かの戦いから四百年余りの月日が流れた。それは、二人が離れ離れになっていた時間でもある。
 一方が目覚めたとき、もうひとりはまだ目覚めてはいなかった。もうひとりが目覚めたとき、先に目覚めた者の姿はなかった。だから、こうして顔を突き合わせるのは、実に久方振りのことであった。
 あれから四百年もの年月が経ったというのに、お互い変わらぬものだと、どちらからともなく苦笑を浮かべる。無理もない。この二人は人ではないのだから。
 一方は銀の一角馬。一方は黒塗りの女郎蜘蛛。互いにリードを愛するが故に人を捨て、忍巨兵となった者たちであった。
「鉄【くろがね】、いつまでそうしているつもりだい。ボクはこうして戻ってきた。もう彼を責める理由はないじゃないか」
 黒塗りの女郎蜘蛛──闇王モウガの言葉に、銀の一角馬──輝王センガは「そんなこと知ったことか」と鼻を鳴らす。
 目覚めた輝王が、獣王と陽平ではなく、黒衣の獣王と釧に仕えることを選んだのは、ただ彼が王族だったからというわけではない。目の前で闇王をみすみす奪われ、その心をガーナ・オーダに触れさせた風雅陽平が憎かった。許せなかったから。
 しかし、その闇王も今では、風魔のクノイチ──楓の手によって奪還され、こうして無事に風雅の里に帰ることができた。故に、もう輝王が陽平を憎む理由はないだろうと言っているのだが、残念ながらその程度で輝王の怒りが冷めるわけではない。
「相変わらず頑固だね」
「なんとでも言え」
 呆れたような声を漏らす闇王に、輝王は再び鼻を鳴らす。
「銀【しろがね】が奴等に触れられたことに変わりはない」
「そのボクが気にしないと言ってもかい?」
「くどい」
 頑なに意見を曲げようとしない輝王に、闇王は困ったものだと苦笑を浮かべる。
 輝王の巫女──孔雀は、仕える主である釧が戻るまでの協力をすんなりと受け入れてくれたのだが、その忍巨兵である輝王がこれでは話にならない。そこで、人であった頃に一番親交が深かった闇王に白羽の矢が立ってわけだが、結果は見てのとおり。
 ここまで拒まれては仕方なしと、闇王は白旗代わりに長い脚を振り、器用にその場で踵を返す。
「わかった、ボクの負けだよ。みんなにはボクから巧く言っておく」
「……待て。なにを考えている」
 経験上、闇王こと銀が、このまま素直に引き下がるとは到底考えられない。なにか裏があるに違いない。
「考えすぎだ。ボクは純粋に、みんなに鉄のことをわかってもらうだけさ」
「もったいぶらず具体的に言え」
「なに、鉄がボクに囁いた歯の浮きそうな言葉の数々を──」
「やらせるかッ!?」
 闇王の言葉を慌てて遮り、普段の輝王からは想像もできないようなうわずった声をあげる。
 そんな輝王に驚くでもなく、まるで当たり前であるかのように振り返る闇王は、やはり輝王が唯一頭の上がらぬ存在なのだろう。クスッ、と笑みをこぼしながら闇王はその場で人型に変わる。
「変わらないね。鉄のそういうところ」
 腕を組み、懐かしむように語る闇王に、輝王もまた、呆れ果てた溜め息と共に人型に変わる。
「それは銀のことだろう」
 鋭い目で闇王を睨み付けるが、その目に銀を退けるだけの力はなく、輝王はやれやれとばかりに一角馬に戻って不貞腐れたように座り込む。
 そうだった。今の今まで、鉄が銀の頼みを断ったことなど一度もない。つまり、最初から輝王に勝ち目などなかったのだ。
「輝王は快く引き受けてくれた……と伝えるよ」
 最後まで一言多いやつ。そんな気持ちを込めて、ふん、と鼻を鳴らすと、「勝手にしろ」と言い残し、輝王は逃げ出すように忍器の中へと消えていくのだった。






勇者忍伝クロスフウガ

巻之十八:「迷宮 - Day of straying -」







 一晩ぐっすりと眠ることで暴竜事件の疲れが癒えた陽平たちは、翌朝、琥珀の招集に応じていつもの広い部屋に集まっていた。
