風雅の里から姿を消した忍巨兵、天王サイガが天城瑪瑙と共に確認された翌日、風雅陽平は一人、とある使命を帯びて京都の山中に身を投じていた。
 天王についての報告を身近な上忍である風魔椿に行った際、陽平は秘密裏にと風雅の当主──琥珀から新たな命を下された。
京都の山中に身を隠す風雅から、至急獣王の証を受け取ってくること
 獣王の証がどういったものなのか、椿は語るようなことはしなかったが、ただ一言「その資格があれば自ずと手にすることになります」とだけ言われている。
 忍者という立場上、深くを語られないのは仕方がないことなのだが、できればこういうおつかいのときくらはい正確に情報を教えてほしいものだ。
(そもそも、なに受け取るかもわからねぇってのに、ニセモノ掴まされたらどぉすンだか)
 そんなことをぼやきながら、木々生い茂る山中の、道なき道をただひたすらに進んで行く。
 というか、こんな場所に本当に人が住んでいるのだろうか。渡された地図通りにきているのは間違いない。残念ながら、地図を逆さまに見ていることもなければ、間違った地図を持って来ているわけでもない。
 いくら大切なものを密かに守っているとはいえ相手は人間だ。衣食住の問題がある以上、完全に下界との関わりを絶つことなど不可能だ。不可能なはずなのだが、不思議なことに、この場にはもう何年も人が踏み込んだ形跡がない。実際、陽平は生い茂る木々の枝を獣王式フウガクナイで切り落としながら進んでいるわけだが、一向に目的地につく気配がない。風雅の里と同様の有識結界でもあるのかと思っていたが、それらしい気配もない。
「ったく。本当にこんな辺鄙なとこに人がいるのかねぇ…」
 とりあえず疑ってはみるものの、別に担がれたとは思わない。しかしいい加減それらしい場所に出るくらいのサービス精神は見せてほしいところだが…。
 ふと、妙な気配を感じた。ある一方にだけ意識がいかないよう、なんらかの精神干渉を受けたのか、陽平の知覚領域に確かな穴が生じている。
「なるほどね。こいつを頼りに進めばいいってわけか」
 当然、それだけで済むとは思っていないが、ようやく手に入った僅かな手掛かりにやれやれと溜め息をつき、陽平は知覚領域の穴に向かって歩き始める。
 視覚や聴覚に頼れば結界に飲み込まれてしまうため、仕方なく目を閉じると知覚領域を広げて歩き始める。
 それにしても、獣王の証とはいったい何なのだろうか。またいつものように勾玉の類いではないかと陽平は睨んでいるが、一番の問題は獣王亡き陽平にそれが使えるのかどうかだ。
 それらを知るためにも、やはりその獣王の証とやらを持つ者を早く探し出すしかない。
「みんな……俺が帰るまで翡翠のこと、頼むからな…!」
 遠い時非の地に待つ姫君を思いながら、陽平は知らず知らずのうちに早足になっていた。






勇者忍伝クロスフウガ

巻之弐十:「炎鬣 - The most dangerous day -」







 勇者忍軍筆頭、風雅陽平が京都の山奥で四苦八苦していた頃、時非に残ったはずの三名──桔梗光海、風魔柊、風魔楓は、風雅当主琥珀の召集を受けて出雲の地、風雅の里へと足を運んでいた。
 陽平の留守中よろしく頼むと、翡翠の護衛を任されていたのだが、世界屈指のクノイチである風魔の長女、椿が残ると言う以上、光海には断る理由が見つからなかった。
 つい先日、風雅との繋がりが発覚したクラスメイト。天城瑪瑙もなんらかの形で呼ばれていたらしいのだが、彼女は頑なに拒み続け、一切の召集に応じようとはしなかった。
 この時点で気にすべきことは二点。どうして椿を時非に残してまでこんな離れた地に光海たちを集める必要があったのか。そして、天城瑪瑙とはいったい何者なのか。
 後者に至っては、風雅の里から姿を消した忍巨兵、天王サイガと契約した巫女であり、葵日向と同じく風雅流戦舞の使い手であるということ。そして、戦場の空気さえも変えてしまえるような素晴らしい和笛の奏者であるということ。
 彼女が和笛の名手であることは、時非高校では至極有名な話だったのだが、彼女は一度として公の場で笛を奏でたことがないと聞いたことがある。
(どうしても彼女と風雅が繋がらない…)
 どうやら光海と同じ疑問抱いたらしく、眉を顰める楓はわからないと頭を振るのだった。
