいなんだ」
「さっきはひどいこと言ってごめんなさい。ぼく、軍人さんもちゃんと信じるから。だから……ぼくたちの世界を守って」
「ゆうしゃのぐんじんさん。おねがいします」
ふらふらと頭を下げる子供たちに、光洋は上手く答えてやることができずにいた。
子供らしい屈託ない笑顔を見せて駅内へ駆けていく二人を見送り、光洋は感慨深げにため息を漏らす。
「勇者……軍人か。お世辞にも語呂がいいとは言えないな」
「あまり深く考えるな。子供の言ったことだ」
「軍人の仕事は、あれを守ることだ」
あれ、とは先ほどの笑顔を指したつもりだ。
「決して、力で抑えつけ、力の許す限り破壊を行うことではない」
守ってほしい。光洋がそう言われたのはこれで二度目になる。
一度目はもちろん光海だ。その言葉を胸に、光洋は強くなった。なろうと思った。
思えば、あれは光洋にとっての人生最初の転機だったのかもしれない。
「これは、俺にとっての新たな転機なのか」
「憑き物が落ちたような顔をしているぞ、軍人」
「ああ。ひょっとすると俺は、たった今生まれ変わったのかもしれないな」
昔の自分と重なる少年に気づかされた、古い約束の形。それは決して、光洋が欲し続けたようなものではなかった。
「俺が欲しかった家族は、俺を愛してくれるだけではなかった。俺が、身を呈しても守りたいと思った家族だったんだな」
走り去っていく子供たちの背中に、不思議と胸の支えが取れたような気持ちになる。
「さぁ、俺の家族を守りにいくぞ。忍巨兵」
「了解だ。軍人」
声を張り上げ、気持ち新たに立ち上がる。
しかし、不意に背中を叩かれたように感じた光洋は、次いで襲い掛かる息が詰まるような感覚に、思わず胸元を押さえつける。
だが、手に触れたのは胸の中心から生える固く鋭い"何か"。定まらない視線をゆっくりと下げていくと、そこには大きく弧を描いた黒光りする刃が見えた。
遅れて二回、背中を叩かれた。
胸から生えた刃が、全部で三本になった。
途端に胸の奥が燃えるような熱さを覚え、むせ返ると同時に大量の鮮血を吐き出した。
「な、ん……だと」
ゆらゆらと未だ視点の定まらない瞳で振り返れば、そこに見えたのは夕焼けの空に浮かぶ無数の黒翼たち。
だが、今の今まで気配も何も感じなかった。それこそ、これだけの数が集まっていたのなら気づけなかったはずがない。
「改良された隠行……か」
だが、今更それに気づいたところで、もう相手は本丸にまで攻め込んでいる。遅すぎたのだ。
とにかく距離を置こうと動きを見せるレイガに、光洋は頑なに頭を横に振り続ける。
「ここを、守ると言ったぞ」
咳き込むたびに口内に溢れる血が、既に致死レベルの負傷であることを突きつけてくる。だが、それだけでは退けない理由ができたのだ。自らが助かるために、ここで戦場に背を向けることはできない。
俺は、軍人だ──
ほとんど血の味しかしない唇を噛み締める。
これほど傷ついてなお芽生える強い意志に、ようやく焦点が定まったかと思った矢先、レイガに嵐のような凶弾が襲い掛かった。
突然鳴り響いたのは豪雨が窓ガラスや地面を叩くような忙しない音。実際に聞こえる音はもっと派手だが、概ねそんなところだ。
徐々に覚醒していく意識に、光海は小さなうめき声を漏らした。
どうやら巫力の大量消耗による過労で倒れていたらしく、光海は気だるさを残した体をゆっくりと起こすと、辛うじて合体を維持しているバスタークロスフウガに呼び掛ける。
「クロスフウガ、コウガ、二人とも大丈夫?」
膝をついた姿勢のまま意識を失っていたバスタークロスフウガも、光海の声に頭を振って混濁する意識を回復させる。
いったいどのくらい気絶していたのだろうか。ジェノサイドダークロウズの大群は、光洋とレイガはどうなったのだろうか。
「姫、お体は……」
「私は大丈夫だよ。それよりもお兄ちゃんたちは?」
まだ疲労状態から回復しきっていないのか、巫力による感覚強化がまるで追いついていない。仕方なく肉眼で周囲の様子を伺うが、近くにレイガの姿は見当たらない。
