業魔宮殿に設けられたとある実験施設。
 ここは、あの鉄武将ギオルネが数多くの邪装兵を生み出し、実験と廃棄を繰り返し続けていた場所であった。
 主なき施設の戸は固く閉ざされ、未だに何者の侵入さえも拒み続けている。そんな戸が凄まじい音と共に吹き飛んだのは、ほんの数分前のことであった。
 床に散らばる邪装兵の残骸を踏み砕き、ガーナ・オーダ鎧の双武将が一人、ガイ・ヴァルトはやれやれとばかりに頭を振る。
「ギオルネの野郎、風雅ごときに遅れを取るわけだ。邪装兵も扉も貧弱すぎなんだよ。軽くノックしただけでこのザマじゃねぇか…」
 刃どころか銃弾さえも跳ね返してしまえそうな金属の板を粉々にしてしまうほどの一撃が軽いノック≠ニ言うかは些か疑問だが、事実ギオルネは風雅忍軍に敗れ、扉はこうして瓦礫の仲間入りを果たしたのだから、ヴァルトの言い分もあながち間違いではないのかもしれない。
「レヴィ、こんなところにいったいなにがありやがる」
 どれほど見渡せども、あるのはガラクタの山だけだ。
「ヴァルは短気すぎやで。地道に探さへんと出てこんのがお宝やんか」
 そんなレヴィトは、瓦礫の山を崩さぬように器用に飛び乗ると、くるりとその場で回転しながら周囲を伺う。
 見渡す限りガラクタが山積みになっているようにしか見えないわけだが、レヴィトの仕入れた情報によれば間違いなくここでスクラップ寸前になっているはずなのだ。
 ふと見えた黒く太い……いや、邪装兵のサイズで見れば細すぎるくらいのパーツが目に入り、レヴィトは自然と頬が緩むのを止めることができなかった。
「め〜っけ」
「やっとかよ…。お、なんだこりゃ…」
 足に引っ掛かるそれを摘み上げ、ヴァルトもまた、ニヤリと不敵な笑みへと変わっていく。
「レヴィ、こっちもいいもの見つけたぜ」
 ヴァルトの拾い上げたそれに、レヴィトは確かに面白いと無邪気な笑みを返す。
 ヴァルトの手の内にあるそれは、禍々しい気を放つ一本の巻物であった。なにをどう失敗したのか、ここにあるということは相応の欠陥品なのだろう。見たところ忍邪兵用の巻物とさほど変わらぬように見受けられる。
「なにはともあれ、これで風雅の連中に一泡吹かせる準備はできたっちゅーわけや」
「ああ。じゃあ、まずは前菜だ…」
 標的は風雅に組する忍巨兵の紛い物が二つ。
 聞いたところによると、風王と炎王は風雅の元を離れたという。なにを考えているかは知らないが好都合だ。
「炎王はくれてやる。風王のガキは俺様にやらせろ…」
「な〜んや、えらいご執心やん?」
「ふん…」
 あの、時非高校での戦闘の際、風王のガキこと風魔柊は、ヴァルトの必殺の一撃を受けながらも反撃を仕掛けてきた忍びだ。拳が風魔の二人を吹き飛ばしたと思ったあの瞬間、柊はヴァルトの拳が内側から火遁で強化されていることを見抜くと、発せられる熱を利用して火遁を返してきたのだ。
「味なまねをしてくれやがったからな…」
 あのときの火遁、まともに受けていればヴァルトとて無事では済まなかったはず。
「とにかくりょ〜かいや。ウチは炎王のじょーちゃんと遊ばせてもらうわ」
 構わない。あの気の強そうな瞳が死の恐怖に歪むというのも、それはそれで楽しみだ。
「ほな、手筈通りに…」
「ああ。楽しいショーにしよぉぜ」
 巻物を手にした腕を掲げ、くるりと踵を返すヴァルトに、レヴィトは瓦礫の山に腰掛け、ひらひらと手を振ってその背を見送った。
 とにかく、こちらは見つけたモノを使えるようにする必要がある。
「さて、ウチはウチで急がなあかんなぁ。…なぁ?」
 問い掛けるレヴィトの視界に入る巨大な黒。それは、細く長い四対の足を持つ蜘蛛の忍巨兵──闇王モウガのものであった。






 あれから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
 草の根を掻き分け、道なき道をひたすらに突き進む。