 興味がないとばかりにそっぽを向く柊は、この際置いておくとして、光海は先日見た天王の姿を今一度思い描く。
 真っ白な双翼を羽ばたかせ、純白の衣を纏ったような天馬は、森王のバスターアーチェリーや、輝王のスパイラルホーンをモノともしない破壊力を周囲に見せつけた。
 その正体こそが天翼扇。この大翼の団扇で扇いだ風は、対象の時間を瞬く間に流してしまうという未知の力を秘めた超兵器であった。
 しかし、陽平が語るには、天翼扇は四つの欠点が存在するという。
 一つ目は、対象を風に触れさせる必要があるということ。あくまで物体の持つ時間。すなわち寿命を流してしまうモノだけに、バリアーなどで遮断してしまえば効果を得られないらしい。
 これは納得できると光海は頷いた。
 二つ目は、単発打ちで大振りだということ。巨大団扇だけに無理もないが、これを扇ぐには相当な力がいる。故に手裏剣を投げるようにはいかず、一撃必殺の技にするしかないということ。
 これもなんとなく理解できたので頷いておいた。
 三つ目は、天翼扇を扱うには相当な量の巫力が必要だということ。竜王には遁煌という便利なものがあるために、力の溜めをほとんど必要としなかったが、これが獣王や双王になると数倍にもなる溜めを要する上に、一撃で脱力してしまうほどに消耗するという。
 戦王のバニッシュキャノンが丁度良い例だと、光海は頷いた。
 しかし陽平が言うには、一番の問題は四つ目だと言う。
 四つ目は、天王サイガの巫女である天城瑪瑙が、風雅に……特に陽平に対して非協力的であるということ。
 どういうわけなのか説明することはなかったが、なんでも陽平は瑪瑙に嫌われているらしい。天翼扇最大の鍵を持つ人間に嫌われるなど、致命的以外のなにものでもない。
 それでも、まだ望みはあるなどと語る陽平に、光海は小さな溜め息を漏らすのであった。
 そんな考えがそのまま顔に出ていたのか、小さな溜め息をつく光海に、楓はどこか安心したような笑みを浮かべていた。
「どうしたの? 楓ちゃん、なんだか嬉しそうだけど…」
「いえ。いつもの光海先輩だなと思って…」
 確かに数日前の光海は、陽平と会話をするということさえ避けていた。感情と後悔の板挟みとでも言うのだろうか。陽平に声をかけられることを拒み、陽平を見ようともしなかった。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「いえ、安心しました」
 楓の言葉に、我関せずを決め込んでいた柊も「うんうん」と頷いてみせる。
 今回の件といい、ガーナ・オーダに囚われた件といい、本当にみんなには心配をかけてしまった。
「私はもう大丈夫。ヨーヘーのことで悩むことは、たぶんもうないよ」
 自信たっぷりに笑ってみせる光海に圧倒されたかのように、楓はどこか困ったような表情を浮かべる。
「光海先輩、なんだかイメージが変わりましたね」
 そう言われる理由はわかっている。それは、自分の中にあるもう一つの恋心が勇気をくれるから。もう陽平への気持ちが揺らぐことも、自分の気持ちを隠すこともない。
 楓の言葉に不敵に笑う光海は、「陽平は渡さない」とでも言うかのように楓にウインクを返す。
 そんなこんなで時間を潰していた三人であったが、誰に言われるでもなく上座に向かって姿勢を正すと、ゆっくりと開く襖に意識を集中させていく。
 成人女性くらいの気配がひとつと、小学生くらいの気配がひとつ。その両者が持っている巫力に、光海は覚えがあった。
 その答えを確かめるまでもなく襖が開き、凛とした空気の中、風雅の当主が入室する。続いて入室した戦巫女孔雀は、襖に躓きながらもなんとか転ばないよう踏ん張ると、何事もなかったかのように襖を閉じていく。
 孔雀は強い。力や技だけではなく、決して揺らぐことのない強い意思を持っている。仕える主が行方を眩まして、生死不明という現状でさえ彼が帰ることを信じて疑わない。
 負けていられない。12歳の少女でこれだけ強いのだ。自分はもっともっと強くならなくては。
 上座に座り、孔雀が光海の後ろに座るのを待った琥珀と、不意に視線がぶつかった。
 まるで、心を見透かされたような錯覚に陥る深い瞳。事実、琥珀が他者の心理状態を視る#\力を備えた鬼眼を持っていることを光海は知らない。だからこそ、深読みすることなく琥珀に対して真正面から視線を返すことができる。
「お待たせいたしました」