 各自、思い思いに時間を潰すものの、一向に琥珀はその姿を現さない。柊はどこからもってきたのか、なにやら紙に絵を描いているし、楓は時折陽平を気にしているようだが、それ以外はただ黙って外を見つめている。孔雀は緊張したように先ほどから正座したまま硬直しているし、光海は忍器の腕輪を外した手首にしきりに擦っている。森王の修理にとセンテンスアローを預けたことで、どこか不安になっているのかもしれない。そして肝心な陽平はというと、延々と守るべき主君の遊び相手をしているのだった。
 翡翠もそろそろ遊び疲れてきたかと眉をひそめた陽平は、少しだけ意識を部屋の外に向ける。人が近付くような気配はまだ……いや、どうやらようやく待ち人が現れたらしい。それを肯定するかのように現れた琥珀は、後ろに雅夫、椿、日向を従えて部屋の奥へと進んでいく。
「どうも、大変お待たせいたしました」
 琥珀に合わせ陽平たちも改めて向き直ると、琥珀は腰を落ち着けて一同を見回した。
「まずは皆さんにお渡ししたいものがあります」
 それを合図に、雅夫が陽平の、椿が柊と楓の、日向が光海と孔雀の前に進み出ると、それぞれ手にしたものを差し出した。
「それが皆さんの新しい忍器です。新たに得られた力に合わせることはもちろんのこと、皆さんの特性にも合わせて作らせてもらいました」
 各々の忍器に視線を落とし、ある者は楽しみとばかりに笑みをこぼし、ある者はその強大な力を感じたかのように萎縮する。
「光海さん、森王之祝弓【しんおうのはふりゆみ】です。センテンスアローを光海さん用に調整したものです」
 手渡された腕輪を左手首に通し、光海は異物感をまったく感じられないそれに驚きの声をもらした。
「弓を解封してみてください」
 言われるままに弓を開くと、木の蔦が伸びるように腕に巻き付いて勾玉のついた手甲に変わり、開かれた光海の掌に合わせて深緑の弓が現れる。
「どうですか? 重さや長さも光海さんに一番適したもののはずですが」
「はい。違和感がなくて、逆に怖いくらいです」
「腕の部分は、光海さんの巫力をより効率的に伝達できるようになっています。以前よりもだいぶ扱い易いはずなので、後で試してみてください」
 日向の説明に頷き、光海は腕輪に戻った弓を愛おしむように優しく包み込む。
「孔雀はこれ。輝王之刃破【きおうのやいば】。刃の部分は忍巨兵のものと同じものを使っているから切れ味は保証付き」
 日向に渡され、孔雀はバトンのようなそれを解封する。するとどういった原理なのか、バトンサイズのそれは急激に太さと長さを変え、先端に鋭い刃が現れると、孔雀が普段扱うサイズの薙刀に姿を変えた。今までと同じく刃の根元に勾玉がはめ込まれ、やはり孔雀の巫力を伝えやすくなっているようだ。
 しかしどうしたことか、新しい忍器を手にしても、どこか浮かない顔をした孔雀に、日向は首を傾げるように孔雀の顔を覗き込む。
「……わたしは、釧さまの槍です」
 釧が獣王と陽平を敵視している以上、それに仕える孔雀も言うなれば風雅の里に敵対する者。もっとも、その釧は現在行方がわからぬ状態であり、釧が戻るまでの間は里に協力すると約束したばかりでもある。ようするに、孔雀には負い目があるのだ。
「それなら尚更、これを受け取って損はない。釧さまのためにも貴女はもっと強くなければだめですよね」
 少し迷ったものの、日向の言葉に薙刀を納め、孔雀は深々と一礼する。
 元々気の強い子ではない分、少しずつ打ち解けていくしかないのだろう。そんなことを思った日向は、ふと別の少女のことを思い出していた。
「柊、楓、貴方たちにはこれを」
 柊には青い足首飾りを、楓には赤い腕輪を手渡すと、椿は両者にそれらを装着するよう促す。
 なにか思うところでもあるのか、互いに顔を見合わせた二人は、少し迷いながらも右足と右手に新たな忍器を装着する。
