『大切なお話があります…』

 早朝、椿からの急な連絡に風雅陽平は眠い目を擦りながら獣岬へと急いでいた。
「いったいなんなんだよ…」
 普段の起床よりも早すぎるくらいの呼び出しに、さすがの陽平も幾度となく欠伸をする。
 しかし、電話では伝えられないような大事な用とはいったいなんなのだろうか。電話越しに聞こえた椿の声はどことなく焦っているようにも思えた。
(多分、気のせいなんかじゃない)
 椿ほどの人間が少なからず焦りを露わにしてしまうような事態…。少し思案してみるが、陽平は頭を振ると駆け足で獣岬を目指すことにした。
 しかしながら、これが冬でなくて良かったと思う。
 陽平は冬の早朝にランニングをするほど健康に気を遣っているわけでも、トレーニングに勤しんでいるわけでもない。朝は暖かい布団にくるまれて惰眠を貪りたいのだ。
 もっとも、その願いは毎朝ふりかかる火の粉…もとい、襲いくる父親によってもろくも崩れ去っているわけなのだが。
 決して朝が弱いわけではないが、勇者忍者もまた世間一般の学生と同じであるということだ。






勇者忍伝クロスフウガ

巻之七:『混沌の獣王』 イラスト:ネモさん







 どれくらい走っただろうか。ようやく獣岬に到着した陽平は、獣王式フウガクナイを使い洞窟の奥へと進んでいく。
「椿さん、遅くなりました」
 陽平の声に、洞窟の暗がりから椿の姿が浮かび上がる。
 気配はなかった。完全に洞窟の闇に溶け込んでいたらしい。
 内心冷や汗をかきながらも陽平は平静を装って挨拶を交わす。
「こんな時間にすみませんでした。ですが、どうしても貴方に話さねばならないことが出来たので…」
 出来た、という言葉に陽平は訝しげな表情を浮かべるが、あえて追及するような真似はせずに椿の言葉を待つ。
 それかは数秒の間を置き、椿は少し疲れたような表情で口を開いた。
「十四体目の忍巨兵が現れました」
 椿の言葉に陽平の目が大きく見開かれる。
 それにしても十四体目とはどういうことなのだろうか。400年前に存在しなかった忍巨兵という意味ならば、柊と楓の双頭獣も同じこと。ならばそれは十六体目ということになる。
 陽平の疑問を察したのか、椿は「あれは例外です」と付け加える。
「椿さんはそれを見たンですか?」
 陽平の言葉に椿は頷く。
「称号と名はわかりません。しかし、その姿は漆黒…、そう、黒色の獣王クロスでした」
「まさか偽物?」
 偽物がオリジナルを黒くしただけというのはよくある話だ。だが、椿は確信があるかのようにハッキリと頭を振る。
「あれはまぎれもなく忍巨兵です。模造品や偽物、視覚的な偽装でないことは私が保証します」
 断言する椿に陽平は言葉を詰まらせる。
「そもそも、いつ、どこで見たンですか?」
「つい先ほど。彼らは奈良で私に接触してきました」
 つまり自分たちが帰った後ということになる。
 つい先ほど、と言うわりには奈良からここまでどのような手段で来たのかはわからないが、殆ど時間が経っていないような言動だけに、おそらく楓あたりが炎王で送ったのだろう。
 しかし今、椿は『彼ら』と言っていた。
「あの、その黒い忍巨兵に忍者はいたンですか?」
 陽平の問いに椿は無言で頷いた。その表情はどこか不安めいたものが混じり、まるで苦痛に耐えているようにも思える。
「椿さん?」
「なんでもありません。兎に角、陽平くんも気をつけてください」
 つくづく思う。それは相当厄介な相手なのだろう。椿ほどの忍びが迂闊にも『陽平くんも』と口にしている。即ちそれが敵であり、更には椿もまた何かしらの攻撃を受けたという証。
「仮面の男」
「仮面の……男?」
 椿の言葉に思わず問い返してしまう。
「ええ。真に恐ろしいのは黒い忍巨兵よりもこちらかもしれません。あれほどの手練を私は片手で足りるほどしか知りません」
 つまり彼女の言う、風雅雅夫や風魔の当主といった世界屈指の実力者であるということになる。
 もっとも、陽平にしてみれば自分の父親が世界屈指の実力者ということの方が信じられないわけだが。
「…椿さんが…手傷を負うほどの相手ってことですか?」
 カマをかけるつもりで口にしたが、椿は観念したように小さな笑みで頷いた。
「油断…はなかったはずですが。大丈夫、軽傷です」
 それは嘘だ。椿の首元に見える汗がすべてを物語っている。
(それでも額なんかに汗が流れない辺りはさすがってトコか…)
 しかし、血の臭いがしないということはとりあえず応急手当の必要はないだろう。
 陽平はひとつ頷くと、わかりましたとだけ答えておく。
「現状、このことは貴方だけに伝えてあります」
「みんなに無用な不安を与えないためですか?」
「それもあります。しかし、最大の理由は、相手が陽平くんと獣王を狙っていることにあります」
 椿の言葉に陽平の心臓がドキリ、と跳ね上がる。
「気をつけてください。今度ばかりは獣王の力をもってしても勝機の薄い相手です」
 椿の話を聞きながら、陽平は黒い獣王と仮面の男を思い浮かべていた。
 いったい何者で、何ゆえに獣王を狙うのか。
(ガーナ・オーダ……なのか?)
 しかし陽平の勘は不思議と悪意を感じてはいなかった。
 どちらにせよ、相手がこちらを探している以上、嫌でも相対することになるはず。
 陽平が腰の獣王式フウガクナイにそっと触れると、まるで相手に呼応するかのように一瞬だけチカリ、と光を放った。
「一応、姫にも心当たりがないか尋ねてもらえますか?」
「わかりました」
 果たして姫こと、翡翠はどのような答えを持っているのか。
 その後、陽平は椿と一言二言交わすと姫の待つ自宅へと駆け足で帰っていった。






