風雅の里を風になって駆け降りていく。
 来たときのような違和感を感じないところをみると、出ていく分には何の問題もないらしい。
 冷たく輝くクナイをくるりと回し、勾玉の輝きが正常であることを確かめると、腰を低く落として足下を切り付けながら駆け抜ける。
「影衣着装──」
 陽平を追いかける津波のような影が身体を覆い、少年を勇者の名を冠した忍者へと変えていく。
 シャドウフウガ。本来、フウガマスターと呼ばれる者だけが名乗ることを許されたはずの獣王の忍びの証。
 そうだ。陽平はすべてにおいて異端すぎるのだ。故に現フウガマスターである雅夫は希望を託し、統巫女である琥珀は未来を託した。
 フウガマスターとは、風雅に伝わる全ての技法を学び体得し、忍者マスターの位を得た風雅忍者に与えられる称号だ。その権限は、独自の判断で全ての行動を行うことを許され、風雅にとって害なす者と判断すれば王族さえも斬ることを許された唯一無二の存在。
 本来、シャドウマスターと呼ばれる言わばフウガマスターの影的な存在であった雅夫は、前フウガマスターの突然死によって今の名を継ぐことになったが、決してフウガマスターとして、シャドウフウガとして相応しくなかったわけではない。
 では、何故陽平のような未熟な、それも子供と大人の中間のような者が獣王の忍びとなったのだろうか。
 それこそ雅夫が獣王を駆っていれば、今の戦力を物足りないと感じたりはしなかったのではないだろうか。
 陽平とてそのことを考えなかったわけではない。悔しいが雅夫が自分より強いのはわかっていたし、柊や楓が自分よりも忍者として相応しかったとも思っている。
 だが、肝心の獣王は陽平だと、この少年こそが相応しいと感じたと答えるだけで、肝心な部分はなにひとつ答えてはくれなかった。
 すべては、これからの行動が証明してくれるはず。
「風雅流忍巨兵之術──三位一体っ!!」
 忍びの呼び掛けに獣王がその姿を現し、そして今再び紅の鎧を身に纏う。
「獣王式忍者合体、クロスフウガぁッ!!」
 紅の獣王は空を翔け、風を追い越して疾風となる。
 二度の敗北はない。それ即ち死を意味することとなる。
「気負い過ぎるな、陽平」
「わかってる…」
 手にしたクナイを握り締め、勾玉を通じてクロスフウガの全てとリンクする。
 二つの視線が重なり合い、意を決して舞い上がる。
「いくぜ、クロスフウガっ!!」
「応ッ!!」






勇者忍伝クロスフウガ

巻之十参:『咆哮(前編) -A Day Of Judgment-』







 黒の獣王が腐王に抑え込まれて数分の時が過ぎた。
 あれから両者共に動きらしい動きはなく、不気味な沈黙は悪寒さえ感じる。
 釧に救われ一人難を逃れた巫女孔雀は、そんな主にどうすることもできず、ただ歯痒い時が過ぎ行くのを待ち続けるしかなかった。
 助けを呼ぼうにも誰を頼ればいいのかわからず、孔雀本人の忍巨兵である輝王は、黒の獣王と共に腐王の支配下にある。
 不意に優しい目をした獣王の忍びが脳裏を過ぎっていくが、釧と彼が敵対しているのはもはや誰が見ても明白だ。
「釧さま……わたしはどうしたら良いですか?」
 彼女に出来るのは、ただ見守り続けることだけ。
 本当ならば再び乗り込んでいって、持てる力の全てをかけて釧を助け出したいのだが、釧は孔雀を逃がしたのだ。それが意味するところがわからない以上、今はまだ、むやみやたらに命を捨てるわけにはいかない。
(釧さまはきっと、わたしになにかをさせようとしたんです。でも…)
 あのとき釧は、孔雀のことを足手まといだと言っていた。もし、本当に言葉の通りならば、この命と引き換えに釧を助け出す覚悟はある。
