ガーナ・オーダの双武将、ガイ・ヴァルトとガイ・レヴィトの襲撃を受けた風雅忍軍は、その凄まじい力の前に敗退した。
 生と死の狭間を彷徨う陽平は、聖母のような眼差しが見下ろす中、辛くもその一命を取り留めることとなる。
 彼女は風雅忍軍当主を名乗り、そして忍びや巫女たちを束ねる統巫女なのだと言う。
 彼女は陽平に撤退を提案すると、サイハに良く似た忍獣を召還。その背に乗るように促した。
 それから十数分後──。
 陽平は琥珀と二人きりで空の上にいた。
 忍獣の背で風に吹かれながら、陽平は隣に腰を落ち着ける彼女──琥珀のことを思い出していた。
 澄んだ瞳をしていた。綺麗で、心の奥底まで見通されてしまいそうな眼差しは、陽平の知る誰かによく似ていた気がする。
(誰……だっけ?)
 果たして、あんな美人によく似た知り合いなどいただろうか。
 確かに、椿や楓は美人だとは思うが、琥珀のものとはまた別ものな気がする。
 不意に、唸りながら首を傾げる陽平と、振り返る琥珀の視線がぶつかった。
 しかし、訝しむわけでも首を傾げるでもなく、ただ優しく微笑む琥珀に対して、気まずいながら陽平は照れ笑いを浮かべるしかなかった。
 とりあえず、今は余計なことを考えている場合ではない。
 そもそも、琥珀は陽平をどこへ連れていこうと言うのだろうか。
「直に着きます。もうしばらくご辛抱ください」
 そういえば、彼女も陽平と同じ鬼眼の持ち主で、相手の思考を読む力を有しているのだった。というか、彼女は年がら年中他人の心を読んでしまうのだろうか。
「やはり不快……ですか?」
 また読まれた。
「いや…、なんつーか、ずっとひとの心読んでると辛くなんねぇかなって思って…」
 観念したかのように口にする陽平に、琥珀は少し驚いたように、しかし優しい笑みで頭を振る。
「確かに中には野心や下心を隠し持った者も在ります。ですが…、勇者さまのような優しい心を見ることもできますから」
 一長一短です。と笑う琥珀の笑みに、どこか影のようなものを感じた。だが、あえて見なかったフリを装い、素直に琥珀の言葉に照れ笑いを浮かべる。
「そうだ。鬼眼って訓練次第では使いこなせたりもするんですか?」
 唯一まともに使える複写の鬼眼は、ほとんど当たり前のように使っていたからコツなどわかるはずもない。もう一方の新たな鬼眼。記憶の鬼眼に至っては、まともに発動したのさえ数える程度だ。
 記憶の鬼眼があれば戦局はかなり変わってくる。あれは陽平に残された希望なのだ。
 しかし、琥珀はやや厳しい表情で頭を振ると、そっとしなやかな指先で陽平の額に触れた。
「鬼眼とは術や技にあらず。これは心の力です。それに頼りきった気持ちで扱うことはできません」
 頼りきったという言葉に、陽平は心臓を鷲掴みにされた気分だった。
 確かに、記憶の鬼眼は強力だ。しかし、陽平はその強大な力を垣間見たために、求めすぎていたのではないだろうか。
 思い返せば、なんとかできたかもしれない場面はいくらでもあったかもしれない。
「求めれば離れ、忘れた頃には手元にある」
 そういう天の邪鬼なものなんですよ。と笑う琥珀に、陽平は目から鱗が落ちた気分だった。
「そうだよな。俺の気持ちに傲りとかそういうのがあったから負けたんだ。なら、もう負けねぇ。絶対に!」
 新たな決意に拳を固める陽平に満足したのか、一つ頷くと、琥珀は視線を促すように地上を指さした。
「着きました」
 どうやら山の中なのだろう。生い茂る木々の隙間へと器用に降りると、忍獣は翼を接地することで足場を確保する。ここからは歩くということらしい。
 先に飛び降りて無事を確認すると、立ち上がる琥珀に手を差し伸べる。
 少し驚いたような表情を見せるものの、すぐに何事もなかったかのように陽平の手を取って忍獣の背を降りる。
「ありがとうございます」
「ああ……いや、うん……でもなくて、はい」
 緊張しているのか、何度も言い直す陽平にクスリと笑みを浮かべると、今度は琥珀が陽平を促す番だった。