 陽平の立ち去った洞窟で、椿は物思いにふけるように笑みを浮かべると、ガクリ、と膝をつく。
 手で押さえた左の脇腹に赤い血が滲み、衣服を大きく染めていく。
 肩で大きく息をして、椿はびっしりと汗をかいた額を拭う。
「さすがに……少し目眩がしてきましたね」
 仮面の男に斬られた場所がズキズキと悲鳴を上げる度に、椿は苦しそうに唇を噛む。
「私を……あの子の下へ。召…忍……獣之術…」
 手からこぼれ落ちた勾玉が輝くのと時を同じくして、椿の意識は闇へと落ちていった。






「──ってなことがあったんだよ」
 あれから数時間。制服に身を包み、朝起こったことを話して聞かせる陽平に、隣を歩く光海はやや不安そうな顔を見せる。
「なぁ、翡翠は黒い忍巨兵って知らねぇか?」
 陽平の手に引かれ、機嫌良さそうに歩く少女は、声をかけられると嬉しそうに顔を上げる。
「なに?」
「だから、黒い忍巨兵だよ」
 陽平の言葉に首を傾げ、僅かに思案するとなにか思い当たったのか、くいくいと嬉しそうな笑みで陽平の腕を引く。
「あんおうがいる」
 どこか誇らしげに語る翡翠に、陽平は感心したように声を漏らし、光海はどんな字なのだろうかと首を傾げる。
「アン王…か」
「やみのおう」
「闇王ってことか。で、そいつはどんな形なンだ? やっぱクロスに似てるのかよ?」
 椿の話では、黒い獣王だったということだが。
 しかし、予想に反して翡翠は小さく頭を振ると、きょろきょろと辺りを見回し、ふと見えた頭上の蜘蛛の巣を指さして、「くも」とだけ呟いた。
「蜘蛛? 蜘蛛型の忍巨兵ってことか?」
 頷く翡翠に、陽平はそうか、と落胆の色を見せる。
「それにヨーヘー。椿さんは『十四体目』って言ったんでしょ? 今までにある忍巨兵なんだったらそんな言い方しないと思うけど?」
 光海のもっともな意見に、陽平はガックリと肩を落とす。
 つまりは、誰も知らない新しい忍巨兵が存在するということになる。
「獣王と同型の黒い忍巨兵に、仮面の忍者か…」
 しかし、仮面の忍者という単語にどうも引っかかりを感じる。こう、ムズムズするような感じが…
(仮面…。仮面か……)
「いいな、そ──うおッ!?」
 それ、と続けようとした瞬間、陽平は仰け反るようにして回避運動をとる。
 いつも通りというか、最早お約束。むしろここまでくると説明もいらないだろう。
 ジト目で見据える光海の弓矢が、陽平の眉間に狙いを定めている。
「…なにバカなこと言ってるのよ」
 もし仮面なんかつけたら許さないから、と無言の圧力が陽平に襲いかかる。
(ってか、こいつ以上にプレッシャー与えてくるやつなんかいねぇだろ)
 目の前で弓をしまう幼馴染みに呆れながら、陽平は伸びをするように空を仰いだ。
「俺を…捜してるのか」
 どこの誰かはわからない。しかし、そいつは確実に近づいているはずだ。
「ほら、ヨーヘー。翡翠ちゃんも。あんまりゆっくりしてると遅刻しちゃうよ」
「わーってるよ、いちいち叫ぶな。翡翠、ちょっと走るぞ」
「ん」
 頷く翡翠の手を引き、僅かに速度を上げながら、どうしても気になる仮面の男に思いを馳せる。
 ふと、翡翠の表情が固まった。
 黒い獣王という単語が胸を締め付けるように頭に響いてくる。
 そして、炎の中、守るようにそびえ立つ、称号さえも与えられていない巨兵。
「あに……ぅぇ」
 翡翠の中でなにかがカチリ、と音を立てた。今まで噛み合わなかった歯車がギシギシと動き出したような感覚に、翡翠は自然と陽平の手を強く握りしめる。
「しってる」
 ぽつりと漏らした言葉に陽平が振り返る。
「ワリぃ、なんか話あるなら帰ってからな」
「ようへい、わたし知ってる」
 しかし、翡翠の声が聞こえていないのか更に速度を上げる陽平に、翡翠は沈んだ表情でこっそり爪を立てた。
(あにうえ…)