立ち上がり、周囲に背の高い建物が少ない場所まで歩みを進めると、バスタークロスフウガは先ほどからずっと聞こえている音に耳を傾けた。
距離的にはそれほど遠くで鳴っているわけではなく、かといってすぐ近くというわけでもない。少なくとも同じ街中だろうということくらいはわかる。
「この音、戦闘の音なのか」
それにしては永続的に同じ音が鳴っている。戦闘ならば、もっと不規則でいろいろな音が入り混じっているはずだ。そういう意味では、これは戦闘というよりも射撃訓練の音に聞こえる。
歩みを進める度に少しずつ音に近づいていく。周囲を警戒しつつ建物の陰から様子を伺い、三人は一斉に言葉を詰まらせた。
これは悪夢の続きなのだろうか。まだ自分たちは意識を失ったままなのだろうか。これが夢なら覚めて欲しい。
駅を守るように膝をつくレイガが、周りを囲むジェノサイドダークロウズの連射式ビーム砲《ガトリングブラスター》の銃弾に曝されている。成す術なくただ破壊され、かろうじてレイガであったことを認識させる胸部の鮫も、銛で滅多刺しにされたかのような穴だらけの姿に変わり果てている。
そんな現実味のない光景は、光海に深い恐怖を与えるには十分すぎた。
絶え間なく撃ち込まれる銃弾がレイガの装甲を削り、膝を撃ち抜き腕をもぎ取る。レイガの右目は既に失われており、だらりとぶら下がるだけの肩からは向きだしになった配線だけがだらしなく垂れ下がっている。
だが、そこまでされて尚、レイガは倒れなかった。不屈の闘志故か、決して退くことなくそこに鎮座するレイガは、無防備のまま自分が破壊されるのを待っているかのようにも見える。
「おにい、ちゃん?」
視線が定まらず、やけに喉が渇く。言葉を口にしようにも、なぜか声を出すことができなかった。
「おにいちゃん……」
一呼吸置いて、もう一度声を絞り出す。
もう、震えを止めることはできなかった。
「いやああああああっ!! お兄ちゃんっ!! お兄ちゃああああああんっ!!」
悲鳴をあげて飛び出した光海に、ジェノサイドダークロウズは素早く振り返って《ガトリングブラスター》を撃ち散らす。
身構えもせず、何の考えもなしに飛び込んだ光海にそれを避ける術はなく、全身で銃弾を浴びて不恰好に転倒させられる。
不意に光洋の声が聞こえたような気がして起き上がるが、依然レイガの破壊は続いている。
「やめてっ!! お兄ちゃんを殺さないでっ!! 殺さないでぇっ!!」
刃翼による追い撃ちを、背中のスラスターを全開にして無理矢理回避する。そのまま苦し紛れに空へと逃れるが、対空砲火の段幕にバスタークロスフウガは再び地上へと落下していく。建物を倒壊させ、路肩に停まった車を薙ぎ払い、光海は全身を襲う衝撃に悲鳴をあげた。
「きゃああああああっ!!」
「おのれッ! 獣王、反撃を!」
「巫力が足りない今、光海が冷静さを欠いたままでは無謀すぎるッ!」
打つ手なし。そんな絶望に手をこまねいていれば、無情にもジェノサイドダークロウズの攻撃がレイガに襲い掛かる。砂煙が上がり、やはり全身を叩く衝撃に光洋とレイガが微かに苦悶の声を漏らす。
「クロスフウガっ! コウガっ! 私のことはいいからお兄ちゃんを助けてっ!!」
「姫……。おのれッ!!」
「どうする。我々だけでこの状況を立て直すのは難しい。誰かが気づいてさえくれれば──」
「獣王ッ! どうすればいいのですか!」
「……ワタシにも、わからないッ! だが、このままでは我々も共倒れだ。……決断しなければならない」
決断する。それは今の光海にとって、絶望にも等しい言葉だ。
自分が助かるために光洋とレイガを切り捨てるか、二人を惜しんで全滅するか。
「どうして……」
知らずの内に泣いていたことに、光海は頬を零れ落ちる冷たい感触で気がついた。
「どうして私には力がないの」
まったく力がなかったわけではない。光海にもそれなりの力があった。守りたいものを守り、大好きな人においていかれないための力が。
「足りない。ぜんっぜん、足りないのよっ! 私にもっと力があれば。ヨーヘーみたいな力があれば──」