 いい加減迷路気分も飽きてきたのか、当の柊は一人しりとりまで始める始末。
「う〜ん…、今更だけど、椿姉ぇを帰しちゃったのは失敗だった気がする」
 気がするもなにも、案内人を帰してしまうなど失敗以外のなにものでもない。
 おかげでこんなにも無駄な時間を過ごしてしまった。
「地元住民でもいてくれればいいけど…」
 地元もなにも、ここは山中だ。それも風雅の秘術によって迷宮化した、いわゆる迷いの森だ。
「…やっぱムリだよねぇ」
 当たり前だ。
「ねぇ」
 人里離れた山奥だからこそ風雅の封印があるのだから。人が不用意に近付く場所に、大切なものを隠す阿呆などそうはいない。
「ねぇったら」
「う〜ん……一度戻った方がいいかな?」
 しかし、さすがに戻るわけにはいかないだろう。柊自身も戻るのは件のものを手にしてからと決めている以上、それを曲げるようなことはしたくない。
「ねぇったらぁ!」
 考え込む柊の耳に、突然そんな声が聞こえてきたと思った瞬間、目の前になにかが飛び出してきた。
 危なかった。つい条件反射で切り捨ててしまうところだった。
「え〜と……なに?」
「あなた! アタシのこと見えてるんでしょ? 無視するなんて酷いよ…」
 見えているもなにも、今ようやく視界に入ったそれに、柊自身が再確認をしようと思っていたところだ。
「アンタ誰?」
 無理もない。それがあまりに小さく、あまりに現実離れしていたものだから、つい視界から外してしまっていたのだ。
「ついってなによ!」
「あはは……ごめんなさい」
 謝りながらも、目が泳いでいるのは言うまでもない。
 無理もない。目の前のそれは、ファンタジー系の物語りには欠かせない架空の生物なのだ。
 その容姿は掌サイズの小さな小さな裸の少女で、背中には透き通った蝶々のような羽根が生えている。ようするに、一般的に妖精と呼ばれる姿をしたそれは、「失礼しちゃう」などと悪態つきながら柊の目の前で宙返りをすると、フワリと花の上に腰掛けた。
「あなた、どこか行きたいんでしょ? アタシが連れてってアゲル」
 どこか挑戦的な笑みを浮かべる掌サイズの少女に、柊はどうしたものかと腕を組んだ。
 確かに案内役は欲しかったわけだが、こんなあからさまに怪しい生き物を信じても良いのだろうか。罠という可能性が捨て切れない以上、迂闊な真似はできない。
「アタシはべつにいーんだよ?」
 フワリと飛び上がり、小さな羽根をしきりに動かしながら背を向ける。どうやら迷っている時間はないらしい。
「わかった。案内してよ」
 背に腹は代えられないと頭を振る柊に、妖精は勝ち誇ったように笑みを浮かべると、再び宙返りして柊の肩に腰を落ち着ける。
「いいわ。それで、どこにいきたいの?」
「うん。狼王の祠っていうらしいんだけど……知ってる?」
 柊の問いに少し考え込む素振りを見せた妖精は、思い出したとばかりに手を打つと、再び小さな羽根を動かして飛び上がった。
「知ってンの?」
「わからない。でも、たぶんあそこのことじゃないかしら?」
 どうやら椿から聞いていた狼王の祠という名は、人がつけた名称のようであって、自然と誰かが呼び始めたものではないらしい。
 なにはともあれ、知っているならば好都合だ。
「ついて来て」
 元々小さな妖精なのだが、その飛行速度はなかなかのものらしく、その背中はあっという間に見えなくなってしまうほどに小さくなっていた。
 だがそこは風魔家次期当主。駆け出すや否や、妖精の姿をしっかりと捕捉すると、離されぬ程度の速度で後を追いかけていく。
 それにしても、この妖精はいったい何者なのだろうか。確かに、アニメや漫画といった架空の世界にしか登場しないはずの、宇宙人や巨大ロボット、さらには過去の武将が変貌を遂げた魔王までいるのだから、今更妖精が出てこようとなんら不思議はないのだが、どうにもタイミングが良過ぎる気がする。
(気をつけるにこしたことはないけど……過敏すぎかな?)