(こ、怖い…けど)
 だが、意を決して一歩を踏み出そうとしたそのとき、カオスフウガに勝るとも劣らない強大な力が、ずっと遠くから超速度で接近するのを感じ取り、跳ね上がるように背後を振り返った。
(紅い…)
 刹那、孔雀を追い越すように黒の獣王の前に立ち塞がるそれは、獅子の咆哮と共に雄叫びのような声を荒げた。
「てぇめぇ! なに呑気に捕まってやがる!?」
 怒鳴っているのは当然ながら陽平なのだが、孔雀にはなぜ彼が怒っているのか皆目見当がつかなかった。
 そんな孔雀のことなど捨て置き、陽平は更に大声で怒鳴りつける。
「目ぇ覚ましやがれっ!! てぇめぇがその程度でくたばるタマかよっ!!」
 勝手なことばかり言う。
 腐王の触手によって、身体のみならず思考まで抑え込まれていた釧の眉がぴくりと反応した。
「クロスフウガ、あの気持ちワリィのをひっぺがしゃいいのか?」
「おそらくは。だが、気をつけた方がいい。あの外装はどうやら忍邪兵だ」
 忍邪兵という説明に、陽平はどこかしっくりこない感じがした。
 確かに不気味な外観をしているが、どうも本質は別にあるような気がしてならないのだ。
「なぁ、あれって忍巨兵じゃねぇのか?」
 本来、賢王であったそれは既に原形をとどめぬほどに変わり果てている。それを一目で見抜く辺り、陽平の本質を見抜く力は想像以上に高いらしい。
 観念したように頷く獣王に、陽平は嘘だろ…、と言葉を失った。
「あれは賢王トウガ。忍巨兵の頭脳と呼ばれていた者だ」
 頭脳というよりも、腐りかけた脳味噌のような気がしないでもないが、そんな冗談を言っていられる雰囲気でもないらしい。
「そのトウガがなんであんな姿になっちまったんだよ…」
「ワタシにもわからない。──陽平ッ!?」
 突然叫ぶ獣王に、陽平は咄嗟に回避行動を取る。
 直後、獣王の立っていた場所が火山のように爆発し、勢いを殺しながら振り返る陽平は、いったい何事かと周囲を伺った。
 否。初めから探す必要などどこにもなかったのだ。敵≠ヘ陽平の目の前に、ずっと立っていた。
「…カオスフウガ」
 陽平がその名を口にすると、まるで違うと否定するかのように黒の獣王が吠えた。
 いつものカオスフウガじゃない。それは獅子ではなく、魔物のような咆哮が全てを物語っている。
「釧……、くしろぉぉっ!!」
 返事はない。それらしい反応も見られない。
 釧ほどの男が、そう易々と敵の手に落ちるとは思っていなかっただけに、悔しさで舌を打つ。
「獣王……クロスフウガ…」
 黒の獣王から発せられた声に、陽平は我が耳を疑った。
 随分と雰囲気は違えど、陽平が長年付き合ってきた幼馴染みの声を聞き間違うはずがない。
「みつ…み?」
 姿など見えなくてもわかる。これは光海の声だ。
 たどたどしくその名を呼ぶ少年に、腐王の中で夥しい数の触手に四肢の自由を奪われ、ただひたすらに巫力を放出し続ける光海はなにも応えない。
「光海! 応えろ、光海ぃ!!」
 返事はない。
 なんということだ。よもや釧だけならず光海までもが一緒にいるとはさすがに予想外だった。
 だが、どういうわけか、陽平の口元が不敵に緩む。
「陽平…?」
「丁度いいじゃねぇか。こいつを倒せば光海と釧。一気に二人も助けられるんだ」
 手間が省けて好都合だと言わんばかりに、陽平は黒の獣王に対して身構える。
 だが、それを嘲り笑う者もいた。
「キミにできるのかい? この、腐獣王カオスケラードストライカーを倒すなんて…」
 まるで霧の中から現れるように、黒の獣王の肩に現れる相手を油断なく睨みつける。
 この人を馬鹿にしたような女の声には聞き覚えがある。