まったく届かないわけではない。届くかもしれない。でも、届かない。この微妙な位置関係こそが、光海に今の葛藤を味わわせているのだ。
ジェノサイドダークロウズの攻撃が全身を叩く衝撃に揺さ振られながら、光洋とレイガの苦悶の声を聞き続ける。それはもう、拷問以外のなにものでもなかった。
「やめて……」
掌に触れる建物の破片を握り潰し、光海は声を震わせる。
「やめてよ」
涙を散らし、泣きじゃくる子供のように俯いたまま立ち上がる。
「お兄ちゃんが死んじゃう……」
光海の肩に燐光が点る。いや、それは肩ではなく光海の髪が放つ光だ。オフシルバーに輝く髪が、風もないのにゆらゆらと広がり、流れていく。
「誰でもいいっ!! 私にもっと力をくださいっ!! お兄ちゃんを、家族を守れる力を私にくださいっ!!」
その瞬間、恐怖と怒り、愚直なほどにまっすぐな感情が、光海の中の何かを爆発させた。
それはいつか見せた《邪滅の矢》の光を彷彿とさせる輝き。鮮烈な銀の輝きは光海の中に眠っていた異界の力を呼び覚ます。
「ああああああああああああああああっ!!」
内から身を弾き飛ばさんばかりの力の脈動に、光海は髪を振り乱して身をよじる。
だが光海の中には、そこには確かな力が存在した。きっかけは確かにあったのだ。
忍邪兵と化した賢王トウガに囚われたとき、巫力とは異質な力が光海を守り、その動きを苛んだ。《邪滅の矢》を放ったとき、光海は誰かの声を聞いたような気がした。
それら不可解なまま放置されていた問題の説明がようやくついた。
左手に握り締めた《森王之祝弓》が、髪の燐光に触れて三度形を変えていく。植物の模様と見たことのない紋章に装飾された銀の弓は、光海の中にあった秘密の箱を解き放ち、真の力を呼び起こす。
髪が黒から銀に変わり、耳もやや尖った特徴的なものに変わる。光が流れ、衣装も若草色を基調とした戦装束に変化する。銀の胸当てと、弓と同じ紋章の額当てを身につけ、巫力とは違う別の力が光海の内から解き放たれた。
「こ、これは……!」
「姫の身に、いったいなにが!」
弓から伝わる莫大且つ突拍子もない情報に驚きながらも、光海は深呼吸を繰り返して必要な情報だけを抜きとっていく。
「あなたは、いったい……」
《剣の神器》──
「それはなに」
この世界で《炎鬣之獣牙》と呼ばれる存在と同義──
「私を包む力の正体は」
こことは違う世界で《魔力》と呼ばれるもの──
「何ができるの」
望むことを──
これは《剣の神器》の声なのだろうか。頭に直接語りかけるような声に頷くと、光海はバスタークロスフウガを飛翔させた。
開かれた瞳が金色の輝きを携え、光海は溢れ出す力を余すことなく解放する。
「本当に私の望むことができるなら、応えてっ!」
バスタークロスフウガの足元に光り輝く紋様──《魔方陣》が浮かび上がると、魔方陣を通して破壊されたはずの忍獣センキを召喚する。
「武装巨兵っ!」
巫力が足りない分を魔力で補い、バスタークロスフウガにセンキのパーツを装着していく。
《バスターアーチェリー》を主砲に、各種ミサイルポッドを装備した重武装忍巨兵は魔方陣を足場に着地すると、踵の部分を展開して攻撃の反動に備えたフットロックをかける。
「「森王式樹神合体ッ、パンツァークロスフウガァァァッ!!」」
「──魔力バレル展開!」
《剣の神器》──聖弓となった弓を構えて魔力の矢を番える。
パンツァークロスフウガの周囲にひとつ、またひとつと魔方陣が浮かび上がり、それらに連動して全身の火器に魔力の光が点る。
巫力とは異質な力の流れに困惑するクロスフウガたちに、光海は大丈夫だからと頷いて見せる。
実際、巫力とは使い方も違えば本質も違う。なぜ、何の予備知識もなく使えるのかはわからないが、自らを《剣の神器》と語る聖弓は、光海に今までにない弓との一体感と、絶対の自信を与えてくれる。そう。まるで自分が絶対の信頼を寄せる陽平にでもなったような錯覚に囚われる。
ただ事でないことは意思らしい意思を持たないジェノサイドダークロウズたちにもわかったのだろう。既に虫の息なレイガを捨て置き、この場に残るすべての悪意が光海に向けられる。
