今日は朝から不思議な感覚がつきまとっていた。
 その感覚の発信源が卓上の獣王式フウガクナイであると気づいたのは、毎朝恒例の親父襲撃が過ぎ去った直後であった。
 微かに発光する勾玉には、普段の獣王の印ではなく見たことのない印が浮かび上がっている。
「クロス、どういうことだよ」
 声をかけられ姿を現す3D映像のような獣王に、とりあえず制服に着替え始める。
 制服の色々な部分に怪しげな道具を仕込みつつ、学校の準備を進めていく。
『これは輝王【きおう】の印だ。彼が我々忍巨兵に目覚めたことを知らせているんだ』
 獣王の言葉に陽平の手がぴたりと止まる。
 今までこういったことはなかったと記憶しているが、ひょっとして森王や闇王も同じように呼びかけていたのだろうか。
 陽平の表情から読み取ったのか、頭を振って否定する獣王に、陽平は夏用の制服に袖を通しながら更に疑問符を浮かべる。
「じゃあ、なんだってその輝王はわざわざ知らせてきたんだ? ひょっとして早く呼びにこいとか催促してるンじゃねぇよな」
『いや、おそらく輝王は闇王に呼びかけているのだろう』
 闇王の名が出たことで、陽平の表情が僅かに曇る。
 闇王忍者モウガ。蜘蛛の姿をした女性型忍巨兵であり、つい先日ガーナ・オーダの将、森蘭丸の手によって奪われた仲間だ。
 その件では陽平もひどく落ち込んだものだが、今は翡翠のおかげでこうして立ち直ることができた。
「でも、なんで闇王に?」
 いつか聞いた獣王と星王のように親友関係だったのだろうか。ということは輝王もまた女性型なのだろうか。
『まだ彼らが人であった頃、輝王と闇王は恋仲だったと聞いている』
 今、さらりととんでもないことを言われた気がする。
 恋仲という部分にも十分驚いたが、忍巨兵たちが元々人間だったという部分は陽平の思考を吹っ飛ばすには十分すぎた。
「なんだって…? 元、人間?」
 陽平の言葉に獣王は肯定の意を示す。
「じゃあなにか。クロスも本当は人間だったのか?」
 相棒の人間だった頃を想像してみるが、どれも正解に近いとは思えない。
『いや、ワタシには自分が人だったという記憶はない。最も古い記憶でも既に忍巨兵としての姿だった』
 獣王の話を聞きながら準備を済ませた陽平は、最後に獣王式フウガクナイを持ち上げる。
「なぁ、輝王に会いに行くのも悪くないよな」
 陽平の言葉に、獣王の映像はふわりと肩へ飛び移る。
 陽平に任せる。そういうことなのだろう。
 そんなことをしていると時計は既にぎりぎりを指している。
 とりあえず学校に行こう。そう答えを出した陽平は、獣王式フウガクナイを懐にしまい込む。
 だが、ふと感じた奇妙な感覚に、陽平は再び獣王式フウガクナイを手にする。
『どうしたんだ、陽平』
「…………まさか、この感覚って…」
 獣王式フウガクナイを通じて感じるその存在感に、陽平は一人の人物を思い返す。
 それは翡翠の兄であり、黒衣の獣王カオスフウガを駆る青年。
「釧なのか…」
 例えるなら壁一枚を隔てて自分がもう一人いるような感覚だ。
「釧も…動いたのか」
 おそらく釧も輝王の覚醒には気づいているはずだ。
 どうしてだろう。不安がどんどん膨れ上がっていく。
「クロス、俺たちもすぐに動くぜ」
 そう言って着替えたばかりの制服を脱ぎ捨て、素早く私服に着替えを済ませる。
『しかし陽平、きみはガッコウが…』
「今日は自主休講だ」
 そんなふざけた言葉を告げながら、陽平の目は戦士のそれへと変わっていた。