「いえ。それで、私たちを呼ばれたということですが、どういったご用命でしょうか」
 はっきりと問い返す光海に、琥珀は袂から何枚かの紙の束を取り出すと、その全てが彼女たちに見えるよう畳の上に並べていく。
 見たところ、描かれているのはなにかの図面のようだが、そういった知識に疎い光海には、それがなんであるか理解できそうになかった。
 だが、補足するように記された文字を読むにつれ、それがいったいなんであるのか、光海にもおよその見当がついてきた。
「森王、輝王……そして天王を用いた合体?」
 確信でないために疑問形になってしまったが、光海の弾き出した回答が正解であるとばかりに琥珀は大きく頷いた。
「皆さんは、いつかの隕石を覚えていますか?」
 忘れるはずがない。鉄武将ギオルネとの戦いに辛うじて勝利した勇者忍軍たちは、直後地球に落下するという巨大隕石を相手に破壊作戦を決行した。偶然に偶然が重なった結果、隕石は無事破壊に成功。戦王ホウガという大きな犠牲の下に、彼らは地球を守り抜くことができたのだ。
「先の作戦で、森王と輝王から成る合体忍巨兵、角王式忍者合体ホーンフウガは失われました」
 そうだ。失ったのは戦王だけでなく、合体という重要な情報に深いダメージを負った角王もまた、彼女たちの前から姿を消すことになったのだ。
 単純に言い換えれば、合体に必要なプログラムが修復不能な状態までダメージを受けたことにより、森王と輝王は合体できなくなったというわけだ。
「ですが、この先の戦いにはやはり角王の力が必要です。そこで私たち風雅の里は、日向の指揮の下、森王と輝王に新たな術を与えることで、新しい角王を生み出すことにしました」
 それがこれだと、琥珀は一枚の図面を差し出した。
「角王式戦馬合体…」
「トライホーンフウガ…!」
 最後の一枚ともいうべき図面に描かれた姿に、風魔の兄妹が驚きにも似た声をあげる。
 森王、輝王、天王の三体から成る新たな角王は、図面を見た限りではいわゆる半人半馬のヒッポケンタウロス型であるということくらいしかわからない。しかし、その構成機である森王と共に戦ってきた光海だからこそわかることもある。森王一体であの力。では、同等以上の忍巨兵が更に二体も合体するとなると、その戦闘力はもはや想像の域を遥かに超えてしまう。
 誰もがそれ以上を語らず、驚きの目で図面を凝視する。
 そんな中、そういえばと挙手したのは、めっきり影が薄くなっていた風魔の少年であった。
「そんで。肝心な天王と、その巫女はどーすンの?」
 確かに、そこが一番の問題だ。当主権限を用いた召集にも応じないとなると、天王とその巫女の協力は難しい。
 それは陽平が嫌われているからなのか、はたまた風雅≠ニいう存在を嫌っているからなのかはわからない。しかし、これで今一番やらなければならないことが理解できた。
「私、天城さんにお願いしてみます」
 しかし、そんな光海の発言に、琥珀はその必要はないと静かに頭を振った。
「説得には……一番の適任者が、既に時非の地に向かっています」
「一番の……適任者?」
 思わず反復して聞き返す光海に、琥珀は優しい笑みで頷いた。
「それは、日向さんのことですか?」
 確信めいた楓の問いに、琥珀は少しだけ驚いた表情を見せる。
「これは私ではなく、先輩から得た情報ですが…。天城瑪瑙さんと葵日向さんには共通点があるそうですね」
 それは、風雅流戦舞と呼ばれた巫女舞の技術。
 陽平がその身で知る限り、それを数年で扱うのは不可能に近い。しかし、当の瑪瑙は至極当然な素振りでその技の一端を陽平に披露したという。
 以前、日向が竜王の風遁煌を弾き返すわけでも、跳ね返すわけでもなく、流れに巻いて打ち返したことがあったが、瑪瑙の舞は決してそれに劣ってはいないと陽平は語っている。
「それらの点から、天城瑪瑙さんは、葵日向さんと共に舞を学んだ者であるという推測を立てました」
 もしも本当に兄弟弟子ならば、確かにこれ以上の人材はないだろう。
「まぁ、アニキの見立てはまだあるンだけどね」
 柊の言葉に、聞きましょうと琥珀が先を促す。
「アニキが言ってたのは、その二人が姉妹なんじゃないかって話」
 以前小さな池で日向が舞っていた際に、彼女は笛を録音したラジカセを使っていたわけだが、陽平はそれに対して興味本位に尋ねたらしい。
それは誰の笛を録音したンです?