 自分がまだ、風魔の忍者から変われていないということは、柊にとって少なからずショックだった。何事も楽しむような人間になりたいと思っているのに、これではなにも変わっていない。悲しいかな、風魔で叩き込まれたことは、恐ろしく根強いようだ。
「ねぇ、急に黙り込んでどうしちゃったの?」
 不意に声をかけられ、ハッと顔を上げる柊の視界いっぱいに飛び込んでくる少女の姿。
 思わず身構える自分を内心で叱咤すると、なんでもないと頭を振った。
「そういや名前……まだ聞いてないよね? オイラは柊ってんだ。ヨロシク」
 だが、予想とはかけ離れた答えに、柊は思わず首を傾げていた。
「ナマエ? なにそれ?」
 どうやら惚けているわけでも、柊をからかっているわけでもないらしい。本当に名前を知らない様子の妖精に、柊は意味がわからないとばかりに更に首を傾げた。
「名前は名前だよ。…えっと、妖精さんが周りからなんて呼ばれてるかってこと」
 しかし、やはり思い当たるものがないのか、妖精はいつしか飛ぶことを止め、柊の肩に腰掛けていた。
 妖精には人間のように固体を識別するような習性はないのだろうかと考えたが、柊はあるひとつの回答に行き着いた。
(名前は……それを呼んでくれる相手がいなきゃ意味がないもの)
 もし、この妖精が昔の柊と同じなのだとしたら…、ひとりぼっちなのだとしたら、彼女は名前を呼んでもらったことがないのかもしれない。
 そう思うと、不思議と親近感が湧いてきた。
「じゃさ、オイラが名前つけてあげるよ」
「え…? そ、そんなのいらないわよ」
 しかし、当の妖精をほったらかしに、柊はあーでもないこーでもないとさっそく考え始めている。
「妖精といえば……フェアリー。ふぇ…ふぇ……」
「ねぇ、アタシはそんなの…」
「フェリシス」
 柊の口にした名前に、妖精の肩がビクリと震えた。
「フェリシスってどぉ? オイラ、こーゆーの初めてだから…ヤだったら言ってよね」
 名前が意味を持つ。それはつまり、名を呼び合う二人に縁ができたことを意味している。
「フェリ…シス…」
「そ。変かな?」
 尋ねる柊に、どうやらまんざらでもないらしく、妖精の頬が仄かなピンクに染まっていく。
「…別にいいのに」
 そんなことを呟きつつも妖精……否、フェリシスは、どこか嬉しそうに笑みを浮かべると、気持ちがそのまま形になっているかのようにフワリと飛び上がった。
「いいわ。そのナマエっていうの、もらってあげる」
「素直じゃないね…」
 そんなところは双子の妹にそっくりだ。
「じゃ、改めて。オイラは柊…」
「アタシはフェリシス…」
 柊の差し出した手を……いや、身体のサイズ差ゆえに指先を両手で握り締めると、フェリシスは気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
 なにはともあれ、晴れて二人は友達になれたわけだが、どういうわけか、その事実が妙に嬉しく、そして誇らしかった。
(アニキもこんな感じだったのかな…)
 自然と、あの日の陽平と自分が重なったように思えた。風魔の忍者である以上、自分にはできないことと思っていたからこそ、柊はこの瞬間を心の底から嬉しいと思った。
「よろしく」
 思惑は違えど、感じている気持ちに違いはない。