「「解封」」
 二人の声が重なり、柊の足首飾りは両脚を守るプロテクターに、楓の腕輪は闇王式甲糸によく似た鋼の手甲に姿を変える。
牙王之戦足袋【がおうのいくさたび】と鳳王之黒羽【ほうおうのくろはね】。能力、特性は実戦前に覚えておきなさい」
 椿の言葉に曖昧な返事を返しながら、柊と楓は新しい忍器のチェックに入る。それにしても、これは光海や孔雀が驚くのも無理はない。まるで誂えたようにぴったりな忍器は、忍器以上に彼らにとって二つとない専用の武器にもなっている。
(でも、一番驚いたのは…)
(これ、オイラたちの動きや技の妨げにならないように作られてる)
 それはつまり、柊や楓の動きや技を良く知る者が作ったということ。
 盗み見るように二人の視線が椿に移るが、肝心な椿は既に視線を逸らしてしまっていて、その表情からはなにも読み取ることはできない。しかし、これら二つの忍器が彼女の監修の下で作られたことは明白だ。なにかしらのメッセージが込められているのかもしれないが、今の二人にはそれを読み取るだけの余裕はなかった。
「さて、お前にはこれだ。けもの…──」
 しかし、雅夫の言葉はそこで遮られ、名を告げることも、それを差し出すこともできずに、ただ沈黙のまま拒絶の意思を見せる陽平に、雅夫はわざとらしい溜め息をついた。
「悪ぃ、そいつは受け取れねぇ」
 俯くように告げた陽平の言葉に、雅夫は訝しげな視線を向ける。それは他の皆も同じで、ただ陽平の考えがわからないと首を傾げる。
「俺は、そいつを握るにはまだまだ修行が足らねぇ。忍者でありながら隙をつかれ、操られ、この手でみんなを傷つけた」
 握り締めた拳がなんのためにあるのか、わかっているはずなのに。
「だから、俺がそのクナイに相応しくなるまで、そいつは親父が預かっててくれ」
 腰に差した獣王式フウガクナイを引き抜き、陽平は獣王の勾玉があったはずの場所に視線を落とす。
「俺はまだ、こいつで戦える」
「よかろう。お前がそういうのならこれはワシが預かっておく。ただし、ワシの目に適うだけの実力が身に着かぬ場合、二度とこの姿を目にできぬと思えよ」
 鋭い瞳で睨み付けられ、陽平は背中に冷汗を流しながらもはっきりと頷いた。
 陽平自身、今回の事件で思うところがあるのだろう。彼ら全員にも言えることだが、やはり今回一番悩み、一番成長したのは陽平であったように思われる。
 これが吉と出るか、凶と出るか。それは陽平の出した答え次第。
「ご当主、各自行き渡りましたぞ」
 雅夫の言葉に頷いた琥珀は、三人が下がるのを待ってから陽平たちの前に進み出る。
「ありがとうございました。それでは、私から皆さんにいくつか補足説明をさせていただきます」
 一同の視線が集まり、琥珀はひとつ頷くと光海と孔雀の忍器を促した。
「森王之祝弓と輝王之刃破は、過去に巫女であり、そして今は忍巨兵の技師としてその力を振るっています日向の案で強化されました。より破邪の力を高め、忍巨兵への巫力伝達の効率化を計っています。そして、これはすべての忍器に言えることですが、新しい試みから忍巨兵自身の武器としても使用できるようになっています」
 変わったのは姿形だけではない、ということか。各々が自身の身に着けた忍器に視線を落として感慨深く頷くと、琥珀は次に、柊と楓の忍器を促した。
「牙王之戦足袋と鳳王之黒羽は、貴方たちの実姉によって、より武具として洗練されています。お二人の技を研ぎ澄まし、強力な技による肉体の損傷を軽減してくれることでしょう」
 説明を受けながら、楓はもしやと腕輪を手甲に変える。
「──ッ!?」
 やはりそうだ。この手甲をつけていれば、忍巨兵と同じように巫力を結晶化したクナイを生み出すことができる。そして、闇王式甲糸のように、太さや長さを自在に変えることのできる糸を出すことも…。
「姉さん…」
