常に時代の影に生きた一族があった。風雅と呼ばれた一族の戦いを影から支え、織田信長率いるガーナ・オーダの侵略からこの星を守り抜いた地球の忍びたち。そんな、風魔忍軍の次期当主──風魔柊は、使命のため、そして彼の帰りを心待ちにしている友のため、現在はとある山中に身を投じていた。 双子の妹──楓と別れて既に一晩が経った。あちらは首尾良く忍巨兵を見つけることができただろうか。正確には忍巨兵の心を封じたものになるのだが、柊と違って根が真面目……いや、真面目が服を着ているような少女だ。もしかしたら既に陽平たちの下に帰っているかもしれない。 もしそうならばこちらも急がねばならない。妹に後れを取ったとあれば、兄の沽券に関わる。……などということはまったく考えておらず、楓は楓。自分は自分。今更比べることもない。故に、天然の滝で修行ごっこをしようが、常に先を目指せばいい。 急がず騒がずあくまでマイペース。それが柊という少年であった。 勇者忍伝クロスフウガ 巻之十四:『狼牙 - Day of Awaking -』 ゴツゴツと足場の悪い山道を歩きながら、柊は考えた。 (……おなか空いたなぁ) 手持ちの非常食は昨晩のうちに食べてしまったし、こんな山中にコンビニがあるはずもない。従ってお腹を満たすのは水ばかり。これではいつか、水風船のように膨らんでしまうかもしれない。 相変わらず緊張感の薄い柊は、なにか食べられるものはないかキョロキョロと周囲を伺ってみるが、どうやらそれらしいものはないらしい。というか、このままでは自分が藪蚊たちの食料にされてしまう。 またも不用意に近付いた蚊をクナイで真っ二つにすると、やれやれとばかりに駆け出した。 やはり、このまま山道を進むのは得策ではない。 しかし、いい加減目的地に到着しても良さそうなものだが、おかしなことに一向に到着する気配がない。 「オイラ……ひょっとして迷ったかな」 無理もない。道なき道を歩いてきたのだ。そもそも迷う道がないわけだが、今更そんなことは関係ない。 「…な〜んか怪しい」 まるで何者かの意思によって、ここまで誘われた気がしてならない。 やはり注意して進むにこしたことは── 「ま、いっか。今度はこっちに行ってみよっと」 やはりマイペースは崩さないらしい。 だが、10歩も進まないうちに歩みを止めた柊は、少し考え込むように顎に手を当てるとう〜んと首を捻って唸り出す。 「やっぱ隠してあるんだよね…」 突然振り返り、何食わぬ顔で放り投げたクナイが、なにやら固いモノを突き崩す。それと同時に周囲を取り巻いていた妙な気配が薄らいだ気がした。 どうやら結界の類いらしく、調べて見れば呪を施された小さなストーンサークルが、クナイによって破壊されていた。 「風雅の印…。ってことは、やっぱしこの辺なんだ」 立ち上がって周囲を伺うが、ここが山中であることは変わらないようだ。元々、迷いやすい地形を上手く利用した幻術なのだろう。 「天然の迷路だね。クリアのし甲斐がある」 迷路と呼ぶにはやや語弊があるかもしれないが、このままなんの楽しみもなく歩き続けるよりはマシなはずだ。 もっとも、出口があるのかもわからない迷路。単純にクリア出来るとも思っていない。 (そういや……昔もこんなことがあったっけ) 思い返されるのは悪夢の日。 そうだ。あの日、柊は忍者になった。優しさを捨て、涙を捨て、ただ与えられた使命を全うするだけの機械のような忍者に。 それは、柊がまだ10歳の頃の話。 既に忍びとして完成された力を有していた柊は、歳の離れた姉や、風魔家当主である父の期待に応えたい一心で刃を握っていた。 姉たちのような凄い忍者になりたい。少しでも追いついて、少しでも姉たちの力になりたい。それが、幼くして母を亡くした柊に、母親以上の愛と優しさと、そして厳しさを与えてくれた人たちに報いることになると信じていた。 幼くして忍術の才に秀でた柊は、その才を褒められることがなにより嬉しかった。 姉や、父が褒めてくれるときの笑顔が好きだった。 だから、あの日も姉に課された修行をこなすべく、柊はこんな山奥まで来ていた。 説明によると、この山中で何者かと模擬戦をすることになるらしい。もっとも、模擬戦とは名ばかりで、すべて本物の武器を使用することになっているため、殺傷も仕方なしと言われたわけだが、本心では人を傷つけることも、自分が傷つくことも好きではなかった。 やや不安の面持ちのまま道なき道を進んでいく。 もう相手は山に入っているのだろうか。練習のように開始の合図があるわけではない。