「どうぞ、こちらです」
 先行して歩き始める琥珀に、周囲を観察していた陽平は慌てて追いかけていく。
 それにしても不気味な森だ。ただ立っているだけだというのに、方向感覚が麻痺していくような感じに捕らわれる。
 そんな危険な気配さえあるというのに、琥珀はまったく意に介さないらしく、無言のまま陽平の前を歩き続ける。
「あの……」
 危険だから先に歩く。そう言おうとした陽平の背後から、凄まじい速度でなにかが駆け抜けていく。
 忍者らしいことまではわかったが、顔を見るどころか影を追うので精一杯だった。
 なるほど。当主にもなると、凄腕の忍者が常に彼女を護っているということか。確かにこれならば大概の危険は回避されるだろう。
 それにしても、椿や風魔の現当主である冬眞【とうま】以外にあれだけの忍者がいたとは驚きだ。
 椿たちは揃って、陽平の父、雅夫こそが世界一の忍者などと言っていたが、さっきの忍者はきっとそれ以上だ。
 そう思うと、次第に先ほどの忍者に興味が湧いてきた。
「あの──」
「着きました」
 まるで陽平の言葉を遮るかのように紡がれた言葉に、陽平は慌てて周囲を見回した。
 つい先ほどまでは確かに山道を歩いていたはずが、いつの間に。気がつけば陽平は塀に囲まれた大きな屋敷の庭に立っていた。
 奈良にあった風魔の家も相当なものだと思っていたが、ここは輪をかけて大きい。いや、これは屋敷というよりもひとつの村だ。
「勇者さま」
 琥珀の声に振り返れれば、そこには思いもがけない光景が広がっていた。
「風雅の里へようこそ。勇者忍者、風雅陽平さん」
 改めて告げる琥珀に、陽平はまいったとばかりに苦笑を浮かべた。
 琥珀に並び立つのは、父・雅夫と風魔の長女・椿。そして時非市に置いてきたはずの柊と楓。さらには、陽平をまっていたとばかりに翡翠が前に出る。
「はは…、お前らなぁ」
 驚きを通り越した呆れに、陽平は次の言葉が浮かばなかった。






勇者忍伝クロスフウガ

巻之十弐:『呪縛 -The degeneration day-』







 あの後、陽平は風呂に通され、十数人の巫女たちに力づくで湯船に放り込まれた。
 なんでも、陽平は琥珀に対面するに相応しくないほど汚いらしい。
 戦っていたのだから、汗も埃も汚れも仕方ないとは思うが、確かに汚らしい出で立ちで人の家にあがらせてもらうというのは不作法だ。
 だからといって、いくらなんでもこれはあんまりだ。
「さぁ、勇者さま! しっかり汚れを落とさせていただきます!」
「やらなくていいっつーの!!」
 四方八方から器用に伸びる手が、陽平の身体をスポンジで洗い流していく。
「ちょっ、やめ──うわっ、どこ触ってやがる!?」
「暴れないでくださいませ!」
「往生際が悪いですよ。さぁ、勇者さま!」
「だあああああっ!! やめろって言ってんだろぉおおおっ!!」
 正直、陽平はこの状況を楽しめるほどの器量も甲斐性もない。ゆえに複数の異性に身体を触られるなど、悪夢以外のなにものでもないわけだ。
 だが、事態は更に悪化することになる。
「先輩! ご無事ですかっ!?」
 陽平の悲鳴を聞きつけてきたのだろう。突然戸を開け放ち、楓が風呂場の中に飛び込んできた。
 その甲斐あってか、巫女たちの動きもピタリと止まり、陽平は助かったとばかりに溜め息をつく。
「はぁ…。サンキュ、楓」
 だが、妙なことに楓からの反応はない。不審に思って楓を見上げれば、その視線はたった一ヶ所に釘付け状態で固定されていた。
「おい楓、どうしちまったんだよ?」
「き──」
 途端、楓の顔が真っ赤に染まり、天を刺すほどの悲鳴が里中に木霊した。
「きゃああああああああああああああっ!!!」
 初めて聞いた女の子らしい楓の悲鳴に、陽平はようやく自分が見られたことを悟った。
 とっさに水面を叩いて湯船を爆発させると、派手に上がる飛沫の中、文字通り逃げ出した。
