風雅の里の一角にある洞窟に、統巫女と姫の姿があった。 しかし、洞窟とは名ばかりで、その内装は大型の工場そのもの。 その中央に位置する台座に鎮座する巨大なそれに、翡翠は驚きの表情を浮かべる。 それは卵だった。だが、地球上のどの生物にも該当しない、超巨大な卵。 不安と期待の入り交じる感情に挟まれながらゆっくりと歩み寄ると、その卵が鼓動を打つように明滅する。 どうやら既に命を宿しているらしい。翡翠が触れてやるだけで、卵の中央がより明るく明滅する。 「どうです、かわいいでしょ?」 そんな言葉に振り返れば、そこには一人の少女が立っていた。女性と呼ぶには幼すぎる顔立ち。一人だけ周囲から浮いたように、煤汚れた作業着に身を包む小柄な体格とボーイッシュなショートカットを見ていると、陽平よりも年下ではないかと思えてくる。 ちなみに、これでも陽平よりは年上である。 「初めてお目にかかります、姫様」 「彼女はこの施設の責任者兼蒼天の開発責任者、葵日向【あおいひなた】です」 琥珀の紹介に頭を下げる日向に、翡翠はどこか懐かしい感覚を覚えていた。 彼女と会うのはこれが初めてだし、事実相手ははじめましてと言っている。ではいったいこの気持ちはなんなのだろうか。 「めのう…?」 突然翡翠の口にした言葉に、日向だけでなく琥珀までもが驚きの表情を見せた。 確かに日向は瑪瑙という巫女の関係者なのだが、それを口にした覚えはないし、ましてや今の日向と瑪瑙を結びつけることは難しい。 (これは……鬼眼?) 戸惑う二人に、翡翠は首を傾げる。 「姫様。わたしは瑪瑙じゃありませんよ」 日向の言葉に翡翠は頷く。どうやら追求する気はないらしい。 ホッとしたような、そしてなにかひっかかりのようなものを感じたまま、この話題を打ち切ると、改めて巨大な卵を振り返る。 「わたしはなにをすればいい?」 確かにこれだけ巨大となると、抱えて暖めるというわけにはいかない。 「姫様、もう一度この子に触れてあげてください」 言われた通りに触れてみる。それだけで卵は喜んでいるかのように明滅を繰り返す。 「この子はね、姫様の巫力に触れて喜んでいるんです」 つまるところ、この卵は巫力を栄養に育つらしい。 「さわればいい?」 「いいえ。姫様の巫力をこの卵に分けてあげてほしいんです」 感慨に耽るように卵に触れ、日向はそっと額を卵にぶつける。 「優しく、赤ん坊を抱きしめるようにするんです」 日向に倣って真似をしてみるが、どうにもよくわからない。そもそも赤ん坊を抱いたことはないし、巫力をまともに使ったことだってないのだ。 巫女としての力もあれば、潜在する巫力も相当なもの。しかし、使い方がわからなければ猫に小判、豚に真珠である。 「難しく考える必要はありません。元気に産まれてほしいと願うだけで、翡翠…姫の巫力は、きっと卵に伝わります」 「やってみる」 自分の掌をじっと見つめ、改めて両の掌で卵に触れる。 すると、まるで水面に広がる波紋のように、金色の光が卵を覆うように広がっていく。 不思議な感覚だった。まるで卵と対話をしているような奇妙な感覚を覚え、翡翠は卵を追うように視線をゆっくりと上に向けていく。 物言わぬ卵のはずが、どこか喜んでいるように感じたのは、決して気のせいではないはずだ。 そんな翡翠の背中を見つめる琥珀はどこか物悲しそうで。まるで失った過去を見つめているような…。 「きっと……大丈夫です」 そんな日向の呟きも届かぬほどに、琥珀の瞳は哀しみを宿していた。 襲い来るカマイタチから身を隠し、陽平は木を背にしたまま次の攻撃に備える。 なんのつもりかは知らないが、雅夫は繰り出す攻撃のすべてを術で行い、じわじわと陽平を追い込んでいく。 見通しの悪い森の中では、さしもの鬼眼もその力を発揮することはない。故に初めて見せる雅夫の攻撃に、なすすべもなく追いつめられていった。 「っと、またかよ!?」 いったいどこから攻撃しているのか、陽平の頬を掠めるように木の葉が突き刺さる。 じっとしていたらやられる。とっさの判断で走り出した瞬間、それを先読みしていたと言わんばかりに足下が爆発した。 「今度は土遁かよっ!?」 クルリと着地すると、再び木の陰へと潜り込む。やはり迂闊に動けない。