勇者忍伝クロスフウガ

巻之九:『輝王の巫女』







 永きに渡る眠りから目覚めた少女が最初に見たのは、薄暗い洞窟の天井だった。
 明かりは蛍の光ほどもなく、周囲には出口らしいものもない。
 うろ覚えの術でなんとか灯りを生み出すと、急な光に驚いたコウモリたちに少女も驚いた。
 その場にへたり込み、手の中で小さくなる灯りを見つめながら、少女は眠りにつく前のことを思い出す。
 ようやく終結した戦。沢山の犠牲に涙して、大好きな姉の代わりに自分がと総巫女に頼み込んだ忍巨兵との眠り。
「ねーさま」
 思い出していたら思わず呟いてしまった。
 洞窟内で、思った以上に声が大きく響き、少女は自分の声に耳を塞ぐ。
 反響を続ける声が徐々に小さくなり、押さえすぎて痛くなった耳を解放すると、少女はその場にぺたりと座り込んだ。
 どうやら永きに渡る眠りの間に、地形が変わり、この洞窟内に閉じこめられてしまったらしいことはわかった。
 そういえば自分と共に眠りについた忍巨兵はどうしたのだろうか。
 少女は首から下げた勾玉を握り締め、契りを交わした忍巨兵に呼びかける。
(…えっと──)
 どうやら少し寝ぼけているらしく、忍巨兵の名前が出てこない。
 あまりの情けなさに滝のような涙を流し、必死になって記憶を手繰り寄せる。
 獣王であるはずがないし、森王は姉が眠りとは別の形で保管したはず。戦王は友達が一緒にいくといっていたし、輝王にいたっては……。
(えっと……輝王は……)
『いつまで寝ぼけているつもりだ、巫女よ』
 突然背後から声をかけられ、少女は──
『……眠り足りないとでも言うつもりか』
 気絶した少女に溜息をつくと、輝王の名を持つ忍巨兵はやれやれとばかりに瞳を閉じた。
 それにしても…、
(お前はまだ目覚めていないのか。闇王……いや、銀【しろがね】)
 呼びかけに応じないかつての恋人に不安を感じつつ、輝王もまた浅い眠りに入る。
 ここ、北の海で。






 傷ついた獣王もようやく癒えた頃、釧もまた、輝王の覚醒に気づいていた。
 しかし、彼が気に留めたのは忍巨兵ではなく、共に眠りについただろう巫女の存在。
 釧の獣王、カオスには巫女がおらず、傷つけば自然治癒を待つ以外にない。だが、それは単独で動く釧にとっては不都合でしかない。
 より強大な力を持った巫女がいれば、それこそ戦闘中にだって修復を行えるのだ。
「カオス、動けるか…」
 釧の問いかけに肯定するかのように伏せていた黒き獣王が体を起こす。
「ナイトメアグリフォンに力が集まるのも直だ。目的の地に着く頃には合体もできる」
「そうか…」
 立ち上がる釧は、手にした獣王式フウガクナイに視線を落とす。
 おそらくあのシャドウフウガの少年──風雅陽平もかの地には現れるはず。
 手にした忍器は同じ形をしているが、こちらは勇者忍者の姿である影衣を身に纏うことはできない。
 いかに本人が未熟とはいえ、勇者の下にはいつか忍巨兵が集うはず。それは釧の目的を遂げるには些か邪魔な存在となるはずだ。
「…カオス、輝王を味方につけるぞ」
 釧の言葉に頷き、彼をくわえて駆けだした獣王は、木々を飛び越え、風のように走り抜ける。