 余談ではあるが、そんな楓の悲鳴に、椿が「未熟な」と呟いたとか呟かなかったとか。






 あれから1時間ほど待たされ、陽平は屋敷の一室へと通された。
 やはり広い。いったいなにをするための部屋なのか、この部屋だけでも相当な広さだ。
 陽平が部屋に招かれたときには既に柊や楓が琥珀の対面に座り、最後の一人である陽平を待つ形になっていた。
「ようへい」
 嬉しそうに手を振る翡翠の隣に座り、改めて周囲を確認する。
 陽平と柊の座る距離に微妙な間があるのは、きっと勘違いなんかじゃない。これは、ここに在るはずの者がいないことを指しているのだ。
 そんな無言の訴えから目を反らし、陽平はより真剣な面もちで琥珀の言葉を待つ。
 ようやく準備が整ったのを悟り、琥珀は少し間を置いてからぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「まずは、今まで姿を現さなかった非礼をお詫びいたします」
 深々と頭を垂れる琥珀に、陽平は頭を振った。
 琥珀の立場を考えれば、命を狙われる可能性だってありえるのだ。そうそう表立って行動できるはずもない。きっと、今回現れたのも予定外のことなのだろう。
「そして、勇者さま。風魔のお二方。この場にはおられない桔梗光海さんには命をかけて翡翠姫をお守りいただいて、感謝の言葉もありません」
「俺は、翡翠の忍者ですから」
 陽平の言葉に、柊と楓も頷いた。
「ありがとうございます。改めまして、私は風雅を統括する統巫女であり、当主を勤めさせていただいています、琥珀と申します。まずは私がこの里でなにをしているのか、お話させていただきます」
 一同が頷くのを確認すると、琥珀はひとつの巻物を足下に紐解いていく。
 そこに描かれる13の獣たちに、陽平はすぐにその意図を理解した。これは忍巨兵の資料であり、彼女はこれらからなにかしらのヒントを得ようとしているのだと。
 獅子は獣王。鹿は森王。一角獣は輝王。他にも蜘蛛、馬、蛙などの姿も見受けられる。
「私は、来るべき決戦に備え、新たな王を生み出す計画を立案しました」
 新たな王という言葉に、陽平と柊、楓の表情が険しいものになる。
 それはつまり、新たな忍巨兵の誕生を意味する言葉だ。
「牙王のように雄々しき牙を持ち、鳳王のように空翔る。戦王のように力強く、獣王のように偉大であれ。これが新たな王の姿となるであろう……と」
 正直、そんなものは想像もつかない。
 しかし、琥珀はその結論を導き出し、陽平たちの──いや、風雅のためにそれを研究し続けていたのだ。
「残念ながら、まだ完成には至っていません。しかし、事態が私たちの予想を大きく上回っている以上、このまま手をこまねいているわけには参りません」
 しかし、新たな忍巨兵は未完成な上に、現状の忍巨兵で双武将と戦うのはリスクが大きすぎる。
 雷遁のフウガパニッシャーさえも通じなかった相手に、それよりも低い攻撃力で太刀打ちできるとは思えない。
 それを承知で対策なしに向かっていくなど、それこそ命知らずというものだ。
「そこで、提案があります」
 琥珀の真摯な視線が風魔の兄妹に固定される。
 まさか自分たちに振られるとは思ってもみなかったのだろう。二人は揃って驚きの表情を見せた。
「え。オイラ……たち?」
「先輩じゃないんですか?」
 案の定、予想外だと言わんばかりの二人に、琥珀はハッキリと頷いた。
「勇者さまと獣王が今以上に強くなるには、更なる時間を必要とします。しかし、お二方に託された風魔の巨兵には、爆発的な強化を施すことが可能なのです」
 琥珀の言葉に、柊と楓だけならず、陽平までもが身を乗り出した。
 双頭獣が、ダブルフウマが今以上に強くなる。現状でさえ獣王に退けを取らない性能を見せる風魔の巨兵が、更に進化するとなると想像がつかない。
 ふと、陽平の脳裏をある言葉がかすめていく。
 それは以前、獣王クロスから聞いた牙王なる忍巨兵のことであった。
(確か……ロウガと同じ名前だけど、姿の違う忍巨兵)