甘い蜜に寄せられる虫の如く集まるジェノサイドダークロウズに、光海は足元に展開した魔方陣から周囲の情報を取得する。
もはやどの方角、角度、距離から攻撃しようと光海にはお見通しだ。
引き付けられるだけの敵を引き付けて、光海は躊躇なく脳裏に浮かぶ魔力のトリガーを引き絞る。
「《木精霊召喚【ドリアゲートス】》……千条の枝! 《千貫【ちぬき】》っ!!」
植物の種が弾けるようにパンツァークロスフウガから放たれた無数の光弾が、あらゆる角度から襲い掛かる敵を撃ち抜いていく。それはさながら、夜空に咲く美しい花火のように広がっていく。続けて、光弾は背を見せて逃げ出すジェノサイドダークロウズを追尾すると、翼を砕き、胸を撃ち抜いてその機体を残らず撃ち落としていく。
光弾の描く軌跡は、遠目に見れば"剣山"に活けられた花のように美しく、その黒い花弁を散らせたものは鮮やかな赤に彩られる。
ただのワンアクションだけでジェノサイドダークロウズの群れを駆逐した光海は、続けてその視線を遠い海へと向けていた。
「今の"あなた"なら、届くのよね?」
答えを聞く間も惜しいとばかりに再び魔力の矢を番え、溢れ出すすべての魔力をその一矢に注ぎ込んでいく。
「魔力をすべて解放。私の巫力も一緒に──」
まるで光海の"願い"を叶える魔法であるかのように、聖弓はすべての力を《バスターアーチェリー》へと集中させていく。
「いかん! これほどの力……人の身で耐えられるものではないッ!」
「姫ッ! お止めくださいッ!」
異質な力の集結に、空気が、大地が、世界そのものが震え上がっているかのように胎動を繰り返す。
「必中奥義──」
光海の言葉に、聖弓はバスターアーチェリーの正面にクロスフウガをも飲み込んでしまいそうな規模の魔方陣を展開する。陣が回転を始め、まるで合わせ鏡のようにいくつもの魔方陣が先に、その先にと現れていく。
気を失う寸前に見た、根源たる力。それは大海原を悠々と歩いてくるようにも見える天にも届きそうな巨人の姿。
「届いてっ! 《光矢一点》っ!!」
指から離れ、解き放たれた矢が、幾重もの魔方陣を貫き越えていく。莫大なエネルギーの奔流となって放出された光の矢は、風だろうが空気だろうが、空間だろうが遮るものすべてを跳び越え、流星のように尾を引いて伸びていく。
数秒にも満たない間を置いて、聖弓によって放たれた光海の強い願いは、文字通り必中の矢となって闇を輩出する存在を正確に捉えていた。
実に忍巨兵の四十倍という途方もない巨体を誇る風雅最凶の兵器──風雅城。遠く離れた洋上を進む風雅城の眼前に現れた光の矢は、絶対の守りともいうべき《光鎖帷子》をたやすく撃ち抜いて風雅城の胸に突き刺さる。
まさかそれほど遠方からの狙撃が通るなどとは想定外だったのだろう。凄まじい衝撃に揺さぶられた風雅城は、上体をのけ反らせるように後退させていく。
《光鎖帷子》を貫かれた時点で大きくバランスを崩していた風雅城は、重力に従いゆっくりと背中から海面に着水していく。
風雅城ほど巨大な質量が落ちたことで、海はひどい荒れ様を見せた。風雅城を中心に、円形に波と飛沫が跳ね上がる。大海に咲く、大輪の花を思わせる真っ白な光景が、洋上にはっきりと浮かび上がっていた。
これだけ離れた場所にいるにも関わらず、光海の勘は確かな手応えを感じていた。
弓だけでなく、矢にまで感じる一体感に、光海は思わず手の中の聖弓を凝視する。
「今の……なんだったの」
確証があったわけではない。それでも届くと思ったときには矢を番えていた。矢は光海の想像を大きく超えていた。飛距離という途中経過を飛び越えて、あの風雅城にまさかのダメージを与えることができた。ガイアフウガからなる砲撃兵器《霊焔》でさえ、風雅城の《光鎖帷子》を貫くことができずに無力化されてしまったというのにだ。
できることが当然のように動いていた。思い返せばそれは、自分ではなく"弓"によって動かされていたような気がする。
