いったいどれくらい歩いただろうか。視界を閉ざした状態では正確な時間などわかるはずもないが、かなりの時間を歩いていた気がする。 自分を包み込んでいた周囲の気配が変わったことに気付いた陽平は、歩みを止めると様子を伺うようにゆっくりと瞼を押し上げていく。 長い間目を閉じていたため、広がっていく世界がやけに眩しく感じる。 だが、それ以上に驚かされたのは、明らかに周囲の景色が違っていたからに他ならない。 まるで樹海のようだった不気味な木々は消え、緑生い茂る木々に囲まれた空間は、不自然なほどに円の形を作っていた。 丁度陽平の対面にあたる場所に見える小屋は驚くほどに古く、人の生活感をまるで感じさせない。 「ひょっとしてここが……」 「いかにも。オヌシが探していた場所に相違ない」 「な──ッ!?」 突然背後から聞こえた声に、陽平は弾かれるようにその場を飛び退いた。 「ほほぉ。その若さにしてはいい反応じゃ。しかしちと驚きすぎじゃな」 ホッホッホ。と奇妙な笑い声をあげる奇妙な老人は、実に奇妙な格好をしていた。 例えるならば時代劇のご隠居。とくに頭にちょんと乗せられた頭巾がそんなイメージを強調している気がする。 「いい目じゃな。ワシの一挙一動を見逃さぬその観察眼。どうりで獣王の証が騒ぎよるわけじゃわい」 なるほど。どうやらこの老人が獣王の証なるものを管理している人物のようだ。 ならば話は早い。さっさと受け取るものを受け取り、翡翠の待つ時非へ帰るに限る。 「俺は風雅陽平。風雅当主琥珀からの命で獣王の証を受け取りにきた」 名乗る陽平に、なるほどと頷きながら老人は陽平の頭から足の先までを眺め回す。 「かまわんよ。渡せるものならすぐにでもくれてやるわい」 「は……? どういう意味だ……って、おい!」 話も聞かずに小屋へ歩き出す老人に、陽平は首を傾げると、「なんなんだ」と頭を掻きながらその後ろをついていく。 「まぁ、入りなされ。すぐに見せてしんぜよう」 昔ながらの家屋といったところか。なにからなにまで完全に木で作ってあるらしく、中は金属臭がまったく感じられない。 電灯もないようだし、夜は月明りでも頼りに動くのだろうか、などと思案していると、突然鼻をかすめる金属臭に陽平は弾かれたように振り返る。 「ほれ、受け取りなされ」 差し出されたのは一振りの刀だった。 戸惑いながらもそれを受け取り、陽平は首を傾げる。 「まさかこれが獣王の証……?」 「いかにも。これこそが獣王の忍びとなった者にのみ所持することを許され、手にした者には絶大な力を与えるリードの秘宝。その名も炎鬣之獣牙【えんりょうのけものきば】≠カゃ」 見たところただの刀にしか見えないが……。これのどこにそんな力が宿っているのかと、陽平は刀の柄に手をかける。 自分が緊張しているのがわかる。早鐘のような心臓を無理矢理抑えながら、陽平は徐に刀を引き抜……くことができなかった。 「な、なんだこりゃ!?」 力任せに何度も抜刀を試みるが、どういうわけかビクともしないではないか。 「じぃさん、こいつ錆びてンじゃねぇの?」 「可能性がないわけでもないがのぉ。なにせ、四百年もの間、誰一人として抜いてはおらぬ」 「は……?」 陽平から刀を受け取り、老人は自らも引き抜こうと力を込めるがいかんせん、刀はピクリとも動かない。 「ワシの知る限り、これを抜けたのは過去に三人。星王となった初代獣王の忍び星【ほとほり】様、オヌシの先代にあたる十兵衛殿、そしてその先代である若かりし頃のワシ、緋晶【ひせい】。今は立場上鏡【かがみ】≠ニ名乗っておるがの」 ホッホッホ、と得意げに笑ってみせる鏡に、陽平はなんだそりゃと肩を落とす。 無理もない。それはつまり、なにかしら特別な資質が必要であると言っているようなものだ。 