 もし、陽平の予想が正しければ、それこそがロウガの…。
 ふと、琥珀の様子を伺えば、陽平の考えが正しいとばかりに小さく頷いた。
「今、ロウガとクウガは、心と体を切り離した状態にあります」
 昔、戦いの中でロウガとクウガは命を落としかねないほどのダメージを負った。
 このままでは忍巨兵へと命を託した二人の兄妹までもが死してしまう。そこで琥珀は、一時的に忍巨兵の心と身体を切り離し、心が砕ける前にその結晶に封印を施した。遙か時を越え、傷の癒えたその時に再び戦場に立てるよう。
 後に、心を失った忍巨兵を、人のみで扱える性能まで抑制し、琥珀の手によって風魔に託され今日に至るわけだ。
 つまり、ようやく心と体がひとつに戻るときがきたというわけだ。
「そーゆーことなら、早速!」
「ですね。先輩、少し戦線を離れますが、その間あまり無茶をしないようにお願いします」
 話もそこそこに立ち上がる二人に、琥珀は椿を振り返る。
「椿…」
「ええ。案内は私がします」
 琥珀に一礼し、ついてきなさいと背を向ける椿に、柊と楓は不承不承といった感じのまま部屋を後にする。
 結局、この場に残された形となった陽平は、胸の中にくすぶるジレンマを押しつけることはできなかった。
 結果的に風雅忍軍は強くなる。そのことには変わりはないはずなのだが、仲間に任せきりで、自分は指をくわえて待っているなどできようはずがない。
 里を去る風魔の忍びたちの背中を見送りながら、陽平は前々から考えていた密かな決意に拳を固めた。
 与えられた短い時間で強くなるにはこれしかない。
 美女の熱い眼差しならばともかく、息子からの突き刺さるような視線に、雅夫もまた、やれやれと重い腰を上げる。
「ご当主。場所と時間をいただけますかな」
 雅夫の言葉に頷く琥珀は、すっ…と庭を──いや、その先にある森へと視線を向けた。
「感謝します」
「親父、下手な手加減なんざいらねぇぞ」
 息子の大胆な発言に苦笑を漏らしながらも、雅夫は珍しく笑みさえも凍り付きそうな瞳を見せる。
 そうだ、それでいい。今は手加減されて、ゆっくりと強くなっている暇などない。
「監視は賢王トウガが行っています。どうか周りのことは気になさらず、存分に…」
 その賢王がいかなるものかはわからないが、名を聞いた雰囲気では忍巨兵なのだろう。さすがに風雅の里だけあって忍巨兵の一体くらいは所持していたらしい。
 琥珀の計らいに頭を下げつつ、陽平は勢い良く立ち上がった。
「さぁ! 俺にも教えて貰おうじゃねぇか。世界最高の忍者の実力ってやつをなっ!!」
 庭に歩み出る雅夫を追いかけ、文字通り飛び出していく陽平に、翡翠はその小さな手をギュッと握りしめる。
 いつだってそうだ。どんな絶望的な状況だって翡翠は信じている。陽平を…、彼ら風雅忍軍を。
 だからこそ翡翠も、今自分ができることをする。そのためにここに来たのだ。
 改めて琥珀と向き合うと、翡翠はなにも言わずにゆっくりと歩み寄り、今にも泣き出しそうな琥珀の頬にそっと触れる。
「わすれない、むかし……いたい」
 琥珀が胸に秘めた痛みを知るかのように涙を浮かべる翡翠に、琥珀は優しい笑みで翡翠の頬に触れた。
「ありがとう。私は……大丈夫だから」
 頷く翡翠から手を離すと、琥珀は促すように立ち上がり、部屋の奥にある襖に手をかけた。
「あなたにしか……出来ないことです」
「いく」
 迷いは微塵もない。
 小走りで琥珀に駆け寄ると、翡翠はその先に続く廊下へと歩みを進めた。






 風雅の里のとある場所にそれは在った。
 大きな目玉が印象的な姿は、見るものを怯ませるほどの迫力がある。
 この大蝦蟇の忍巨兵こそが、風雅の里を外敵から守る役目を担う者、賢王トウガである。
 秀でた戦闘能力はないものの、二つの瞳は遙か彼方を観察し、物理的な障害を見透かす。
 忍巨兵たちの戦闘で、誰よりも深く戦場を把握して、より正確な情報で仲間たちを勝利に導く。ときには作戦を指揮するなど、その役割はまさに忍巨兵の頭脳と言えよう。