 新しくできた友達は、いわゆる不思議系で、そして……小さいくせに態度は人一倍大きい女の子だった。






 あれから十数分走り続けた柊は、ようやく開けた場所に到着することができた。
 森の中というのも決して嫌いではないのだが、さすがに緑ばかりでは目が飽きる。
 それでも柊の精神が保たれていたのは、ひとえにフェリシスの存在があったからだろう。
「フェリシス、やっぱし羽根がないと飛べないかな? いらないならオイラも飛んでみたいし…」
 柊の問いに、先行して飛び続けるフェリシスは器用に振り返ると、そのまま後ろ向きに飛びながら頭を振った。
「羽根もないのに飛べるわけないじゃない。そもそも、飛ぶのはアタシにとって息をするのと同じことよ?」
「つまりできて当然ってこと?」
「そういうこと」
 クルリと宙返りして見せるフェリシスに、柊は感嘆の声を漏らす。
 それにしても、なんと気持ち良さそうに飛ぶのだろうか。人が飛べないということがこれほど歯痒く感じたのは、初めてかもしれない。
「そーいや、まだ着かないの?」
 柊の問いに、フェリシスがビクリと肩を震わせながら振り返る。
「え、えっと……もうすぐのはずなんだけど…」
 随分と歯切れの悪いもうすぐだ。
 フェリシスの動揺も見てとれたのだが、あえて目をつぶることで友達への疑問を有耶無耶にすると、胸の内へとしまいこんでおく。
「柊……、アタシちょっと見てくるからここで待ってて…!」
 そう言うや否や、柊の言葉も待たずに飛び去っていくフェリシスの後ろ姿に、胸の内にしまいこんだものがチクリと疼いていた。
 どうして捨て切れないのだろうか。信じると、友達と呼んだ相手のことを疑うなどという気持ちは昔も今も変わらず息づいている。
 それは柊が未だに風魔を名乗り、捨て切れていない故か、それとも…。
(それが…、オイラっていう人間なのか…)
 もし、こんな柊を見たら陽平はなんと言うだろうか。笑いながらバカだと飽きれるかもしれない。
「はは…、違いないや」
 どこか自嘲気味に苦笑すると、柊はその場に大の字で寝転がった。






 そんな柊の姿を高台から見下ろす者がいた。
 目に映るほどに発せられる怒りを隠そうともせず、握り締めた拳は陽炎を纏うほどに熱くたぎっている。
 ガーナ・オーダ双武将が一人、ガイ・ヴァルトにとっては柊などただの小者にすぎない。その小者から受けた屈辱は、たとえ柊をなぶり殺しにしようと晴れることはないのだろう。
「ガイ・ヴァルトさま…」
 姿は見えずとも、それが先ほど鉄武将の施設で発見した奥義書から生み出した忍邪兵であることはわかっている。
「なぜ戻る。テメェに与えてやった任を忘れたとは言わせねぇぞ」
「恐れながら、そのことでお尋ねしたいことが…」
 だが、忍邪兵はそれ以上を話すことができなかった。
「五月蠅ぇ──」
狂気にも似た怒りの感情が空気を震え上がらせる。
 拳から立ち上ぼる陽炎が炎に変わり、死の恐怖が忍邪兵を凍り付かせていく。
「いけよ…」
 静かに命令するヴァルトに逆らうことなどできはしない。ヴァルトは主であり、自分を生み出した親でもあるのだ。
「あのガキ、飛びたがってたからな…。いっそ飛ばせてやったらどぉだよ」
 それはつまり、柊を崖から転落させろと言っているのだろう。
 忍邪兵の瞳に動揺の色が浮かび、震えた視線が定まらない。
「そんな…」