「残念だけど、俺は生粋のリード人じゃねぇ。鬼眼があったってフウガマスターに届かねぇようなヒヨッコさ」 その上、あろうことか陽平は獣王を亡き者にしている。資格があるかないかと言えば、おそらくそんなものはないはずだ。 自嘲気味に笑みを浮かべる陽平に、鏡は「そうかの」とだけ呟いた。 「では、こやつが待っておったのは……オヌシを追って来た者か」 「な──ッ!?」 小屋の壁を挟んでいるというのに、ただ一人陽平にだけ向けられた裂帛の気合。見るもの全てを切り裂くような視線も、怒気にも似た殺気もすべて身に覚えがある。 陽平がそのことに気付いた瞬間、外にいる者の気配が爆発的に膨れ上がった。 挑発しているのだ。早く出て来いと。もし出て行かなければ、おそらく奴は小屋ごと吹き飛ばしかねない。 「やっぱり生きて……やがったんだな」 抜けない刀には目もくれず、陽平は早々に小屋を飛び出して行く。 殺気の主はすぐに見つけることができた。 黒いノースリーブのアンダーシャツに、大きく胸元の開いた白いワイシャツを身に着けているために、大きく印象が変わっているものの、その左半面を覆う銀の仮面や、身に纏う獣のような気配に変わりはない。むしろ、より一層増している存在感を、陽平はビリビリと肌で感じ取っていた。 「釧……」 「風雅……陽平。戻ってきたぞ。キサマを倒すため、新たな力を手にしてな……!!」 獣王式フウガクナイを引き抜くのはほぼ同時であった。 釧がカオスフウガを失っているのはわかっていたが、彼の口にした新しい力という言葉が陽平に得体の知れないプレッシャーを与えてくる。 「風雅流ッ!!」 「召忍獣之術ッ!!」 柄尻にはめ込まれた二つの勾玉が蒼と金色に光を放つ。 二つの光は互いに空と大地を裂き、蒼天の竜王と新たな忍巨兵を呼び寄せる。 大地の亀裂から高速回転して飛び出したそれは、派手な音と共に釧の背後に着地すると、竜王を威嚇するかのようにその大きな顎をいっぱいにまで広げて咆哮をあげた。 「な、なんだよそいつは……!?」 どこか獣王を連想させる巨大な獅子の姿に、陽平の動揺が明るみになる。無理もない。威嚇するその咆哮すら、獣王クロスのものと酷似しているのだから。 「見るがいい。これがキサマを屠る真の獣王の姿だッ!!」 真の獣王という言葉に反応するかのように、鏡の持つ炎鬣之獣牙がかたかたと音を立てて震え出す。 「上等じゃねぇか! クロス以外に真の獣王なんかいねぇってこと、てぇめぇにわからせてやるッ!!」 「最早、問答無用。行くぞ、クロスガイアッ!!」 二人の気迫を受け、早くも竜王と巨大な獅子が激突を繰り返す。 どこか怪獣映画のような光景を目にしながら、陽平はシャドウフウガに変化すると、獣王式フウガクナイを竜王に掲げた。 「竜王変化ッ!!」 「獣王変化ッ!!」 共に人型に変形した忍巨兵の額に、両者が同時に入り込んでいく。 心転身之術によって広がる意識と感覚が忍巨兵の身体を満たしたとき、二体の忍巨兵が同時に降臨した。 「竜王式忍者合体…、ヴァルッフウッガァッ!!!」 「真ッ獣王式忍者合体ッ…! ガイアッフウガァッ!!!」 竜巻を吹き飛ばし、翼を広げた蒼天の竜王の拳が空気を震わせる。 対して釧の駆る真獣王は着地と共に大地を穿ち、羽飾りのような頭の鬣を振り乱す。 「真獣王だって!? クロスフウガを差し置いてヌケヌケとッ!!」 怒りの咆哮と共に繰り出された竜王の拳を、真獣王はかわしもせずに真正面から受け止めにかかる。 本来、回避を主体とした忍巨兵は、正面からの打ち合いには不向きだ。しかし、その理を覆すように生み出された竜王は、以前にも武装したカオスフウガ・ストライカーのパワーさえも圧倒している。