 正直、苦渋を飲まされた相手だけに、この声を忘れたことなどただの一瞬もない。
「てぇめぇは…、森蘭丸か」
 陽平の答えに満足したのか、怪しげな笑みを浮かべる蘭丸は、覚えていてくれて嬉しいよ、などといらぬ挑発までしてくる始末。
「忘れるかよっ!! モウガの件、こっちはてぇめぇには聞きたいことは山程あるんだ…!!」
「こちらに答えられることはないよ」
 いちいち癪に障る。この男は人を見下す以外のことはできないらしいと早々に自己完結しておくことにして、素早く抜き放った斬影刀の切っ先を突き付ける。
「ふふ。本当に風雅というものは野蛮人が多いみたいだね」
「でっけぇお世話だ! それよりも…、こいつ、腐獣王とか言ったな。いったいなんのためにこんなことしやがった!」
 獣王を、クロスフウガを倒すためにしてはやり方が回りくどいのが気にかかる。
 それが蘭丸のやり方だと言ってしまえばそれまでだが、カオスフウガを操るというのはさすがに度が過ぎているようにも感じられる。
「身体がね…必要なんだ」
 ぽつりと呟くように漏らした一言に、陽平は唯一行き着く回答を導き出す。
「信長の…身体にしようってのか…」
 冗談も休み休み言えば通じるというものではない。
 そもせも厄介なのは、この相手が冗談ではなく本気でそう考えている辺りだ。
 もしこのまま自分が敗れるようなことになれば、翡翠の命は愚か、織田信長の復活まで黙認することになる。
 だめだ。それだけは決して許すわけにはいかない。
 クロスフウガの獅子が吠える。どうやら獣王も同じ気持ちらしい。
「出来るとか…出来ねぇとかじゃねぇ。これは俺と忍巨兵の意思だ!! 俺の全てをかけてでも、カオスフウガに取り憑いた邪悪な衣だけは振り払ってやるぜ!!!」
 叩き付けられた陽平の咆哮に、腐獣王が気圧されたように僅かな動揺を見せる。
「いくぜ!! クロスフウガ……推して参る!!」
 手にした斬影刀を振りかざし、瞬く間に間合いを詰めていく。
 空気を震わせるような甲高い音が響き渡り、黄金の角が獣王の突撃を阻む。
 回転する角に弾かれ、後退しながら両肩のクロスショットを撃ち散らし、着地と同時に一瞬で視認できぬ速度まで加速する。
「霞斬りっ!!」
「ウゥオオオオッ!!」
 だが、必殺の霞斬りさえも触れることなく空を裂き、舌打ちしながら自らの勢いを殺す。
 クロスフウガの四方に現れた四つの人影に、陽平は再び霞斬りの構えを取る。
 四方に現れた四つ身分身。その意味するところは嫌というほどに記憶している。
「来るッ!」
 四つの腐獣王が同時に加速すると、瞬く間に視認できぬ速度まで達する。
「今更そんなもンでぇっ!!」
 同時にクロスフウガも加速すると、腐獣王の霞斬りをすり抜けるような流れる霞斬りを放つ。
 霞斬り返しは想像以上に上手くいったようだ。腐獣王の肩を飛ばすような絶妙のタイミングだった。
「新霞斬り改め……疾風斬り【はやてぎり】。このままバラバラにしてでも…」
 だが、奇妙なことに切り落としたはずの腕は一向に落ちる気配を見せない。
 目を凝らすように見てみれば、腐王のパーツが無理矢理繋ぎ合わせ、強化な巫力が超スピードで傷の修復を行っているではないか。
 どうやら一筋縄ではいかないらしい。
 それにしても、性能のそれは確かに脅威的だが、思っていた以上に手応えがない。
 これは決して自分が強くなったとかそういう事態ではない。
(そうか…)
 腐獣王のシュートブラスターを避けながら、陽平はカオスケラードストライカーに起きている一つの事実に行き着いた。
(釧は囚われてなんかいねぇ。あの野郎、しっかりカオスフウガから分離してやがるンだ!?)