 日向の答えは「もちろん自分で吹いたものです」と、当たり前のものであったが、陽平はそれを忘れてはいなかった。
 戦舞と雅楽奏者としての才。片方だけならまだしも、こんな共通点はそうそう重なるものではない。
 兄弟弟子という線が消えたわけではないが、二人が姉妹だと考えた方がより自然だった。ただそれだけの理由だった。
 柊の説明に頷き、琥珀はさすがとばかりに苦笑いを浮かべる。
「もう少し、黙っているつもりでしたが、それだけわかっているのでしたらもう隠す必要もないでしょう」
「それじゃあ…」
「お察しの通り、説得に向かったのは日向です。理由もお察しの通り。彼女が戦王の巫女瑪瑙の実の姉だからです」
 琥珀の告白に、その場の誰もが納得したように口を噤んだ。
「本当の名は蛍=Bかつて賢王トウガの巫女だった者です」
「巫女……だった?」
 そういえば日向が元々巫女だったような話を何度か耳にしてはいたが、どういった経緯で巫女の資格を剥奪されたのかまでは知らなかった。
 尋ねる光海に、琥珀は辛い過去を思い出すかのように悲痛な面持ちを見せる。
「私がこの時代に目覚めて数年。ガーナ・オーダらしき悪しき者たちの動きを察知した私たちは、その後の方針を決めるために忍巨兵の頭脳ともいうべき者、賢王トウガを目覚めさせました」
 当然、賢王の巫女である日向こと、蛍もまた、忍巨兵と共にかの地に眠っていた。
 だが、よりにもよって賢王覚醒の日、そこでひとつの事件が起こった。風雅全体を揺るがすことになったその事件は、知る者の間ではタブーとされ、通称フウガマスター事件と呼ばれている。
 その日、賢王の覚醒を行っていた琥珀をガーナ・オーダの尖兵が襲った。いや、その規模はもはや尖兵などとは言っていられないほどのものだった。
 しかし、賢王を目覚めさせることで逆転を狙った琥珀は、当時の風雅最高峰忍者であったフウガマスターと、同じく最も力ある巫女であった斎乃巫女を護衛に覚醒を強行した。
 結果、賢王の復活は成功。忍巨兵の投入で、ガーナ・オーダの猛攻をも押し返し始めていた。そのまま、すべてが滞りなくいくはずだった。
 目覚めたばかりの賢王を戦わせたことで、風雅の里付近に在った封印の地は崩壊。琥珀はフウガマスターの手によってその崩壊から無事に救い出されたが、斎乃巫女はしんがりを務めたことで崩壊に巻き込まれることとなる。
 さらに風雅内の強行派は、琥珀を助けるためと忍巨兵用の砲を持ち出し、斎乃巫女共々ガーナ・オーダを吹き飛ばしたのだ。
 そんな行為に怒り狂ったフウガマスターは、強行派の連中を一人残らず惨殺すると、その刃を兄弟同然の友にまで向けたのだ。
 結果、フウガマスターは敗れ、当時シャドウマスターと呼ばれていた風雅雅夫がその地位に収まることとなる。
「蛍は……そのときの事件は自分が原因だと、私の罪さえも一身で引き受けたのです」
 琥珀の判断ミス。それは誰が見てもわかることであったが、蛍は──日向はそこで琥珀が退陣することを良しとはせず、自らが全ての責を負うと進言したのだ。その結果、日向は風雅としての名を失い、巫女の資格を剥奪されることとなる。
 忍巨兵の技師には、琥珀の強い薦めもあり、またかねてより忍巨兵の製造などに携わっていたことから、すぐに採用が決定づけられた。
 以来、蛍は葵日向として、戦巫女から忍巨兵の技師として移り変わっていったのだった。
「そんなことが…」
 よもやこんなところで風雅最大の事件を知ることになるとは思いも寄らなかった。
 重たい空気が支配する部屋に、しばしの沈黙が流れていく。
 だが、今見つめるのは過去ではなく未来。そうだ。今日はこれからのことを検討しにきたはずだ。
「私……やっぱり私も、天城さんのところにいきます」
 そのまま一礼して立ち上がると、光海は脇目も振らずに部屋を出る。
 そうだ。角王式戦馬合体を成功させるには、天城瑪瑙と天王サイガの協力は不可欠だ。
「あの……わたしも行って参ります」