「今更できねぇとは言わせねぇぞ」
 目の前に浮かぶ小さなそれを掴み、容易く握り潰してしまえそうな忍邪兵を吊り上げる。
「ちっ、戯れなんかで作るんじゃなかったぜ。……使えやしねぇ!」
 吐き捨てる言葉と共に、力任せに放り投げようと振りかぶった瞬間、腕に走る鋭い痛みがぎりぎりのところでヴァルトの行動を押し止どめた。
 睨み付けるように痛む腕を見上げれば、どこの命知らずがやったのか、黒光りする手裏剣が突き刺さっているではないか。
 舌打ちしながら手裏剣を引き抜くと、手にした忍邪兵は捨て置き、この高台まで一気に駆け上がる影を睨み付ける。
「まぁたやりやがったな……、糞ガキぃ!!」
「フェリシスに手ぇ出すなぁっ!!」
 風が柊の身体を覆い、青い狼の衣をその身に纏わせると、瞬く間にヴァルトとの距離をゼロに、渾身の蹴りをお見舞いする。
 しかし元々小柄なためか、純粋な力に欠ける柊の蹴りでは、たとえ全体重を乗せたとしてもヴァルトの防御を崩すことなどできはしない。
 剛腕に阻まれ、力任せに振るう腕に飛ばされ、柊はくるくると宙返りをしながら着地を決める。
「柊っ!」
 ヴァルトの手からなんとか逃れることに成功した忍邪兵──フェリシスは、対峙する二人を見守るようにフワリと浮かび上がる。
「つくづく馬鹿なガキだ。忍邪兵に釣られてあの世にいきゃあいいものを。どうあっても捻り殺されたいらしいな!」
「ウッセーやい! 人の友達掴まえて勝手に忍邪兵扱いしやがって…」
 握る拳がギリギリと音をたて、怒りの咆哮を正面から叩き付ける。
「オイラがぶっ飛ばしてやるから覚悟しやがれっ!!」
 見上げる柊と見下ろすヴァルトの視線が交差した瞬間、両者の間合いは再びゼロになる。
「りゃあぁぁぁ…ららららららららららぁっ!!!!」
 先手を取ったのは柊の方だった。
 だが、嵐のような蹴撃をその身に受けて尚、依然として揺らぐことのないヴァルトに、柊はそれならとばかりに顎を突き上げるような膝蹴りをお見舞いする。
「へへ、どんなもんだい──って、そ…そんなっ!?」
 笑っている。顎を突き上げるほどの膝蹴りを受けているというのに、ヴァルトは不敵な笑みを浮かべながら柊を視線で追い続けている。
 どんな人間だろうと顎にここまでの衝撃を受ければ膝にくるというのに。やはりガーナ・オーダを人間と同じように考えるのは間違っていたらしい。
「なぁら次は……こっちの番だっ!!」
 ヴァルトの拳に力が篭る。柊の目には、あの時も今も、この力の正体が見えていた。火遁と同様の術を拳の内側で使用し続けることで、インパクトの瞬間に爆発的な……否、文字通り抑え続けられた炎が爆発するのだ。
 こんなものをまともに受ければただでは済まないと、前回は術の威力を返したのだが、それだけでは不十分だったらしく、楓と共に一撃でノックアウトさせられている。
(避けなきゃっ!?)
 だが、膝蹴り直後の浮いた状態では体勢を立て直すなど不可能だ。
 刹那、アッパーカットのように突き上げる拳が柊の腹部を捉えた瞬間、なんとか身体を捩り、咄嗟に直撃を避ける。
 だが、それだけで爆発する拳から逃れられるはずがない。破裂する炎が柊の身体を焼き、爆発の威力が小柄な身体を容易く跳ね飛ばしていく。
「ぐっ……ぁ…!!」
 受け身が取れない。このままでは地面に叩き付けられ──
(じ、地面がない!?)