そう考えた途端に、一体感による安心を塗り潰さんと、真っ黒な恐怖心が込み上げてくる。
膝が震える。肘も指先も、弓を支えていることが恐ろしいとばかりに小刻みに震え出す。足に力が入らずその場に座り込む光海は、突然襲い掛かる虚脱感に驚愕の表情で固まった。
「あ……あれ」
疲労などと生易しいレベルの脱力ではない。全身の力が抜け、立ち上がるどころか身じろぎすることもままならない。
震えているのは唇か目か。肺が新鮮な空気を欲して、荒い呼吸を繰り返す。
「光海、しっかりするんだ」
「姫ッ、姫ッ!」
「だ、大丈夫、だよ。ちょっと疲れただけだから」
実際にはちょっとどころではないが、やせ我慢もここまでできれば上等だろう。熱におかされているときのようなひどい頭痛に、ついつい顔が険しくなってしまう。
「私のことは気にしないで。お兄ちゃんを……巫力が続いている今なら助かるはずだから」
逆をいえば、巫力による身体能力強化が残っていなければ、光洋はとっくに死んでいるはずだ。それほどに光洋とレイガの傷は重い。
様子を伺うまでもなく座して沈黙したレイガに、パンツァークロスフウガが駆け寄っていく。
「海王、まだ死んでいないな」
返事はなく、代わりにレイガの口がピクリと反応を見せる。
「森王、我らの巫力を分け与えるのだ」
「待ってくれ獣王。合体を維持しているのは異質の力だ。今のワタシたちに分け与えるだけの巫力はない。それでも無理をすれば、姫の生命を脅かす危険がある」
現状の光海から巫力を奪えば、生命活動に支障が出るのはまず間違いない。それほどに光海の疲労は著しい。
光海自身、先ほどから息を整えようと深呼吸を繰り返しているが、まるで効果は見られない。痛いくらいに胸元を押さえ、脂汗が額からこぼれ落ちていく。
「私のことは、いいから。お兄ちゃんたちを、早くっ」
「しかし……」
「待つんだ二人ともッ! この気配は──」
クロスフウガの声に背後を振り返り、日の沈みはじめた紺色の空に浮かぶいくつもの黒い影に、光海は力無い目を向ける。
まさかの第三波。空間を飛び越えて風雅城を狙い撃ったのが裏目に出た。
撃たれるより前に出撃していた第三波は、パンツァークロスフウガの砲撃に曝されることなく、たった今戦場にまで到達したのだ。
「クロスフウガ、コウガ、私の、ことはいいから。……戦って」
「海王のことも気掛かりです。獣王」
「……万事休す、だ。ワタシにも奴らを相手にするだけの余力はない」
幕を下ろすように黒翼を広げた機影が空を覆う。触れるだけで死にいたらしめる黒い大鎌が、妖しい輝きを放ちながら夜の空に溶け込んでいく。
あの数の、しかも闇夜に紛れての攻撃を防ぐ手立てはない。
「ここまで、がんばったのに……。諦めたり、できないよ」
だが、意志に反して胸の前で握りしめた拳が、力無く下ろされていく。一度下ろしてしまうと、もう振り上げることが適わない。弦の切れた弓に、矢は番えられない。
「悔しい、よ。私まだ、がんばりたいのに……。どうして、動けないの」
「姫……申し訳ありません。ワタシたちの力が至らないばかりに」
「そう、気を落とすものでもない。光海の支えた時間は、決して無駄ではなかったのだから」
「ありがとう。コウガ、クロスフウガ。それと、ごめん、ね」
息も絶え絶えに言葉を紡ぎ、重たい瞼に抗いきれずにゆっくりと瞳を閉じていく。
心地好い眠気だった。まるで何日も徹夜をして、ようやく布団に入れたときの安心感。春の陽のような温もりに包まれて、光海は小さな寝息を立てはじめた。
「十分だ。よく頑張ったな、光海。あとは俺に任せろ!」
「……え?」
そんな、不意に耳元で聞こえた声は、光海の意識を急速に覚醒させていく。
うっすらと開けた瞼の隙間から、大好きな少年の顔が見えた。
「ヨ……ヘー」
「待たせたな。風雅陽平、参上だ!」
自信満々に名乗りを上げる幼馴染の姿に、光海の涙腺はたやすく決壊したのだった。
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