 座り続けたことで痺れた足がふらふらするものの、なんとか立ち上がった孔雀もまた、その場で一礼して部屋を出て行くのだった。
「貴方たちはどうしますか?」
 一緒に行かなくてもいいのか、ということなのだろう。
 しかし、柊も楓も頭を振り、その場を動こうとはしない。
「椿姉もフウガマスターもいない風雅の里」
「空けるわけにはいきませんから」
 それにいざとなれば忍巨兵を使い、あっという間に時非へ帰ることだってできる。
「天王とその巫女のことは、二人にお任せします」
 楓の示した回答に頷くと、琥珀は一言、「ありがとう」と呟いた。






 獣岬から西へ10分ほど歩いた場所は、時非海岸では珍しいごつごつした足場のない場所であった。直径4、5メートルほどの範囲が芝生になっており、その丁度中心辺りに今日も瑪瑙は立ち尽くしていた。
 毎朝、学校に行く前にここで時を過ごし、帰宅前にもここに来るのが習慣になっていた。
 そして、今日も彼女はここにいる。
 連日学校を休むわけにもいかないため、今日はちゃんと授業に出てはいたのだが、先日にあんなことがあったためか、ほとんど頭に入ってはいなかった。
 そういえば、彼らは今日も揃って欠席していた。にも関わらず、いつもと変わらない授業風景や、クラスメイトたちが談笑しているのを見ると、人がひとり消えたくらいでは周囲はなにひとつ変わらない……と、嫌でも痛感させられる。
 こんな毎日を送るくらいなら、いっそ自分も消えてしまいたいと思うのだが、瑪瑙にはそれをできない理由がある。
 ぎゅっ、と握り締めた手を胸に、瑪瑙は心に浮かぶ大切な人の顔を思い浮かべる。
(浩介…)
 おかしな少年だった。初めて口を利いた相手に屈託なく笑いかけ、心の底から親身になれるのが彼の魅力だった。
(お母さん…)
 優しい女性が覗き込むように自分を見ているのを、今でも鮮明に覚えている。
 天城弥生。事故により、400年の封印から目覚めてしまった瑪瑙を、あの日から今日まで、ずっと育ててくれた恩人だ。
 ──嘘だ。本当はずっと別のことばかりを考えていた。
 不器用なくせにやけに優しくて、鈍感なくせに周囲が放っておかない。ただ賑やかなだけではなく、彼を中心に輪が広がる印象さえ受ける。
(風雅陽平…)
 彼が浩介を覚えていたと知った瞬間、嬉しさと同時に殺意が芽生えたのを瑪瑙は忘れない。
 浩介の一番だったはずなのに。陽平だって、浩介を親友と呼んだくせに。陽平は浩介がいたという事実を放棄した。
 瑪瑙が星浩介という少年に出会ったのは、時非高校の入学式だった。
 桜の花びらが舞う校庭で、母親と二人とりとめもない話に花を咲かせていた瑪瑙は、独り桜の木に寄り掛かり、舞い落ちる花びらを吹き出す息で跳ね返す少年を見つけたのだった。
 いったいなにをしているんだろう。初めはそんな好奇心から視線を向けていたが、すぐに彼が独りぼっちなのだと気付くと、母に一言かけてから少年の下へと駆け出していた。
なにをしてるんです?
 瑪瑙の問い掛けに対し、少年は当たり前のようにこう答えた。
親がこれなかったから。今日あったことを話さなくていいように、忘れてるとこだったんだ
 いったいなにを言っているのかわからなかった。今日あったことを忘れてる? そんなことをして、いったいどんな意味があるというのだろうか。
 なにも忘れる必要はないはず。そう伝えたとき、少年はひどく辛そうな表情を見せた。
 それを見て、きっと瑪瑙も同じような表情をしていたに違いない。少年ははにかむように笑みを浮かべると、大丈夫と口にした。
僕が覚えていなくても、僕を覚えていてくれるやつがいる
 次に二人が再会したのは、これから毎日のように通うことになるはずだった教室でだった。
 少年は友達の輪に入り、入学式に見せた表情を垣間見ることさえできなかった。
 まさか本当に忘れてしまったのだろうか。どうしても気になった瑪瑙は、彼の友人たちがはやし立てる中、半ば無理矢理に少年を連れ出したのだった。
本当にあの日あったことを忘れてしまったの?