「それがあれば、肉体を酷使することなく風魔の奥義を振るえるはず」
 それはガイ・レヴィトとの戦いのみ、楓が使用した不可思議な技のことだ。知らぬ知らぬと思っていたのに、どうやら椿は先刻承知済みだったらしい。
「ありがとう……ございます」
 どこかぎこちない礼を述べながら、楓は手甲を腕輪に戻す。
「オイラのはアニキの竜王みたいな力……か」
 小さな火種ほどの術を増幅し、攻撃の衝撃と共に爆発させる。一撃の威力が低い柊にとってはまたとない武器だ。
(しかも、ほとんどの足技に対応できるように膝も脛も踵も……しっかり覆ってるくせに、まったく動き難くない)
 足首飾りに戻し、柊は姉の瞳をジッと凝視する。
 なにを考えているのかわからない。それでも、この二つの忍器に込められた一つ目のメッセージには気付くことができた。
(これは姉さんから…)
(オイラたちをずっと見てるってメッセージなんだ)
 どこか監視されてるように感じる言葉だが、不思議と悪い気はしない。むしろ見ている≠ナはなく見守っている≠ニ言われているようで、二人は姉に対して無言で頭を下げるのだった。
「さて。今日、皆さんに新たな忍器を与えたのは他でもない。今ここで、改めて忍巨兵の忍者と巫女を任命するためです」
 琥珀の言葉で一同に動揺が走る中、柊が質問とばかりに手を挙げる。
「それってつまり、オイラたちが正式に風雅に雇われるってこと?」
 今まで風魔の二人は、風雅に力を貸すという形で仲間になっていたわけだが、今回の件で風魔の忍巨兵、風王と炎王は、風雅の忍巨兵へと復活を果たした。つまり、今後は風魔の忍者ではなく、風雅の忍者として戦うことになるのだろうか。柊の疑問はそういうことであった。
 まぁ、結局はどちらに属していようが、それほど気にしていない柊の疑問だけに、おそらく興味本位での質問だったのだろう。
「それもありますが、巫女不在の忍巨兵に、新たな巫女を任命するためでもあります」
 巫女不在という言葉に、楓は反射的に右手の腕輪に触れていた。
 現在、巫女が不明確なのは生まれたばかりの忍巨兵である竜王と、巫女を失った闇王。そして、先日目覚めたばかりの忍巨兵、牙王と鳳王だ。
 忍巨兵の巫女とは、神社にいるような巫女を指す他に、常に自身の巫力を忍巨兵に与えることで、損傷の回復を早めたり、忍巨兵が強力な術を使用するのに必要な巫力を素早く大量に供給するための術士を指す。
 牙王と鳳王は、以前の姿である風王と炎王に巫女がいなかったため、回復面でも術方面でも悩みが尽きることはなかったが、それと同時に楓にとってはひとつの優越感でもあった。
(忍巨兵は姉さんにない力。あの姉さんが手にすることができず、私にはある唯一の力)
 それは、優越感というよりも心の支えに近いもの。この支えがあったからこそ、楓は椿の背中を追い求めるのを諦めなかった。自分にも椿に勝る部分があると思えたからこそ、歩みを止めることはなかった。そして、その支えは闇王を得たことで自信≠ヨと変わっていた。
 だがしかし、闇王に新たな巫女が選ばれた場合、楓は鳳王の忍者だからという理由で自信を奪われることになる。
(そんなの……いや)
 無意識に握った拳に力がこもり、きゅっとキツく唇を噛み締める。
「ではまず、先にこの二人を紹介しておきます。二人とも、中へ」
 琥珀に促され、襖を開けて入室してきたのは翡翠くらいの小さな少女たちであった。
 左右対象のお団子頭が特徴的な二人は、巫女服に身を包まれた小さな身体でぺこり、とお辞儀をする。
「彼女たちは瑠璃【るり】と璃瑠【りる】。見ての通り双子の巫女です。そして、牙王と鳳王に付き添うよう封印されていた巫女です」
「瑠璃と」
「璃瑠です」
 向かって左にお団子があるのが瑠璃、右が璃瑠というらしく、琥珀が名を呼ぶのに合わせて順に頭を下げる。
「牙王と鳳王って……、オイラたちなンにも聞いてないンだけど?」