 故に性能で戦うことはできても、忍びの経験や判断で戦うことができないのだ。
 やはりただで捕まるとは思っていなかったが、咄嗟の判断で分離していたとは驚きだ。
「悪ぃが高性能が売りの新製品に負けるつもりはねぇ!!」
 腐獣王の放つサイクロンフレアをアクロバットな動きでかわし、お返しとばかりにシュートブラスターを連射する。
 直撃こそしなかったが、確実に相手は怯んでいる。
「クロスフウガ、二人の居る場所はわかるか!?」
「既に見つけている。両者共に忍巨兵の頭部だ!」
 相変わらず融通の利く相棒だと、こんな状況だというのに思わず笑みがこぼれる。
 つまりは、釧はカオスフウガ頭部、光海はカオスフウガ頭部を覆っているパーツにいるということか。
 だが、さすがに首を落として救出するというのはどうだろうか。
 救い出すのは、釧と光海だけでないという今更な事実に、陽平は苛立つように舌を打つ。
「とにかく全身のパーツをひっぺがしゃ、カオスフウガは大人しくなるだろ!?」
 絶岩の十字手裏剣を紙一重で避けながら急接近すると、頭部のパーツに狙いを定めて斬影刀を振りかぶる。
「もらっ──!?」
 だが、今まさに振り下ろそうとした瞬間、腐獣王とはまったく別の方向から襲いかかる衝撃に、獣王が投げ出されるような形で吹っ飛ばされていく。
 木々を薙払うように転がった陽平は、あまりの痛みに喉の奥から呻き声を漏らす。
「な…、なんなんだ!?」
 敵意に敏感な陽平が、こういった形で吹っ飛ばされるのは珍しい。
 だが、陽平に向けられている視線は敵意ではない。ましてや殺意や憎悪の類いでもない。
 突如として現れたそれに、陽平が驚きの声をあげるのと、クロスフウガがその忍巨兵に驚きの声をあげるのはほぼ同時であった。
「な……、あいつも、忍巨兵!?」
 海の色をした身体に水を纏い、空気中の水分を味方につける忍巨兵。
「海王…レイガ」
 獣王が名を口にした瞬間、剥き出しの敵意が陽平に叩き付けられる。
 立ち上がり、何事かと目を丸くする陽平を一瞥すると、海王はすぐに腐獣王へと視線を戻す。
「確認する。忍巨兵、光海はあれの中だな」
 海王のパートナーとなった国連軍所属の青年、蓬莱光洋の問い掛けに、レイガは解析した情報を確認して頷いた。
「間違いない。森王の巫女はあの中だ」
「まさか本当に奴等に関わっていようとはな。ならばあの忍巨兵を破壊して光海を救出する。戦闘行動開始だ」
「了解だ」
 陽平たちを完全に無視して話を進める海王と光洋に、さすがの陽平もカチンときたらしい。
 無言のまま海王の懐まで飛び込むと、獣王が制止をかけるより早く海王の腹に渾身の拳を叩き込んだ。
 そのままくの字に折れるかと思われたその一撃。しかし、驚かされたのは陽平の方だった。
 海王を構成する鮫型忍獣──海魔の顎が、獣王の腕をがっちりと噛み止めたのだ。
 驚愕の表情を浮かべる陽平に対して、大した興味もなさそうに獣王を一瞥すると、光洋は呟くように「絶対に放すな」と指示を出す。
 刹那、一撃で意識を刈り取られそうな膝が腹に突き刺さり、くの字に折れ曲がりながら獣王の身体が浮き上がる。
 腕を掴まれたままでは衝撃を逃がすことさえままならず、崩れ落ちそうになる陽平に、今度は嵐のような拳が叩き込まれていく。
「が──っ!?」
「こんなものか。最強という言葉も安くなったものだな…」
 膝をつく獣王を見下ろす光洋は、苛立ちをぶつけるかのように頭を鷲掴みに吊し上げていく。
「失せろ」
 吐き捨てるような言葉と共に、そのまま力任せに放り投げると、改めて腐獣王を振り返った。
 見れば腐獣王もダメージの修復が終わったらしく、海王に対して明らかな戦闘の意思を示している。
 それでも光洋の対応は決して変わらない。変わることはない。たとえ相手が誰であろうとも。それが光海への障害になるというならば、どんな手段を使ってでも推し通る。
 左手で絶刀を引き抜く腐獣王を、細い切れ長の瞳で睨み付け、光洋は海王に必殺の三叉戟を握らせる。
「忍巨兵、あれを破壊しろ」
 光洋の容赦ない言葉に、海王と腐獣王は同時に駆け出した。












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