 そんな彼が珍しく近くの景色を眺めていた。
 目を細め、注意深く観察する瞳は獲物を狙う蝦蟇そのもの。と思ったのも束の間。大きな瞳が忙しなく動き回り、複数の情報を瞬く間に回収していく。
「ふむ。新しいオナゴが2人。姫様はともかく、もう一人はなんとウマそうな尻じゃ」
 こんな危険極まりない発言をしてはいるが、れっきとした忍巨兵である。
 個人差はあるものの、忍巨兵には人であった頃の我が強く残っているものなのだが、できればスケベジジイであったことなど忘れてもらいたいものだ。
 ふと、仕入れた情報の中には少年の姿も在った。
 まだ幼いながらも、その顔つきは決して歴戦の忍びたちに退けを取らず。勇者忍者として、またひとつ成長しているようにも見える。
「あのときのフウガマスターの息子か。時が経つのは光の如し。実に早いものじゃわい」
 以前彼を見たのはいつのことだっただろうか。まだ、両親に手を引かれていた頃の少年は、今や勇者忍者となって最前線で戦っている。
 今日も今日とて、風雅雅夫を相手に激しい訓練……いや、実戦を積んでいる。
「しかし……、釧さまが近くにおられるな。さて、皆はどう出るか…」
 再び忙しなく動き回る瞳が、時非市に在る海王の存在を感知する。
 里に属さない忍巨兵は3つ。皇、釧率いる黒衣の獣王と輝王。そして国連軍に属する光洋の海王。
「そろそろ潮時かもしれぬ。盾王にも声をかけておくかの」
 三度、忙しなく動く瞳が新たな情報を仕入れてくる。
 途端に険しい表情を見せる賢王は、うずくまっていた身体を起こし、ゆっくりと向きを変えていく。
「むぅ…、皇に危機が迫っておる。動けるのがワシだけとは、歯がゆいのぉ」
 長い足をバネのように弾き、巨大な蝦蟇が一瞬にして山を跳び降りる。
 隠形機能が身体を風景に同化させ、タダビトの目に映らなくなると、賢王はその巨体に見合わぬ速度で駆け出した。いや、蛙だけに跳ね出した……というべきなのだろうか。
 巫女のような能力があるわけではないのだが、どうしても嫌な予感がしてならなかった。
 獣王の敗北。そして今まさに危機が迫っている釧。悪いときには悪いことが続くと言うが…。
「もしものときは……頼みますぞ、姫さま」






「止まれ」
 釧の言葉に、カオスが、続いて輝王が動きを止める。
 先ほどから、ずっと誰かに監視されているのはまず間違いない。
 微動だにせず、釧の瞳だけが鋭く空を射抜く。なにもないはずの空に、なにかがいる。
 刹那、釧の腕が放つ衝撃が虚空で弾ける。
「遠当て≠ニは相変わらず器用だね」
「亡霊の懐刀風情が…」
 まるで空が捻れたように歪んだ空間から現れる蘭丸に、孔雀もまた釧同様に空を睨みつけ、薙刀の切っ先を突きつける。
「フフ…、怖いね。でもね、用があるのはキミじゃない」
 妖しい笑みを浮かべたまま、蘭丸の視線は釧に固定されている。
 まるで心を覗き込まれるような不快感に、釧は獣王式フウガクナイを引き抜いた。
「丁度いい。キサマらの根城を吐いてもらうぞ」
 頭を叩けば後は烏合の衆。釧にとって、信長こそが仇であり、討つべき相手なのだ。
 それ以外に構っている暇などない。
「吐かねばキサマを切り捨てるまでだ」
「その目さ。その目が欲しい…」
 言葉が届いていないのか、どこかうっとりとしたように呟く蘭丸に、釧は忌々しいとばかりに舌打ちする。
 得体の知れない相手だ。やはり今ここで斬るべきかと一歩を踏み出したとき、再び空が歪んでいく。
「キミの相手をするのは……彼らだ」
 蘭丸を守護するように姿を見せるそれに、釧の瞳が大きく見開かれる。
 鎧かと思われたそれに、釧は確かな覚えがある。
 立ち上る黒煙。広がる業火。燃え尽きる思い出。そして、十字に刻まれた悪夢。
「キ…サ…マ…ら…」
 途端に釧の纏う殺気が膨れ上がった。
「誰かと思えば、皇サマじゃねぇかよ」
 その下品な声で笑うな。
「あらら〜。やっぱしきちっと殺さへんかったんマズかってんな〜」