「汚い…。濁った空だ」
 ビルの屋上に座る仮面の男の言葉に、背後の景色がぐにゃりと歪む。
 まだ昼間だというのに、それとわかるよう輝く大きな双眸に、仮面の男は出るな、と言わんばかりに手を上げる。
「それよりも…」
「ああ。かなり近い」
 男の言葉に、黒い獅子は獲物の臭いを捉えたかのように鼻を上げる。
「時非【ときじく】と言ったか」
 男は立ち上がり、腰に吊した大振りのクナイを引き抜くと、柄尻で輝く勾玉に僅かな笑みを浮かべる。
「獣王…」
 景色を歪め、姿を現す黒い獣王に飛び乗ると、男は顎をしゃくり遠目に見える獣岬を睨みつけるように見据える。
「見せてみろ…キサマの力」
 男の言葉に黒い獣王が吠える。
 まるで、宣戦布告であるかのように吠え続ける獅子に、男が黒光りする獣王式フウガクナイを振り上げる。
「出陣【いけ】ッ!!」
 震えるビルの屋上を蹴り、黒い疾風が時非市を駆け抜ける。
 瞬く間に海岸付近まで到達すると、獣岬の頭に位置する部分めがけて黄金に輝く爪を振り下ろした。






「ッ!?」
 授業中であるにも関わらず、豪快な音を立てて立ち上がる陽平に、教師だけならず教室中の視線が集まっていく。
 だが、そんな視線などお構いなしに振り返れば、やはり光海も小さく頷いた。
「おい、どうした風雅」
(今、すっげぇ衝撃が…)
 教師の言葉など右から左。懐にしまい込んだ獣王式フウガクナイから伝わってくるパートナーの痛みに、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
 おそらく、光海も左腕のリングから同じように感じたのだろう。表情には不安と焦りの色が見える。
「おい、聞いて──」
「ワリぃ先生! ちょっと保健室行ってくる!!」
 まくし立てるように声を荒げる陽平に圧倒され、教師は無意識に「お大事に」
と呟いていた。
 まるで弾丸のように教室を飛び出していく陽平に呆れながら光海も立ち上がり…
「すみません。あのバカ見てきます」
 丁寧にお辞儀までしてから陽平を追いかける光海に、教室中が一斉に溜め息をついた。
「ねぇねぇ」
 どこか浮かれた様子で声をかける椎名咲に肩をつつかれ、陽平たちの悪友、安藤貴仁もまたニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。
「なんや、あの二人おもろそーなことしてるみたいやな」
「そだね。んで、安藤くんはどーするの?」
 咲がこういう聞き方をする際、必ずと言っていいほど厄介ごとが舞い込んでくるのだが、どうやらその法則に例外はないらしい。
 咲の問いに、またか、と突っ伏す貴仁は仕方がないとばかりに挙手をした。
「センセー! 実は陽平のアホ、光海の作った十日前のメシ食ってハラ壊したゆーてましたぁ」
 だから光海も心配で心配で…と、いけしゃあしゃあと言ってのける貴仁に、教師はそんなばかな、と肩を落とす。
「嘘や思うんでしたら、ん〜…と、せやな、天城にでも聞ーてみたってください」
 クラスでも目立たない雰囲気を持つ少女は、突然話を振られてあからさまに迷惑そうな視線を貴仁に向ける。
「なんで天城なんだ?」
「そら、天城やったら真面目やし、陽平のアホを庇う理由もないやないですか」
 貴仁の答えに納得したのか、教師の視線が天城と呼ばれた少女に向けられる。
「…………腹痛です」
 それだけ答え、ふいっ、と視線を外に向ける天城に、貴仁は内心ホっと溜め息をついた。
 正直こればかりは賭だったわけだが、どうやら上手くいったらしい。
 天城はどこか人を遠ざける傾向にある。故にこんな話を振られれば、一番早く自分から周囲の興味が失せるような行動を取ると思っていたが。
「安藤くん、理由ムチャクチャすぎ…」
「えーやんか、結果オーライや。それにしても……や」
 まるでなにかに急かされるように駆け出していった友人たちに、貴仁はやれやれと溜め息をつく。
(なんか隠してるんやったらもぉちょい隠す努力せぇっちゅーに)
 頬杖をつきながら、苦笑を浮かべる貴仁は、とりあえず必要になるだろうと黒板をノートに写し始める。
 その後、忍巨兵同士の戦いが起こした揺れが時非高校に届いたのは、実に十数分後のことであった。












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