己の気配は殺して相手の出方を伺う方法で警戒するしかない。 どうもそれらしい気配はないが、違和感はある。緊張の糸に普段とは違う感覚が入り混じっているのをみると、既に相手も臨戦態勢に入ったようだ。ここまで気配を悟らせないということは、相手も相応の手練ということらしい。 忍者同士の戦いである以上、自分も相手も、互いに武器の所持数がわからない。先に手札を見せたほうが不利になる可能性があるため、迂闊に動くわけにはいかない。 (でも、このままじゃなにも変わらない) そんな焦りが僅かに頭を上げさせた瞬間、柊の頬を掠めたクナイが背後の木にタァ…ン、と突き刺さる。 迂闊だった。探り合いをしているときに焦れて動いてしまうなど素人のすることだ。 柊が素早くその場を離れると、相手は付かず離れずの距離を保ちながら柊の背後を追いかけてくる。 微かな風切り音に、振り返る遠心力で刀を振れば、目の前で小さな飛針がへし折れる。 先ほどのクナイといい、今の飛針といい、どうやら投擲技術ではあちらの方が一枚上手らしい。 「なら、ぼくだって…」 素早く組んだ印に、周囲の木々がざわめいた。 掌に集まった空気の層を押し出すように突き出せば、それは凄まじい突風となって相手に襲いかかる。 「風遁、旋風掌之術!【せんぷうしょうのじゅつ】」 突風を相手に、防御も回避もあるまい。術で相殺するでもなく、当然のように正面から受けた相手は、もんどり打って後方へと飛ばされていく。 バランスを崩すだけのつもりが、思いの他上手くいったようだ。 だが、ここで手を緩めるわけにはいかない。手にした刀を握り締め、すぐに相手との距離を詰めていくと、立ち上がるタイミングを見計らい、首を飛ばすつもりで刀を一閃する。 のけ反ってかわされたのか、切っ先が触れた髪の毛が柊の頬に触れる。 柔らかな髪だ。どこか椿に良く似た香りがしたが、相手の身長は自分と変わらなかった。椿であるはずがない。 だが、そうであろうとなかろうと今は敵同士。敵であるなら何者であっても倒せと教えられてきた。 口に含んだ飛針を吹き出す相手から距離を取り、こちらも負けじと手裏剣を投げる。 先ほど風遁を返せなかったところを見ると、相手は術が苦手と見える。技術的には負けているようだが、忍術の分を差し引けば五分と五分。 なるほど。己の実力を知るにはまたとない相手だ。 柊が間合いまで飛び込もうにも、手裏剣の対応が正確すぎてとても近付けたものではない。もっとも、それは相手も同じで、武器を使うのはいいが、こちらは有限なのだ。もし道具が尽きれば、間違いなく忍術の餌食になる。 どうやら互いに、この年齢の子供が行う戦闘レベルを遥かに上回っているのは間違いないようだ。 (それなら…!) 互いに手にした刀一つで特攻でもするつもりか、無謀にも最短ルートである真正面へと駆け出していく。 瞬く間に接近した二人は、手を伸ばせば触れ合えるような距離で一合、二合と斬り結んでいく。 互いに一歩も退かず、その場に立ったまま刃を走らせ続ける。 初めて顔が見えた。それは、姉に良く似た顔立ちの少女のものであった。 刹那、互いに弾かれるように飛び退く瞬間、柊は印を組み、少女は柊の脇を抜けて背後へと無数の手裏剣を投げ付ける。 「火遁、烈火龍之術っ!!【れっかりゅうのじゅつ】」 柊の放つ炎が龍を象りながら少女に襲いかかる。 「くっ!!」 少女もまた、目に見え難い鋼の糸を引くことで、投げた手裏剣をヨーヨーのように引き戻し、柊の背中へと命中させる。 柊が痛みと共に火薬の匂いに気付いた瞬間、互いに直撃した火龍と手裏剣に仕込まれた火薬が爆発した。 「うわああああああ!!」 「あぁああああああ!!」 身軽な子供故に爆発に飛ばされた両者は、まるで蹴飛ばされた石ころのように転がり続け、互いに触れた指先の感触に力なく視線を彷徨わせた。 いかに鍛えられているとはいえ、この年齢の子供に耐えられるような威力ではない。 喉から漏れる息に肩を震わせながら、重なった視線に次の言葉を紡ぐことができなかった。 (同じ……顔?) そんな二人の思考が重なった瞬間、首筋に走る衝撃が無残にも柊の意識を刈り取った。 それから意識を取り戻すまで三日。 目覚めた柊を待っていたのは、あの少女が双子の妹──楓であったという事実と、あの勝負は次期当主候補である柊が、誰を相手にしようとも、あくまで忍びに徹することができるかの試験であったという残酷な回答であった。 「ぼくたちが……途中で気付くのをわかってて?」 