 そんな風に問い詰める瑪瑙に、少年は一言だけ「なんのこと?」と問い返す。
 だからこそ瑪瑙は、自分が覚えているあの日の彼を事細かに説明してみせた。
校庭の、校門から数えて三つ目の桜の木に寄り掛かっていたこと。桜の花びらに息を吹き掛けていたこと。自分たちがどんな会話をしたかということ。
 ひとしきり覚えていたことを話し終えた瑪瑙に、少年は嬉しそうにこう答えた。
ほらね。僕が覚えていなくても、キミが僕を覚えていてくれた
 それ以来、瑪瑙は星浩介という少年を忘れたことはなかった。たとえ、周囲の世界が彼を忘れたとしても、瑪瑙だけは彼を忘れることはなかった。
(でも……あのひとも覚えてた)
 その事実を知ったとき、ひょっとして他にも覚えている人間がいるのでは、とも考えた。みんな、陽平と同じように流されるように忘れたフリをしているだけだと。
 ふと、背後に聞こえた砂利を踏む音に、瑪瑙は自身の結界を広げていく。対象の侵入を拒むものではなく、対象を感じ取るための結界。言うなれば陽平が集中した際の知覚領域のようなものだ。これによって、振り返ることなく周囲にいる相手の存在を確認することができる。
 だが、どういうことなのか、知覚結界内にいるはずの相手を認識することができない。いったい何故? そんな疑問を持ちながら、そう仕向けられたかのように瑪瑙は背後の相手を振り返った。
 一瞬、それが幻だと思った。自分と良く似た顔つきに、短い髪と小柄な背丈。どこか厳しく、でも優しそうに見つめるこの瞳にも、瑪瑙は覚えがあった。
「姉さま【あねさま】…!」
 別れたのはまだ幼い頃で、自身の色褪せた記憶だけを頼りにするしかないものの、それでも確かに面影は残っている。
 ゆっくりと歩み寄る日向は、スッと差し出した手で瑪瑙の頬に触れると、しなやかな指先で耳にかかる髪の毛を弄ぶ。
「瑪瑙、ちゃんと起きてたんだね」
 戦王が発見されたとき、封印の棺は開いていた。少なく見積もっても数年は放置されただろうという報告を受けたとき、日向は瑪瑙が既に生きてはいないだろうと考えていた。だからこそ戦王を天王として蘇らせ、せめて瑪瑙がいたという証を残しておこうと思ったのだが、こうして目の前にいる妹に触れるだけで全てが杞憂であったと実感することができる。
「姉さまも……起きていたんですね」
 元々、二人の年齢差は二つ。外見的にもそれほど違いがないことから、おそらく同時期に目覚めたことが予想できた。
 なのにどうして風雅を遠ざけるように今までを過ごし、今になって現れたのか。姉がそれを確かめにきたことはわかっている。
「瑪瑙……なにがあったか聞かせてくれる?」
 言わずに、会わずに済むとは思っていなかった。少しでも風雅に関われば、きっと誰かに「何故?」と聞かれるから。
 視線を逸らし、顔を背けて背を見せようとする瑪瑙の肩を日向が掴まえる。
「瑪瑙…!」
 日向の問いから逃れようとは思っていない。逃れられるとも思っていない。ただ、話し始めるのに少しだけ気持ちを整理する間が欲しかっただけだ。
「お母さんが……います」
 言葉の意味がよくわからないと、日向は眉をひそめる。
「私が棺から投げ出され、時非海岸付近で倒れていたのは、今から七年前のことです」
 日向が目覚めたのはおよそ十年前。外見年齢に差がないように見えたのは、純粋に日向がひとより幼い顔つきだということだろう。
「私を見つけてくれたのは、天城弥生。今のお母さんです」
 天城弥生は未亡人だった。旦那さんと息子がいたらしいが、なんでも交通事故で一度に亡くしてしまったらしい。
 そんな弥生が瑪瑙を見つけたのは、七年前の嵐の日。なぜそんな日に彼女が海岸にいたのかはわからないが、彼女は倒れていた瑪瑙を見つけると、脇目も振らずに助けに入っていた。
 普段から足場の悪い時非海岸だ。嵐の日がどれほど危険か想像するのは容易い。
 なんとか瑪瑙の下に辿り着いた弥生は、海水で重たくなった瑪瑙の服を脱がせると、しっかりと抱き締めて足場の悪い海岸を登っていった。
 明らかに呼吸が弱まっている少女を、早く医者に診せなければ。その一心で登り続けた弥生は、ついにあと少しというところまできていた。
 もうすぐだ。もうすぐで救急車を呼べる。自然と頬は綻び、弥生は安堵から小さな溜め息を漏らした。