 初耳だと訴える視線は自身の足下へ。足首飾りから現れた小さな牙王の立体映像は、器用に柊の身体を駈け登ると、その左肩に腰を落ち着けた。もっとも、実体がないため、わざわざ登っていく必要はないのだが、そこは人間だった頃の性格が現れるのだろう。
「知ってた?」
『……ワリィ。完ッ全に忘れてた』
 思わずズッコケたくなるのを堪え、柊はおいおいと苦笑いを浮かべる。
『なんつーかよ、その場のノリと勢いで飛び出していっちまったからな』
 確かに、あの状況ではわからなくもない話だ。どうやら鳳王も同様らしく、申し訳なさそうに姿を現すと、二人の巫女に頭を下げた。
『瑠璃、璃瑠、本当にすみませんでした』
「いえ」
「気にしてませんから」
 そういう決まりでもあるのか、律義に瑠璃→璃瑠の順に言葉を紡ぐ少女たちに、柊と楓も頭を下げる。
「二人とも戦闘向きではないので、牙王と鳳王の巫女だけを任せています。巫力には目を見張るものがありますので術について心配することはありません」
 琥珀が言うのだ。まず巫力方面の心配はないだろう。
「この二人が前線に出ることはありません。ですから、今までと変わらず、お二人の思ったように行動してください」
 確かに、この少女たちが前線で戦う姿は想像できない。もっとも孔雀のような例もあるので全否定することはできないのだが。
 とにかく、これで巫女が不在の忍巨兵は竜王と闇王に絞られた。
「竜王の巫女は私が務めさせてもらっていましたが、今は翡翠姫にその役目をお願いしています」
 琥珀の説明に頷く翡翠を振り返り、そういえば獣王のときも翡翠が巫女をやっていたことを今更ながら思い出す。
「するってぇと…、残ったのは闇王か」
 指折り数える陽平に、楓の肩がビクリと跳ね上がる。
「そのことですが、提案があります」
 琥珀の前だからか、少し控え目に挙手をする椿に一同の視線が集まる。
「闇王の巫女は今現在の契約者…、つまり楓に一任してはどうでしょう?」
 さすがにこの発言は予想外だったか、楓だけならず陽平や柊、光海までもが目を丸くする。対して琥珀、雅夫、日向の三人は、椿のことだからなにか考えあってのことと次の言葉を待つ。
「楓が闇王に選ばれたからというのは言うまでもありませんが、二つの忍巨兵を扱うことで、双王の戦略の幅が広がるというのは我々としても大きいはず」
「忍巨兵と契約する際、忍者では一人につき一体ですが、巫女としてなら複数契約も可能です」
 補足する日向に頷き、椿は当事者である楓に向き直る。
「もっとも、それはあくまで忍者が見つかるまでの話。そしてなにより、二つの忍巨兵を扱い続ける力が貴女にあった場合の話」
 忍巨兵の忍者として、失格者の烙印を押された椿は無理。雅夫は琥珀を守る忍者だから前線に出るわけにはいかない。では、日向はどうだ。彼女は先の戦いで、輝王と仮契約を交わすことで助っ人に現れている。
 楓の視線に気付いたのか、日向は無言で頭を振ると、「わけあって詳しくは語れないが、自分にはその資格がない」とだけ答えてくれた。
 しかし、事実上これで身近な候補はいなくなったわけだ。風雅にどれほどの忍者たちがいるのかは定かでないが、おそらく楓レベルの忍者はいないはず。
 残された問題は、楓の持つ巫力の量だ。巫力のキャパシティというものは、生まれてから死ぬまで変わることはない。これに例外はなく、大きな術が使えるかどうかは完全に運任せとなる。
 楓の巫力キャパシティは生まれつき小さい方だったため、彼女は術の扱いを苦手とし、仕方なく技を磨くことに専念した。しかし、それに不満を覚えた楓はとにかく多くの術を覚えることで、なるべく大きな術を使わずかつ効率よく戦えるように工夫したのだ。結果、楓は今のように多彩な技と術を扱うクノイチとなることができた。
「楓、もしもできないようなら今ここで言ってしまいなさい。無理強いはしません」