 結局、学校をサボった陽平は、獣王の背に乗り、隠形しながら日本列島を北上。獣王式フウガクナイが受信する気配を辿り、こうして北海道まで来たわけだが、着いたら着いたで気配がぷつりと途切れてしまい、渋々街中で立ち往生していた。
 行き交う人々は時非市よりも気持ちに余裕があるのか、それほど急いで歩いているようには見えない。
「しっかし、一度は来てみてぇと思ってた場所に、こんな形で来ることになるなんてなぁ」
 そんな陽平の呟きに、シャツの胸ポケットから獣王が顔を覗かせる。
『陽平、なにか感じないか?』
 現在、獣王は隠形して海の中に身を潜めている。故に陽平がこうして街中を散策しているわけだが、一向に手がかりらしいものは掴めていなかった。
「せめて目印でもありゃなぁ…」
 輝王が眠る場所がわからなければ、一緒に眠ったという巫女のこともわからない。
 確かに情報漏洩を恐れるならば、誰にも教えないということこそが最大の安全策になる。
 しかし、それは探さなければならないというデメリットもあるわけで…。
「はぁ。どっかに巫女が歩いてねぇかなぁ」
 そんな落とし物でも探すかのような発言に、獣王は僅かに苦笑した。
「いた」
『どうした?』
 驚くように呟いた陽平に、獣王は周囲をぐるりと一瞥する。
「…巫女さんがいた」
 陽平の言葉の通り、先ほどから信号や横断歩道で目を回している小さな巫女の姿があった。
 どうにも都会に慣れていないのか、見るもの全てに驚いているようにも見える。
「なんなんだいったい…」
『あれは……巫女孔雀』
「孔雀? どこだよ」
 華やかな鳥の姿を探して周囲を伺う陽平に、獣王はポケットから飛び出すと肩に飛び移る。
『あの少女だ。彼女の名は孔雀。かつての森王の巫女、桔梗の妹だ』
「へぇ、奇遇だな。…って、そぉじゃねぇ! じゃあなにか? あれが輝王の…」
 おそらく、と頷く獣王に、陽平は意を決して少女との距離を縮めていく。
 あと10メートル。8メートル。5メートル。
 そろそろ声をかけようと僅かに手が上がった瞬間、確かな殺気がすれ違う。
 見間違うはずもない。それは黒衣の獣王を駆る仮面の男。数少ない惑星リードの生き残りで、翡翠の兄でもある人物…。
「釧…」
 互いに背中合わせで立ち尽くし、白と黒の獣王が2人の肩で振り返る。
「風雅……陽平」
 名を呼ばれ、陽平がゆっくりと振り返る。
 不思議な感覚だった。決して少なくはない歩道で、まるで自分と釧だけしかいなくなったような感じがする。
 釧も同じ感覚を共有しといるのか、僅かに体を振り返らせる。
「やはりキサマも来たか…」
「じゃあ…お前も?」
 目的は輝王とその巫女ということか。
 互いに棒立ちなようでその実、水面下では牽制しあっている。
 僅か数秒間の睨み合い。しかし、意外にもその均衡を破ったのは釧であった。
「なるほど、少しは出来るようになったか…」
「まぁな。いつまでもてぇめぇの背中見てるばかりじゃねぇぞ」
 陽平の言葉がツボだったのか、釧の口元に笑みが浮かぶ。
 だが、笑みというよりも嘲笑に近いそれに、陽平が苛立ちを露わにする。
「愉快だな…」
 吐き捨てるようなその言葉に、陽平は怒り任せに鋼糸を飛ばす。
 しかし、容易く見切る釧の身体はまるで人混みを利用するかのように動き、瞬く間に鋼糸の有効距離から離脱した。
 そして、その背後には小さな巫女の姿が……。
「孔雀…」
「え? ああああ、あの! どどど…どちらさまですか?」
 突然名を呼ばれて驚いたのか、小さな巫女はマシンガンのようにどもりながら背筋を伸ばす。
 少女の視線が釧の足からゆっくりと上がっていき、そしてその視界に入った左反面を覆う仮面に、凄まじい速度で後退した。
「ひゃうっ!」
 しかも転けた。
 そのあまりに緊張感のない少女の雰囲気に毒を抜かれた陽平は、思わず無防備に少女を助け起こそうと手を差し伸べ──
「うおっとぉ!!」
 そこが釧の目の前だということを完全に失念していた。
 下から弧を描くように振り上げられたクナイの斬撃を避け、追撃に備えて身構える。
 人目が多すぎるためにお互い小型の武器を用いているが、故に避け難さがつきまとってくる。
 陽平もベルトに挿していた飛針を引き抜くと、周囲からは見えないよう手首を内側に、指で挟み込む。
 周りにしてみればおかしな動きをする連中だ、くらいに思われているにしても、さすがにこのまま本格的に戦闘を始めるわけにはいかない。
「…場所を変えようぜ」
 それは賭けに近い言葉だった。
 釧がこれに応じない場合、大衆の面前で戦闘を行うことになる。
 正直、それは陽平にとってマイナス以外のなにものでもない。
 陽平が半歩引けば釧が半歩前に出る。ありがたいことに、どうやらついてきてくれるらしい。
 それならばと駆けだした陽平を一瞥する釧は、尻餅をついたまま自分を凝視する孔雀に向き直り、彼女が嫌がる暇もなく小脇に抱えて飛び上がる。
「ナイトメアグリフォン!」
 釧の呼びかけに、隠形した忍獣は二人をすくい上げると、そのまま陽平を追いかけるように舞い上がる。
「あ、あの、そそそそ、その…」
「キサマもいつまで呆けているつもりだ。輝王を呼べ。あの男を屠る」
 釧の言葉で孔雀の心臓がドクンっと跳ね上がる。
 胸元に揺れる勾玉、輝王石【きおうせき】を握りしめ、孔雀は仮面に覆われていない右側の顔を凝視する。
 鋭い瞳だが、見覚えのある優しい顔立ち。
 孔雀の中でカチリとなにかが噛み合ったとき、優しい太陽のような笑顔が浮かび上がる。
「くしろ……さま?」
 恐る恐る尋ねる孔雀に、釧は視線だけをそちらに向ける。
「く、釧さまっ! いいいいい、いつこちらに!?」
 いちいち派手な驚き方をする少女だと溜め息をつきながら、視線は眼下を走る少年に向けられる。
「構うな。輝王を呼べ。奴を……倒す方が先だ」
 釧の言葉に「はいっ!」と頷くと、両袖と腰に隠した折りたたみ式の薙刀を素早く引き抜き、瞬く間に組み上げる。
 首に下げた輝王石を刃の付け根にある窪みにはめ込み、孔雀は刃を天にかざす。
「風雅流、忍巨兵之術ぅ!」
 陽光に照らされた刃が光を生み、それは銀の忍巨兵を呼び寄せる。












<NEXT>