 だが、そこで安心しきってしまったのは大きなミスだった。
 嵐で緩んだ地盤のため、崩れ落ちた岩の塊が弥生の右腕にのし掛かり押し潰してしまったのだ。
 一瞬で気絶してしまいそうな激痛の中、せめて瑪瑙だけはと這って進み、共々に血まみれで車道に倒れていたところを通り掛かった車に発見されたという。
 病院に運び込まれた後も、「自分よりもあの子を」と弥生は懇願を続けたと聞かされている。
「私が目を覚ましたとき、お母さんは隣り合わせにされたベッドで寝かされたまま、ずっと私の手を握っていてくれました」
 ことの顛末を医者に聞かされ、瑪瑙は初めて、自分が弥生の右腕と引き換えに命を救われたことを知った。
「私は……あのときから決めたんです。それまでの自分を捨て、この人のために、お母さんのために生きようって」
 右腕のことを謝ったとき、弥生は笑いながらこう言ってくれた。
赤ちゃんを産むのはすごく苦しいの。命を作るのは、それだけ痛くて、辛いものよ。でもね、だからこそ胸を張って言えるの。「この子は私の子です」って=@そう。あの日から風雅の巫女瑪瑙は、天城瑪瑙になった。
「琥珀さまや、死んでしまったみんなを忘れたわけじゃない。でも、私はお母さんの側にいたいんです」
 強い意思を秘めた瞳が、真っ直ぐに想いを投げ掛けてくる。
 強く、優しい子に育った。そんな想いに、日向はどこか安堵の笑みを浮かべた。
「三つだけ……答えて」
 応答も、首肯もないのは了解だと受け取り、日向は人差し指をピン、と立てる。
「風雅を捨てたと言ったあなたが、どうして天王と一緒なんです?」
 日向の問いに、瑪瑙はちらりと視線を逸らす。いや、逸らしたのではなく、視線を向けたのだ。
 以前と同じように姿を表した天王に、瑪瑙は小さな溜め息をつく。
「この子は、勝手にここにいます。勝手にここに来て、勝手に契約して、勝手に忍器を持ってきました」
 それ以上でも、それ以下でもない。
 琥珀が言っていた。天王のベースになった戦王は瑪瑙の忍巨兵だった。故に本能的に瑪瑙を探し、飛び出したのではないかと。
 完全に停止したと思っていたが、やはり人の記憶というものは人の手に余ると思わざるをえない。
「もうひとつ。どうして天王で戦ったりしたの? そんなことをしなければ、知らぬ存ぜぬで通せたかもしれない」
 それは日向の言う通りだ。
 ただ、あそこで動かなければ時非の町が、お母さんと七年を過ごした町がなくなってしまうと思ったから。気付いたとき、瑪瑙は天王を用いて竜王を救っていた。
 一度だけ。この一回限りと自分に言い聞かせながら、瑪瑙は戦った。
 皮肉なことに、実父から受け継いだ笛と、実母から受け継いだ舞は、錆び付くことなく瑪瑙に返ってきた。
 風雅からは逃れられない。そう思ったとき、きっとまた自分は戦場に立つのだろうと思い知らされた。
「……気の迷いです」
 辛うじて答える瑪瑙に、日向はどこか苦笑を浮かべる。
 陽平を助けたことが気の迷い。どうやら相当に嫌っているようだと理解したらしい。
「三つ目。私からの質問は、これが最後。風雅の旗の下、再び戦う気はありませんか?」
「私は……」
 その問いに返せる答えを、残念ながら今の瑪瑙は持ち合わせていなかった。






 光海に代わり、翡翠の護衛についた風魔の長女は、どういうわけかその護衛対象と一緒に商店街にいた。
 ひとり陽平を待つ姿は実にいじらしく、ついつい陽平に精がつくものでも食べさせたらどうだなどと言ってしまったわけだが、まさか外出することになるとは思ってもみなかった。
 最初は家で作れるものを探したようだが、どこから仕入れた情報なのか、精がつくのはウナギだと知ると、弾かれるように飛び出してしまったわけだ。
「うなぎは魚屋……」
 これも調べたのか、先ほどからウナギを目指して魚屋を探しているらしい。しかし、そこはお手伝いの子。既に何度も来ているらしく、ほとんど一直線に魚屋へ到達すると、満面の笑みで店主らしき男に声をかけた。
「今日はうなぎ。……大きいの、ある?」
「おや、翡翠ちゃんじゃないかい。ウナギだね。ちょいと待っとくれよ…」