 これは明らかに試されている。それがわかっていながらも、楓は気持ちの高揚を止めることができずにいた。
「できます」
 だから、決意を固めるのにそれほど時間はかからなかった。この姉を超えたい。見返してやりたい。そして、一度でいいから姉に……。
「楓さんにそれだけの決意があるのなら、私から申し上げることはありません」
 そういうと、琥珀は手にした闇王の勾玉を差し出し、それを楓に受け取るように促した。
 それにしても、琥珀は初めからこの結末がわかっていたのではないか。でなければ、楓の忍器、鳳王之黒羽に二つ目の穴など必要ないのだから。
 腕当ての部分にある窪みに勾玉をはめ込み、楓は手にした二つの勾玉に視線を落とす。
(私は負けない。自分にも…、姉さんにも)
「…だから、力を貸してください」
 囁くような楓の決意に、二つの勾玉が応えてくれたような気がした。でも、これでまた戦える。自分の戦いをすることができる。
 ひと通り話が済んだことを確認すると、次に挙手したのは雅夫であった。
「さて、ご当主の話が終わったところでワシからも一言言わせてもらおう」
 一度だけ「良いですな」と琥珀に伺いを立て、雅夫は再び一同を振り返る。
「今回が実に苦しい戦であったことは、実際に戦ったお前たちが一番わかっておると思う」
 双武将の襲撃に始まり、釧との死闘、竜王の暴走。ほとんど息をつく暇もないほど立て続けに起こっている。
「今回はたまたま運が良かったが、次に同じことが起こればまず勝ち目はない」
 雅夫の言っていることは正しい。それは陽平たちが一番痛感していたことだ。
「そこで提案なのだが…。ひとつ、ここで修業をしてみてはどうか」
 雅夫の言葉に、一同にの間に動揺が走る。初めからそのつもりだった者もいれば、まったく意図していなかった者もいる。無理もない。中には忍者などとは縁遠い日常に、身を置いていた者もいるのだから。
「己の力不足に嘆いた者もいるだろう。故にワシは修業を提案する。ここには経験豊富な忍者も巫女もいる。相手には事欠かん」
 確かに、これ以上修業に適した場所はないだろう。
「もちろん判断は各々に任せ──」
「やる」
 雅夫の言葉を遮る勢いで発言する陽平に、やはりなと雅夫の笑みがこぼれる。
「オイラもやるよ」
「当然、私も残ります」
 陽平に続くように挙手をする二人に、孔雀も慌てて手を挙げる。
「わたしも……します!」
 そんな四人の姿を見せられ光海が動かぬはずもなく、彼女もどこか溜め息混じりに挙手をした。
「光海……悪ぃ」
 一瞬どうして謝られたのかわからなかったが、仕方ないとはいえ、結果的に遊びにいくという約束を破ることになってしまったことへの謝罪だと気付いたとき、光海は不思議と辛い気持ちにはならなかった。
「いいわよ、別に。でも、来年は絶対行こうね」
 光海の言葉に頷くと、陽平は改めて雅夫へ向き直る。
 陽平が一歩前に進み出ると、陽平を先頭に後ろに柊と楓、その後ろに孔雀と光海が並び、五人は琥珀を前に一斉に跪く。
「風雅忍軍忍者、風雅陽平」
「風魔流風雅忍者、風魔柊」
「同じく、風魔楓」
「風雅忍軍戦巫女、孔雀」
「同じく、桔梗光海」
「今この刻より、志し新たに心身を鍛え直し、必ずや風雅を勝利に導く…!」
 新生勇者忍軍の面々にひとつ頷くと、琥珀は雅夫と椿を交互に視線を交わす。
「信じています……貴方たちを」
 琥珀の言葉に深々と頭を垂れながら、陽平はこの光景にどこか既視感を覚えていた。
 以前、今よりもずっと子供だった頃、こうして誰かに頭を下げたような気がする。しかし、そんな感覚もすぐに消え失せ、陽平は今から始まる修業に思考を巡らせ始めるのだった。












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