動いた傍から術の強襲を受け、なぶられるように追い込まれていく。 これでは雅夫の思うツボではないか。 「死角からの術…。打ち返してこいってのかよ」 そっと覗くように頭を出せば、カマイタチがすぐ傍を掠めていく。 「舐めやがって。俺だって術の一つや二つ…!」 素早く印を組み、そのまま木の陰から飛び出すと、襲いかかるカマイタチに向けて術を解き放つ。 「火遁、業火球之術っ!!」 だが、陽平の掌から放たれた火球はカマイタチと接触した瞬間、火種を失ったかのようにかき消されてしまう。 何事かと目を丸くするが、なんてことはない。ようするに風遁で真空状態を生み出し、炎を押さえ込んだのだ。 なんだか、山火事を気にしての行動にも見えたが、陽平の術など雅夫の前では物の役にも立たないと笑われているかのようにも思えて仕方がなかった。 「あんにゃろぉ…」 だが、手も足も出ていないのもまた事実。 そもそも、陽平が火遁を使えるのは、幼い陽平に教え込んだ人物がいたためだ。それ以外の術は、鬼眼が楓たちの術をコピーしたものだ。雅夫を相手に通じないのは自明の理。 「反撃したけりゃ、自分で……鬼眼も見本もなしになんとかしろってことかよ」 雅夫の返答はない。だが、言いたいことは分かる。 今後、ガーナ・オーダとの戦いに術が使えませんでは話にならない。影衣に施された術はいわば初心者用に単純化されたもの。激化していく戦いの中、それらが通じなくなるのは時間の問題だ。いや、既に陽平の実力では通じない域に来てしまったのだ。 今ここで強くなれなければ、新たな力を手にしてくる柊たちのお荷物になる。 「舐めるなよ。俺は……いや、俺が翡翠を守る忍者だ!」 意を決して木の陰から飛び出し、襲い来るカマイタチの中を走り抜けていく。 「風遁…」 基本は鬼眼がコピーしている。あとは陽平がそれを練り上げるだけでいい。 既にそれだけの器量は出来上がっているはずなのだ。 (見せてみろ。フウガマスターの息子たる力、その一端を) 雅夫の見守る中、陽平の生み出した風が鋭く研ぎ澄まされていく。 (まだだ。これじゃいつもと同じ! 俺に必要なのは、今の……今までの俺を越える力なんだ!!) その瞬間、陽平の手の中でなにかが生まれた。術を生み出す巫力とは、イコール精神力や生命力と同義。それらを自然界の気と混ぜ合わせ生み出される力が巫女の扱う術だ。 陽平たち風雅の忍者の扱う術も根元は同じ。扱う者の精神力に左右され、大きくも小さくもなる。 まるで、それらを肯定するかのように手の中の風が超圧縮されると、陽平の意志をそのままに風が一筋の閃となって木々の間を突き抜けた。 恐ろしく甲高い音が響き渡り、白い閃光が木々を切断する中、今の術から身をかわした雅夫がようやく陽平の前にその姿を現す。 「よもやソニックビームまで撃つとは、さすがに予想外だったぞ」 それは術の限界を越えた術だ。未だかつて、風遁でここまでのものを放った者を雅夫は知らない。 というか、ここまでくれば既に人間業ではないかもしれない。 「へっ、これで満足かよ。すぐに追い越してやるから覚悟しやがれ」 まだ誰も成し遂げたことのない事を容易く口にする息子に、雅夫は面白いとばかりに口元に笑みを浮かべる。 「世界最高の忍者、風雅雅夫! あんたを超えるのはこの俺だ!!」 「ふむ。…やってみるといい。父の偉大さを骨の髄まで教えてやろう」 ぶつかり合う気迫の中、互いに次の術を発動させる印を組む。 「「土遁──」」 重なる声と共に両者の足場のが沈み、二人は術を叩きつけた。 赤く染まった視界に、釧は訝しげな瞳を向ける。 いや、正確には赤い霧のような輝きを遮り、カオスフウガたちの前に降り立ったそれを睨みつけているのだ。 見覚えのある背中だ。間違いない、これは忍巨兵だ。 「キサマは……賢王か」 「いかにも。お久しぶりですな、皇。賢王トウガ、遅ればせながら馳せ参上いたしました」 蝦蟇の変化した忍巨兵──賢王は、その持ち前の巫力で障壁を生み出し、赤い霧を徐々に押し返していく。 「このようなおぞましき光、皇に触れることまかりならぬ」 両肩の瞳がきょろきょろとせわしなく動きまわり、瞬時に周囲の情報をかき集めていく。 先ほどまで戦闘を行っていたはずの双武将の姿はない。 