 どうやら既にお得意様レベルの付き合いなのだろう。活きの良いウナギをいくつか見繕うと、店主は翡翠の前に笊を置き、その上にまだ元気いっぱいといった感じのウナギを並べていく。
「へび?」
 我らが翡翠姫は生ウナギを見たのは初めてのようだ。
 確かに蛇に見えなくもないが、ウナギはれっきとしたウナギ科の魚である。ちなみに、産卵は深海で行い、幼魚は海中で育つ。
 一瞬、そんなうんちくが頭を過ぎったが、どうやら翡翠は店主にウナギの捌き方を尋ねているようだった。
 それにしても、あれだけのことが起こっているにも関わらず、この町は平和だ。いや、平和すぎる。
(それに、これだけ無防備だというのに、姫が狙われる様子がない)
 翡翠と、翡翠が持つだろう生命の奥義書をガーナ・オーダが諦めたとは考えにくい。だというのに、一向にそれらしい気配がないのは不気味すぎる。
 なにかよからぬことが起こるのでは、という気さえしてくるが、まだ決め付けるには早すぎる。

くいくい…

(……)

くいくい、くいくい…

「なんでしょうか、姫」
 見れば、嬉しそうにビニール袋を下げた翡翠が、椿の袖を引いているところだった。
「おまけしてもらった」
 そう言って持ち上げる袋の中には、ウナギが二尾入っているように伺える。これはおまけというか、完全にプレゼントの類いだ。
「良かったですね。それでは帰りましょうか」
「ん」
 椿の手を取る小さな手。こんな幼い子供が命を狙われるなどと、不憫なものだ。それこそ、風雅に関わらねば普通の少女として平穏無事な生活を遅れたに違いない。
 ふと、翡翠の握る力が強くなり、椿はどうしたことかと翡翠の様子を伺う。
「つばき、こわい顔してる」
「そうですか?」
「ようへい、言ってた。わらうかどにはふくきたる」
 そう言った翡翠は、お手本とばかりに満面の笑みを浮かべてみせる。
 なるほど。この笑顔ならば福くらい幾らでも呼んでしまいそうだ。
 そうか。この笑顔に救われて、もう十二年にもなるのか。
 感慨深くそんなことを感じた瞬間、常人では聞き取れない、しかし椿の耳にはハッキリと聞こえる風切り音の接近に、咄嗟に翡翠を抱き寄せ、商店街のアーケードへと飛び移る。
 椿たちのいた場所を切り裂く鎖のような刃に、椿の表情がみるみるうちに厳しいものへと変わっていく。
「ガーナ・オーダ…!」
 肌で感じられるほどの殺気に、椿は武器を手に臨戦態勢を取る。
 だが、椿の行動を戒めたのは意外にも小さな主君であった。
「ここはだめ。みんなけがする」
 確かに、商店街は人通りが多過ぎる。翡翠を守りながら戦うには丁度良い障害物なのだが、姫君がそれを望まぬ以上それは得策ではない。
「では、少し拓けた場所まで走ります」
 椿の言葉に頷く翡翠は、振り落とされないようしっかりと腰にしがみつく。
 こういう場合、どうするのが最良の行動なのかを把握している辺り、慣れが伺えるのだが、この歳の少女が慣れてしまって良いこととも思えなかった。
 迫る殺気を背にアーケードを蹴った椿は、小柄な翡翠を抱き上げたまま針路を海に取る。
 誰にも邪魔されにくい場所というと、この辺りでは獣岬くらいしかない。
 付かず離れずの距離を保ちながら、相手が追って来ているのを確認する。
 相手が一定以上の実力者だった場合、完全に逃げ切ってしまうのは難しい。だが、今のように追ってくる気があるのか怪しい場合、なんらかの策を講じられている可能性が高い。故に出方を伺えるよう、付かず離れずを保つ必要があった。
(それに、場合によっては私が斬る必要がありますしね)
 先ほど見えた武器の形状は、そうそうあるものではない。ならば、報告にあった武将の一人が生きていたと考えるのが妥当だろう。
 ようやく見え始めた目的地に、椿は焦ることなく跳躍を繰り返す。
 そのとき、もぞもぞと動く翡翠の手が、徐に椿の胸を鷲掴みにした。
 何事かと目を向ければ、なにやら考え込むようにまじまじと椿の胸を凝視している翡翠がいた。
「姫……」
 いったい何事ですか、と続けようと思ったが、残念なことに揉むほどもない自分の胸元に悄気る翡翠に、なにも言うまいと椿は内心苦笑を浮かべるのだった。












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