それにも関わらず、竜王の拳を真正面から受け止めるこの真獣王は、少なからず竜王クラスのパワーを持っていることになる。 押すことも退くことも適わぬ拳に、陽平はキツく奥歯を噛み締める。 「どうした風雅陽平。キサマの……竜王の力はこの程度かッ!!」 「なンだとッ!?」 陽平の押す力を利用して引き寄せられる。まずい、と思った瞬間、腹を抉られるような衝撃が突き抜けていく。 「が──ッ!!」 突き上げられた真獣王の膝に、陽平は苦々しい顔で舌打ちすると、翼を広げて空へと距離を取る。 「風遁煌ッ!!」 右腕の遁煌が拳を包み込むように竜巻を生み出していく。 「プラス……穿牙ッ! ファングナパァムッ!!」 眼下に叩き付けるように打ち出した拳が、尖牙の特性を受けてより鋭く回転をかけて真獣王に襲いかかる。 それこそ輝王のスパイラルホーン並みの破壊力が予想される拳だ。そんなものを受け止めに入ればたとえ竜王の拳を受け止めた真獣王であろうとも致命傷は免れない。 だが、仮面の下で不敵な笑みを浮かべた釧は、バカバカしいとばかりに自ら風遁の印を切ると、竜王同様に真獣王の拳に竜巻を纏わせる。 「キサマのやり方に合わせてやる」 拳を捻れば腕の回りに四枚の刃が迫り出す。丸鋸の中心に腕が突き刺さったようにも見えるが、これがファングナパーム同様に高速回転すれば、その凶悪さは風遁煌の比ではない。 まずい。そう思った瞬間、竜王は自らの拳を追いかけるように急速で降下していく。 「受けろ、ヴォルテックナパァムッ!!」 バズーカのような凄まじい発射音と共に、真獣王の右腕が飛ぶ。 竜王と違い、真獣王の拳には鎖が繋がっているところを見ると、どうやら竜王と同じ開発系譜というわけでもないらしい。 竜王の拳と真獣王の拳がぶつかり合い、僅かな拮抗の後にファングナパームが弾き返される。 だが、それを見越していた陽平は擦れ違いざまに腕を回収すると、ヴォルテックナパームの下を潜ることで一気に間合いを詰めて行く。 「このくらいでぇッ!!」 体当たりするかのように真獣王の懐に飛び込む竜王。両者の左腕が交差するようにぶつかり合い、その衝撃が真獣王の足場を一瞬で陥没させる。 単純なパワーでは劣るものの、スピードを上乗せすれば互角には持ち込める。 ここで掴まるわけにはいかないと距離を置いた陽平は、咄嗟に真獣王を蹴って飛び退き、再び空へと難を逃れる。 やはり追いかけてこない。どうやら真獣王が飛べないという推測は正しかったようだ。 「腕を上げた。それでこそ……と言いたいが、その程度が限界ならばキサマには万に一つも勝ち目はない」 「てぇめぇこそ、飛べもしねぇクセによく言うぜ」 「獣王にとって大地こそが戦場。それを見失ったキサマは所詮二流止まりだッ!!」 次に仕掛けたのは釧の方だ。ただ一度蹴っただけで竜王の位置まで跳躍すると、再びヴォルテックナパームを打ち放つ。 「そんな体勢からの攻撃が──」 竜王之牙で切り払うつもりが、いかんせん見事に化かされた。 飛び上がった真獣王は分身で作り出した囮。本命の一撃は間髪入れずに陽平の真下から放たれる。 「このぉッ!?」 「もう遅い……」 蹴り返すつもりで突き出した足が、逆に仇となった。鎖で繋がった拳は竜王の足を掴まえると、力任せに引き摺り下ろす。 背中から叩き付けられた瞬間、一瞬呼吸困難に陥る。何度も噎せ返りながら立ち上がると、僅かに歩み寄る真獣王の姿に悪寒を感じずにはいられなかった。 「空からはいつでも引き摺り下ろせるってことかよ。とことんナメやがって……」 悪態つきながらも、頬を流れる冷汗を止めることができない。今の釧はカオスフウガのときより遥かに強い。たった数回打ち合っただけだというのに、嫌というほど突き付けられた事実だった。 (暴竜でも勝てないかもしれない……) 正直、まだ自らの意思で操ったことがないだけに、暴竜になるのはかなりのリスクを負う覚悟がいる。かといってやり過ごせる相手でもない。 「そもそも、その忍巨兵はなんなんだッ!?」 真獣王など聞いたこともない。加えて折り紙付きのこの戦闘力。少なくとも十三の忍巨兵には含まれていないはずだ。 「答えろ、釧ッ!」 「キサマに語る必要などない」 取り付く島もない。だが、陽平の問いは意外なところから回答を得ることができた。 「真の獣王。それは古の獣王の身体じゃ。過去、リードにおいて獅子の姿を持った巨人が発掘された。どれほどの時を隔てたかなどわからぬ。しかしそれは自らをクロスガイアと名乗り、リードの民は現王族となった部族の戦士を意味する忍びの名を込めて忍巨兵と呼ばれることとなった」 いつの間にそこにいたのか、竜王と真獣王の丁度中間に位置する場所に鏡の姿が在った。 「……師、鏡」 「お久し振りですな、釧さま。御健在なようでなにより」 「なッ……!? じいさんが釧の師匠だって!?」 素直に驚く陽平に、鏡は得意げに笑ってみせる。 陽平が驚くのも無理はない。正直な話、とても強そうには見えない。 「鏡という名は王族の指南役に与えられる名でのぉ。まぁ、ワシのことなどこの際どうでもよい。じゃが、釧さま。クロスガイアをどうなさるおつもりか……」 年老いてはいても釧の師。その鋭い眼光は、事と次第によっては……と無言で圧力をかけてくる。 さすがの釧もこれには肝を冷やしたか、顎にまで流れた冷汗を拭い、眼下の鏡を見下ろした。 「知れたこと。くだらぬ野望を抱く亡霊を死界へ返す。その手始めがキサマだ、風雅陽平」 「てぇめぇにできっかよッ!?」 竜王之牙を刺突に構え、陽平は真獣王ガイアフウガを油断なく見据える。 たとえ最強と謳われた獣王の身体であっても、クロスでない獣王など認めるわけにはいかない。陽平にとって獣王とは、ただの称号でも、ましてや呼び名でもない。クロスフウガやカオスフウガの持つ偉大にして勇敢な意思を指している。故に抜け殻を身に纏い、真の獣王を名乗る釧を放っておくなどできようはずがない。 「足掻くなら好きにしろ。こちらの時間も無限ではない」 胸を飾る突起を切り離し、払うように振り抜く。突起が変化した刃を両手に携え、釧もまた陽平を鋭く見据えている。 やはり逃げるか。決して撤退を考えなかったわけじゃない。だが、この男に背中を見せるのは、釧の強さ云々以前に陽平自身のプライドが許さない。 (逃げるにしたって、一矢も報いることなく後退してたまるかよ) 一瞬で間合いを詰め、ガイアフウガの額を狙って手にした刃の切っ先を突き出す。 だが、竜王の刃を掬い上げるように交差した真獣王の双刃──双獣牙【そうじゅうが】が陽平の視界にその切っ先を見せ、流れるような動作で左の刃を突き出してくる。 「そう何度も何度も食らってたまるかよッ! お見通しだぜッ!!」 左の刺突に合わせるようにして突き出された右をもスウェーバックで避けきると、そのまま左足を軸に身体を捻って真獣王の武器ごと顎を蹴り上げる。 決まった……。いや、そうでないことは当てた陽平自身が一番良くわかっている。今の陽平同様にスウェーバックで距離を変え、接触のタイミングをズラして不十分な威力の蹴りに変える。見事なものだ。 どちらも僅かによろけながらもすぐに体勢を立て直すと、互いにクロスカウンター狙いで相手の顔面を殴り付ける。両者共に膝が崩れそうになるのを互いに相手で支えることで踏ん張り、すぐに再び距離を置く。 やはり厄介な相手だ。陽平自身の戦う目的はともかく、釧にいたっては既に獣王を倒すことではなく、陽平を倒すことを念頭に置いている。以前、竜王に敗れたことが原因か。