事実、二人は戦いの中でお互いの存在を認識した。 この問いに躊躇なく頷いた椿に、柊は今までにない恐怖の感情を抱いた。 あの優しかった姉は、厳しくても、母のように暖かかった姉は何処へいってしまったのだろうか。 命懸けの戦いで、互いが兄妹だと気付き、それでも尚、殺めることができるかどうかだと…。そんなことを実の兄妹に平気でやらせるなど正気の沙汰ではない。 「おねーちゃんは……ぼくが…ぼくたちが嫌いになったの?」 その問いに椿は答えなかった。ただ、氷のように冷たい瞳が、姉のものとは思えない瞳が見下ろしていたことだけはよく覚えている。 このときから柊は他人に対して心を閉ざすようになった。 他人の期待など知ったことか。他人の求める自分になどなってやるものか。 13歳の誕生日を迎えたとき、武者修行を名目に家を出た柊は、名も知らぬ武闘家に弟子入りした。 忍者のように武器を用いることのない足技を重点的に鍛え上げ、師と呼べる唯一の人物と共に約二年の時を過ごした。 そして、柊がようやく高校に入れる歳になった頃、師は「自分に素直に生きろ」とだけ言い残すと、柊の前から姿を消した。 言葉の意味するところはわからなかったが、とにかく師がいない以上ここに留まるわけにはいかない。 仕方なしと実家に戻った柊は、その晩のうちに双子の妹と二年ぶりの再会を果たすことになった。 「これからどうするの?」 柱に背を預け、腕を組みながらそう尋ねた楓はというと、この家を出て一人暮らしをしながら高校に通うのだと言う。既に部屋も見つけてあるというのだから、なんとも手際の良いことだ。 場所は風魔の一族が古に関わったという時非。 確かにこの家を出るという案は魅力的だが、一文の得にもならないことに時間を費やすつもりなどない。 柊が迷っていることに気づいたのか、楓は気にするなと片手で制すると、肩にかかる髪を払いながら、どこか思い出すように口を開いた。 「すぐに決めなくていいわ。明日、一緒に下見に行きましょう。それからでも遅くないもの」 そんな楓の言葉を上の空で聞きながら、柊は考えた。 いったい自分はなにをしているんだろうか。なにをしていても楽しくない。なにをしても嬉しくない。いい加減、忍者忍者しているのも飽きてきた。 (それなら学校もいいかもしれない…) 柊も楓も、これまでに学校に通った経験はない。知識としては知っていても、実際に行ってみるのとはかなり違うはず。 義務教育という言葉はあるが、そんなもの風魔の忍者にとってはなんの意味もなさないもの。彼らにとっての義務は、古の契約より来るべき戦に備えることのみ。 「時非……か」 不思議と胸が疼いた。 そこには柊の胸に空いた穴を埋めるものがあるのだろうか。 だが、その答えはすぐに出ることになる。 翌日、楓と共に時非高校を訪れた柊は、奇妙な光景を目にすることとなった。 おそらくはここの生徒だろう少年を弓矢で追い回す少女の姿。 素人にしてはなかなか見事な身のこなしで逃げ回る少年に対して、少女は一撃必中の矢を繰り出している。技術的には少女の弓の方が洗練されているにも関わらず避け続けられるのは、彼女がわざと外しているのか、それとも…。 「今更、珍しいものでもないでしょ…」 楓が言っているのは、普通の高校で繰り広げられるこの光景ではなく、嵐のような攻撃をいとも容易く避け続ける者のことだ。 確かに楓の言う通りなのだが、不思議とあの二人組から目を離すことができなかった。 柊の瞳を捕らえて放さぬものがなんなのか。それは、少年と少女の表情にあったのかもしれない。 (殺し合いが……楽しいのか?) 柊の言うとおり、弓矢で容赦なく追い回すのは殺し合いに違いないわけだが、どういうわけか二人の表情は笑っていた。 果たしてあんなものが楽しいのだろうか。柊が椿と行っていた修行にも同じようなものはあったが、それを楽しいと感じたことはなかった。 「柊…」 「ああ、今行くよ」 急かされながら校内へと足を進めつつも、柊の気持ちは上の空。どうにもあの二人のことが気になって仕方がないのだ。 もし、この学校に通うことになれば、これからも彼らと遭遇する確率は増えるはず。それだけでもここに通う価値があるかもしれない。 楓が手続きを行っている間、柊は校内を徘徊しながら先ほどの二人を探していた。 話したいことがあるわけではないのだが、とにかく自分がここまで気になっている理由が知りたかった。 ふと、背後に降りた気配に、柊はついいつもの癖で、振り返ると同時に威嚇するかのように睨み付ける。