 殺しただろう。お前は何人も、何万人も殺しただろう。
 覚えている。忘れるものか。
「双武将…!」
 釧がその名を口にすると、どこかで鈴がちりん、と小さな音を立てた。
「三位一体っ!!」
「獣王式忍者合体、カオスフウガァッ!!!」
 黒衣の獣王が弾かれたように飛び上がり、二振りの絶刀を鎧巨兵めがけて振り下ろす。
「甘々やで!」
 ガイ・レヴィトの連結刃が唸りをあげてカオスフウガを弾き飛ばし、間髪入れずにガイ・ヴァルトの拳が交差した絶刀に直撃する。
「赤いのよりはやるじゃねぇか!!」
「一緒にするな…」
 膝で腕を打ち上げ、空いた腹部に蹴りを突き刺すと、仰け反るガイ・ヴァルトに向けて両肩のカオスショットを撃ち散らす。
 効かずとも良い。視界を奪えば充分だとばかりに間合いを詰めると、頭を刈り取るように回し蹴りをお見舞いする。
「ヴァルだけが相手とちゃうねんでッ!!」
 生き物のように複雑な動きを見せるレヴィトの連結刃に、カオスフウガは怯むことなく飛び込んでいく。
「この程度。一度見ていれば十二分に対応できる」
 背中に襲いかかる刃を翼で弾き返し、アンカーのように伸びた獣爪がレヴィトの腕を絡めとる。
「砕け散れっ!!」
 勢いをつけ、振り回したレヴィトの向かう先。螺旋の一角を携えた銀の忍巨兵が待っていたとばかりに自慢の角を突き出した。
「野郎ッ!!!」
 横からの蹴りにもんどりうつ輝王は、素早く変化すると、追い打ちをかけるヴァルトに金色の炎を放つ。
「サイクロン・フレアっ!!」
 身をかわす鎧巨兵に、輝王は槍手となって薙刀を振りおろす。
 交差した腕が薙刀の柄を受け止め、ギリギリと互いの力がぶつかり合う。
「やるじゃねぇかよ、忍巨兵ッ!!!」
「釧さまの前に立ちふさがることは許しません!!」
 ヴァルトの力に押されながらも、孔雀の心はただの1ミリも下がってはいない。
 レヴィトの振るう連結刃が戦場を駆ける中、カオスフウガは身軽に合間を潜っていく。
「もはやキサマの技など、ものの数にはならんっ!!」
 絶刀の放つ煌めきが連結刃を弾き飛ばし、そっくりそのままレヴィトへと叩き返す。
「オマエたちの弱点は、自身の穴を己で塞ぎきれぬことだっ!!」
 円を描くような動きがヴァルトの力を受け流し、背後から袈裟切りに振り下ろす。
「や、野郎ッ!?」
 双武将の連携を上回る主従の信頼に、一連の流れを見守っていた蘭丸は忌々しげに目を細める。
 正直、想像以上の力だ。クロスフウガと互角に渡り合っていたと聞いていたが、遙かに上回る実力ではないか。
 輝王のサポートも孔雀の性質を受けたためか、釧の後を追うように続いている。
 クロスフウガ、コウガ、ダブルフウマが揃ったとしても、これだけの戦闘をこなせるとは思えない。
 双武将をぶつければ黒衣の獣王も隙を見せると思ったが、その意識は決して蘭丸から外れてはいない。
「……仕方ない。少し強引にいくしかないか」
 蘭丸の手に握られた巻物は、水に溶けた血のように赤い霧が滲みだしている。
 一目見てわかる。これは危険だ。これはあってはならない力だ。
 ギオルネの生み出した忍邪兵の巻物。その力を更に突き詰め、より強力にしたものがこれだ。
 ゆっくりと紐解くと、溢れ出した赤い霧が戦場を覆うように広がっていく。
 蘭丸の妖しげな笑みは、見もしない釧たちの瞼に焼き付いていく。
「蘭ちゃん!?」
「あいつッ、オレ様たちを囮に…ッ!!」
 その表情からはなにも読みとることができず、うっすらと浮かべる笑みは、双武将の言葉を肯定しているようにも見える。
 異彩を放つ巻物のただならぬ雰囲気に、輝王はカオスフウガを守るように立ちふさがる。
 なにか、悪い予感がする。取り返しのつかない悪い予感が。
 そう感じた瞬間、赤が視界を埋め尽くした。












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