あるいは彼の戦士としての本能がそうさせるのか。 「やれやれ。釧さまにも新米勇者にも困ったものじゃ……」 そんな言葉が自然と口をつくほどに呆れ果てた鏡は、やれやれと溜め息混じりに頭を振る。 「どいてろじいさん。踏み潰しちまう!」 「ホッホッホ。そうはいかぬ。オヌシらが刃を交える理由などないことはわかっておるはず。それでも止まれんのならば我が身体をもって止める意外に手はあるまい」 老人とは思えないほどに素早い動きで、地面に突き立てられた双獣牙の頂に飛び乗る。 身体を張るもなにも、こんな老体で忍巨兵の一撃を受ければボロ雑巾のようになることは言うまでもない。 「構わないでもらおう。師と言えど、貴方には関係のないこと」 「そうはいきませぬ、と申しましたぞ。だいいち、心配など我が身体に傷のひとつでもつけてから言っていただきましょう」 そう言うと、陽平たちの見守る中、鏡は自らに施された術を解放する。パキィィンとガラスが砕けるような音が響き、鏡の背後に蜃気楼のような姿浮かび上がっていく。 「こいつはッ!?」 「鏡が……忍巨兵だと!?」 「風雅流忍巨兵之術」 その瞬間、鏡の肉体は砂へと変わり、幻のように揺らめく忍巨兵の姿はハッキリと現実のものに変わる。 「盾王……ガイガ!」 丁度その頃、風雅家には意外な訪問者が現れていた。 自らの奇異を隠すわけでもなく、堂々と陽平の自宅を訪れた人物は唇の端から犬歯を覗かせると、握り締めた拳に爆発的な熱量を封じ込めていく。かなりの高熱であるらしく、拳から数センチ離れた空気がゆらゆらと陽炎を見せている。 これを叩き付ければ人間の建造物など砂の城となんら変わらない。木っ端微塵になって中の人間は逃げ出すこともできずに押し潰されるだろう。 「直接殴れねぇのは惜しいが……面倒を省くためだ。死にやが──」 振り上げた拳が、彼の言葉と同時に動きを止める。 それはいったいいつからそこにいたのだろうか。悠々と立つ姿はただの人間に違いない。だが、突然現れたと思った瞬間、とてつもない存在感を強引に押しつけられた。 「我が家になにか用事かな……」 なるほど。彼が勇者忍者の血縁か。 振り上げた拳をそのままに、獣のような男──双武将ガイ・ヴァルトは、面白いとばかりに唇の端をつり上げる。 「テメェも風雅だな……!」 「それがこの家の者か、という意味ならば正解だ。しかしモノの尋ね方を知らんとは嘆かわしい」 ゆとり教育がどうとか呟きながら、わざとらしく目頭を押さえる風雅──風雅雅夫の姿に、ヴァルトは苛立ちを露わにするように徐に口を開いていく。 「ふむ。では相手になろう。この家の家長として、たかがゾンビ犬の一匹や二匹、キチンと躾てみせよう」 あくまで飄々とした態度は崩さず、立てた人差し指をくいくいっ、と引く雅夫に、ヴァルトは獣のような咆哮をあげながら飛び掛かっていく。 多少強かろうが、彼らにとっての脅威はあくまで勇者忍者と彼率いる勇者忍軍のみ。それ以外など、どれほど腕が経とうが雑兵にすぎない。そう、思っていた。だからこそ早さと力に任せ、無謀にも雅夫に真正面から飛び込んだ。 ガァァンッ!! という鈍い音が鳴り響き、雅夫は拳の威力に背後へと吹っ飛ばされていく。 終わった。ヴァルトも間違いなくそう思ったはずだ。 だが、ヴァルトの技を嘲笑うかのように、飛ばされながらもクルリと宙返りをして着地すると、雅夫はダメージなどこれっぽっちもないと殴られた腹部の埃を払うように撫で擦る。 「なんだとッ!? そんなバカな! タイミングも威力も完璧だったはずだッ!?」 「なぜもなにも、拳のない腕に殴られてもワシは痛くも痒くもない」 まさかと殴り付けたはずの右腕を見るが、彼の言葉通りそこに彼の拳はなかった。