当然、いつでも攻撃を行えるように手には小刀を仕込ませてある。 そもそも、背後に降りたという時点で明らかに不自然なのだ。 「っと、悪ぃ…」 だが、さすがにこれは想定外だった。 そこにいた人物は、奇しくも柊が探していた少年に他ならない。しかもこれだけ威嚇しているにも関わらず、少年はにこやかに挨拶をしながらこちらの心配をしてくるではないか。 柊にとって、これほど無防備に近付いてきた相手は、さすがに彼が初めてだ。 「ん? お前、どっか痛ぇのか?」 思わず黙り込んでしまった柊を心配したか、覗き込むように顔色を伺うこの少年は、柊にとってあまりに隙だらけだった。今までの柊ならば、ここぞとばかりに先手を取っているところだが、なぜだろう。小刀をこっそりと納めると、大丈夫とばかりに頭を振った。 「ちょっと…驚いただけ」 たどたどしく言葉を紡ぐ柊に、少年はそうか、と納得すると、今度はなにを思ったのか、柊の頬に手を伸ばし… 「…な!」 徐に抓り上げた。 「な、なにしやがる!」 手を払いのけ、僅かに距離を置いて睨み付ける。そちらがその気なら素人だって構いやしない。だが、肝心な相手はそんなことを微塵も思っていないのか、けらけらと笑いながら「悪ぃ悪ぃ」と謝ってくる始末。 「いやな、お前がすっげぇ仏頂面なもンでよ。ちぃっとばかし笑わせてみようと…な」 笑わせるもなにも、いきなりそんなことをされれば誰だって怒ると思うのだが、この際そこは置いておく。 「余計なお世話だよ。オレが怒ろうが笑おうがアンタには関係ないだろ」 「まぁ、そりゃそうだな。でも、どうせなら笑ってる方が楽しいと思うけどな」 笑う門には福来る、などと語る少年は、確かによく笑っていた。それどころか、ころころと忙しそうに表情を変えている。 「アンタ…楽しいのか?」 一瞬、柊の意図が理解できないといった表情を見せるが、すぐに笑顔に戻ると、少年は胸を張って「そりゃな」と無邪気な笑いで答えた。 そんな彼は、どこか自分よりも幼く、しかし幸せそうに見えた。 「聞いてもいい?」 「ん…?」 僅かに言い淀みながらも、柊は意を決して少年に尋ねてみた。 「あのさ、アンタはなにがそんなに楽しいの?」 質問の意図を察したのか、少年は少し考え込むように首を傾げる。が、すぐに答えをみつけたのか、どこか得意げに笑みを浮かべると、さも当然のように口を開いた。 「やっぱさ、楽しくなけりゃ人生じゃねぇだろ? 辛いこととか面白くねぇこともあるけど、やっぱ楽しいことがあって初めて辛いとかもあるんじゃねぇか?」 そんなことは言われなくても理解している。だからこそ、いったいなにが楽しいのかを尋ねているのだ。 「だぁかぁら、わっかんねぇかな? なんでも楽しんでみンだよ。自分で楽しむ気がなけりゃ、友達と遊んだってつまらねぇだろ? それと一緒だ」 「友達…ね」 柊に友達と呼べるような相手はいない。あるのはただ、殺しの技術を教え込んでくれたあの家族くらいなものだ。血の繋がりさえも信用できない者が、他者に心を許せるはずがない。 「んじゃさ、まずはその仏頂面をやめろ。そしたら俺がお前の最初の友達だ」 少年の言葉に、柊は心底驚いた。この少年は、出会って間もない柊を友達だと言っている。 (これだから素人は…!) 差し出された手を払い除けようと、手を出した瞬間、少年は素早くその手を取り、がっちりと握り締めた。 「とりあえずその殺気はなしな。お前新入生だろ? まずは先輩を敬え。お前たちの兄貴分なんだからな」 「アニキ…」 「そぉだよ。っと、俺は用事があるからもう行くぜ。次会うときまでには人生の楽しみ方、見つけとけよ」 言うだけ言って駆け出す少年の背を見送りながら、柊はなにか不思議な気持ちが芽生えているのを感じていた。 それから、少年に言われた通り楽しみ方を探すべく、柊は普通の男の子がどんな遊びをして育つかをとことん追求した。幼少の男児が行うような遊びを初め、かくれんぼやスポーツなどの屋外遊戯からテレビゲームや玩具での屋内遊戯までをただひたすらに遊び尽くした。 最初は楓や椿の冷ややかな視線が気になって仕方がなかったのだが、高校に入学する頃には既に気にならないほど夢中になっている自分がいた。 気付けば、柊はいつも笑顔を絶やさぬ明るい少年になっていた。 そして、柊が時非高校の一年生として学校生活にも慣れはじめた頃、あの不思議な少年とは思いがけない再会を果たすことになる。それこそが後にアニキ≠ニ呼ぶことになる勇者になった一つ年上の少年。名を……風雅陽平と言った。 |