 ここが足場の悪い山中の高台だということを忘れていた。このままでは、地面に叩き付けるなどというレベルの話ではなくなってしまう。
「こんにゃろっ!!」
 咄嗟に鎖分銅を投げて手近な突起に巻き付けると、振り子のように左右に振り回されながらもなんとか落下を防ぐことができた。
 できれば下は見たくないところだが、見ないことには対処のしようがない。
 しかし、そっと視線を下げた瞬間、やはり後悔した。
「た、たけぇ…」
 ここから落ちた日には間違いなく命はないだろう。
 唯一の命綱ともいうべき鎖をしっかりと握り締め、柊はどうしたものかと視線を上に移動させていく。
「へへ…、マズったね」
 軽口を叩いてみせてはいるものの、状況はかなりやばい。
 見下ろすというよりも、むしろこちらを見下しているヴァルトの目に、柊はどうすることもできずに奥歯を噛み締めた。
「ちッ、楽しめやしねぇ…」
「悪かったね」
 ふと、ヴァルトを見上げる柊の視界に、小さな姿が紛れ込んだ。
 その瞳には激しい動揺と戸惑い、迷い、そして恐れが見てとることができる。
「フェリシス…」
「柊……アタシ…」
 キミは本当に忍邪兵だったのか、なんてことを問うつもりはない。どうして近付いた、などと問うつもりもない。友達だから。きっと陽平ならば友達と呼んだ相手を信じ続けていられるはずだから。でなければ、初対面の、しかもあんな小さな女の子を命懸けで守る忍びにはなれないから。だから柊も信じる。信じている。
「おもしれぇ。忍邪兵、こいつの鎖を切れ…」
「「な──!?」」
 残酷とも言えるヴァルトの提案に、柊とフェリシスの驚きが重なる。
「鎖を切ってこの糞ガキをおっことしちまうだけでいい。そぉしたらテメェの罪は帳消しにしてやる」
 それはつまり、心を絶てと……、フェリシスに忍邪兵に徹しろと言っているのだ。
 その光景に柊はひどい既視感を覚えていた。
 まるでフィルムを断片的に巻き戻すように、柊の思い出が再生されていく中、それは明確な形となって柊の脳裏に蘇る。
 あの日、楓と死合いをしたあのときの椿の言葉。
 このガーナ・オーダは、あのとき柊の味わった苦しみと同じことをフェリシスに強要しようとしているのだ。
「やめろ…」
「ヘッ、今更命乞いかよ。だが──」
「それ以上、フェリシスに酷いことするな…!」
 言葉を遮るように紡がれた柊の言葉に、ヴァルトの表情がみるみるうちに変わっていく。
「テメェ、この期に及んでいい度胸だ…」
 突起に巻き付いた鎖を踏みつけ、断ち切らんばかりの勢いで力を込めていく。
「ま、待ってください! アタシに……やらせてください!」
 鎖を踏み付ける足下で跪き、懇願する妖精の忍邪兵に不機嫌な瞳を向けながらも、ヴァルトは「いいだろう」と鎖から足を離す。
「確実に殺せ」
 追い討ちをかけるように告げるヴァルトに頷きながらも、フェリシスの動揺はありありと見てとれた。
 ゆっくりと浮かび上がり、突起に巻き付いた鎖に触れるフェリシスに、柊はただ、黙って見守るほかない。
「柊…」
「フェリシス……オイラ、信じてるかンね」
 柊の言葉が鋭利な刃物以上に深く胸を抉っていく。
 唇を噛み締め、じっと痛みに耐えるよう瞼を閉じ、フェリシスは鎖に触れた手に力を込めていく。
「誰が信じてくれ……なんて言ったのよ」
 フェリシスの目尻でなにかが光ったと思った瞬間、柊の身体を支えるものはなく、まるで地面に吸い寄せられるかのように真っ逆さまに落ちていく。
 そんな柊をいつまでも見つめるフェリシスの隣りに歩み寄り、ヴァルトは嘲笑うように崖下を見下ろした。
「ケッ、ザマぁねぇな…」
 忍巨兵を呼ぶかと思ったのだが、それらしい気配はないようだ。
 呼ぶより早く木にでも激突したか、または、忍邪兵に裏切られたことにそれほどのショックを受けたのか。
 どちらにせよ、この高さから落ちては助かるまい。
「おい、下に行って死体を拾ってこい」
「……ぇ」
「モタモタすんなッ!! テメェもブチ殺されてぇのかッ!?」
 この男は本気だ。言った以上は必ずやる。
 だめだ。まだ、死ぬわけにはいかない。
「いって……まいります」
 フェリシスは羽根を震わせると、急ぎ柊の待つ崖下へと飛び立っていった。












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