恐ろしく鋭利な刃物で切り付けたのか、あまりに見事な切断面はようやく切られたことに気がついたらしく、真っ赤な液体を大量に吹き出していく。 「拳を落とされてよぉが、テメェが吹っ飛ぶほどの威力で無傷もクソもあるかッ!!」 「ならば格が違うのだろう。さぁ、これ以上はご近所に迷惑もかかる。そろそろ尻尾を巻くか……場所を変えようか」 雅夫に睨まれただけだというのに、ヴァルトを包む空気が震えている。飄々とした態度とは裏腹に、陽平以上に底知れない黒いものを感じずにはいられなかった。 「俺様をなめんじゃねぇ……! 俺は不死身の双武将。切られようが殴られようがこの通りよッ!!」 灰が集まるようになくなった拳が再生していく。なるほど。これでは風魔の兄妹が倒したと勘違いしたのも無理はない。 「だが、ワシは倒せぬよ」 「粉々になっても言えるかッ!!」 おそらく全力。触れただけでイチコロと言わんばかりに赤く染まった拳が雅夫に襲いかかる。そして当の雅夫にはまったく避ける気配はない。いや、今更避けようとしたところで間に合わない。 だが、やはりかわさずに無造作に腕を掴むと、お返しとばかりに雅夫の拳がヴァルトの腹部を強打した。 鉄武将ほどでないにせよ、ヴァルトもかなりの巨躯を持つ。だが、それを無造作に殴り付けるだけでくの字に折り曲げる人間など聞いた例がない。 「ァガッ……グ……」 化け物か。そう吐き捨ててやりたかったが突き抜ける威力がヴァルトの肺から空気を奪っていく。 「風牙に酷似した技のようだが、ただ力を溜めて殴るだけというのはあまりに芸がない」 よろよろと後ずさるヴァルトに、雅夫は種明かしだと掌を翳す。 するとどうしたことか、ヴァルトの全身に微弱ながら疲労感が襲いかかる。そういえば赤く染まっているほどに力を帯びていた拳は、いつの間にか普段の色を取り戻しているではないか。 「テメェ……まさかッ!?」 「これが……、この周囲の生命から強制的に巫力を集める秘術風之貢鎖人【かぜのくさり】≠アそがマスターの力。不死身であろうがなかろうが、風雅の術を模して生み出された傀儡など相手ではない」 つまり今の一撃はヴァルトの放った力を吸収。そっくりそのまま叩き返したということだ。 「マスター……忍者マスターだとッ!? ばかな! マスターがいるならなんであんなガキが忍巨兵にッ!?」 「さぁ、驚いている暇はなかろう。そうしているだけでお前はワシに力を奪われ続けるのだ」 どこのラスボスだとツッコミを入れられそうなセリフを口にしながら、雅夫はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。 しかし、一見無敵と思われるこの力にも難点はある。それは自らの意思で吸収する相手を選別できず、半径5メートルに入った生命から無差別に、更には手加減無用に力を奪うことだった。故にマスターには斎乃巫女が付き添い、風之貢鎖人をコントロール。自らの巫力と術を使わせるものなのだが……。 「ワシの巫女は早くに引退してしまっているのでな。悪いが手心を加えてはやれん」 「舐めんじゃねぇッ!!」 雅夫の言葉にワナワナと肩が震える。どうやらまだ力の差がわかっていないらしく、ヴァルトの全身から炎のような湯気が立ち上ぼる。 「とにかく、これではワシがご近所に迷惑をかけてしまうのでな……」 既に一声二声かけて近隣の避難は終わらせてあるとはいえ、自分のせいで草木が徐々に枯れていくのを見るのは忍びない。 周囲の空気を切り裂くほどの裂帛の気合を放ち、袖からストン、と落とすように取り出した刃を手に雅夫はスッと目を細めていく。 「因縁のある柊くんには申し訳ないが、仕方がない。フウガマスターの前に立ったことを不幸と思え」 |