逃げたのか。確かにこの状況では、この場に留まるのは危険すぎる。 「輝王、そして巫女孔雀よ。皇を連れて退くのだ」 「へぅ!?」 突然の言葉に、孔雀は賢王とカオスフウガを交互に見交わす。 忍巨兵の頭脳、賢王の指示に従うべきか、皇である釧の指示を仰ぐべきか。 だが、迷っている暇などない。賢王の結界にはヒビが走り、今にも砕けてしまいそうな音を立てている。 (いかん。このままでは皇だけでなく、ワシや輝王さえも奴らの手の内に…) なんとかしなければと周囲を伺うが、現状を打開できそうなものは見受けられない。 「やれやれ。ワシは頭脳労働担当なんじゃがな…」 武装用である忍獣を装備して尚、戦闘力に欠ける賢王に残された手段と言えば、その身を盾にして守ることに他ならない。 まだ勇者の力にさえなれていないというのに、よもやこんなところで歩みを止めることになるとは思わなかった。 しかし、これが後の勝利に繋がるのならば、この命惜しくはない。 (かまわぬよ。ワシらは長く生き過ぎた) 本来、人の身であった彼らにとって、忍巨兵となってからの日々は実に長いものであった。 とくに賢王のように、ある程度の歳を迎えてから忍巨兵となった者にとって、それは想像以上に長い人生だったのかもしれない。 あの戦を生き延び、愛する者たちの亡骸を前に涙を流せなかったあの日から、賢王は死に場所を求めていたのかもしれない。 「あの力の源を絶てば…!」 意を決して自ら結界を引き裂くと、空に輝く凶星のような紅点を目掛けて力の限り大地を蹴る。 単独での飛行能力を有した忍巨兵は少ない。賢王もまた、飛べない忍巨兵の一人であったが、彼には翼にも勝る脚がある。その脚が大地を蹴った瞬間、賢王の巨体が凄まじい速度で舞い上がった。 「これしかあるまいて…!」 空中で蝦蟇に変化を遂げた賢王は、僅かな躊躇の後にその長い舌を伸ばすと、毒々しい輝きを放つ紅点を己の体内へと取り込んだ。 忍巨兵と忍邪兵は言うなれば正と負の存在。水と油のように反発し合い、決して混じり合うことはない。 皮肉なものだ。元は忍巨兵という一つの存在でありながら、まったく別の存在として反発し合うとは。 忍邪兵の力は命を弄び、忍巨兵は命を守り続ける。その両者が一つになって、何も起こらないはずがない。 そして、それはやはり風雅忍軍にとって最悪の結果を迎えようとしていた。 「な……に…」 釧の見守る中、それは突如として異質な変化を見せ始めた。 赤い光は徐々にその規模を小さくしていくと、賢王を包み込み、その表面を変化させていく。 蝦蟇特有の艶は消え失せ、まるで腐った肉のように不気味な色を見せる。 「バカな…」 「こ、こんなこと…!」 事態を見守る輝王と孔雀もまた、その変化に震えを感じていた。 動けなかった。ただの一歩も動けなかった。視覚的な恐怖よりも、心臓を鷲掴みにされるような精神的な恐怖が心を支配していく。 「賢王……トウガ!」 釧の声に巨大な瞳がギョロリと動く。 だがそこにさっきまでの優しさや、全てを見通すような澄んだ光はない。あるのは殺意や敵意、恨みや妬みのようなどす黒い感情だけ。 これは賢王では、忍巨兵ではない。これはまるで… 「忍邪兵…だと!」 さしもの釧もこれには目を見開き、驚きを露わに賢王の姿を凝視する。 「変…化!」 賢王の口から漏れる言葉に、カオスフウガは輝王を突き飛ばすように退くと、迷うことなく刃翼――絶岩を投げ付けた。 しかし、刃は賢王に届くことはなく、身体を覆う赤い光に触れた途端にドロドロと崩れ落ちていく。 「なんだとッ!?」 「当初の目的とは違ったけど、なかなか素敵じゃないか忍巨兵」 いつの間に距離を置いたのか、一際高い木の頂に立つ蘭丸は、愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべている。 「キサマ……何をした」 怒りの視線を向ける釧に、さぁね、と首を傾げる蘭丸は、妙に浮かれたような笑みを浮かべている。 「命は惜しくないらしいな…!」 「忍巨兵など、忍邪兵の前には無力だということさ」 より強大な忍邪兵の力が忍巨兵としての賢王を打ち消し、忍邪兵へと変えたということか。 忌々しいとばこらに舌打ちする釧に、忍邪兵となった賢王が振り返る。 正気ではない。いや、それ以上に賢王と呼ばれた存在ですらなくなったらしい。 しかも、蘭丸は釧に目掛けてあれを放ったということはつまり… (狙いはカオスフウガか…) 最後にして最強の忍巨兵。その力は折り紙付きで、単機で風雅忍軍の忍巨兵たちを圧倒する。ガーナ・オーダが欲するのは無理からぬことだ。 「ふふ…。智将と謳われた賢王も、これでは腐王だね」 やはりいつの間に移動したのか、腐ったようにひしゃげる装甲に触れ、蘭丸は賢王を嘲笑う。 「賢王、今この時より、キミの名は腐王だよ。腐王忍者ドウザ」 なにを勝手なと、輝王が怒りの視線を向ける。 もしも闇王を、モウガを同様に弄んだというならば。そう考えるだけで薙刀を握る手に力が籠る。 「怒るのは構わないけど、いいのかい?」 腕を組ながら蘭丸が指差した瞬間、何かが輝王を弾き飛ばした。 何事かと顔を上げてみれば、賢王――いや、腐王の鞭が槍のように足下に突き立てられている。 「賢王……忍巨兵の誇りも失ったか!」 「き、輝王…だめですぅ!」 反撃を試みようとする輝王を制し、孔雀はじっと痛みを堪えるように薙刀を握り締める。 肝心の釧はなにも言ってはくれない。いや、まるで怒りを抑え込むかのように押し黙り、腐王を睨みつける。 「釧…」 カオスフウガの言葉に奥歯を噛み締め、釧は手にした刃を突き付ける。 「立ち塞がるのならば……断ち切るまでだ。輝王!」 「ぇ……え?」 言葉の意味が理解できないとばかりに、孔雀が目を丸くする。 (賢王を……斬る?) それほど容易く仲間を斬るというのだろうか。釧にとって仲間とはいったい。そんな疑問が次々と湧いては消えて行く。 「巫女!」 「は、はい!?」 輝王の喝に孔雀の身体が跳ねる。 「皇が呼んでいる」 確かに、自分は釧に仕える忍巨兵の巫女なのだ。皇である釧の言葉は孔雀にとっては絶対のもの。しかし、孔雀とて人形ではない。考えもすれば迷いもする。 その迷いが釧にどう映ったのか、確認する間もなくカオスフウガが飛び出した。 「いいのか」 「戦意のないものはいらん」 吐き捨てるように呟き、釧は腐王目掛けて絶刀を振り下ろした。 後退しながら振るう鞭を叩き落とし、更に追い込むように間合いを詰めて行く。 獣爪を飛ばして鞭を弾き、腐王の喉へと手刀を突き立てる。 「命乞いなどいらん。そのまま朽ち果てろ!」 そのまま首を叩き落とそうと腕に力を込める。だが、指先に走る痛みが咄嗟にカオスフウガを後退させる。 見れば、腐王の力で腐食されたのか、火傷のように皮膚が焼けただれている。 どうやら迂闊に触れてしまうわけにはいかならしい。 「…ならば、斬り捨てればいいだけのこと」 「待つんだ、絶岩を見ただろう。ヤツに接近するのは危険だ。いったいなにを焦っている」 先ほど投げた絶岩は、腐王を切り裂くことなく崩れ落ちている。少し考えればわかることだ。 自分の行動に苛立ちを覚えつつも、生まれてくる焦りのような怒りが、皮膚を裂くほどに拳を握らせた。 (悲しんでる) 孔雀の瞳に映る釧は、まるで涙を流しているかのように見えた。 (釧さま…) 彼は冷血漢ではない。それはわかっていたはずなのに、理解していたはずなのに。 恥ずかしかった。少しでも釧を疑ったことが。悲しんでいないはずがないのだ。賢王トウガと釧の間には確かに絆があったのだ。だからこそ賢王は命を懸け、釧はこれ以上賢王の名を汚させないよう、その命を絶つ決意をしたというのに。 「輝王、わたし……いきます!」 手にした薙刀を振り上げ、勾玉の力を開放する。 そうだ。自分が決めたことなんだ。なにがあろうと釧の盾となり矛となると。 「釧さま!輝王をお使いください!!」 輝王のスパイラルホーンならば、腐王の力に触れることなく貫き崩すことができるはずだ。 「……いいだろう」 僅かな間を置いて肯く釧に、孔雀は精一杯のお辞儀で謝罪をする。 余計な言葉なんていらない。今は精一杯の行動ですべてを示すときなのだから。 「風雅流、武装巨兵之術ぅ!」 孔雀の巫力が輝王をスパイラルホーンへと変え、カオスフウガの右腕を螺旋の一角で武装する。 眩い光の中で閃角の獣王がその姿を現し、目を細める蘭丸を吹き飛ばさんばかりの勢いで黄金の光が飛び散った。 |